経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

二身頭

2010年06月04日 | Weblog
「制度」といった概念、そのものが保守性を持つ。

しかも官僚制度そのものが保守的である。

そのことを前提に、官僚制度は生成、創られたものといってよい。



ワイングラスはワインをいれたらぴったしだ。

当然だ。そのために創られたグラスなのだから。



官僚制度にはそれにぴったしの人がiいる。

当然だ。そのために創られた制度、採用方式なのだから。

そして類は類を呼び、さらに保守性を保守強化される。





官僚制度は、縛る、治める、指導、教育といった機能性を持つ。

その場合彼らの対象は縛られる人、治められる人、指導される人、教育される人、

といった「される」側は、国民、市民、町民、村民である。



彼らの数より多い。

必然的に小が大を治めねばならない。

そのために、

1に権威を笠に着ること。

2に国家のため、といった大義名分、

3にそれらを円滑に行使するための権限を強化、手練れ、手続きの複雑化



といったことが必要になるし、人を仕切るのに効果的だ。



かくして、かの有名なセリフ、「前例がない」が、

彼らの魔法の言葉としてはびこることになる。

前例がないモノは排除するのだから、

保守性の上に保守性が重ねられ、歴史を経るごとに

この組織は保守性を重ねることで、より巨大化、より硬直化してくる。



それだけではない。

彼らもまた本能的に類は類を呼ぶ過程で、

数こそ力だということを実感し、巨大化、肥満化してくる。



数字は権力を生む。

皇帝の名を借りて、その実官僚が国政を支配した事例は、

中国の宦官の歴史に多数見ることができる。

そうしたことは、今の日本ではいかん。

天下り先の数のおびただしさはいかん。



血税を吸い込む輩の構造の巨大化こそ、この国の最大の危惧ではなかろうか





話を戻す。

保守性は官僚制度だけではない。経営も然り。

先に触れたようにいわば積み重ねで

右肩あがりを形成している構造になっているわけだから、

極端な言い方をすると経営者が何もしなくても、

積み重なることで売上は上積みされた。



要するに経営者は、資産を投じれば、

あとは総務部、官僚的事務屋が、良きに計らい、

それなりの業績を得ることができたのである。



私は、上京するたびに、

巨大企業のいわゆる本社・本部ビルのおびただしさ、

そしてその中で働いている人々のほとんどが、

直接的には、収益を生まず経費消費の間接部門の人々である。

そのことに驚く。

地代・家賃の高いところの非生産者の高給取りたち、

彼らが地方の現場の生産者を仕切る。

今、死語に近くなったが八頭身とは、頭2,身体8のこと。

それが、頭8,身体2が実態。

夥しい数の職員を数少ない農家が養っている、今の日本農業の構図



それはそのまま日本の今の状態を彷彿させるのだ。



「立ち上がれ、日本」と言われて、立ち上がったらたちまち転ぶ。

頭8,身体2、二頭身、それが今の日本ではないか。



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