奈良県明日香村には、昔から伝わる話が色々と残っています。
今回は、飛鳥時代のよもやま話「もうこの森」を紹介したいと思います。
奈良県明日香村飛鳥にある「飛鳥寺」の境内を西に抜けたところに、「入鹿の首塚」と呼ばれている五輪塔があります。
645年の「乙巳の変」(大化の改新)のとき、飛鳥板蓋宮で皇極天皇の前で中大兄皇子らに暗殺された時の権力者である蘇我入鹿の首が飛鳥寺の前まで飛んできて、襲ってきた首を供養するためにそこに埋めたともいわれる塔です。
実は明日香村には、もう一カ所入鹿の首が飛んできたとの伝承の残る場所があります。 それが明日香村上(かむら)にある「茂古森(もうこのもり)」です。 石舞台古墳から冬野川に沿って東に向かうと、細川谷の奥に上(かむら)という集落があります。 そこに「気都和既(きつわき)神社」が鎮座しており、その境内一帯が、「茂古森」(もうこの森)と呼ばれています。
どうも、入鹿が暗殺されたとき入鹿の首は、その場には落ちずにどういうわけか中臣鎌足を追いかけました。たまらずに鎌足は逃げ出しました。明日香村の上(かむら)まで逃げた時に、もうここまではもう追ってこないだろうということで、石にこしかけ休みました。境内には、鎌足が腰かけたといわれている石があります。その場所を、「もう来ぬだろう」ということで「もうこの森」と呼ばれるようになりました。
「気都和既(きつわき)神社」は観光地ではありませんが、神社の周りにはお地蔵さん等がありとても静かな落ちつた静かな神社です。
その後、鎌足を逃した入鹿の首は、飛鳥寺の前で力ついたということです。他にも、入鹿の首伝説があるようです。「乙巳の変」は、約1350年程前の飛鳥時代の出来事ですが、現代まで「入鹿の首」伝説が残っている事が不思議に思います。 飛鳥時代のよもやま話「もうこの森」でした!
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