「塞翁が馬」みたいな、こんな高邁な話を、
それすら道具なのだから使い次第よ、
といったら叱られるのかも知れません。
で、これでもこわごわ書いています。
今が未来を作る。
そして、あの名画「哀愁」の忘れられないセリフ。
「未来がこちらへやってくる」
(正確ではありませんがニュアンスは間違っていないと思います)
のですから、今のそのことをピンチとうけとってはならない。
ピンチといったレッテルを付けてはならないのです。
またピンチはチャンス、と言ったことも、
ピンチというレッテルを貼って、
それをまた剥がし、チャンスというレッテルに貼り替える。
どうしてこんな二重の手間をやらねばならないのか。
私にはわかりません。
師の、脳力開発の創始者、城野 宏先生の話、著書の、
どこにもそんな解をしていません。
苦は苦というレッテルを貼ったら苦。
楽というレッテルを貼ると楽、
どちらを選択し貼るかは、その人の判断。
だからどっちでも自由に選べるのだから、
好きな方を、どちらでも自由にどうぞ、と言っている。
その前提に、「苦」は苦として、「楽」は楽として認識することと、
苦という認識があって楽が存在する。
楽という認識があって苦が存在する、
といった2つの原則があるのだぞ、
ということです。
ですから、ピンチがチャンスだ、
すなわちピンチ=チャンスは、
概念としても絶対に有り得ないこと。
塞翁には、そうしたことが見えていた。
悲喜こもごもに、いちいちラベル貼りして
一生を終えるなんてつまんないこと、
といったかどうか。
続く
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