経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

脱、俺、俺

2010年12月11日 | Weblog


1の投資で99の成果を得る.

これはすごい成果だが、
現実株式投資の世界では、珍しくはなく起きている

人が人を呼ぶクチコミ。人が人を遠ざける悪い噂も、そうである。

落語「ざこ八」で、つぶれかかった雑穀商「ざこ八」が、
庶民には秤を甘くしたことが、江戸中に広まり大繁盛店になったのも、
新オープンした小料理屋「ふねや」にお化けが出た、という噂が、
江戸一番の飛脚が触れ回るより早い、スピードで広まったという
「あかんべえ」(宮部みゆき著 PHP研究所版)の話など、
別に落語や小説だけの話ではなく、現実日常茶飯事、
見受けられることである。


1つの「こと」に対して、人がどう考え、決断するか、
経済行為を例に採れば、投資するかしないかの意思決定は、
言わずもがな。自明の理、人はより大きいリターンが、
確実に見込まれる、といった判断基準で決められる。
それはみんながそうであるから、これは普遍性を帯びる。

露骨に言えば、人は自分が儲かる話に飛びつき
損する話に背を向けるのである。

多数決の論理も、この露骨な論理で決まる。
これを「売上」に置き換えたら、
売上の多寡は、他者の購買の多嘉。
その購買の多嘉は、他者各人が、儲か話に飛びつき
損する話に背を向けた結果なのだ。

くどくど繰り返しているのには、理由がある。

例によって、
なのに、現実はどうか。
なのに、多くの企業ではどうしているか。

上で見たように、
間違いなく他者の判断、意思決定、行動に関わることなのに、
自分、自社のことだらけ、これは如何!
と、切り返したいがためである。

そこで、再度その切り替えしの矛先を、
「私自身」に絞り、まな板にのせて、話を続ける。


昭和57年12月、脱サラ以来、
それこそ家庭を忘れ、ときには寝食を減じ、
かつ仕事の粗製濫造を厭わずがんばってきた私が、
そのあり方に疑義を感じ始めた。

○経営計画書など、自社の欲望・願望だらけじゃないか。
○主体であるべき他者を無視したものではないか。

これは、経済の原則に反する。
ならば、これを逆に大いに活かしてみたらどうだろうか。

○事業経営における経費は、まったくゼロは無理にしても、
限りなくゼロにちかくなるのではないか。
大、中小企業ならともかく零細・個人企業ならできるのでは。


こうした仮説を検証、証明する生き方に転じた。
このことは、先に述べた。
仏心からボランタリー的精神が芽生えのではない。
年齢を重ねて人間が変わったためでもない。

脱俺、俺だ。