イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

原文を読まない人

2007年12月14日 23時59分28秒 | 翻訳について
嗚呼、忙しき哉、人生! いや、忙しいのではない。忙しい人という人のは、やるべきことをなんとかしてこなしている人のことをいう。ぼくはそうではない。やりたいことができていないのだから。忙しいのではなく、単に時間が足りないのだ。いやいや、やっぱりそれも違う。原因は自分なのだから。足りないのは計画性であり、ゆとりであり、脳ミソであり……ともかく、何かがしっくりきていない。やはり回す皿の数が多すぎるのか…。まあ、しょうがない。あと少し、年末まで走りきろう。ともかく、一日の中で、ゆったりとした気持ちになれる時間が必要だ。反省。

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さて、突然だが、ぼくは、翻訳会社でも翻訳学校でも、自分が訳したものを人に見てもらったり、人が訳したものをチェックしたりすることを日常的に行っている。翻訳会社も翻訳学校も、翻訳の内側にある組織だ。つまり訳文の作り手であり、受け取り手ではない。そこでは、原文なるものが身近に存在することが当然のように思われている。当たり前だ。原文がないのに、翻訳もチェックしようもないからだ。だから、翻訳チェックをしていると、つい、原文中心主義というか、原文を軸に訳文を考えてしまう。あるいは、訳文を読みながら、原文の影を常に感じている。もちろん、そうすることは必要なのだが。

でも、良く考えてみたら、翻訳の受け取り側、つまり読者は、原文のことをほとんど意識していない。職業として翻訳に関わっている人、あるいは英語が堪能で原書を日常的に読んでいる人以外は、訳文を「日本語」の一種として読んでいるはずだ。たまに、「原文が透けて見える訳(いい意味でもわるい意味でも)」の場合は、原文はこうだったのだろうな、とふと想像する人もいるかもしれないが、ある程度英語ができる人でも、特別な理由がない限り、いちいち原書を開いて訳文とつき合わせながら読むということは稀だろう。つまり翻訳というものは、完成したとたんに、原文という親のもとを離れ、母国語という空めがけて飛び立ち、巣立ってしまうのである。

読者は原文のことを意識しない。だから、訳文を評価するときの視点も、作り手のそれとは異なると思われる。そこでは、純粋に日本語として読めるかどうか、良い文章かどうかが問われる。ややもすると、翻訳会社のチェックや翻訳学校の授業は、英文解釈の視点に偏ってしまうことがある。原文という重い鎧をまとったままだから、なかなか自由に日本語の世界に飛び込んでいけない。いきおい、指摘するのも、されるのも、原文はこうなのに、訳文がこうなっているのはおかしい(あるいは上手い)、というものが多くなる。でも実は、翻訳の最終ターゲットである読者は、そんな読み方をしていない。純粋に日本語の世界で評価を下す。読者から、誤訳や訳抜けなどを指摘されることはほとんどないだろう。でも、読者が訳文を読むとき、実は訳者としてはもっと恐ろしいこと、つまり「文章としてこれはなんぼのもんやねん」という厳しい評価に、訳文はさらされているはずなのである。そして、訳者としての私は、実はそんな声が激しく聞きたかったりする。

とそんなことを考えたのも、実際、依頼元でいつも訳文だけを読んで赤を入れてくる方がいらっしゃって、その方の指摘が実に的を射ていて、毎回背筋が凍りつく思いをしているからなのである。その方に限らず、誰でもいい、道を歩いている人に、突然声をかけて、道を尋ねるみたいに、訳文を評価してもらいたいという衝動にかられる。これ、ちゃんと、日本語になっていますか? 意味が通じますか? と。単なる想像だが、もしそんなことをしたら、たとえば高校生くらいの若い人でも、結構まっとうな意見を返してくれるんじゃないかと思う。よい文章かそうでないかは、誰にでもわかるはずだと思うからだ。よい音楽や映画、おいしいラーメンを(おそらくは)誰もが見分けることができるように。そういう意味で、身近な人に目利きになってもらえるのだから、翻訳者というのは恵まれた職業であるといえる。誰にでも、上達度合いを判断してもらえるのだから(同時に怖いわけでもあるのだが)。そして、案外そういうまっさらな読者の視点というのは、翻訳をやっているその当人からは次第に失われていってしまうような気がする。注意せねばならん、と思うのである。

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『アメリカ・ライフル協会を撃て』ピート・ハミル著/高見浩訳
『最後の瞬間のすごく大きな変化』グレイス・ペイリー著/村上春樹訳
『なせば成る 偏差値38からの挑戦』中田宏
『新聞によくでる経済データの読み方』小塩隆士
『国家破産以後の世界』藤井厳喜
『孤独のチカラ』斉藤孝
『モグラびと』ジェニファー・トス著/渡部葉訳
『アインシュタインをトランクに乗せて』マイケル・パタニティ著/藤井留美訳
『孤将』金薫著/蓮池薫訳
『少年とアフリカ』坂本龍一・天童荒太

吉祥寺店で10冊。大漁。






「完食」の感触

2007年12月13日 23時26分13秒 | 翻訳について

昨日、荻窪の「手もみラーメン十八番」というラーメン屋さんで夕食を済ませた。ネットで評判のよさそうな店を探して、よさそうだったのでここに決め、行ってみたのだ。駅から徒歩5分くらい。カウンター10席にも満たないくらいの小ぶりな店だった。かなり繁盛している。壁には有名人のものと思わしきサイン色紙が一枚だけ張ってある。よくみると、それは角田光代さんのものだった。その他大勢の中に角田さんの色紙があるのならまだなんとなく腑に落ちるが、ただ一枚、角田光代、というものなかなかすごいものがある(が、なぜ?)。ともかく、角田さんの書くものは好きなので、当然、活字人間としては悪い気はしない。きっとラーメンも旨いにちがいない。

ラーメンはこってりしていて美味しく、お腹も空いていたのでスープの最後の一滴まで飲み干してしまう。スープの底に、白っぽい、とても小さな食材の破片がたくさん浮いている。なんだろう、と思いながらもすべて飲み干して、その後、それがニンニクだったことに気づく。しばらくかなり匂うだろう、と思うが、まあかまわない。だが、ちょうど一日たって、さきほどからお腹の調子がどうもおかしい。かなりおかしい。ラーメンってやっぱりあんまり身体にはよくないのね、とわかってはいるつもりなのに、つい食べてしまう。特にニンニクの食べすぎはよくない。てきめんに胃腸の調子が悪くなる。

というわけで、今風の言葉でいえば、昨夜はラーメンを「完食」したことになるのだろうが、ぼくはこの「完食」なる語があまり好きではない。なぜなのかと訊かれてもよく理由がわからない。だが、テレビで誰かが料理をだらしなく平らげ、その様子をテロップで「完食」とでも出された日にはなぜか妙に虫唾が走る。食べること、という人間の基本的な生理を、のべっとした言葉で表されてしまうことへの不快感、出された食事をすべて食べきるという、ある意味神聖な行為を、抜け抜けと実もふたもない言葉でラベル付けしてしまう浅薄さ。飽食な世代が生んだ、醜悪な言葉という気がする。個人的なバイアスが多いに入っているといわれればそれまでだが、何しろ気に食わないのだ。

たとえばこの言葉を、自分の訳文で使いたいとは思わない。誰かが使っているのを見たら、とても気になる言葉として映ることだろう。でも、なぜ? 使うべき言葉と使うべきでない言葉を峻別しているこの主体は誰なのだろう? 広辞苑にも載っていない言葉だから、新語だから、こんな言葉は使ってはいけない。そう漠然と思う自分がいる。翻訳学校でもそう教えられそうだ。でも、「完食」はテレビでは使われているし、ネット上でもたくさん目にするし、雑誌の誌面でも、会話でも登場している。なのに、なぜ書籍の翻訳では使ってはいけないのだろう、あるいは、使いたくはない、と感じるのだろうか。

ある人は、書籍は記録として後世に残るものだから、一時の流行り言葉を使うのはよくない、という。何年か後にその本を読んだ人が、鮮度を失った言葉としてそれを見るだろう、と。その理屈はわかる。でも、本当にそれって時代の声を反映した文章なのだろうか。半分は正解で、半分は嘘だ。書物だけは特別な聖域なのだから、世間にどれだけ流布していようと、まだ日本語になっていない言葉は使わない、と決め込んでしまえば楽だ。でも、世の中には市民権を得ていない言葉がたくさんうごめいている。原文にだってそれは出てくるかもしれない。その語感をすべて無視するわけにはいかない。「完食」という言葉は嫌いだが、言葉に係わる仕事をしている以上、その言葉がなぜ生まれ、受けているのかを知る努力は必要なのかもしれないと思う。

個人的にはこの「完食」嫌いな、保守的な感覚を信じていきたいが、一方で、新しい言葉の感覚を少し無理してでも受け入れるだけの器量も持ちたいと思う。翻訳者は日本語の番人であると同時に、未知の概念や事象を初めて母国語で表現する「種まき人」でもあると思うからだ。

メメント・モリふたたび

2007年12月12日 23時28分55秒 | Weblog
嵐山光三郎「死ぬための教養」、保坂和志「生きる歓び」を読了。どちらも死を扱った書物であるが、この一年を振り返ったとき、ずっと亡霊のようにぼくの心から離れなかったこと、といえば、それは死について考えることであった。こう書くとなんだか重々しく感じられてしまうかもしれないが、それほど深刻に思い悩んでいるのではない。ただ不思議なくらい、なかば取りつかれているといってもいいくらい、いつか死ぬのだ、ということをいつも「自然に」考えている自分がいた。これまでの人生、ここまで日常的に死を想うことはなかった。それまで、漠然とではあるが、人生は無限なもので、いつまでも続くのだという感覚を持っていたように思う。ところが、ここ一、二年で、どうやら人生の方から根本的な考え方の変化を迫られているらしい。ゆっくりと、徐々にではあるが、ぼくは人生の有限性を認識し始めている。

死ぬことは怖い。すべてが無になると思うととても寂しいし、悲しい。何をしても自分を待っているのは死だと思うと、そのときすべてが消え去ってしまうと思うと、これまで信じていた確かなものがとたんに頼りないものに感じられて、茫漠とした気持ちになる。この気持ちは、一冊の小説を読んでいるときと似ている。読み始めたばかりのときは、この先にどんな展開が待っているのだろうかと、わくわくしながらページを捲る。読み終えたページはまだわずかで、残りのページはまだぎっしりと厚い。次々に起こる事件や、魅力的な登場人物の数々、無限の展開が予測されて、話の終わりはどこか遠くにしか感じられない。ところが、書物も半分を過ぎたあたりから、だんだんと先が読めてくる。半分まで読んでこれだけの展開だったのであれば、残りの半分もだいたい想像がつく。どんなに面白い本でも、おそらくは残りの半分は少なくとも前半と同じくらいの面白さなのだろうかと思うと、少し熱が冷め、無限にも思えた書物の世界が、急に閉じられたものに感じられてくる。人生も同じかもしれない。年齢的に、ぼくは人生という名の書物の折り返し地点を迎えたのかもしれないと感じているのだ。

昔、新井英一さんのライブを観ていて、新井さんが「人生は四十を過ぎてから、本当に大切なことが見えてくる」みたいなことを歌の合間に言っていたことがあった。そのときまだ二十代だった自分は、そんなもんかな、と思った。正直、年齢で区切ることに何の意味があるのか、若い人には大事なことが見えてないのか、などとちょっと心の中で反発したりもした。でも、その一言がなぜかずっと心に残っていて、たまに蘇ってきては、特に最近、ああ新井さんがおっしゃっていたのは、こういうことなのか、としみじみと思ってしまう。「今日が人生最後の日だったら何をするか?」という問いにも似て、人間、先が見えたとき、初めて人生にとって本当に大切なことは何か、何をしたいのか、ということが見えてくるのではないかと思う。どんな人も、死には逆らえない。自分だけでなく、誰しもがはかなくも消えていく運命にあることを悟ったとき、人の世が違った形で見てくるような気がする。ひょっとしたら、優しさだって、変わってくるかもしれない。皆いつか死ぬ、と思えば、たいていのことは許せるような気もするからだ(実際はそう簡単に悟りきれないのだけれど)。

ただし、決して、死のネガティブな面だけにとらわれたくはない。有限だとわかっているからこそ、できることがあり、今日しかないとわかっているからこそ、一歩踏み出せることがある。腹をすえて、そして人生を楽しみながら、仕事であれ、日常を生きることであれ、確かなものとして味わっていきたいと思うのだ。そうして、人生を引いた目でみる視点、有限なものとして捉える感覚は、きっと翻訳者にとって有用なものに違いない。結局のところ、書物が人生を扱っていることには違いがないはずだから。

限りなく末席に近いブルー

2007年12月11日 23時34分52秒 | ちょっとオモロイ
昨夜は『2007年 ノンフィクション出版翻訳忘年会』に参加させていただいた。翻訳出版に携わる、出版社、エージェント、翻訳者が一堂に会するという会で、毎年、百名を越える規模の参加者でにぎわうのだという。同志である花塚恵氏からの紹介でこの会のことを知ったわたしは、矢も盾もたまらず参加を申し込ませていただき、この日を一日千秋の思いで待ちわびていたのである。翻訳者の参加資格は、訳書があることなので、わたしもかろうじてその条件は満たしているものの、ピンキリでいえばどこまでもキリに近い身であり、限りなく末席に近い参加者としての憂鬱を感じつつも、そしてそれは十分に承知していたのではあるけれど、会場の飯田橋の出版会館について、パンフレットをもらって参加者の方々のお名前を拝見したとたん、予想はしていたとはいえ、「錚々たる」としかいいようのない顔ぶれがその場にいらっしゃることを知り、場違いなところに来てしまったと、己の身の程の知らなさにあわてふためいて冷や汗が滝のように流れてきた。夏目大さん、保科京子さん、花塚恵さんという夏目組のいつもの面々の姿を発見して、安心して少し息を吹き返すのだが、開会の挨拶、乾杯が始まるころには、これから二時間半、誰と何を話せばよいのか、と緊張と不安が入り混じり意識が朦朧としてきたのではあるが、ここは意を決して当たって砕けねばならないということで、まずは夏目さんと二人で軽くバイキングの料理をつまんでから、御大の山岡洋一さんに挨拶をするところから始めてみた。心境的には、敵陣を突っ切っていきなり大将の首を狙ったという想いであった(普通に挨拶しただけですが)。

山岡さんに誠実にお相手していただき恐縮の至りである。そして、その後はとにかくたくさんの方とお話しなければ、というのでちょっとKYな自分を感じつつもいろいろな人に声をかけてみる。みなさん魅力的な方ばかりで、名刺を交換し、自己紹介をしているあいだにあっという間に時は過ぎ、気がついたら40枚もの名刺を手にしていた。翻訳者の方に話しかけると、「わたし、翻訳者ですけど」と断りを入れてくださる方が多かった。やはり、翻訳者たるもの、編集者の方と話をしなければ駄目よ、という常識があることを強く実感する。でもわたしは同じ翻訳者のはしくれとして、やはり翻訳者の方ともいろいろとお話をしたい。だからつい声をかけてしまうのであった。だって、考えてみて欲しい。街を歩いていて、たまたま声をかけた相手が翻訳者だった、なんて可能性はゼロに等しい(声なんかかけたことありませんが)。あるいは隣の家の人が翻訳出版の編集者だっていうことも、奇跡に近い。普段、なかなか同業者と出会うことはできないのである。それが、この会場では、石を投げれば出版翻訳関係者に当たる(というか全員がそう)、というとうてい日常生活では考えられない異常な空間が現前しているのである。緊張しているとは書いたが、それでもこんな夢みたいな空間はない。全員に話をすることは無理だけれども、一人でも多く、という気持ちで話を続けた。コンピュータでいえば、バッチ処理、つまり一気に挨拶をする、ということで、The Batch Guy、つまり「バチガイ」な男としての行動を開始したのである。

ともかく、自分などは足元にもおよばないキャリアの方にも向こう見ずに話しかけてしまったのであるが、皆さん本当に腰が低く、無知なわたしに話を合わせていただいてくれて、申し訳ないやら情けないやらで、ぜったいにもっといろいろと勉強して、先輩方の訳書もたくさん読んで、その感想を、来年は(もし参加が許されたら)ここで話したい、と強く感じた次第。それから、ノンフィクションの忘年会、ということだったのだけれども、意外とフィクションをやっておられる方も多くて驚く。フィクション修行をしている身としては、こうして実際にどちらもこなされている方とお話できて、とても勉強になったし、目標を再確認することができた。それから、一応わたしのこれまでの訳書は、IT系だったので、IT系の人ですか~、などといわれたのであるが、まあそれは一応事実なのですが、専門があるといいですね~、と結構な数の方にいわれた。わたしはITに限らずなんでもやってみたいのではあるが、やはり専門を持つというのは翻訳業界のセオリーでもあるから、自分の売り、というかやりたいことをもっと明確にせねば、と思った。でも、実は専門は「活字」であり雑多な本の虫であることが一番居心地がよく、そしてご謙遜されて「私には専門がなくて」とおっしゃるかたほど、実は多様性を持っていらっしゃるのでは、と思うし、自分もそうありたいと思ったりする。それから、ちなみに、名刺にこのブログのタイトルとURLを載せてみたのであるが、ふざけたタイトルだけにやはり失笑を買ってしまった。いただいた名刺で、ご自身のブログやウェブサイトのことを宣伝していらっしゃるかたはほとんどおらず、そいうものかと思う。でも、まあ、いいだろう。

そんなこんなで夢のような時間は過ぎ去り、閉会。さらに、スタッフとして会の開催に尽力された皆様を中心とする二次会にまでずうずうしくも参加させていただくことに。目の前には山岡さんと井口耕二さんという両巨匠が。すごいツーショットであり、テーブルの向こうがはるかエベレストのように感じられ、それにひきかえわたしはなんだろう、公園の砂山のようでありなんともいたたまれないのであるが、せっかくの機会なのでありがたくお話を聞かせていただくことにする。井口さんの学生時代のスケートの話に引き込まれ、ひとつことに徹底的に強烈に打ち込んだ人だからこそ、舞台を変えて翻訳の世界でもこうして大活躍されているのだ、と思ったり、山岡さんの「人がわからないことを訳せと頼まれることが翻訳者としての歓び」というお話を、まるで講演会にきたような気持ちで聞き入る。

ともかく、本当に有意義な一日を過ごさせていただいたことに感謝。スタッフの皆様に、心からお礼を申し上げたい。ありがとうございました。この出会いを大切にして、来年一年、また新たな気持ちでがんばりたいと強く心に誓ったのであった。

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吉祥寺のロフトで、「ほぼ日手帳」を購入。来年はこの手帳に情報を一元化しよう!

『斜陽』太宰治
『中年族の反乱』田原総一朗
『武士の紋章』池波正太郎
『東京の血はどおーんと騒ぐ』栗本慎一郎
『ルパン傑作集 813』モーリス・ルブラン著/堀口大學訳
『我輩は施主である』赤瀬川源平
吉祥寺のよみた屋で6冊。






やらんのか!

2007年12月09日 23時46分22秒 | 翻訳について
今年の流行語大賞は、「どげんかせんといかん」と「ハニカミ王子」。どっちも釈然としない。どげんかせんといかんなんて特に流行ってた記憶はないし、ハニカミ王子だってハンカチ王子の二番煎じだし。そもそも、「流行語」大賞というネーミングと実情が合致していない。「流行したもの」大賞にすればなんとなく納得できるけど、でもそれじゃ賞のインパクトがないんでしょうね。

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興味がない人はまったく知らないと思うんだけど、今年の大晦日に、「やれんのか!」っていうタイトルで格闘技イベントが開催される。今は消滅してしまったPRIDEの母体となっていた関係者や選手が、一夜限りで復活するというもので、格闘技ファンの自分としてはとても楽しみにしているのだけど、この「やれんのか!」のことを、ヨメが「『やらんのか!』ってなに?」と聞いてきた。

関西では、「やれんのか」とは言わないから、関西人の彼女の脳内で自然と「やらんのか」に変換されてしまったのだろうけども、「やれんのか!」と「やらんのか!」では微妙にニュアンスが違う。意味的には「やれんのか!」は「お前は本当にそれができるのか?」であり、「やらんのか!」は、「お前はそれをやるのか、やらないのか?」となり、語尾下がりで発音すれば、「何や、やると思っていたのに、やらへんのか」という風にもとれる。

こうしたごくわずかなニュアンスの取り違いというのは、実は、翻訳をしていると多発してしまうものである。原文の細かなニュアンスが取れないことも多々あるし、日本語の表現のところで微妙に意味合いが変わってしまうことがある。たった一文字の違い、前置詞の違い、単数形と複数形の違いが、訳文に大きな差となって現れてしまうのだ。これは怖い。本当に怖い。ヒョードルの氷の拳のように怖い。

アントニオ猪木が、藤波辰巳の頬を張る。猪木は叫ぶ。「やれんのか!お前に!」。藤波は猪木の頬を張り返す。やるよ、やれるとも。常にトップに君臨してきた猪木を、いつかは越えなくてはならない。いつまでも脇役じゃない。それが藤波の決意だった。「やりますよ」といいながら、突然自らの前髪をハサミで切りだしたあのときの藤波には、鬼気迫るものがあった。「やれんのか!」という言葉を聴くと、二十年前のこの飛龍革命のことを思い出す(プロレスファンにしかわからないセンチメンタリズムに一人酔う)。

ともかく、こういうちょっとしたニュアンスの違いには、きをつけなくてはならん。やらんのか!、でも、やれんのんかい!、でも、やらへんのか!、でも、やるのんけ?、でも、やったろか!、でもなく、「やれんのか!」。張られたビンタは張り返すだけの気力で、大晦日までやったるぜ!

蘇る勤労

2007年12月09日 00時20分02秒 | ちょっとシリアス
父は今、定年退職して自営業をしているのだが、会社員だった頃、住んでいた滋賀県から会社のある奈良県まで通っていた時期があって、いつも朝5時前には起きていた。

血液型がA型の彼の朝は、いつも判で押したように同じだった。まず風呂に入る。冬場は台所のガスの火をつけっぱなしにして暖をとり、簡単な朝食の支度をして、日経新聞の折り目のところを一枚一枚カッターで切り離していく。新聞を真っ二つに切るのは、通勤電車のなかで、隣の人の邪魔にならないように折り返して読めるようにするためだ。朝になると、ツーッ、ツーッというカッターの音が聞こえてくる。前日どんなに遅く帰っても目覚ましが鳴ると一発で起床し、同じ行為を繰り返している父を見て、すごいな、といつも思っていた。寝坊や遅刻をしたことはほとんどいっていいほどない人だった。

銀行員だった父は転勤が多く、そのために僕たち家族も転勤を繰り返していたのだけど、あるとき、家から本当に近いところにある支店に転勤になった。当然、奈良時代のように極端な早起きは必要なくなった。それでも父は、6時には起きウォーキングをしたりして、やはり朝のパターン化された儀式というものを自分なりに作って、一日の始まりを楽しんでいたような気がする。

僕をふくめ、何人もの人から「通勤が短くなって楽になったでしょう?」といわれたのだというが、父はその問いかけに対して、決まってこう反論した。「1日は24時間しかないのだから、何も変わらない。通勤時間が短くなったからといって、自分に与えられた時間が増えたわけではない」。つまり、彼の論理では、電車に乗っている時間が減ったといっても、プラスマイナスをすれば自分に与えられた時間には何も変化がない、ということなのである。僕は、そういうことじゃなくって、体が楽になったでしょ、とか朝をゆっくり過ごせるでしょ、とかそいういう意味なんだよ、というのだが、父は頑として自説を曲げない。元気だった父には、早朝にパッと早起きして、すいている電車で新聞を読むのがなかなか充実した時間だったのかもしれないから、それが本音だったのだろう。

ここしばらく、僕も僕なりに忙しい毎日を過ごしていた。朝に一仕事をし、ランニングをして、会社に行って働く。昼休みや電車の中も勉強や読書(いちおう、読書は半分仕事だと考えている)をして、仕事が終わると夜は資料の仕入れ(ブックオフ)をしたり、家に帰って一仕事することもある。出さなくてはならない課題もあるし、宿題もあるし、学校にも通っている。いろいろやっているわりには、何も身についていない気はするけれど。

そうした忙しい時間を過ごしているとき、結局一日は24時間しかないんだ、という父の哲学をよく思い出す。忙しいも忙しくないも、何のことはない。誰にも同じように与えられている24時間を生きているだけなのだ。

最近、鏡を見ると自分の姿が父親に似てきたな、と感じることが多い。自分が子供の頃に見ていた父親の姿と、鏡に映った自分の姿が被る。年齢を計算して、今の僕は、僕が何歳だったころの父親と同じ年だな、と確認しては、その頃の父親の姿を思い浮かべている。そうすると、当時、子供だった自分にはなかなか理解できなかった父親の内面が、なんとなく分かったような気がしてくるのだ。

ちゃらんぽらんで雑(血液型もO)な性格に生まれついたと思っていた僕ではあるが、実は、最近だんだん勤勉になりつつあるのかもしれない、と感じている。翻訳という目標を見つけたから? そうかもしれない。でも、はっきりとした理由はわからないが、おそらく、いや間違いなく、父親の血が自分のなかで呼び覚まされていることを感じるのだ。

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駅前のブックアイランドで7冊

『サッカーの敵』サイモン・クーパー著/柳下殻一郎訳
『源にふれろ』ケム・ナン著/大久保寛訳
『味な宿に泊まりたい』山本益博
『古本屋探偵登場』紀田順一郎
『誰のために愛するか』曾野綾子
『あきらめない人生』瀬戸内寂聴
『珠玉』開高健

プリンテッド・ウォークマン

2007年12月08日 01時55分18秒 | Weblog

って、何のこと? そう、これはかの浅田彰氏の造語。彼一流の比ゆを使って、「文庫本」のことを指してこう表現したというわけ。すごい。さすがだ。彼にかかれば、文庫本は単なる本ではなくなる。プリンテッド・ウォークマンときた。氏がこの言葉を発明したのは、かれこれ10年前のこと。それ以来、すっかりこの言葉が気に入った弟と僕は、折りに触れて文庫本のことをそう呼んでは、ニヤリとしている。

それにしても、いいね。この言葉。ウォークマンもいいけど、本もすごいってことを、あの音楽好きの浅田さんが、あえていう。サッカーのことを、貧乏人のオペラいうけど、サッカーファンはそれをほめ言葉だと思うんじゃないか。オペラも面白いけど、サッカーも面白いから。それと同じ。ウォークマン(死語)もいいけど、文庫本もいい。

冬のよいところは、コートのポケットに、プリンテッド・ウォークマンをしのばせておくことができること。夏にはこうはいかない。このウォークマンには、充電をしなくてもいい。電車のなかで、トイレのなかで、道を歩きながら、昼食をたべながら、家に帰っても、いつでもポケットから取り出して、続きを読むことができる。

朝、どの服を来ていこうかと迷うことはあまりないけれど、文庫本を選ぶときには、やたらと思い悩んでしまうことがある。出発時間まぎわに、その日の気分に合わせて一冊を選ぶ。ちょっとした占い、ちょっとした賭けにも似ている。心に決めた一冊をひったくって、ポケットに詰め込む。電車のなかで、それを読む。いつもの日常が始まる。一日中、ぼくはその本と一緒にいる。友達と話をする。彼女と話をする。上司と話をする。ぼくの口は勝手にうごいてちゃんと会話をしている。でも、ポケットに入れた手が、無意識にPDをまさぐっている。しゃべってるのはこっちの世界。指が感じているのはあっちの世界。二つの世界の融合だ。

そうやって、いったい何百冊の本を読んできたことだろう。歩き、座り、考え、人と合い、コーヒーを飲み、しゃべり、議論し、ビールを飲み、働き、書き、そして読む。どこにだって、一冊の本を連れて行く。何をしていても、次に続きのページを開くときのことをこころのどこかで考えている。文庫本は、ビートニクス。ぼくと世界をつなぐ、不思議な扉なのだ。

I'm nobody

2007年12月06日 23時49分05秒 | 翻訳について
人間にはマシーンの部分とアニマルの部分とアーティストの部分があるといったのは村上龍さんだが、翻訳をしているときに、よく同じようなことを考える。

原文のテクストのなかには、たとえば数字だとか、地名だとか、製品名だとか、ほとんど機械的な置き換えを求められる部分がある。そういうとき、訳者は無色透明な存在=Nobodyとなる。そこでは、何十年のベテランであっても、本日開店の新人であっても、そんなの関係ない。同じように、文字通りマシーンと化して目の前の情報を置き換える。

それでいて、マシーンのように簡単にできるか、というと実はそう簡単でもなく、集中力とか、調べものをする根気だとか、体力だとか、そういう翻訳筋力が求められる、とってもアスレチックな世界がそこにはある。小手先の技の通じない、恣意性の入り込む余地のない、厳然としたファクトの世界。

ファクトをファクトとして置き換えること。正しく調べれば誰でも同じ答えを導けるところ。マシーンとして、Nobodyとして訳す。実は翻訳をしていると、そういう球がたくさん飛んでくる。いやというほどに。テニスでいえば、延々と続くラリー。スマッシュを打たれたわけではないが、確実に来た球を打ち返さなくてはならない。気を抜いたらだめ。同じフォームで、何度も何度も同じ場所に球を打ち返す。

心のどこかでSomebodyなつもりの自分を抱えていても、こうした「マシーンな」場面では、繊細なアーティストとしての技を出すことはできない。直感に従った、大胆なアニマルになることもできない。

訳しているときは、一つのセンテンスの中ですら、マシーンになったり、アーティストになったり、アニマルになったりする。表現力を磨き、言葉を尽くして読む人に原文の意味を伝えようとすることが翻訳であると言えるが、けっしてマシーンの部分をおろそかにしてはいけない、と思うのだ。ファクトをファクトとしてマシーンのように安定して打ち返す力があるからこそ、ときおり繰り出す華麗な技もいっそう輝きを増すはずなのだ。

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昨日は前の会社の人たちとの飲み会に誘われ、楽しい夜をすごす。
帰宅が午前様になり、ブログをパスしてしまいました。面目ない。

『われ笑う、ゆえにわれあり』土屋賢二
『コーラ戦争に勝った!』R.エンリコ、J.コーンブルース著/常盤新平訳
『湾岸線に陽は昇る』ドリアン助川
『木に会う』高田宏
荻窪店で4冊

からかい半分

2007年12月04日 23時03分47秒 | ちょっとオモロイ
深夜二時。電話口で、さっきから三十分以上、ひたすら謝り続けている。
「ごめん、本当にごめん。そんなつもりじゃなかった。悪かった。もうし訳ない」
今から十年以上前のことだ。彼女、つまり僕が話していた相手は、大学のサークルの仲間だった。

当時、京都のとある大学の学生で、映画研究会に所属していた僕たちは、そのとき制作していた八ミリ映画について毎日のように連絡を取り合い、撮影スケジュールの打ち合わせをしたり、新しいシーンのアイデアを練ったりしていた。僕が監督で脚本を書き、彼女が助監督。なかなかの名コンビだった。

映画のあらすじは、こうだった。人間の記憶を操作するという研究に取りつかれたマッドサイエンティストが、ある男の記憶を入れ替え、まったくの別人を恋人だと思わせてしまう。ところが、男は彼女に振られたばかり。別れの悲しさに打ちひしがれながらも、心を整理し「偽の」彼女に最後の別れを告げにいくが、偽の彼女にはなんのことかさっぱりわからず、しかしやがて真相が明らかになり…ついに博士との対決というクライマックスを迎えて…とこれだけではどんな話かまったくわからないだろうが、ともかくなんともハチャメチャなストーリーで、でもコメディタッチななかにもちょっとしんみりとさせるシーンもあったりして、撮影は快調。手ごたえ十分。素人の自己満足の世界であるが、若さもあって、とにかく大きな盛り上がりを見せていたのだった。

打ち合わせという目的はあるものの、撮影中に次から次へと起こる面白おかしい出来事を話題にしていると、彼女とはいくらしゃべっても時間が足りなかった。僕の話の内容の七割は冗談だったような気がする。だから、たぶん何気なくいったその一言が、これほどまでに彼女にショックを与えるなんて、まったく予想外の展開だった。彼女は、ずっと沈黙したまま、一言もしゃべってくれないのだ。

告白すれば、実は、そのとき何を口走ったのか、まったく覚えていない。覚えてはいないが、からかい半分で何か言ってしまったことが、こんなにも人を傷つけてしまうということが、今でも忘れられないのだ。覚えていないくらいだから、おそらくそれほどたいしたことは言っていないはずだった。たわいもない冗談。少なくともそうだったのだと思いたい。なのに、なぜ?

彼女は、電話の向こう側にいて、黙ったまま何もしゃべってくれない。泣いているのだろうか。かすかな息づかいさえ、僕の耳には聞こえているのかいないのかわからない。

ショックを受けると、呼吸をするのもやめたかのように、沈黙してしまう。彼女にはきっとそんなデリケートなところがあって、きっと何かの拍子でそんな状態に陥ってしまうのだろう。それはなんとなく直感でわかった。それだけに、軽はずみな一言で地雷を踏んでしまった自分のことが悔やまれた。僕はただ、ひたすらに謝り続けた。もうとりかえしがつかないかもしれない。そんな気持ちになりながらも、どうすればこの場を切り抜けられるのかを必死に考えた。これまでの二人の関係が、こんなことで崩れていいのか。ありとあらゆる話をして、彼女を「こちら側」に呼び戻さなければ。

どれくらい時間がたったのだろう。ふとこう思った。このままいくら謝り続けても、もうこの場を収めることはできないだろう。ここは受話器を切って、明日また謝ればいい。勇気を出して、電話を切ることを次げ、最後にもう一度詫びを入れると、ぼくは受話器を置いた。


翌日、恐る恐る彼女の家に電話してみた。意外なほど明るい声で彼女が出た。拍子抜けすると同時に、すこしだけほっとする。一夜明けて、落ち着きを取り戻したのだろうか。
「昨日は、本当にごめん」
「え? なんのこと? そういば、電話、途中で切れたよね」
「……切れたって、いつ?」
「普通に話してたら突然切れたでしょ。そのあと何度もかけなおしたけど話中だったから」
「……」

つまり、沈黙していたのは彼女ではなく、電話線の方だったということらしい。何かの拍子で突然通信が切断され、無音と化した受話器に向かって、昨夜の僕はずっと謝り続けていたというわけだ。そんなわけで、この件は一転してすっかり笑い話になってしまった。そうこうしているうちに、映画も完成し、内輪での上映会も大盛況に終わった。この逸話は、映画作りの楽しい思い出の一つとして今でも心に残っている。あまりにも間抜けな自分の伝説がまた一つ増えたというだけではなく、口は災いのもと、ということわざをあのときほど実感したときはなかったという意味で、いまでも忘れられないのである。

ただ、たまにふと想像してしまうことがある。彼女、本当はやっぱりあのとき沈黙していたのではないだろうか…。まさかとはとは思うが、ついそんなことを考えては、背筋をぞっとさせてしまうのだ。
それにしても、あのとき、僕は彼女になんて言ったのだろうか?

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FアカデミーでSさんの授業。
今日のエントリは、S先生の授業で提出したエッセイを掲載してみました。
駅前のブックアイランドで5冊。

『深い河』遠藤周作
『若き実力者たち』沢木耕太郎
『図書館の親子』ジェフ・アボット著/佐藤耕士訳
『図書館の美女』ジェフ・アボット著/佐藤耕士訳
『図書館の死体』ジェフ・アボット著/佐藤耕士訳



What’s KONARETA YAKU?

2007年12月03日 23時32分11秒 | ちょっとオモロイ
問1. 次の○の部分を、適当な語で埋めよ(5点)

「○○○た訳」(3文字)

という問題を出されたら、なんと答えますか?

「ふざけた訳」、「たいした訳」、「いかした訳」、「たまげた訳」、「やました訳」(山下さんが訳した)、などなど、挙げだしたらきりがないのですが、おそらく、クイズ100人に聞きました方式でアンケートをとった場合、かなり上位に食い込むであろうのが、「こなれた訳」ではないかと思います。

それくらい、「こなれた訳」というのは翻訳を評価するときによく使われる言葉だと思います。もちろん、これはほめ言葉です。「こなれた訳」というのは、ありていに言えば、「上手い訳」、「素人くさくない訳」、と同義だと考えてよいでしょう。いわゆる意訳をして、それなりの日本語で訳文が作られていると、「この訳、こなれてるね~」という科白が、つい口をついて出てきます。依頼元から、「ヘンにこなれた訳にしなくてよいので、原文に忠実な訳にしてください」などというリクエストをされることもあります。言わんとするところはよくわかりますが、なんとも抽象的な表現ではあります。

でも、ちょっと待ってください。そもそも、「こなれた」ってなんなのでしょうか? みんな、同じものを指して「こなれる」って言っているのでしょうか? 良く考えてみたら、だれも「こなれる」を目で見た人はいないはずです。なのに、なぜか誰しもがなんとなく「こなれる」を使っているのです。

小慣れること? でも、この接頭の「小」は何? なぜ、「慣れた訳」ではなく、「こ」慣れなくてはならないのでしょうか。小ざかしいというか、小馬鹿にしているというか、なんだか、「小洒落た訳」といわれているみたいな気もして、おふざけ半分な背筋の伸びきらなさを感じるのはわたしだけでしょうか? そもそも、なぜ「こなれた訳」があるのに、「ちゅうなれた訳」とか、「おおなれした訳」とうものがないのでしょう? 

それとも、「こなれた」というのは、よく「こねられた」訳、という意味なのでしょうか? それとも、「粉になった」つまり粉になるまで細かく打ち砕いたという意味なのでしょうか?(ちょっと苦しい) はたまた、誰かが、「この訳、世慣れてるな」といったのを、他の誰かが聞き間違えたのでしょうか? あるいは、誰かが「この訳、手だれてるな」といったのを、他の誰かが空耳ったのでしょうか。ひょっとしたら、言語学者のコーナー・レッター博士(Corner Retter)が、よい訳の定義をしたところから、それがいつのまにか「コナレタ訳」といわれるようになったのかもしれません。

というわけで、気になっていろいろと調べてみたことがあるのですが、実は「こなれた」の正体は、「熟れた」が正解のようです。つまり、熟(じゅく)している訳。「熟れた」と書いて、「こなれた」と読むのです(「うれた」とも読みますが、「うれた訳」とは言いませんよね。熟れたの後には、どちらかというと色っぽい名詞が続きますよね。言語学の研究のためにあえて例を挙げますが、たとえば「熟れた人妻」とか「熟れた女教師」とか。でも「こなれた女教師」とはいいませんね。まあ、それはそれでなんともいろんなことを想像してしまいますね)。

ともかく、「こなれた訳」の正体は「熟れた訳」であり、意味としては、わたしの思うところ、熟成された訳、手練手管な訳、達意の訳、というあたりではないでしょうか。おそらくは、けっこう「小慣れた訳」と勘違いされていることが多いと思うので、いろいろと誤解を招くことがある言葉ではありますが、というわけで「こなれた」は、決して、「小慣れた訳」でも「粉れた訳」でも「世慣れた訳」でも「子洒落た訳」でも「こねられた訳」でも「コーナー・レッター博士が定義した訳」でも、「熟れた女教師の訳」でもありませんので、翻訳に携わる皆様方には、くれぐれもお間違えのないよう!

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荻窪店で10冊。
『Ricochet』Sandra Brown
『The Summons』John Grisham
『Playing House』Patricia Pearson
『Ashes to Ashes』Tami Hoag
『昭和原人』諸井薫
『東京育ち』諸井薫
『男女の機微』諸井薫
『父よ!』諸井薫
『R25的ブックナビ』R25編集部
『診療所にきた赤ずきん』大平健

今朝、いつも通りがかる、猫がたくさんたむろする公園で、一匹の白猫が冷たくなって横たわっていた。天国にいった小さな命に合掌。やすらかに眠れ、猫よ。

何をやっても同じ人

2007年12月02日 22時38分37秒 | 翻訳について
どんな役をやっても、観ている側には同じ人物像しか浮かんでこない俳優というものがいる。観る側の主観が思いっきり入っていることを差し引かなくてはならないが。そういう役者を見るたび、「この人何やっても同じだな」とテレビに突っ込みを入れてしまう親父な私である。もちろん、それはある意味ほめ言葉でもある。それだけ個性的なものを持っているのだし、演技が安定しているということもできるからだ。だが、どんなに役柄が変わっていても、どんなに演技のスタイルを変えたとしても、どんなに髪型や衣装を変えても、どうみても同じ人物にしか見えない役者というのは、なんとも味気ない。フィクションのリアリティーが軽くなるのである。

逆に、作品によって同じ役者に思えないほどイメージが変わる俳優もいる。監督によって作品というのは大きく変わるし、年月によって、役者自身の肉体や精神にも物理的な変容が発生することもあるだろう。しかし、そういう環境因子が多数あることは前提としても、まるっきり別人になってしまえる役者というのは、やっぱり才能があるのだと思う。あるいは、人間として元々多面的で多層的な心理を抱えているのではないかと思う。だからこそ、状況に応じて様々なペルソナを使い分ける術を心得ているに違いない。やはり役者たるもの、そういう内面を感じさせてくれる人に僕は魅力を感じる。

翻訳者も同じだろう、訳す対象によって、文体を変え、トーンを変え、語の選び方を変える。条件は多様に変化する。マニュアルなのか、ホワイトペーパーなのか、プレゼン資料なのか、雑誌記事なのか、フィクションなのか、ノンフィクションなのか、堅めのほうがよいのか、やわらかめのほうがよいのか、などなど。

これらはあくまでも外部的な要因である。でも、訳者自身だっていつも「同じ自分」ではない。調子がよいとき悪いとき、覚醒しているとき眠たいとき、時間があるときないとき、原文に興味があるときないとき、お金をたくさんもらえるときともらえないとき、気持ちがハイのときと落ち込んでいるとき、最近読んだ本の文体に影響されているときとされてないとき、551の蓬莱があるときないとき、などなど、数え上げればきりがない。そして、こうした状態の変化により、生まれてくる訳文にも様々な変化が発生すると思うのだ。

所詮同じ一人の人間。どんな文章を書いても、抜けきらないクセやリズムのようなものはあるだろう。しかし、訳者は役者、という。毎回様々な役割を求められるのなら、その都度、いい意味で期待を裏切れるような文章を作れればよいと思う。たとえば、同じ人が訳した二つの異なった文を見比べて、とても同じ人がやったものと思えない、と誰かが感じたとすれば、そしてそれが、それぞれ求められる仕事の条件に適して「意図的」に作られた訳文であるならば、その訳者には芸がある。仕事によって、自分と言う色を消し、役の色に染まることができているからだ。

自分の場合はどちらかというと芸が安定していないがために、仕事によってムラが出てしまっていて、結果的に別人化することがあるかもしれない、というのが現状である。ともかく、様々な文章に挑戦することで訳者としての幅を広げられればいいと思う。だから、安定した型を作ることも大切だが、それでマンネリ化してしまわないように、絶えず新しい何かを探して生きたいとも考えている。そうしなければ、成長の余地が少なくなってしまうと思うからだ。

24時間コンバーター

2007年12月01日 23時56分02秒 | 翻訳について
「24時間仕事のことを考える」のは、実はそれほど難しいことではないと思う。仕事に限らず、趣味のことでも、恋わずらいでも、何か気になることがあれば、四六時中ずっとそれが頭から離れない。人間、誰しもがそんな経験をしていると思う。

インドのヨガの行者で、何年間もずっと右手を上げつつけている人がいる、という話を聞いたことがある。起きている間中、ずっと何かについて考え続けること、それは求道の精神にも似ている。目に映るすべて、体験するすべてを自分の仕事に結びつけて考えれば、新たなヒントを得ることができる。お寿司屋さんに入っても、コンビニで買い物をしても、そこでの人の仕事ぶりから学ぶことはたくさんある。業界こそ違えども、仕事は仕事。共通点はたくさんあるし、同じ職業人として、自分はここまでの仕事をしているだろうか、と考えされられることも多い。

ただ、仕事のことばかり考えているのが無条件によいことだとは思わない。オンとオフを切り替えて仕事をしている人の方がメリハリの利いた、集中した仕事をしていると感じることもあるし、人生にとって大事なことは仕事以外にもたくさんあるのだから、あくまで仕事は仕事と割り切って自分の役割をまっとうするという考えにも激しく同意できる。そして、そういう考え方は、得てしてよい仕事を生む可能性も高い。

ただ、僕の場合は仕事以外にこれといった趣味もなく、ほかにすることもないので、ついつい翻訳のことばかり考えてしまう。昔から、これ、と思ったことをやり始めると、それ以外のことができなくなってしまうタイプなのだ。僕には、夢=仕事=人生、みたいなスポ根的な発想しかできないのかもしれない。

で、最近、問題に感じていることがある。それは、「24時間翻訳のことを考えている」ことはできているかもしれないが、「24時間翻訳している」ことができていないということだ。理想的には、英語を聞いたり読んだりしているときは、心の中で常にそれを日本語に訳し、逆に日本語を使っているときは、頭の片隅で英語に変換していたいと考えている。が、なかなかそれが実現できていないのだ。

一流の通訳者の仕事を見ていると、この人は24時間コンバーターではないか、と思う。常日ごろ絶えず日英/英日の変換作業をしていなければ、いざ本番でこんなにスラスラ言葉が出てくるわけがない。一流の翻訳者の仕事に触れると、まるでその人がはじめて原書を読んだときの読解が、そのまま日本語になって現れているように思えることもある。この人は、まるで英語を日本語のように読んでいて、おそらくこの訳書はそのときの様子を正確に模写したものに違いない、という風に感じてしまうのである。

というわけで、少しずつ、年中無休コンバーターとしての自分、歩く翻訳ソフトとしての自分を開発中なのである。
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8時起床。通訳学校の予習、そのほかの活動、ジョギング(柴と猫には会えず)、通訳学校、吉祥寺でヨメとインドカレー、眼鏡を購入。

吉祥寺のブックス・ルーエで、
『生きる歓び』保坂和志
を購入。この書店、BGMがすべてビートルズなんですよね。
思わず長居しちゃいます。