イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

偶然のデニス・ホッパー

2010年05月30日 20時19分07秒 | Weblog
働けど働けど 遅々として仕事進まず じっと手を見てAmazonで大量書籍購入

仕事がなかなか捗らないから他のことをする時間がない。やりたいことができない、つまり本が読めないから本を買いたくなる。積ん読本がすでに東京スカイツリーのような状態であるにもかかわらず。

ショーケンは顔だけじゃなく、雰囲気までもデニス・ホッパーに似てる。萩原健一著『ショーケン』をAmazonのカートに入れながら、そう思っていた。そして今日、訃報を知った。

知っている人が次々といなくなっていく。もう彼はいない。あたりまえだが、彼でさえ死ぬのだ。訃報を聞くたびに、いつか自分にもその日が訪れるということを、少しずつ少しずつ、腑に落とすようにして理解していく。

『イージー・ライダー』が有名だけど、個人的に好きなのは『地獄の黙示録』でのカメラマン役。あのいかがわしさ、知的さと卑猥さ。監督をつとめた『ラストムービー』は、20年前の当時、映画仲間の間ではカルト的な人気を誇っていた。何かの表現に関わる者が、その表現形態そのものを疑い、究極を具現化したいと考える。その純粋な衝動には今も当時と変わらない共感を覚える。ラーメン屋さんなら、究極の一杯。翻訳者なら、これ以上の翻訳はあり得ないものとしての、あるいは翻訳そのものの根源を問う「最後の翻訳」。

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注文した後、電話をしていた相手が、「石井ゆかり著『牡牛座』を立ち読みしていたら面白くって...」と言った。

思わず話をさえぎった「それ買ったの?」

Amazonで大量購入したうちの一冊だったからだ。

悩んだけど買わなかったとの答え。テレパシーが通じたのか。「今度貸すよ、実は今日その本を...」

ここのところこういう偶然がやたらと多い。

今日、本が届いた。『牡牛座』が2冊入っていた。またやってしまった。そう、間違って2冊注文してしまっていたらしい。

こういう間違いは、本当にもう最後にしたい。

でも後で気づいた。デニス・ホッパーとは誕生日が一日違い。彼も牡牛座だった。この一冊は、彼のために注文したことにしよう。ご冥福を祈ります。

【追悼】ラッシャー木村

2010年05月25日 23時05分14秒 | Weblog
生まれて初めてプロレスを生観戦したのは、アントニオ猪木の新日本プロレスでも、ジャイアント馬場の全日本プロレスでもなく、ラッシャー木村の国際プロレスだった。

浜田市という人口がそれほど多くない地方都市の巡業で、しかも国際プロレスはマイナー団体だから、親父に頼んで連れて行ってもらった会場にあまりお客さんが入っていなかったのも無理はなかった。それでも、プロレスラーと同じ空間にいれるだけでとてもワクワクしたものだ。

グレート草津、グラン浜田、マイティ井上、モンゴリアン・ストンパー、ジプシー・ジョー。何冊か持っていたプロレスの専門誌をボロボロになるほど熟読していたから、小学校低学年の僕は親父よりもはるかにレスラーの名前に詳しかった。メインイベントでは、タッグマッチで浜田市出身のアニマル浜口が故郷に錦を飾った。決まり手はたしか回転海老固めだったと思う。

ラッシャー木村は団体のエース。テレビ中継がなかったから、金網の鬼として知られる彼の試合は写真でしか見たことがなかったのだけど、そこがまた「まだ見ぬ強豪」という感じでなんとも想像力をかきたてられた。晩年こそコミカルな部分ばかりに脚光が当てられるようになってしまったけど、当時はバリバリのストロングスタイルのいぶし銀。後に新日本に活躍の場を移してからも、猪木との一連の抗争は大将同士のプライドをかけた戦いを、渋味たっぷりに見せてくれたものだった(猪木は、この手のきな臭い戦いになるとめっぽう輝きを増す)。

よく言われることだけど、本当にいい人だったらしい。それはマイクパフォーマンスを見るとよくわかる。まさに人柄がにじみ出ている。Youtubeの恩恵にあずかって、折に触れてはよく見ていた。淵とのやりとりが特に好きだった。

彼が亡くなる直前に、僕は偶然(というにはあまりにも偶然すぎるのだけど)、Youtubeで彼のマイクパフォーマンスを楽しんでいた。そういえば彼、今頃どうしてるのかなあ、とWikipediaで「ラッシャー木村」の項を調べたりもした。不謹慎ながら、まだ生きてたよな? という思いが半ば無意識に頭を過ぎり、生年月日が「19××年●月●日~」で終わっていること(すなわちまだご健在であること)を確認したりもしていた。68才で、数年前から体力が衰えて人前には出なくなったことを知った。若い頃あれだけ元気だったのに、彼ですら老いには勝てなかったのかと思って少し寂しい気持ちにもなった。つい、2、3日前のことだ。

だから、彼の訃報をYahooで知ったときには、本当に驚いた。虫の知らせということなのだろうか。日本の各地で、同じような経験をした人がたくさんいたのかもしれない。それだけ、彼は多くの人に愛されていたのだから。

彼のことが好きだった。温かさと懐かしさが、体中からにじみ出ているような人。昭和がまたひとつ終わっていく。ご冥福を祈ります。

【追悼】 超偉人伝説 断わりきれなかった男伝説 ラッシャー木村 1/2


【追悼】 超偉人伝説 断わりきれなかった男伝説 ラッシャー木村 2/2







有楽町で会いました

2010年05月21日 11時53分01秒 | Weblog
去年の夏の浜田再訪では会うことができなかったイットマンこと伊藤君が東京に出張に来た。

メールでの再会は去年の秋に果たしていて、それ以来何度もやりとりは続けていた。

年賀状には、可愛い奥さんとふたりのこどもさん、そして29年ぶりにみるイットマンの写真があった。おもかげバッチリだった。

イットマンもランナーなので、せっかく東京に来たのだから、一緒に皇居を走ろうということになった。

5時半に有楽町駅で待ち合わせ。初デートのときみたいに緊張したけど、顔を見た瞬間にすぐに不安は吹き飛んだ。昔の記憶が蘇ってきた。懐かしく温かい気持ち。

ランニング用の施設(ロッカー、シャワーを利用できる)に荷物を預けて、いざスタート。29年ぶりに会って、いきなりランニングというのもすごいよなあ、こんな奇特な奴めったにいないやろうなあと笑いながら、いろいろと話した。途中雨が降ってきたけど、めっちゃ気持ちよく2周、10キロを走った。タイムは74分。

施設に戻ってシャワーを浴び、焼き鳥屋に入ってビールで乾杯。死ぬほど上手い。ガンガン飲みながら、尽きることのない話を。何して遊んだのかは実はあんまり覚えてない。どんな話をしていたのかも。だけど、とにかく毎日のように遊んでいたことは覚えてる。あの頃は相手に気を使ったりもしないし、計算もしてない。本能のままに生きていた。お互い大人になったけど、心の奥底ではいつまでもあの頃のワルガギのままなんだ。

完全に忘れていたんだけど、イットマンの家の近くの神社に、みんなで「秘密基地」を作っていたことがあったらしい。「20世紀少年」という映画を見たときに、その基地のことを思い出していたんだそうだ。僕はその映画、未見だけど、あの旅行記を読んでくれた人から、この映画のことを連想したといわれたことがあった。あの秘密基地、夏にイットマンたちと一緒に行ってみたい。

二軒目の屋台の焼き鳥でまたビールを二杯ずつのみ、12時前に別れた。またお盆にみんなで浜田で会いたいな。ありがとう、イットマン!







未知なるほうへ出かけよう

2010年05月19日 16時44分51秒 | Weblog
告知

そぞろ歩きの会9、お台場編、5.23(日)に開催いたします。みなさまこの機会にぜひご参加くださいませ~

詳しくは「そぞろ歩きの会のブログ」をご覧ください。

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近況

相変わらず仕事モードな日々。この山を越えたら、、的な何かが、積雪3メートルくらいたくさん心の中に降り積もっている。

そんなさなか、「神聖かまってちゃん」というバンドのことを知った。衝撃。これぞパンク。仕事をしながら、何度もpvを観ている。本物の才能に出会うと、表現とは、人間存在にとってものすごく根源的で、不可欠のものなんだということを実感させられる。自分自身を含め、世の中にはいかにまがい物が多いかということも。

「出かけるようになりました」、歌を聴きながら、去年の春は、月に1、2回しか人と会う機会がないこともあったことを思い出した。今ではずいぶんと出かけることが多くなったが、2、3日人に会わずに籠もって仕事をしていると、じわりじわりと何かが狂ってくる。幸い、今は出かける職場もあるし、会ってくれる人もいる。この山を越えたら、今度こそ僕も、未知なる方に出かけよう。

美ちなる方へ  PV  神聖かまってちゃん

好むと好まざるとにかかわらず、僕はもう四十路なオヤジ

2010年05月15日 15時41分01秒 | Weblog

「孔子曰く、四十にして迷わず――でも、まだまだ迷いの多い毎日です」

みたいなことを、四十才になった人がよく言ったり書いたりしている。

自分も四十になったら間違いなくそう思うんだろうな、そんな嘘みたいな四十になるんだろうな、と思いながら今日まで生きてきて、ふと気づくと明日が四十回目の誕生日。

そして当然のように、まだまだ迷み多き毎日。困惑、疑惑、迷惑、誘惑...不惑じゃなくて「有惑」だ。これが俺、まさに俺。

でもいいのだ。いい意味でも悪い意味でも、もう若くはない。若さという免罪符の有効期間は、今日で終了。貫禄はまったくないけど、これからはもうオヤジだ(これまでも十分オヤジだっただろ、という声が聞こえてくるようですが)。これからはもう、好むと好まざるとにかかわらず、オヤジパワー全開、オヤジギャグ全開、ズボンのチャックも全開で頑張るしかないのだ。

二十歳になったときも、三十になったときも、その事実が信じられなかったけど、四十はますます信じられない。だけどもう、こういう「自分の年が信じられない=過去に責任を持てない」という無責任な感覚で生きるのはやめなきゃいかん。そう思える点が、これまでとは違うかも。当たり前だけど、つまりはもう、子供ではないのだ。

人に何かをギブできる人になろう。いい仕事をしよう。いい汗かこう。いい風呂浴びよう。いい酒のもう。いい人見つけよう。死ぬときに、いい人生だったと言えるように、明日からも生きていく。基本、何にも変わってはいないのだけど。

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告知

翻訳がキーワードな人たちが、ただ東京各地を歩くだけという「そぞろ歩きの会」5.23(日)お台場で開催いたします。ぜひお気軽にご参加くださいませ。詳しくは
そぞろ歩きの会のブログをご覧ください。

そぞろ歩きの会9 「お台場編」5/23(日)開催のお知らせ!!

2010年05月14日 19時44分57秒 | Weblog
いろいろとバタバタしており、告知が遅くなりましてすみません!! 

そぞろ歩きの会、5.23(日)にお台場編として開催させていただくことになりました。

今回はお台場散策に加えて、水上バスでのクルージングも楽しめるという一粒で二度美味しい好企画となっております!みなさまこの機会にぜひお気軽にご参加ください。

そぞろ歩きの会のブログに告知をアップいたしました。



草野球観戦、いなり寿司、マグニチュード4

2010年05月09日 19時36分42秒 | Weblog
何かにびっくりする瞬間と、地震が発生する瞬間が同時に起こるというのは、なかなか珍しいことではないだろうか。私は今日、それを体験した。

午後1時過ぎ、私はジョギングがてら行った公園の芝生の上で、仕事の資料を読んでいた。家だと何かと誘惑が多いけど、屋外なら集中できる。アリを始めとするさまざまな虫に邪魔をされてしまうのだが、スズメバチとムカデ以外の虫なら怖くない。私は虫が好きなのだ。それに、気持ちが良くてついついウトウトしていても、アリがちくりと脇腹を噛んでくれるので、目覚ましが必要ないというメリットもある。

そういう風にしばらくウトウトしていたら、じゃなくて真剣に資料(翻訳対象のテキスト)を読んでいたら、お腹がすいた。朝からほとんど何も食べてない。私はおもむろに公園の脇にあるコンビニに行き、いなり寿司(3個セット)とペットボトルの水を買った。園内に戻ると、野球場で草野球の試合がちょうど始まるところだったので、3塁側の金網のすぐ近くに座って、試合を観戦しながらいなり寿司を食べることにした。客は私以外にはほとんどいない。

すると、グローブを持った選手がひとり、こっちを見ながら近づいて来た。なんでだろう? 見ず知らずの野郎がいなり寿司を食いながら勝手に試合観戦をしているのが気にくわなかったのだろうか。邪魔だと思われたのだろうか。それとも、私の鋭い眼光に、ただ者ではなさを感じ、挨拶をしに来てくれたのだろうか。いずれにしても、なんだかドキドキする。

その選手がグローブを外し、こっちの方にポイっと投げ捨てたので、私はびっくりした。一瞬、何が起こったのかわからなかった。


そしてそれとまったく同じ瞬間、地面がグラグラっと揺れた。


後ろから、誰かにケツを蹴り上げられたのかと思った。でも、そうじゃなかった。地震だった。

男は3塁コーチで、グローブを金網の近くに置いておくために、投げたのだった。もちろん私に向かって投げたのではない。

しかし私にしてみれば、男がいきなりグローブをこっちにむかって投げるなどということは想定できるわけもなく、またそれと同時に震度3の地震が発生するなどということを予測できるわけもなく、ましてやそんな驚きの瞬間を、なぜかいなり寿司を食べながら迎えてしまっている自分のことが、不思議でしょうがなかったのである。

1回の表はあっという間に3者凡退で終了した。いなり寿司3個の昼食はあっという間に終わったので、1回の裏が始まると同時に、私は観戦を切り上げまたいつものジョギングコースに戻り、そのまま芝生の上で資料を読み続けた。

人生何が起こるかわからない。明日の私が、ウナギ弁当を食べながらサッカー観戦しているときにカミナリに打たれることがないとは、誰にも断言できないのである。



ハードボイルドエッグワールド

2010年05月05日 11時14分44秒 | Weblog
昨昼。ジョギング開始後約20分が経過し、快調に歩を進めていた私の脳裏に、突然「ゆで卵を茹でていた鍋の火を止めてきたか」という問いが浮かんできた。必死に記憶を呼び戻してみたが、砂漠の蜃気楼のようにあやふやだ。火を止めた記憶はある。私とてそこまで馬鹿ではない。一度つけたコンロの火は、いつか必ず止めなくてはならないことくらいは知っている。だが、今日の私が、100%確実に火を止めたと冷やし中華の神様に誓って宣言できると言えば、それは嘘になるだろう。30分前の私は、おそらく片手で本を読みながら、無意識にコンロのつまみをいじった。消したのではなく、単に弱火にしただけだったのかもしれない。ものすごく気になったので、確認のために引き返すことにした。私は意外な展開に自分でも驚きながら、きびすを返して元来た道を逆走し始めた。

もし火事になっていたら、煙が上がっているはずである。家の方角の上空を目視確認する。真っ青な空。火事の煙は上がっていないし、誰かが「お前の家、火事だぞ」というサインを示す狼煙を上げているわけでもない。つまり、火事にはなっていないということなのだろう。だが、ひょっとしたらまさに今、鍋のお湯はすべて蒸発し、卵は焦げ、まさに発火直前の状態かもしれないのだ。不安が募る。私は国立競技場に入ってきたゴール間近の瀬古利彦のようにスピードを上げた。残り100メートルの直線で瀬古がイカンガーを抜き去ったように、何人もの休日ジョガーを追い抜いた。42.095キロにわたって先導役を務めさせられ、残りの0.1キロで瀬古に抜かれたイカンガーは、交尾をした直後にメスに食べられてしまうオスのカマキリくらい可哀想な存在だと思った。

家に着いた。靴を履いたまま台所に駆けつけると、コンロの火は消えていた。ゆで卵が6つ、鍋のなかで大人しくしていた。

ほっとした。数十分前の私は、ちゃんと火を止めていたのだ。なかなかどうして、信頼が置ける奴じゃないか。私は、自分がそこまでおっちょこちょいな奴ではないと知り、少し安心した。だがよく考えてみれば、ジョギングの途中でゆで卵を茹でっぱなしにしているかどうかが気になって引き返すような人間のことを、おっちょこちょいな奴と言わずして何というのだろうか。私はいつものように、私という人間のとてつもない不完全さを前にして、ため息をついた。いつまでたっても成熟できない。単に未熟なだけじゃない。「柔らかすぎる、あるいは固すぎる半熟卵」のように、中途半端に未熟なままなのだ。

私はしばし台所に立ちつくした。なんておだやかな午後。なんて静かなゴールデンウィーク。出かけるふりしてこっそり家のなかを覗いてみたような、不思議な気持ち。会社に行くふりをして、玄関の戸棚のなかに隠れ、家族の様子を観察する。そんなスリルを感じた。だが私には家族はなく、無論、泥棒にでも入られていない限り、そこには何の変化もない。変化があるとすれば、ポルターガイスト現象か、ゆで卵の火を止めなかったことに起因する、大火災か。だが、幸い、恐れていた事態は何も生じていなかった。あるのは、冷たいまでの静寂だけだ。

予定外に引き返したりしなければ、この家にこんな静謐さが満ちあふれていたことに気づかなかったかもしれない。突然私が帰ってきたのに、家は驚く素振りをまったく見せない。少しも慌てることなく、冷静に佇んでいる。だが、やっぱりいつもの家とは何かが違う、私は、自宅といういわば私にとってごく身近に存在する「身内」の、意外な一面を見たような気がしたのだった。あるいはそれは、私という存在の、なかなか自分では検知できない、「影」のようなものなのかも知れなかった。

私はジョギングを再開した。1時間後、家に戻ると、そこには最初に家を出たときの空気が流れていた。ゆで卵確認のために戻ったときのあの静けさとは、何かが少しだけ違った。夕方、私はザルの上で冷水を流しながらゆで卵の殻を剥き、知り合いに教えてもらった「醤油とゴマ油と酢」のタレに漬け、パックに入れて冷蔵庫にしまった。

朝起きてパックを開けてみると、卵たちは美味しそうな「煮卵色」に変身していた。実に、卵たちは一日に満たないわずかな時間の間に、生卵からゆで卵へと成長し、さらに煮卵(煮てはいないが)へと変身を遂げたのである。私にとっては何の変哲もない一日という時のなかで、これほどまでの変態を遂げることのできる卵たちのことを、ちょっとだけ羨ましく思った。だが私だって負けてはいない。夏はもうすぐそこにまで来ている。正直、公園ではTシャツを脱いで、上半身裸の半裸変態ランナーとしての自分を解禁した。変態ランナーへと変態しつつある私は、やがて一夏をかけて、煮卵のようにどす黒い色に変色していくのだろう。

私は朝食代わりにひとつだけ煮卵を頬張った。固めに茹でた卵は、酢とゴマ油がよく効いていて、申し分のない旨さだった。今日も窓の外は夏を思わせるような陽気だ。午後になれば私はジョギングをしに外に行くだろう。私が決して知ることのできない、「私がいないときのこの家」を、すなわち「私というメタな意識が決して捕らえることのできない、リアルな自分」をここに残したまま。

次の季節へ

2010年05月04日 00時05分42秒 | Weblog
武蔵境に住んでもう4年。その間、何度も何度も繰り返してきた、定番のプロレス技の応酬みたいな会話がある(ヘッドロックをかけられる→相手をロープに振る→戻ってきた相手にタックルで倒される→相手がもう一度ロープから自発的に帰ってきたところをショルダースルーみたいな)。

「どこに住んでるの?」

と訊かれて、まずは「武蔵境」と答える。「中央線で一番マイナーな駅」と言われることもある武蔵境がどこにあるかをすぐに理解できる人は少なく、

「?」

という顔をされることが多い。だから、

「吉祥寺の次の次の駅だよ、三鷹の次の駅」

というお決まりの文句で補足するのだ(吉祥寺とか三鷹などのメジャーな駅の近くにあるということをさりげなくアピール)。

それはまるで、相手にヘッドロックを掛けられたら、脊髄反射的にバックドロップで返す長州力。

ところで、昨日の暑さはいったい何だったのだろう。ほとんど夏である。真夏、昼間にジョギングすることが人生の最大の喜びの私にとって、これはとっても嬉しいことなのだが、望んでいたものがいきないり目の前に差し出されると逆に戸惑ってこともある。芥川龍之介の『芋粥』だ。ともかく、まだ春かと思っていたのにおかしい。慌てて辞書を引いてみた。

なつ【夏】春の次の季節。

やっぱりそうだ。夏は春の次に来るんだよなあ。夏子、俺だって一刻も早く君に会いたいんだけど、ものごとには順番というものがある。我慢しなきゃだめだよ。

続けて他の季節も引いてみた。

はる【春】冬の次の季節
なつ【夏】春の次の季節
あき【秋】夏の次の季節
ふゆ【冬】秋の次の季節

この世の中に、春も夏も秋も冬もすべて知らない人がいるかもしれないってことは、この辞書を作った人は想像しなかったんだよね、そうだよね(本当にこういう辞書があって、昔あちこちでネタにされていたと思うんだけど、それが岩波だったのか新明解だったのか、それとも他の辞書だったのか、事実を確認できない)。

むさしさかい【武蔵境】三鷹の次の駅。吉祥寺の次の次の駅。

天気がよかったので、1時間ほど公園をジョグした。小金井公園最高。引っ越ししたいとずっと考えてはいるのだけど、やっぱり僕は境が好き、あらためてそう思ってしまった。いろんな荷物が多すぎる、この家をついに引っ越しするときが来るのだとしても、それはやっぱり「夏の次の季節」になるのかなあ、なんてことを思いつつ。