経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

鵜呑みを鵜呑みにしない

2007年02月08日 | Weblog
 私は人の話で、これは、ということがあると、すぐ飛びつき、やってみる。やってみなければ、自分にとっていいかそうでないか、わからないからです。
 
 中には、やってみてもないことを、やったかのように言う人がいる。
 中にはやれないことを言う人もいる。

「私は、若いときは、毎日、寝ないで頑張ってきた。それで今がある」
嘘ですね。若いときから寝ないでいた人は、今、墓にいるはず。これは高校受験時代実践して、1日でダウン。2日間頭が働かず、損。以後、やらない。

 どんなに偉い人がいったといっても、いや偉い人の話であればなおのこと、鵜呑みにはしない。

 宣伝広告がそうです。著名タレントを広告塔にして宣伝する。その商品はタレントには無料提供。高いギャラを払って相当の宣伝費用とつぎ込んでいる。そうしたものを「あなただけにご提供」とか「注文殺到」とか、言わせている。
そもそもそうしなければ売れない商品なんだろうが、百歩譲ってその人に良いとしても、自分にとって良いのか悪いのか、自分で検証しなければわからない。
 
「おや?」とか「そうかな?」と、自分で感じたものを、自分で行動して検証することだ、と思っています。

 行動のすばらしさは、自分で様々な気づきをすること。話を聴くだけで終わると、その話が実際かどうかの確証がないわけですし、人のやったことをなぞっては、行動することで発見できる様々な悲喜交々(こもごもを)味わえない。これでは人生、おもしろくない。 カプセルで口から胃に直接流し込んだら、栄養になることはなるのでしょうが、味わえない。どんなうまいものでも、鵜呑みではつまらない。

 口は関所、その検証担当が「舌」。人の下で働く人でも、自分の口の検証は、自分の舌でやる以外にないのです。したがって、自分の舌を鍛えることは、自分の心身にとってきわめて重要なことだと思います。ちなみに私の場合、検問所の重量係が甘いようです。

 口を例に、話をしましたが、耳、目、皆そうです。
 目には、見る役割と見ないという2つの役割があります。同様、耳にも、聴く役割と、聴かない役割があります。鼻、口、然り。見ない。聴かない、嗅がない、入れない、これは、目、耳、鼻、口を、開いたり、閉じたりという方法も、それに足を使って近づいたり、とっとこ離れたらりすることもできます。それを、そのときそのときの自分の判断で自在に選択する。それは自分しか出来ないことです。
 
 言いたいことは、「これからの営業のあり方」、なんです。上のように、消費者が耳鼻目舌の機能をレベルアップしたら、営業、宣伝、販促のあり方が本質的に変わってきますよ。 その対策を、媒体としてのアナログから媒体としてのデジタルへ、の移行、という戦術(道具の取っ替え)的対応で、いいのでしょうか、というのが、私の「おや?」とか「そうかな?」といった関心であり行動基準なのです。
 
 鵜だって、そうなんだろうと思うのですが、人間が形だけを見て、鵜呑みと、鵜呑みしたのではないかと、思うのですが。これ検証していないので鵜呑みしないでください。

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