泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

「さきがけウオーキンギin五條・2018」

2018年04月09日 09時56分02秒 | 歴史

先日、奈良県五條市観光ボランティアガイドさんの案内で「宇智野」をめぐるウオーキングに参加してきました。

今回は、「さきがけウオーキンギin五條・2018」について紹介したいと思います。

昨年に引き続き、五條市観光ボランティアガイドさんの案内で、約50人位の参加者と一緒に五條市の「宇智野」地区の歴史な場所を歴史散策してきました。

(行程)

藤岡家住宅(集合)-猫塚古墳ー(つじの山古墳)ー荒坂の窯跡ー地福寺ー近内御霊神社ー藤岡家住宅(昼食・解散)

〇猫塚古墳・つじの山古墳

五条猫塚古墳(ごじょうねこづかこふん)は奈良県五條市西河内に所在する古墳(方墳)です。蒙古鉢形眉付冑を始めとする、様々な特色ある遺物が出土していることで知られています。  五条猫塚古墳は、五條市近内集落の南約500メートルにある狭い谷間に点在する古墳のうちの1基であす。周囲には猫塚古墳と同じような方墳が数多く存在します。墳丘の規模は1辺27メートル、高さは約5メートルである。1955年頃、墳丘が開墾され、その際、多くの遺物が掘り出されました。田んぼの中にある古墳で、見逃しそうな古墳でした。はたして、どのような人がこの古墳に眠っているのでしょうか?

せっかくなので、コースには入っていませんが、近くにある「つじの山古墳」を見てきました。「つじの山古墳」は、5世紀末に築造された古墳で一辺約54m・高さ約9mの大型方墳です。他にも、似たような古墳が近くあるようなので、また歴史散策をしたいと思っています。

        

〇荒坂の窯跡

7世紀後半、関屋川に面した丘陵斜面に10基以上の半地下式の窯が築かれ、大量の瓦と須恵器が作られました。瓦は、飛鳥の「川原寺」の屋根を飾りました。残り具合のよい1号窯(県史跡)は現地で保存されています。普段は中に入れないのですが今回、中に入って見学することができました。

飛鳥の「川原寺」の屋根を飾った瓦が、この窯で作られたと思うと感激でした。

       

〇地福寺(じふくじ)

地福寺(じふくじ)は、五條市久留野町にある高野山真言宗の寺院です。かつては、金剛山行者坊という名でした。 由緒は明らかではないのですが、神仏分離を受けて葛城修験道の本山であった金剛山転法輪寺が廃寺とされるに当たり、1871年に、同寺の本尊であった法起菩薩が当寺に移されました。もっとも傷みが著しかったため焼却し、1876年に像が新調されています。その時に、胎内仏の法起像は室町期の作であるとされいます。年に一度しか拝観できませが、今回拝観させていただきました。

    

〇近内御霊神社

 五條市内には、「御霊神社」という名称の神社が約20社近く鎮座し、何れも「聖武天皇」の皇女「井上(いのえ)内親王」が御祭神として奉祀されています。今回参拝した「近内御霊神社」は、鎌倉時代(1238年)宮分けの神社です。境内よりは、金剛山の眺めも素晴らしく江戸時代に建立の春日造り極彩色の社殿は古社の風格を漂わせています。拝殿内部に掲揚されている大絵馬の数々は、保存状態も良く往古からの信仰の厚さを彷彿とさせます。とても、静かな所にある神社でした。

      

〇藤岡家住宅

藤岡家住宅」は、五條市北部金剛山麓の北宇智地区に位置する江戸時代からの庄屋屋敷です。戦前の高級官僚を務め「ホトトギス」派の俳人でもあった「藤岡長和」氏(俳号:玉骨)の生家です。同氏は学生時代より与謝野鉄幹・晶子や高浜虚子、森鴎外らの文人とも交流し、住宅内には関連する手紙や写真などが展示されています。金剛山麓に、このような立派な庄屋屋敷があるとは思いもしませんでした。

今回の「宇智野」をめぐる歴史散策は、とても興味深く歩くことができました!

            



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2018・さくらウォ-ーク 「飛鳥川に沿って」

2018年04月05日 20時25分25秒 | 散歩

先日、「橿原市観光ボランティアガイドの会」の皆さん案内で、桜が満開の飛鳥川沿いを散策しました。

今回は、2018・さくらウォ-ーク「飛鳥川に沿って」の様子を紹介したいと思います。

近鉄八木駅に9時30分集合し、約200名位集まった皆さんと一緒に「橿原市観光ボランティアガイドの会」の案内で、飛鳥川に沿って半日散策しました。

(行程)

近鉄八木駅(集合)ー正蓮寺大日堂(重要文化財)と大日如来坐像(鎌倉時代の様式で重要文化財)ー入鹿神社(蘇我入鹿公をご神体)ー人麿神社(柿本神社の分霊を祀る)ー多神社(祭神は太安万侶)ー十一城跡(戦国武将十一氏の居城跡)ー十一神社(十一の県に位置)ー善福寺(忠兵衛・梅川の供養碑)ー近鉄新ノ口駅(解散)

晴天の中、桜が満開の飛鳥川沿いに約10キロ位の道矩でした。春の一日、気持ち良く散策することができました!

                                            

 

 

 

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「吉野山の桜・2018」

2018年04月03日 21時06分54秒 | 散歩

桜の名所として有名な吉野山(奈良県吉野町)では桜が満開になり、山肌が淡いピンク色に染まっています。標高差約600メートルの間に約3万本の桜が植えられ、下から順に咲いていくのが特徴です。現在は「上千本」まで満開で、最も上の「奥千本」では10日ごろ満開になりそうです。町によると、例年より1週間から10日早い開花といわれています。

今回は、「吉野山の桜・2018」を紹介したいと思います。

数日前に吉野山に桜を見に行ったのですが、この時は、中千本(なかせんぼん)では2〜3部咲きでしたがこの陽気のせいで、今は満開になっているようです。

吉野山の桜の多くはシロヤマザクラです。修験道の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が蔵王権現像を桜の木に彫ったことにちなみ、地元では神木として大切にされてきた吉野山には古来桜が多く、シロヤマザクラを中心に約200種3万本の桜が密集しています。儚げで可憐な山桜が尾根から尾根へ、谷から谷へと山全体を埋め尽くしてゆきます。

シロヤマザクラは下・中・上・奥の4箇所に密集しており、”一目に千本見える豪華さ”という意味で「一目千本」とも言われます。おのおの下千本(しもせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ばれており、例年4月初旬から末にかけて、下→中→上→奥千本と、山下から山上へ順に開花してゆくため、長く見頃が楽しめます。

飛鳥に住みだしてから、毎年のように吉野山の桜を見に行っています。すばらしい、桜の景色を見ることが出来て感激です!

                    

 

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「盟神探湯(くがたち)神事・2018」

2018年04月01日 21時00分51秒 | 歴史

奈良県明日香村豊浦「甘樫坐(あまかしにいます)神社」において、4月1日14時より「盟神探湯(くがたち)神事」が行われました。

今回は、「盟神探湯(くがたち)神事・2018」の様子を紹介したいと思います。

甘樫丘のふもとに鎮座する「甘樫坐(あまかしにいます)神社」では、毎年4月の第1日曜日に「盟神探湯神事」が行われます。
「盟神探湯(くがたち)」とは、「神に盟(ちか)って湯を探る」ことで、熱湯の中に手を入れ「正しき者は火傷(やけど)をせず、偽りし者は火傷あり」という荒っぽい古代の裁判の方法です。「日本書紀」には415年の允恭天皇の時、氏姓(うじかばね)を偽る者が多くなり、氏姓制度の混乱を正すため、甘樫の神前で「盟神探湯」行われたと記載されています。
 当日は、豊浦・雷(いかづち)両地区の氏子によって、境内にある「立石」の前に釜が据えられ「盟神探湯神事」が行われました。飛鳥坐神社の宮司さんによる神事があり、続いて地元の劇団「時空」さんにより、「盟神探湯」の様子が寸劇でわかりやすく再現されました。最後には、参拝者は笹(ささ)の葉を釜の湯に浸し、うそ・偽りを正し爽やかに暮らせるように祈った後、無病息災のお守りとして持ち帰ります。私も笹(ささ)の葉を釜の湯に浸し、笹を持ち帰って玄関に飾りました。

飛鳥地域には、古代からの伝統的な神事等が残っていて現代に引き継がれています。今回、とても貴重な体験をさせていただきました!

              

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