キンちゃんの「マイコレ」partⅤ

果樹栽培、自然観察、・・・そして時々人間観察等です。

逆説の日本史 中世王権編

2012-05-15 19:27:13 | 
大河ドラマ「平清盛」、脚本的には違和感がありますが、歴史の流れを知るには解りやすいので、7割位は見ています。
今は、保元の乱まで来ていますが、朝廷、公家、武士が二手に分かれての衝突は、予備知識がないと、なかなか理解し難いものです。
この、武士の武力による権力闘争は、結局、徳川家康の出現まで続いたと言う事になります。


さて、この本では、南北朝から戦国時代前までの足利幕府について述べられています。

(12/05/15撮影)

「太平記」のテーマ、
「君主(後醍醐)は『徳欠くる則(とき)は、位有りといへども、持(たも)たず』
 臣下(北条氏)も『道違ふ則は、威有りといへども、保たず』」
「朱子学における忠義というものは、忠義の対象である君主が「欠徳の人間」であればあるほど、より明確になる。」
「・・ところどころ水たまりが残っていて、生き残った魚が互いにバシャバシャやって水をかけあい助け合っている。その情景は確かに悲しく美しい。しかし、水がたっぷりあって互いの存在など忘れている時の方が本当は幸せなはずだ。・・」(荘子)
『天勾践を空しゅうする莫れ。時范蠡無きにしも非ず。』

「「目先の敵」直義(弟)を討つために、苦しまぎれに南朝と安易な妥協をしたばかりに、尊氏は幕府政治の確立を遅らせ、結果的にこの国を何十年も内乱分裂状態に置くことになった。」
「尊氏は配下の大名たちに気前よく領地を与えてしまったために、いわゆる大大名があちこちにできて、後に幕府の言うことを聞かなくなるという現象が起こったのである。」

「足利義満の「皇位簒奪計画」、より正確に言えば「息子義嗣を天皇にし、自らは太上天皇(上皇)となって、足利家を『天皇家』にする」という計画は、成功の一歩手前まで行っていた。」
「朝廷対幕府という図式で捉えれば、武家が天皇を超えることを武家の誰もが望んだように見えるかもしれないが、実際は逆で、足利氏が突出して隔絶した地位を得ることを足利氏以外の武家は望まなかった。」
「室町幕府とは、簡単に言えば有力守護大名の連合政権なのである。足利氏とは、その盟主に過ぎない。
だからこそ、義光は「盟主」から「国王」になったのだ。そして、さらに天皇をも日本国王の傘下に置き、絶対的な権力の確立をはかったのだ。」

「義教の目的は乱世を収束させることである。・・日本人は十七条憲法以来の「話し合い絶対主義」があるから何事も合議制を好むが、義教は室町の世の状態を見て、将軍に真の権力が無く諸大名の力が強すぎるから世の中がまとまらないのだ、と思ったはずである。」
「義教がそういう挙に出たのは、・・「絶対権力の確立」である。・・室町幕府つまり将軍がそれを確立できなかったために、諸大名を統制することが不可能になり、日本は戦国時代に突入したのである。」

司馬遼太郎氏のエッセー、
「権力が一人に集中することをこうまで避けつづけてきた社会というのは、他の国にはないのではないでしょうか」「独裁者をゆるさないというのが、どうやら日本的権力の原理のようなのです」
「かれ(信長)の独裁政権の基礎がどうやら確実になろうとする、いわばその妙機においてかれはその批判者のために斃されてしまっています。批判者は自分の権力をつくるためというよりも、その行動と状況からみれば、倒さんがために倒したというきわめて発作性のつよい行動をとっているのも、日本的原理からいえば、発作的であるがために原理的行動としては純度が高いように思われます」


今回も、興味深く読ませて頂きました。
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アカシア(ニセアカシア)

2012-05-15 04:36:52 | 
「アカシアの雨に泣いてる 切ない胸はわかるまい・・」

「アカシヤの 花の下で あの娘がそっと瞼を拭いた・・」


(12/05/07撮影)



白かったアカシアも1週間経って、昨日は黄色味が出てきていました。

昨日からの雨にズッと鳴き続けていたカエルも先程は少し休んでいましたが、今また鳴き出しました。

「アカシアの大連」・・、訪れてみたい・・。
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