経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

そのその結果そ、どうなるの?

2008年03月26日 | Weblog
 わたしごと。
歴史が好きで読む本は、ほとんど歴史小説。
その程度の生かじりの知識でと断ってのことですが、
歴史上の争いは、国であろうと、また個々人であろうと、
選択肢のない状況のもとで起きているように思えるのです。

自由とは、選択肢があって
自分で選択できることだ、と思います。
一神教、社会主義国家、一党独裁・・・。
こうしたことに共通するのは、
選択肢がないことです。

その結果が嵩じると、どうなるか。
 チベット「騒乱」・・・・。
「騒乱」は、日経の見だしから、採りました。
これは辞書を引くと、端的には
「世の秩序が乱れること」,

ということです。

 ここで、世とは、
共産国家中国国家(におけるチベット自治区)のこと。

ここの秩序を乱した、ということで、
騒乱罪として、処刑されることになる。

つまり正義は チベット自治区を支配している中国になり、
それを騒ぎで乱した者は、犯罪者だという立場で、
知ってかしらずか、マスメディアは、
「騒乱」と使っている。

多くのマスメディアは、、
無意識にしろ、当然のように、
中国の立場、視点からこの事件を
見ていることが明らかです。

ちなみに、「そうらん」には、
もうひとつ「争乱」があります。
これも、はしょると、

「争いによる混乱」という意味です。

争いとは、AとBといった
利害が反する当事者の存在があります。
当事者関係というのは、対等関係です。

使うなら、「争乱」だと私には思えます。

 このことだけではありません。
とりわけ、最近の報道には、
当事者双方の立場を無視して、
一方的視点から報道される
といったことが、増えてきました。

 でも、そのことをここで
言いたいのではありません。

 師の城野 先生が言っていたこと。
 かって中国では毛沢東の書いた本しか
 書店に並んでいなかった。
 それでも爆発的に売れた。
 なにせほとんどの国民が買うのですから。
 買わなければ、国賊視される。
 それで紙の価格が暴騰。
 トイレの紙が市場から消えた。

 作家の塩野 七海さんの「ローマ物語」は、
 私の愛読書の一つです。

 ローマ帝国は、長寿国家でした。
 なにせこれまで1千年続いたいつの国家は
 ローマ帝国以外無いのです。
 その理由はなんだろう、栄えた理由はなんだろう。
 それが滅びた理由はなんだろう。
 そうした観点でこの本は書かれています。

 もちろん理由は、たくさんあります。
その中の一つをあげるとしたら、
衰退の背景に、それまでの多神教から、
一神教への転換があることは、周知の通りです。

否、一神教そのものに問題があるというより、
他を選択できない、させない、という「排他性」。
この排他性こそが、諸悪の根源だ、

と、私は、このことを言いたいのです。

平和のシンボル、オリンピック。
それを実現したいために
多くの事実がゆがめられる。
それが可能になるのは、どういうときであったか。
日本も昭和に入り、軍国国家になり、
第二次世界大戦が終わる間、経験していること。

それは、統制です。縛りです。

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