イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その30

2009年09月30日 22時31分59秒 | 旅行記
旅先3日目の朝――徐々にその土地のリズムに慣れ、いつもと違う場所にいることへの戸惑いが少しずつ収まりを見せ始める頃だ。目覚めたときに、ここが自宅ではなく清君の家であるということを昨日よりはすんなりと理解できた。それでも、窓の外に映るどんよりとした曇り空を眺めながら、この1日半の間に遭遇したあまりにも多くの出来事のことを、半ば信じられない気持ちであらためて思い返したりもした。リビングには清君、靖子さんがいる気配がするし、かぺ君もマキちゃんもエイコちゃんもみんなも、ここ浜田にいて、同じように朝を迎えているのだ。それが不思議でならない。

それと同時に、早くも旅の日程の半分が過ぎ去ってしまったことにふと気づいて、少しだけ寂しさを感じてしまったりもする。清君とは今晩も一緒にエイコちゃんの家でバーベキュー大会を楽しめるけど、靖子さんとはもう少しでお別れなのだ。3泊4日って、あまりにもあっけない。明日の昼過ぎにはバスで浜田を去る予定だから、明日の今頃はもっと痛切に旅の終わりを感じていることだろう。だけど今日は、来るべきラストシーンをひとまず忘れて浜田をもっと体験することができるはずだ。

おはようございます、と言いながらリビングルームに入ると、清君と靖子さんが笑顔で挨拶してくれた。土曜日の朝は、幸せな夫婦にとってもっともくつろげる時間帯なのかもしれない。靖子さんが用意してくれている朝食のよい香りがする。暖かい部屋の空気を心地よく感じながら、新聞を広げテレビのニュースに見入っていた清君に昨日の出来事を報告する。デジカメで撮った学校の写真を見て貰い、先生の様子を伝えた。先生からいただいた茶碗も披露した。清君も景山先生を思う気持ちは僕と同じだし、校舎の内部の写真にも目を輝かせてくれた。靖子さんも同じ教師として興味深く僕が語る先生の話に耳を傾けてくれた。

清君夫妻はゴルフが共通の趣味で、テレビが伝える石川遼選手の試合の結果にとても関心を持っていた。かぺ君もコマッキーもゴルフが大好きだ。僕は一度もプレーしたことはなく、唯一、小学生の頃に『プロゴルファー猿』を熟読していたことくらいしかゴルフとは関わりを持たないのだけど、ふたりの話を聞いていると、とても面白そうだなあと思った。仕事と翻訳の勉強、ランニングでもういっぱいいっぱいだから、当面はゴルフを楽しむ時間もお金もない生活が続きそうだ。だけどもし僕が浜田に住んでいたら、きっとみんなと一緒にプレーしたいと思って始めていただろうな、と思う。きっとそれは、ものすごくいい人生だ。

靖子さんが作ったものすごく美味しそうな朝食を載せたお皿が、テーブルに並べられた。食べる前から満ち足りた気持ちになりそうなご馳走だ。一宿一飯の恩義は一生忘れられないというけれど、もう来世まで忘れられないくらいのおもてなしを受けている。美味しいご飯を食べ終わると、ちょっと近所を散歩しようということになった。ふたりがよく歩いている45分くらいのコースで、靖子さんはジョギングすることもあるらしい。ここに来る前、清君からは、よかったら家の周りを散歩したりジョギングしたりしましょうと提案されていたこともあり、ジョギングシューズを履いて来ていた僕は、喜んで一緒に歩かせて貰うことにした。

ふたりが住んでいるのは、美川という地名の山合の地域だ。地名の通り美しい大きな川がエリアの中心を流れていて、静かで落ち着きのある少数の家並みが豊かな自然に囲まれている。歩き始めてすぐに鮮やかな緑が目の前に広がり、濃い空気が全身に染み入ってくる。

ふたりについてゆっくりと歩を進めた。清君が歩きながらいろいろとこの土地の説明をしてくれる。同級生や同級生の家族の家もあり、ここは誰それ君、誰それさんの家だよ、という風に教えてくれた。靖子さんはここ美川で生まれ育ち、ご両親もすぐ近くに住んでいる。出身の小学校、中学校の前も通った。生まれ育った愛すべきふるさとに、こうして愛する人と住んでいる。彼女にとってこの土地はどれほど大きな意味を持ち、大きな愛を感じさせるものなのだろうか。身近なものを愛せることは素晴らしい。だからこそ、彼女自身もまた周囲から愛されているのだ。

清君と靖子さんは一度もケンカらしいケンカをしたことがないそうだ。お互いが譲り合い、相手の存在すべてを認め受け入れているからこそ可能なのだろう。夫婦間の諍いもたまにならお互いの関係を見つめ直すための妙薬になることもあるだろうけど、できれば不要なエゴのぶつかり合いは避けた方が賢明だ。友達だからこう書くのではない。真剣に、真面目に、僕はこのふたりから本当にいろんなことを学ばせてもらった。夫婦の、人間関係の、理想的なあり方のひとつの形をみた。ふたりに引き合わせてくれたのも、天の思し召しなのだろうかと思わざるを得なかった。

靖子さんの実家のお墓がコースの近くにあったので、そこに寄ることになった。清君が目を瞑り、神妙に手を合わせていた。彼の心に、大きくてまっすぐな強い芯のようなものがあるのを感じた。こんなにも近くに幸せがあり、暖かい家族がいる。だからこそそれを守りたいと思うのだろうし、こうして常にそれを願っているからこそ、幸せもまた彼の下を訪れてくれているのだ。

家に戻り、1時間ほどくつろいで過ごした後、時刻は11時過ぎだからまだ少し早いけど、お昼を食べに行こうということになった。今日は午後からはエイコちゃん、マキちゃん、由美ちゃんと軽くどこかに行き、夕方からはエイコちゃんの家でみんなが集まりバーベキューをしてそのままエイコちゃんの家に泊めてもらうことになっているから、清邸とはこれでお別れだ。短い間だったけど、本当にお世話になった。なんだかもう他人の家とは思えない。いっそ、ここに住みたい。カペ君がここで我が家のように寛いでいたわけがわかった。目の前に空き地があったので、とりあえずは一坪ほど購入して犬小屋ならぬイワシ小屋を建ててみようかと妄想してみた。畳一畳分のスペースがあれば、きっと生きていけるはずだ。

お出かけの時間になった。荷物をまとめたらなんだかちょっと寂しくなってしまったけど、また必ずふたりに会えることを信じて、靖子さんの運転する車に乗り込んだ。そうだ、わしの実家に寄っていこう。清君がそう言い、昔しょっちゅう遊びに行っていた彼の家に行くことになった。清君の実家はJRの線路の近くにあるので、浜田に着いた日の夜、スーパーおきの車窓からもその懐かしい姿を見ることができた。お父さんとお母さんに会うのも本当に久しぶりだ。緊張する。

車が止まり、小高い丘の上にある家を眺めた。かつて何度となく往復した家の前の階段を三人で上った。家の前の溝を見て、ここでザリガニ飼いよったろう、と清君が嬉しそうに笑った。突然の訪問だったけど、家に上がらせてもらって、お父さんお母さんに挨拶した。おふたりの姿を拝見したら、昔の記憶がたちまち蘇ってきた。元気で豪快なお父さんと、ものすごく優しくてしっかりとしたお母さんだった。おふたりとも変わっていない。僕のことも覚えてくれていた。僕の顔を見つめながら、昔のこっちゃんを思い出してくれているようだった。お父さん、その節はクワガタの角を送っていただいてありがとうございました、と言ったらお父さんが笑った。子供の時は気づかなかったけど、清君ととても似ている。明日は清君のお兄さん、清君、コマッキー、そしてかぺ君でゴルフをするとのこと。みんな幼なじみとこうやって今でも楽しく暮らしているのだ。靖子さんはご両親ととても仲がよさそうで、その様子がとても微笑ましかった。お茶とお菓子をいただき、楽しくおしゃべりをしてお別れした。短い時間だったけど、会えて本当によかった。お父さんお母さん、いつまでもお元気でいてください。

車の窓から見える浜田の町並みを見ながら、清君が浜田の今を語ってくれた。少子高齢化が進み、地元でなかなか職が見つからないこともあって、市の人口は昭和50年代当時の5万5千人から4万5千人に減った。公共事業関係の優良企業に勤める彼だから、そのあたりの人口動態にも詳しいのだ。そういえば、長浜小学校の職員室近くの廊下に飾られた歴代の卒業生の記念写真も、年々減少する生徒の数を如実に表していた。最近の卒業写真に映る六年生の数は、えっ?というくらい少ない。だがこの状況は浜田だけのものではない。右肩上がりの時代は終わった。経済が果てしなく成長を続け、すべては膨張し続けていくだろうという幻想を抱くこともなくなった。無限だと思われたものは実は有限で、ひょっとしたらすべての終わりすら非現実的な妄想とは言えないところまで、人類は来てしまった。それはちょうど、僕たちの世代の成長とも重なっている。豊かな自然と暖かい大人たちに囲まれて、疑うことなく明るい未来を信じることができた子供時代を終え、大人になって直面した現実は、かつて感じていたような絶対的なものではなかった。近くには越えてはならない臨界点がいくつもあり、その瀬戸際に立たされている未来を決めていくのは、自らの意志と行動にほかならない。

「どさんこ」でラーメンを食べようと清君が提案してくれたのだけど、店が混んでいたのであきらめて、別の店に行くことになった。そうだ、「再来軒」ちゅう、ちゃんぽんの美味しい店があるんよ、そこにしよう、と清君が言った。仕事場が今の場所に移転する前に、昼食時に足繁く通った店なのだそうだ。市街地の駐車場に車を停め、路地を歩いて店の前に着いた。清君が、この扉は「押す」ゆうて書いてあるけど引かんと入れんのよ、と言って笑った。そして「PUSH」と書いてあるのに「PULL」しないと開かない扉を引いて中に入った。多分、蝶番の調子がおかしくなってそうなっているのだと思うが、それをずっと放置しておく店もすごいし、それを普通に受け入れているお客さんたちもすごい。浜田スタイルの真髄とは、すべてをありのままに受け入れるLet it beの精神なのだ。

ちゃんぽんはとても美味しかった。二日前の夜は興奮していたけど、今日は少しだけ落ち着いて、自然とお互いの日々の暮らしについて訊ねたりしながら麺をすすった。お店の名前が「再来軒」っていうの、今回の再会を表しているような気もするし、また浜田に来いよってことなのかもしれないね。ちゃんぽんはご馳走してもらった。何から何までお世話になりっぱなしだった。本当にありがとう。

店を出て、浜田の新名所、「お魚センター」まで送ってもらうことにした。そこでしばらくひとりで過ごした後、みんなと合流することにしたのだ。車が浜田川の脇を通ったとき、靖子さんが教えてくれた。昔は公害ですごく汚れていたんですけど、市民の努力でずいぶんきれいになったんです。魚も戻ってきたんですよ。静かな川の流れが土曜日の落ち着いた午後にさらなる安らぎを与え、さざめく水面はこれからのふたりと浜田の未来を映し出しているようだった。ゆっくりと確実に進んでいく川の水は、昔も今も決して途絶えることのない時の流れを感じさせ、あらためて僕はふたりから、今を生きることの大切さを教わったような気がしたのだった。人は過去の世界に生きることはできない。人には何よりも大切な今があり、これからの人生がある。過去に対する過剰な憧憬も、冷ややかな態度も要らない。ただ過ぎ去ったすべてを愛おしみ、こころにそっとしまい込んでおければいい。いつかまた、それをみんなと分かち合えるときがくるから。

お魚センター付近で車が止まった。靖子さんとはここでお別れだ。ありがとう、また遊びに来てくださいね。はい、ぜひまた戻ってきます。再来します。握手をして、そう言った。靖子さんたちも東京に来ることがあればぜひ案内させてください。僕のうちは豪邸ではないけれど、畳6畳の寝室はあります。本当にありがとう。切ない気分に襲われた。なぜなんだ、せっかくみんなに会いに来たこの場所で、また別れの時間を味あわなくてはいけないなんて。

手を振って見送った車がだんだんと小さくなり、やがて見えなくなった。

ふたりには、ふたりにしかわからない哀しみも寂しさもあるだろう。だけど、清君と靖子さんがいることで自然にわき上がってくるような相手を思いやる愛情は、日々を新しく、輝けるものに変えていく。その力があれば、今ここにいることに疑いを感じる必要もない。何も心配はいらない。明日も明後日も、きっと素晴らしい一日になる。今日と同じように。

これからのふたりの人生に、幸あれ。僕は、漁港を目指して歩き出した。

(続く)

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朗読会のお知らせ(10/8)

2009年09月29日 15時08分00秒 | Weblog
またまた朗読会のお知らせです。

「おもてなしライブ 朗読編」の第2回目が、来る10/8(木)に開催されることになりました。僕もまた参加させていただく予定です。出演者も募集中!

最近、浜田弁の心地よさに魅せられ方言にすっかり心を奪われているイワシは、今回は関西弁の朗読に挑戦してみるつもりです。英検2級並の怪しい関西弁ではありますが、くさっても在関西10年以上のエセ関西人としての意地を見せたいと思います! 乞うご期待!

プロデューサーのマハロ伊藤氏のブログに詳細が記載されています。

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秋のおもてなし

 朗読編
日時:2009年 10月8日(木)19:00 開場(予定)

*チャージ無料*

会場:
よしだ屋珈琲店(乃木坂or六本木より徒歩すぐ)
http://www2.plala.or.jp/yoshidaya/map-01.htm
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みなさまのご来場をお待ちしております~!


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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その29

2009年09月26日 13時33分53秒 | 旅行記
明日はエイコちゃんの家でバーベキューをする。エイコちゃんからは、よかったら泊まっていって、と言われていた。みんなお酒もはいるだろし、車で来とる人はうちの二階があいとるから、そこで雑魚寝したらええし。僕はお言葉に甘えて、明日はエイコちゃんの家に泊めてもらうことにした。今晩は昨夜に続いて清君の家にお世話になるから、結局ホテルには一泊もしないことになる。なんだか申し訳ないけど、本当にありがたい。それにしても、こんなに久しぶりに会った友達を家に泊めようなんて思ってくれる浜っ子って…(いつものパターンなので以下省略)。エイコちゃんありがとう!

というわけで僕はその日の午後、浜田に来る前に予約していたホテルをキャンセルしたのだけど、一次会の「ビストロセゾン」というお店を出て二次会の場所に行く途中、駅前をみんなで歩いていたらそのホテルを偶然見つけた。オレ、あのホテルに泊まる予定だったんだよ、というと、あそこは昔「一番街」があった場所なんだよ、と坂本君たちに教えてもらった。「一番街」は当時、その名の通りおそらく浜田で一番のデパートというかショッピングセンターで、家族で買い物に行くといえばそこしかなかった。だから浦島太郎は「一番街」にも行ってみたいなあと思っていたのだが、すでに一番街がなくなっていることは、昨夜、清君たちに教えてもらっていた。でも予約していたホテルがあの一番街があった場所に建てられたものだったなんて、昭和50年代の浜田を求める僕の霊感はなかなかのものじゃないか。

二次会は駅前のお洒落なバーだった。
今日は朝から通学路をひとり歩きし、正門でみんなと再会して校舎を見学し、先生のご自宅を訪問し、と本当にいろんなことがありすぎて、なんだか感覚が麻痺してしまっている。そのせいなのか、昨日と同じく、いくらでもお酒が入る感じだ。それにしても浜田で生まれ育った仲間たちは、本当にいい感じで年齢を重ねている。慣れ親しんだ土地、すぐ近くにいる家族や友達。地元があるっていいことだ。そこには幼なじみが集合することによって醸し出される濃い空気が溢れている。その輪のなかに加えてもらっていることが嬉しかった。もうビールを何杯飲んだだろうか。自分ではそれほど酔っていないと思っていたのだけど、実はかなり回っていてあまりこのときのことを覚えていない。ともかくみんなと会えて本当によかった。ゆうすけ君、坂本君、本当にありがとう!

エイコちゃんとナットミと由美ちゃんは一次会で引けたのだけど、僕が行きたいと言っていた宝憧山公園まで車で行って、公園の入口の写真をメールで送ってきてくれた。明日みんなで行くことになってるのに、わざわざ山の奥まで行ってくれたのか。ありがとう。でも、ひょっとして酔ってるのか(笑)。

そろそろお開きの時間が近づいてきた。かぺ君たち男子4名は、これから麻雀をしにいくといって盛り上がっている。元気だなあ。明日にむしをしよう!と言い続けているかぺ君が、紀子ちゃんに「明日絶対にボールをぶつけるけえ!」とかっこよく捨て台詞を吐いて店を出た。

靖子さんが車で店の前まで迎えに来てくれた。今日はありがと! みんなと別れて、清君と車に乗り込んだ。今日はどうでしたか?と靖子さんに聞かれ、何から話していいのかわからなかったけど、とにかく充実した一日であったことを報告した。飲み会も大いに盛り上がった。浜っ子たちはこれからもみんなこうやって機会があれば集まり、50になっても60になっても昔話に花を咲かせることができる。素晴らしいことだ。僕もできればまたその場に居合わせてみたいと思った。家族こそ住んでいないものの、僕にとって浜田はやはり故郷と呼べる場所ではないかと思った。こんなにいい仲間がいるんだから。これからは、浜田に行くことを「帰省する」と臆せず言ってみたい気がする。今日は緊張してしまったけど、もう必要以上に構えたり気兼ねしたりすることもないだろう。みんながそうであるように、ありのままの自分を気軽にさらけ出せたらいいな。

靖子さんの安全運転であっという間に清邸に着いた。布団は綺麗に用意され、洗濯物も丁寧に折りたたんでいてくれた。ありがとう靖子さん! 疲れていたのか泥のように眠った。

こうして、長い一日が終わった。

(続く)


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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その28

2009年09月25日 20時59分22秒 | 旅行記
第4章「宴」

車内で話が弾んだ。今日の先生との対話を通じて、初めてあの頃の先生の気持ちがわかったという思いもあった。あの頃、先生は大人で、僕たちは子供だった。だからこそ成立する関係があり、結ばれた絆があった。だが、こうしてお互い大人になり、熱い日々を振り返ったとき、ようやく気づくこともあるのだ。

そう、僕たちにとって景山先生がいつまでも大切な先生であるように、先生にとっても僕たちはいつまでも可愛い教え子なのだ。僕たちにとって先生の存在すべてが「先生」であったと思えたのは、僕たちが子供だったからなのだ。当たり前だけど、先生は僕たちのためだけに存在していたのではなく、僕たちと同じようにひとりの人間としての生を生きていた。当時あれだけ「先生」としてのオーラを放っていた先生も、大切な家族もあれば自分だけの趣味もある、今の僕たちと同じひとりの大人だったのだ。完璧な人間などありえない。先生だって、いろんな葛藤や悩みを抱えていたこともあっただろうし、人に言えず辛いときもあっただろう。

今、教師を引退し、学校という舞台を降りて、静かに自分の心と体に向き合って暮らしている先生は、僕たちにとっての永遠のヒーロー「景山先生」であると同時に、等身大の人間でもあるように思えた。それは言葉を通してではなく、先生の表情や雰囲気から伝わってきた。子供は、すべてを自己中心的に考えがちだ。だから、先生もまた自分と同じひとりの人間であることをうまく想像できなかった。先生には常に全能のスーパーマンでいてほしかったのだ。景山先生という役を必死に演じてくれていた先生のことを、あるいは子供という役になりきっていた自分たちのことを、今ようやく客観的に捉え直すことができたということなのかもしれない。

先生は教師であること卒業し、僕たちは子供であることを卒業した。毎日のように熱いドラマが繰り広げられた4年2組という舞台は遠く過去のものとなり、僕たちはステージから離れて、それぞれが今という日々に向かい合わなくてはならない。先生はまだまだご健在だが、時代のバトンは僕たちに渡されている。あのときの先生と同じくらい立派な大人になって、周囲の人に何かを与えていくことができるか? そう問われているのだと考えて、僕はしっかりと生きていかなくてはならないのだ。それは大きすぎる宿題ではあるけれど。

先生からもらった辞書を車の中で眺めながら、みんなで同じ日に漢字検定を受検しようという話題で盛り上がった。立派な大人になるために、まずは漢字から勉強してみよう。先生に会えたことで、ついさっき28年ぶりに会ったメンバーもいる僕たちの、クラスメイトとしての連帯感は高まった。あらためて驚く。昨日がこんなにも近くにあるということに。

+++++++++

地元の人たちが「イズミ」と呼ぶショッピングセンターに到着し、由美ちゃんの車に乗り換えて、清君たち男子チームが待つ浜田駅前のお店に向かった。清君が男子に声をかけてくれ、店の予約もしてくれていたのだ。

昨夜から懐かしすぎる再会を何度も体験してきた僕ではあったが、車を降りて駐車場からお店のところまで歩きながら、やはりまたまた緊張してしまった。女子と会うときとはまた違った緊張感がある。

坂本君、佐々木君、かぺ君、清君が待っていてくれた。清君はお店を6時から予約していてくれ、みんなずっと待っていてくれたらしいのだが、僕たちが店についたのは6時半くらいだった。エイコちゃんもマキちゃんも特に悪びれる様子もなく、ああ、そうやったっけ、ごめんごめん、と言った。このファジーな時間感覚は、浜っ子タイムと呼んでもよいものなのだろうか? 清君はじめ男子は苦笑いをしている。まあええよ、みたいなおおらかな空気が感じられて、やっぱり浜田っていいな~と思ってしまった(とういか、単にさすがの清君たちも女子パワーの前では沈黙せざるを得なかったという気も...)。かぺ君とも昨夜、代行運転で去って行くのを酩酊しながら見送って以来の再会だ。かぺ君はあんなに呑んだ後に早起きして仕事をし、今晩もまた駆けつけてくれたのだ。なんてタフな人! かぺ君と目が合う。また、眼光が鋭く光った(「なして遅れたか!」と眼が語っているような気もしたが...)。今日も相当呑みそうな勢いだ。なんというか、頼もしいぜ!

坂本君、佐々木君とは小学校1,2年のクラスで一緒だった。もう30年も前の話なのに、僕のことを覚えていてくれて、今日、忙しいお盆の最中にわざわざ来てくれたのだ。本当に嬉しい。がたいのいい地元の男子がずらっと並ぶ様はちょっと壮観で、迫力があった。やっぱり僕は都会のもやしっ子なのだろうか。ともかく僕たち女子チームもフィーリングカップル5対5みたいにして対面の列の座席に腰を下ろした。ちょっと緊張してしまって、何を話してよいのかわからなかったけど、ともかく乾杯だ! 坂本君も佐々木君も見た目はごつい立派な大人だけど、子供のころは本当に優しくて可愛い雰囲気だった。少し話しただけで、彼らが昔のままであることがよくわかった。来てくれてありがとう! 会えて本当に嬉しいよ!

タバサさんもお店に顔を出してくれて、また写真を撮ってくれた(本当にありがとね!)少し遅れて、彼女の旦那さんで、景山学級だったカリスマ美容師、コマッキーも到着した。同じくナットミもやってきた。ふたりとも昔とまったく変わっていない。むしろあまりにも変わっていなさすぎで驚いた。あらためて乾杯! コマッキーとナットミは、高校のときサッカー部でフォワード、ツートップを組んでいたらしい。ふたりとも運動神経が抜群によかったから、きっとすごくいいコンビだったに違いない。僕も高校のときはサッカー部だった。同じ時期にみんなサッカーをしてたなんて、不思議だなぁ。パラレルワールドだ。もしふたりのいるチームと試合をしてたら、きっと点取られてたと思う。相手にはしたくないタイプだもん、ふたりとも。

ナットミが、こっちゃん、オレの家でパッチンして、すっごい負けたん覚えとる? と言った。すっかり忘れていたけど、そういえばそんなこともあった気がする。こてんぱんに負けて、たぶん半泣きで家に帰った。コマッキーは家が美容院をしていたけど、自分も同じ道に進んだんだね、手に職を持って、エラいよ! マラソン、めっちゃ速かったよね、と言うと、コマッキーは、そんなの昔のことさ、みたいに不敵な表情を浮かべてにやりとした。そう、男の子たるもの、昔のことを妙に懐かしがってセンチメンタルになったりはしない。そもそも、浜田で大人になったふたりにとっては、過去は説得力と必然性を持って連綿と今とつながっているものなのであり、決してミステリアスなものではないのだろう。僕みたいに断絶され、凍らされた過去を持つ者の方が珍しいのだ。とはいえ、やっぱりふたりも僕という異次元からの珍客を前にして、少々戸惑っていたようではあり、そしてまた僕と同じように少しだけセンチメンタルに過去を思い出してくれていたようではあった。それが嬉しかった。僕はふたりがまったく昔と変わっていないように思えて驚いたのだけど、ふたりも僕のことを昔と変わってないと言った。自分ではよくわからないけど、やっぱりそんなものなのかもしれない。

宴席は続き、あちこちで話が盛り上がってきた。この日の僕はかなり特別に扱ってもらってはいたけど、僕以外のみんなもかなり久しぶりに会う組み合わせが多いようだ。中学や高校を出て以来の懐かしい再会、普通の同窓会という趣もある。僕は小学校4年で浜田の歴史がストップしているけど、みんなは当然その後、ここで小学5年生になり、中学生になり、高校生になって、大人になった。だからみんなの口からはいろんな時代の話が出てくる。僕の知らないエピソードが山ほどあり、知らない人たちがたくさん登場する。僕にはわからない話も多いけど、面白く聞くことができた。あの時代、日本全国で誰もが経験していたような、同じ青春がここにもあったのだと思う。ともかく、そんな「普通の」の同窓会に、僕も一員として参加させてもらえた。それが何より嬉しかった。100%の浜っ子じゃないけど、5年分、僕も浜っ子なんだ。ハーフとまではいかないけど、クォーターは浜田の血が流れているんだよ僕にも。

かぺ君が赤ワインを美味しそうに呑んでいる。かなりのハイペースだ。かぺ君はにむしの話題に夢中になっている。にむしやりたいよね、明日エイコちゃんの家でバーベキューやるだろう~、そのときに浜商のグランドでにむしやろうよ! と熱く語っている。そうやね、にむしやろう、何人かが賛同した。僕もかなり本気で、伝説の遊び「にむし」を実現させたいと思った。かぺ君の眼がまた鋭利な光を放った。この男、本気(ルビ:マジ)だ!

美味しい料理とお酒にしたたかに酔った。懐かしさとアルコールで、ああ、やっぱり今夜も何がなんだかわからない。ともかくあっという間に時間になり、二次会の会場に向けて僕たちは移動を始めたのだった。

(続く)

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秋分の日

2009年09月23日 09時50分32秒 | Weblog
昨夜、また浜田に集結した浜っ子(エイコちゃん、マキちゃん、タバサさん、かぺ君)たちが、同級生がしているというお店から電話をかけてきてくれた。久しぶりに話せてめっさ嬉しかった。ソムリエかぺ君がワインを美味しそうに呑んでいる写真も送ってきてくれた。朝起きたら、深夜、僕が昔住んでいた家の前でポーズをするマキちゃんの写真がエイコちゃんから送られてきていた。ジーンと来たよ、ありがとう! みんな元気で何よりだ!

明日の朝までまたちょっと修羅場になりそうで、旅行記は明日の午後から再開します。毎度申し訳ないです!

今日もめっさいい天気だ。みなさまの連休最終日がよい一日になりますように!

ビバ、秋分の日!
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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その27

2009年09月21日 13時22分16秒 | 旅行記
小さな村にある小さな小学校に風のように現れ、地元の生徒たちの心に様々な印象を与えて、また風のように去って行った転校生の又三郎。僕は転校生だったから、よく「お前は転校生か、風の又三郎やな」みたいなことを言われたものだ。たぶんこの地方でずっと教師を続けてきた先生にとっても、数年間だけその地域に暮らし、突如として去って行く生徒たちのことが、又三郎のように見えていたのかもしれない。少々こじつけだけど、だから先生は又三郎のことを思い出したのだろうか。

僕にとって、地元で生まれ育ち、確固とした故郷がある人たちの気持ちがいまでも実感として上手く味わえないのと同じく、地元の友達にとっても、転校生であることがどういうものなのかは上手く想像出来ないものなのかもしれない。今回の旅を通じて、僕はあらためてそんなことを感じた。自分が転校生という少数派の存在で、それによって辛い思いをしたりすることもあったのかなあとは思っていた。だけど、この童話が雄弁に物語っているように、友達を見送る方の地元の仲間たちにとっても、別れはものすごく辛く、寂しいものであり、大きな喪失感を味わっていたのだということが理解できたような気がした。だからこそみんな、こんなにも暖かく僕のことを迎え入れてくれたのだろう。これまでの自分のものの見方が、とても偏ったものであることに気づかされた。また先生に大切なことを教わったような気がする。

すでに先生のご自宅にお邪魔してから、一時間ほどが経過しただろうか。エイコちゃん、マキちゃん、由美ちゃん、紀子ちゃん、みんなそれぞれ先生との思い出を反芻しているに違いない。誰にとっても、先生は特別な存在だ。自分と先生の間だけにある、特別な絆のようなものがあるはずだ。

先生は表情をほころばせて、暖かく教え子たちのことを受け入れてくれた。僕たちは先生に再会できることで感激し緊張もしていたけど、先生は大人になった僕たちが目の前にいることを、当たり前のように受け止めてくれた。僕たちもずいぶん年は取ったといえ、まだ先生が生きた時間の半分に到達したかどうかの位置にいる。僕たちの二倍の長さを生きてきた先生の目には、教え子たちは今どんな風に映っているのだろうか。それは今の僕たちにはまだわからないことだ。まだまだ人生の折り返し地点。先生と同じだけの長さを生きたとき、僕たちには今日の日の先生の気持ちがわかるのかもしれない。かつて子供だった僕たちが、大人になった今、あの頃の先生の言葉の意味を噛みしめることがあるように。先生の優しげな表情の後ろで、長い人生の様々な思い出が駆け巡っているように思えた。

名残惜しいけど、そろそろ帰らなくてはならない。お礼を言って、家を出た。お体の具合のこともあり、普段は客人を玄関で見送るという先生が、靴を履いて表に出てきてくれた。奥さんが少し驚きつつも嬉しそうに、これは珍しいことなんですよ、と言った。

先生はそのまま、駐車場のところまで僕たちを送っていくと言う。奥さんはさらに驚いていたけれど、先生の意志を尊重し、ふたりで手をつないでゆっくりと歩き出した。先生にとってはちょっとした冒険だ。

僕たちの少し先を行く先生と奥さんの後ろ姿が、とても美しく感じられて、はっとした。夕暮れ時の柔らかな陽射しが、ふたりを照らす後光のようで、まるで手をつないだ先生夫婦が別世界にいるように感じられた。ふたりが歩んできたこれまでの長い人生を表しているようで、あまりにも神々しくて、僕たちは圧倒された。

駐車場に着くと、みんなで写真を撮った。ひとりひとり先生と握手をした。先生、ありがとうございました。それしか言葉が見つからない。会えてよかった。本当によかった。またいつか会う機会はあるかもしれない。だけど、その機会に期待してはいけない。今日この日、先生と会えたことに感謝し、しっかりと手を握りしめた。僕は東京に戻って、これからまた自分の道を歩んでいきます。先生の教え子であることを誇りにして。ありがとうございました。

奥さんが握りしめるようにしてひとりひとりと握手をしている。僕も握手をした。奥さんの瞳から涙がこぼれ落ちた。みんなも感極まっている。車に乗り込み、マキちゃんが走らせ始めた車の窓から、先生夫妻に向かって手を振った。先生が、おどけた様子で、マキちゃんに「オーライオーライ」と合図を出している。その様子があまりにもおかしくて、みんな涙が止まらないのに、思い切り笑った。奥さんも涙を流しながら笑っている。さようなら、先生。さようなら、奥さん。さようなら。マキちゃんがカーブを曲がると、ふたりの姿は見えなくなった。

*******************************


暮れ始めた江津の町を、5人を乗せたマキちゃんのヴァンが走り出した。先生に会えて本当によかったね。興奮しながら口々にそう語る僕たちは、ついさっき28年ぶりに再会したばっかりだということも忘れて、懐かしい思い出を語った。6時からは、浜田駅の近くのレストランで男子たちと合流し同窓会をする。清君が段取りをしてくれたのだ。盛りだくさんの一日のフィナーレを飾る、楽しみなイベントだ。

僕たちは過去の世界のぬくもりを確かに感じ、先生への感謝の気持ちを新たにした。僕たちはあのとき先生からもらった大きな愛情に、今もしっかりと守られている。車は浜田に向かって快調に走っていく。だがそれと同時に、忘れ物をしっかりと取り戻したという思いに包まれた僕たちは、自分たちが住むそれぞれの世界に向かって、明日に向かって、また走り始めたような気もしたのだった。

第3章 「再会 ~学級の歌~」完

(続く)

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しゅごとば

2009年09月21日 06時32分12秒 | Weblog
連休中にも仕事が何件かあるけれど、とりあえずは着実に進めれば修羅場になることはなさそうだ。

少し時間にも余裕があるので、仕事場の掃除も同時に進めるつもりである。

部屋がきちんと片付いていないと、だんだん精神がすさんできてスケジュールがきつくなり、修羅場になる。あるいはその逆も言える。いずれにしても、そういう人としての基本ができていないからこそ、余裕を失ってしまうのだ。

厨房がきちんと整理整頓されていなければ美味しい料理が作れないのと同じだ。この9末でフリーランスになってからちょうど1年になる。もう一度、基本に立ち返って、真摯な気持ちで仕事と翻訳の勉強に打ち込まなければ。

といいつつ、あまりにも修羅場になることが多いこの仕事場を、いっそのこと修事場(しゅごとば)と命名したいような気がする今日この頃なのであった。
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「そぞろ歩きの会」in 吉祥寺、無事終了いたしました!

2009年09月20日 09時55分33秒 | Weblog
昨日9/19(土)、吉祥寺で「翻訳者そぞろ歩きの会」が開催されました。
企画者としてかなり不安ではあったのですが、参加いただいた方々のおかげで大盛況! とても楽しい時間を過ごすことができました。みなさま本当にありがとうございました!

昨日のレポートを書きましたので、よろしければご覧くださいませ。

2回目は10/17(土)に高尾山に行ってみたいと思っております。
みなさまのご参加をお待ちしております。
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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その26

2009年09月20日 08時52分43秒 | 旅行記
そうだ、と言って先生はおもむろに陶器をいくつか棚から取り出した。これは僕が昔、造ったものなんです、みなさんせっかくですからどうぞひとつずつ持って帰ってください。どれにするかは、景山ジャンケンで決めましょう。いたずらっぽく笑った。

景山ジャンケンとは、先生と生徒全員がジャンケンをして、先生を負かすのではなく、先生と同じ手を出した人が勝つというゲームだ。何か決め事をするときに先生が使っていた、先生のオリジナルのジャンケンで、そしてクラスの定番だった。特に給食の時間に、休んだ人の分の余り物を誰が取るかを決めるときに、このジャンケンは異常な盛り上がりをみせた。食欲旺盛だった僕たちは、ゼリーやパンが欲しくて、みんな張り切ってジャンケンに参加したものだった。

前の日、清君の家でこのジャンケンの話になった。清君もこれをよく覚えていたし、なぜか隣のクラスだったかぺ君までもこのジャンケンの方法を知っていた。先生にジャンケンして勝つのではなく、先生と同じ手を出した人が勝つ、というルールは、先生との一体感を強めるものではないか、と靖子先生が鋭い分析をしていた。なるほど、と僕は思った。

「今日はグーチョキパーではなく、一から五までの指を出して、同じ数だった人が勝ちということにしましょう」と先生は楽しそうに言った。生徒たちも先生との景山ジャンケンをいつも楽しみにしていたけど、先生もこの遊びが大好きだったのかもしれない。

28年ぶりの景山ジャンケンだ。

「かげや~まじゃんけん、ホイ」

昭和55年、長浜小学校の景山学級で毎日のように繰り広げられていた光景だ。昔取った杵柄で、みんなものすごくタイミングよく手を出した。僕は指を一本にした。僕だけが先生と同じで、僕の勝ち。一番抜けで、みんなに申し訳ないと思いつつ、ちょっと大きめのグレーっぽい茶碗をいただいた(そのときそれが抹茶茶碗だと気づいていなかった僕は、「これでご飯食べますよ」と何度も浮かれて言った。思い出すと恥ずかしくて冷や汗がでる。先生はかなり困惑していたかもしれない。ああ、28年間、僕はご飯茶碗と抹茶茶碗の区別もつかない程度にしか成長していなかったのだ)。人数分の陶器を残りのメンバーが争う。かげや~まじゃんけん、ホイ。

そのとき、ちょうど京都から帰省したばかりのノリちゃんが先生の自宅に到着した。わぁ、変わってない! 28年ぶりに会ったノリちゃんには、当時の可愛らしい面影がとてもよく残っていた。彼女には歩き方とか立ち振る舞いとかに独特のチャーミングさがあったのだけど、それも当時と同じだ。

先生お久しぶりです、とノリちゃんは言った。先生も嬉しそうに目を細めた。景山ジャンケンが盛り上がっている最中だったので、ノリちゃんは先生と感動のご対面をした直後に、そのままジャンケンに参加することになった。それはなんだかとても自然で、過ぎ去った時間の長さなんて、たいしたことはないんだと無邪気にジャンケンに興じる先生が言っているようだった。

少し歓談した後、僕は、引っ越し当日に先生にもらった辞書を鞄から出した。先生、僕が転校することになったとき、記念にこの辞書を先生からいただいたんです。先生に辞書を差し出した。「児島修君へ 初志貫徹 1981.3.18 景山博」奥付のページにはそう書いてある。若き日の先生が使っていた辞書だ。先生はこうやって転校する生徒に、こっそりとプレゼントを渡してくれていたのだ。僕と同じく長浜小を去ることになった由美ちゃんにも、先生は品物を渡してくれていたのだそうだ。僕はそれを由美ちゃんから聞いて初めて知った。

先生は懐かしそうに辞書を眺めた。奥付の隣には花言葉のページがあって、いくつかに先生がつけた○印がある。

かきつばたは「幸福」
つばきは「美徳」
ダリアは「感謝」
りんどうは「正義」
わすれなぐさは「真愛」

奥さんと恋愛中のとき、花を贈るために調べたのじゃないですか、と冗談を言ったら、奥さんと先生は恥ずかしそうに笑った。

初志貫徹――10才のときに先生からいただいたこの教えを、僕は果たしてどれだけ実践できてきたのだろう。だけどこれからも、僕が翻訳の仕事を続けていくうえでも、人生すべての面においても、この言葉がものすごく重要であることは間違いない。挫折多きこれまでの道のりではあったけど、これからは自分の大切なものをしっかりと守って生きていきたい。志を忘れずに、毎日精進していきたい。遙か昔に、こんな大きなメッセージを先生からいただいていたことにあらためて気づいた。心の中で、僕の生涯の座右の銘を「初志貫徹」にしようと決めた。

国語辞典を贈ってくれたことも、今、言葉を扱う仕事をしている僕の特性や将来を予見していたかのようだ。先生が由美ちゃんに贈った本の表紙には本好きだった彼女のことを思ってか、読書をしている女の人が描いてあったそうだ。その後、由美ちゃんはその画家が描いた同じモチーフの女性が、ピアノを弾いている絵を偶然見つけたのだという。今、ピアノの先生をしている由美ちゃんは、まるで先生は彼女が将来そうなることを知っていたかのようだと言った。本当に、びっくりする。未だに言葉も知らないし文章も下手くそなままの僕に、もっともっと勉強しろと、先生が手に持っている辞書が語っている。28年たってもちっとも先生の期待に応えていない自分が恥ずかしい。

先生に、僕が翻訳を担当させていただいた書籍を1冊手渡した。ちょっと恰好つけて、奥付に名前を書いた。まだまだ未熟な僕ではあるけれど、せめてもの成長の証として、これを先生に受け取ってもらえたら嬉しい。マキちゃんが見つけてくれたのだけど、その本の初版の発行日が、先生の誕生日と同じだった。これも単なる偶然ではないような気がした。

先生は言った。僕はいつか、宮沢賢治の童話の続きの話を書いてみたいと思っているんです。タイトルはなんだったかな、あの、転校生が出てくる話です。由美ちゃんが「風の又三郎じゃないですか」と言った。そうそう、それです。先生は眼を輝かせた。まだまだ、いろんな夢を持ち続けているのだ。昔から、そういうロマンチックな話をするのが先生は好きだった。

転校生だった由美ちゃんと僕のことを見て、何かを思い出してくれたのかもしれない。ちょっと唐突にそんなことを言った先生の存在と、先生と一緒に時間をすごしている僕たち自身が今、まさに宮沢賢治のファンタジーの世界のなかにいるように思えた。

(続く)

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その25

2009年09月18日 22時39分26秒 | 旅行記
先生の家を見つけるのは大変だった。マキちゃんとエイコちゃんは五月の大型連休に先生の家を訪れていたのだけど、ここだと思って入った道が前に来たときの道の感じとかなり似ていたということで、迷ってしまったのだ。ハンドルを握るマキちゃんと後部座席のエイコちゃんが、ここやったっけ、いやあそこちゃうの、と記憶を頼りに必死になって目的地を探している。

僕はその間、何の役にも立てずにただ助手席に座っていることしかできなかったのだけど、早く先生の家が見つかってほしいという気持ちと、いよいよ先生の家が近づいて来ているのだという緊張感が入り乱れて、お尻のあたりがモゾモゾしっぱなしだった。

ついに景山先生の家が見つかった。少し離れたところにある駐車場に車を停めた。そこから1~2分くらい歩いたところに、「景山」という表札のある家があった。先生夫婦にとてもお似合いの、品のある落ち着いた暖かい雰囲気の家だ。庭にあるいろんな樹や花は丁寧に手入れがされていて、先生たちが毎日を豊かな気持ちで生きていることが伝わってくるようだった。

ここに先生が住んでいるんだ。何十年もの間、僕にとって記憶のなかにしか存在していなかった先生が、アルバムのなかの色あせた写真のなかでしか会えなかった先生が、すぐ近くにいる。

マキちゃんがチャイムを鳴らした。先生の奥さんが出てきた。GWにエイコちゃんとマキちゃんがここを訊ねたとき、すごくよくしてくれて、最後には涙を流して見送ってくれた奥さん。エイコちゃんたちから、すっかり彼女のファンになったのだと、感動のご対面の様子と合わせてとそのときの写真を送ってもらっていたので、初めて会った気がしなかった。想像していたとおりの、暖かい笑顔の素敵な人だ。遅くなってすみません、とマキちゃんが恐縮して言った。

とうとう来てしまった。玄関で靴を脱ぎ、応接室に案内された。人生、もはやこういう状況になってしまえば、なすがままに行動するしかない。運命的な瞬間は、あっけなく訪れてしまうものなのだ。

先生がいた。上下おそろいのグレーのスウェットを着て、柔らかい笑顔を湛えて僕たちを待っていた。よくいらっしゃいました、お久しぶりです。ソファに座らせてもらった。昔と同じ、好奇心に満ちあふれキラキラした瞳が目の前にあった。先生を前にしたら、会う前に思っていたより緊張はしなかった。あのころもそうだった。先生はときどき怖かったけど、普段は子供たちを緊張させるような人ではまったくなかった。静かな夏の午後、窓の外から入ってくる爽やかな空気がさらに気持ちを落ち着かせてくれた。

一人ひとり、先生に名前を伝えると、先生は嬉しそうにうんうんとうなづきながら、よう面影が残っとる、君はあのころああやったね、こうやったね、と言ってくれた。先生は、僕たちのことを覚えてくれていたのだ。私は今、広島です、私は鹿児島です、大阪です、東京です。そうですか、みんな立派に成長して、ご活躍されておられて、と先生は言った。奥さんがお茶と一緒に、テーブルに置ききれないくらいのたくさんのお菓子を運んできてくれた。

離ればなれになっていた28年間という時間が、僕たちと先生の姿に変化をもたらしている。子供だった僕たちもすっかり大人になり、あのとき燃え上がるような情熱で教師生活を送っていた先生も、今は静かに老いと向かい合う日々を生きている。それは会う前からわかっていたことではあるのだけど、経過した時間の圧倒的な長さと重みが、先生と対面した瞬間、僕たちのいる空間に不思議な化学反応を起こした。だけど、その戸惑いはわずかの間に消えた。

誰も時間には逆らえないし、逆らう必要もない。あのとき10才だった僕たちには、今77才の先生を目の前にして、当時の日々が何を意味していたのか、わかるような気がする。あの頃先生は大人で、僕たちは子供だった。先生は僕たちに生きることは何か、人生とは何か、世の中とは何かを教えてくれた。そのときはすべてを理解することができなくても、僕たちは少しずつ先生の教えを思い出しながらそれぞれの人生を歩み、今こうして先生の前に立っている。人は誰しも赤ちゃんとして生まれ、子供時代を過ごし、大人になりそして老いていく。そんな当たり前のことが、何も語らなくても伝わってくる。そしてその当たり前の事実を思うだけで、とてつもなく暖かい気持ちになり、胸が熱くなる。

あのころ教師としてとても充実していました。だけど、家にいるときも庭いじりにも精を出したりして、仕事以外にも毎日に張りがあった。時間がないという人がいるけど、あれは嘘なんだね。先生は当時を懐かしそうに振り返った。そのときの先生のしゃべり方が、昔とまったく同じに思えた。そうだった、いつもこんな風に先生の話を聞いていたんだ。先生の顔をじっとみつめながら授業を受けていたときの気持ちが、ありありと蘇ってきた。

今日はお昼に学校に行ってきたんですよ、とエイコちゃんが、さっき撮ったばかりの「学級の歌」をみんなで歌っているビデオを先生に見せると、先生も思わず一緒に歌を口ずさんだ。

キタカンイチの話もしたんですよ、とマキちゃんが言った。あの話はとても怖くて、みんなすごく印象に残っているんです、理科室で暗幕を使って部屋を暗くして先生が話されたから、本当に恐ろしかったですよ、と伝えると、先生は「あれは私の十八番でした」と言ってニヤリとしたので、みんなで思い切り笑った。

僕たちの心には、今でもあのときの先生が鮮やかに生きている。そして先生の記憶のなかでも、僕たちは生き続けていたのだ。楽しくも短い滞在時間が、あっという間に過ぎ去ろうとしていた。

(続く)


ここしばらく史上最高に忙しく、旅行記を休んでしまいすみませんでした。もう正常モードに戻りましたので、これからまた「ほぼ日」で復活したいと思います! 

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生きてるよ~

2009年09月15日 22時56分11秒 | Weblog
すみません、別件の仕事が入ったこともあり納期が明日に延長されまして、まだ全開モードで作業中です。

明日の夕方頃には完了する予定です。ブログもそれ以降、再開したいと思います。

メールの返信なども滞っており申し訳ございません。必ず返信いたしますのでもうしばらくお待ちくださいませ~!
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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その...

2009年09月13日 18時18分06秒 | Weblog
景山先生の自宅についたら、さっそく先生に怒られてしまった。

「火曜日の朝の納期が迫っているじゃないか! 最後まで全力で仕事をしてよいものを納品しなさい。君は毎年8月31日にものすごいラストスパートで宿題をしていたじゃないか。日記もねつ造していたじゃないか。あの頃の自分を思い出すんだ。わかったね、さあ仕事しなさい!」

というわけで、今日とたぶん明日も旅行記休みます。すみません!

ちなみに、いよいよ来週土曜日の開催が迫って参りました「そぞろ歩きの会」ですが、現在参加希望者が1名増えまして、私を含めた当初の予定者2名に加えて、合計3名になりました!
あと1名くらい参加していただけると嬉しいと思っております。お気軽にご連絡くださいませ。どうぞよろしくお願いいたします~

ちなみに、今回は予定があって参加できないけど、次回以降は参加したいと連絡をくださった方が4名もいらっしゃいました。本当にありがとうございます!

それではみなさま、来週もよい一週間をお過ごしください。
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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その24

2009年09月12日 18時41分09秒 | 旅行記
これから僕たちは、江津市にある先生の自宅を目指して出発する。タバサさんとはいったんここでお別れだ。先生への手土産も買わなくては、ということでまずはショッピングセンターに行くことになった。エイコちゃんは由美ちゃんの車に、僕はマキちゃんの車に乗せてもらった。

マキちゃんの車はすごく立派なヴァンだった。車内で二人きりになると、やはり緊張してしまう。さっきは校舎という異次元空間にいたから1980年の小学生モードに浸っていればなんとか大丈夫だったのだが、学校を離れると2009年の大人モードに戻らざるを得ない。何からどう話せばいいのやらわからず戸惑ってしまい、あらためてマキちゃんとの28年間の空白の重さを感じたりしてしまうのだった。またまた緊張の夏、日本の夏――美人のマキちゃんが名取裕子に見え、そして打ち上げ花火が僕の頭の中で炸裂した。全身からキンチョウリキッド、すなわち緊張の汗が流れてきた。

大きい車が好き、運転が好きだと言うマキちゃんは軽快に車を走らせる。車内には、僕の知らない彼女の日常世界の空気が流れている。黒い手袋を嵌め、ミラーボールのような輝きのおしゃれな銀色のバッグを脇に置いて優雅にハンドルを握るマキちゃんは、もう10才の女の子ではないのだ。学校の帰り道に川でバケツ一杯のフナを捕まえていたワイルドな四年生が、こんなに素敵なレディになったというわけだ。平静を装いつつも少々ぎこちない会話をする。だけど、こうして大人になるってことも悪くはないものだ。あの頃、ああだったねと昔を振り返ることができるようになるのはいいものだ。ずっと子供のままだったら、一生、フナをとり続けなければならないのだ。ともかく、あまりにも久しぶりに会ったから、すぐに距離を埋めることはできないし、できるわけがないのだけど、逆にそのギャップになんだかドキドキする。

エイコちゃんたちは途中でどこかに寄ってから来るということらしく、ショッピングセンターではマキちゃんとしばらく二人で時間を過ごした。先生への手土産を買い、ソフトクリームを買って食べた。ショッピングセンターのフロアの中央にある催し物広場では、地元の郷土芸能である石見神楽の舞が行われ、見物客がひとだかりを作っていた。激しいテンポのお囃子が大きな音で鳴り響き、日本古来の神話の登場人物を思わせる豪華な衣装を身に纏った役者が舞う。体長10メートルはあろうかという大蛇が、本当に生きているかのように、中に入っている人によって巧みに動かされ、とぐろを巻いてハァハァしている。僕が浜田にいた当時も、祭になるとあちこちで神楽の演舞を見ることができた。子供たちはみんな神楽が好きだったと思うし、なかには相当に神楽に入れ込んでいる人もいたが、大人になるとさらに伝統的なもののよさをあらためて実感できるようにもなるのだろう。地元に住んでいればなおさらだ。今も当時と同じように神楽が盛んであることを知り、ええもんだと思った。老若男女を問わずこうやっていつまでも地元の人たちから愛される芸能が身近にあるのは、いい。激しくダイナミックなこの踊りは、豪快で細かいことにこだわらない浜っ子たちの気質を表しているに違いなく、またその長い伝統を感じさせる形式美に、スサノオノミコトとヤマタノオロチを彷彿とさせるような、この土地の歴史の古さが感じられる。

お囃子の音が大きくて、隣にいるマキちゃんの声もよく聞こえない。腹に響くようなお囃子を聴きながら、真夏の石見神楽の演舞を眺めた。キンチョーの夏のコマーシャルに使えそうなくらい夏らしい風情がある。つかの間ではあったが、思いがけず神楽を堪能できてよかった。浜田に帰ってきたのだという思いが、さらに強まった。

エイコちゃん、由美ちゃんと店内で合流した。エイコちゃんは早くも、さっき校舎で撮った写真を現像に出している。ショッピングセンターを出ると、全員を乗せたマキちゃんの車は、ここから小一時間くらいかかる距離のところにある先生の自宅に向かって発進した。

映画なら、少年時代の学校での回想シーンの後に、「――28年後」という文字が黒味の画面に浮かび、大人になった4人を乗せた車が走り出す、といったところだ。大阪、広島、鹿児島、東京。さっきまでは「飛ぶ教室」にいて童心に返って校舎を探検していた僕たちだけど、今の本当の姿はそれぞれ都会で働き、暮らしている大人なのであり、日々さまざまな大人ならではの問題の処理に追われているのだ。

和気藹々と話が弾んだ。今回の再会の発端となったのは由美ちゃんがこのブログを発見してくれたことだった。そしてエイコちゃん、マキちゃんが段取りをすすめてくれたおかげで今日の日がある。3人に会うのは10才のとき以来とはいえ、彼女たちはブログを読んでくれているから、僕の恥ずかしい日常がバレバレだ。春から始まったメールのやりとりを通じていろいろと発生した面白おかしいここまでの経緯を、初めて顔を合わせながら話した。関西在住の鉄道マニアと間違われていたこと、なぜ僕が「イワシ」を名乗っているのか、なぜ新山口経由できたのか、真昼に裸になってランニングしてたら頭がおかしくならないのか、ニンニクをきちんとチンしてから食べないとどれほど辛いものなのか、などなどいろいろと聞かれた。答えるのが恥ずかしい質問ばっかりだ。

大人になって初めて、自分が子供だったときに周りにいた大人の気持ちがわかることがある。ああ、あのときあの大人は、たぶんこんな思いで、当時子供だった自分にこんな言葉をかけていたのだなぁ、ということが、腑に落ちたりするものだ。それに、子供には大人の人生もよくわからない。その大人にはどんな家族がいるのか、それまでにどんなことを経験してきたのか、どんな価値観を持って生きているのか、そんな風にその人の全体をみることなく、あくまで目の前にいるその大人そのものの存在に迫っていく。だからこそ、子供には大人には見えないものが見えるのかもしれないけれど。

みんなと話をしながら、当時、景山先生が40代の終わりであったこと、素敵な奥さんが先生を支えていたこと、娘さんが二人いたことを初めて知った。その後は教頭になったから、僕たちを担任してくれいたときは一教師としては最後の時期であり、それだけによりいっそう熱心に教育に取り組んでいたのではないか、としみじみと話したりもした。人間としても教師としても、脂が乗りきっていた当時の先生。10才の子供たちに、全身全霊をかけて毎日多くのことを教えてくれたのだいうことが、今になってわかる。子供には世の中のことがまだよくわからなかったけれど、その人が本気かどうか、その人に好かれているか、自分がその人を好いているかは、直感的によくわかる。僕たちは先生のことが大好きだったのであり、先生と過ごした日々、先生の教えはまだ僕たちの心の中に生きている。だからこそ、こうして先生の住む家に向かっているのだ。

先生のことを話していると、いつのまにかまた僕たちはあの頃に戻り始めていた。人数は少ないが、景山学級を代表して先生に挨拶に行くのだと、お礼を述べに行くのだと、そんな風な気持ちが高まり、連帯感が生まれてきた。先生は当時の日々をどんな風に振り返るのだろう。僕たち生徒のことを、どんな風に思っていたのだろう。先生は僕のことを覚えてくれているだろうか。先生の眼に今の僕はどんな風に映るのだろうか。僕は立派な大人になることができたのだろうか?

時刻は4時に近づき、昼間はあんなにきつかった陽射しも、少しだけ弱まり始めていた。先生の家が、すぐ近くに迫ってきた。

(続く)


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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その23

2009年09月11日 11時07分01秒 | 旅行記
あっという間に時間が過ぎ去り、僕たちが愛したこの校舎とのお別れの時が近づいてきた。

タバサさん、素敵な写真をたくさんありがとう。ビデオも撮ってくれてありがとう。長浜小の卒業生じゃないのに、付き合ってくれてありがとう。

当直の先生に鍵を返に行き、お礼がてら少し話をした。本当に、すごく感じのよい先生だった。さすが長浜小だ。彼女は、いったいこの校舎がどのくらい古いのかは教師である自分でもよくわからないとおっしゃった。そう、この校舎はそこに勤務している先生でもわからないくらいに古い。エイコちゃんが、記念に校舎の板を剥がして持って帰りたいくらいですと、冗談を言った。

休日で誰もいないとはいえ、職員室には特別な空気が流れている。当時、職員室には自分が立ち入ってはいけないような大人の世界を感じて、たまに中に入るとちょっと落ち着かなかった。大人になった今もそれは変わらない。だけど、ここの職員室には暖かみがある。それはきっと教育愛に溢れた先生たちが作り出しているものであり、この木造校舎が演出してくれているものでもあるのだろう。

現役の先生たちの机に置かれたパソコンが、時の流れを物語っている。この校舎にWindows 7は似合わない。建て替えも、やむを得ないことなのかもしれない。先生にシャッターを押してもらい、最後に職員室でタバサさんも入れて全員で写真を撮った。お礼を言って、校舎を後にした。

車を停めてある正門近くに向かって、元来た校庭を歩いていった。振り返って校舎を眺めた。これで見納めだ。ありがとう、校舎。さようなら、校舎。どういたしまして、卒業生のみんな。

思い出をたくさんありがとう。どれだけ感謝しても、感謝しきれない。卒業生はみんなそう思っているはずだ。最後に会えてよかったよ。僕は、あんたのことを忘れはしない。



当時、流行していたこの曲を、もうすぐ天寿をまっとうするこの校舎に捧げよう。涙をこらえて歌うよ。マキちゃんはオルガン、由美ちゃんはピアノ、タバサさんはコーラス、エイコちゃんはタンバリンで伴奏お願い!




Love is over 
悲しいけれど 終わりにしよう きりがないから
Love is over 
わけなどないよ ただひとつだけ 老朽化のため
Love is over 
階段の幅が異常に狭かったねと 笑って言える 時が来るから
Love is over 
泣くな男だろう 私のことは 早く忘れて

わたしはあんたを 忘れはしない
誰に抱かれても 忘れはしない
きっと日本最古の 木造校舎だと思うから

Love is over 
あたしはあんたの お守りでいい そっと心に
Love is over 
最後にひとつ 自分をだましちゃ いけないよ

お酒なんかで ごまかさないで
本当の自分を じっと見つめて
きっとあんたに お似合いの新校舎が建つ

Love is over 
悲しいよ 早く出てって ふりむかないで
Love is over uh
元気でいてね 
Love is over oh


(続く)


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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その22

2009年09月10日 20時39分16秒 | 旅行記
今回、久しぶりに友達に会って痛感したのだけど、記憶力のよい人っているものだ。昔のことをすごく細かいところまで覚えているのでびっくりする。エイコちゃんも抜群に記憶力がよくて、たとえばクラスメイトの誕生日まで把握してた。僕はもともと記憶力が悪いうえに、浜田にもずいぶんとご無沙汰していたから、逸話をまるごと忘れていたり、覚えていたとしてもかなり危うい内容でしか記憶していないことが多かった。

それでも、景山先生が道徳の時間に理科室で怖い話をしてくれたときのことはとてもよく覚えている。あまりにも怖かったから忘れられないのだ。話の細かい内容は忘れてしまっていたのだが、僕だけではなくクラスメイトのたぶん全員が、電気を消して真っ暗になった理科室で、先生がしてくれたあの日の怪談の様子を記憶しているのではないかと思う。

登場人物の名をとって「キタカンイチの話」と僕たちが呼んでいたこの怖い話は、エイコちゃんやマキちゃんとメールをやりとりしていたときも何度か話題になっていた。

図書室にいたとき、キタカンイチって怖かったよね、でもどんな話だったっけ? と誰かが言ったら、由美ちゃんが、ああそれはね、と話を再現してくれた。ちなみに由美ちゃんは小学校のころ図書室に入り浸りほとんどの本を読み尽くしたほどの読書家だ。30年近く前に一度きりしか聞いていない話をよくここまで再現できるものだと驚いた。後日あらためて由美ちゃんにこの話を文章にして送ってもらった。

先生はあの日、不気味な人体模型のある理科室に生徒を集めると、電気を消した。教室が真っ暗になると、生徒はキャーキャー言って騒いだ。先生が話し始めた。みんな静かになった。

********************************************

先生「これはある大学であった話なんだ。ある学生......仮に佐々木君としよう......が実際に体験したことなんだよ。先生は佐々木君からこの話を教えてもらった。今日はその話をしよう」

……………………………………….

僕(佐々木君)の友達にキタカンイチ君という子がいた。お家がとても貧乏だったんだけど、がんばって学校に通っていたんだ......でも重い肝臓の病気にかかってしまってね。

その肝臓の病気の薬はとても高かった。僕たちは下宿が一緒だったから、肝臓に効く貝をたくさんとってきては、キタ君に食べさせたりしていた。でもキタ君は顔色もすぐれず、とても具合がわるそうだった。

そんなある日、学校におまわりさんがやってきた。近所の墓で墓荒らしがあったのだそうだ。何か知らないか? と訊かれたんだけど、僕らには心当たりはまったくなかったから、知りません、って答えた。

その後、何日か経って近所の子どもが亡くなった。授業をうけていると、学校のすぐ横の道を弔いの列が通っていった。

......ちょっと前まで、日本は土葬だったんだよ。今みたいに火葬じゃなくてね。
火葬っていうのは、焼いて骨にしちゃうでしょ。土葬っていうのはそのまま土の中にうめちゃうんだよ......でね、近所のお墓はみんな土葬だったんだ。

そんな弔いの列がちょうど教室の真下に来たときのことだ。ふと気づいたら、あんなに具合のわるかったキタ君が身をのりだして弔いの列をじっと見てたんだ。どうしたんだろう? って不思議だったよ。

その子どものお墓が荒らされることはなかった。そして何日かが経過した。

キタ君の具合も前よりだいぶよくなってきた。なんだかこう、肌がつやつやして顔色がよくなってきたんだ。

そんなある日、またお葬式があった。前と同じように、学校のすぐ横の道を弔いの列が通ってね......そしたらキタ君がまたじーっとその列を見てるんだよ。

こう、首をぐーっと前につきだしてね。

授業もおわって僕は下宿に帰った......下宿は何部屋もあってね......僕はキタ君と同じ部屋なんだけど......他にも何人かが一緒の部屋にいて、そうだなあ……ひとつの部屋に4人くらいずついて、ぜんぶで5部屋ほどあったかなあ。

夜になってみんなで寝ていたんだけど、僕は昼間のことを考えてたらなかなか寝れなかった。でも他のみんなに悪いから寝たふりをしてたんだ......。

そうしたらキタ君が急におきあがった。そして、そぉーっとどこかにでかけていった。

どうしたんだろう?......僕はついていってみることにした。

キタ君はあんなに具合が悪いのにものすごいはやさで、学校の方へ向かっていく。

追いつくのがとても大変だったんだけど、僕らのクラスの前でやっと追いついたんだ......でもその先にあるのは、お墓だよね。僕は墓石にかくれて様子をうかがうことにしたんだ。

今日うめられたのはまだちいさい赤ちゃん......今はそんなことは少なくなったけど昔は子どもはよくなくなっていたんだよ......あまり長生きしなかったんだ。

そうしてね、キタ君をみていたらね、まだ新しいそのお墓の方へいくんだよ。そしてね、あたりをね......人がいないか見てね......いきなりお墓をほりはじめたんだよ。僕はびっくりしてしまって......墓石によじのぼってたんだけどあわてて大きな音をたててしまったんだ。

しまった! 僕はものすごいいきおいで走って下宿にかえった・・そして自分の布団にはいって......まわりはみんな寝てたんだけど......震えがとまらなくって......。

布団を頭からすっぽりかぶって歯をくいしばってたんだ。

そうしていたら、キタ君が玄関をあけてかえってきた。
僕の部屋は一番右の端だったんだけど、キタ君は左の部屋から順番にそーっとふすまをあけていくんだ。なにか、ぶつぶついっている。

そしてぼくの部屋まできた。

キタ君は一人一人の顔のぎりぎりまで顔をよせて「さっき見てたのはおまえかー」といっているんだ。

そしてついに僕のところまできた。

僕はもうぶるぶるふるえて......そしたら、足の先の方からずーっとこう、鼻息があたるんだよ。そして僕の顔の前でとまって、

「おまえかー!!」

って言って......そのままどこかにいってしまったんだ。

次の日になって学校にいったらひとつあかない便所がある......みんなであけてみたら......キタ君が首をつってしんでいたんだよ。

……………………………………….

生徒たちの恐怖は、先生が「おまえかー!!」大声で叫んだ瞬間にピークに達した。エイコちゃんによれば、何人かは恐怖のあまり鼻血を出していたらしい。鼻血を出させるほど生徒を怖がらせる先生もすごいが、怖さのあまりに鼻血を出す生徒もすごい。僕も当時は相当華やかに鼻血を出していたらしいのだが、思うに昭和ってまだ人間が鼻血を自由に出すことが許される、そんな器の大きな時代だったのではないだろうか。

由美ちゃんの話を聞いたら、当時の光景がいきいきと蘇ってきた。景山先生も、生徒も、みんな毎日、瞳を輝かせていた。楽しかったよなぁ……。

気がつけば、すでに2時間近くが経過していた。見学終了予定の午後2時に近づいている。学校見学を終えたら、僕たちはこれからある人に会いに行く。そう、ほかならぬ景山先生に。

(続く)


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