イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

今日も三鷹で寸止めな、2007年の仕事納め

2007年12月28日 23時20分23秒 | Weblog
今日は仕事納めの日。そして、この日の終わりに待っているもの、それは、納会だ。職場の人たちが近所の居酒屋に三々五々と集まってきて、酒を酌み交わす。しみじみと、飲もうじゃないの。同じ場所で働いていても、同僚となかなかじっくりと話す機会ってない。だからこういう場でのトークというのは、新しい発見の連続でもあり、普段のお互いの人間観察の成果の交換の場でもあり――。世代が代わり、時代は変わっても、一年の労を互いにねぎらうという心情は根深く残っている。それを確かめ合えるとうのは、とてもよいものだと思うし、やはりこんな日は、酒が旨い。

年末が近づくにつれ、徐々に日本中がreligiousになり始める。「よいお年を」、っていう挨拶がそこかしこで交わされ、それぞれが一年を振り返り、締めくくっている。そして、年賀状――。よく考えたら、これって郵便制度が成立してから、とってつけたように作られた風習にも思えるが、とにかく、多くの人が大切なものだとまだ思っている。それに、たとえば一本締め(今日、ぼくの職場ではなかったのだけど)。これって、コーランだよね。日出る国の。

帰りの電車。中央線武蔵境駅の住民はすべて、いつも三鷹駅で待たされる。特急の通過待ちだ。あと一駅なのに待たなくっちゃいけない。寸止め。ビジネスクラスのチケットをお持ちのお客様は、一等客船の乗客たちは、三等の切符しか持っていない僕たちが立つホームを見向きもせずに、高速で通り抜けていく。いつも、走り去る特急の背を見つめながら、俺たちには、金はないけど夢はある、なんてことを思う。三等の切符でタイタニック号に乗り込んだ、ディカプリオみたいな気持ちになる(って、そんなかっこいいものではありませんが)。プロレタリアート各駅列車は、その後ややあって、トロトロ蟹工船みたいに走り出す。いいんだ、俺たちは。どれだけ待たされたって。車内のみんなはそんな顔をしている。試合に負けても、でも勝負には勝ったよな。俺たち。そうだよな、人間万事塞翁が馬だよな。急行の止まる駅なんて、住みたくないよな。なんてことを、互いに無言で語り合う。人生、早く駆け抜けるだけがいいってもんじゃないんだよ、挫折のない人生なんて、本当の人生じゃないんだよって、誰もそこまで思っていないか。でもなんとなくみんなそんなこと考えているんじゃないかなんて気持ちにさせられる。毎日毎日三鷹で待たされ続けると。

この三鷹の寸止め、けっこう忍耐力を養うよい訓練になってる。
すっといきたいところにワンクッション置かなければならない、
という翻訳の技にも通じる精神性が求められるから。

家に帰って、テレビを観る。ぼくの好きな爆笑問題が漫才をやっている。田中のつっこみは面白いのだけど、なんで漫才ってボケとツッコミって役割が決まっているのだろう、と思う。もちろん、例外もたくさんあるのだろうけど(そういえば、ヤスキヨは、ときどきそれが入れ替わってた)。このManzaiっていうの、日本独自の文化かもしれないね。アメリカだったら、一人でボケてたら、観客が勝手に笑ってくれるんだから。いわゆる、漫談だ。

そんなこんなで、一年も終わり。
今年はいろんなことがあった。よくやったと、自分を少し、ほめてやろう。
でも、まだまだすべてにおいて足りないことだらけ。不満足、だ。
しっくりきていない、この感覚。なぜなの、っておもうけど、
その原因を探ることも大切だ。もっと自分に素直になろう。
来年も、吉とでるか蛇とでるか、やりつくせるところまでやってみよう。

それに、今年もまだ3日も残っている。大事な時間を有効に使おう。
やるべき大切な仕事が待っているんだ。

というわけで、戯言を書いてしまったので昨日の続きはまた明日書きます。

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中野坂上の文教堂
『ドリーム・ガール』ロバート・B・パーカー著/加賀山卓郎訳

武蔵境のブックアイランド
『柔らかな頬』桐野夏生
『マジシャン』松岡圭祐
『クレイジー イン アラバマ』マーク・チャイルドレス著/村井智之訳
『大国の興亡』ポール・ケネディ著/鈴木主税著