悲喜こもごもに、いちいちラベル貼りして
一生を終えるなんてつまんないこと、
といったかどうか。
事実のところ、
私はまだお会いしていませんからわかりませんが。
いえ、あくまで私の創作ですが、
貼るなら、「全部、これチャンス」
というラベルなりレッテルを貼ればいい。
起こることの本来は、チャンスでもない。ピンチでもない。
自分にとって、時と場合によって人は、
己の判断でチャンスというラベルをはったり、
ピンチを貼ったりしているわけです。
それは己の判断なのですから、これすべてに、
チャンスそのものとして、
瞬時にチャンスというレッテルを貼り、
あとはそのチャンスを増殖していくことを考える、
という手もありかな、というのが塞翁が言いたいこと。
これが「塞翁が馬」の話なんだと、
これまた私が自分にとって楽しく嬉しい方向に
解しているのです。
何のために?
自分のために、です。
ではなぜ書く? 実は、理由があるのです。
だいぶ前の話ですが、私の大好きな友に、
小さなポリープが1つ見つかった。
彼は、「大変だ」と心配している。
私は、良かったね。小さいうちに見つけてもらって。
幸運だよ。ついている。よかったね」
と、メールしました。
それを「いやぁ心配だね。癌の転移は若い人ほど早いからね。
ご家族もさぞ心配だろうね。
でもこのピンチをチャンスにできるように頑張ろうよ」、
というメールしたとします。
どうですか。どちらがいいと思いますか。
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