イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

二十四の毛ガニ

1977年11月28日 19時34分52秒 | Weblog
二十四の毛ガニ

世の中に美味しいものは数あれど、なんといっても自然のなかにわけいり、自らの手で食材をとってきて、料理し、味わうことほど、楽しく、心躍る「食の体験」もないでしょう。しかしときにそれは、思わぬな結果を招くこともあります。

これからお話しするのは、事実に基づく物語です。登場する場所や人物はすべて実在のものですが、一部の団体・人物の名称は架空のものにしてあります。

*

昔、昔、今から三十年以上も前、昭和五十年代前半のある冬の日。山陰地方の小さな都市で、ひとりの銀行員が、定時ちょうどに仕事を終えた。名前は「善人」と書いて、「ヨシト」。年のころは三十代半ば。普段も特に残業をしているわけではないのだが、きょう5時きっかりに仕事を終えたのにはわけがあった。これから同僚たちと、「あるもの」をつかまえにいくことになっているのだ。先輩のOさん、後輩のウメさん、金ちゃん、ヨシトの四人は、そそくさと車にのりこみ、目的地に向かって出発した。

市街地を抜けた車は、夕暮れ時の海岸線を進んだ。沈みゆく巨大な夕陽が、雲ひとつない空を鮮やかなオレンジ色に染め、水面に反射する陽のきらめきのうえに、いくわものカモメの影が踊っている。「今夜はきれいな満月になりそうやの」。ヨシトより七つ年上の先輩、Oさんがいった。

車は、ほどなくして磯に到着した。銀行員四人組は、ここでカニを採るのである。カニ採りといっても、もちろん彼らは漁師ではない。とったカニは、その日のうちに自分たちで茹で、酒の肴にする。それが目的だ。

ここ島根県浜田市は日本でも有数の漁場で、海の幸とはきってもきれない関係にある。漁師町で生まれ育った地元の人たちは、魚をとるのがうまい。浜で魚を釣ったり、磯でカニをつかまえたり、浅瀬に潜ってウニをつかまえたりして、それらを食卓のおかずにする。会社帰りに酒の肴のカニを捕まえる。そんなのどかな時代だったのである。

四人は身支度をはじめた。ズボンを履き替え、膝のうえまである長靴を履き、軍手をはめる。準備が整うと、足場の悪い岩のうえを、ゆっくりと確かめながら歩き始めた。狭い場所を好むカニは、普段は波打ち際の、岩の隙間にいる。

磯に寄せる波の動きに合わせて、カニは前後に移動する。波が寄せれば隙間の奥に隠れ、波が引けばまた前に出てくる。正確には、横向きにしか歩けないカニにとって、すべてが左右の動きでしかないのではあるが。砕けた波で濡れた岩に足をとられないようにして、位置を確認し、素早く手を伸ばしてつかまえなくてはならない。岩で手や足を切るくらいは珍しくなく、下手をすれば、海に転落する可能性もある。そうなれば、カニの切れ目が縁の切れ目、あえなくこの世とさようなら、ということにすらなりかねない。

「カニは月夜に照らされて表に出てくるけえね」。地元とその近辺の出身である三人が、そう教えてくれた。今夜はうっとりするような満月だ。いつもとは違う神秘的な夜の光りに誘われて、カニはいつもより少しだけ無防備に、岩のうえにその体を晒すにちがいない。いってみれば、月夜のカニは、一塁ベースからずいぶんと離れたところにいるランナーだ。いつもは届かない牽制球でも、今日ならアウトを取れる。

九州は博多出身の都会っ子で、海のイロハもよくしらないヨシトは、銀行員だけにカネの扱いにはなれていたが、カニの扱いにはまったく不慣れだった。だから自分はまったく戦力にはならないことはわかっていたが、チーム全体としては、そこそこの数のカニを採れる十分な目算はあった。梅さんと金ちゃんは地元浜田の出身で二十代と若く、特に梅さんは銀行員にしておくにはもったいないほどの抜群の運動神経の持ち主で、海のことも、カニのこともよく知っている。今晩美味しいカニを肴にビールが飲めるかどうかは、彼の両腕にかっていた。

夜のとばりがおり、月夜に照らされた磯に、冬の波が打ち寄せる。ヨシトの目に、長靴でさっそうと岩場を飛び跳ねるウメさんが姿が、頼もしく映った。

*

夫たちは無事にカニを捕まえて帰ってくるのだろうか――。三人の幼い子供たちの夕飯も終わり、ヨシコはカニの、いや夫の帰りを待っていた。時計の針は七時を回っていた。ソワソワしていると、家の前で車が停車する音が聞こえた。勝手口から、魚入れを手にしたヨシトたちが満足そうな顔を浮かべて入ってきた。「大漁、大漁! 24匹も採れたけえね」。男たちがいった。「おかえりなさい」ヨシコが容器のなかを除くと、そこには48個のつぶらなカニの瞳が輝いていた。ヨシコにはカニの正式な名前はわからなかった。足にはすね毛のような剛毛がはえ、見た目もこぶりなケガニといったところだった。今夜の労をねぎらいながら、さっそくカニ料理にとりかかろうとした。

あの、これはどれくらい茹でたらいいんでしょうか。出雲市出身のOさんに聞くと、「奥さん、40分はゆでにゃあかんね」豪快に笑いながら、自信たっぷりに言った。まだ生きているカニを、大鍋に沸かした湯のなかに入れていった。熱湯に放り込まれたカニたちは必至にもがいたが、しばらくすると抵抗力を失っていった。茹で続けると、ピンク色の甲羅が、次第に真っ赤に染まっていく。四十分は少々長いのではないかと思ったが、そのときはOさんの言うなりに、きっちり時間通り茹であげた。後日、近所の漁師の奥さんにカニのゆで時間を聞いてみたところ「二十五分よ」とあっさり言われた。

ヨシコはゆであがったカニをざるにあげた。もういちど数えてみたら、24匹いたはずが、23匹しかいない。夫たちはヨシコが用意していた別のおかずでビールを飲み始めていた。一匹足りないことを告げると、おかしいなあ、24匹とってきたはずなんやけんねぇ、絶対に24匹あったんよ、と口々に訝った。男というものは、たとえ普段は銀行員という堅気の仕事をしていても、いったん狩りに出れば、仕留めた獲物の数にやたらと固執するようになるらしい。

ゆであがったカニをテーブルに運び、酢醤油でいただいた。食べられる身の部分は少なかったし、少々茹ですぎの感もあったが、身は引き締まっていて美味しく、夫たちの顔をみても、自分たちで捕まえてたカニを肴に飲む酒はやはり旨そうだった。まだ起きていた子供たちも、一緒にカニを頬張った。聞けば、やはりほとんどのカニをとったのは梅さんだということらしい。さすがである。

あっという間にすべてのカニがたいらげられた。義経の八艘飛びさながらに月夜の岩場を飛び跳ねた梅さんの武勇伝で盛り上がっているうちに、気がつけばもういい時間になっていた。明日も仕事がある。Oさん、ウメさん、金ちゃんは帰っていった。子供たちもとっくにベッドのなかだ。いつも飲み始めてから二時間後にきっかり眠りに落ちるヨシトも、もう寝息を立てている。台所でひとり、食器を片付けていると、うずたかく積まれたカニの殻が目に入った。ほんの数時間前までは月夜の磯辺を横歩きしていたカニたち。まさか今日人間に捕まえられ、生きたまま茹でられるとは想像もしていなかっただろう。生きるために、人は他の生き物を殺生しなければならない。それはしかたのないことだとわかってはいるけれど、生ゆでにされたあげく、脳みそまで吸いつくされて文字通り抜け殻になってしまったカニたちの姿に、少しばかりの哀れみを覚えずにはいられないのであった。

*

翌日。気持ちのよい冬晴れの日。すがすがしい朝の空気のなか、ヨシトと三人の子供たちはいつものように元気に出かけていった。家族を見送ったヨシコは、食器を片付け、NHKの連続テレビ小説を見ると、お茶をすすってすこしゆっくりしてから、洗濯をした。お昼近く、箒で玄関を掃き掃除をしていると、近くから奇妙な音が聞こえてきた。

「カサカサカサカサ」

ゴキブリだろうか、ムカデだろうか。耳を澄ませた。

「カサカサカサカサ」

ヨシコは奇妙な胸騒ぎを覚えた。

玄関に備え付けの靴入れには脚があり、たたきの部分との間には10センチほどの隙間があった。ヨシコはそうっとたたきに両手を突き、隙間に顔を近づけて、闇のなかを覗いた。

暗闇に、ふたつの瞳がきらりと光っていた。やはりきのう、茹でられる寸前に、一匹が脱走していたのだ。泡を吹きながら、奥の方に身を潜めている。その泡は、ここがいつもの磯辺ではなく、波音も塩水もない不気味な異空間であることへの戸惑いの証のように思われた。あるいはすべての事情を把握しているそのカニが、自分だけが生き残ってしまったことへの後悔や、死んでしまった友たちへの弔い、そして悪しき人間たちへの呪詛を言葉をつぶやいているようにも思われた。

昨日まで磯で自由にくらしていたのに、いきなりつかまえられ、仲間もすべて食べられてしまったなんて、なんて可哀想なんだろう。普段のヨシコなら、一見グロテスクなこのケガニをみて、そう考えたかも知れない。だが、そのときのヨシコは、なぜか目の前のカニに哀れみを与えるような心境になれなかった。

お昼時が近づいていた。昨日、酢醤油につけて食した、香ばしいカニの食感が、舌に蘇ってきた。

*

夕方になり、帰宅したヨシトが晩酌をやりながら、思い出したようにいった。そういえば、昨日のカニ、一匹少なかったのは、やはりどこかに逃げたんかなあ。

ヨシコは平然と答えた。「ああ、あれ、玄関のところに隠れていたので、湯がいてお昼に食べました」

ヨシトはギョッとした表情を浮かべた。「えッ。食べたん?」

「だって、海に生きていたものを、陸に逃がしてあげても、どのみち長くは生きていられないと思って」

*

ヨシトは僕の父であり、ヨシコは僕の母である。

あれから三十年以上たったいまでも、家族があつまると、あのときのヨシコのカニ捕殺事件が笑いのネタになる。隠れていた一匹を茹でて食べるのが残酷なら、23匹をまとめてゆであげるのもまた残酷なことじゃないの、と母は言う。

たしかにそうだ。たしかにそうでは、あるのだけど。

~完~