Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

ワインの講釈は嫌いだ!! 、、、セピア色の時間を楽しむ

2016年12月12日 | 毎日の話

部屋にはトスカーナのコンサートでの歌声が流れている。

もうヨーロッパは秋も終わり、ワインの新酒もすでに出回り、そしてノエル一色の世界になっているだろうと写真を眺めながら時間を楽しんでいる。(フィルムにゴミが・・・・涙)

ちょっと胃が痛くてここ二日ほど胃薬を飲んでしのいでいるが、まあ仕方ないことと諦めている。「病院に行ってきたら」とMihoちゃんは言うが、飛行機と医者(注射)ほど嫌いなものはない。だから「我慢」これに限る。夏目漱石が「胃潰瘍」で苦しんだように、人間どこかに病はあるので、難しい検査をされて、理解できない病名を言われても余計に病気になりそうで、病院に行かない方が健康なのだと思っている。

昔、脳のMRIをとって「源太郎さん。脳みそは入っていますよ」と精一杯のジョークを言った医者がいた。「当たり前だ。量の大小はともかく・・・」、「こちとら病気の検査だよ。もし脳がなかったらどうしてくれる。八丁味噌でも注入して直せるのかよ」

ところで、欧州の小さな街を歩くと、ワイングラスをテーブルに置いて談笑している人たちがいる。それが似合うし、それが風景の一部として違和感がないから不思議だ。そしてこの秋の終わりになるとセピア色の町並みに溶け込んでいる。

 

 

日本だって、「日本酒」の文化がある。ところが最近はワインを飲む機会が多くなったように思う。お祝い事もシャンパーニュやワインが乾杯に用いられ、そこに参加した人たちも違和感なくそれを受け入れている。そしてあのワインを表現する訳のわからない意味不明の講釈に頷く諸氏もそこにいる。

 源太郎の友人にも、ワインを口にした途端、何か言いたくてたまらない男もいる。かと思えば、「これが美味いのか」と首を傾げる人もいる。「ワインに満ち足りた喜びを表す」なんてことは源太郎にはできない。日本酒なら「美味い」この一言で十分だし、唇が必然的に盃に近づいていくのだ。それは今は死語だが「二級酒」で十分な時もある。

 

だけど、こんなことを言う男もいる。「本当の意味でワインの表現とはそんなものではない。飲んで自然に沸き起こってくる感動だ。それは音符と同じで表現の一つだ」と言うのである。

 

「馬鹿らしい」、「美味い」だけでいい、飲んだ相手がどんな感想を持とうと「不味ければ不味い」それでいい。「凝縮した味わいで、丸みを帯び、平坦な草原のようだ」なんて単語を並べた評論なんて聞きたくもない。

 

富士山麓で演習なのだろう。大型の輸送機が低空飛行で何度も往復している。先日は大型ヘリコプターが9機編隊で上空を通過し、今日は高度3000ftくらいだろうか、輸送機が頻繁に往来している。「訓練も大変だなぁ」と思いつつ、「さほどジェットエンジンの音は気にならない」それより、よく綺麗に編隊を組んで飛べるものだなぁと思う。(望遠レンズを使用しなくても機影がはっきり見える)

富士山には雲が流れてきた。天気は下り坂だろう。

源太郎はLOCO!!

2016年12月12日 | 毎日の話

ブロ友の「ソプラノ素子の日記」のソプラノさんが題名のない音楽会「フィギュアスケートの音楽会」を紹介くださっていた。その一曲「ロコへのバラ一ド」について。

 BALADA PARA UN LOCO(ロコへのバラ一ド)

  この曲は、ピアソラとフェレールが賞金目当てでコンクールに出した「傑作」として有名ですね。1969年ブエノス・アイレスのルナ・パーク・スタジアムで行われた「踊りと歌の中南米フェスティヴァル」で、アメリータ・バルタールがピアソラ指揮オーケス卜ラの伴奏で披露した名曲で、それまでのタンゴにはない独創的な作風だったので、審査員や観衆の間に賛否両論を巻き起こしながらも見事に第2位の座に輝き、大衆の人気を獲得した曲。「ロコ」というのは人の名前ではなく、「狂った男」の意味(女なら「ロカ」となる)。

ちなみに、スペイン語の辞書には「正気でない。気が変になりそう。夢中になった。羽目を外した。野生の。空回り・・・」といろいろな意味がある。

 アメリータのような女性歌手の場合と男性歌手の場合で、語りの部分の人称は次のように変わるので耳を澄まして聞いてみるのが楽しい。

Amelita Baltar - Balada para un loco - Encuentro en el estudio

 

女声私は家を出る、アレナ一レス通りへ、通りも私もいつもと同じ

そこへ突然、あの木の後ろから彼が現れる(中略)そして彼は私にこう言う

男声君は家を出る、アレナ一レス通りへ通りも君もいつもと同じ

そこへ突然、木の後ろから俺が現れる(中略)そして俺は君にこう言う

源太郎は、このアメリータやミルバさんの歌より、藤澤嵐子さんの歌声が好きだ。彼女の語りは短く、こんなフレーズで始まる。

 

「昼下がりのブエノス・アイレス。私は一人で通りを歩いていきます。街の中はいつもと同じ風景、すると突然あの木の陰から彼がおかしな格好して現れました。そして、こう言うのです」

ちなみに語りの意味はこんな感じですね。

 ブエノス・アイレスの午後をわたしは知っています家を出るといつもと同じ、わたしも道も。すると突然例の木の陰からほら姿を現す。不思議な感じの彼。最後の放浪者のようで、金星に向かう最初の密航者のようでもあるのです。

 頭の上には半分に切ったメロン。シャツの縞模様は、肌に直接描かれたもの。足にボロボロの靴底をつけ、「空車」と書かれたタクシーの旗を両方の手にそれぞれ持っている。彼の姿が見えるのはわたしだけだと人は言うかも知れません。

 彼は人混みを歩く、ショーウィンドウのマネキンたちが彼にウィンクする。彼が通ると信号の電灯は3つとも全部青になる。角の果物屋のオレンジは彼に投げる。そう、もちろんオレンジの花を、そして踊っているような、飛んでいるような動きで。彼はメロンの帽子を脱ぐ。わたしに挨拶して旗を見せこう言うのです

 そして、歌が始まります。

 知ってるよ俺は イカれてる イカれてる

カジャオ通りをお月様が転がっていくのが、君には見えないのかい

飛行士たちと子供たちの行列が、俺のまわりでワルツを踊ってる

踊れよ! おいで! 飛ぶんだ!

知ってるよ俺は イカれてる イカれてる

俺は雀の巣からブエノス・アイレスを見てる

こんなに悲しげな君が見えたんだ

おいで! 飛ぶんだ! 感じろ!

俺の捧げる狂った惚れこみようを

ロコ! ロコ! ロコ!

君のブエノスアイレスっ子の孤独に夜がやって来るとき

俺は君のシーツのほとりを伝って行こう

詩を1篇 卜ロンボーンを1本もって

君の心の眠りをさわがせるために

ロコ! ロコ! ロコ!

俺は狂った曲芸師のように跳び上がろう

君の胸の谷間で、君の心を自由で狂わせたと感じるまで

そして、こんな風に言いながらロコは

彼の「夢」という名のスポーツカーに乗ろうと誘うのです

わたしたちは歩道を突っ走ってゆく

モータ一はつばめなのです

 精神病院から、「万才」と喝采する

愛を発明した狂人たち

天使ひとり 兵士ひとり 娘ひとりが

贈ってくれる踊りに誘うワルツ

素敵な人たちが挨接に出てくる

そしてロコは わたしのロコは 何とまあ

笑顔で鐘つき堂を挑発し、ようやくわたしを見て

こんな風に鼻歌をうたうのです

こんな風にイカれた俺を愛しておくれ

俺の中にあるこの狂人だけのもつ愛情

それにしがみつくんだ

このヒバリのかつらを付けて飛ぶんだ

俺と一緒にさあ飛びだせ

おいで! 飛ぶんだ! おいで!

こんな風にイカれた俺を愛しておくれ

きみの愛をすべて開くんだ

俺たちがこれから創りだすのは

ふたたび生きることの全体的な魔法の狂気

おいで 飛ぶんだ おいで

彼はロコ! わたしはロカ!

みんな! 全世界!

全世界がみんなロコ!

彼はロコでわたしはロカ!