イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

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河合さんのこと

2007年07月21日 00時40分01秒 | Weblog
河合隼雄氏が他界された。

氏の思想には関心が高かったこともあって、
特に学生のころ、何冊も著作物を読んだ。
ぼくは学生時代からの約10年を京都で過ごしたから、
京大にいた氏のことは身近に感じていた。

翻訳がらみで言えば、みずずから出ている、
あの『ユング自伝』は、当然ながらというか、
河合さんの翻訳だった。

大学の専攻が心理学だったので、
一時期は、臨床心理士になろうかと考えたこともある。
だから河合さんが日本に紹介してくれた思想は
とても興味深く読んだ。
ついでに言えば、当時勢いのあったTranspersonal心理学にもかなり
興味を持っていたし、ちょっとニューエイジにもはまっていた。
#ニューアカでいえば、中沢新一がすっごく好きだった...

大学の外にでれば、巷にはあやうい思想もあふれてはいた。
もちろん、まっとうなものもあった。
でも、今で言うロハスや癒しと同じことを言っても、
世間ではかなりの少数派で、奇人変人扱いを受けかねない空気があった。
#実際に奇人だったと言われればまったく否定はできないが...

そういう当時のニューエイジゆらゆら派にとって、
河合さんのあの人間性というのは、
ある意味こころの支えにもなっていたようにと思う。

河合さんとは直接関係ない話になってしまうが、
いまやすっかり市民権を得たヨーガも、
思想的に語ろうとすると、神秘主義という
レッテルを貼られがちだったし、
エコロジーの盛り上がりにしても、ここまで主流なものに
なるとは思えなかった。
#こうしたムーブメントには賛同しているが、
#まったく無批判に諸手を挙げているわけではない。

しかし、河合さんの残した功績は、大きい。
有形無形の財産となって、現在に、そしてこれからも
生き続けていくのだろう。

ご冥福をお祈りします。
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お~い、夏!

2007年07月20日 00時09分13秒 | Weblog
梅雨は今月の20日で終わるのではなかったの?(@_@)?

1月前くらいには天気予報がそう言っていた。
ずっとそれを信じて生きてきたのに...

何度もいうが、真夏、炎天下、カンカンと照りつける太陽の下、
焼けたアスファルトの上を汗だくになりながら
ランニングするのを無常の喜びとして、わたしは生きている。
熱中症ギリギリ、皮膚がんスレスレ、しかしその後のビールが美味い。

今は家~小金井公園をメインのランニングコースにしているが、
2年前に武蔵境に越してくる前は多摩川沿いの河原と
駒沢公園をよく走っていた。懐かしいな~。

多摩川沿いは、道路も舗装されてなく、行き交う人も少ない。
砂埃の舞う、両側が雑草だらけの道を走るのが好きだった。

暑いからシャツを脱いで上半身ハダカになる。
その瞬間、わき腹のあたりにつめたい風を感じる。
そのときの、ぞくぞくっとした感触、
木の葉が触れ合う音、遠くで聞こえる少年野球の練習試合の歓声、
そして――熱。
遠くには蜃気楼が見え、上には真っ青な空と白い雲。

ふと自分の肩口のあたりに目をやると、塩がふいている。
舐めるといい味がする。
途中にある水道で、頭から水を被る。
異常に気持ちがいい。

これが僕のプアマンズスポーツクラブ。

まじで常夏の国に移住してランニング+翻訳生活を送りたいと
考える今日この頃。

ちなみに、「お~い、お茶」って、その後に、「持ってきて」
っていうことでしょう? お茶くらい自分で入れようね。
ものすごくマッチョで封建主義的な考えを背景にしたネーミングだと思う。
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12秒で1ワード訳し続けて...

2007年07月18日 23時53分15秒 | Weblog
翻訳業界では、
平均的な英日翻訳者の
一日あたりの処理量は
原文2000ワードといわれる。

これを多いと感じるか少ないと感じるかは
訳す対象のモノにもよるし、訳者の実力にもよる。
あるいは、その人が楽観主義者か悲観主義者かにもよる。

しかし、おおむね翻訳会社が外注翻訳者に発注する場合、
日/2000wで予定を立てるのが相場になっている。
なぜそうなのかは定かではないが、
やはりそれが平均的な翻訳者の処理量であると
考えてほぼ間違いないと思う。

それに、2000という区切りよさという問題という気もする。
正確に平均値を取ったら、翻訳者の処理量は
1852wなのかもしれないし、2345wなのかもしれないのだから。

計算してみたのだが、もし1日7時間翻訳作業に費やすとして
1日2000ワード仕上げようとおもったら、約12秒に1ワード
翻訳しなければならない。

これは、簡単な文章をスラスラと訳すことができた場合、
かなり余裕があるといえるかもしれない。

Today I saw three shiba-kens.



今日、柴犬を3匹みた。

とでも訳すと、5ワード×12秒で60秒、
1分に相当する仕事である。これは楽だ。

でも、人間、集中力というのは長く続かない。
途中でメール書いたりネットサーフィンしたり、テレビみたり
本を読んだり、×○×したり、△■を食べたり、
いろいろやってしまうものなのだ。

それに、翻訳をやっていると、原文が難しくて意味が分からなかったり、
調べても調べてもわからず、1語のために数十分
下手したら数時間を費やしてしまうこともザラなのである。

ともかく、時計の秒針がチックタックと12回音を立てる間に、
1ワード、日本語に訳していく。そして一日が過ぎる。
それが翻訳者の仕事なのだ。

ちなみに、ぼくは個人的に理想的には2000wというのは少なくて
4000wくらいできる超人になれたらいいなとおもっているのだが、
今日計算して気づいたが、そうすると6秒に1ワードを7時間続ける
必要がある。これはかなりの超速人間というよりもひょっとしたら
超訳でないと達成できない(^^; はやさかもしれん。

しかし、常にではなくても、原文と一体となり、
スラスラスラと訳文が原文を読む端から
湯水のように沸いて出てくるようではくては、
本当のプロにはなれんということだとも思う。

と、いうようなブログを書いていると、1ワードも訳せないのであるが...
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およびでない、およびたち

2007年07月17日 23時47分03秒 | Weblog
英語で3つ以上のものを並列にならべるとき、
最後のひとつの前にandをつける。
A, B, and C という風に。#Bの前の「,」は省略化

これは、英語で読む分には問題ない。
いくつか列挙されたあとでand がくると、
「そうか、次で最後か」とわかるからリズムもいいし、
後続の文章も読みやすくなる。
そもそも、それが英語のルールなのだ。

でも、同じルールは日本語にはないはずだ(と僕は思っている)
 
 A, B, そしてC 

とか、

 A, B, およびC 

とは、言うのは自由だが、それは日本語の決まりではない。
「および」を使った結果、効果的になる場合もあるし、そうでない場合もある。

翻訳に際して、「および」の使用をルールで決めている場合もあるだろう。
たとえば、マニュアル翻訳とか、法律文書とか。
だが、そういう特殊なルールがありえないところで、
このandを逐一「および」に訳すとかなり変な日本語になる場合がある。

目の前の「および」がおヨビでない「および」かどうか、
つまり、andを訳すのか省略するかは
訳者の判断が問われるところだと思うから、注意が必要だ。

機械的に、無自覚に目の前にある語を一字一句、訳出していく、
そうした態度こそが、翻訳臭の残る訳文を
世に生み出してしまう原因になるのだ、と自戒をこめて言おう。
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絶対に100%は共感できないキャッチフレーズが、そこにはある

2007年07月16日 13時25分11秒 | Weblog
サッカーのアジアカップ。
今回はタイ、インドネシア、マレーシア、ベトナムの4カ国の共催。

毎回この大会を観ながら思うことだが、アジアというのは本当に多彩な地域だ。
選手の体や顔つきをみているだけでも、
中東、南アジア、東アジア...
ウズベキスタンのようなロシア系の国もあれば、
今回からは最近AFCに加盟したオーストラリアも加わった。

同じ地域内でもはっきりとした違いがある。
身体的な部分もそうだし、文化や国民性みたいなものも、
サッカーには結構現れるもので、それがまた面白い。

今回いいなと思ったのは、共催の開催国、4カ国が地元の利を生かして
がんばっているところ。マレーシアだけは大敗を喫してしまっているが、
今日日本が対戦するベトナムやタイ、インドネシアも十分に決勝トーナメント
を狙える位置につけている。地元のチームがかってその国の人たちが
喜びを爆発させているシーンを観ると、
今回はそれが特にこれまであまり国際試合で華々しい
活躍をしてこなかった国々というこもあり、
こっちまでうれしくなってくる。

もちろん、僕は基本的に日本代表を応援している。
キムラ和司の時代から、20年以上応援しているので、
日本が国際試合でそれなりの相手にスカッと勝てるようになってきた
ときに、それまで虐げられてきた日本のサッカーファンが味わった爽快感
というのを、今回のベトナムやタイの国のサッカーファンたちは
感じているのだろうな、と思う。

ところで、前からちょっと気になっていたのだが、
某テレビ局の「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」
というキャッチフレーズはいかがなものか、と思う。

ものすごく自己中心的な世界観がそこにはある。
負けられないと思っているのは、相手も同じことだ。
だから、「絶対に負けたくない戦い」というのなら許せる。
しかし、「負けられない」と言い放ったとき、そこに僕が感じるのは
相手の存在が抜け落ちてしまった完全なる自己都合的な発想である。

もちろん、この言葉の背後にある気持ちはよくわかる。
自分だって、スポーツにしろなんにしろ、「ここは負けられん」と
思うことはしょっちゅうである。が、それはあくまでも内側に向けて
言う言葉であって、分別のある大人が、公に「この戦いは絶対に負けられへん」
と厚顔にものたまうのは、相手に対して礼儀を欠くことにはならないか。

相手チームだって、相手チームなりの事情を背負って、
一生懸命やっているのである。
相手の方がいいサッカーをしているのならば、相手が勝つべきであり、
それでも日本に勝ってほしいとはわたしだって思うが、
勝たなくてはならない、などという翼賛的な発想には共感できないのだ。

ともかく、今日の19時、ベトナム戦だ。
「絶対にビールを飲みながらテレビ観戦を楽しみたい戦いが、そこにはある」
実は、そんなことしている場合ではないのだが...



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若い彼女を前にして思ったこと

2007年07月16日 01時17分53秒 | Weblog
すべて嫁がイニシアチブをとってやってくれていることなので、
ぼくはサシミのツマのような形で参加しているだけなのだが、
地元の国際交流施設の制度を利用して、留学生のホストファミリーをしている。
といっても家に寝泊りしてもらっているわけではなく、
たまにご飯を食べにきてもらったり、遊びに行ったりするという関係だ。

ぼくたちがホストしているのは二人。
それぞれ中国と台湾からきて、日本の大学で学んでいる女性だ。
二人ともとってもまじめだし、可愛い。人間的にとっても魅力的なのだ。

年齢的にはギリギリ親子でもおかしくないくらい離れている。
ぼくには子供はいないが、ちょっとした親心というものを感じてしまっている。
とはいえ、彼女たちのほうがはるかに僕よりもしっかりしているので、
彼女たちが日本で生活していくうえで
僕の存在はほとんど役に立ってはいないように思える...

昨日は、台湾からきているVanessaが、
初めて彼女のドミトリーに嫁と僕を招いてくれた。
ほとんど留学生ばかりが住んでいるというその施設はとっても立派で規模も
大きく、おそらくは1000人くらいの留学生たちを収容できそうな広さだった。
その敷地内は、まるで外国のよう。
さまざまな国からの留学生同士、いろんな交流もあるらしい。
キッチンは共有で、それぞれのお国柄を思わせる調味料が置かれていて
面白い。

彼女の真心のこもった手作りの料理でもてなしを受ける。とても美味しい。
台湾の味付けなのだそうだが、思っていたより日本の味付けと近いものを感じた。

Vanessaはまだ21才。しかし、プエルトリコで8才まで暮らしていたということで
スペイン語がしゃべれる。母国語は中国語、
おばあさんと話すときは台湾語もしゃべるのだという。
で、英語がものすごくうまい。ぼくよりはるかにうまい。
プエルトリコ時代に、まわりに英語をしゃべる友達がたくさんいたから
なのだというが、その後も、英語の本を読んだりして勉強していたようだ。
その彼女が、日本語を学んでいるのである。いやはや...

彼女は専攻は土木工学なのだが、昨日初めて、将来は通訳の仕事も
やってみたい、と言った。同じ通訳翻訳人としては、非常にうれしい。
彼女なら絶対いい通訳者になれる、と確信。

若い彼女の前には、無限の可能性が広がっている。心からがんばってほしいと
思うし、幸せな人生を過ごしてほしいと思う。そして、彼女なら大丈夫だと
思える。むしろ心配すべきは自分の人生だったりして...(^^;

でも、本当にときの過ぎるのは早い。
ぼくが彼女くらいの年だったのは、15年も前のこと。

彼女を見ていると、それが、つい最近のことのように思えてくる。
これからも、今まで以上に早くときが過ぎ去ってしまうような気がして
ならない。だからこそ、時間を大切にして、やるべきことに集中したいと
思う。この世に生まれてきたことの意味をもういちど考え、
かけがえのない人生で、自分のできることは何かを探していきたいと思う。

僕にとって仕事、そして人生を考えたとき「翻訳」がこれからももっとも大きな
キーワードになることは間違いない。

限られた時間のなかで人は生きている。
その中で、できることは何か。やるべきことは何か。
本当にやりたいことは何か。人に喜ばれることは何か。
それを考える。自分にとってそれは翻訳だと言おう。

ぼくにとっての翻訳とは、生きた証を求めて行うものではなく、
ただ今を自分が生きるために必要なものだと思える。

翻訳すること、それが自分なんだと、なんだか最近そう思えるようになってきた。
それがうれしい。
翻訳人として足りないところが本当に多い自分には、
そんな心境に達するのは、まだまだ早いとは思うし
超えなければならない山がたくさん見えてはいるのだが。


コメント

3ヶ月ぶりに投稿

2007年07月01日 20時36分06秒 | Weblog
久しぶりの投稿です。

一部からは、死んだと思われていたようです(^^;
自分でも、その可能性は否定できないものがありましたが、
幸運にも、ようやく地下生活からよみがえってくることができました。

その間、いろいろなことがありました。

・仕事がかわった(ソフトウェア企業の社内翻訳者から翻訳会社に)
・翻訳書が出版された(英治出版『インドの虎、世界を変える』)
・翻訳学校に再び通いだした(加賀山卓郎氏の文芸のクラス)
・通訳学校に通い始めた(何を血迷ったのか。でもとても勉強になっている)
・地味な食事に変えた(完全ではないが、玄米、無農薬野菜など中心)
・ブックオフ依存症になった(月100冊ペースで購入、自分にヤバイものを感じる(^^;)

こうしてみると結構変化があったのですが、3ヶ月たち、
すっかり新しい生活にもなじんできました。
月も変わって、気持ちもあらたに翻訳Loveを追求したいと思う今日この頃

この夏のすべてをかけてとりくみたいことにも恵まれました。
とてもわくわくしています。がんばります!

ちなみに、ぼくは夏が大好きです。
真夏のカンカン照りの中をジョギングするときが一年で一番気持ちいい。
カラッと抜けるように晴れた日がはやく来てくれることを
願ってやまない今日このごろです。






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