泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

九州最古の仏蹟「武蔵寺(長者の藤)」

2019年04月24日 11時57分20秒 | 歴史

福岡県筑紫野市にある「武蔵寺(ぶぞうじ)」の創建年については、飛鳥時代とも奈良時代ともいわれ定かではありませんが、境内から発見された瓦や経塚から11世紀頃までには寺が建立されていたことは確認されており、九州最古の仏蹟です。また、境内にある「長者の藤」は、1300年の歴史を持つと言われ、市指定の天然記念物となっています。

今回は、九州最古の仏蹟「武蔵寺(長者の藤)」の様子を紹介させていただきます。
「武蔵寺」の創建にかかわったのが、藤原鎌足の子孫、藤原虎麿(虎丸・虎麻呂・登羅麻呂)といわれています。なお、虎麿は初代の大宰帥蘇我日向臣無邪(耶)志(だざいのそち・そがのひむかのおみ・むさし)と同一人物ではないかともいわれています。寺名については、武蔵国池上より日蓮宗の僧が来て「武蔵寺」となったといわれています。686年に藤原虎麿が亡くなった後、その命日に「地蔵会」が行われ、現在も続いています。藤原虎麿の像が、近くの天拝山自然公園に建っています。

伝説では、虎麿が山中で怪火を射落としたが、夢の中でそれは薬師如来が宿る霊木の精であり、その霊木で薬師十二神将像を作り、堂を建てて祀るようお告げあった。これが「武蔵寺」の建立の由緒と伝えられています。虎麿は30歳を過ぎても子供がいないことが悩みであったようです。虎麿は薬師堂にこもり薬師三尊に祈り縋ったところ、その加護をえて女児を授かることができたということです。ところが疫病が流行り、多くの人々も亡くなった。虎麿の子もこの流行病に罹り、治す手立てがありませんでした。虎麿はさらに薬師如来に祈願し続けたところ、ある夜、夢の中に一人の僧侶が現れて「ここから東方に葦の生えている湿地があり、そこに温泉がある。ここで入浴させれば、必ず病は治るであろう」と告げ、姿を消しました。早速虎麿はその場所に行き茂った葦を刈り、こんこんと湧き出る温泉を見つけました。その温泉に子供を入浴させると、たちまち病気が治ってしまったそうです。これが、「二日市温泉(薬師温泉・旧武蔵温泉)」の始まりと言われています。太宰帥で万葉歌人でもある「大伴旅人」も、この温泉に入っています。現在も、安価で入浴できる施設が2か所あります。とっても、気持ちがいい温泉ですよ。

      

〇「武蔵寺」の境内にある藤は、1300年の歴史を持つと言われ例年4月末~5月の初旬(連休の時期)が 見頃となります。4月29日には「二日市温泉藤まつり」がおこなわれ、武蔵寺では稚児姿のかわいらしい子供たちも参加し、 フジの供養などが行われます。また隣接してある天拝山自然公園では、吹奏楽部演奏や撮影会などのイベントがあり、多くの家族連れでにぎわいます。

散策した時の「長者の藤」は、まだ2~3部咲きでしたが後1週間もすれば、満開になると思われます。

              

〇「武蔵寺」の入口近くに、小さな滝があり「紫藤(しとう)の滝」と言います。菅原道真公が901年に太宰府に左遷され、天拝山に登り 無実を訴えたと時に、この「紫藤(しとう)の滝」で身を身を清めたといわれています。 紫藤(しとう)とは、「武蔵寺(ぶぞうじ)」の「長者の藤」に由来しています。

          

〇そして、その滝から少し上った所に「御自作天満宮」と言うのがあります。 変わった名前ですが、名前の由来は、道真公が武蔵寺に参籠(祈願のため、神社や寺院などに、ある期間こもること)した時、 自分の等身大の木像座像を刻んで納めたと伝えられ、それが御神体となっていることから、こういう名前が付いています。

久しぶりに、「武蔵寺」周辺を散策しましたが、新緑がとても綺麗でしたよ!

         

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