泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

古代の予想される「飛鳥地域の道路網をブライズミ」(2)

2022年05月09日 17時20分08秒 | 歴史
奈良県の飛鳥地域の予想される道路を、たいした根拠もありませんが、何か痕跡が残ってはいないか探しながら「ブラタモリ」ならぬ「ブライズミ」をしてみました。
飛鳥には、古代の道の跡の遺構としての道路が確認された地点は少ないですが、飛鳥宮跡周辺の道路として確認されているのは、「飛鳥宮北辺道路」と「飛鳥宮東辺道路」があります。
前回は、「飛鳥宮北辺道路」でした。
第2回目は、「飛鳥宮東辺道路」・「宮内道路」です。
〇飛鳥宮東辺道路
・場所
「飛鳥宮東辺道路」の場所は、「飛鳥宮」跡の東にある「天理教岡大教会」前の道路の横の歩行者用道路の所です。
「飛鳥宮東辺道路」は、飛鳥宮跡東面大垣の東で検出した、南北方向の石敷きです。幅1.2mで10~30cmの川原石を並べていて、幅約9mの硬化面があり南北道路面であったと考えられています。(2001年・2002年に飛鳥京跡146次・147次調査)
調査の結果、ここから道路遺構と敷石を伴う建物が見つかりました。
7世紀後半の天武天皇時代の道路のようです。
北に道が続き、「飛鳥寺東南道路」に繋がります。古代の予想される道路地図では、飛鳥宮跡の東(右の赤い南北線)の道路です。模型図では、一番下に見える道路です。
・痕跡
残念ながら、痕跡らしきものは残っていません。多分、現在の道路とかなり重なっているのではないかと思います。
この道をそのまま北に進むと、飛鳥寺の東に到着します。

                

〇「宮内道路」
・場所
「宮内道路」は、「天理教岡大教会」前の道路横の歩行者用道路のすぐ西側は、空き地になっています。この場所で、発掘調査がおこなわれました。(2001年・2002年に飛鳥京跡146次・147次調査)
この場所から西に進むと、「飛鳥京跡苑池」の東面塀の門に着くようですこれらを結ぶ東西ラインが「宮内道路」のひとつと考えられています。
・痕跡
残念ながら、発掘調査がおこなわれ道路遺構の西側を見ても、門の跡から東側をみても痕跡は残っていません。現在は田んぼになっています。
「飛鳥京跡苑池」に伴う新たな掘立柱建物は、南北4間(約10.8m)・東西2間(東西約5.4m)が検出されました。
門の跡が見つかった時の、現地説明会(2015年9月)の様子です。
「飛鳥京跡苑池」における位置関係から考えて、苑池出入り口である「門」となる可能性が考えられるようです。
苑池に入るために、斉明天皇や天武・持統天皇が、「宮内道路」を通りこの「門」を通って苑池に入ったかもしれないと想像するだけでも、楽しいですね!
         



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