同業者のみなさまもきっとそうではないかと察するのですが、翻訳の仕事をしていると、「英語に引きずられる」ことが半ば職業病と化してしまっているためなのか、日本語の文章を読んでいて妙なところ、すなわち英語にはあって日本語にはない、言語のクセみたいなものが気になったりすることがありまして、たとえば日本語ではあまり明確に示されることのない単数or複数の概念をはっきりとしてほしい、と文章に目を走らせながらついつい釈然としない思いにかられたりしてしまいます。
言うまでもなく、英語は「そこんとこ」をくどいくらいはっきりとさせる言語なのであり、たとえばある文章に「虫」が出てきたとして、それが一匹なのか、複数なのか、それとも虫そのものという概念を示しているのかは、英語では冠詞や文末のsで簡単に表せるわけですが、日本語ではちょっと気張って「一匹の」とか、「何匹かの」とかを名詞の前後につけてあげなくてはならないわけで、まあわざわざそうする必要がなければあえて数を明示的に表す必要はないのであり、まったく問題はなく、むしろ明示的に表現せずに「虫」を表せてしまう日本語という言語は非常に便利だなと思ったりもするのですが、翻訳ではそこんとこを普通の日本語に比べて少し強めに表現しておかないと、英語の文章が持っているニュアンス、エッセンスがこぼれ落ちてしまう場合もあり、まあそれはそれでやっかいなことではありますし、翻訳が上達すればするほどいわゆる自然な日本語、すなわち単数or複数の問題に関してはより暗黙的な文章になっていくもので、たとえばこの問題について言えば、「最も~なうちの1つです」とか「1つまたは複数の」とか、そういういかにも翻訳調な文章はなるべく避けたいと考えてしまうようにはなるものなのですが、文章にはっきりとそれを示すかどうかは別として、ともかく虫が一体何匹いるのかどうかが読んでいてわからない文章であることは、そもそも言語を問わず気持ちの悪いものなので、なんとかしてそれをすっきりさせておきたいという欲求にかられてしまうのです。
と、少々前フリが長くなってしまったのですが、そしてネタとしてはちょっと鮮度が落ちているのですが、A新聞の7/20日付朝刊の一面のトップ記事の冒頭にこんな文章がありました。
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民主党は、総選挙で政権交代が実現した場合、来年度からすべての国公立高校生の保護者に授業料相当額として年間12万円を支給し、事実上無償化する方針を固めた。私立高生の保護者にも同額を支給し、年収500万円以下なら倍の24万円程度とする。高校進学率が98%まで達する中、学費を公的に負担すべきだと判断したといい、マニフェスト(政権公約)に盛り込む考えだ。
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記事の内容は高校生の子供さんを持つ親御さんにとっては基本的に喜ばしいものであると思いますし、私もまったく異存はないのですが、この文章を読んで少々気になってしまったことがありまして、それはとりもなおさず支給されるのは「生徒一人当たり12万円」なのか、それとも「(生徒がその家庭に何人いるかに関わらず)各保護者当たり一律12万円」なのかということなのでございます。
おそらく文脈から推測するに、生徒一人当たりの方ではないかとは思うのですが、やはりそこのところは少々文章がくどくなってもいいから「一人当たり」とかなんとか入れてほしいなぁなどと一人ゴチってしまわざるを得ないのであり、英語なら、"a"を使えば「あっ」という間にそこんところを表現できるものを、なんて日本語は単複にルーズな言語なんだろう、と少々おかんむりになっちゃったりしているわけで、いや、ルーズなのは日本語ではなく、この記事を書いた某さんではあろうかという気もしますが、やはりそれは某さんだけには留まらず、そのルーズな単複の概念を許容してしまっている周囲の人々、あるいはそれを咎めぬ読者諸氏、ひいては日本国民全員の責任ではなかろうかという思いも交錯いたしまして、結局のところやっぱりこれは部分的には日本語の問題なのかなぁなどと、この「一人当たり」問題についての思いを巡らしながら、長々し夜を「一人」かも寝むしてしまうかも知れないのでありますが、こういうことが気になる私は、やっぱりどこかおかしいのでしょうか(゜д゜;) ?
自分の頭がおかしくないことを祈りつつ、じゃあ、記事の全文を読んだらこの「一人当たり」問題の解がを解くヒントがあるのかと思って読んでみたのですが、どこにもそれらしきものは見あたらず、生徒一人当たり12万円なのか、生徒が何人いても一律12万円なのか、それは藪の中なのであり、素直には認めたくはありませんが、これは「そんなの常識でわかんだろ」という強度に日本語的なコンテキストのなかにimpliedされているもののようで、そんなものなのかなぁと首をひねりつつも何とか自分を納得させてみようかと思ったりもするのですが、う~ん、やっぱり釈然といたしません。
ちなみに、当該の記事の全文は次の通りでして、そしてソースは
こちらです。
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(前述の続き)
民主党はかねて高校無償化を主張していたが、不況が深刻になり、高校進学を断念したり、入ったものの中退したりする生徒が増える中、具体案を詰めて優先課題に位置づけた。多くの企業が業績を落とし、収入が減って不安が広がっており、所得制限をかけず支給するよう判断したという。15日の「次の内閣」の会合でも衆院選の主要政策とすることを確認した。
実現には年間約4500億円の追加予算が必要と試算しており、国の事業の無駄を洗い出し、不要と判断したものを廃止・縮小することで財源の確保は可能としている。
ただし、同党は一方で、高速道路無料化、ガソリン税などの暫定税率撤廃といった「目玉政策」も来年度から実施する方針だ。これらに7兆円程度を見込んでおり、全体の予算編成の中で本当に財源が確保できるか、現段階では不透明だ。
他にも、中学生までの子どもがいる家庭に対し、月2万6千円の「子ども手当」を支給する方針で、政権公約では来年度に半額支給からスタートさせるとしているが、その財源確保策として配偶者控除を廃止するため、妻が専業主婦で子どものいない65歳未満の世帯は負担増となる。
親の年収が400万円以下の学生に生活費相当額の奨学金を貸すなどの奨学金拡充、幼稚園や保育園の無償化推進なども検討しているが、教育・子育て支援は一方で子どものいない世帯の負担増にもつながり、議論になりそうだ。
同党は他にも、マニフェストの母体となる09年版の党政策集に盛り込む教育政策を固めている。教員の質を高めるため大学の教員養成課程を医歯薬系並みの6年制とし、教育実習を1年間に大幅延長する▽学校の風通しをよくするため保護者や住民らが参加する「学校理事会制度」を創設する――などとしておりマニフェストへ盛り込むことを検討している。
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いかがでしょうか? 私にはやっぱり「一人当たり」問題は解決していないと思えるのでありまして(ひょっとしたらわかってないのは私だけかも。その場合はひたすらにすみません)なおかつ、この文章を読むことで、「中学生までの子どもがいる家庭に対し、月2万6千円の「子ども手当」を支給する方針」の、月2万6千円は、中学生一人当たりなのか、それとも中学生が何人いる家庭でも一律月2万6千円なのかという新たな「2万6千円問題」までもが勃発してしまったのであります。
この文章では、見事なくらいに、単数or複数の概念が回避されています――おそらくは、「一人当たり」なのかどうかは、言わなくてもわかるはず、というこの記者の無意識的な精神作用によって、そこんとこが敢えて避けられているようにしか思えないほど、小気味よいまでに曖昧にされてしまっているのであり、日本語の数の概念に対するこの無関心さに、あるいは「数の概念なんかには依存しないぞ」というその独立心に、ちょとした驚きを禁じ得ません。
まあ、これは結局、暗黙的な「一人当たり」があるというのが答えのような気がするのですが、それを常識で判断し、正しい答えを導けたとしても、やはり気持ち悪いものは気持ち悪いのでありまして、「お前の言語感覚は狂っとる」と思われたとしても、やっぱりこの釈然としない気持ちを拭いとることはできず、嫌なことであるわけですが、いくら気持ち悪さを感じさせるものの源泉になってしっているとはいえ、そういう視点を持てるようになったのは、この仕事をしているおかげなのかなぁとしみじみとしてしまったりもするのであって、怪我の功名といいますか、言葉の大リーグ養成ギブスといいますか、常日ごろ原文に引きずられていることにも、多少のメリットがあるのかなぁなどとちょっとした発見をしてしまったわけですが、まあ、文章なんて岡目八目、他人の目で見るからこそいろいろと気になるところが生まれてくるわけで、私の文章だってつっこみどころが万巻全席だと思いますから、これ以上書くのはやめておきます。
つまるところ、私が言いたかったのは、仕事柄、原文という引力に強力に引っ張られ続ける毎日を過ごすの基本的には辛いことではあるけれども、それによってポジティブな作用が働くこともあるのではないか、なのであり、その例としてこの記事を挙げてみたのですが、どうやらこれは英語と日本語との違いというよりも、単にこの記事それ自体が持つ曖昧さだったような気もして、さらには単数と複数という概念の例ともちょっと違う気がして、結局のところこの文章を書いたことに何らかの意味があったのかどうかはかなり怪しいところなのですが、そんなわけで、ここらへんでとりとめもなく終わりにしたいと思います。
※何度かこのブログではA新聞(あえて「A新聞」とする意味はないような気もしますが)の記事を取り上げているのですが、別にA新聞について特にどうこう言いたいわけではありません。同紙を購読しているのでどうしても気になっちゃうのです。