イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

1/2時間立ちすくむことについて

2009年05月02日 22時40分31秒 | ちょっとシリアス
カナリアの水を換え
ラバに餌をやり
1/2時間立ちすくんだ

毎朝
彼はカナリアの水を換え
ラバに餌をやり
それから1/2時間立ちすくんだ

1/2時間立ちすくむつもりはなかった
気がつくと
毎朝必ずそうしていた

それはラバに餌をやった後の一休み、
いわばひとつながりの動作かもしれない

カナリアの水を換えてから
ラバに餌をやる
その間には自然な流れがある

カナリアから
ラバに移ることに
問題は何もない

気がつくと
毎朝必ずそうしていた

彼を驚かせるのは
ラバに餌をやった後の
その一休みだ

でっかい一休み

次にすることはわかっている
はっきりとわかっている
自分自身に食わせることだ
ラバの次は、彼の番だ

だが動けなかった

彼は1/2時間立ちすくんだ―
砂漠を見つめながら

時には酒倉を見つめながら

時には井戸のポンプを見つめながら

それは立ちすくむときに
彼が向いていた方角次第だ

1/2時間立ちすくむことを
楽しみに待つほどになっていた

それは彼の朝の、最高の瞬間だった

カナリアの水を換え
ラバに餌をやり
それから1/2時間立ちすくむ

80/1/15
ホームステッド・ヴァレー、カリフォルニア

サム・シェパード/畑中佳樹訳『モーテル・クロニクルズ』より


この詩がとても好きで、折に触れて読み返す。特に目的もなく、何かを具体的に考えることもなく、ただその場に立ちすくむ。あるいは立ちすくんでしまう――、誰しもが経験するであろうそんな感覚が、詩の中に見事に表されている。畑中さんの翻訳もとてもいい。東海林さだお的な描写の細かさもいい。

こういう風に人がわけもなく立ちすくんでしまう場所は、広大な景色や光景が眼前に広がるところがふさわしい。静かな場所だ。悲しいことがあったわけでも、寂しいからでもない。特別に嬉しいことがあったわけでも、暇なわけでもない。理由なんてないのだ。ただ、その場に立ちすくむ。目の前のものを眺める。意味もなく海や空を眺めたくなるのと、同じ気持ちかもしれない。

日差しを浴びるのが気持ちよくて、僕も夏場はよく公園で立ちすくんだり、ゆっくり同じところをぐるぐる歩き回ったりする。考え事をしているといえばしているのだけど、そよ風と木々の葉がこすれる音、太陽の光の中にあって、すぐに頭の中は空っぽになる。時間の流れがとてもゆっくりと感じられる。そんな時間がとても好きなのだ。

広々とした公園の
人気のない場所に行き
ジョギングして
1/2時間立ちすくんだ

と、そんな感じなのだ。そしてそういうときに、この詩のことをよく思い出すのだ。彼が毎朝、立ちすくみながら何を考えていたのかはわからない。だけど、彼の気持ちはよくわかるような気がする。


彼の魂魄

2009年01月05日 14時38分12秒 | ちょっとシリアス
元旦に断食をして少々意識が朦朧としていたとき、ふと、小学校時代の同級生で、同じ中学校に通っていたときに命を失ってしまった友人のことを思い出した。

大人しくて、ひょうきんで、誰からも好かれていて、僕ともとてもウマがあった。中学に入ったらクラスが別れてしまったので、あまり話す機会もなくなってしまったのだけど、廊下ですれ違ったときは目と目を合わせて軽く挨拶し、お互いの存在を確認し合った。夏休みのある日、彼が海水浴にいって溺死してしまった知らせを友人から聞かされた。

当時の僕は、人の死を上手く受け入れることができなかった。信じられないという気持だけが頭の中をグルグルと渦巻いていた。涙は流れなかった。しばらくして小学校時代の友人たちと彼の家に行き、仏壇に飾られた遺影に手を合わせた。友人のひとりが遺影に向かって話しかけると、彼の母親が崩れるようにして嗚咽した。

僕は高校二年の春に父親の都合で他県に転校した。夏休みに、5年間を過ごしたその街を訪れた。友人たちと久しぶりに会い、楽しい時を過ごした。白状するけど、そのときはかなりお酒を飲んだ。酔いがまわってきたころ、突然、亡くなった彼のことが脳裏をよぎり、胸が締めつけられるような悲しみに襲われた。涙が溢れてとまらず、地面に突っ伏して言葉を叫んだ。泣き続け、帰る時間になっても動けず、友達に抱きかかえられるようにして前に進んだ。あれほど泣いたことは、自分の人生の中でも片手で数えられるほどしかない。

彼のことは今でもときどき思い出す。今頃、天国で何をしているのだろうか。あの夏の日から何十年も経った今でも、僕はまだこうして生きている。彼の分まで生きることも、残された僕たちの使命だとは思う。だけど、どれだけ僕が必死に頑張ったところで、彼が戻ってくることはない。天国にいる彼と、まだこの世にいる僕。彼がもう五感で感じることができない世界を僕は生きている。決して止まることのない時間という尺度に支配された現実のなかにいる。

死はいずれ僕の下へも訪れる。僕にできることは、最後の日が来るまで、苦楽を味わいながら生き続けることだ。以前よくつきまとわれていた、自らの命を失うことに対する漠然とした不安は、最近あまり感じなくなった。僕にはまだ人生でやり残したことがあり、それを成し遂げるまでは、生きることの方が死を恐れることよりも大切だと考えるようになったからだと思う。誰かに大切な何かを渡すまでは、走り続けなければならないのだし、あきらめずに走り続けたい。そんな心の声が聴こえる。

彼のことを想ったのは、僕の心の作用にすぎない。とはいえ、彼が久しぶりに僕の目の前に現れたのは、きっと何かのメッセージを伝えようとしてくれていたからに違いない。一言で言えば、それは「生きろ」なのかもしれない。そうだ。生きよう。懐かしく、温かい気持ちに包まれながら、そんなことを考える。友よ、安らかに眠れ。



マイブーム トマトはトマト ムーブ今  パートII

2008年12月11日 18時45分26秒 | ちょっとシリアス

トマトの話の続き。昨夕、FさんよりAさんと僕宛にメールが届いた。件名はズバリ「実!」。そう、ついにトマトが実をつけたのだ。小さく青いのが2つ。他にも花がたくさん咲いているそうなので、これからも続々と増えていくかもしれない。大きさは「イクラよりも少し小さいくらい」(相当に小さい)。種を植えたのが7月頃だったから、なんと5か月もかけて実をつけてくれたのだ。あのトマトたち、本当にやってくれるな~。泣かせやがって、バカヤロー。Fさんは今回も、写真を添付してくれた。

「環境がどうであれ、季節がどうであれ、標準的なペースがどうであれ、 自分がトマトだということを見失うことなく結実に向かっているようです。えらいねぇ、と言ってあげたいです」。Fさんが毎日世話をしてくれなければトマトも育たなかっただろう。でも、トマトたちもよくやった。あっぱれだ。本当に「えらいねぇ」と言ってあげたくなる。植えた時期が遅かっただけではなく、Fさんの家にもらわれていく前は、日当たりのあまりよくない会社の窓際に置いていたのだから、トマトたちも最初は当惑したことだろう。でも、トマトたちは決して「なんでわたしたちはこんな時期にこんな場所で生まれてきたんだろう。なんでわたしちだけがこんな境遇に置かれているのだろう」なんて愚痴をひとつもこぼさなかった(単に聞こえなかっただけかもしれないが…)。そして、ゆっくりとじっくりと、自分がトマトであることを見失わずに、成長していったのだ。

ここまできたら、きっと最後までいってくれるだろう。真っ赤に実ってくれたら嬉しい。そしてFさん夫妻のビールのおつまみになってほしい。そしたらまた写真を見たい(食べられる前の姿を)。それを見ながら、僕もブラディ・マリーで乾杯したい。

――だけど、もし赤く実らなくても、全然かまわない。トマト的には、トマトとして生まれたからには赤い実をつけることが「トマト生」のゴールなのだろうし、トマトたちも迷うことなくそれを目指しているのだとは思う。それでも今回のトマトの歩みを見てきて、なんていうか、一番大切なのは、結果じゃなくてその過程だったと思うからだ(中途半端な時期に種をまいてしまった自分への負い目もあるし)。トマトたちは、毎日、愚直にただ生きることを続けてきた。本当にすごいのは、そこだ。

トマトは「成ること」を目指してはいる。僕たちトマト隊もそれを望んでいる。だけど、それ以前に、トマトたちは「在ること」の大切さを教えてくれた。何かを成し遂げることは大切だ、しかし、それ以上に大切かもしれないことは、「どう在るか」ということなのだ。たとえば、今日という一日をどれだけ精一杯生きることができるか。どれだけ他人に優しくできるか、どれだけポジティブに自分を愛せるか。どれだけ気持よく、今ここに在ることができるか。そんなことが、目標であってもいいし、夢であってもいいと思う。もちろん、現実的、仕事的、私的な目標も多々あるわけなのだけど。

ふと気づけば、今年もあと3週間。ちなみに、トレーニング理論的には3週間で体に変化をもたらすことができると言われているらしい。肉体的にも、仕事的にも、気持ち的にも、これから3週間、トマトのように毎日少しずつ成長を続け、いろんなことに区切りをつけながら、生きていきたい。3週間あれば、僕にだって小さく青い実をつけることができるかもしれない。そこから先、赤い実が成るかどうかはともかくとして。

マイブーム トマトはトマト ムーブ 今

2008年11月15日 20時01分38秒 | ちょっとシリアス
ある日、突然だけど会社でプチトマトを育てることにした。はっきりと覚えていないのだけど、たしか3、4ヶ月くらい前のことだ。営業の人がイベントの景品でもらってきたグッズのなかに、トマトの種があったのだ。カードみたいな薄さのパッケージのなかに、種と、水をかけると膨らむ特殊な土。窓際に置いて、毎日水をやることにした。ベランダ菜園をしている同僚は、日もあまり当たらないし、土も貧弱だし、最後まで育たないんじゃないかと言った。うまく育つかどうかはわからなかったけど、ともかくやってみることにした。

別にたいして期待していたわけではなかったし、ジョークみたいなノリで始めた部分もあるのだけど、すぐに植物の生命力のすごさに驚かされることになった。数日経つと芽が出てきて、日を追うごとに成長していくのがわかるようになった。もはやこれはジョークではすまされない。トマトは生きているのだ。ちいさくともかけがえのない命を目の前につきつけられて、僕は本気になった。トマトを置いている窓際に座席のあるFさんとAさんも、種を撒いたときからトマトに気をかけてくれていた。3人の間には「トマト隊」としての連帯感が生まれた。トマトの成長ぶりを毎日観察するのがささやかな楽しみになった。かなり大きくなってきたところで、間引きをして、鉢に植えかえた。Fさんがわざわざ鉢をもってきてくれたのだ。僕は間引いたトマトを一本だけ家にもって帰ってみたのだけど、ベランダにしばらく放置していたらいつのまにか枯れてしまった。自分のささくれだった心を表しているみたいな気がして、侘しく思った。夏が終わろうとしていた頃だった。

伸び盛りの会社のトマトたちは勢いを増し、ひょっとしたら本当に実をつけてくれるのではないかと思えるほど逞しくなった。Fさんがさらに大きな鉢を家からもってきてくれた。植え替えをし、支柱を立てた。日陰になってしまうことが多いいつもの窓際に一日中置いておくのではなく、天気のよい日は日差しをいっぱいに浴びられるように屋外の非常階段の踊り場に移動した。かなり大きくなったトマトを嬉しげにしげしげと眺めていたその頃の僕たちは、ときに殺伐とした緊張感の漂う社内で浮いた存在だったかもしれない。実際、牧歌的に屋内園芸を楽しんでいる場合ではない(というか、そもそも会社はそういうところではない)ほど忙しいときも多かったが、帰り際にトマトの顔を確認するとき、それまでは職場ではほとんど感じたことのなかったような、くつろいだ暖かい気持ちになれた。

立派に育ってくれたと喜んではいたが、そこから文字通り伸び悩みの時期に入った。茎はおそらくもうこれ以上大きくはならないだろうと思えるほどになっていたが、いつまでたっても花を咲かせようとしない。もともと、ここまで成長してくれるとは思ってはいなかったので、十分だという気持ちもあるにはあった。種を撒くのが遅すぎたのかもしれないという諦めもあった。でも、僕たちの心には淡い期待が残されていた。「気長に待とう」とは言っていたが、以前と比べて目に見える成長ぶりを感じさせてくれるわけでもないトマトは、夏が過ぎ秋の足音が聞こえてくるようになると、心なしか元気がなくなっていくようにも見えた。徐々に、僕たち3人がトマトを話題にする回数も減っていった。

少しずつだけど――ちょっと大げさに言えば――、トマトのことを重荷に感じるようにもなった。このままトマトたちは花を咲かせることなく、枯れていってしまうのだろうか。後始末はどうすればよいのだろうか。冗談を交えながらも、やがて訪れるかもしれないトマトの最後をどう扱えばよいのかみたいな話もするようになった。

気になる存在だったトマトが、徐々に心の片隅に追いやられてしまうようになってしまったのは、僕が退職を控えていたこととも関係があると思う。トマトが花をつける日はいつか訪れるかもしれない。その可能性は残っている。あるいは、トマトは天国に旅立っていくのかもしれない。残念だが命あるものはいつか終わりのときを迎える。いずれにしても、それはおそらく僕が退社した後のことだろう。そんな気持ちが、わずかではあったけど心の奥底に芽生えたのは事実だった。継続案件と引継ぎで忙しく、トマトに心を向ける余裕がなかったということもある。

だからなのかもしれない。ふてくされたかのように、いじけてしまったかのように、トマトからは存在感が失われていった。生命力が次第に小さくなっていくようにも思えた。だけど僕はトマトのことを忘れたわけではなかったし、どうでもよいと思っていたわけでもなかった。少しだけ後ろめたさを感じながらも、あきらめずに生きていってほしいと願っていたし、水も与え続けていた。そうこうしているうちに、退職日になった。「トマトをよろしく」と僕はAさんに言った。ちなみに、偶然だがFさんも2週間後に退職を控えていた。今にして思えば、会社を辞めようとしているFさんと僕、残されてしまうことの寂しさを予感していたかもしれないAさんは、トマトを通じて毎日何かを伝えあっていたのかもしれない。終わりの日が少しずつ近づいていることを、そしてその終わりに向かって毎日が少しずつ変化していくことを、トマトの世話をし、トマトについて毎日軽く言葉を交わすことで、確かめようとしていたのかもしれない。2週間後、退職した僕が週一のオンサイト勤務をしていた日に、Fさんも会社を去った。Fさんは、トマトを引き取って家で育ててみると言った。僕がFさんと最後の挨拶をしたとき、Fさんの手にはビニール袋にすっぽりと収まったトマトがあった。飼い主が見つかって、不安な顔を浮かべながらもどこかうれしそうにしているペットショップの仔犬みたいだった。これからは会社の暗く冷たい窓際じゃなくて、Fさんの家のベランダでたっぷり日差しと水と愛情を与えられて育ってくれ。Fさんの律儀さと優しさに触れ、そしてトマトがこの会社のなかで哀れな死を遂げることを免れたことを思い、嬉しかった。

予期していないことは、予期していないときに起きる(当たり前だ)。あれから1ヶ月。昨日、いつものように家で仕事をしていたら、昼すぎに会社にいるAさんからメールが送られてきた。Aさんが書いた件名は、「嬉しいお知らせです!!」。FさんがAさん宛に送ったメールを転送してくれたのだった。Fさんの人柄がにじみ出るようないつもの文面で、Aさんと僕宛にそれぞれ近況がつづられている。メールの件名は、「トマトが花を咲かせました」。そう、ついにトマトが花を咲かせたのだ。トマトがやった。あのトマトたちがやりよった。やりよったんじゃ! と思わず自分でもどこの方言だかわからない言葉で感動をあらわにしてしまいたくなるほどうれしい。Fさんの旦那さんが撮影した写真が添付されている。小さく、綺麗な花が咲いている。「トマトは黄色い花だと思っていたけど、白でした。他にもつぼみがたくさんついています」――Fさんはトマトたちを夜の冷たい風から守るため、毎日夜になるとビニール袋を被せていたのだそうだ。トマトの生命力もすごい、そしてFさんの心遣いもすごい。そして何よりも、トマトもFさんも、あきらめなかった。それがすごい。

いいトマトの実が、きっと成るでしょうね、Fさん。そしたら、旦那さんとふたりでトマトを肴にビールで乾杯してください。なんとなく残酷な気もしますが...(^^)

忘れがたい思い出が、最後にできたような気がする。あきらめず、毎日水を与え続けること。命あるものを優しく愛でること。元々は景品だったトマトが、ぼくたちに大切なことを教えてくれたのだ。ぼくたち3人が水をやり続け、気をかけてあげたこと。そしてFさんがあきらめずに最後まで愛情を込めて世話をしたことで、トマトは花を咲かせてくれた。小さいながらも、なんて大きなメッセージなのだろう。

しかし、僕がこれから新しく植物を育てるかどうかは、わからない。また枯れさせてしまうかもしれない。でも、植物じゃなくてもいい。動物でも、無生物でもいい。トマトのメタファーとしての他人、自分でもいい、それを愛で、水をあげてあきらめずに育ててみたいと思う。今は枯れかけしまったと思えるあの小さな赤い花にも。トマトがそうだったように、Fさんがそうだったように。あきらめなければ、きっと花が咲くに違いない......。この殺風景なベランダにも、植物を置いたら少しは暖かい生活感が出てくるのかもしれない。春になったら、何か植えてみようかな。そんなことを考えながら、夕暮れのベランダに出てみた。そこには、真新しい鳩の糞が落ちていた。かまわない。鳩だって生きているんだ。愛でよう、すべてを――。それに、これはめでたいことなのかもしれない。だって、鳥の糞は僕にとってのラッキーアイテムなのだから。

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枯れかけたトマトに水をやる人の心に小さな白い花咲く

殴り殴られ

2008年04月19日 23時06分27秒 | ちょっとシリアス
だいぶ前の話だけど、新宿西口の駅前で詩を売っている人がいる、ということをちらっと書いた。その数日後、また彼女がいた。「この前はじめて見かけて、買おうと思ったんだけど、急いでたからそのまま通り過ぎちゃって。そしたら今日、またあなたがいたので」と僕は言った。彼女は少しだけ驚いた様子で言った「ほぼ毎日立ってます」。そうだったのか。詩集を買った。三百円。僕は勝手に、若い文学的表現欲に溢れた女性が、勇気を出して「恋の歌」を路上販売している、と思っていたのだが、家に帰って調べてみると、あの女性、ああやって新宿駅の前で二十年以上も詩を売り続けている、とても有名なお方だった。正確には、詩集ではなく「志集」という。手書きの詩をガリ版で印刷して、それをホッチキスでとめただけの薄い冊子。PCラックの前に置いて、気が向いたときに、パラパラと眺めている。もの悲しくて、そしてその名の通り、「こころざし」を感じる詩集だ。

それにしても、二十年以上もずっと街頭に立って詩集を売り続けるなんて、なんて重たく、切なく、悲しく、――誤解を恐れずに言えば――、暴力的なことなんだろう。彼女は、甘栗を売っているのではない、クレープを売っているのではない、シシカバブーを売っているでもない。彼女が売っているのは、「詩」なのだ。

僕は彼女の詩を買ったのではない。買わされたのだ。駅前の喧騒なかに佇む彼女を見た瞬間に、心がズキズキし、ざわめいた。そして、詩集を買った。買った後、気づいた。詩を買ったからって、おなかが膨れるわけじゃない。すがすがしい気持ちにもならない。僕は、いいことをしたわけでもない。彼女がただそこにいるだけで、彼女はそこからはみ出していた。そこに「在りすぎて」いた。そういった生々しさに、僕はあっけなくやられてしまった。引き渡したのは三百円にすぎないのだし、心を奪われた時間も、ほんのわずかのことなのだけど。

僕には、彼女のやっていることの意味を、定義することはできない。色々なことを思うけど、それに対して「こうだ」、と言い切ることはできない。彼女は僕の中に飛び込み、僕はわずかの間、やられた。まるで肉食動物に捕獲された小動物みたいに。彼女には勇気がある。とてつもない勇気が。鉄のような強さを感じるけど、おそらくその類の強さは僕にはないし、僕はそれを求めてもいない。

ともかく、一撃を、瞬時の衝撃を、食らった。そしてそれはいまだに僕の心にひっかかっている。僕にはその一発を食らうだけの「隙」があった。でもそんな隙がなければ、見えるべきものも見えなくなってしまう。ガードを下げて、打ち合いをすべきときだってある。殴り、殴られる、その気力と体力は僕にはまだある。そう思っているし、それに殴られることって、結構気持ちよかったりするものなのだ。

僕を変えた人

2008年04月11日 09時09分47秒 | ちょっとシリアス
少し愛して長く愛して

寂しさを心に感じない人なんていない。思いやりの心を持たない人なんていない。夢を持っていない人もないないし、運命を受け入れていない人もいない。嫌いな食べ物がない人もいないし、好きな季節がない人もいない。

「そばとうどんどちらが好き? 強いて言えば」という質問に絶対に答えない人などいないし、むかつく奴の一人も心に抱かない奴もいない。

誰もが、誰かに愛されたいと願い、誰かを愛したい気持ちを持て余している。誰もが心の赴くままに生きたいと思っているし、それができずに悩んだり苦しんだりしている。

そんな当たり前のことを、あの人はあらためて僕に教えてくれた。言葉で伝えてくれたのではない。あの人がただいるだけで、僕にはそれがわかった。それに気づくことができた。そうしたすべてを誰かと共有できるものだと知ったとき、僕は変わった。心のままに今を生きているあの人の存在を身近に感じたとき、僕も同じように前を向いて走り出したいと思った。

僕は自分がいかにありふれた存在であるかを知る。僕の誠実さと不誠実さ、真面目さと不真面目さ。努力と怠慢。そんなものは、ありふれている。わずかばかりの才能でさえも、ちっとも特別なものではない。誰もが、誰にも似ていない、その人だけに与えられた生を生きている。だけど、それらはユニークであると同時に、ありふれている。ありふれているからこそ、それを受け入れることができるはずなのだ。僕は僕であり、そして君でもある。君だって、きっと僕の一部だ。

ありがとう。僕たちはありふれた舟に乗って、この海を沖に向かってゆっくりと漕ぎ出そう。僕たちは同じ舟に乗っているかもしれないし、乗っていないかもしれない。だけど、同じ方向を目指して、精一杯、漕いでいることは間違いない。そしてときには、その手を休めたっていいんだ。

百年の時の流れのなかで

2008年04月04日 08時31分47秒 | ちょっとシリアス
百年の人生を千年のように生きるな

ということわざが、韓国にあるのだという。いい言葉だと思う。人生は百年しか続かない。だけど、時間そのものは無限だ。その無限の時間に自分の感覚を合わせてしまって、自分の人生が千年も続くような錯覚に陥いる。そして結果的に、今日を、今を真剣に生きる気持ちを失ってしまう。無気力に怠惰に時間を費やして、大切なことを先送りして生きてしまう。百年といっても相当に長いは長い。長いんだけど、やっぱりそれは短い。誰でも、自分の過去を振り返るとき、気が遠くなるほど長い時間が経過したように思えて、でもやっぱりあっという間にここまで来てしまったという感覚を持つのではないだろうか。

千年の悠久のなかにまどろんで 今を駆け抜く君を見ている

もちろん無限の感覚を持つことを否定はしない。時間に追われてあくせくもしたくない。何歳になったらこれをして、10年後にはあれをして、みたいに、あらかじめ未来を限定してしまうような考え方にも窮屈さを感じる。だけど、ときには勇気を持って今という時間の激流の中に足を踏み入れなくてはならない。いつまでも、岸辺に佇んで、流れ行く川面を眺めているだけではいけないのだ。そうしなければ、おそらくあの人はあっという間に僕の前を過ぎ去っていってしまうだろう。一瞬こちらを振り向いてくれるかもしれない。だけどすぐに前を向いて走り出す。「百年」の人生を生きている人の目には、「千年」の時間にある人のことは映らないのだ。

普段、何気なく費やしてしまっている一日という時間は、実はものすごくドラマチックで、豊かで、長くて、心から満足できるものにもなりうる。真実なのか、真理なのか、真剣なのか、ともかく、「真」と呼べるなにかが、確実に一日という短い時間のなかに存在しているのを感じる。そして、そんな大きな手ごたえは、逃げ場のない今という時の流れのなかに身を置いたときに、傍観者ではなく当事者として自らの人生に関わったときに、感じられるのだと思う。

「幸せ」という言葉はあまり好きじゃないから、代わりに「よろこび」を使いたい。もし、自分の人生に何か目的があるのだとしたら、できるだけ多くの人に、たくさんのよろこびを伝えること、与えることではないかと思う。誰かのために何かをして、それをよろこんでもらえる、こんなに嬉しいことはない。自分が大切だったり可愛かったりするのは変えられない。だけど、人生の目的はきっと、小さな保身なんかじゃないはずだ。

限りある時間のなかにいる君に無限の愛を伝えたく今

一日がこんなにも大きくて、感動的で、ずっりしていて、満ち足りたものだということを教えてくれたあの人に。君はぼくに、大きなよころびを与えてくれた。願わくば、ぼくも誰かに同じことを感じさせることができる者でありたい。

春と毒薬

2008年03月12日 00時20分58秒 | ちょっとシリアス
さよならも言わず去ることすら告げず終わりの日に初めて君のこと知る

気がついたら春がすぐそこまで来ていた。実はもう、春かもしれない。どうやらあと少ししたら桜も咲くらしい。ウソみたいだ。きっと、狐狸庵先生も驚いているに違いない。劇的な変化は、いつもこうして訪れる。いつか来るだろうとわかっていたその瞬間は、長らく待ち焦がれていたその日は、いざ目の前にするとあっけないものなのだ。どうしていいかわからないものなのだ。

あの人が去る。前触れもなく、ある日突然去っていく。いざそれを知らされて、え~、そうやったんか、と思う。あっという間に、別れの瞬間が近づいてくる。何を話せばいいのか、何をすればいいのか。ヘンに浪花節になるものいやだし、ヘンに普通すぎるのも白々しい。少しだけセンチメンタル。妙なリアリズム。去ることを決意したあの人の眼は、すでに先の世界を見ている。そして、そんなあの人のことが、あらためて心に映る。こんな人だったんだなとしみじみと。なんだか、初めて会う人のようにも思えてくる。やがて終りのときが来て、ひょっとしたらホロリと涙の一筋もこぼれて、そしてあの人はあっけなく目の前から消えていく。そして、もうあの人とは現実の世界では会えなくなる。記憶の中でしか会えなくなる。おそらく、いやほぼ間違いなく、あの人と会うことは二度とないのだ。あの人は、僕の心の中で、ただ生き続ける。

エレベーター小さな彼女の吐息だけ 春が来る前にもう僕は抜け殻

エレベーターに乗る。少女が一人。音もなくエレベーターは動き出す。彼女の吐く小さな息が聞こえる。しっかりと、そしてゆっくりと。彼女は、生きている。なんというか本当にもう、生きている。生まれてまもない子供がそうであるように、呼吸をすることが、彼女がそこにいるということが、とにかく切実なのだ。生きているのだ。そして、彼女が「生きている」ということがここまで僕の目に現前と迫ってくるということは、それは同時に僕が実は「死んでいる」かもしれないということを意味している。彼女の小さくともあの圧倒的な生の存在を前にして、僕は初めて自分が死んでいたことに気づく。しみじみと思う。僕は僕として人生の主役を生きている。ときに地球は僕を中心に回っている。しかし、それは間違いだ。どう考えても、この若い彼女が存続することの方が、僕が存続することよりも、人類全体的にみれば価値があるように思える。今、突然二人のうちどちらか一人が絶対に死なければいけない状況になったのなら、僕が挙手して死を選ぶべきなのだろう。たしかに、それでもしょうがないと思う。悔いはない。まあ、そんな状況にはめったなことでは陥らないのだろうけど。

そんなこんなで、春が来る。楽しみだ。夏はもっと楽しみだ。これからが本番なのだ。強烈な日々が待っているはずだ。だけど、悲しいかな、既に僕は抜け殻なのだ。それは隠しようもない事実なのだ。抜け殻なんだけど、抜け殻じゃないフリして、生きているフリをするのだ。

『夜回り先生』水谷修
『パレード』吉田修一
『いのちの響 心の言葉』いのちの響プロジェクト
『パートタイムサンドバック』リーサ・リアドン著/川副智子訳



好き者万歳

2008年03月04日 07時42分53秒 | ちょっとシリアス
夜走りながら、坂本龍一さんのポッドキャスト、Radio Sakamotoを聞く。今回も、聴取者が投稿した音楽やそのほかの作品の優秀作を取り上げるという内容。往年のNHK、『サウンドストリート』のデモテープ特集と同じスピリット。当時と坂本さんのノリがほとんど変わらなくて、教授ファンとしては懐かしさもアリ、そして投稿される作品の新しさに時代の変化を感じたりして、ともかく僕はこの番組をとても楽しみにしているのだ。実は、中学生のころYMOがむちゃくちゃ好きで、学園祭ではYMOのコピーバンドをやった。僕は小さいときからピアノを習っていたので、もちろんキーボード担当。龍一気取りだったのである。

中学生だった僕は、サウンドストリートのデモテープ特集をいつもワクワクしながら聴いていた。自分では投稿したことはなかったけど、他の人の作品を、なんだかちょっとだけライバル視(聴?)しながら聴いていた。そういえば、当時まだアマチュアだったテイトウワさんが投稿した作品は、やっぱりとっても凄かったのを覚えている。そう考えみると、当時はミュージシャンになりたいなんて思ったこともあったけど、早々に諦めて正解だったと思う(身の毛がよだつ)。まあ、テイトウワが現れる以前に、一番仲がよかった友達がものすごく音楽の才能にあふれていて、その彼をみていると自分には絶対音楽でいくのはムリだろう、ということが直感的にわかったこともあって、ミュージシャンの夢はあっけなく消え去った。その判断は200%間違っていなかった。音楽は好きだけど、自分に作曲や演奏の才能があるとは思わないし、そもそも本当に音を聞けているかどうかということについて、まったく自信がないのだ(その後、さらにいろいろな世界を遍歴しながら、最後はアナログな散文の世界に逃げ込んだというわけ)。

最新版のRadio Sakamotoには、特別ゲストとして高橋幸宏さんが出演していた。う~ん、懐かしい。ユキヒロと教授のやりとりって、中学生のころはそれを聞けることを当たり前のように思っていた。でも、大人になると、なかなかここまでしっくりくるものって、好きになれるものって、ないよな~、と思う。子供のとき好きだったものって、大人になってから好きになったものからはどうしても得ることのできない、安心感みたいなものがある。

二人の会話を聞きながら、大人になった今の自分の視点で考えてみると、ユキヒロってやっぱり教授と細野さんという二つの大きな才能の狭間にあって、当時、それなりに葛藤とかあったんじゃないかな、なんて思う。もちろん、三人のバンドを組んでいて、残りの二人が彼らっていうのは最高なことでもあるわけだけど。でも、彼は彼で堂々と自分らしさを出していて、それはあの低音のボーカルだったり、当時の僕たちが大好きだったおかずの多いドラミングだったりするわけなんだけど(ライディーンを作曲したのはユキヒロなのだ)、ともかくやっぱりユキヒロのいないYMOなんて考えられない。そういう意味で、ユキヒロは個性化された大人だった。坂本龍一や細野晴臣っていう才能に囲まれながらも、他に代替のできない高橋幸宏というユニークな存在を見せてくれていたわけだから。

で、今回のpodcastの番組に作品を投稿していたのも、セミプロみたいな人たちも何人かいるのだけど、基本的にはアマチュア。だけど、教授もユキヒロも、かける曲かける曲、ほぼ絶賛。確かに、いい曲が多い。それぞれ個性があって、才能があって、情熱があって。音楽の世界ってレベルが高い。これが翻訳だったら、プロから見たら素人の訳文なんてダメ出しの嵐になるだろうから。この差は何?

オーディション作品を聴きながら、プロとは何か、アマとの違いとは何か、なんてことを考えさせられた。アマはアマで、アマにしか表現できない世界があり、勢いがある。プロになったとたん、商売っけが感じられて、音にけれん味が出てくるような部分もある。プロになったら生活とかそういう問題も出てくるし、純粋に音楽の世界だけではない外部のそんなモロモロもやっぱり音に影響を与えてくるのだと思う。だから、作品レベルでみたら、プロになったからって必ずしもよいものが出来るとは限らない。だけど、プロにならなければ、やはり腰をすえた音楽活動はできない。難しいのです(たとえば、サッカーの天皇杯。アマチュアはプロと当たるとものすごく張り切っていいプレーするけど、プロはなんとなくアマチュア相手だとやりにくそう。アマチュア相手に競り負けたり、ドリブルで抜かれたり、点取られたりしたら、辛い気持ちになるだろうな~なんて思う。だけど、やっぱりほとんどの場合、最後にはなんとかプロが勝つ。プロっていうのは、そういうもんです)。ともかく、どんな道も厳しいのだなと思うけど、基本的にみんな音楽が好きなんだな、って思う。教授もやっぱり音楽が好きなんですよね。本当に。いわゆる好き者。そう、好き者。好き者最高。好き者万歳。いつまでもずっとオーディション番組やり続けてほしいです。僕もずっとずっと好き者でありたいと思うのだ。

))))))))))))))))))))))))

『魚が腐る時』マシュー・ヒールド・クーパー著/中上守訳
『アリシア故郷に帰る』ドロシー・シンプソン著/佐々田雅子訳
『呪われたブルー・エラー』ウィリアム・G・タプリー著/島田三蔵訳
『聖ペテロの遺言』A・M・カバル著/村杜伸訳
『真夜中の弥次さん喜太さん』しりあがり寿
『コルシア書店の仲間たち』須賀敦子
『アメリカ大統領を読む時点』宇佐美滋
『ドキュメント 日本のそうじ』山根一真
『「日本株式会社」批判』内橋克人+佐高信
『Hannibal』Thomas Harris
『Cover of Night』Linda Howard

ブックオフで11冊。やっぱり好き者かもしれない。僕って。

待つ人

2008年03月02日 08時34分11秒 | ちょっとシリアス
セピア色の街角に立ちあの人は待つ私ではない誰かを

関西にいた頃だからもうずいぶんと前の話だけど、とある友人の写真展を観にいった。友人がカメラで切り取った世界はとてもその人「らしさ」を表していて、友人をよく知る者としては、作品として現れた世界を通じて、彼女のことがさらによく理解できたような気がした。初めて作品を観たとき、嬉しいような恥ずかしいような、なんともいえない気持ちになった。お世辞抜きで、そうとうなレベルの写真だった。いきなり、ほとんど完成されたといってもいいくらいの、彼女の写真にしかない世界がそこにはあった。きらびやかというか、ゴージャスというか、メランコリックというか。その世界はその人によって作られたわけでもなく、あくまで初めからそこにあったものでもあるに関わらず、その写真を通じて彼女のことがよくわかるような気がするなんて、不思議だと思った。そして、人に見せることのできる「作品」を持っている友人のことを、とてもうらやましく思った。当時の僕には、彼女の作品に匹敵するような何かは皆無だった。翻訳をやってみたいと、周囲にほのめかし始めていた頃だった。

その写真展はグループ展だったので、友人の写真だけではなく様々な個性を持った写真家の作品に触れることができた。毎年恒例の写真展で、たしか三回くらい連続で観にいったはずである。だからわりと友人以外の人の作品も覚えているのだけど、そのなかにとても僕が気に入った写真があった。

それは、「待つ人」と題された一連の写真だった。様々な場所に、様々な人がいて、そしてタイトルの通り、写真のなかでその人たちはじっと誰かを待っている。ある人は街角に立ち、ある人は雨の公園に佇み、ある人は海辺の風景のなかにポツリといて、静かに、遠くを見つめて誰かが来るのを待っている。決して押し付けがましいものではなく、控えめに、過剰な表現をさけるようして、待つ人だけが静かにそこに描かれていた。それだけといってしまえばそれだけなのだけど、「誰かを待つ」という行為がかもし出す情感が妙にしんみりと伝わってきて、つい写真に見とれてしまった。そういえば、確か待っている人の被写体は、作者の場合もあった(写真に写っているのが作者だということは、友人に教わった気がする)。わりと地味目のひょうきんな感じのする男性だった。その彼がいろんなところにいて、セルフタイマーで待っている人=自分を撮っているという、そのシチュエーションを想像するたけで、なんだか笑えた。その男性が映っている写真からは、おそらく待っている相手は現れないんじゃないか、なんていう雰囲気が伝わってきた。来るはずのない相手を待っている、そんな説明は一切されていないのだけど、なぜかそれを予感させてくれる、せつない写真だった。作品はすべてモノクロームだった。いい写真だと思った。

街を歩いていて、誰かを待っている人の姿が目に入るとき、あの写真のことをたまに思い出す。誰かが誰かを待っている。喧騒のなかにあって、待つ人だけは静寂に包まれている。待っているのは、おそらくその人にとってとても大切な人のはずだ。その日のその人にとっては、世界に一人だけの大切な人。あるいは、世界そのもの。無論、それは僕ではない。待つ人の目には、僕は映らない。

誰かを待つ、あるいは自分のことを待っている人がいる。なんて素敵なことだろう。自分を待つ人がいるところになら、たぶん、どこまででも走っていける。今の一切を忘れて、あの人めがけて走っていける。僕の心の中では、今も、あの日のあの人が、あの場所でじっと僕を待っていてくれている。そして僕は、あの人が待つあの場所に向かって、今も走り続けている。

西新宿の滝に打たれて

2008年02月26日 21時52分55秒 | ちょっとシリアス
「新宿ナイアガラの滝」の前で立ち尽くす何でもない散歩のはずが

昼休み。ご飯を食べたらすぐ会社に帰るつもりだったのだけど、なんとなくそのまま引き返す気になれなくて、帰り道とは別な方向に進んでしまう。そのまま西新宿をぶらぶらと歩く。これまでに歩いたことのない道を歩くのが好き。だから、知らない道を選びながら行く。気がついたら新宿中央公園の近くにいた。せっかくだから公園の中に入ってみる。よく考えたら、こんなに近くあるのに、園内をゆっくりと見て回ったことはなかった。思ったより大きい。どこまで続いているのだろう。てくてくと歩いていく。いろんなことを考えながら。新宿という土地柄だけに、昼休みに公園をうろついているのは、ちょっと得たいの知れないおっさんとかサラリーマンがほとんどだ。一服したり、ぼけっと座っていたり。若い会社員風のお兄さんが、放心状態でベンチに座っている。会社、大変なんだろうな、と思う。

突然視界が開け、人口の滝が現れた。少しだけびっくりした。こんなの、あったんだ。滝の前まで行って見る。かなり大きい。なんとなく懐かしくて、レトロで垢抜けなくて、でも水が激しく目の前を落ちていくので、本当に自然の滝の前にいるような気もする。「新宿ナイアガラの滝」というらしい。冗談とも本気ともつかない命名。周りを見渡せば、昭和な昼休みって感じがすごくする。夏場だったらもっと気持ちいいんだろう。思わず、しばし滝に見とれてその場に立ち尽くす。思うことは、たくさんある。歩きながら考えるのも好きだけど、こうしてじっと立ったまま考え事するのも、また頭の違う部分を使っているような気がして悪くない。それにしても、つい近所にご飯食べに来ただけだったのに、ずいぶん遠くまで歩いてしまった。ずいぶんと考え込んでしまった。

見上げると、都庁がある。でっかいビルだ。この建物には思い出がある。東京に出てきたばかりのころ、何かの用事で新宿まで来て、初めてこの都庁のビルを見た。そのとき、僕は無職だった。翻訳関係の仕事を探して、右往左往していたけど、なかなかよい職にありつけなくて、とても辛い日々を送っていた。それまでの人生がすべて否定されたような気がすることもあった。とんでもないミスを、過ちをしてしまったという気分もした。夢を持って東京に来たはずが、とことん打ちのめされて、すっかり自信を喪失していた。生きていること自体が辛かった。そんな自分にとって、都庁ビルはとてつもなく大きく感じられた。世の中とか、まともな人たちとか、そういったものの象徴のように思えた。こんな凄いビルのなかで、毎日仕事をしている人がいるなんて信じられなかった。そこで働く人たちが、もの凄く幸せそうに見えた。

無職の眼に都庁高く聳え

その後、なんとか翻訳業界で仕事を見つけて、僕は働き始めた。そして、今日も働いている。都庁のビルをみると、いつもあの日のことを思い出す。もう今は、あそこで働いている人たちのことを、うらやましいとは思わない。大きなビルの中で働きたいとも思わない。ただ、自分の本当にやりたいことをしたいと思う。己の道を進むだけだ。細く険しい道かもしれないけれど。

Here, there, and everywhere に狭間

2008年02月15日 22時57分06秒 | ちょっとシリアス
本分は何かと自問し鰯焼く

(解説)ずいぶんと前、何気なくテレビを観てたら、あるお笑い芸人がいいこと言った。超大物芸人の彼は、話のなりゆきでたまたま誰かに「(~さんは)本を書かないのですか?」と訊かれ、あっさりと「自分の仕事はしゃべりだから、本は書きません」とこともなげに言ったのだった。たったそれだけのことなのだけど、妙になるほど、と思った。自分の仕事、つまり本分はしゃべることだから、そのほかのことに手を出さない。彼はそれを、至極当たり前のことのように言った。しゃべり手としてのプライドのようなものを感じたし、彼の仕事に対する哲学のようなものが垣間見えたような気がした。確かに、言われてみれば彼の書いた本は見たことがない。普通、彼くらいの大物になれば、本の二、三冊は書いているものなのに。

もちろん、世の中には、複数のことを器用にこなす人もいる。いろんな分野に手を広げることで、芸の幅を広げたり、新たな可能性を見出していくことだってある。様々なことにチャレンジするのはいいことだ。本に限れば、そもそも専業作家以外はすべて別な専門を持った人が書くものだから、書くことを職業にしない人が本に手を出すこと自体が悪いとはまったく思わない。正直、僕はタレント本も結構好きなのである。玉石混交だとはいえ。

ぼくが感心したのは、彼が本を書かないといったことではない。彼が自分の本分についてしっかりとした定義を持っていることに対して、そうか、と思ったのだ。彼に限って言えば、その考え方は成功していると思う。本なんぞ書いている暇があったら、少しでも面白いトークができるための努力をする、という風に考えているとしたら、それはきっと彼にとっては正しい選択で、たぶんあの面白さの秘密はそんなところにもあるに違いない。だらかこそ、いつもあれだけ面白いのだ。しゃべることだけで勝負する。そう思っているからこそ、トークに磨きがかかる。逃げ場所がないから、真剣になる。いろんなことをするのはいい、だけどやっぱり大事なのはどれだけ自分の本分をわきまえているかということなのだ。

でも、本分がなにか、なんてことは簡単にはわからない。ぼくに限って言えば、激しくわからない。翻訳しかやりたくない、と頑固に自分の幅を狭めてきたような気もするが、気がついたらあれもこれもに手を出しすぎて、ジャグリング状態になってしまっている。「翻訳」と名のつくものであれば、興味の向くままとりあえず飛びつき、足を踏み入れてきた。それは間違っていなかったと思う。でも、横断的に幅広く活動しているといえば聞こえがいいけど、気がついてみたら、会社員とフリー翻訳者の、産業翻訳と出版翻訳の狭間にいて、ヌエのように煮え切らない状態でくすぶっているというのが正直なところだ。客観的に見たら、お前は一体ナンなんだ? って思われてもしかたない。あらためて自己点検してみれば、ほかにも狭間は至るところにある。ノンフィクションとフィクションの間、IT翻訳と他分野の間、翻訳と通訳の間、そして新刊書店とブックオフの間……もう数え切れない。いろんなことをやりたいと思うのは性格的な部分も大きいし、将来的にも蛸壺式にひとつのことだけに特化したいとは思わない。思わないのだけれど、それでもやっぱり自分の本分についてそろそろ真剣に考えたほうがよさそうだと、最近とみにそういう気がしてならない。決してこれまでの道のりを否定したいわけじゃないし、すべては必然だった思うのだけど。う~ん、基本的に不器用なはずなんだけど、実は器用貧乏なのかもしれない。そんなことを考えていると、気もそぞろになって作業に集中できなくなる。いかんいかん、頑張らねば。春は、もうすぐそこまで先に来ているのだから。

ちなみに、その芸人というのはイワシならぬ明石家さんまさんです。


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秋刀魚はまだ季節じゃないから、鰯でも焼いて食べて一から出直すか。

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2008年01月24日 23時16分48秒 | ちょっとシリアス
野良たちよその貼紙読まなくていい「猫のふんに困っています」
「猫のふんに困っています」の貼紙の下に野良たち寄り添っていたり
野良5匹「猫のふんに困っています」の貼紙みてある日姿消した
「猫のふんに困っています」の貼紙目の前にしてぼくたちも困っていますミャー

(解説)猫の集会場になっている近所の小さな小さな公園(別名『猫の額公園』)には、いつも5匹の猫がいて、エサをあげている人も多く、自分も猫を見たり、たまにエサをやるのがとても楽しみなのだけど、つい先日、その公園に「猫のふんに困っています」という文章を書いた紙が貼りだされた。たしかに、エサだけでなく、最近は寒さが募るにつれ、ダンボールとかタオルとか、猫を寒さから守るグッズも多く置かれるようになり、狭い公園に5匹もの猫がひしめいていると一種異様な空間なりつつあった。猫が嫌いな人はぞっとするだろうし、猫のふんで困っている人もいるのだろう。貼紙には、家につれて帰って飼うなり、避妊治療をするなり、マナーを守りましょう、と書かれてある。連絡先が市になっていたから、近所の人からの苦情を受けて、市が貼りだしたのだろうと思う。さすがに、大きな文字でそう貼紙に書かれると、エサをあげる人もほとんどみかけなくなったし、ダンボールも、タオルも公園からなくなってしまった。

ぼくももういい年した大人なので、いくら自分が猫好きでも、そういう苦情をいう人のことについてとやかくいうつもりはない。というか、むしろ筋の通った話だろう。あの公園は、猫に関していえばちょっとした治外法権の場と化していたし、近所に住んでいる人のなかには、いろんな人が入れ替わり立ち代り来てはエサをあげていくことに対して、苦々しく思っていた向きもあったに違いない。そもそも、世の中には、猫そのものが嫌いという人だってたくさんいるのだから、しょうがない。僕にだって、嫌いなものはたくさんあるじゃないか。

それでも、せつない。やっぱりせつない。大人になって、世のなかのしくみが少しはわかるようになったから、それだけにせつない。あの猫たちは、どこにいけばいいのか。あの猫たちに、罪はあったのか。あの猫たちは、この冬の寒さをしのげるのか。

本当は、僕が猫を飼える家に住んで、あの猫たちを引き取ってやればよいのだろうけど、残念ながらそこまですることはできない。そう考えると、やっぱり自分は都合のいいときだけあの野良たちを可愛がっていたのか、と思う。そういう身勝手さが、きっと人の反感を買うのだ。

人間の都合で捨てられたり、迷惑がられたり、いじめられたりする猫たち。でも、猫を可愛がる人たちはたくさんいる。好きなときだけ、責任を取らずに猫の相手をすることに、批判もあるだろうけど、猫にエサをあげる人たちは、根っこの部分ではとても純粋な気持ちに突き動かされているのだと思う。ほんと、正直な話、猫と一緒にいるとき流れる時間は無垢な本物の世界で、人間の世界に流れる時間は汚れたウソの世界だ、という気がすることもある。現実逃避といわれればそれまでだけど、人類数百万年の歴史をみたら、あのまったりとした時間の流れ――肉球を舐めたり、足で頭の裏を掻いたり、猫のポーズをしたりする猫たちをじっと眺めているような――、というのは、たぶんものすごく普通で自然なものなのだと思う。それが、いつのまにか、こんなにも慌しく、世知辛い世の中に生きている。猫の公園を離れて、5分ほどの距離のところにある団地に着き、入り口でポストを開けると、ポスティングされたチラシが大量に入っている。不要なものばかり。人間、生きるためにいろいろやらなくっちゃいけないけど、本当にこんな人間社会を維持するために、猫を世界の果てにおいやらなくてはいけないのか、と思う。どこかに、公共の猫ハウスみたいの、できないかな~。地域猫っていう制度、昔テレビで見たことがあって、……いまwikipediaで調べたら、けっこう大変だということがわかった。難しいんですね……。猫と人との共存は。

猫たちは貼紙の文字を読めない。だから、朝になるとまだあの公園にいて、5匹がお互いの身体を寄せ合って暖を取っている。寒いときは辛そうな顔をしているけど、ぽかぽか天気のよい日には、気持ちよさそうにまどろんでいたいりする。猫たちは文字を読めなくていい。僕は「文章を読んでいる人」を見るのが好きだから、読めるものなら可愛いあの猫たちにだって訳文を読んでもらいたいと思うけれど、こういうときばかりは猫たちが文字読めなくてよかったと思う。もし読めたら、「人間って身勝手だニャー、えさをくれるかと思えば、迷惑だから出て行けなんて。まったくヤになるミャー。フギャー」とあきれることだろう。しばらくはまだあの公園にいてくれそうなのだが、一匹も姿がみえない日が続くと、とうとう猫たちはどこかに引っ越してしまったのではないかと心配になる。ともかく、猫を見たさに、信号を一つ余分に渡って、明日も行きと帰りにあの公園に立ち寄ろう。

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『恋文』連城三紀彦
『愛の倫理』瀬戸内晴美
『刺青』藤沢周
駅前のブックアイランドで3冊


某チュー(ハイの)缶あり

2008年01月23日 23時33分53秒 | ちょっとシリアス
皆に振られ鉛を重たく抱いたまま禊の雪の白く降る朝

(解説)些細なことがきっかけで、突然、自分が誰からも相手にされないような存在なってしまったような気がすることがある。ひとりだけ世界から取り残されてしまって、何の予定もないままぽつんと夜を過ごしている。そんな気分。

受信トレイを開く。誰からもメールは届いていない。

誰かに振られたわけじゃない。誰かにかまってほしいわけでもない。夜遊びなんてもともとしない。孤独には、慣れている。でも、なぜか寂しい。鉛のように重たい感情が、ずっしりと心にのしかかる。何かが、悪かったのだろうか。何かが、間違っているのだろうか。何かが、足りないのだろうか。

朝になる。窓の外に白い雪が吹雪いているのがみえる。初雪は、汚れた世界を純化する。うすぼんやりとしていた街に、人に、空気に、凛とした厳しさを与える。血を流したときに初めて自分が生きていることを思い出すように、雪を見ると、この世界もまた一つの意思を持ち、生理を持って生きているのかと思う。

外に出る。冷たくて、気持ちいい。もしこれまでの何かが間違っていたのなら、この雪がそれを洗い流してくれるのだろうか。そんなことを思いながら、歩き出す。

KKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKK

会社の仕事がやたらと忙しい。すでに走り始めている仕事だけでもあっぷあっぷしているのに、どんどん新しい仕事がやってくる。「駆け込み乗車はおやめください」とアナウンスを出しているつもりなのに、仕事がスライディングして車内に乗り込んでくる。けれど、決して嫌な気はしない。どんな仕事でも、やればやるだけ経験値があがると思うと断る気はしない。そもそも、好きな翻訳の仕事だ。やってくれと頼まれて断る理由は何もない。ただ、チェックする暇が十分にないだけ。でも、受ける。依頼元からのメールを受けて見積もりを書き、訳者に仕事をアサインし、上がってきたものをチェックして納品する。すべての工程に関わるスタイルで仕事をしているということは、全体が見えて面白い。本当は、翻訳だけやっていたい、とも思うのだけど。次々と仕事を依頼し、次々と仕事が上がってくる。届いた訳文を開けるとき、つくづく翻訳と言うのはまず訳者のものなのだな、と思う。翻訳者がいい翻訳をしてくれれば、もうそのプロジェクトの90%は成功したも同じ。翻訳者が数日間、一つのドキュメントと向き合って訳文を作り上げてきてくれたとき、ファイルを開いた瞬間に特別な何かがそこからあふれ出てくるような気がする。チェッカーはその訳文に介入せざるを得ないのだけど、翻訳者の誠実な仕事からは神聖さが伝わってきて、なまじ手を出すことができない。

仕事がたくさんあるということはたくさんの人とのかかわりがあるということで、うれしいことに新しい出会いもいくつかあった。忙中閑ありで、そうした人たちとちょっとおしゃべりをしてみたり。それがまた楽しいのだ。チューハイで乾杯して、明日もがんばります。

ナイトオンザプラネット、あるいは「行けない」ルージュマジック

2008年01月19日 23時34分00秒 | ちょっとシリアス
行ったことのない沖縄がせつないくらいに懐かしいあの人と食べるゴーヤチャンプルー


(解説)先日、生まれて初めて沖縄料理の店にいった。ラフテ-を、ゴーヤチャンプルーを食べた。そして、麺食い人間のはしくれとして遅ればせながら沖縄そばを初体験した。嬉しかった。美味しかった。とりあえずビールも飲んだ。シーキクァーサーサワーも飲んだ。美味かった。やたらと美味かった。もうなにもかもが。

なぜこんなに美味しかったのか。それはわかっている。料理も酒も美味しかった。お店の人の感じもすごくよかった。でも美味しさの本当の理由は、一緒にいてくれた人のおかげだ。

僕は沖縄には一度も行ったことがない。だけど、その人の沖縄の話を聞いていると、それだけでなぜだか懐かしい気持ちになる。せつなさがつのる。行ったこともないのに、懐かしさを感じてしまえるような年になってしまったことがせつなく、行ったこともないのに、懐かしさを感じてしまえるような屈折した人間になってしまったことが悔しく、それでも、どうしてこれまでの人生で沖縄に行くチャンスを作らなかったんだろう、と自分を責めるのではなく、そんなすべてをポジティブに受け止めている自分がなんだか許せる。そんなこんながごちゃ混ぜになって、なぜだかとても嬉しくて、そしてせつないのだ。

YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY

旅先で、夜、飯を食う。移動で体は疲れている。時差ぼけもあるのかもしれない。だけど、ホテルで少し休憩したら、すぐに元気になる。外に出よう。見知らぬ土地、見知らぬ風景、見知らぬ人。観るものすべてが新鮮で、心が弾む。さあ、この地で初めての乾杯だ。よその土地にきた興奮が、料理を、酒を美味くする。気の合う仲間と一緒なら、さらに楽しい。店の人にも、なぜか特別な親しみを感じる。これはもう、祝祭だ。饗宴は続き、夜は深まっていく。それでも、ふと寂しさを感じる瞬間が訪れる。異国情緒を満喫しながら、僕たちは心のどこかで、この店にくることはおそらくもう二度とないだろう、と思っている。あのウェイターに会うことも、この料理を食べることも、この杯を酌み交わすことも、おそらくもう二度とない。この土地に来ることも、この国にくることすらも、悲しいけど、最初で最後なのかもしれない。そして、目の前の人と一緒に時を過ごすことも。もちろん、二度目だってありうる。だけど、人生はすべてに二度目を期待できるほど、長くはないのだ。

このせつなさこそ、旅が人をひきつけてやまない魅力を持つ理由のひとつかも知れない。旅は人生に似ている。旅も人生も、一度しかないからだ。一日の初めと終わりに小さな生と死があるように、旅もまた駆け足で通り抜ける小さな小さな人生なのだ。

僕は自分から積極的に計画して旅行をする習慣を持たないから、沖縄だけでなく、いろんなところに行ったことがない。北海道にも行ったことないし、四国にも行ったことがない。浅草にも行ったことがないし、東京ドームにも行ったことがない。でも、こう思う。もし沖縄に行ける機会があればそれは素晴らしいこと、もしその機会がなくても、それはそれでしかたないこと。僕は有限の人生を生きているのだし、できないことを望みだしたらきりがない。なにより、美味しい沖縄料理を、沖縄の素晴らしさを語ってくれるすばらしい人と、一緒に食べることが一度でもできたのだ。これ以上、何を望めばいいのだろう。そう素直に思えるようになった。

最近、いろんな望みを諦めていくことに、徐々にだけど抵抗がなくなりつつある。僕はひょっとすると沖縄に行けないかもしれない、たぶんウィーンにも行けないだろうし、まずウラジオストックにも行けないだろう。でもかまわない。いろんなものが手に入らないとわかるからこそ、本当に大切なものをしっかりと握り締め、抱きしめればいいじゃないか。そして、そんな本当に大切なものの一つと、しっかりと出会えた夜だったのだ。

YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
荻窪店
『惜しみなく愛は奪う』有島武郎
『小さき者へ 生まれ出づる悩み』有島武郎
『夢は枯野を』立原正秋
『優しくなければ…』青木雨彦
『日本FSXを撃て』手嶋龍一
『四日間の奇蹟』浅倉卓弥
『インディビジュアル・プロジェクション』阿部和重