本日も藩都、不来方の藩立養療所へ・・・・。
用向きが終わると、何を思ったか車を雫石方面へと走らせていたが、若き頃の思い出多き、雫石町の網張にでもドライブと久しぶりに洒落こみました(お洒落な内容ではないのですが・・・汗)
かつての小岩井有料道路料金所があったところ(第一の料金所)
小岩井農場を過ぎ、しばらく走ると第二の料金所がありましたが・・・その場所
小岩井農場から網張温泉スキー場までの間に料金所は確か3箇所あったと記憶してますが、第3の料金所は昔の岩手高原スキー場(ペンション村入口)付近にあったと思う、しかし料金を支払うのは最初の2箇所だけだったような・・・・。
ということで、網張スキー場は当時、岩手山麓国民休暇村と呼ばれた宿泊施設でしたが、現在は休暇村岩手網張温泉というらしい。
この施設に幼馴染で同級生が就職しており、この同級生を訪ねて時折、網張に遊びに行っておりました。
また、やはり小生と遠戚で松崎町駒木出身で一つ上の女性も勤務していて行きやすい環境ではあったのです。
他に遠野出身の方々が数名居りました。
実は当初はスキーではなく、冬以外の季節に遊びに行っていたのですが、間もなくスキーにハマって毎冬通うことになります。
小岩井有料道路利用は往復の料金がかかるのですが、小岩井農場と雫石スキー場との間に一般道路があって、こちらを利用すればお金がかからずも、スキー場があるという環境で大雪地帯、当時FR車の愛車では行き着けずという事態もあって、行きは有料道路、帰りは一般道としておりました。
その後、いつ頃からですかね、1980年代後半?には有料道路が廃止になりました。
御神坂駐車場
同級生を訪ねて網張へ行く際、少し時間的に早いという場面もあって、その際は途中の御神坂駐車場で昼寝をしたり、カーラジオを聴いて時間調整をしておりました。・・・冬は駐車場が雪で埋まって入れず・・・。
また、今の職業での初任教育で長期研修中に矢巾町の南昌山と岩手山登山がカリキュラムに組まれており、岩手山は滝沢村の馬返しから登り、下山は此処御神坂口へと下りて来て、何度か昼寝をしていた場所と判ると何故か妙に恥ずかしくなったりして・・・笑
その思い出のひとつも、今から3年程前(平成18年夏)に岩手山からもの凄い土石流が発生、駐車場はもちろん、道路を寸断、さらに下方へも甚大な被害に見舞われた。
さて、高原道路といいますか、爽やかな風や新緑の景色に触れながら進むと・・・・
岩手高原スキー場
以前はもう少し先に岩手高原スキー場があったのですが、以前のスキー場は今はコースに木々が生い茂り、僅かに廃れて錆びたリフト等の残骸が草の中に埋もれている状態でもありました。(画像なし)
岩手山は半分雲に隠れてましたが、徐々にその姿を現しはじめておりました。
休暇村、網張温泉館(別館)
当初の建物で小生が通っていた頃は別館と呼ばれていた。
古い建物ながらも趣があって特に温泉は昔ながらの雰囲気で最高であった。
白濁色で強い硫黄の匂いが、なんとも効きそうな温泉という思いにさせたのが此処の湯っこでもありました。
増改築等がなされたみたいで外観上は当時の雰囲気とは違っておりました。
こちらは本館
こちらも何やら遊歩道みたいなものが作られておりました。
なんでも山中の露天風呂等に行く道とか・・・。
休暇村網張温泉本館
網張スキー場
岩手山登山用のリフトの稼働点検中か?こちらからのコースが一番手強い岩手山ルートだったはず・・・?
上部のスキーコース
向って左端のコースがスラロームパーン・・最大斜度37度、スキーに夢中だった頃は、不整地でなかなか厄介なコースでした。
隣2つは白樺スロープ、最大斜度28度、適宜な斜度があって、よく滑ったコースでもありました。
今は怖くて滑れないものと思われます。
休暇村本館とスキーハウス
手前のスキーハウスは木造の山小屋風でした。
網張からは秋田駒?が間近にみえる。
折角来たのだから温泉を堪能したいところですが、やはりサウナ付という小生自身のスタイルがあって、止めにしました。
また同級生は未だに此処の施設の職員として頑張っていたはず、しかし数年前もそうでしたが、彼の休みは月曜日だったと記憶しており、また仕事中にお邪魔しても迷惑だろうと判断して帰途に着きました。
途中に網張温泉ありね山荘という施設がありましたが、こちらもパス・・・しかし帰宅してから調べますとサウナもあるとか…失敗しました・・・汗・・・次回の候補としたいと思います。
本日のランチ・・・。
スキー場通い往復の道路沿いながら一度も入店したことがありませんでしたが、意を決して本日入店。
盛岡市内の支店には一度入ったことがありましたが、支店の味が小生好みでなかなかでしたので期待大といったところ・・・。
やはり美味い・・・
小生好みのスープ、そして辛味のキムチ・・・これもクセになりそうな盛岡冷麺・・・美味い。
小岩井界隈といえば・・・・
誰が呼んだか、名付けたか?・・・・笑
ひとよんで・・・○づくり村・・・大汗
白い恋人達も炎の如く・・・・
最後の締めがこれでは・・・・
秀峰岩手山も許してくださるはず・・・ようやくその全貌が見えました。
雫石町長山辺りから・・・。
用向きが終わると、何を思ったか車を雫石方面へと走らせていたが、若き頃の思い出多き、雫石町の網張にでもドライブと久しぶりに洒落こみました(お洒落な内容ではないのですが・・・汗)
かつての小岩井有料道路料金所があったところ(第一の料金所)
小岩井農場を過ぎ、しばらく走ると第二の料金所がありましたが・・・その場所
小岩井農場から網張温泉スキー場までの間に料金所は確か3箇所あったと記憶してますが、第3の料金所は昔の岩手高原スキー場(ペンション村入口)付近にあったと思う、しかし料金を支払うのは最初の2箇所だけだったような・・・・。
ということで、網張スキー場は当時、岩手山麓国民休暇村と呼ばれた宿泊施設でしたが、現在は休暇村岩手網張温泉というらしい。
この施設に幼馴染で同級生が就職しており、この同級生を訪ねて時折、網張に遊びに行っておりました。
また、やはり小生と遠戚で松崎町駒木出身で一つ上の女性も勤務していて行きやすい環境ではあったのです。
他に遠野出身の方々が数名居りました。
実は当初はスキーではなく、冬以外の季節に遊びに行っていたのですが、間もなくスキーにハマって毎冬通うことになります。
小岩井有料道路利用は往復の料金がかかるのですが、小岩井農場と雫石スキー場との間に一般道路があって、こちらを利用すればお金がかからずも、スキー場があるという環境で大雪地帯、当時FR車の愛車では行き着けずという事態もあって、行きは有料道路、帰りは一般道としておりました。
その後、いつ頃からですかね、1980年代後半?には有料道路が廃止になりました。
御神坂駐車場
同級生を訪ねて網張へ行く際、少し時間的に早いという場面もあって、その際は途中の御神坂駐車場で昼寝をしたり、カーラジオを聴いて時間調整をしておりました。・・・冬は駐車場が雪で埋まって入れず・・・。
また、今の職業での初任教育で長期研修中に矢巾町の南昌山と岩手山登山がカリキュラムに組まれており、岩手山は滝沢村の馬返しから登り、下山は此処御神坂口へと下りて来て、何度か昼寝をしていた場所と判ると何故か妙に恥ずかしくなったりして・・・笑
その思い出のひとつも、今から3年程前(平成18年夏)に岩手山からもの凄い土石流が発生、駐車場はもちろん、道路を寸断、さらに下方へも甚大な被害に見舞われた。
さて、高原道路といいますか、爽やかな風や新緑の景色に触れながら進むと・・・・
岩手高原スキー場
以前はもう少し先に岩手高原スキー場があったのですが、以前のスキー場は今はコースに木々が生い茂り、僅かに廃れて錆びたリフト等の残骸が草の中に埋もれている状態でもありました。(画像なし)
岩手山は半分雲に隠れてましたが、徐々にその姿を現しはじめておりました。
休暇村、網張温泉館(別館)
当初の建物で小生が通っていた頃は別館と呼ばれていた。
古い建物ながらも趣があって特に温泉は昔ながらの雰囲気で最高であった。
白濁色で強い硫黄の匂いが、なんとも効きそうな温泉という思いにさせたのが此処の湯っこでもありました。
増改築等がなされたみたいで外観上は当時の雰囲気とは違っておりました。
こちらは本館
こちらも何やら遊歩道みたいなものが作られておりました。
なんでも山中の露天風呂等に行く道とか・・・。
休暇村網張温泉本館
網張スキー場
岩手山登山用のリフトの稼働点検中か?こちらからのコースが一番手強い岩手山ルートだったはず・・・?
上部のスキーコース
向って左端のコースがスラロームパーン・・最大斜度37度、スキーに夢中だった頃は、不整地でなかなか厄介なコースでした。
隣2つは白樺スロープ、最大斜度28度、適宜な斜度があって、よく滑ったコースでもありました。
今は怖くて滑れないものと思われます。
休暇村本館とスキーハウス
手前のスキーハウスは木造の山小屋風でした。
網張からは秋田駒?が間近にみえる。
折角来たのだから温泉を堪能したいところですが、やはりサウナ付という小生自身のスタイルがあって、止めにしました。
また同級生は未だに此処の施設の職員として頑張っていたはず、しかし数年前もそうでしたが、彼の休みは月曜日だったと記憶しており、また仕事中にお邪魔しても迷惑だろうと判断して帰途に着きました。
途中に網張温泉ありね山荘という施設がありましたが、こちらもパス・・・しかし帰宅してから調べますとサウナもあるとか…失敗しました・・・汗・・・次回の候補としたいと思います。
本日のランチ・・・。
スキー場通い往復の道路沿いながら一度も入店したことがありませんでしたが、意を決して本日入店。
盛岡市内の支店には一度入ったことがありましたが、支店の味が小生好みでなかなかでしたので期待大といったところ・・・。
やはり美味い・・・
小生好みのスープ、そして辛味のキムチ・・・これもクセになりそうな盛岡冷麺・・・美味い。
小岩井界隈といえば・・・・
誰が呼んだか、名付けたか?・・・・笑
ひとよんで・・・○づくり村・・・大汗
白い恋人達も炎の如く・・・・
最後の締めがこれでは・・・・
秀峰岩手山も許してくださるはず・・・ようやくその全貌が見えました。
雫石町長山辺りから・・・。
網張別館の湯っこは今も変わりませんか?
本館の方も白濁色のいい温泉ですが、別館の方がさらに濁って匂いも強かったような・・・。
でっ、ありね山荘、是非に訪ねたいと思います。
それと三千里、ここも美味いですね・・・また食べたくなりました・・・笑
(私夕食、韓式食彩だったしぃ~!)
小岩井!ってそういえば、そうですよね~?
昔、有料道路でしたね。
すっかり忘れてました。
画像見て、学校の小岩井遠足のバスで通ったことや、
網張スキー場にも小学校で行ったこと思いだしました!(^O^)/
あははは・・・。
あそこらへん一帯は○づくり村と呼ばれているんですか?
知らなかったぁ~!
(考えた人うまいっ!笑)
私が十代の頃、二十代後半の仕事関係の業者の人にドライブ誘われて~
車がどうもこっち方面向かってて~!(笑)
危険を感じ、(笑)
「私今すぐ帰るから車戻して!」と無理矢理帰った記憶があります。
(だいぶ過去なのでもう時効です!笑)
とらねこさんのおかげでいろんなこと思い出したよ。ありがとう!(^O^)/(笑)
ちょっと苦いといいますか、別方向の思い出が蘇るエントリーとなったようですが、近くの盛岡手づくり村に対しての○づくり村ということだと思います・・・笑・・・妙に納得したりして・・・笑
この辺は盛岡冷麺の名店も多く、私的には冷麺街道と呼んでおります。
地元に住んだことがあるものとしては
何でこんなところに ネオンチカチカの館が連座じゃ~~!!
盛岡に出るための近道コースとはいえ いやな通りでした
有料道路だったころ 料金所で徴収係をやったこともありました
とお~~~いむかしの物語です せめて思いでづくり村、、だったらよかったのに。
はじめまして・・・。
網張に遊びに行きはじめた頃は、あんなになかったと記憶してますが、いつの頃か増えだして・・・・三千里さんの裏の通り、近道でしたが、通る度に車の出入りを目撃しますと、悔しいやら・・・汗・・・なんでもないこちらも妙に気まずい思いになったり・・・笑
別な意味では、思いでづくり村かもしれませんよ・・・笑
コメントありがとうございました。