Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

源太郎、、、体調回復

2016年12月18日 | 毎日の話

今朝の富士山は、また違った色合いで姿を現した。午後は暖かくなりそうですね。

 

 昨日は、カーテンを開け、窓いっぱいに太陽の光を入れて暖房もいらないくらいに暖かくなった部屋でFiorellaのReggio Emiliaのオペラハウスでのコンサート(未発表の音源)をCD化する作業を始めた。もちろんラウラの侵入防止対策は万全にして。

まずは、ヨーロッパの輸入DVDだからPAL再生機材で音源を再生。これをRT-1050の2トラ38で録音する。もっと簡単にダイレクトにCDサンプリング機材やリニアPCM機材でサンプリング録音するやり方もあるが、所有しているPAL再生機材がアナログ出力しかないので、安定したアナログ録音をしてくれるオープンテープに音を委ねるのが何時ものやり方。

そして、この音源からサンプリングした方が聴きやすいCDができる。2時間のコンサート録音には10インチのテープが4本必要になるし、時間も1:1の作業だから4時間以上かかる見込み。出来上がりのCDは二枚になってしまうが、これさえやれば、非圧縮のちゃんとしたCDができるので、使い勝手がいいのだ。

 

まぁ、日向ぼっこしながらのんびりとやろうと思っていたが「熱っぽい。だるい」どうも風邪を引いたようだった。そこで薬を飲んで、暖かくして夕方から早めに就寝した。そして今朝、熱も下がり、節々がちょっと痛い(寝過ぎ)くらいで元気になった。

 

おまけ。九州のお土産です。「スイートスプリングス」は酸味もなく甘い。


がんばるばい熊本

2016年12月16日 | 毎日の話

島原外港を出港するオーシャンアロー、IHIが開発した双胴船のフェリー。一万馬力を超える高速ジーゼルエンジンで、30ノット以上の最大速力を誇る世界でも最も高速のフェリー。手元のGPSの速度表示を見ていると27ノットくらい出ていたので時速50km、あの戦艦大和の最大戦速を楽々出している。排水量が2000t以下なので、比較にはならないが、早いということは誰もが感じる。

客室には、日本でないような空間が広がっていた。大型バス二台で観光に訪れた多くの中国人たちが、ひと時もシートに座ることなく、大声で会話し、あっちに行ったり、こっちにきたり。観光を楽しんでいる人たちに水をさすつもりはないが、もう少し静かに会話してほしいなぁと思うのは源太郎だけではないだろう。

プチ情報「シニア割引」という乗船券があることを知った。熊本市内から島原外港まで往復で2200円、それも60歳以上を証明できるならOK。知らなかった、このチケットを買えば1000円近く安くなる。源太郎も利用できるのだが、後の祭り。

でもよく考えると「嬉しい反面、年寄り扱いかよ」という気になった。なぜシニアだけが割引なのか。それなら子供を連れている家族や学生さんたちの割引を考えるべきで、若い人たちにどんどん乗ってもらったほうがいい。源太郎を含めジジババだけ割引するは、その負担がまた若者の運賃に跳ね返ってしまうと思うんだ。何でもかんでもジジババにという発想はもうやめたらいい。昔どこか市で「老人無料パス」というのがあった。そのパスで通勤している老人がいた。そこまで手厚い補助は必要ない、、、みんなで公平に負担すればいいのだ。

熊本駅に移設されたおてもやん像、辛島町の県民デパートやバスターミナルの建物は解体され、広々た空間が現れていた。辛島町の電鉄乗り場は違う場所にも見えてしまう。

震災後の熊本城の姿は悲しい。懸命に復旧の仕事が進んでいるが、よくよく石積を見ると後世に積んだ石積みが崩れているように見える(色が違う)。しかし、あの加速度を受けた石積があれほどまでに堅固な部分が残っているということは、昔の石工の腕はすごかったんだなぁと思う。熊本の石工は本当に匠だったのだろう。

 

熊本駅は、クリスマスとお正月の装いに変わっていた。九州新幹線も全線開通してもう5年経ったんだなあ。お土産に熊本が全国一の生産量の「スイートスプリング」を買って、熊本を後にした。

 

「ラウラ、熊本は頑張っていたよ」「うん」


新山口付近は雪、、、京都はいいお天気

2016年12月16日 | 毎日の話
新幹線は楽だ。空港のように、機材到着が遅れて、遅延したりしない。しかも揺れないし、お弁当も食べれるし、テーブルだって、ずっと使用できる。

てな訳で、余裕をぶっこいていたが、お腹が空いた。新神戸駅で西明石の駅弁が売っていたので、買い込んだ。
「ひっぱりダコ」峠の釜飯も陶器だが、こちらの方が上塗りに艶がある。蛸も美味い。


源太郎、、、やっぱり晴れ男

2016年12月15日 | 毎日の話
雲仙の朝は気持ちがいい。青空になり、昨日よりはるかに天気が良い。波も静かで、眉山も綺麗に見える。
Mihoちゃんにお土産のカステラを発送。店の女将さんに「お優しいんですね」と言われ「愛していますから」とは言えず、「ええ、まぁ」と答える。「字がお綺麗ですね」と言われ「そんなことありません」と答えると「商売がらお客さんの字を見てしまうんです。すいません」と。源太郎はプチ喜んだ。

携帯写真だからイマイチだなぁ。



源太郎、、、島原外港に向け出航。

2016年12月14日 | 毎日の話
新幹線は定刻でくまモンの出迎えを受けて熊本駅到着、そして熊本港に向かい、久しぶりのオーシャンアローに乗り込んだ。


鳥栖付近は雨風が強かったが、流石、晴れ男。熊本は雨が降っていない。


少し風があるが、海の上だから安心。長崎空港に向かった飛行機はきっとゆれただろう。

源太郎、、、西に向かう

2016年12月14日 | 毎日の話
明け方の雷雨はおさまり、暖かい朝。始発の新幹線に乗車して西に向かう。
昨日、ラウラは源太郎の食事のお皿に顔を埋め、お魚の煮汁を舐め、Mihoちゃんに怒られ、口の周りに煮こごりをつけた状態で逃走。「こんなに美味いものはない」「あんた病気になったら、面倒見るのは私だからね。いい加減にしなさいよ」「美味かったなぁ」もーダッシュで逃げるラウラ。

ちょっと早いですが、ラウラからカードを送ります。「じゃ、行ってきます。ラウラ、いい子でいなさいよ」

Jerry & Laura 、、、armistizio ?

2016年12月13日 | 毎日の話

どんよりした厚い雲、だから今朝は寒くない。

源太郎は出張(長距離だが飛行機には乗らない)の準備中。ジェリーとラウラはそれを察してか只今「休戦中」

イタリアに「静かな流れは橋を壊す」と言うことわざがある。日本流に言えば「油断大敵」

二人の顔をよく見ると

ジェリー「おとしゃん。出張するの。いつ帰ってくるの。気をつけてね」

ラウラ「ヘッヘッヘ。これでアタシの天下だわ。わかっているわねジェリー爺さん」

と言っているようで、この静かな雰囲気に裏があるようだ。


ワインの講釈は嫌いだ!! 、、、セピア色の時間を楽しむ

2016年12月12日 | 毎日の話

部屋にはトスカーナのコンサートでの歌声が流れている。

もうヨーロッパは秋も終わり、ワインの新酒もすでに出回り、そしてノエル一色の世界になっているだろうと写真を眺めながら時間を楽しんでいる。(フィルムにゴミが・・・・涙)

ちょっと胃が痛くてここ二日ほど胃薬を飲んでしのいでいるが、まあ仕方ないことと諦めている。「病院に行ってきたら」とMihoちゃんは言うが、飛行機と医者(注射)ほど嫌いなものはない。だから「我慢」これに限る。夏目漱石が「胃潰瘍」で苦しんだように、人間どこかに病はあるので、難しい検査をされて、理解できない病名を言われても余計に病気になりそうで、病院に行かない方が健康なのだと思っている。

昔、脳のMRIをとって「源太郎さん。脳みそは入っていますよ」と精一杯のジョークを言った医者がいた。「当たり前だ。量の大小はともかく・・・」、「こちとら病気の検査だよ。もし脳がなかったらどうしてくれる。八丁味噌でも注入して直せるのかよ」

ところで、欧州の小さな街を歩くと、ワイングラスをテーブルに置いて談笑している人たちがいる。それが似合うし、それが風景の一部として違和感がないから不思議だ。そしてこの秋の終わりになるとセピア色の町並みに溶け込んでいる。

 

 

日本だって、「日本酒」の文化がある。ところが最近はワインを飲む機会が多くなったように思う。お祝い事もシャンパーニュやワインが乾杯に用いられ、そこに参加した人たちも違和感なくそれを受け入れている。そしてあのワインを表現する訳のわからない意味不明の講釈に頷く諸氏もそこにいる。

 源太郎の友人にも、ワインを口にした途端、何か言いたくてたまらない男もいる。かと思えば、「これが美味いのか」と首を傾げる人もいる。「ワインに満ち足りた喜びを表す」なんてことは源太郎にはできない。日本酒なら「美味い」この一言で十分だし、唇が必然的に盃に近づいていくのだ。それは今は死語だが「二級酒」で十分な時もある。

 

だけど、こんなことを言う男もいる。「本当の意味でワインの表現とはそんなものではない。飲んで自然に沸き起こってくる感動だ。それは音符と同じで表現の一つだ」と言うのである。

 

「馬鹿らしい」、「美味い」だけでいい、飲んだ相手がどんな感想を持とうと「不味ければ不味い」それでいい。「凝縮した味わいで、丸みを帯び、平坦な草原のようだ」なんて単語を並べた評論なんて聞きたくもない。

 

富士山麓で演習なのだろう。大型の輸送機が低空飛行で何度も往復している。先日は大型ヘリコプターが9機編隊で上空を通過し、今日は高度3000ftくらいだろうか、輸送機が頻繁に往来している。「訓練も大変だなぁ」と思いつつ、「さほどジェットエンジンの音は気にならない」それより、よく綺麗に編隊を組んで飛べるものだなぁと思う。(望遠レンズを使用しなくても機影がはっきり見える)

富士山には雲が流れてきた。天気は下り坂だろう。

源太郎はLOCO!!

2016年12月12日 | 毎日の話

ブロ友の「ソプラノ素子の日記」のソプラノさんが題名のない音楽会「フィギュアスケートの音楽会」を紹介くださっていた。その一曲「ロコへのバラ一ド」について。

 BALADA PARA UN LOCO(ロコへのバラ一ド)

  この曲は、ピアソラとフェレールが賞金目当てでコンクールに出した「傑作」として有名ですね。1969年ブエノス・アイレスのルナ・パーク・スタジアムで行われた「踊りと歌の中南米フェスティヴァル」で、アメリータ・バルタールがピアソラ指揮オーケス卜ラの伴奏で披露した名曲で、それまでのタンゴにはない独創的な作風だったので、審査員や観衆の間に賛否両論を巻き起こしながらも見事に第2位の座に輝き、大衆の人気を獲得した曲。「ロコ」というのは人の名前ではなく、「狂った男」の意味(女なら「ロカ」となる)。

ちなみに、スペイン語の辞書には「正気でない。気が変になりそう。夢中になった。羽目を外した。野生の。空回り・・・」といろいろな意味がある。

 アメリータのような女性歌手の場合と男性歌手の場合で、語りの部分の人称は次のように変わるので耳を澄まして聞いてみるのが楽しい。

Amelita Baltar - Balada para un loco - Encuentro en el estudio

 

女声私は家を出る、アレナ一レス通りへ、通りも私もいつもと同じ

そこへ突然、あの木の後ろから彼が現れる(中略)そして彼は私にこう言う

男声君は家を出る、アレナ一レス通りへ通りも君もいつもと同じ

そこへ突然、木の後ろから俺が現れる(中略)そして俺は君にこう言う

源太郎は、このアメリータやミルバさんの歌より、藤澤嵐子さんの歌声が好きだ。彼女の語りは短く、こんなフレーズで始まる。

 

「昼下がりのブエノス・アイレス。私は一人で通りを歩いていきます。街の中はいつもと同じ風景、すると突然あの木の陰から彼がおかしな格好して現れました。そして、こう言うのです」

ちなみに語りの意味はこんな感じですね。

 ブエノス・アイレスの午後をわたしは知っています家を出るといつもと同じ、わたしも道も。すると突然例の木の陰からほら姿を現す。不思議な感じの彼。最後の放浪者のようで、金星に向かう最初の密航者のようでもあるのです。

 頭の上には半分に切ったメロン。シャツの縞模様は、肌に直接描かれたもの。足にボロボロの靴底をつけ、「空車」と書かれたタクシーの旗を両方の手にそれぞれ持っている。彼の姿が見えるのはわたしだけだと人は言うかも知れません。

 彼は人混みを歩く、ショーウィンドウのマネキンたちが彼にウィンクする。彼が通ると信号の電灯は3つとも全部青になる。角の果物屋のオレンジは彼に投げる。そう、もちろんオレンジの花を、そして踊っているような、飛んでいるような動きで。彼はメロンの帽子を脱ぐ。わたしに挨拶して旗を見せこう言うのです

 そして、歌が始まります。

 知ってるよ俺は イカれてる イカれてる

カジャオ通りをお月様が転がっていくのが、君には見えないのかい

飛行士たちと子供たちの行列が、俺のまわりでワルツを踊ってる

踊れよ! おいで! 飛ぶんだ!

知ってるよ俺は イカれてる イカれてる

俺は雀の巣からブエノス・アイレスを見てる

こんなに悲しげな君が見えたんだ

おいで! 飛ぶんだ! 感じろ!

俺の捧げる狂った惚れこみようを

ロコ! ロコ! ロコ!

君のブエノスアイレスっ子の孤独に夜がやって来るとき

俺は君のシーツのほとりを伝って行こう

詩を1篇 卜ロンボーンを1本もって

君の心の眠りをさわがせるために

ロコ! ロコ! ロコ!

俺は狂った曲芸師のように跳び上がろう

君の胸の谷間で、君の心を自由で狂わせたと感じるまで

そして、こんな風に言いながらロコは

彼の「夢」という名のスポーツカーに乗ろうと誘うのです

わたしたちは歩道を突っ走ってゆく

モータ一はつばめなのです

 精神病院から、「万才」と喝采する

愛を発明した狂人たち

天使ひとり 兵士ひとり 娘ひとりが

贈ってくれる踊りに誘うワルツ

素敵な人たちが挨接に出てくる

そしてロコは わたしのロコは 何とまあ

笑顔で鐘つき堂を挑発し、ようやくわたしを見て

こんな風に鼻歌をうたうのです

こんな風にイカれた俺を愛しておくれ

俺の中にあるこの狂人だけのもつ愛情

それにしがみつくんだ

このヒバリのかつらを付けて飛ぶんだ

俺と一緒にさあ飛びだせ

おいで! 飛ぶんだ! おいで!

こんな風にイカれた俺を愛しておくれ

きみの愛をすべて開くんだ

俺たちがこれから創りだすのは

ふたたび生きることの全体的な魔法の狂気

おいで 飛ぶんだ おいで

彼はロコ! わたしはロカ!

みんな! 全世界!

全世界がみんなロコ!

彼はロコでわたしはロカ!


 


富士山、、、月齢11.6の月に照らされて

2016年12月11日 | 毎日の話

昼間は雲に隠れていた富士山だが、夕方から雲がさり、月齢11.6(満月は12/14)に照らされた富士山。

空は満天の星が輝いている。どうしても下界の街明かりがまだ輝いていて、富士山を撮影してもその光が邪魔になる。それでもなんとか、冬の夜の富士山を撮影して見た。(メガネを替えたので、余計に星々が良く見える)

デジタルカメラなので、星の輝きはうまく撮れてはいないが、夜空に「白点」がいくつか見えると思う。左下の照明は、日本で一番早く開業する人工スキー場のあかり。


源太郎、、、のんびりした休日

2016年12月11日 | 毎日の話

「寒い」とばかり言っていられない。新千歳空港では飛行機が欠航して1000人ほどがターミナルで一夜を明かしたとニュースが伝えている。現在でも大陸からの寒気が日本に流れ込んでいる状態が「earth.nullschool.net」でも伝えられているから、雪が滅多に降らない場所に暮らす身であれば贅沢を言ってはバチが当たる。

 

昨日は、昼間はBSで放送されていた「赤穂浪士」の映画を見て、夜は「夏目漱石」のドラマを見てのんびりした。この時期になると「赤穂浪士」は定番なのだが、「水戸黄門」と同じく結末がわかっているストーリーは、ストレスもなく多少目を離していても最後さえ見れば満足と思うのは、明らかに歳をとったということだろう。

ところが、「漱石悶々」というドラマは久しぶりに面白かった。老いたと言っても夏目漱石が亡くなる前の年だから48歳頃の京都での恋心。12歳年下の多佳さんとの物語はよかった。「源太郎悶々」は夢のまたゆめか。

 

昔、台湾で購入した百科事典を見ていると実に面白い。漢字のオンパレードだが、新鮮で楽しい。中国は簡体字に変わったし、韓国も漢字は今は昔。台湾に親密感を覚えるのはこの漢字なのかもしれない。

 

古い写真が出てきた。昭和53年頃のある街を撮影したものだ。この頃、あのビルのあの部屋で仕事をしていたなぁ。師走になると色々思い出す