「飛鳥池遺跡」は、北をは飛鳥寺に隣接し、南側は天武天皇の飛鳥浄御原宮に近接するという、飛鳥の中心に位置する所です。
「酒船石遺跡」のある丘陵と飛鳥寺瓦窯のある丘陵との間にあった所です。
ここは、飛鳥時代(7世紀後半~8世紀初頭)、天皇の宮廷生活や寺院の造営などの国家の要請を、物資面から支えた古代の国営工場でした。
1997年に、奈良県立万葉文化館建設に伴う事前調査により、「飛鳥池遺跡」が発見されました。
「飛鳥池遺跡」の構造は、東西の丘陵の間が最も狭まった所に設けられた掘立柱塀によって、南半部と北半部に分けられていたようです。
「南半部」は、掘立柱建物や多数の炉が設けられた工房地区で、鉄・銅を鋳造する工房や金・銀・ガラス・水晶などを加工する工房があったようです。また、日本最古の鋳造貨幣「富本銭」が発見されました。万葉文化館の地下の展示物コーナーで復元されたものを見ることができます。
「北半部」は、官衙風の大規模建築物や導水路・方形池などが設けられた工房群の管理地区だったようです。南半部の工房から出る水は北半部に入り、北半部の溝や池で廃棄物を沈澱させてから域外に排出する仕組みになっていたようです。現在、遺跡が復元されています。また、この場所から8000点にも及ぶ木簡が出土しており、天皇号成立で話題となった「天皇」の名を記した木簡なども発見されました。
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