ボランタリー的精神の芽生えではない。
年齢を重ねて人間が変わり角が取れたためでもない。
これは劇画風に言うならば、
私なりの野望と戦略、そしてしたたかな計算である。
そして、取らぬ狸の皮算用でもあった。
自分でやれないこと、やらないこと、
他人の受け売りならオウムかレコーダー、ビデオの方が、
再生能力は、私たち人間を上回るからこれは人の仕事ではない、
といった人間としての自負、気負いもあった。
それに他人の考えを自分の口を通して、
自分の考えであるかのように自信を持って、
人に説く度胸は私にはない。
ということで自分の仕事先の企業現場で、
検証を積み重ねてきた。
そうこうしているなか、ある朝、
中小企業診断士資格試験受験者の模擬試験の採点中、
設問の中に、「ジョハリの窓」のことがでていた。
自分の受験時代の記憶が懐かしくなり、確認の意味で、
ふと検索して調べ直してみた。
これは自分から見た自分、そして自分以外の人たちから見た自分
この2つをそれぞれ「気付いている」「気付いていない」
という2つの面からみることで、計4つの窓から、
みることで自分をより客観的にみることができるとするもの。
ここでの「自分」を自社、自分以外の人たちを、
「消費者」に置き換えてみて、いろいろ考えてみた。
だんだん、はっきりしてきた。
だが、このジョンハリの窓ですら、自分を中心に置いている。
自分の心をのぞくための4つの窓だから当然のことなのだが
だから、そうした自分を、企業に置き換えても、
自企業を中心に置いて、他の3つの窓を見てしまう。
これではだめだ。
これでは、これまでの、(自社のための)お客様第一主義、
(売るため、売れるための)顧客優先主義と同じだ。
これではダメだ。
ということで、それから考えに考え、
これまでの地動説的経営を捨て自動説に依る経営
すなわち、消費者(G)を中心にその周囲をぐるぐるまわる
企業群、といったイメージで、経営を再構築してみたら、
という新たな仮説に取り組み始め、
そして、この考えを「消費者中心主義」と呼ぶことにした。
年齢を重ねて人間が変わり角が取れたためでもない。
これは劇画風に言うならば、
私なりの野望と戦略、そしてしたたかな計算である。
そして、取らぬ狸の皮算用でもあった。
自分でやれないこと、やらないこと、
他人の受け売りならオウムかレコーダー、ビデオの方が、
再生能力は、私たち人間を上回るからこれは人の仕事ではない、
といった人間としての自負、気負いもあった。
それに他人の考えを自分の口を通して、
自分の考えであるかのように自信を持って、
人に説く度胸は私にはない。
ということで自分の仕事先の企業現場で、
検証を積み重ねてきた。
そうこうしているなか、ある朝、
中小企業診断士資格試験受験者の模擬試験の採点中、
設問の中に、「ジョハリの窓」のことがでていた。
自分の受験時代の記憶が懐かしくなり、確認の意味で、
ふと検索して調べ直してみた。
これは自分から見た自分、そして自分以外の人たちから見た自分
この2つをそれぞれ「気付いている」「気付いていない」
という2つの面からみることで、計4つの窓から、
みることで自分をより客観的にみることができるとするもの。
ここでの「自分」を自社、自分以外の人たちを、
「消費者」に置き換えてみて、いろいろ考えてみた。
だんだん、はっきりしてきた。
だが、このジョンハリの窓ですら、自分を中心に置いている。
自分の心をのぞくための4つの窓だから当然のことなのだが
だから、そうした自分を、企業に置き換えても、
自企業を中心に置いて、他の3つの窓を見てしまう。
これではだめだ。
これでは、これまでの、(自社のための)お客様第一主義、
(売るため、売れるための)顧客優先主義と同じだ。
これではダメだ。
ということで、それから考えに考え、
これまでの地動説的経営を捨て自動説に依る経営
すなわち、消費者(G)を中心にその周囲をぐるぐるまわる
企業群、といったイメージで、経営を再構築してみたら、
という新たな仮説に取り組み始め、
そして、この考えを「消費者中心主義」と呼ぶことにした。