イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記パートII ~いつまでも、僕は君を待っている~ その1

2010年08月31日 23時36分40秒 | 旅行記
「ピンポーン」

緊張の面持ちで、イットマンが呼び鈴を鳴らした。

海に面した旧道沿いにある大きな家の広い庭には、夏の強い日差しが燦々と照りつけていた。高まる鼓動をなだめようとするかのように、通りの向いにある日本海から、静かに打ち寄せる波の音が聞こえてくる。沈黙が続いた。近所に住んでいた気になる女の子、Kちゃんの家の前に、僕たちはいた。

子供の頃、よくこうやって誰かの家の呼び鈴を鳴らした。鍵のかかっていない玄関の引き戸を開け、子供っぽさを強調するような声音で、「○○君、遊ぼう~」って、思い切り叫んだ。あてどなく町をぶらぶらし、ふいに誰それの家に寄ろうと思いたち、歩を向けおもむろに呼び鈴を鳴らす。なんという自由さ、なんという信頼関係、なんという開けっぴろげさ。この「隣の晩ご飯」的な自由さは、今の僕の暮らしでは想像できないものだ。だが、この場所では例外的にそれが許されている――そう、ここ浜田では。

小学校の同級生だったイットマンと僕には、転校生という共通点があった。僕が小学4年生の終わりに転校したように、イットマンも中学1年生だったの年の6月、お父さんの仕事の関係で浜田を去ることになった。そのまま転移先の松江で学校を卒業し、住居を構える雲南市から今も松江にある会社に通勤している。浜田には高校3年生のときに一度だけ戻ってきたことはあるけど、それ以来、ずっとご無沙汰していた。

去年の夏、28年ぶりに浜田を再訪した僕とは、そのときは会えなかったけれど、ノリちゃんのお母さんがイットマンのお母さんに連絡をしてくれたことがきっかけで、今年の春に東京で再会できた。お互いランナーだったから、再会ついでに皇居を走ろうということになった。有楽町で待ち合わせ、29年ぶりの再会に興奮しながら、ともかく走った。心地よい汗を流した後、焼き鳥屋で乾杯した。思い出話に花を咲かせながらのビールが、最高に美味しかった。夏に浜田で会おう、今度は浜田の町を走ろう! そう誓い合って別れた。

そして約束通り、いま僕たちはお盆の浜田市にいる。

午後1時半、浜田駅に到着した僕は、イットマンに愛車「デロリアン」で拾ってもらった。予定通り、僕たちはエイコちゃんの家に行き、一年ぶりの感動の再会の挨拶もそこそこに、ランニングウェアに着替えさせてもらって、午後2時過ぎにさっそく走り始めた。ここは熱田と呼ばれるエリアで、イットマンが住んでいた家もすぐ近くにある。僕が住んでいたのは長浜と呼ばれるエリアで、熱田と長浜は小学校を境にして地域を二分していた。長浜が古くからある漁村をベースに広がっていった地域だとすれば、熱田はさしずめ新興住宅地という位置付けだ。

去年の僕と同じように、イットマンがまっさきに歩いて(正確には「走って」)みたいと言ったのは、住んでいた家の周りと、通学路だった。走り始めてすぐ、彼の全身を飲み込むようにして、強烈な懐かしさが洪水のように押し寄せてきた。イットマンの足は自然とKちゃんの家に向かっていた。

イットマンのドキドキが伝わってくる。彼の胸に去来しているであろう甘酸っぱいセンチメンタルな気持ちが、僕にも乗り移ってくるようだ。誰だって子供の頃、近所に気になる異性のひとりやふたりはいたはずだ。ほとんど話す機会はなくても、帰り道に姿を見かけたり、クラス替えで別のクラスになって、ちょっとだけ寂しい気持ちを感じたり。だけど結局、それっきりで、いつのまにか転校して離れ離れに。そこまで詳しくイットマンに確認したわけじゃないけど、なんとなくそんなことを想像してしまった。

今はもう、ウン十年経って、お互いに大人になっている。人としての核みたいなものは、たぶんあの頃と何も変わってはおらず、面影だってはっきりと残っているはずだ。これまでも、これからも、僕たちは何度も誰かの家の前で「ピンポーン」をするだろう。だけど、こんなに胸がドキドキするピンポーンはそうそうない。

懐かしすぎるあの人が玄関先に登場し、目と目があったら、その瞬間に大人である彼は子供に逆戻りし、子供だった彼は大人へと急成長する。ふたりの彼とふたりのあの人が、時空を駆け巡る。こんな瞬間は、人生でもめったに訪れない。この局面で、ドキドキしない男はいない。

沈黙が続いた。

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一年ぶりに、僕は浜田に帰って来た。懐かしい友達と会うために、去年は会えなかった友達と会うために。大好きな清君夫妻の家に泊めてもらい、えいこちゃん家の庭で去年と同じようにかぺ君たちとみんなでバーベキューをするために。

だけど、実のところ、なぜまた浜田に来ようと思ったのか、その理由を正確に説明することはできない。ここには僕の家はない。僕にとって浜田は帰省先でもなく、単なる旅行先でもないのだ。だが、ここには過去の自分が今も生きていて、大人になった大切な友人たちがいる。故郷とは呼べないかもしれないけど、どこよりも懐かしい、自分の原点のような場所。

そんなわけで、少し逡巡はしたけど、やはり今年も来ずにはおられなかった。そして、ともかく僕は来た。今回は、「スーパーおき」で遠回りすることなく、ちゃんと広島からの高速バスに乗って。

怒濤の空耳ウォーク、あるいは「麻生・ザ・ライト」

2010年08月31日 22時46分16秒 | Weblog
Spoonの「I Saw the Light」

今年は、会社帰りに、休日に、実にあちこち歩き回っていたけど、iPodでおそらく一番多く聴いたのがこの曲だ。すごく気に入っていたし、聴くと気持ちも盛り上がって歩くリズムも快適になるので、呆れるくらい何度も聴いた。でも、飽きなかった。

この曲を知ったのは、podcastの番組『All songs considered』。おすすめの番組だ。めったにCDは買わないのだけど、このSpoonのアルバム『Transference』は、思わず速攻で購入してしまった。

で、歌詞は「I Saw the Light」なんだけど「麻生・ザ・右翼(ライト)」って聞こえてしょうがない。ほったいもいじくんな、じゃないけど、「麻生ザライト」と言ったら、何割かのネイティブは、i saw the lihgtって言ったんだと受け取ってくれるんじゃないかなあ~。そんな状況あり得ないけど。ともかく、いい曲です。



Spoon- I Saw the Light



そぞろ歩き10、麻布十番編の報告

2010年08月29日 14時28分36秒 | Weblog
昨日28日、麻布十番を無事そぞろ歩いて参りました。

参加してくださったみなさま、ガイドをしていただいたIさん、本当にどうもありがとうございました。
炎天下のなかの散策となりましたが、多くの方にご参加いただき、とても楽しかったです。

ブログにレポートをアップしました

みなさま、またそぞろ歩きましょう!

翻訳そぞろ歩き10「麻布十番編」8/28(土)開催いたします!

2010年08月24日 18時46分33秒 | Weblog
「翻訳」がキーワードな人たちが、東京各地を散策してただおしゃべりするだけというシンプルかつゆるいコンセプトがささやかな評判を得ております「翻訳そぞろ歩き」、記念すべき10回目の今回は8月28日に麻布十番編として開催いたします。

今回は麻布十番に何年も通勤していた経験があり、この街にとても詳しい翻訳者Iさんがガイド役をつとめてくれます。今回はオススメです! みなさまこの機会にぜひご参加くださいませ。現在まで6人が参加予定です。参加をご希望の方は私までご一報ください。連絡方法、当日の内容について詳しくはそぞろ歩きのブログをご参照ください。

なお、集合場所は麻布十番駅から神谷町駅(東京メトロ)に変更いたしました。お気をつけくださいませ。

それでは当日、アザブジュバーンでお会いしましょう~ ^^

エアポケットタウン 

2010年08月22日 22時29分07秒 | Weblog
さっきコンビニで、今月号の『散歩の達人』の表紙に、

中央線ナチュラルタウン特集 

西国分寺、国分寺、武蔵小金井、東小金井、武蔵境

と書いてあったので中身を確かめることもなく迷わず即買いした。

武蔵境が表紙になるなんてめったにない。そういう意味ではジャケ買いに近い。

上記の町を総称して、「人と自然を結ぶ 中央線 エアポケットタウン」というらしい 笑

たしかにそうだ。ここはエアポケット。


実は、武蔵境より西にはほとんど行かないのだが、これを気に、少し開拓してみることにしよう。

真夏の蜜月

2010年08月22日 17時19分27秒 | Weblog
これだけ暑いと、「夏なんて大嫌いだ」と感じている人はたくさんいると思う。嫌いとまでは思わなくても、今年の夏の猛暑、炎暑、酷暑でずいぶんと辛い思いをした方が多いのは間違いない。一刻も早く涼しくなってほしいと願っている人も日本全国に数え切れないほどいるだろう。だが、真夏が大好きな変態男は逆のことを考えている。奴は、暑くなるほど幸せになるのだ。そう、それは私です。

今年の夏は最高。去年は「晴れるかと思いきや曇り」攻撃にさんざんやられて、フラストレーションがたまりまくりだったから。

梅雨が明けてからほぼ毎日、一番日差しの強い時間帯を狙って、3時間ほどウォーキングしたりジョギングしたりしている。もっとも、ジョギングといっても早足の人よりも遅いくらいのペースだから(それをジョギングと呼んでいいものかどうかはこの際、深く検討せず)、過激な運動をしているわけではまったくない。上半身は裸、頭にはタオル(走り始めてはや8年、いまだにジョギング用の帽子を買ったことない)、下半身もむき出しじゃなくてジョギングパンツ一枚(ジョギングパンツの設計上、下着は穿かない。だからふんどしいっちょうな気分)という、スマートさとはほど遠い「ガテン系」スタイルで、音楽も聴かず、タイムを計るわけでもなく、動物園の白クマみたいに同じ所をダラダラといったりきたりする。途中、ペットボトルの500mmの水を2本ほど飲み、水道水を頭から浴びる。裸で水道水を浴びている姿は、傍目にはちょっと危ない人だ。そのうちシャンプーし始めたら堅気ではなくなる。上半身裸、全身濡れ鼠でトイレに行くと先客にギョッとされる。

西東京市には、しょっちゅう光化学スモッグ注意報が発令される。公園内を走っているので車の排気ガスを直に吸い込むことはほとんどないが、常識的に考えて真夏の昼間に運動をするのはよくないことなのだろう。人に「いつも昼間に走っています」というと、おそらくは「いつも生肉を食べています」と言うのと同じくらい野人的な響きがあるらしく、かなり奇異の目で見つめられる。要するに、アホだと思われている。奇特な人だと思われている。たしかにそうだろう。

だが考えて欲しい、光化学スモッグ注意報が発令されている中あえて炎天下をジョギングする男と、光化学スモッグ注意報を発令させてしまうほど排気ガスをまき散らしながら冷房の効いた車に乗って移動する人々の、どちらが地球にやさしい男なのかを。どちらが愚かな存在なのかを(みなさん、胸に手を当てて考えてみてください)。

だが、自分では無茶なことをしているつもりはない。暑い日差しのなかを走っていると、本当に気持ちがいいのだ。走っている理由はそれだけなのだ。とにかく気持ちいい。「健康のため」はおまけみたいなものだ(むしろ体に悪いのかもしれないし)。強烈な日差しにやられて、光化学スモッグにやられて、多少気分が悪くなることもある。だが、そんなの関係ない。

「イワシさんて、ストイックなんですね」とお褒め(お世辞)の言葉をいただくこともある。人からは苦行のように見えるらしい。だが、まったくそんなことはない。むしろ、自堕落なほどに快楽を愉しんでいるだけ。汗だくにはなるが、裸で汗をかくとその水分で体が冷えて、体の表面はとてもヒンヤリしている。だからまったく辛くはない。弱めのサウナに入っているみたいで、全身がホコホコして汗が噴き出し、体の芯から温まる。体温が上がり、体のなかでいろんな悪い菌が死んでいくのがわかる。汗がどんどん出てきて、一緒にいろんな成分がたっぷりと体から放出されたような気がする。走り終わった後は絞りたての雑巾になったようなさっぱりした気分(つまり、普段は雑巾のように汚れている)一番暑い時間帯を体感しているから、それ以外の時間帯ではあまり暑さを感じない。だからクーラーは不要。クーラーを入れると体が温度差にびっくりして、体調がてきめんにおかしくなる。

家に戻ってシャワーを浴び、帰りに近所の野菜スタンド買った枝豆(350円で枝付きのがどっさり)を茹でて食べる。人生の愉しみ、ここに極まれり、といった感がある。僕にとってこれほど揺るがない、確かな価値を与えてくれる行為は他に何かあるだろうか? 

走りながら考え事ができるのもいい。必ずといっていいほどいいアイデアが浮かぶ(ほとんどはボツになるけど)。だからまったく退屈しない。むしろ歩いたり走ったりしていないときの方が、思考が散漫になるから間が持たないのだ。

そこに真夏の太陽がある限り、死ぬまでこの炎天下ランニングをやめるつもりはない。走っている途中に死ぬのが自分の最後なのかもしれないともよく思う。でもそれで本望だ(すごく近い将来そうなったりして)。

ともかく、あと少しで夏が終わるのが残念でしかたない。だから夏になるといつも、幸福さと同時に、憂鬱な気分にも襲われる。

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飽きることなく炎天下をウロウロした今年の夏、そんな己に我ながら半ば呆れつつ、あらためて、こう自覚した。

僕はこの「炎天下ランニング」が好きだ。好きなことは、誰に言われるわけでもなく、飽きずにいつまでも続けられる。――死すらも恐れることなく。

逆に、好きでないことを続けるのは非常に困難。

そのとき、もう一人の自分(炎天下変態ランナー)から強烈な問いかけがあったのだった。

「お前は、自分の仕事である翻訳に対しても、この炎天下ランニングと同じくらい、好きだという感情を持っているか?」

ズバリと核心を突かれた。もちろん好きだ。たしかに「好き」だ。好きだからこの仕事をしている。それは間違いない。だが、「翻訳がたまらないほど好き」という気持ちを、一日のうちにどれだけ感じているのか?

気がついたら、いつのまにか翻訳は「仕事」になってしまった。効率よく進めなくてはならない「作業」になってしまった。どうやったら集中できるか、モチベーションを高めることができるようになるか、そんなことを考えなくてはならない対象。本当に好きであれば、炎天下に体ひとつで飛び出していくランナーのように、すべてをほっぽり出してでも真っ先に翻訳をするだろうに。

止められてもやる、アホだと言われてもやる、「やろう」とわざわざ思わなくてもやる。好きで好きでたまらない。今日、それができることを心から嬉しく思う。明日、それができると思うと布団のなかでニヤニヤする。

そんな風に没頭できたら、今よりももっともっといい仕事ができるようになるはずだ。極論を言えば、本当にいい仕事はそんな気持ちからしか生まれないのだろう。でも、現実にはなかなかそうはいかない。なぜだ? 好きで始めた翻訳のはずなのに。

翻訳を始めたてのころ、僕にも翻訳が面白くてたまらないという、幸せな蜜月があった。ウキウキした気分で、いつも翻訳のことを考えていた。ただただ幸せだった。だからこそ翻訳LOVEを自称さえした。認めたくはないが、正直、今、毎日が当時と同じような高揚感で満たされていると言えば嘘になる。少なくとも僕は今、ハネムーンの最中ではない。その理由は様々だ。すべてを自己分析し、把握しているわけではないけど、おそらくはいくつもの要因が複雑に絡み合っている。

無理して自分を正当化することはできない。好きだという気持ちは心から自然にわき上がるものだ。自分に嘘はつけない。

ああ、炎天下ランニングと同じくらいの情熱を持って翻訳に取り組めたら。心からそう思うことができれば、人生はきっと楽園になる。毎日が炎天下になる(納期に追われて毎日が8月31日だってことは、この際いいっこなしで)。熱中症なんて怖くない、皮膚がんなんて怖くない。ただただいつまでも、太陽の下を歩いていたい。走っていたい。そんなニヤニヤしたくなるような毎日が、僕を待っているはずだ。

そうなれるように努力しなければいけない。努めなくてはいけない。だが、好きだと思えないものを無理矢理好きになるための努力はしたくない。何かを好きになるのは、簡単なことではない。無理して好きになる必要はないし、相手からは好きになってもらえるとも限らない。お互いの相性だってある。人の気持ちなんて、当てにならない。そもそも、自分をしっかり持っていなければ、誰かを好きになることなんてできない。

もう一度、まっさらな目で相手と向き合い、その良さや魅力を確かめよう。好きになろう。
まだ僕は翻訳について何も知らない。そして恋は、いつも向こうからやってくるのだ。

(と、最後、どうまとめていいかわからず、適当にお茶を濁す)

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イットマンこと伊藤君が浜田での写真を送ってくれました。僕のお腹には新しい命が宿っています(笑)。旅行記はあと数日後に連載開始します。

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28日は麻布十番でそぞろ歩きを開催します。現在6名が参加予定です。みなさま、よろしければ一緒に歩きましょう!




帰還

2010年08月18日 20時09分27秒 | Weblog
昨日、無事に帰宅いたしました。

休暇中お世話になった皆様、本当にありがとうございました。おかげさまで今年も充実のお盆になりました。

浜田ではまたまた清君夫妻の家に泊めていただきました。夜はエイコちゃんの家でバーベキュー。異様な盛り上がりでした。ケーキ入刀事件が忘れられません 笑 みんなありがとう! 旅行記、また書きたいと思います。

そぞろ歩き京都編では、久々の京都散策を満喫できました。ブログにレポートアップしました


28日は麻布十番でそぞろ歩きを開催します。みなさま、よろしければ一緒に歩きましょう!

岡山県の児島には日程の都合で行けませんでした。またの機会にぶらり訪れてみたいです。

今日は家の掃除・整理整頓に明け暮れました。新たな気持ちで仕切り直します! 毎年、年に何度も同じような決意をしているような気もしますが 笑 

夏休みの予定

2010年08月12日 23時55分49秒 | Weblog
明日13日~15日まで島根県浜田市に行ってきます。

去年のお盆に28年ぶりに浜田に行きました。あれから一年です。早いですね~。
前回ほど長くはならないでしょうが、今回も旅行記を書いてみようと思います!
懐かしの前回の旅行記


15~17日は滋賀県の両親が住む家に帰省します。
久しぶりの琵琶湖が待ちきれません。
京都にも行きます。僕は真夏の京都がとても好きです。晴れてくれるかな?
電車や街のなかで浴びる関西弁のシャワーが楽しみです ^^

17日は京都でそぞろ歩きします。

28日は麻布十番でそぞろ歩きを開催します。よろしければ一緒に歩きましょう!

それから、時間があれば岡山県の児島をぶらり歩いてみたいのですが、果たして...

一寸の想像にも馬鹿の魂

2010年08月12日 22時53分02秒 | Weblog
散髪の最後、ドライヤーを当てながら美容師の人が「髪の毛が...だから帰ったら洗ってくださいね」と言った。

ドライヤーの音が大きくて「...」の部分が何かわからなかったけど、面倒だったのでわかったふりして「はい」と言った。

その後も美容師の人は「...は何とかだから」と言ってわらった。もういまさら聞き返すこともめんどうなので、なんだかよくわからないけど、一緒になって笑った。

30分ほどかけて歩いて家に帰り、しばらく雑用をしてふと洗面所で鏡をみたら、頭のうえを尺取り虫みたいなのが歩いているのを見つけた。

ぎょっとした。すぐに「尺さん」を手でつかみ、水道であの世送りにさせてもらった。尺さん、ごめん。生まれ故郷の海に帰って(ちがうか)、安らかに眠れ。

尺さんが髪の毛のうえをゆっくりと歩いている不気味な映像が脳裏に焼き付いて離れない。いつから虫がいたのか?

ふと、ひょっとして、あの美容師が言ってた「...」は、この虫のことだったのかなあ?

と思ってしまった。

絶対にそんなわけはない。頭に虫がついてますから、家に帰ったらシャンプーしてくださいなんて、そんな美容師いるわけない。

でも、瞬間、そう思ってしまう。僕はこんな風に、現実で瞬時に理解できないこと起こると、ものすごくあり得ない思考をしてしまうことがあるのだ。こんな調子だから、よく、人に笑われる。

たとえ瞬間でも、そういう風に考えてしまう自分の愚かさが嫌いである。そして紛れもなく、それが自分の真の姿だとも思う。

夜に

2010年08月12日 00時44分02秒 | Weblog
「夜に」

夜が来るのを待つ
息をひそめながら

寝静まった人の寝息を確かめると僕は
冷たく暗い台所に立ち
開け放たれた冷蔵庫の光だけが
僕を異様に照らす

銀色のアルミ箔をぎらりと剥がした
ひとかけらのチーズと
テーブルの上のパンを
おもむろにつかみ 口におしこみ
廊下を歩く

きしませながら階段を上り
部屋に戻る

パソコンをつなぐと画面の前で
僕の目と指先だけが
活発に動き始める


僕の時間が来た


すべてが暗闇で寝息をたてる
夜に

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川畑朋子 詩集『しあわせプリン』より

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ここ半年ほど、ずっと余裕のない日々が続いた。ほとんど休む暇がなかった。
(「余裕がないのはここ半年じゃなくっていつもだろ」という声が聞こえてくるようですが)

やってもやっても仕事が終わらない。「今日はこれだけ進めたい」と意気込んで一日を始めても、夜、その日の成果を数えてみたら、雀の涙かネコの額かというほどの量。毎晩、悔しくて涙がこぼれた(というのは嘘)。びっくりするほど進むときもある。気分が大きくなる。だけど翌日は、またネコの額。下手すると、ネコの死体。

大きな書籍の仕事が1件あり、加えて実務翻訳の仕事もほぼ従来と同じ量を受けた。だから実際、仕事量は多かった。そもそもそこに無理があったのかもしれない。だけど頑張ればできるはずだった。でもできなかった。どれだけ頑張っても。

「なぜ仕事が進まないのか?」仕事をしながら、次第にそれを考えるようになった。

生活態度、健康状態、モチベーション、翻訳スキル、翻訳工程のムダ、Youtueの見過ぎ...。要因を数えていったら、いくつもあった。煩悩の数ほどあった。仕事の遅さは、その総合的な結果だ。それが実力。すべてを根本から変えていかないかぎり、飛躍的に仕事が早くなることも、翻訳がうまくなることもない。

そのためには、日々の小さな努力、工夫しかない。にじり寄るようにして、少しずつ、前に進まなければならないのだ。「1ワードでも多く」、「0.1秒でも早く」、「少しでもうまく」、そのために何をすべきかをひたすらに考え続けた。考えながら、Youtubeも見た。

その結果、苦しみ抜いたこの半年のなかで、ごくわずかだが力がついた実感はある。一日の処理量も、ネコの額から、イヌの額ほどに増えた。

だが、ノイローゼのような状態は続いた。残りの仕事量の多さに気が遠くなった。あと「5万~10万ワード」の状態がず~っと続いた。仕事を入れなければよかったのだけど、断りたくない仕事が多かったのだ。やりたいことができないフラストレーションがあまりにも長期間、続いたことで、人格までおかしくなってしまいそうだった。

仕事が遅れて人に迷惑をかけてもいるのに、のうのうとブログを書く気にもならなかった。編集者や関係者の方が読んだら、どんな気になるだろう?「ブログ書いてるその指で、仕事しろ」と思うに違いない。そう考えたら、指が動かなかった。プライベートでも、めぐりめぐって、いろいろな人に、いろいろ迷惑かけたのではないかと思う。あらためて、ごめんなさい。

汲々とし、自分の時間がまったくない非人間的な生活。「忙しい」、「休めない」のは何の自慢にもならない。それは単に、自分が無能なことの証明。二度とこんな生活には戻りたくない。このままでは、カラカラの砂漠みたいな人間になってしまう。そう強く思った。

仕事の合間に「この日々から開放されたらやりたいことリスト」に、思いついたことを書き込んでいった。半年間、書きためてたまりにたまった「やりたいことリスト」はいま、気が萎えるほど長くなった。

実際、今晩の僕は、この長いリストを目の前にして、少し怖じ気づいている。やりたいこと、やるべきことは山ほどある。でももう本当に、やらなければ死んでも死にきれない(実際は、死んだら死ぬのだろうけど)。もっと人生を楽しむこと、人に優しくすること、本を読むこと、翻訳の勉強をすること、仕事の質を高めること、体を鍛えること、Youtubeを見る量を減らすこと… すべては書ききれないけど、小さなウィッシュを含めれば、煩悩の数の10倍くらいはあるんじゃないかと思う。特に、翻訳者として真の力を身につけ、納得のいく仕事ができるようにならない限り、この不安、不満からは抜け出せないことはずいぶんと前からわかりきっている。

僕はこの挑戦を乗り越えることができるのか? 

わからない。だが、もうこの半年間のような生活は送らない。それだけは誓おう。季節は春から夏だったが、僕にとっては真冬だったようなこの日々を。日々はただ痛切に、自分に足りないものを教えてくれた。だから、ムダではなかったのだけど。

僕は変わる。僕は変わろう。少しずつ。少しずつ。


僕の時間が来た


すべてが暗闇で寝息をたてる
夜に


翻訳そぞろ歩き10 麻布十番編 8/28(土)開催のお知らせ

2010年08月07日 21時41分23秒 | Weblog
翻訳そぞろ歩き、十回目の今回は麻布十番で開催いたします!

今回は、麻布十番にお詳しい、翻訳者Iさんにガイドしていただく予定です。
私のガイドよりも数倍楽しい散策になること必至!
ご興味のある方は、この機会にぜひご参加くださいませ。

そぞろ歩きのブログに告知をアップいたしました。

(仮)なお、8月17日(火)午前中、番外編として京都北白川~南禅寺方面のそぞろ歩きを計画しております。急な告知で申し訳ないですが、関西在住の翻訳関係の方でご興味のある方、ぜひそぞろ歩きましょう~!

詳しくは明日以降、ブログにアップいたします。

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<ご参考>
私の夏休みの予定

8月13日から、今年も島根県浜田市に遊びに行きます! その後、両親の住む滋賀県で数泊して、17日夜に東京に戻ります。