しばらく、「リーダー」について、考えてみたい。
日本語に、指導者とか指揮者とかいうのがある。しかし、これはどうも経営にはなじまない。なぜかとときかれても困るが、中小企業ではむしろ、ボスとかオヤジ、とか、シャチョウとかいった言葉の方が親しみ深い。
そもそも指揮者や指揮官というのは、軍隊で使ったもので、一般的には定着しがたかったのかもしれない。
リーダ1というのは英語だが、今では日本語と言ってもよい。だが、辞書で見たニュアンスとは、少し異なるかな、というのが実感である。
そうしたことは、おいおい見ていくとして、ここでは「リーダ1としての資格」といったように、使っていくことにしたい。
人間は一人で孤立していては、まず何もできない。他の人たちとの協力によってはじめて仕事ができる。大きな仕事になればなるほど、たくさんの人の協力が要る。 だから仕事をするということは、多くの人との関係をつけ、組織し、各人それぞれの活動の目標を与え、各人それぞれの力を出させて活動させ、その活動の成果を、一つの戦略方向にもってゆき、戦略目標が達成できるように活動を采配する、といったことをこなすことになる。こういう動員、組織、采配といった活動ができなければ、リーダーとしての資格がない。
いくら高邁かつ立派な理論や道理を口にしても、それは自分はこんなことが言える。こんなことも知っている。だから偉い。偉いからリーダーなんだ、と虚勢貼っているようなもの。いくら自惚れ、自慢しても、他の人が言ったとおり動いてくれなければ、口にした理論や道理は実現されず、現実のもの、成果にならないのである。。
これから、特にリーダ1としてどうあらねばならぬか、にいたるまで、考えを述べてみたい。
日本語に、指導者とか指揮者とかいうのがある。しかし、これはどうも経営にはなじまない。なぜかとときかれても困るが、中小企業ではむしろ、ボスとかオヤジ、とか、シャチョウとかいった言葉の方が親しみ深い。
そもそも指揮者や指揮官というのは、軍隊で使ったもので、一般的には定着しがたかったのかもしれない。
リーダ1というのは英語だが、今では日本語と言ってもよい。だが、辞書で見たニュアンスとは、少し異なるかな、というのが実感である。
そうしたことは、おいおい見ていくとして、ここでは「リーダ1としての資格」といったように、使っていくことにしたい。
人間は一人で孤立していては、まず何もできない。他の人たちとの協力によってはじめて仕事ができる。大きな仕事になればなるほど、たくさんの人の協力が要る。 だから仕事をするということは、多くの人との関係をつけ、組織し、各人それぞれの活動の目標を与え、各人それぞれの力を出させて活動させ、その活動の成果を、一つの戦略方向にもってゆき、戦略目標が達成できるように活動を采配する、といったことをこなすことになる。こういう動員、組織、采配といった活動ができなければ、リーダーとしての資格がない。
いくら高邁かつ立派な理論や道理を口にしても、それは自分はこんなことが言える。こんなことも知っている。だから偉い。偉いからリーダーなんだ、と虚勢貼っているようなもの。いくら自惚れ、自慢しても、他の人が言ったとおり動いてくれなければ、口にした理論や道理は実現されず、現実のもの、成果にならないのである。。
これから、特にリーダ1としてどうあらねばならぬか、にいたるまで、考えを述べてみたい。
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