自分や自分の事業を真ん中において、
経営を見たり考えたりしたのでは事業はうまくいかない。
客が観て、買うか買わないかを決める。
客観できる状態に自分をおかないと客観ができるはずがない。
にもかかわらず、自分たちを主に、すなわち作り手・売り手を中心に据えて、
物事を考え観るから、その主観と客観との間にズレができる。
そのズレの分だけ購買が減じ、売上が上がらない。
そういう意味で、多くの企業が売上不振で
消えてしまったと、私は思っている。
また今、存在している企業も計り知れないほどの
得るべき売上を逸していると考える。
ちなみに、これを私は、「売上の機会損失」といっている。
売上を上げる、といった考えこそまさに主観的表現である。
こうした自分を中心に置いた考えで頑張ることは、
いわば主観を、お客に押し通すということになる。
「戦い抜くぞ!ということは,
主観をもって客観を打ちのめすということだ。
主観に押されて客観がたじたじ退却
ということで、購買はますます遠のくことになる。
観る客体、すなわちお客が、敬遠するからである。
客観という意味は「客の視線で観る」というのは、
語源を調べないままの私のこじつけだが、
そう大きくはちがわないのではないか。
相手に成りきって物事を判断することは
戦(いくさ)の世界ではセオリーである。
相手はこちらの都合で動くわけはないのだから、
相手の動きを相手の身になって考え、それで対応。
これ以外に「対応」はないはずだ。
単に武力が勝る、力がある、といったことでは勝てないのは、
勝敗の決め手がここ、対応如何にあるからである。
繰り返す。
相手、お客はこちらの思うとおり動いてくれるわけはないから、
こちらの考え、主観を押し通していたのではうまくいくわけはない。
戦争だと殺されてしまうだろうし、企業なら倒産である。
それでも、まだ繰り返しますか。
経営を見たり考えたりしたのでは事業はうまくいかない。
客が観て、買うか買わないかを決める。
客観できる状態に自分をおかないと客観ができるはずがない。
にもかかわらず、自分たちを主に、すなわち作り手・売り手を中心に据えて、
物事を考え観るから、その主観と客観との間にズレができる。
そのズレの分だけ購買が減じ、売上が上がらない。
そういう意味で、多くの企業が売上不振で
消えてしまったと、私は思っている。
また今、存在している企業も計り知れないほどの
得るべき売上を逸していると考える。
ちなみに、これを私は、「売上の機会損失」といっている。
売上を上げる、といった考えこそまさに主観的表現である。
こうした自分を中心に置いた考えで頑張ることは、
いわば主観を、お客に押し通すということになる。
「戦い抜くぞ!ということは,
主観をもって客観を打ちのめすということだ。
主観に押されて客観がたじたじ退却
ということで、購買はますます遠のくことになる。
観る客体、すなわちお客が、敬遠するからである。
客観という意味は「客の視線で観る」というのは、
語源を調べないままの私のこじつけだが、
そう大きくはちがわないのではないか。
相手に成りきって物事を判断することは
戦(いくさ)の世界ではセオリーである。
相手はこちらの都合で動くわけはないのだから、
相手の動きを相手の身になって考え、それで対応。
これ以外に「対応」はないはずだ。
単に武力が勝る、力がある、といったことでは勝てないのは、
勝敗の決め手がここ、対応如何にあるからである。
繰り返す。
相手、お客はこちらの思うとおり動いてくれるわけはないから、
こちらの考え、主観を押し通していたのではうまくいくわけはない。
戦争だと殺されてしまうだろうし、企業なら倒産である。
それでも、まだ繰り返しますか。
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