ブロ友の「ソプラノ素子の日記」のソプラノさんが題名のない音楽会「フィギュアスケートの音楽会」を紹介くださっていた。その一曲「ロコへのバラ一ド」について。
BALADA PARA UN LOCO(ロコへのバラ一ド)
この曲は、ピアソラとフェレールが賞金目当てでコンクールに出した「傑作」として有名ですね。1969年ブエノス・アイレスのルナ・パーク・スタジアムで行われた「踊りと歌の中南米フェスティヴァル」で、アメリータ・バルタールがピアソラ指揮オーケス卜ラの伴奏で披露した名曲で、それまでのタンゴにはない独創的な作風だったので、審査員や観衆の間に賛否両論を巻き起こしながらも見事に第2位の座に輝き、大衆の人気を獲得した曲。「ロコ」というのは人の名前ではなく、「狂った男」の意味(女なら「ロカ」となる)。
ちなみに、スペイン語の辞書には「正気でない。気が変になりそう。夢中になった。羽目を外した。野生の。空回り・・・」といろいろな意味がある。
アメリータのような女性歌手の場合と男性歌手の場合で、語りの部分の人称は次のように変わるので耳を澄まして聞いてみるのが楽しい。
Amelita Baltar - Balada para un loco - Encuentro en el estudio
女声:私は家を出る、アレナ一レス通りへ、通りも私もいつもと同じ
そこへ突然、あの木の後ろから彼が現れる(中略)そして彼は私にこう言う
男声:君は家を出る、アレナ一レス通りへ通りも君もいつもと同じ
そこへ突然、木の後ろから俺が現れる(中略)そして俺は君にこう言う
源太郎は、このアメリータやミルバさんの歌より、藤澤嵐子さんの歌声が好きだ。彼女の語りは短く、こんなフレーズで始まる。
「昼下がりのブエノス・アイレス。私は一人で通りを歩いていきます。街の中はいつもと同じ風景、すると突然あの木の陰から彼がおかしな格好して現れました。そして、こう言うのです」
ちなみに語りの意味はこんな感じですね。
ブエノス・アイレスの午後をわたしは知っています家を出るといつもと同じ、わたしも道も。すると突然例の木の陰からほら姿を現す。不思議な感じの彼。最後の放浪者のようで、金星に向かう最初の密航者のようでもあるのです。
頭の上には半分に切ったメロン。シャツの縞模様は、肌に直接描かれたもの。足にボロボロの靴底をつけ、「空車」と書かれたタクシーの旗を両方の手にそれぞれ持っている。彼の姿が見えるのはわたしだけだと人は言うかも知れません。
彼は人混みを歩く、ショーウィンドウのマネキンたちが彼にウィンクする。彼が通ると信号の電灯は3つとも全部青になる。角の果物屋のオレンジは彼に投げる。そう、もちろんオレンジの花を、そして踊っているような、飛んでいるような動きで。彼はメロンの帽子を脱ぐ。わたしに挨拶して旗を見せこう言うのです
そして、歌が始まります。
知ってるよ俺は イカれてる イカれてる
カジャオ通りをお月様が転がっていくのが、君には見えないのかい
飛行士たちと子供たちの行列が、俺のまわりでワルツを踊ってる
踊れよ! おいで! 飛ぶんだ!
知ってるよ俺は イカれてる イカれてる
俺は雀の巣からブエノス・アイレスを見てる
こんなに悲しげな君が見えたんだ
おいで! 飛ぶんだ! 感じろ!
俺の捧げる狂った惚れこみようを
ロコ! ロコ! ロコ!
君のブエノスアイレスっ子の孤独に夜がやって来るとき
俺は君のシーツのほとりを伝って行こう
詩を1篇 卜ロンボーンを1本もって
君の心の眠りをさわがせるために
ロコ! ロコ! ロコ!
俺は狂った曲芸師のように跳び上がろう
君の胸の谷間で、君の心を自由で狂わせたと感じるまで
そして、こんな風に言いながらロコは
彼の「夢」という名のスポーツカーに乗ろうと誘うのです
わたしたちは歩道を突っ走ってゆく
モータ一はつばめなのです
精神病院から、「万才」と喝采する
愛を発明した狂人たち
天使ひとり 兵士ひとり 娘ひとりが
贈ってくれる踊りに誘うワルツ
素敵な人たちが挨接に出てくる
そしてロコは わたしのロコは 何とまあ
笑顔で鐘つき堂を挑発し、ようやくわたしを見て
こんな風に鼻歌をうたうのです
こんな風にイカれた俺を愛しておくれ
俺の中にあるこの狂人だけのもつ愛情
それにしがみつくんだ
このヒバリのかつらを付けて飛ぶんだ
俺と一緒にさあ飛びだせ
おいで! 飛ぶんだ! おいで!
こんな風にイカれた俺を愛しておくれ
きみの愛をすべて開くんだ
俺たちがこれから創りだすのは
ふたたび生きることの全体的な魔法の狂気
おいで 飛ぶんだ おいで
彼はロコ! わたしはロカ!
みんな! 全世界!
全世界がみんなロコ!
彼はロコでわたしはロカ!