泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

御所の 「巨勢(こせ)の道」

2015年06月22日 17時24分28秒 | 歴史

奈良県御所市の「秋津洲(あきつしま)の道」に引き続き、今回は、「巨勢(こせ)の道」を紹介したいと思います。

「谷間の川筋」を意味する「コ」(川)・「セ」(瀬)から転じた「巨勢」の地には、古代豪族である「巨勢氏」が誕生した地です。この地には、大規模な寺院跡である巨勢寺跡や有力者を埋葬したとみられる古墳等が見られます。

・「巨勢寺跡」 聖徳太子創建の伝承を持つ寺院跡です。「日本書紀」にも寺名がみえる古代豪族「巨勢氏」の氏寺で、法隆寺式の大伽藍があったと推定されています。古道を通り過ぎ、畑の中に、1個の礎石と大日堂という小さなお堂があるだけでした。かって古代豪族の氏寺跡かと思うと、とても感慨深かったです。

      

・「安楽寺(安楽寺塔婆)」 鎌倉時代の創建とされる境内に、大日堂と呼ばれる三重塔の初層が残っている「安楽寺塔婆」として重要文化財に指定されています。「安楽寺」の位置する稲宿地区は、かっての街道筋にあたり、多くの人々で賑わった場所です。静かな集落の奥に、「安楽寺塔婆」を見ることができました。

     

・「新宮山古墳」 巨勢山古墳群のなかの一つで、丘陵に築かれた6世紀中ごろの円墳です。開口していて、石棺を見ることができます。「安楽寺塔婆」の近くにあります。民家の近くにある古墳ですが、見応えがありました。

          

・「水泥(みどろ)古墳」 吉野口駅から歩いていく途中の、水泥の集落の中にあります。7紀頃の古墳で南北2基あり、南の古墳は、「水泥南古墳」と呼ばれ横穴式石室を有する円墳です。開口していて、家形石棺を見ることができます。この石棺のふた石の突起には、蓮華文様が浮き彫りされており、仏教的要素を取り入れたもので、とても珍しい形をしています。「水泥北古墳」は、個人の宅地内にあり見ることができませんでした。この珍しい石棺の被葬者は、一体誰なのでしょうか? 

   

・「権現堂古墳」 吉野口駅から、丘陵地帯にのぼっていく途中の「天安川神社」の境内にある古墳です。円墳で古墳時代後期のもので、巨勢氏の首長とみられています。石棺内部の石枕が、刳り抜かれている珍しい造りをしています。残念ながら、保存状態があまりよくなく、よく見ることができませんでした。     

・「阿吽(あうん)寺」 聖徳太子建立の巨勢寺の子院の一つで、「万葉集」に詠まれた「つらつら椿」の寺です。山号は、「玉椿山(ぎょくちんざん)」と呼ばれています。寺名は、洪水の際に村人を救った「阿吽法師」にちなんでつけられたそうです。道路沿いにあるお寺ですが、境内はとても静かでした。    

今回は、「秋津洲(あきつしま)の道」とはひと味趣きの違った、「巨勢(こせ)の道」を歴史散策をしてきました。探せば、色々な「道」がありますね。次は、どの「道」を歩こうかな!

  

  

 

 

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