経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

1ページの衝撃

2011年02月02日 | Weblog
それまで著名な先生方から、この田舎人の私にも
本の出版を勧められ、共著や分筆の依頼を受け、
20余冊の本を出版させて頂いていた。
自分で想像もできないようなご好意、幸運。

こうしたことが、これがぴたっと止まった。

もし「幸運」という人がいたら、その彼が、
私に背を向け、走り去っていくのがはっきり見えた。
それぐらい、急激に、あからさまであった。

県内外のあっちこっちで私の悪評が、私に入るようになった。
すーっとこれまでの人たちが、引いていくのがはっきりわかった。

だが強がりではなく、私は気にもならなかった。
あるいは軽く受け取り見過ごしていたのかも。
有頂天とは、天頂に有りて、周囲が見えないことか、
いまなら少しはわかろうが。
 

長くなる。はしょろう。
これも、生意気にも、「学びに不可欠なこと」。
と、軽く流すことで、乗り切ろうとした。

確かに学びではあった。
私が学び、掴んだ結論は、外から既成を学ぶことには、
人は大いに寛容なり、だ。
だが、既成にないものには、勢い冷厳になり、
それを排除したがるということだ。

学びと言っても、それは自分を外に置いてのこと。

裏返せば外からの学びは謙虚さの象徴であり、
自前の異説、理論を説くことは奢りの象徴、
ということであり、そのことを「自分のこと」として、
うけとらなかったことこそ、私の、
まさに「奢り」だったのである。

まあ、その程度の反省だった、といってよう。
いや、反省なんてものではない。
自分が木津付くことを恐れての責任転嫁、

自分は正しい。正しいが故に孤独。それでもいい。
それ、やむを得なし。

これまた言葉を換えた奢り。


毒を吐き、まき散らしながら、そのことにすら気がつかず
それでも忙しさに酔い、その酔いが覚めるのに何年か経った。


「与えるものは、与える優越感の故に、
与えられる者の心情を見逃し、時として反発を食らう。

「教えることは、時には人を傷つける」、

どこそこにそんなことが書いてあるというわけではないが、
こうしたことが、ぴたっと、衝撃的に私の全身に流れたのは
他の人からの忠告ではない。

先生の本、「孟嘗君(宮城谷昌光著 講談社) 」の、
1ページを読んだときである。

まさに1ページの衝撃。


このとき、著者の著す白圭の生き方から、
自分の生き方の根本にある誤りを糺された。

その夜は、ほとんど寝ずに涙を流していた。