泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

古代の予想される「飛鳥地域の道路網をブライズミ」(1)

2022年05月02日 14時07分55秒 | 歴史
古地図を参考にしながら歩くという「ブラタモリ」という番組がありますが、いつも興味深く視聴しています。ご覧になった方も、多いのではないでしょうか?
以前、「ブラタモリ」をまねて、奈良県の飛鳥を「ブライズミ」して紹介させていただきました。(2015年8月「飛鳥京への道」・2017年1月「古代からの畔」)
今回は、その続編です。
奈良県の飛鳥地域の予想される道路を、たいした根拠もありませんが、何か痕跡が残ってはいないか探しながら「ブラタモリ」ならぬ「ブライズミ」をしてみました。数回にわたって、紹介したいと思います。
研修で学んだ「古い道と遺跡を考える」の資料や飛鳥資料館の「飛鳥宮を中心とした模型」・「古代飛鳥の都市構造」等の文献資料を参考にしながら、古代に思いを馳せながら飛鳥地域の予想される道路を探索しました。
どうも古代の道路は、基本的に直線で築かれていたようです。
現在、何か痕跡(畔・段差等)が残ってはいないか、予想される道路地図を見ながら歩いてみました。
飛鳥には、古代の道の跡の遺構としての道路が確認された地点は少ないですが、飛鳥宮跡周辺の道路として確認されているのは、「飛鳥宮東辺道路」と「飛鳥宮北辺道路」があります。
第1回目は、「飛鳥宮北辺道路」です。
飛鳥には、古代の道の跡の遺構としての道路が確認された地点は少ないですが、飛鳥宮跡周辺の道路として確認されているのは、「飛鳥宮東辺道路」と「飛鳥宮北辺道路」があります。
〇飛鳥宮北辺道路
・場所
飛鳥宮・飛鳥京跡苑池から飛鳥寺へ行く周遊道(南から北への道)の途中で、段差がある所です。
飛鳥資料館の模型を見ると、丁度「飛鳥寺」と「飛鳥宮」の北限との間の大道のようです。
古代の予想される道路地図では、飛鳥宮跡の北の東西道路です。
・痕跡
飛鳥宮の北限に関わる遺構としては、飛鳥寺南大門の南110mで確認された東西石垣大溝があります。東西道路の状況からみると、石組大溝の南に広がるバラス敷きの道路面の可能性が高いようようです。道路幅が26m以上の東西道路と考えられているようです。
この辺りが、飛鳥宮外郭の北限とされているところです。
地図を見ながら、何か痕跡(畔・段差等)が残ってはいないか探した所、丁度その場所と思われる所は、「飛鳥京跡苑池」から北にある「飛鳥寺」に行く道の途中で、道が急に下がっている所です。南から北の道路が急に低くなっており、測ってみると約1mの段差がありました。 
ひょうとして、この辺りが古代の東西「飛鳥宮北辺道路」ではないかと思うと、何だか古代にタイムスリップしたような感覚に陥りました・・・
東に行くと、「飛鳥宮東辺道路」と繋がっています。
また、飛鳥資料館の模型を見ると「飛鳥宮北辺道路」の東側の近くには井戸のようなものがみうけられます。現地に行ってみると、小さな井戸がありました。地元では、「安居(あんご)の井戸」と呼ばれているようです。ひょうとして、これも古代からの井戸かも?と思いました。それにしても、飛鳥資料館の模型は古代の道路等も示してあり、大変良く調べて作成されていると感心しました。
今回、予想される「飛鳥宮北辺道路」の探索は、真に「ブラタモリ」ならぬ「ブライズミ」でした! 

   
       


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