泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

奴国を歩く2「奴国内にある古墳(日拝塚古墳)」

2019年08月09日 11時45分19秒 | 歴史
前回は、奴国を歩く「須玖岡本遺跡(奴国の丘歴史公園)」を紹介しました。
今回の「奴国を歩く」では、弥生時代後の古墳時代に築かれた、春日市内にある代表的な古墳を2回に分けて紹介したいと思います。
今回は、奴国を歩く2「奴国内にある古墳(日拝塚古墳)」を紹介したいと思います。

世紀ごろからは各地の豪族の支配が相次ぎました。彼らの領地を見下ろす場所に墳丘が築かれ、春日市域には古墳や古墳群が数多く見られます。なかでも、那珂川流域の段丘上には前方後円墳が集中していますが、春日市域には「日拝塚古墳」など6基が確認されています。

古墳時代に入ると、全国的に前方後円墳が造られるようになります。春日市域でも、古墳時代の遺跡は多数存在しますが、弥生時代に見られたような、文化の先進性は見られません。ただ、隣の那珂川流域に点在する前方後円墳や、九州最大の須恵器の窯跡群である「牛頸窯跡群(うしくびかまあとぐん)」は、春日市域にも及んでおり九州地方では、この地域が、重要な位置を占めていたようです。

〇福岡県春日市下白水(しろうず)にある国指定史跡「日拝塚(ひはいづか)古墳」は、6世紀に築造された前方後円墳で、一部が削られており現存する墳丘の長さは43メートルですが、周溝を含めると全長61メートルに復元されます。石室は奥行き3.6メートル、幅2.6メートル、高さ4メートルです。周溝まで含めた規模は全長60メートルほどになります。墳丘の主軸がほぼ東西を向いており、彼岸の時期には東方約16キロメートルにある大根地山(おおねちやま)から昇る太陽を拝めることから、「日を拝む塚」として「日拝塚」と呼ばれるようになりました。主体部は、後円部中央に位置する単室の横穴式石室です。1929年に盗掘を受けた際、石室内から須恵器、鏡、装身具、武器、馬具などが多量に出土しており、大部分は回収され、東京国立博物館に収蔵されています。「日拝塚古墳」出土とされる「金製垂飾付耳飾(きんせいすいしょくつきみみかざり)」は、細工がとても素晴らしい耳飾で、「奴国の丘歴史資料館」で見ることができますこの地域では、とても立派な前方後円墳です。「奴国の丘歴史資料館」に申し込むと、石室にも学芸員さんと一緒に入ることができ、色々な話を聞くことができました。とても整備されており、一見の価値がある古墳です。

                     

  

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