イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

ありがとう 2007

2007年12月31日 23時37分25秒 | Weblog
今年は本当にいろんなことがあって、とても収穫の多かった一年だった。仕事が変わったり、学校にいったり、出版の仕事も何冊か関わらせてもらったりして、翻訳Love的にはとても順調な一年だったのではないかと思う。朝に一仕事、昼は会社で翻訳業務、夜はブックオフ、そんな盛りだくさんの毎日があっという間に過ぎ去っていった。来年も、このペースを維持して、このまま走り続けていきたいと思っている。物事が上手くいかないのは日常茶飯事だし、力不足もイヤと言うほど味わっているけど、それでも、まあ、風向きはまずまずなのではないだろうか。倦むことなく、もっともっと愚直に翻訳を学んでいきたい。

そして今年何よりも嬉しかったのが、たくさんの人と出会えたことだ。同じ翻訳という世界で努力を続けている同志と呼べる人たちと出会えたことが、なんといっても最大の収穫だったと思う。夏目組のみなさん、加賀山組のみなさん、インターの仲間、職場の業務を通じて出会ったたくさんの翻訳関係の方々……。これからもこの縁を大切にして、がんばりたいと不肖iwashiは決意を新たにしているところです。

このブログも、夏目組のみなさんの存在がなければこうして続けることもなかっただろうし、本当に感謝感激の至りです。涙が滲んで、ディスプレイの文字がよく読めません(これはウソ)。毎回毎回、煩悩の赴くままにキーを打ってしまい、文章はいつも迷走してしまっていますが、来年も「イワシの翻訳Love」はがんばります。今後ともよろしくおねがいいたします。

皆様にとって来年が素晴らしい年になりますように!!

We are not さとがえる

2007年12月30日 22時02分32秒 | Weblog
今年も正月は実家に帰らない。特に理由はないが、やらなければならないこともいろいろとあり、ずっと東京で過ごすことにした。親には不義理をしてしまって申し訳ないと思うが、時期をずらして春頃に帰省するつもりだ。で、いつのまにか明日はもう大晦日である。大晦日といえば、紅白歌合戦だが、僕はこの番組、ここ数年ずっと観ていない。

二十歳を過ぎた頃あたりからだろうか、それまで毎年とても楽しみにしていた紅白が、なぜかとてもイヤなものに感じられるようになった。うまくいえないけど、そのころの僕のささくれだった気持ちが、「紅白的なもの」に対して激しい拒絶反応を示していたのだと思う。家族全員で食卓を囲みあの番組を観ている、大晦日のあの空間が今にしてみると不思議なくらい耐えられなかった。今風のアイドルやなんかを親の世代が無理して観ている姿もなぜだかやるせなかったし、十年一日みたいに代わりばえのしない演歌歌手の知りもしない曲にこっちが付き合わされるのもイヤだった(まあ、偏狭だったわけです)。だから、ご飯を食べるとすぐに部屋に引き返したりしていた。なんとも愛想のない奴である。

いまでもあの番組はあまり好きではない(そして格闘技番組ばかり観ている。が、なぜ大晦日に格闘技なのか、それもシリアスな総合格闘技なのか、僕は格闘技が好きだからいいのだけど、お茶の間的にはなんとも微妙なのではないかという気がする。日本に来ている外国人がみたらかなり驚くのではないだろうか。なぜ、一年の最後を締めくくる一家団欒のお茶の間に、刺青した筋骨隆々の怖いお兄さんたちが血みどろになって殴りあい、関節を締めあう様子が届けられなければならないのか、と。実際、アメリカでは総合格闘技の試合のTV放送は禁止されている州もあったはずだ)。ともかく、紅白については昔から大好きな人がたくさんいるのでろうから、あんまり悪口はいいたくないが、子供でもないのにいい年した大人が男と女に分かれて勝った負けたなんて、何を大騒ぎしているのだろうって気がする。NHKもあまり裕福でもない家庭からも一律に金を徴収しておいて、いったいあの番組作るのにいくら金かけてんだ、って気がする。はやくNHK全部の番組をペイパービューにしてくれないかな。いつもそう思ってる。好きな人が楽しみにしている番組についてとやかくいうつもりはなかったのだけど、ついつい熱くなっちゃいました。ごめんなさい。

で、こんな弟を持ちながらも、うちの姉はものすごく紅白が好きなのである。紅白がはじまったら、一切ほかの局にチャンネルを回させてもらえないくらい、熱烈なあの番組のファンで、その姉は東京に住んでいるのだけど、今旦那さんと子供二人を連れて実家に帰っている。きっと、明日もいつもと同じように紅白を楽しむに違いない。

ちなみに、さとがえりしている姉のことを考えるとき、いつも矢野顕子の『Green Field』という曲が心に浮かんでくる。女の子が成長して、大人になって、自分の家っていうか、場所っていうか、そういうメタファーとしてのどこかにたどり着く。それを象徴するのがGreen Fieldなんだとおもうけど、少女が大人になっていく過程の時の流れだとか、心象風景を見事に描いた名曲だと思う。矢野さんが女の子の心情を歌うとき、当たり前といえば当たり前なのだけど、そこで歌われている気持ちって、女性にしかわからないものでもあるのかな、とヒシヒシと感じる。だから、それを理解するために、ひょっとしたら、異性としての女性ではなく、ある意味自分の分身でもあり、子供の頃から一緒に過ごしてきた姉の存在を思い浮かべてしまうのかな、なんてことも思う。ちなみに、うちの姉、結婚して姓が矢野になったのだけど、それも関係あるのかな?ともかく、この曲の詩はとてもよいと思うので、転載させていただきます。

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Green Field

昔はそこらに 穴があって 私もよく 落ちたものよ
おいしいもんと まずいもん食べて 背は伸びる 眼は開く
and then 心は冷える
たんすの中 もういっぱいなのに 欲しい もっと欲しい でも本当は さびしい
ほほえみの中 不きげんの中 うそつきの中 笑いとばそう

あなたの名前 よばれるまで たくさんのこと いっぱいのこと 集めて
悲しみの中から 光る石みつけたら みがいてそっと 飲みこむ
見知らぬ人と 話しはじめる 聞いたことのない 新しい話
私の耳は 光かがやき ひそやかな涙を ききわける

   Weary days have gone
   Won't be back again

よく晴れた冬の朝 おじいちゃんがいて セーターの色に とびこむと
   ゛よくきたね"
ぶどう畑の向こう 今では私の新しい家 今度こそ私から
   ゛よくきたね"
私の腕は 黄金となり 私達の愛を 押し広げる

  Weary days have gone
  Won't be back again

    Talk about and talk about
    Talk about the greenfields
    Hear me now and hear me now
    Hear me have the greenfields

見ず知らずの人に話しかけることについて

2007年12月29日 23時19分53秒 | Weblog
「人見知り」って不思議な言葉だと思う。そこから連想するものと、実際指しているものがなかなかうまく合致しないのだ。小さい頃、何度聞いてもその意味が覚えられなかった(ところで、そもそも、人見知りって、子供に対して使っていた言葉のように思うが、最近は大人にも使う。そこにも違和感を禁じえないのだが、それってヘン?)。人を見知るというのは、人のことを見て、そしてその人のことを知る、つまり瞬時に理解する力があるということではないのか? などと勝手に解釈していて、そしてそれは利発な子供のことを指しているような気がしてしまうのだが、実際はそうではなくて、ご存知の通り、要は恥ずかしがり屋さん、っていう意味になる。やっぱり、なんで人見知りがシャイという意味になるのかが未だによくわからない。そして、この語を耳にするたびに、毎回ひっかかってしまう。語の意味を正しく頭に理解させるための変換作業に、0.何秒か時間がかかっているような気がする。

「心配せんでもええ、Tさんは人見知りせーへんから」。自分を含め、某関西人が3人寄り集まり、一日中盛り上がる。そのうちひとりとは初対面だったのだが、もうひとりが、そう言って、大丈夫だと安心させてくれた。僕はもうこっちにきて6年にもなるから東京暮らしにもずいぶんと慣れたし、もともと関西ネイティブでもないから、特に西をノスタルジックに感じることなく、なんとなく江戸の水に馴染んでいるのだけど、ひとりはまだこの四月にこっちに来たばかりだ。自分が思い出す意味もこめて、今感じている西と東のカルチャーギャップを訊ねてみると、たとえば、テレビ局のチャンネルの違い、があるのだという。なぜ、10チャンネルは日テレ系じゃないの? みたいな(ずっと東京の人にはわからないでしょうが)。実はこれ、僕も未だに違和感を禁じえない(こういうのって些細なことのように見えて、実は大きな違いなのだ。毎回チャンネルを替えるたびに、頭の中で0.何秒かの変換作業が必要になる。ほんの瞬間だけ、ホームシック感覚が脳髄を刺激する。こういう無意識の作業のなかで、シャドーに宿る文化的差異は増幅されていくのである)。そして、テレビに出ているタレントの違い(メッセンジャーの黒田、こっちじゃあまりみないけど、面白いんだよな~)。

あるいは、「こっちは大阪みたいに外でワーワーしゃべっている人が少ない」とその関西の友人は感想を述べてくれた。彼の地では天下の往来を行けば、他人どうし、喧嘩しているのか仲良くしゃべっているのかはともかく、いつのまにか自然に会話がはじまることがしょっちゅうなのだ、と。店員と客、スーパーのレジ待ちしている客どおし(おばさん多し)、甲子園から帰る道すがら、「今日どうやったん?」と自然にタイガースの試合の結果を訊いてくるおっさん。そんな風景が、こっちでは少ないのでは、ということなのだ。ぼくは、それは地理的な問題というよりも、世代的な問題であり、東京にも絶対にそんな風景はある、あるいは「あった」はずで、かつては日本全国でそのような光景が見られたに違いないと軽く主張してみた。でも、それを差し引いても、やはり大阪の人たちのコミュニケーション能力というのは、やはり非常に優れているとおもう。3人で話していても関西弁によって活性化される名状しがたい「しゃべりの磁場」を感じるのに、これがあっちにいけば数百万人すべて関西弁なのだから。よくそんななかで10年以上も暮らしてたわ、と人ごとのように驚いてしまう。

それでも、日本ではもはやあまり他人どうしでさりげなく会話が始まることはあまりないように思えるが(特に若い世代では)、旅先のインドでも中国でも、見知らぬ人どうしがいきなり会話を始めるという光景は、いたるところで見られたし、僕もどちらかというと人見知りしてしまうタイプであるとはいえ、そういうのってとてもいいな、と思ってしまう。インドでは、旅行中ずっと腕時計をしていたのだけど、現地の人は当時ほとんど腕時計など身につけておらず、ものめずらしいのかしょっちゅう時間を聞かれた。まるで、腕時計をもっているお前は、腕時計をしていない俺に時間を教える義務がある、みたいな感じで。奴らは、とっても「自然に」時間を訊ねてきた。そういうの、僕も案外悪い気もしなくて、普通に時間を教えてあげていた。実際のところ、どの程度切実に彼らが時間を知りたがっていたのかどうかはわからないのだけど。

僕も年齢を重ねるにつけ、だんだんと人と話すことに抵抗がなくなってきたと思うときもある。ジョギング中に柴犬の散歩をしている人に話しかけることもあるし、ついこの間は、いつも行くとんかつ屋さんで、店の人に、「今日混んでますね。どうしたんですか」なんてオヤジな台詞を自然に吐いていて自分でもちょっとびっくりした。さすがに、電車に乗っていて隣の人に、「その夕刊フジ、読み終えたら僕にくれませんか」なんてリクエストはできないのだけど、そういうの、世界のどこかでは普通にできるんだろうな~、なんてことをおもったりする。そして、こんな日の締めくくりは、はからずも『人志松本のすべらない話』であった。今日はオチがないけどこれで終わります。おとといの続き(テクノストレスの話)はまた逃してしまったので、いつか書くことにします。

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ちなみに、例のアサーションの件ですが、その後、友達が教えてくれたサイトになかなかよい情報が載っていたので転載します。
http://counsellor-blog.hakenjob.com/archives/51180279.html

アサーティブ12の権利ということらしいです。ご参考まで。

1.私には、一人の人間として日常的な役割とは関係なく、自分自身のために物事の優先順位を決める権利がある。
2.私には、賢くて能力のある対等な人間として、敬意をもって扱われる権利がある。
3.私には、自分の気持ちを言葉で表現する権利がある。
4.私には、自分の意見や価値観を表現する権利がある。
5.私には、「イエス」「ノー」を自分で決めて言う権利がある。
6.私には、間違う権利がある。
7.私には、考えや気持ちを変える権利がある。
8.私には、「わかりません」という権利がある。
9.私には、欲しいものを欲しい、したいことをしたいという権利がある。
10.私には、人の悩みの種を自分の責任にしなくてもよい権利がある。
11.私には、周囲の人の目を気にすることなく、人と接する権利がある。
12.私には、アサーティヴでない自分を選択する権利がある。

今日も三鷹で寸止めな、2007年の仕事納め

2007年12月28日 23時20分23秒 | Weblog
今日は仕事納めの日。そして、この日の終わりに待っているもの、それは、納会だ。職場の人たちが近所の居酒屋に三々五々と集まってきて、酒を酌み交わす。しみじみと、飲もうじゃないの。同じ場所で働いていても、同僚となかなかじっくりと話す機会ってない。だからこういう場でのトークというのは、新しい発見の連続でもあり、普段のお互いの人間観察の成果の交換の場でもあり――。世代が代わり、時代は変わっても、一年の労を互いにねぎらうという心情は根深く残っている。それを確かめ合えるとうのは、とてもよいものだと思うし、やはりこんな日は、酒が旨い。

年末が近づくにつれ、徐々に日本中がreligiousになり始める。「よいお年を」、っていう挨拶がそこかしこで交わされ、それぞれが一年を振り返り、締めくくっている。そして、年賀状――。よく考えたら、これって郵便制度が成立してから、とってつけたように作られた風習にも思えるが、とにかく、多くの人が大切なものだとまだ思っている。それに、たとえば一本締め(今日、ぼくの職場ではなかったのだけど)。これって、コーランだよね。日出る国の。

帰りの電車。中央線武蔵境駅の住民はすべて、いつも三鷹駅で待たされる。特急の通過待ちだ。あと一駅なのに待たなくっちゃいけない。寸止め。ビジネスクラスのチケットをお持ちのお客様は、一等客船の乗客たちは、三等の切符しか持っていない僕たちが立つホームを見向きもせずに、高速で通り抜けていく。いつも、走り去る特急の背を見つめながら、俺たちには、金はないけど夢はある、なんてことを思う。三等の切符でタイタニック号に乗り込んだ、ディカプリオみたいな気持ちになる(って、そんなかっこいいものではありませんが)。プロレタリアート各駅列車は、その後ややあって、トロトロ蟹工船みたいに走り出す。いいんだ、俺たちは。どれだけ待たされたって。車内のみんなはそんな顔をしている。試合に負けても、でも勝負には勝ったよな。俺たち。そうだよな、人間万事塞翁が馬だよな。急行の止まる駅なんて、住みたくないよな。なんてことを、互いに無言で語り合う。人生、早く駆け抜けるだけがいいってもんじゃないんだよ、挫折のない人生なんて、本当の人生じゃないんだよって、誰もそこまで思っていないか。でもなんとなくみんなそんなこと考えているんじゃないかなんて気持ちにさせられる。毎日毎日三鷹で待たされ続けると。

この三鷹の寸止め、けっこう忍耐力を養うよい訓練になってる。
すっといきたいところにワンクッション置かなければならない、
という翻訳の技にも通じる精神性が求められるから。

家に帰って、テレビを観る。ぼくの好きな爆笑問題が漫才をやっている。田中のつっこみは面白いのだけど、なんで漫才ってボケとツッコミって役割が決まっているのだろう、と思う。もちろん、例外もたくさんあるのだろうけど(そういえば、ヤスキヨは、ときどきそれが入れ替わってた)。このManzaiっていうの、日本独自の文化かもしれないね。アメリカだったら、一人でボケてたら、観客が勝手に笑ってくれるんだから。いわゆる、漫談だ。

そんなこんなで、一年も終わり。
今年はいろんなことがあった。よくやったと、自分を少し、ほめてやろう。
でも、まだまだすべてにおいて足りないことだらけ。不満足、だ。
しっくりきていない、この感覚。なぜなの、っておもうけど、
その原因を探ることも大切だ。もっと自分に素直になろう。
来年も、吉とでるか蛇とでるか、やりつくせるところまでやってみよう。

それに、今年もまだ3日も残っている。大事な時間を有効に使おう。
やるべき大切な仕事が待っているんだ。

というわけで、戯言を書いてしまったので昨日の続きはまた明日書きます。

2007200720072007200720072007200720072007

中野坂上の文教堂
『ドリーム・ガール』ロバート・B・パーカー著/加賀山卓郎訳

武蔵境のブックアイランド
『柔らかな頬』桐野夏生
『マジシャン』松岡圭祐
『クレイジー イン アラバマ』マーク・チャイルドレス著/村井智之訳
『大国の興亡』ポール・ケネディ著/鈴木主税著

アンドロイドは電気炬燵で夢を見るか?

2007年12月27日 23時52分13秒 | Weblog
熱い……。焼けるように熱い。ここは熱帯か? 汗がにじむ。今は、冬ではないのか? それに、周りがやたらとうるさい。これは夢なのだろうか? きっと夢だ。ヘンな夢。深夜にやっているちょっと地味目のドラマ、あるいはB級映画の世界に飛び込んだみたいだ。それにしても、やたらとうるさいじゃないか、やけに明るいじゃないか、そしてやっぱり、やたらと熱いじゃないか~。

なんてことを思ってふと目を覚ますと、案の定、コタツの中でいつのまにか寝ていたのであった。テレビもつけっぱなしで。汗びっしょり。

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昨日の話の続きだけど、仕事をしていると、ふとしたはずみで、とつぜん離人症になったかのような気持ちになることがある。俺たちって一体何なんだ? っていう気分。僕もそうだけど、周りもみんな、じ~っとコンピューターに向かっている。ただそれだけのことなんだけど、あらためて俯瞰してみると、これってなんかおかしくないか? 異常事態ではないか? って思う。自分の会社ならまだしも、ほかの会社に行って、大きなフロアにパッと入ったとき、百人くらいの人がみんな画面とにらめっこしてる光景がジオラマで目に飛び込んできて、それがやたらとおぞましく映ることがある。テクノポリスの迷宮に迷い込んだ気持ちになる。だって、不思議なのだ。素朴な疑問なのだ。バカボンのパパなのだ。だってだって、いつのまにか多くの人が、気がつけば「一日の大半を椅子に座り、ディスプレイとみつめてキーボードを打つ人」になってしまっている。子供のとき、大人になったらそんな風になるなんて、誰も教えてくれなかったような気がするんだけど(まあ、当時の大人はここまでのIT化を予測できなかったろうからしかたない)。そして、僕もそのうちの一人だ。流れ行く雲を眺めて、人生の不思議、宇宙の不思議に胸をときめかせていた少年の行く末は、「椅子座り電脳人間」だったのである。

もし、人間に形状記憶シャツみたいな機能があって、死んだ後に過去に一番多くとった姿勢が再現されるとしたら、おそらく、現代人の多くは、昼間コンピュータと向かい合っているのと同じ姿勢をして棺おけのなかで眠っているだろう。椅子に腰掛け、両腕を前に伸ばして、眉毛を八の字にして、ディスプレイに向かっているにちがいない。加えて、翻訳者の場合は、ひょっとしたら空也上人よろしく、口から仏像ならぬ3Dの訳文を吐き出しているかもしれない。奇妙なことだな、と思う。数億の人たちが、一日中、ディスプレイを見つめて、カチャカチャとキーを叩いている。まあるい顔と、四角いディスプレイのセットが、世界中に数億組もあって、地球上のいたるところに存在しているのだ。空はこんなに青いのに、周りには人がいっぱいいるのに、切り取られた四角い世界だけを、みんな飽きもせずに覗き込んでいるのだ。

とはいえ、僕も翻訳という仕事が非常に好きなのであるし、好きで選んだ仕事なのであるわけで、それでお金をもらっているというのは本当に死んでもいいくらい幸せなのであり、そして翻訳者なるものITの助けを大いに受けているからにして、コンピュータなくしては生きていけないのであり、だから、このIT化社会を否定的には思っていないし、一日の大半をディスプレイとともに過ごすことも決して厭わない。けれど、人間の電脳依存というのは日増しに深まっていくな、この先ますますみんなディスプレイばっかり見つめて一日を過ごすようになるのかな、と思うと、確固たる理由は思い浮かばないにしても、やはりちょっとやりきれない気もする。なんだかディスプレイを眺めているときのほうがリアルで、それ以外の時間がバーチャルにも思えてきたりさえもする。が、実際、人間とITの融合、もっといえばミームとシリコンの結合?というのは現実的に進行しつつあるのであって、われわれのアンドロイド化というのはもはや避けて通れない道なのだろう。

翻訳者がたっぷりと仕事をする、ということは、たっぷりとコンピュータの前に座り続ける、ということとほぼ同義でもある。だからこそ、テクノストレスについてなんらかの方策をとるべきだとおもうし、画面を見ていいない時間も大切にすべきだと思うのである。と、だんだんまじめな話になってきたので明日またこれについて書きたいと思う(つづく)。
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At OGIKUBO branch
『The Testament』John Grisham
『Outbreak』Robert Tine
『Foundation and Chaos』Greg Bear
『Foundation’s Triumph』David Brin
『Foundation’s Fear』Gregory Benford
『10,000 ways to say I love you』Gregory J.P. Godek

Abandoning who we are and what we are

2007年12月26日 23時40分01秒 | ちょっとシリアス
昼間、会社で仕事をしているとき、ふと凪が来たみたいに、時間がゆっくりと流れているような感覚に襲われるときがある。さっきまで立て続けにプルプル震えていたはずの電話たちが、ぴたりと鳴りやむ。あちこちで聞こえていた会話も波が引けていくみたいに消えていって、誰もが申し合わせたみたいに口を閉ざす。夕立みたいにじゃんじゃん降り注いでいたメールの雨もようやくやんだ。自分の仕事もひと段落ついて、当面は時間にせかされることもなさそうだ。こんな風に、まるで惑星直列みたいにいろんなものがピタッと停止して、あたり一面が、しんとした静かさに包まれる。やがて、普段は聞こえない「脇役たち」の声が聞こえてくる。空調機が、ブーンと低いうなり声を上げている。そこかしこで、キーボードがカチャカチャとささやくみたいな音をたてる。窓の向こうでは、気持ちのよい青空をバックに、雲たちが亀みたいにノロノロと動いているのがわかる。時間の流れは、スローモーなあの雲が進むのと、同じ速度になる。

こんなとき、子どもの頃、ひとりでよく地面に寝ころがって雲を眺めていたときのことを思い出す。大きな雲が、だんだん形を変えていきながら、少しずつ移動していく。まっ白なかたまりが、人の顔になったり、動物になったり、ロボットになったりする。それを眺めているだけで、どれだけ時間がたっても飽きることがなかった。雲は大きくて大きくて、それがいったいどれくらい大きいのか、さっぱり理解できない。だけどぼくはその巨大さにただただ心を奪われて、茫漠とした気持ちになった。そんな風に雲を眺めるのが大好きだった。自然界にあるものがゆっくりと変化するのを、じっくり眺めるという行為が、無性に楽しいのだ。たとえば、紅茶に広がるメロディアンミニ。琥珀色の液体のなかを煙のように立ち昇っていく白い幾何学模様をみていると、その刹那、われを忘れてしまう。こういうの、プルースト現象っていうんだっけ。

こんな午後のひとときは、ふいにデジャブに似た感覚に襲われることがある。「ああ、ぼくは以前もこの椅子に座り、このパソコンに向かって、キーを打ち、この手の文書を翻訳していたぞ」と思う。ハッ、ちがうちがう。これはデジャブなんかじゃない。だって、それは紛れもない事実。昨日も先週も一ヶ月前も、たしかにぼくはここにいて、画面をにらみ、キーを打っていたのだ。ぼくはすぐに自分を取り戻す。「アホ、何を当たり前のことを気にしとんねん」と心のなかでつぶやく。さあ、仕事をしなければ。でも、頭のネジは、はずれてしまっている。それはたぶん、時が止まったからだ。時間が、自分が止まるから、代わりに地球が動きだすのだ。こんなにも天気がよくて、空はきれいな水色で、鳥たちは優雅に弧を描いているのに、そして、雲はもうこの星を何週も回ってきたかのように、旅慣れた風情をかもしながら、悠然と気の向くままに宙に浮かんでいるのに、ぼくはいったい毎日毎日ディスプレイをみつめて何をやっているんだろう? キーボードをカチャカチャいわせているのは何のためなんだろう? そういう疑問が静かに首をもたげてくる。自分が誰だかわからなくなる。自分は、自分のフリをしているだけではないのか?

すべては、あの白い雲のせいだ。振り向けばすぐ近くに7才の時の自分がいて、草むらで大の字になって、青い空と白い雲を眺めている。今、この窓からみえる雲は、あのときとまったく同じものだ。びっくりするくらい、何も変わっていない。過去は過去に存在するのではなく、現在に含まれている。あのときの自分もまた、今の自分に含まれているのだ。わずかな時間にすぎない。でも、その間、ぼくはぼくでいることやめる。ぼくのフリをすることもやめる。ぼくは何者でもなく、世界はただ白い雲に覆われている。そんな時間が、忘れた頃に訪れるのだ。

アサーションの逆襲

2007年12月25日 23時54分58秒 | 翻訳について
assertという語は、訳しにくいものの一つだと思う。英和辞典には、「断言する」、「強く主張する」というような意味が載っていて、大体の語感はつかめる。だが、いざ訳すとなると、なかなかぴったりした語を選ぶのが難しい。断言にも主張にも、相当する英語はほかにもたくさんある。そのためか、assertの特徴を適切に表す語、というのはなかなか見つけにくい。そして、こういう言葉は、日本語にしてしまうと、原文が何だったのかわからなくなることもある。訳文に埋もれやすい語といえるかもしれない。だから、こういう語は、いつの日かカタカナ語としての道を歩み始める、と思っている。つまり、カタギに日本語になろうとするのをやめて、いっそカタカナというやくざな道を選んでしまったほうが、――良しにつけ悪しきにつけ――自らの概念を的確に表しやすくなるのだ。

Newbury Houseでassertを引いてみると、
1.to claim, say something is true.
2.to put oneself forth forcefully, become aggressive.
と書いてある。1は「何かが正しいということを主張する」であり、2は、「積極的に自分を前に押し出す=主張する」という感じだろう。

このassertの名詞形は、assertionだが、カタカナでそのまま「アサーション」(アサシャンではない)として、コンピューターの世界では、よく使われている。「表明」とも訳され、プログラミング時に前提条件を指定するときなどに用いるのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E6%98%8E

ただし、これまで、カタカナのアサーションが普通の日本語として日常的に用いられることはなかった。ところが、ついにというか、最近コミュニケーションの分野でこのカタカナ語が使われ始めているようだ。これまで、適切な語を与えられることにあまり恵まれなかったアサーションの逆襲が、とうとう始まったのだ。この場合、アサーションは、適切な自己主張のことを指す。
http://allabout.co.jp/health/stressmanage/closeup/CU20050925A/

たとえば、アサーションな自己主張、というのは、攻撃的、独善的に自己主張をするのでもなく、消極的で不十分な態度をとるのでもなく、他者との対話において、適切に自己を主張することをいう。なかなかよい概念だと思う。子供のときから、こういう概念に適切な言葉を与えて教育されていれば、日本人(というか自分)ももっとコミュニケーションが上手くなったのに、と思う。プリプリ。ともかく、他者との気持ちよいコミュニケーションのために、心がけたい考え方だと思う。しゃべりすぎず、しゃべらなさすぎず。

で、翻訳的な観点で考えると、このカタカナの「アサーション」のように、そのまま原語をカタカナにするとう方法は、なんとも芸がないというか、日本語のなかで浮いてしまうというか、とにかく訳者的にはあまりかっこよくない。ちゃんと訳さずに、ズルしたような気がする。それでも、カタカナでないと、このassertionの適切な概念を生のままで表しづらいのもまた事実である。本当であれば、ここで、「主張」でも、「断言」でもない、新しい日本語を作って、assertionに当てはめたいところなのだが、なかなかそれが難しく、こうして日本語のカタカナ語化(ルー語化)は進行していってしまうのか、と思う。

コンピューターの世界では、むしろヘタに和語化せず、カタカナとして使うほうが、英語との互換性が高くて便利、という面もある。たとえば、クリックとかダイアログボックスとかステータスバーとか、ほとんどのコンピューター用語は、和語では表現されていない(その点、中国語はすべて漢字に当てはめるのだからすごいと思う)。

脱線するが、有名な話で、中国語ではLivedoorのことを、「活力門」と訳していて、なかなかそれだけでもよい訳だと思うのだけど、その読みが、「フォーリーモン」になって、つまり「ホリエモン」の韻を踏んでいるのである。最初それを知ったとき、なんて中国人って言葉のセンスがあるんだろうと思った。そして、中国語の翻訳者がちょっとうらやましくも思った。そんな言葉遊びができるなんて、面白そうだと思いませんか?(しかし、逆に言えば毎回そんなことしているのも疲れるだろう。日本語みたいにカタカナに逃げられないし)。

中国語にならってassertionをあえて和語にすれば、「朝潮無」だろうか(あさしおむ、ではなく、なんとか、あさーしょん、と読んでいただきたい)。つまり、元朝潮の高砂親方のような煮え切らない態度をとることなく、周囲と適切なコミュニケーションをしよう! という意味である。え~、ごほん。

ともかく、一般的な日本語では、コンピューター業界のようなカタカナ化は進行していないし、そして、訳者としてはこのカタカナの氾濫を食い止めなければならない、という気もする。実際、こうしたちょっと日本語ナショナリズム的な発想を脇においても、単純にカタカナ語が多い文章は読みにくくなる。ちなみに、翻訳小説では、地名、人名がすべてカタカナになるので、ほかではなるべくカタカナを使わないようにするとよいのだと、S先生は教えてくれた。

とうわけで、いたずらにカタカナ語に頼るのでもなく、頑固に和語に固執するのでもなく、高砂親方のように自由な発想で、assertionな訳を作ること、それが大事なのだ、というあたりを、今日のアサーションな結論としておこう。

追記

アサーションな、はおかしいですね。アサーティブな、でした。失礼

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

荻窪店の隣の新書店で『GOETHE 2月号』

荻窪店で6冊
『地下鉄の素』泉麻人
『地下鉄の穴』泉麻人
『地下鉄の100コラム』泉麻人
『The Taking』Dean Koontz
『Transgressions』Jeffery Deaver/Lawrence Block
『Caught in the Light』Robert Goddard

華麗なる翻訳

2007年12月24日 21時29分45秒 | 翻訳について

蕎麦屋のカレーは美味い。その理由は、やはりダシが効いているからに違いない。和食の真髄が詰まったダシと、インド四千年の秘法、ルーとの邂逅。歴史と文化が出会うところ、それが蕎麦屋のカレーなのだ。蕎麦屋のカレーうどんは、だから、実はすごい組み合わせなのだ。プロレス的にいえば、タイガージェットシンと上田馬之助の日印タッグにたとえることができるだろう。ぼくは、濃いスープというか、ダシっぽいものというか、とにかくそういうものが好きで、ラーメンのスープ、蕎麦、うどんのダシ、スープっぽいカレー、スープスパゲティ、味噌汁、豚汁、などに目がない(そして、こういうとき、ご飯よりも麺類を一緒に食べたくなる)。逆に、パサパサしていたり、モソモソしていたり、そういうものは飲み込みづらくて好きではない。ひょっとすると、噛むことが面倒くさいのか、「アゴにやさしい食べ物」を求めているような気もする。少々なさけない。ともかく、いろんなものが入っているスープという食べ物に、昔からとても神秘的な魅力を感じるのだ。

つい先日、柿の皮を剥いているときに包丁で「指、切ったッス」してしまったので、それ以来刃物を触るのがUbiquitous的に怖い。それでも、必要とあれば包丁を握らなくてはならないので、少しずつリハビリをして(それにしても、柿ってなんであんなに剥きにくいのだろう?特に、あのヘタの部分はどう取ればよいのか?)、なんとか包丁を使って、今日はカレーを作った。もちろん、カレーを作るとき、ぼくは必ずダシをとる。ただし、いわゆる蕎麦屋のカレーっぽいカレーは作れたためしがない。確かにダシは効いているが、So What? といわれそうなよくわからない味になる。でも、やっぱりダシをとってしまう。

料理には作る人の性格がでると思う。ぼくはいろんな材料や調味料をあれこれと詰め込んでしまうタイプである。対象がカレーであればなおさらだ。毎回、創作料理というか、これまでにやったことがない方法でやってみよう、というチャレンジ精神がわいてきて、食材なり調味料なり料理法なりを変えてみる。そしてたいていの場合は失敗してしまう。サッカー的にいえば、なぜあそこでシンプルにシュートを打たなかったのか、なぜパスしてしまったのか、というような味になる。量も、必要以上に多く作ってしまう。性格だから直らないとなかば諦めているが、自分の過剰さをよく表していると思う(考えてみたら、ぼくは翻訳をするときにも、あれこれと盛り込んで、結局はなにが主張したいのかよくわからない味にしてしまっているような気がする)。今日のカレーは、う~ん、美味しいような、そうでないような、なんともいえない味だ。でも、まあいいだろう。結局は、カレー粉が、すべてをOrchestrateしてくれるのだから。

翻訳はカレーに似ている。とってつけたように聞こえるかもしれないが、以前からそう考えていた(だからどうというわけではないが)。カレーというのは、いろんなものを煮込んで作る。ときにはオリジナルの原形がわからないくらいまで煮込んで、溶かし込む。この「溶かし込む」というのがミソというか「ルー」なのであって、翻訳の技とも共通しているところだと思う。つまり、必ずしも字義通りに訳されていなくても、原文の意味が隠し味として、訳文のなかに溶け込んでいればそれでOKなのである。たとえば、原文にsheがあったからといって、かならずしも「彼女が」と訳さなくてもよい。彼女が主体であることが文章を読めばわかるように、それが「溶かし込んで」あればよいのだ。

そしていったんそういった煮込みのコツをつかんでしまうと、それまで素材の味がそれぞれに自分勝手な主張をしていたものが、まろやかで、調和がとれて、それでいてピリッと一本筋のとおった、しっかりとした味わいのあるルーをつくることができるようになるのである。つまり、無理のない日本語でかかれ、意味の通りがよい訳文が出来上がるというわけなのだ。といいつつも、かくいう私の訳文がそうであるかどうかは、カレーの腕前をみればおおかたの予想がついてしまいそうなのだが……では、今日はこのへんで「やめさせてもらうわ」(やすきよ風に)。
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思いがけず、コンビニで『このミステリーがすごい 2008年度版』を売っていたので、即買い。今年は20周年の感謝をこめて、500円という廉価な価格設定になっているということらしい。これが自分へのクリスマスプレゼント。

タクシー・ドライバー 2007

2007年12月23日 22時09分53秒 | ちょっとシリアス
おそらくは、誰にでも、生涯のこの一本、という作品があるのではないかと思う。その映画が忘れられないだけではない、その映画を観たときの情景までもが一つの記憶となって、いつまでも忘れられない、そんな映画のことだ。ぼくにとってのそれは、マーチンス・コセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の、『タクシー・ドライバー』だ。1974年の作品だから、いつのまにかもうクラッシックといってもいい範疇の映画になるのだと思う。世間に馴染めないままいつしか正義と狂気の境界線上に導かれていく、NYのタクシー・ドライバーを描いた作品で、デ・ニーロ演じるベトナム帰還兵の心の闇を見事に描いた傑作だ。エンタテインメント作品とはいうには程遠く、凄惨な暴力シーンもある一作だから、観終わって決して気持ちがよくなるとは言えず(もちろん人によってはある種の爽快感を感じることもあるだろうが)、誰にでもおすすめというわけではないのだが、自分にとっては出会い方といい、繰り返し観た回数といい、ゆずれないベストワンになっている。

ぼくの眼には、この映画のデ・ニーロが、一番デ・ニーロらしいと写る。孤独で、人見知りな26才のタクシー・ドライバーは、本当は優しく、ユーモアもある普通の青年で、そんな彼が社会に適応できない自分へのいらだちや、社会の腐敗への憤りを感じる様が、デ・ニーロの自然すぎる演技によって、観るものの心に痛いほど突き刺さってくる。主人公のトラビスは、女性に振られたりしたことなどをきっかけに、いつしか大統領候補暗殺を企てるようになり、衝撃のクライマックスへと繫がっていくのだが、その孤独と狂気の世界が、名匠スコセッシの手腕によって本当に見事に表現されていて、それが当時孤独な浪人生だったぼくの心象とぴったり合致した。重い衝撃だった。でも決して暗いだけの話ではなく、テンポ良く「観させる」つくりにもなっていて、どのシーンも何度みてもあきない。思いいれがありすぎるので、とてもすべてについてここでは語ることができないから、いつかこの映画についてはあらためて書きたいのだけど、とにかくぼくはこの映画が好きで好きで、タクシーに乗るたびに頭のなかでバーナード・ハーマンが作曲したこの映画のサントラが鳴り響くのだ。

この年末、宴席が続いて、終電を逃し何度かタクシーで帰宅した。気分はちょっとデ・ニーロだ。タクシーに乗ると、酔った勢いもあって、運転手さんといろいろと話すこともある。景気はどうですか? とか、日本シリーズはどっちが勝ちますかね? とか、勤務時間はどんな感じなんですか?(これはよく聞いてしまう)、とか、意味がありそうでなさそうな、そういう話だ。でも、そういう会話が実はとても面白かったりする。多くは年配であるタクシーの運転手たちは、ときには嬉しそうに、ときにはビジネスライクに、若造の話に上手く調子を合わせてくれて、そしてそんな彼らはさすがに話し慣れしているというか、面白い話題にはことかかなくて、ひょんなことから身の上話が始まったりして、それなりに興味深い会話が楽しめるのだけれども、そんなやりとりをしているときでも、彼らは頭の中で適切なルートを計算し、ハンドルを握っているのがよくわかる。こっちは酔っているから、なおさら彼らが頼もしく思えたりもするものだ。経験がものをいう世界、海千山千の彼らは如才なくアクセルを踏み、夜の闇を切り裂いて走っていく。

でも、ごくたまにではあるが、運転手になりたての人がいて、うまく目的地にたどり着けるかどうか、こちらに不安を抱かせる場合もある。実際、明らかに相手のミスで、かなりの遠回りをして、時間も金額も相当にかかってしまったことがあり、ドライバーがえらく恐縮して、メーターの額よりも割り引いてもらったこともあった。車内に乗り込み、目的地を告げて走り出したとたん、ドライバーが「実は昨日タクシーに乗り始めたばかりでして……」と切り出してきたらどうするか。基本的にはたいして気にならないだろうし、むしろ面白いと思うこともあるだろう。がんばってください、なんて気持ちもわいてきたりするだろうが、実際、一刻を争うほど急いでいたりした場合には困るだろうし(車を乗り替えるかもしれない)、意図的ではなくても料金がかさばるようなルートをとられたら困るな、と一抹の不安を覚えたりもするだろう。ともかく、初心者ドライバーがいくらやる気満々でも、客は醒めた目でそれを見ているには違いないのだ。

と、そんなことを書いたのには理由がある。実は、ちょうど一年前、つまり昨年の今日、ぼくがはじめて出版翻訳を担当させていただいた書籍(『Head Rush Ajax』)が、店頭にならんだ日だった。つまり、記念すべき出版デビューの日であり、めでたい一周年ということになる。苦節(?)×年。翻訳がやりたくて、スキルも仕事のアテも何もないのに京都から東京に出てきて、なんとか石にかじりつくようにして過ごした数年間。念願がかなったぼくは、ご多分にもれず、ものすごく嬉しくて嬉しくて、有頂天になった。今にして思えばとても恥ずかしく感じてしまうのだが、勤務先でも、友人たちに対しても、自慢モード全開で書籍を手に悦びを爆発させている自分がいた。そのときは皆やさしくそれを祝ってくれたと感じたし、実際そう思ってくれた人も多いと思う。そして、人生でたった一度のデビュー作なのだから、とことん喜びを味わいつくした自分の感情表現も、間違っていなかったのだと思う。喜びが大きかったということは、そこにたどり着くまでの道のりが、それだけ遠かったということなのだから。

だけどよく考えてみたら、ぼくはそのとき、タクシー稼業を始めたばかりの新米ドライバーだったのだ。行き先を告げられても、自信を持ってルートを頭に描くことができない、不安定な運転手だったのだ。そしてぼくの有頂天話に付き合わされた人たちがひょっとしたら迷惑さを感じていたであろうだけでなく、ぼくの始めての「お客さん」である読者はきっと、不安な気持ちでページを捲ったに違いない、と思うのだ。タクシーに乗ったとたん、有頂天なドライバーが、「ついに念願のドライバー・デビューを果たしまして…」と喜色満面でお客さんに語りかけていたというわけだ。そう思うと、ぞっとしてしまう。至らない点は多々あったとはいえ、その時点での精一杯の訳文を作ったつもりだし、今読み返してみても、なかなかよい訳をしているではないか、と手前味噌たっぷりだがまんざらでもない気になることもある。それでも、紛れもなくぼくはその頃、みるからに頼りない、タクシー・ドライバーだったに違いない。そんなことにいまさらながら気づいたのは、恥ずかしながらごく最近のことだった。

あれから、まだ一年しか経っていない。おそらくはまだ、ぼくはお客さんを不安にさせるドライバーのまま、夜の街を駆け抜けているのだろう。デ・ニーロが孤独や不安に苛まされ、鬱積とした思いを抱えながらも、タクシーに乗っているときはドライバーとしての仕事に徹していたように、ぼくもドライバーとしての仕事に誇りを持って、そしてお客さんに安心を感じてもらえるような熟練の技を早く身につけられるように、今日もハンドルを握りたいと思う。

バーナード・ハーマンの音楽を心に響かせながら、あのときのデ・ニーロみたいに。

ソリッド・ステート・サバイバー

2007年12月22日 20時25分29秒 | Weblog


人と会って話をする。目の前にいるのは大好きな相手のはずなのに、僕はうまくしゃべることができない。「そうだ、僕はうまくしゃべることができるようにならないまま、いつのまにか大人と呼ばれる年齢になってしまったのだ」、という考えが脳裏をよぎる。さりげなく相手を思いやり、うまく背中を押してあげて、どんな話題にも行き場を与えてあげる。そういうたしなみができない。拙い言葉しか出てこない。もっともっと相手のことを知りたいはずなのに、ロクなことが訊けない。せっかく振ってもらった話題に、反応することができない。そんな奴だったのか、俺は。今さらながらの嘆き節が、心のなかで鳴り響く。駆け抜けていく天使。心には悪魔。大切なことを話し合えることもないまま、時間だけが経過していく。訊きたかったことは、本当にこれだったのだろうか? あるいは、口にしているのは、僕の本当の気持ちや考えなのだろうか? 何かが、ミリ単位で、いや下手をしたら、キロ単位でずれている。伝えたいこと、語り合いたいことはチョモランマのようにあるように思えて、でも、すべては手つかずのまま青空に消えていってしまうかのようだ。

と、もうひとりの自分が頭上でつぶやいているのが聞こえるが、現実に進行しているのは、実は、とても楽しい会話だったりする。お酒は美味しい。食べ物も旨い。そして、いつまでも終わって欲しくないほどの、いくら語っても語りつくせないほどの話があって、次々に話題は切り替わっていく。酔いは回る。ここは、極楽かも知れない。でも、そんな会話のめくるめく回転木馬の中にあって、本質的な会話とは何か? 本当に語り合うべきことは何か? なんてことを、つい、考えてしまう。それで、突然あらたまって、夢だとか将来のことだとか、本当に大切なことは何? だとか、そんな単刀直入な質問をしてしまう。でも、おそらくそんなあけっぴろげな問いに対する答えは、言葉にしてしまえば真実味が薄れてしまうものであって、すこし困惑げに、それでも誠実に答えてくれた相手の、台詞よりも表情に答えのヒントが隠れていたりもする。ともかく、その場に一緒にいて、いろんなことを話せた、それだけでも素晴らしいことに違いない、ありがとう、ダンケシェン、と感極まりつつも朦朧とした意識のなかで宴の終焉を告げる鐘が鳴る、というのがいつもの宴会のパターンなのであった。

今、目の前にいるあなたに、筆をしたため手紙を書くように、想いを伝えることはできないのものだろうか。電話でしか話したことがない得意先の人、道を聞かれただけの相手、何年も一緒にいる人、掛け替えのない、大切な人、どんな人であっても、本当に大切なことを、伝えられているのだろうか。と、自問自答しよう。そうでもしないと、何か大切なことを置き去りにしたまま、時間だけが過ぎ去ってしまうような気がしてしかたがないんだ。

見上げれば、曇天だ。こころも重い。気体でもなく、液体でもなく、ときには固体たれよ、自分。その場その場で蒸発したり、流されたりすることなく、変わらぬソリッドな自分でいてみろよ。こころの底にあるものを、本当に誰かに伝えることができるのだろうか、とあらためて考えよ。過去を語り、現在を語り、未来を語っても、本当の想いは伝わらない、誰かの言い訳なんか聞きたくない。自慢話も、世間話もほどほどでいい。そもそも、僕は本当に自分の声にすら、耳を澄ませているのだろうか?

俺のダチ

2007年12月21日 00時12分09秒 | ちょっとオモロイ
昨日のエントリに絡んだ話になるが、今、Self-deprivationなるものが●むこう●ルビ(アメリカ)で受けているらしい。Depriveというのは、「奪う」とか、「剥奪する」とかいう意味だけど、ここでは敢えて日本語にすれば「~断ち」。つまり、Self(自分)から何かをDepriveする、剥奪することによって引き起こされる変化の感触を楽しみ、味わう、ということらしい。たとえば、1年間、テレビを観るのを止めてみる。あるいは、1ヶ月間お酒を止めてみる。もしくは、3ヶ月間肉食を止めてみる。または、半年間Book Off通いを止めてみる。何でも対象になりそうだ。そして、それによって自分がどう変わるのかを確かめる。あることではなく、「ない」ことが刺激になる。あれもこれも、と自分のなかに取り入れるのではなく、何も入れないことを考える。逆転の発想。足し算ではなく、鶴亀算でもなく、引き算。そういうこと。

具体的にどういう風に流行っているのかは知らないのだが、それが受けている気持ちはわかる。だって、面白そうだ。これだけ物や情報があふれた世界にいると、それがストレスになっているのだから。今まで、必要だと思っていたこと、あるいはなんとはなしに、なくてはならないと思っていたこと、気がついたら毎日やっていることを、思い切ってすっぱりと止めてみる。そうしたら、意外となくても平気だった、逆に素の自分を発見した、なんて気持ちになるのだろう。禁煙するのもそうだろうし、断食するのもそうだろう。あるいは会社を辞めてみる、いい人ぶるのを止めてみる、またしても夢を諦める、なんてのも当てはまるのだろう(すべて経験してるな)。あるいは、もっと小さなこと、ポッキーを食べるのを止めてみるとか、織田○二が出ている番組を観るのを止めてみるとか、とにかく何でもいい、自由に自分でやめる対象を決めて、実践し、心境の変化を楽しむのだ(あるいは、あえて苦しむ)。いずれにしても、ちょっと高尚な遊びというか試みであるとは思う。何を止めるにせよ、自己に対するディシプリンを要するってことだから。

でも、話はそう簡単ではない。人間は、いろんなものに依存して生きているのだ。相○みつお風に言えば、だから、人間だもの、ということになる。みんな、止めたくても止めれないもの、手放したくても手放せないものを抱えて毎日暮らしている。むしろ、それが人生だといってもいい。だから、それでいいじゃないの、まあまあ、結構じゃないですか、堅いこといわなくても、まあ、とにかく一杯やりましょうよ、と思わずグラスをぶつけあって乾杯したくなるのが人間なのである。人は、何かに執着し、依存し、自らを投影する。存在自体が過剰で、そのままではどうにかなってしまいそうでも、何かに頼ることで奇跡的なバランスを保って生きることができる。誰もがそんな部分を持っているはずだ。だから、どうしても止めれないものを無理して止めることはないと思う。だけど、なくてもいいかな、くらいのものは、軽い気持ちで止めることに挑戦してみても面白いと思う。

前に書いたけど、ぼくは2ヶ月ほど前に、コーヒーを飲むのを止めた。というか、カフェイン自体を摂るのを止めた。結果、どうなったか。格段に体調が良くなったわけではないけど、それでもかなりよい兆候があらわれた。眠りは深くなったし、朝起きるのも楽になった。ご飯も美味しくなった(だから太った)。精神的にも安定している。それに、飲みすぎて興奮したり、夜眠れなくなって次の日ぶち壊しになったりということもなくなった。だから、よかったのかな、と思っている。朝の1杯が恋しくなることもあったけど、ぼくは適当な加減で止めることができないから、我慢した。性格的に、ブレーキの壊れたダンプカーのように自制心がないので、何でも元から絶たないと駄目なのだ。でも、最近は我慢が我慢でもなくなってきていて、もうほとんどコーヒーを飲みたいとは思わない。むしろ、香りを嗅いだだけで、きつく感じられてしまい、ちょっとした拒否感まで感じてしまう。ともかく、いつまで続くかわからないが、このコーヒー断ちは続けてみたいと思っている。とういうわけで、Self-deprivationという言葉を知る前に、同じことを実践していたというわけだ(その分、ほかの事に無駄なエネルギーが注がれているような気がしないでもないが)。そして、コーヒーを止めた、ということよりも、何かを自分の意思で止めれた、ということの方に新鮮な驚きと快感を感じている。

そういえば、浪人生のとき、一人暮らしをしていたのだが、部屋にはテレビを置かなかった。テレビなんか観ていたら、勉強できないと思ったのだ。だから、世間とのつながりは、新聞とラジオだけになってしまった。そしたら、自然と新聞を毎日熟読するようになった。気がつくと、やたらと新聞に依存している自分がいた。いつも、夕刊がくるのをいまや遅しと待っていた。政治面なんかもまともに読んでいて、気にしなくてもいいのに、国会情勢なんかもやたらと気にしていた。玄関のところに新聞が配達されるのだけど、バイクの音がするとそこまですっ飛んでいって、投函されたばかりの新聞をもぎとり、紙面を食い入るように見入っては、たとえば、「そうか、竹下が……そういうこと言ったか」とかなんとかその場につっ立ったままつぶやいていた。だって、ほかに気にするべきことがなかったのだ。あのときぼくは、今以上に活字人間化していた。つまり、映像情報というものを断つことによって、そのほかの部分に栄養がいって、発達を促されたというわけだ。結果、二浪するはめになって、テレビを買い、こんどはテレビ漬けになるというオチが待っていたのであるが……

で、今日の結論なんだけど、今、自分が一番「依存」しているものは何か、と考えてみたら、それはやっぱり翻訳だろう、と思う。翻訳に寄りかかって、翻訳という夢を自分に見させることで、ぼくのSelfは成り立っている。それを奪われたら……。まったく想像もできないし、怖い。もし翻訳を一生するな、と言われたら、自分が自分でなくなってしまいそうな気すらする。けっして道を究めたとかそういう意味ではなくて、翻訳という大樹の下で自己を庇護してもらっているだけなのだけど。そして、直視したくないけど、実は、ぼくはたまたま翻訳という道を選んだ、というか選んだと思い込んでいるだけなのかも知れないのだから、本当は翻訳なんてなくても生きていけるのだと思う。ぶっちゃけた話。ちょうど、チョコレートや肉食やコーヒーを止めても生きていけるように。

だけれども、やっぱりそれはできない。世間の方から、「もうやるな」といわれるときがくればそれでお終いだけれど、(そしてその可能性はかなり高いのかもしれないが)、自分から翻訳をSelf-depriveする勇気はない。翻訳に限らず、ジョギングも、本も、ラーメンも、止めるつもりはない。つまり、僕という存在は、それだけいろんなものに依存しているというわけだ。それに、いままで散々いろんなことを止めてきたから。ものすごく中途半端に。だから、この最後の砦の翻訳だけは、止めたくないと思ってる。本当は、そういうものをすべて剥ぎ取って、それでも残った自分がコアな自分なんだと思うけど、そしてそういうコアな自分、何事にも左右されない強い自分を持っている人はすごいと思うんだけど(でも、そんな人ってどれだけいるのだろう?)、ともかく、ちょっとした後ろめたさを感じながらも、翻訳に存分に浸っていることによってしか生きる価値を見出せない自分というものまた、それはそれですごい修行の道を歩んでいるのではないだろうか、などと感じたりもしているのである。つまり、翻訳断ち、はできないが、翻訳は俺の最高の「ダチ」だぜ、というわけなのだ。え~、ゴホン。おあとがよろしいようで。


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ラーメンと古本の聖地、西荻窪に出陣
知人オススメの「ひごもんず」で角煮ラーメン。とんこつはあまり手を出さないのだが、ひさしぶりに食べると美味しい。店員さんの感じもよい。
古本屋「音羽館」。初めていったけど、とてもよい店だった。品揃えもいいし、店の雰囲気もすごくいい。結構理想の古本屋かも。西荻った甲斐があった。定番になりそうだ。以下の7冊を購入。
『歩くひとりもの』津野海太郎
『これが答えだ』宮台真司
『アメリカ外交とは何か』西崎文子
『ブッキッシュな世界像』池澤夏樹
『現代思想入門』別冊宝島44
『日本の真実』大前研一
『新しい国家を作るために』榊原英資





沈黙力

2007年12月20日 00時24分18秒 | ちょっとオモロイ
夜、走りながら、iPodを聴いていた。いつも、英語の勉強を兼ねて、podcastでNPRなどのアメリカのラジオ番組を楽しむことにしている。いくつも番組を登録しているのだけど、そのときは、何気にNational Geographicのコンテンツを選んだ。スタジオにゲストを招いてトークをする20分ほどの番組だった。ホストの女性が、ゲストの男性のことを紹介し始めた。

その日のゲストは、環境問題に対する抗議行動として、約20年間、車に乗ることを拒否した経験があるのだという。完全な車社会のアメリカでは、とてもじゃないが常識では考えられないこと。ぼくも経験したことがあるのだが、特に郊外にいくと、歩いて移動することはほぼ不可能になる。なにしろだだっ広くて、隣のビルにいくにも、車を使う。たまに道を歩いている人がいると、「この人、どうしたんだろう?」と思う。自転車も走っていない。タクシーもいない(歩く人がいないからタクシービジネスもなりたたない)。ともかく、そのゲストは、自分が運転しないのではない、いかなる車にも乗らなかったのだ。ただ、これは日本人で車を持たないぼくからしたら、それほどびっくりするような話ではない。驚いたのはこの次の話だった。最初、内容を聞き間違えたのかと思った。でも、よく聴いてみたら、やはりそうではなかった。彼は、同じく抗議行動の一環として、17年もの間、沈黙を貫き通したのだという。つまり、一言もしゃべらずに、何も言わずに、――うんともすんともいわずに――それだけの年月を過ごしたのだ。

John Francisは、1971年、サンフランシスコの湾でオイル流出事故に遭遇し、被害にあった自然を目の当たりにしてショックを受けた。彼は考えた。自分にもこの事故の責任はある。なぜなら、このタンカーは、自分が運転する車のガソリンを運んでいたかも知れないのだから。だから彼は車に乗るのを止めた。以来、どこに行くにも歩いていった。彼は言う。「歩いてしか行けないと、どこにいくにも特別な体験になる。逆に、リッチな時間を過ごせることができた」(という風なことを言っていたように聞こえた)。そして、いつも議論ばかりしている自分を戒める意味で、ある日、何も喋らずに過ごしてみた。そしたらその日、いつもより自分のことをより深く理解できた気がしたのだという。そしてそれ以来、一切、喋るのを止めた。17年後に再び口を開くまで。

最終的に、彼は再び車に乗り、喋るようになったのだけれども(だからこそラジオ番組にゲストとして出演していたわけだが)、沈黙中に博士号を取り、今はPlanetwalkというNPOの代表として、旺盛に活動をしているらしい。Webサイトにもいろいろと情報が掲載されていた。Planetwalkerという本も出ているようだ。
http://www.grist.org/news/maindish/2005/05/10/hertsgaard-francis/

彼の行為を無批判に賞賛することはできないけど、ともかく、すごい。しゃべらないことで、人と言葉ではできないコミュニケーションができる。しゃべらないことで、人の話がよくわかる。そういう気持ちになるのだそうだ。頭がおかしくなった、と周りからは言われ続けたみたいだけれど。

で、番組を聴き終わったあと、やはり翻訳のことをつい連想してしまった。翻訳は孤独な作業であり、しゃべりながらする仕事でない。口を開かなくても、訳文は作れる。もちろん、翻訳者だから必ずしも寡黙かといえば当然そんなことはなく、人と会えば楽しく会話を弾ませるが(大先生のように)、傾向として、一日中人と会っていたい、しゃべっていたいという人はあまり翻訳を志したりはしないのではないだろうか。わるい意味ではなく。僕もそうだが、一人でいることが特に苦にはならない、そういう人でなければ、やってられないというところもある。むしろ、一人でなくては訳文なんて作れない、という気もする。サイレンスの中にあるからこそ、エクリチュールの世界に入り込むことができる。それに、一人でいることは、楽しい。一人でいるときには、一人でいるときにしか味わえない楽しみというものもあるものだ。

それでも、沈黙することは、沈黙し続けることは、辛いことだ。自分だけが世界から取り残されたような気がすることもある。想念は音もなく駆け巡り、やがて、おりのようにゆっくりと何かが心に降り積もっていく。そして、翻訳者は沈黙によってえられた薪に火をつけることで、訳文という炎を燃やし続けることができるのかもしれない、と思う。締め切りに追われて言葉を失い、居留守の電話に息を殺すという、負の沈黙力も必要かも知れないけれど。

何が彼女にそう訳させたか

2007年12月19日 02時12分15秒 | 翻訳について

「ディレクターズ・カット」とは、一度公開した映画を、監督が後年あらためて自らの意思どおりに編集し直して再公開することを指すわけだが、この言葉を聞くと、反射的にリドリー・スコットの『ブレードランナー』を思い出す。15年くらい前になるだろうか、京都の美松劇場(だったと思う)で大好きだったこの映画を観た。ラストシーンを変えるだけで、映画全体の意味合いが変わる。それは本当に衝撃だった。映画では、さして重要ではないと思えるシーンが間に挿入されるだけでも、物語は微妙にそれまでの軌道を外れ、まったく異なったメッセージを放ち始める。それまで唯一無二の存在だと思っていた映画は、実は無限の可能性のなかから選ばれた、一つの偶然であることがわかる。例えそれが必然と呼ばれるほどの完成度を持っていたとしても、だ。わずかな編集を加えるだけで、作品は色あせたり、輝いたりする。

翻訳は、何度も何度も繰り返し校正をする作業だ。プリンタで印刷をして紙上で見直しをすることも数回行うから、あとで振り返ると、版が変わるごとに、その都度、訳文が変化していったのがわかる。原文の解釈にしても、文体にしても、表現や用語にしても、ちょうど昆虫が幼虫からさなぎ、さなぎから成虫になるみたいに、少しずつメタモルフォーゼしていく。そして最後には決定稿となって羽ばたき、訳者の手元を離れていく。その後、チェッカーや編集者の手によって、訳文にまた新たな息吹が与えられ、晴れて完成稿、となるわけだが、ディレクターズ・カットをしてしまう監督の心境と同じく、訳者のこころの中にも、どんなに時間をかけても、まだ手を入れたりないという部分がどこかに残っているはずだ、と思う(もうみたくないという人も多いと思うが)。でも実際は、いったん生まれてしまえば、その訳文にはもう愛着というか個性というか、そういう属性が備わってしまっているので、あえて直したいとは思わない、という風に感じることが多いようである。実際、僕もそうだ。

いずれににしても、ディレクターズ・カットの例を見てもわかるとおり、訳文というものは、かならずしも訳者の意図が100%反映されているものではない。どんなに上手く訳されたものとしても、訳文というものは必然的にそこに存在しているというわけではなく、むしろ無限の可能性のなかからなかば偶発的に生まれてきた一つのインスタンスであるといえるのだ。そして、たった一文を変えるだけで、パラグラフが、トピックが、チャプターが、あるいはテクスト全体がまったく違った意味合いになることもありうる。

何が彼女にそう訳させたか、ということの本当の真相は、誰にもわからない。それは彼女本人にもわからない。彼女の指を調べても、彼女の脳の中を覗いても答えはない。ちょうど、今日この一日をどう過ごすか、ということに正解がないように。あの日あの時あの場所で彼女が訳したものが、訳文となって世の中に生み出される。違う日に、彼女に同じ原文を訳してもらっても、まったく同じ訳文が生まれてくることはない。翻訳とは、人生の他の多くの現象にも似て、一回しか起こらない奇跡なのだ。

書き手にせよ、読み手にせよ、完成された唯一の原文があり、完成された唯一の訳文がある、とつい思ってしまいがちである。でも実は、現実界の実相というのは、そうではない。ありとあらゆる組み合わせの可能性のなかから生まれた、表層。それがテクストであり、訳文である。ただし、その偶然が、取り返しのつかない必然として世に出てしまうことが翻訳のスリルであり、怖さでもあるのだが。そして、ディレクターズ・カットなる特権を行使する僥倖を得る訳者も、映画の世界と同じくごくわずかなのだ。
(ちなみに、書籍の場合、重版の際にいろいろと修正ができることもあるから、映画監督よりは恵まれているといえるだろう)

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FアカデミーでS先生の授業。自分の訳文が俎上にのり、身が引き締まる。先生にいただいた指摘を、しっかりと脳に刻み込もう。その後、元加賀山組の5人で、246カフェでプチ忘年会。翻訳談義ふくめもろもろの話で盛り上がる。今年1年、Fアカデミーに通って本当によかったと思う。Hやしさん、どうもありがとうございました。いろんな人と出会えたし、本当に勉強になった。来年ももっともっと学びたいと思う。

『幻詩狩り』川又千秋
『終わりなき孤独』ジョージ・P・ペレケーノス著/佐藤耕士訳
『テクノノススメ』hideo sakuma
『蹴りたい背中』綿矢りさ
『水曜の朝、午前三時』蓮見圭一
の5冊を駅前のBIで。

これにより、問題

2007年12月18日 00時00分47秒 | Weblog

訳文でつい多発してしまう表現の一つに、「これにより、」がある。これは別段おかしい表現ではないし、決してNGであるなどとは言わないのであるが、あんまり連発すると、なんとも翻訳調な感じがしてちょっと気になるのはわたしだけではあるまい(でもない?)。つまり、「これにより、」は、わりと誰もが不用意に使ってしまう語であると。そして、これにより、訳文がなんとも堅苦しくなると。なので、これにより、これを「これにより、問題」と名付けたいのである。

たとえば、「これにより、AがBになった」とか、「これにより、Cが大幅に減少することが予測されます」とか、そういう使い方がなされるわけであるが、なぜそれがわたしにとって気になるかというと、やはり無生物主語の問題が関わってくる。つまり「『これ』がAをBにさせる」、という構文は、日本語の語感ではなんとなく不自然な感じがする。

英辞朗で調べてみると、「これにより、」に相当する原文は、This led to とか、This will helpとか、This made など様々。いろんなものがあるのだが、共通して、主語のThisに引きずられて、これにより、とやってしまっているようだ。では、「これにより、」を使いたくないときは、どうすればよいのだろう。試しに、同じく英辞朗でThis led to を調べてみる。すると、「これにより、」以外にも、「そこで、」とか、「そのため、」などが使われていることがわかる。「そのため、」というのは「これにより、」と比べると自然に感じる。続く文の中に出てくる主語を、普通に使えるからだ。

例えが適切かどうかはわからないが、「雨が降ってきた。そのため、我々はしかたなく雨宿りをした」といえば自然だ。「我々」の自主的な判断が感じられる。ところが、「雨が降ってきた。これにより、我々はしかたなく雨宿りをせざるを得なかった」とすると、なんとも「これにより」の力が強く感じられてしまい、「我々は~」の文章に影響が与えられて、文がヘンになる。「我々」の自主性までが失われてしまうような気がするのだ。あるいは、「これにより、」をいっそ省略する、という手もある。「雨が降ってきた。我々はしかたなく雨宿りをした」でも十分によい文章となる。

なかなか難しい問題ではあるが、実は自分でもあまり釈然としていない。今日のエントリを書いてみて、頭がすっきりしたというよりも、これにより、この問題についてどうやら今後よけいに悩みそうな気がしてならないという気がしているのであった。

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坂上の文教堂で、以下を購入。
『ミステリが読みたい 2008年度版』ミステリマガジン編集部編

地平線の階段

2007年12月16日 21時46分55秒 | Weblog

昨日は、赤坂で夏目組の忘年会。このメンバーで忘年会をするのは初めてのはずなのに、なんだか毎年恒例でやっているみたいな錯覚がする。それくらい、居心地がいいということなのだろう。本当に、こうやって「翻訳」という同じ目標を持った仲間にめぐり合えて嬉しいし、皆さんに感謝している。自分にとって一番大切なこと、興味のあることを語り合える人たちと一緒に過ごすというのは、しかもこんな素敵な面々と一緒に語り合えるというのは、何にも増して至福だと思う。

「何でも10年続けていると神様からご褒美がもらえる」と言ったのはオノ・ヨーコさんなのだけれど、昨年、苦節10年でデビューを果たして以来(苦節というほど努力はしていないが)、翻訳者としての自分にとってなんだか嬉しいことがたくさんあり、この夏目組との出会いも、神様がくれたプレゼントなのかな、と思いながら、桃源郷にいる心地よさでビールや紹興酒を飲んでいた(そして北京ダックをむさぼるように食べていたら、また花塚さんに笑われてしまった)。

今年は、翻訳の世界でたくさんの人との出会いがあった。強く実感したことは、掛け替えのない仲間の存在があることで、翻訳という孤独な作業に立ち向かうための強い原動力を得ることができるということだ。むしろ、こうした人たちとの出会いがあるからこそ、翻訳を続けていく価値があるのかもしれない、とすら思った。

ぼくは、翻訳という名の広大な土地を旅している。そこで出会う人たちもまた、ひとりひとりがそれぞれの主題を抱えながら、同じ土地を旅している。出会った仲間たちは立ち止まり、しばしお互いの旅についての話をする。それぞれが見てきた光景について語り、怖かった出来事や、楽しかった思い出についてしゃべる。来た道も、これから行く道もそれぞれ違うし、地面を踏みしめていくのは自分の足でしかないけれど、こうした出会いこそが、旅を続ける気持ちに火をつけてくれるのだ。自分がなぜ、旅を続けるのかをあらためて教えてくれるような気もする。

もう20年近く前に読んだ、細野晴臣さんの『地平線の階段』。この本の一節で、とても強く心に残っていて、よく思い出すものがある。今の心境を表すのにとてもぴったりなので、引用させてもらう。夏目組のみなさん、そして幹事のYさん、本当にどうもありがとうございました!!

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平野に出るとそこをひととおり眺めまわす。
すると必ずそこに階段を見つけてしまう。
見つけなければ楽なのだが、見つけてしまう。
階段をみつけたら、それを登っていかなくては気が済まなくなる。で、登っていく。

雲を突き破って行くと、そこにはまた新たな平野が広がる。
その平野は見るもの聞くもの新しく、
新鮮で刺激に溢れ、情感を揺り動かされ、
このような平野があったのかと驚かされる。

そして、またひとわたり眺めると、
細部にわたってくまなく何があるか探すのだ。
するとそこに必ず階段を見つけてしまう。
見つけなければ楽なのだが、見つけてしまうのだ。
それを見つけたなら、それを登っていかなくては気が済まなくなる。
で、登っていく。

それでまた雲を突き破って行くと、
そこにまた新たな未知の平野が広がる。
繰り返し、僕はその地平線の階段を登ってゆく。

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カフェ246の隣のBOOK 246で『BRUTUS 読書計画2008』を買う。いままで気づかなかったけど、こんなよい書店が246カフェの隣にあったのですね。あさま組の勉強会の前に、立ち寄ることにしよう。