情報の話を続けている。
ここで、うんと砕いた話をしてみたい。
TVではなくラジオで、アナウンサーが挨拶代わりに
必ず女性歌手の着ているドレスを話題にする。
つまり褒めている。
「なんでや」、といつものくせで、考えてみた。
もちろんアナウンサーは、ラジオでは、
女性歌手が着ているドレスは視聴者にはわからないことは
わかっている。だから、伝えるのだ、といってしまったら、
間違いではないが身も蓋もない。
私がいろいろ考えたことのおおよそを述べると
次のようなことになる。
出演する歌手は、ほぼ固定的。
つまり、代わり映えがない常連である。
とすれば話題にすることは、
1に、変化する「もの」、あるいは「こと」。
「変化」でもって、斬新さを加えてやらねば、歌う歌も同じだから、
番組自体がマンネリ化してしまう。
かといってまさか歌手に向かって、
毎回変わり映えしない唄を、「お上手になられた」とは、
お世辞にもいえまい。
容貌もそうだ。
「お美しいですね」と言えない人もいるし、
いいたくても他の歌手の手前がある。
「お化粧がうまくいってしわが見えなくなりました」
変化を正しく伝えてることもできない。
それに容貌は、回を重ねるごとに衰えるもの。
それを「いや、今回はお美しく」といったとしたら、
整形の成功への賛辞になってしまう。
これは惨事だ。
としたら、変化で無難なもの、ということで、
2のドレスということになる。
もちろんドレス以外に、
その間変化する「もの」、「こと」があれば、それが優先される。
たとえば新曲があるときはそのことを話題にするし、
その歌手にまつわる変わったこと、結婚とかリサイタルとか
があれば、それがマイナスにならない限り、
ドレスではなくそちらで、よいしょする。
注意して長く見ていると、よくわかるのだが、
ここらがアナウンサーの技量の差。
というより、情報とはなにか、ということへの
理解度と技量、手間暇をいとわない、といったことになる。
ここで、うんと砕いた話をしてみたい。
TVではなくラジオで、アナウンサーが挨拶代わりに
必ず女性歌手の着ているドレスを話題にする。
つまり褒めている。
「なんでや」、といつものくせで、考えてみた。
もちろんアナウンサーは、ラジオでは、
女性歌手が着ているドレスは視聴者にはわからないことは
わかっている。だから、伝えるのだ、といってしまったら、
間違いではないが身も蓋もない。
私がいろいろ考えたことのおおよそを述べると
次のようなことになる。
出演する歌手は、ほぼ固定的。
つまり、代わり映えがない常連である。
とすれば話題にすることは、
1に、変化する「もの」、あるいは「こと」。
「変化」でもって、斬新さを加えてやらねば、歌う歌も同じだから、
番組自体がマンネリ化してしまう。
かといってまさか歌手に向かって、
毎回変わり映えしない唄を、「お上手になられた」とは、
お世辞にもいえまい。
容貌もそうだ。
「お美しいですね」と言えない人もいるし、
いいたくても他の歌手の手前がある。
「お化粧がうまくいってしわが見えなくなりました」
変化を正しく伝えてることもできない。
それに容貌は、回を重ねるごとに衰えるもの。
それを「いや、今回はお美しく」といったとしたら、
整形の成功への賛辞になってしまう。
これは惨事だ。
としたら、変化で無難なもの、ということで、
2のドレスということになる。
もちろんドレス以外に、
その間変化する「もの」、「こと」があれば、それが優先される。
たとえば新曲があるときはそのことを話題にするし、
その歌手にまつわる変わったこと、結婚とかリサイタルとか
があれば、それがマイナスにならない限り、
ドレスではなくそちらで、よいしょする。
注意して長く見ていると、よくわかるのだが、
ここらがアナウンサーの技量の差。
というより、情報とはなにか、ということへの
理解度と技量、手間暇をいとわない、といったことになる。
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