坂には上りと下りがある。
坂には上りだけの坂も下りだけの坂はない。
坂は上りと下りで1セットなのだ。
ということはその分岐がある。頂上である。
上り坂の時は誰でも上に進めた。
早い遅いの違いはあるから早い者は、早く頂上にたどり着く。
当然、先に上り詰めた者が、先に下ることになる。
これまでと同じ調子で前に進んだらどうなるか。
いやどうなったか。
バブルは、こうしたことで生まれたのでは、と私は思う。
上を目指すときと、下るときでは姿勢も意気込みも違う。
違って当然だ。いや違わなければトラブルが生じる。
それがバブルのはじけではないか、と私は思う。
上に上がるときは、力がかかる。目線が上がる
下に下りるときは、どうか。
同じ姿勢で目線を上げて階段を下りて、
危ない思いがした。
そこで目線を下げて、こわごわに変えた。
目線が下がると、先行き不透明の状況になる。
目線の先は存在しても見えないからだ。
上り坂の調子で下り坂を下っては危なっかしいということだ。
本来なら姿勢が変わる。
変えて当然だ。
だが長い坂を上る経験しか持っていない私たちは、
保守性、慣性の法則により、
下りを上りの姿勢と意気込みで下ったのではないか。
あるいは頂上はさらに上にありと、
さらに上を目指そうという幻想に陥ったのではないか。
あるいは上ることこそ男道、下るなぞ女々しいこと、
と下りを敬遠したのではなかろうか。
何かの本で読んだことだが、
「死んだ人間は自分が死んだことに気が付いていない」
事実かどうか、私はまだ体験したことがないので断定できないが、
依然として、多くの経営者が、
下り坂を上るときの意気込みや姿勢のまま、そう。
「上を向いて・・・」
「がんばろう!目標に向かって」、と。
ゲキを飛ばし、人を奮い立たせれば下り坂でも上れる、
と思い込んでいるようである。
そしてその目標は、頂上の先の高い位置、目線の上にある。
「がんばろう。上を向いて歩こう!」
そして、「これ、これ、上を向いて走らんかい!」
だが今や、明らかに頂上に達しいるのだ。
上り詰めた頂上にとどまることはできない。
コンビニもなにもない頂上では生活できないからだ。
下る、そのためにはどうしたらいいか、
こうしたことを考え、豊かな里を見下ろして以下に
楽しみながら快適に下るか、それを考え下り出す時なのだ。
しかし以前、率いるリーダーたちは上り時代のリーダー。
当然、下りの経験皆無。
それどころか下ることを忌み嫌う戦国武将のDNA継承者たちである。
「上を向いて走ろう。たちあがれ日本」、
と下り坂を楽しみたい国民に向かって、喚起している。
携帯電話を知らない古代人、化石人間から、
携帯電話の次の未来を夢見て立ち上がれ、と
尻を叩かれることに、私は時代錯誤の戸惑いと危うさを
今、禁じ得ないのである。
坂には上りだけの坂も下りだけの坂はない。
坂は上りと下りで1セットなのだ。
ということはその分岐がある。頂上である。
上り坂の時は誰でも上に進めた。
早い遅いの違いはあるから早い者は、早く頂上にたどり着く。
当然、先に上り詰めた者が、先に下ることになる。
これまでと同じ調子で前に進んだらどうなるか。
いやどうなったか。
バブルは、こうしたことで生まれたのでは、と私は思う。
上を目指すときと、下るときでは姿勢も意気込みも違う。
違って当然だ。いや違わなければトラブルが生じる。
それがバブルのはじけではないか、と私は思う。
上に上がるときは、力がかかる。目線が上がる
下に下りるときは、どうか。
同じ姿勢で目線を上げて階段を下りて、
危ない思いがした。
そこで目線を下げて、こわごわに変えた。
目線が下がると、先行き不透明の状況になる。
目線の先は存在しても見えないからだ。
上り坂の調子で下り坂を下っては危なっかしいということだ。
本来なら姿勢が変わる。
変えて当然だ。
だが長い坂を上る経験しか持っていない私たちは、
保守性、慣性の法則により、
下りを上りの姿勢と意気込みで下ったのではないか。
あるいは頂上はさらに上にありと、
さらに上を目指そうという幻想に陥ったのではないか。
あるいは上ることこそ男道、下るなぞ女々しいこと、
と下りを敬遠したのではなかろうか。
何かの本で読んだことだが、
「死んだ人間は自分が死んだことに気が付いていない」
事実かどうか、私はまだ体験したことがないので断定できないが、
依然として、多くの経営者が、
下り坂を上るときの意気込みや姿勢のまま、そう。
「上を向いて・・・」
「がんばろう!目標に向かって」、と。
ゲキを飛ばし、人を奮い立たせれば下り坂でも上れる、
と思い込んでいるようである。
そしてその目標は、頂上の先の高い位置、目線の上にある。
「がんばろう。上を向いて歩こう!」
そして、「これ、これ、上を向いて走らんかい!」
だが今や、明らかに頂上に達しいるのだ。
上り詰めた頂上にとどまることはできない。
コンビニもなにもない頂上では生活できないからだ。
下る、そのためにはどうしたらいいか、
こうしたことを考え、豊かな里を見下ろして以下に
楽しみながら快適に下るか、それを考え下り出す時なのだ。
しかし以前、率いるリーダーたちは上り時代のリーダー。
当然、下りの経験皆無。
それどころか下ることを忌み嫌う戦国武将のDNA継承者たちである。
「上を向いて走ろう。たちあがれ日本」、
と下り坂を楽しみたい国民に向かって、喚起している。
携帯電話を知らない古代人、化石人間から、
携帯電話の次の未来を夢見て立ち上がれ、と
尻を叩かれることに、私は時代錯誤の戸惑いと危うさを
今、禁じ得ないのである。
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