イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

クリシェの神様

2008年02月25日 22時52分36秒 | 自薦傑作選
サッカーのゴールキーパーを一律に守護神と呼ぶな点取られるから

(解説)いつのころからか、「守護神」がゴールキーパーの枕詞になってしまった。どのチームでも、誰がキーパーでも、そこにキーバーがいれば、それは守護神。代表クラスの選手でも、ルーキーでも、とにかく守護神。前の試合で5点取られてても、トンネルしてても関係ない。なんにせよ、手袋をはめてゴールマウスの前に立っていれば、たぶん、それは守護神。今、草サッカーでも少年サッカーでも、キーパーは一律に守護神と呼ばれているはず。いっそのこと、日本語ではキーパーの正式名称を守護神にしてしまったほうがいいんじゃないかと、日本サッカー協会に提言してみたいと思ってしまうくらいだ。

最初、この言葉がサッカー中継で登場し出したときは新鮮だった。なるほど、守護神か。うまいこというじゃないか、と思った。ちょっと感動すらした。だけど、こうも毎回毎回繰り返されると、さすがに言葉は陳腐化してくる。だんだん耳にタコができてくる(陳腐な表現)。そしていまではこの言葉、僕のなかですっかり手垢のついた、新鮮味を失ったものになってしまった。本来はほめ言葉のはずが、むしろ試合前の選手紹介で「今日の日本のキーパーは守護神、誰々です」とアナウンサーが口走ったとたんに、なんとなく点取られそうな予感が倍増してしまう。縁起が悪いとすら思ってしまう。神がかりのスーパーセーブを連発するキーパーのことを賞賛して使うべきはずだった言葉が、あまりにも容易に使われてしまうようになったことで、ついにはチープなクリシェに成り下がってしまったのだ。うん、ニッポンの守護神は確かにヨシカツだ。だけど…….。

守護神と言ったとたんに点取られ

同じことが「司令塔」にもいえる。最初、これもすっごく格好いい言葉だった。それが、やっぱりずいぶんと色あせてしまった。本当にすごい選手を指して使うんだったらまだマシに響くけど、そうでもない選手に使うとき、もはや僕には司令塔なんだか管制塔なんだか金平糖なんだかよくわからない、無機質なイメージしか浮かんでこない。守護神にしても司令塔にしても、そうした何の創意工夫も見られない表現の氾濫の根底にあるのは、言葉を選ぶことに対しての怠惰な精神にほかならない。それでもアナウンサーは今日も恥ずかしげもなくクリシェを口にする。試合前、聞いているこっちが恥ずかしくなるくらいの凡庸な表現でイレブンが表現されていくとき、そこに勝利の女神の存在を感じることはできない。そこにいるのは、おそらくクリシェの女神だけだ。

ためらいもせずに「守護神」口にするアナの背後にクリシェの神様

223センチの大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントを称して、「一人民族大移動」「人間エクゾセミサイル」「現代のガリバー旅行記」と毎週オリジナリティにあふれた形容詞を連発していたプロレス実況時代の古館伊知郎がすごかったのは、毎回これまでとは違う言葉を使ってやろう、たえず新しい言葉で対象を捉え直してやろうとする鬼気迫るほどの探究心だった。自らが生み出した豊饒な言葉のワンダーランドすらからも逸脱し、逃走しようとする飽くなき言語表現への追求。当時、彼の言葉は、黄金期の只中にあってまさにまばゆいばかりに光り輝いていた、多士済々の、海千山千のレスラーたちの、さらに一歩先を行っていた。当時の言葉を拝借するならば「全国三千万人のプロレスファン」にはあえて言うまでもないことだけど、古館の実況は間違いなくあの最もプロレスが熱かった時代のプロレスを、強力に、強力に牽引していたものの1つだった。そう、言葉は時代を変えられるのだ。

藤波の掟破りの逆サソリこらえた長州バックドロップ

翻訳の世界はどうか。残念ながら、ここにもクリシェの神様がいる。彼女は、どっしりと構えている。クリシェ大明神が鎮座しておられる。守護神と司令塔がウヨウヨしている。気をつけなければ「原文がこれだったから訳文はこれ」みたいな安直クリシェ訳の嵐が吹き荒れるのだ。厳密にはこれらはクリシェとは言わないのだけども、たとえばIn factとくれば「実際」、Note thatとくれば「留意してください」、In other wordsとくれば「換言すれば」、そしてHoweverと書いてあったから「わたし迷わず『しかしながら』にしました」、みたいな訳が多すぎる。自分もそういう訳を作ってしまいがちなのだから、クリシェ的に言えば自分のことは棚に上げて、あるいは天に向かって唾吐くことになるけど、ぶっちゃけた話、そんなものヌケヌケと納品してくれるなと思う(まあ、そこまで言うことないんだけど)。

原文に「However」と書いてあったから迷わず「しかしながら」と訳して納品

たしかに、こんな訳し方は間違いではない。むしろ、不用意に外してはいけない定石だと考えることもできる。慎重に訳すことは大事だ。自分の意見を訳文に込めすぎないのも大切だ。ヘタな意訳はケツの青い奴のやること。それはその通り。だが、大事なのは、それを破ることの許されない不文律と頭から決め込んでしまっているのか、それとも、表向きは神様の教えに従うよい子のフリをしていながらも、チャンスさえあればいつだってそこから逸脱してやると機会をうかがっている荒ぶる魂を持っているかどうかの違いなのだ。苦しみながらも、苦し紛れでもいい、守護神なんて言葉毎回使ってたまるか、他の言葉、出てこいや、と思える根性があるかどうか。そこが大事なのだ。

いつだって逸脱狙え苦し紛れでもずいぶんマシさクリシェまみれより

そしてそんな精神がない限り、おそらく凡庸なキーパーは今日も変わらず凡庸な誰かに守護神と称され、そして守護神らしからぬ失態で失点を重ね、凡庸なチームは凡庸に敗退していくことになるのだと思う。どうみたって、そこには神様はいない。神様が泣いてるよ。やっぱり、それじゃつまらない。言葉に生命を、もっと光を。本当の言葉を探しにいこうじゃないか。

守守守守守守守守守守守守守守守守守守

『B面の夏』黛まどか
『聖夜の朝』黛まどか
『フランス三昧』篠沢秀夫
『都市の遊び方』如月小春
『アメリカ合衆国』本多勝一
『好きになったら読む本』藤本義一


納得の人生、あるいは俺についてこい

2008年02月24日 09時06分58秒 | 自薦傑作選
納豆と卵で熱いご飯食べ お前と一生やっていけるかも

(解説)納豆が好きだ。ほぼ毎日食べている。納豆そのものの風味を味わいたいから、タレをつけずに食べることも多い。塩っけがまったくなくて、離乳食みたいな味がする。超スローフード。でも食べ方は超ファースト。小腹がすいたら、冷蔵庫から納豆を取り出しパックから直接食べる。冷蔵庫の前で、立ったまま食べる。カメレオンが舌を伸ばしてハエ捕まえるみたいに。混ぜもしない。混ぜた方が美味しいのだけど、混ぜない。面倒くさいのだ。正直、タレをかけないのは、タレの袋を開けるのが面倒だっていうのもある。塩分控えてるのは事実だけど。噛むのも面倒。だから、ほぼ飲み込む(人間、落ちるところまで落ちるとこうなります)。

たまに自分で弁当を作って会社に持っていく。浮いたお金を、ブックオフ代に回すためだ。おかずはあんまり上手く作れないから、ご飯だけ持っていくことも多い。そんなときは、会社の近所のスーパーで納豆を買い、それをおかずにして、真っ白な弁当を食べる。見る人が見れば哀れみの涙を誘うようなランチなのかもしれないけど、僕にとってはとてもゴージャスな昼食だ(ちなみに、隣の席の女性は、白銀の世界のように真っ白な僕の弁当のことを「シュプール弁当」と表現した)。

卵かけご飯というもの僕のソウルフードの一つだ。卵にしょうゆを垂らして、ご飯にかけて食べる。熱いご飯も美味しいけど、冷や飯だって好きだ――冷や飯を食わされることには、いろんな意味で慣れている――。で、納豆があるときは、卵と納豆のコラボレーションを実現させる。納豆に卵をかけ、あるいは卵に納豆をかけ、このときばかりは塩分も気にせずしょうゆをちょっと多めにかけ、そのまま飲み込むこともあるし、ご飯にかけて食べることもある(ちなみに牛丼にも、卵をかけて流し込むようにして食べるのが大好き)。これが、最高なのだ。何回食べても飽きない。生まれてこの方ずっと食べ続けて飽きないのだから、死ぬまで飽きないだろうという確信がある。最近、人生が残り少なくなってきたからなのか(よく噛まないから早死にするだろう)、日増しにこの確信は強まっている。もちろん、この世界に絶対はないのだけど。

何にせよ、お前となら一生やっていける、と思えるものが身の回りにあることは幸せだと思う。そんなものを、今からでもいい、小さくてもいい、ひとつでも多く見つけられたらいい。翻訳よ、お前もずっとそばにいてくれ。お前となら、死ぬまで一緒にいられるよな。そして…….。

あるいはこうも言える。一瞬で消えていくもののなかにも、――あるいは、なかにこそ――、この世界の真実があり、美しさがある、と。人生は一筋縄じゃいかないから、「いつまでも続かない」と心のどこかで思っていながらも、その対象と関わらなくてはならないときもある。むしろ、そんな一過性のものに囲まれ、翻弄され、流されていくのが人の世なのかもしれない。好きなものだけに囲まれて生きていけるとは限らない。長年人間をやっていると、たとえば不条理だったり、苦虫だったり、悔し涙だったり、そんなものたちは、いくら経験を積んで賢くなったとしても、やっぱり目の前からすべて排除することはできないものなんだということがだんだんわかってくる。もし排除できたとしたら、よっぽど人間ができているか、あるいは偽の人生を生きているかのどっちかだと思う。人は、自分に配られたカードがあまりにも貧困であっても、そうか、そうだよな、といつしか納得しながらゲームをすることを覚えていくのだ。……納得。

そして幸せなことに、ぼくは翻訳という道を選んだことに、とても納得している。翻訳よ、俺についてこい、あるいは、翻訳さん、あなたの後ろをどこまでもついていきます。

そう、納得。さあ、……納豆食おうか。

乗り過ごして国分寺 涙の立ち食い蕎麦

2008年01月21日 23時49分26秒 | 自薦傑作選
腹いせの立ち食い蕎麦屋でおばちゃんは仏 人間万事塞翁が春菊天

(解説)今日もまた特快にのって国分寺まで来てしまった。つい最近乗りすごしたばっかりなのに、まただ。さすがにそんな自分に対してトサカにきた。とっても腹立たしい。気づいたときには武蔵境を通り過ぎ、車窓には見慣れない風景が映っている。1分が、1秒が、苛立ちを募らせる。もうやたらとむかついた。わなわなと怒りで震えた。歯ぎしりどころじゃない。眼ぎしりしてやった。JRのバカ。自分のバカ。俺の背後に立ってる鼻息荒いおっさんのバカ。福田首相のバカ。小沢一朗のバカ。ヒラリーもバカ。オバマだってバカ。もう~バカバカバカ。それにしても、なぜ気づかない?あるいは、なぜ気づかせてくれない?いくら僕が鳥目だといっても、ひどすぎる。確かに、穂村弘の『短歌という爆弾』を食い入るように読んではいた。本を読んでいると、ただでさえ散漫な自分の注意力は水面下にまで低下する。それは認める。でも、自分の乗る列車が普通か快速か特快かくらいは気づいてほしい。そんな人間になぜなれなかったのか。マジで、そういうことで自分をがっかりさせないでほしい。本を読むことはそんなに日常生活に支障をきたすことなのかい。そんなにいけないことなのですか駅での読書は。教えてくれないかな、二宮の金さんよ。

とプリプリしていたら、朝飯昼飯を両方とも抜いていたのがたたったのか、猛烈におなかが空いていたことに気づいた。ちょうど、国分寺駅のホームにある、立ち食い蕎麦屋の前に立っていた。普段だったら、会社帰りに駅蕎麦なんか食べることはまずない。麺食いだから本当は食べたいのだけど、食べない。家にご飯があるからだ。だけど、今日は空腹と怒りで自分を見失っていたのだろう、5秒間店の前で立ち尽くしている間に、すっかり頭のなかでコペルニクス的な転換が行われていた。自分でも怖いくらいに、駅蕎麦を食べる人に成り変っていた。

ガラガラっと戸を開けて中に入る。客は一人。店のおばさんが一人。時計の針は、9時を回っていた。すると、どうだろう。店のおばさんがとっても感じがいいのだ。「いらっしゃいませ」と心からニコニコして対応してくれる。さっきまでの殺伐とした気持ちがふにゃふにゃと消えていくようだ。思わずいい気分になって、310円のきつねうどんから360円の春菊天うどんにメニューをエスカレーションした。そうしたら、おばちゃんが、「麺は固めがいい?柔らかめがいい?それとも普通がいい?」と訊いてきた。なんということだろう。この細かな心配り。こんなの初めて。このおばさん、ただものではない。その訊き方に、まったくマニュアルめいたものが感じられない。心から客である僕のためを思って訊いてくれている、そんな気持ちがズドンと伝わってくるのだ。真のホスピタリティー、真のプロフェッショナリズム。気がつくと、客は僕一人。するとおばさんは、「うどんのおつゆが薄かったら、注ぎ足すから言ってね」と言った。一口うどんのおつゆをすすったら、「どう?大丈夫?薄くない?」とまるで病気の子供を看病する母親のような顔をして訊ねてくる「大丈夫です。美味しいです」と、いつのまにか高倉健になった自分が伏し目がちにそう答えてしまう。くさっても似非関西人、薄いつゆにはなれている。というか、関西のつゆに比べれば、それでも真っ黒で味も濃いのだけど。(心配しないでもいい。絶妙な味だよ、おばさん)と心のなかでつぶやく。うどんには、やっぱり愛情がたっぷり入っていた。このおばさんの作るうどんが、不味いわけがない。それは、ありえない。これまで食べた中で、一番美味しい春菊天うどんだった。店を出るとき、「ごちそうさま、また来ます」と言ったら、おばさんはとても喜んでくれた。店の外まで出て見送ってくれるんじゃないかというくらい、喜んでくれた。

おばさん、ありがとう。ここの立ち食い蕎麦屋は日本一や!と心のなかで叫びながら、僕は東京行きの列車に乗った。人間万事塞翁が馬。乗り過ごしたばっかりに、こんな素晴らしい出会いがあった。そう、幸せは歩いてこない、だから乗り過ごしていくんだよ。一日一歩、三日で三歩、三歩あるいて五歩下がる。ワンツーワンツーしゃべらないで歩け~。

それにしても、と思う。あのおばさんの真心に勝るものなんて、そうそうない。あの店は、高級料亭ではない。セレブお気に入りの店でもない(たぶん)。でも、こんなもてなしは、そうそうにない。こんなに満ち足りた気分になることは、そうそうない。大事なのは心なのだ。本当にそう思った。おばさん、ありがとう。そして、ごちそうさま。

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

兄貴、買いました!
『サラダ記念日』俵万智
『101個目のレモン』俵万智
『トリアングル』俵万智
『折々のうた』大岡信
『日本語』(上下)金田一春彦
荻窪店で6冊。

翻訳は誰のものか

2007年10月19日 23時06分33秒 | 自薦傑作選
最近すっかり頭の中が翻訳のことで一杯なので、コロっと忘れていたのであるが、良く考えてみると、ちょっと前(といっても十年以上前だが)、ちょうど今、眼が覚めている間のほとんどの時間、翻訳についてあれやこれやと考えているのと同じように、僕は映画についてあれこれと思いをめぐらせていた。

あるいは、映画の世界ではなかなか自分の居場所がみつからなかった僕は(正確には、居場所をみつけ出そうとする根性も行動力も才能もなかったのだが)、映画というテーマを考えるフリして、自分の行く末を案じていただけなのかもしれない。映画が好き、ということと、自分の一生をどう生きていけばよいかということが、いくらあがいても、うまくリンクしなかったのだ。

映画の周辺をウロウロとしていたそんな時代、おなじく映画について絶えず考えている友達がいた。僕以上に映画を深く考え、映画そのものを生きていた。彼は、本気だった。映画という夢に向けて、常になんらかの行動を起こしていた。だから僕は、彼といると、ちょっとした負い目を感じて、落ち着かない気分になることもあった。その友人がポロリといった言葉で、なぜだか今もとても心に残っているものがある。

「映画は誰のものでもない」それが、彼が吐いた言葉だ。何の変哲もない科白。映画は誰のものか――、そのときの話題が何だったのかはわからないが、おそらくはそんな話をしていて、たぶん評論家と呼ばれる立場にいた誰かが、映画について、よくある「こうでなくてはならない」式の語りをしたのだと思う。友人は、苛立っていた。

確かに、映画は誰のものでもない。脚本家がいて、監督がいて、出演者がいて、プロデューサーがいて、そのほかたくさんの製作関係の人がいて、観客がいて、その映画を好きになった人がいて、その映画を嫌いな人がいて、その映画にまったく興味を持たない人がいる。でも、映画はその誰のものでもない。誰もがその映画を手にすることができると同時に、それは誰かが所有できるようなものではない。個々の映画についてもそうだし、総体としての映画についてもそうだ。誰かが映画とどう関わりあうかということを、誰かが規定することなどできない。自分が求める理想の映画像を、他人に強制することもできない。友人の言葉を耳にしたとき、手に入れかけていたものが、すっと指の間からこぼれ落ちていったような気がした。肩の力が抜けたような、目の前の霧が晴れていくような、あるいは、ちょっとした悟りにも似た気持ち。

あるとき、映画仲間の先輩が、「本編が終わった後に流れるエンドロールには、映画を作った人たちの名前が書かれている。だから、映画を愛する人間ならば、作り手に敬意を表するために、本編が終わっても、エンドロールをきちんと最後まで見納めるまでは、席をたってはいけない」のだ、と言った。若かった僕は、その教えを神妙に受け取って、その後しばらくは、毎回映画をみるたびに、エンドロールをひたすらに眺めていた。必死に作り手の人たちのことを想像しながら。

今でも、その考えには共感できる。エンドロールを眺めながら、これだけたくさんの人が一本の映画作りに携わったのかと、嘘偽りなく、感慨深さを感じている自分がいる。それがよい映画であればなおさら。そもそも、何もあわてふためいて、場内が暗いうちからそそくさと外に出る必要はない。そんなに忙しいのなら、初めから映画なんか見なかったらいいのだ。でも、こんなことは本当に当たり前すぎて書くのもはばかれるけど、エンドロールを最後まで見るべきだ、というその先輩の考えは、単なる一つの意見、考え方にすぎない。だから、それを「すべきだ」と人に言うことではないのだ。なぜなら、映画はその先輩のものではないし、誰かが映画をどうみるか、ということが先輩によって決められてよい理由などどこにもあろうはずがないからだ。もちろん、先輩にどこまでその気があったのかはわからないし、その言葉を真に受けてしまった自分も青かった。だから彼個人を責める気持ちはもはやない。

今となっては、友人が苛立っていたことが、このエンドロールのたとえと同じようなことに対してだったのかすらもわからない(おそらくはもっと形而上学的なテーマだったと思う)。ともかく、その言葉が僕の心に今でも鮮明に残っているのは、映画を愛し、映画に入れ込むあまり、映画を独占し、映画が自分の意のままにあってほしい、と思う心への、はっきりとした拒絶を示していたからだと思う。そして、それがどうやら真実めいたものを表しているだろうことも、そのときなぜか直感的にわかったのだ。

誰のものでもないのは、映画に限らない。自分の所有物だと法的に認められているものですら、ひょっとしたら自分のものではない。愛する人の心も、自分のこの体も、大好きなあの歌も、この本も、実は自分のものではないし、誰のものでもない。そして、もちろん翻訳も。

翻訳への愛や情熱は、常に危険と隣りあわせだ。そうした心は、ときに翻訳を独り占めし、翻訳が自分の思いどおりでなくてはならない、との錯覚を生む。目の前に翻訳はある。手で触れることもできる。もちろん、「仮に」あるいは「一時的に」翻訳を所有することはできる。そしてそれを深く愛することもできる。人間だから、そして僕のように不完全な人間ならなおさら、愛する翻訳を自分のものだと思いたがる。そして結果的には、不本意だけど、僕も他人からみたら「エンドロールの先輩」の一人だと思われていることもあるのかもしれない。だけど、心の奥底ではこう思っている。翻訳は、誰のものでもない。

’’’’’’’’’’’アア,ナンテチュウショウテキナハナシ…スミマセン’’’’’’’’’’’

荻窪店で以下の7冊。今日は、ジェフリー・アーチャー×永井淳で「フラッシュ」

『百万ドルを取り返せ!』ジェフリー・アーチャー著/永井淳訳
『ケインとアベル』(上下)ジェフリー・アーチャー著/永井淳訳
『ロスノフスキ家の娘』(上下)ジェフリー・アーチャー著/永井淳訳
『十二本の毒矢』ジェフリー・アーチャー著/永井淳訳
『新版 大統領に知らせますか?』ジェフリー・アーチャー著/永井淳訳



メメント・モリ

2007年02月18日 20時42分45秒 | 自薦傑作選
昨日、2年前に通っていたフェローアカデミーの
「SK-III@夏目組」の同窓会があった。
いつも会を企画してくれるKaさんが今回も
アレンジをしてくれたのだった(Kaさんいつもありがとうございます)。
参加者は、Kyさん、Sさん、Kaさん、夏目さんとiwashiの5名。

最近、朝は5時起き、夜も寝る寸前まで
いろいろと翻訳LOVEの活動中なので、
お酒がまったくのめない。
(こういう健全な生活をしているのは生まれてはじめて)

と、いうことを口実にして(5時おきとお酒飲んでいないのは事実です)、みんなが
普通のランチセットを選ぶなか、パスタと「ビール」を(さりげなく)注文。
(実はメニューを開いた瞬間からビールという文字に目がくぎ付け)
そしてみんなが食後のコーヒーor紅茶をのんでいるころ、
遠慮がちにしかし迷い無く「グラスワインの赤」を注文。
(※私の泥酔伝説を知る人たちよれば、ワインを飲むと
私は酔っ払うことになっているらしい。
しかしそのときわたしにためらいの気持ちはなかった)
そのときの様子が夏目さんのブログ


Head Rush Ajaxの訳本とボロボロになった原書をみんなに見てもらう。
うれしい。

そういえば、
この本を訳すことになったきっかけは、
実は、1年前にひらかれたこの同窓会だったのだ。

***1年前****

それは、ランチも終り、みんなで、できたばかりの
表参道ヒルズにいこう、ということになって、
中の店々を探索していたときのことだった。

その日、僕は胸騒ぎを感じていた。
そしてそれを予見するような出来事もあった。

表参道ヒルズに入る直前、夏目さんがふと足を止めた。
そう、ヒルズの写真を撮り始めたのだ。
僕も立ち止まった。
そのとき、ふいに頭に冷たいもの感じた。
なにかと思って触ってみた。鳥のフンだった。
Kaさんに笑われた。そしてティッシュをくれた。
(今日、何かが起こる)なぜか、そのときそう直感した。

店めぐりにもつかれてきた頃、女性陣がそろってトイレにいった。
残された夏目さんとぼくは、
ふたりだけで人ごみのなかに立ち尽くしていた。

彼がそのセリフを口にした理由は、
男ふたりだけの気まずさを打ち消すためだったのか、
ほんの気まぐれだったのか、いまとなってはわからない。

ふと、夏目さんが伏目がちに
「コンピュータ本の翻訳に興味はありますか」と、
ジェントルマン風にさりげなく訊いてきたのだった。
もちろん興味あります、と答えた。

夏目さんはだまっていた。目は遠くを見つめていた。

ぼくはどうしていいのかわからなかった。
そして、ぼくも何も言わず、同じように遠くを行き交う人の波を眺めた。
(このあたり、フィクションが少々入っています(^^;

しばらくすると女性たちが戻ってきて、そしてまた普通のおしゃべりが
はじまった。

で、一ヶ月後にオライリー社に紹介という形で挨拶にいき、
そのまた一ヵ月後に本当に仕事の打診がきた。
さらにその一ヵ月後には試訳を提出し、
あとはつい最近まで続いた怒涛のような翻訳の日々が始まったのだった。

********************

そういう意味で、夏目組のみなさまには本当に感謝の言葉もありません。
昨日ひさびさにあって、本当にたのしかった(酔っていたからなおさら?)
ほんとうにありがとうございます☆

その日、フェローアカデミーに、出版を記念してというか、
終了生の声というような形で、5時から取材を受けることになっていたので、
そのまま酔いを残したまま夏目先生とフェローアカデミーに(乱入)。

酔いをさますため、ミネラルウォーター500mmをイッキ飲みする。
さらに、Sさんのやさしいこころづかいにより、
うれしい缶コーヒーの差し入れが。

そのままSさんに写真を取られながら、
すばらしい人柄のHさんの取材を受ける。

が、しらふのときでさえ支離滅裂な自分のトークは
アルコールによって銀河系トークとよべる境地に。

何をしゃべっているんだかわからない。

そして、誰も止めることはできない脱線トークの皇帝、
真打夏目さんの速射砲も炸裂。

予定の「軽く1時間」は、めくるめくあっという間の2時間へと姿を変えた。

今後の入学者の方のため、修了生の声を聞くために始まったはずの
取材のはずが、なぜか主に語られたのは、翻訳者の死生観について(^^;
そのトークにあえてタイトルをつけるならば、
「死に想いを馳せる」になるだろう。
特に、夏目さんが1月前に出会った野良猫と
偶然、再会しお互いの生を確かめ合う感動のくだりは、
涙なしではその場にいられないほどだった。

あの話を原稿にしなくてはならないHさんの苦労が今から偲ばれる。
といいつつも少なくとも顕在意識上では
まじめに答えていたつもりなので、大丈夫だと信じたい
(何が大丈夫なのかは定かではないが)

とにもかくにも、とても楽しい一日でした。

振り返ってみると、あの鳥のフンからすべてが始まったのだな、
ということが、走馬灯のように蘇ってきました。

夏目組のみなさん、本当にどうもありがとうございました。
また来年を楽しみにしています。

フェローのHさん、Sさん、取材、どうもありがとございました。


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P.S.
このフェローアカデミー様のサイトに記載されている私の記事ですが、
ホーム → 仕事のサポートというページに掲載されています。

実務翻訳の経験を生かして念願のIT関連書を翻訳

http://www.fellow-academy.com/fellow/pages/work/index.jsp