プログラミングの世界では「ペアプログラミング」が注目を集めているらしい。これは何かというと、ふつう、プログラムはプログラマーが一人で書くものだが(当たり前だ)、これを、二人一組でやってみよう、というもの。一人でできる作業を、二人でやるなんて非効率的じゃないか、と思うかもしれないが、それが意外や意外、二人で別々にプログラミングをするよりも、むしろ効率がよいケースが多いのだという。嘘みたいな本当の話なのである。
その理由は様々に分析されている。まずは視点が二つに増えることで、相互にチェック機能が働きエラーが少なくなる。プログラミングと同時にレビューも行うような感覚になるので、品質がものすごく高まる。お互いのスキルやノウハウを提供するからプログラマのスキルも上がるし情報共有もしやすい。なにより、二人でやっているから気が張って、一人で仕事をしているときみたいに2分おきにメールチェックしたりネットサーフィンしたり○×○したりできない。つまり、だらけない。緊張感と作業密度が高まるのだ。
ぼくは残念ながらプログラミングのスキルはないので当然ペアプログラミングは体験したことはないが、ソフトウェア業界で長い間翻訳者として働いていたので、似たようなことをやったことが何度もある。たとえば、一人が実機を操作してソフトウェアの画面を表示したりスクリーンショットを取ったりする。もう一人は相手をナビゲーションしながら翻訳が画面に即した内容になっているかを確認したり、マニュアルどおりにソフトウェアを操作できるか指示したりする。二人並んで同時に同じソフトウェアを違うOS環境でテストしたこともある。そうやって作業していると、確かに気は抜けないし、疲れるから2時間もたつと休憩でも入れましょうか、という具合になる。朝に2時間、午後に4時間でもやると、もうたっぷり働いたという気持ちになって、実際、作業もかなり進むものである。同じソフトウェアのUIの翻訳レビューで、僕が日本語版を先に担当し、ソフトウェアの操作を理解してから、韓国語、中国語のレビューアーに指示を出しながら一緒にレビューしたこともあった。そのときは僕の左右に外国人レビューアーがいたから、ペアではなくトリオだったが。
部屋の掃除とか、引越しなんかでも、一人でやっているとなかなか進まないけれど、二人でやると異常に捗ることがある。きっと同じ感覚だ。最近、こういうペアプログラミングのうわさを聞くにつれ、うらやましさがつのり、翻訳でもこれができないだろうか、と妄想をふくらませていた(が、まだ試したことはない)。
どんな風になるだろうか。Aが原文を読んでしばらく考え、カチャカチャカチャを訳文を入力する。するとBが横から「そこは『は』じゃなくて『が』のほうがよくないか」と言う(Aはうるさいな~、と思う)。Aが知らない単語を、Bは知っている。逆もある。見ず知らずの専門用語が出てきたら、Aが翻訳を進めている横で、Bがググって検索する。Aが疲れてきたら、じゃちょっと代わろう、といってBがキーボードの前に座る。車の運転を交代するみたいに(実際、ペアプログラミングも交代でやることがあるようです)。AもBも、お互いの訳を、なるほどと思いつつ、それはちょっとどうかな、とも思っている。でも、結局は二人の落としどころに落ち着くので、へんなくせのない訳文を作れそうだ。そして、一日が終わったら、一人でやるよりも質の良い訳文が、いつもの倍以上も作れていた...(でも、おそらくいつもの3倍は疲れるであろう)。
という夢のようなことを考えてしまうのであるが、実際翻訳はプログラミングのようにはいかないだろう点が多々あって、なかなか難しいのかもしれない。それでも、毎日とはいわないが、たまにこういうこともやってみたい。だって、ずっと一人じゃさびしいのです。それに、二人で丸一日翻訳したら、けっこういろんな発見ってあると思うんですよね。お互いそれぞれの技を盗み合えるというか。というわけで、だれか僕と、ペアトランスレーションでセッションしませんか。ぼくはけっこう懐深いです。けっこうどんな訳でも受け入れます。たぶんけんかにはなりません。一緒によい訳を考えましょう。で、やっぱり、二人の共同筆名は『無苦小富雄(ぶくおふお)』ではいかがでしょう(しつこく続けるこのネタ)。
=========================================================================
『屍肉』フィリップ・カー著/東江一紀訳
『偽りの街』フィリップ・カー著/東江一紀訳
『密送航路』フィリップ・カー著/後藤由季子訳
『熱き夜の香りに』サンドラ・ブラウン著/秋月しのぶ訳
『謎の女を探して』サンドラ・ブラウン著/秋月しのぶ訳
『虜にされた夜』サンドラ・ブラウン著/法村里絵訳
『あきらめきれなくて』サンドラ・ブラウン著/吉澤康子訳
荻窪店で7冊。フィリップ・カーとサンドラ・ブラウンで"フルハウス"
その理由は様々に分析されている。まずは視点が二つに増えることで、相互にチェック機能が働きエラーが少なくなる。プログラミングと同時にレビューも行うような感覚になるので、品質がものすごく高まる。お互いのスキルやノウハウを提供するからプログラマのスキルも上がるし情報共有もしやすい。なにより、二人でやっているから気が張って、一人で仕事をしているときみたいに2分おきにメールチェックしたりネットサーフィンしたり○×○したりできない。つまり、だらけない。緊張感と作業密度が高まるのだ。
ぼくは残念ながらプログラミングのスキルはないので当然ペアプログラミングは体験したことはないが、ソフトウェア業界で長い間翻訳者として働いていたので、似たようなことをやったことが何度もある。たとえば、一人が実機を操作してソフトウェアの画面を表示したりスクリーンショットを取ったりする。もう一人は相手をナビゲーションしながら翻訳が画面に即した内容になっているかを確認したり、マニュアルどおりにソフトウェアを操作できるか指示したりする。二人並んで同時に同じソフトウェアを違うOS環境でテストしたこともある。そうやって作業していると、確かに気は抜けないし、疲れるから2時間もたつと休憩でも入れましょうか、という具合になる。朝に2時間、午後に4時間でもやると、もうたっぷり働いたという気持ちになって、実際、作業もかなり進むものである。同じソフトウェアのUIの翻訳レビューで、僕が日本語版を先に担当し、ソフトウェアの操作を理解してから、韓国語、中国語のレビューアーに指示を出しながら一緒にレビューしたこともあった。そのときは僕の左右に外国人レビューアーがいたから、ペアではなくトリオだったが。
部屋の掃除とか、引越しなんかでも、一人でやっているとなかなか進まないけれど、二人でやると異常に捗ることがある。きっと同じ感覚だ。最近、こういうペアプログラミングのうわさを聞くにつれ、うらやましさがつのり、翻訳でもこれができないだろうか、と妄想をふくらませていた(が、まだ試したことはない)。
どんな風になるだろうか。Aが原文を読んでしばらく考え、カチャカチャカチャを訳文を入力する。するとBが横から「そこは『は』じゃなくて『が』のほうがよくないか」と言う(Aはうるさいな~、と思う)。Aが知らない単語を、Bは知っている。逆もある。見ず知らずの専門用語が出てきたら、Aが翻訳を進めている横で、Bがググって検索する。Aが疲れてきたら、じゃちょっと代わろう、といってBがキーボードの前に座る。車の運転を交代するみたいに(実際、ペアプログラミングも交代でやることがあるようです)。AもBも、お互いの訳を、なるほどと思いつつ、それはちょっとどうかな、とも思っている。でも、結局は二人の落としどころに落ち着くので、へんなくせのない訳文を作れそうだ。そして、一日が終わったら、一人でやるよりも質の良い訳文が、いつもの倍以上も作れていた...(でも、おそらくいつもの3倍は疲れるであろう)。
という夢のようなことを考えてしまうのであるが、実際翻訳はプログラミングのようにはいかないだろう点が多々あって、なかなか難しいのかもしれない。それでも、毎日とはいわないが、たまにこういうこともやってみたい。だって、ずっと一人じゃさびしいのです。それに、二人で丸一日翻訳したら、けっこういろんな発見ってあると思うんですよね。お互いそれぞれの技を盗み合えるというか。というわけで、だれか僕と、ペアトランスレーションでセッションしませんか。ぼくはけっこう懐深いです。けっこうどんな訳でも受け入れます。たぶんけんかにはなりません。一緒によい訳を考えましょう。で、やっぱり、二人の共同筆名は『無苦小富雄(ぶくおふお)』ではいかがでしょう(しつこく続けるこのネタ)。
=========================================================================
『屍肉』フィリップ・カー著/東江一紀訳
『偽りの街』フィリップ・カー著/東江一紀訳
『密送航路』フィリップ・カー著/後藤由季子訳
『熱き夜の香りに』サンドラ・ブラウン著/秋月しのぶ訳
『謎の女を探して』サンドラ・ブラウン著/秋月しのぶ訳
『虜にされた夜』サンドラ・ブラウン著/法村里絵訳
『あきらめきれなくて』サンドラ・ブラウン著/吉澤康子訳
荻窪店で7冊。フィリップ・カーとサンドラ・ブラウンで"フルハウス"