イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

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訳文を作りし者の恍惚と不安 二つ我にあり その二

2008年01月31日 23時46分19秒 | 連載企画
億の出会い果たし君に届け心 億光年の彼方まで

(解説)ぼくたちが生きているのは、億の時代だ。60億もの人が地球上で生きている。10億を意味するギガバイトの情報が、コンピュータの、iPodの、ハードディスクを占拠している。わずかな賃金であくせくと働いている人がいる一方で、数億の年俸を稼ぎだす人もいる。

小さいとき、億という数字を想像すると、気が遠くなった。宇宙を感じた。大人になった今でもそれは変わらない。それはあまりに膨大で巨大で、考えるだに意識が遠のいていく。実際、億なんて数を、この目で見たヤツはいるのか、その手で数えたヤツはいるのか。だって、一万×一万だ。一万人が住んでいる町が、一万もあるのだ。一万人と会って話をして、握手して仲良くなってご飯を食べて、酒飲んでケンカして、冠婚葬祭に招かれて、一緒に歌をうたったり、喫茶店でお茶飲んだり、同窓会したり、ボーリングしたり、ってやっていたら、それだけで一生が終わってしまう。それを、一万回繰り返すのだ。それが、一億。そんなの、想像できますか?

でも、よく考えてみれば、僕たちが出会う人たちはすべて、そんな想像のできない億の出会いを通してこの目の前に現れている。人の一生はあまりにも短い。人が把握できる数もあまりにも少ない。そんな限られた存在である生のなかに、無限が乱入してくるのだ。

そして、それがあなたなのだ。だから、あなたは奇跡なのだ。僕はあなたのなかに無限をみる。あなたのなかに永遠をみる。すべてがあまりにも不条理だから、ぼくはあなたを愛する。この心は、どこまで届くのだろうか。

YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY

自分の訳書が初めて本屋に並んだとき、嬉しくてたまらなかった。本屋を何軒もはしごした。さりげなく、他人のふりして立ち読みしてみた。それとなく、<面白い本だなこれ>、という表情を浮かべてみた。レジに持っていって、<この本がよい本だと普通に思ったので、買います>、という顔をして買ってみた。そんなことをしばらく続けた。

でも、同時に不安にもなった。よくみると、自分の訳した本の右隣に、村上龍さんの本が置いてあった。左隣は、ミスター円の榊原英資氏の本だった。やれやれ、とは思わなかった。代わりに、ヲイヲイと思った。出版翻訳の世界に出たら、こんな人たちが相手なのか。こりゃあ、大変だ。もちろん訳書は原著者が書いたものだ。誰も、ぼくの名前なんて気にもとめていない。だけど、読者が読むのは自分が訳した日本語なのだ。こりゃあ、おかしい。どう考えても、間違っとる。原著者が書いたのは素晴らしい本。だから売れて欲しい。でも、それをなぜ俺が訳してる? サッカーの試合中に、なにかのひょうしに誤ってブラジル代表のなかに紛れ込んでしまったような気がした。大観衆の前で、ロナウジーニョからパスが来て、カカとワンツーしなきゃいけない。そんな感じだ。買う側の立場にいるときは、どんな本を見てもなんとも思わないのに、いざ自分が舞台の上にあがると、そこは大変な場所だったということに気づいた。本屋の棚は、すごい。現代の作家だけじゃない。今はこの世にいない作家たちの魂が、眠っている。古今東西から集められた本が、ひしめき合っているのだ。自分の名前が記された本が書店に並ぶ。そのとき、シーソーの片側で恍惚とした悦びを味わいつつ、その反対側で、圧倒され、完膚なきまでに叩きのめされ、身の程をいやというほど思い知らされる気がしなければ、嘘だと思った。本に対するレスペクトがあれば、限られた書店のスペースの一部を自らの訳書が占めていることに対して、感謝する半面、心のどこかで自責の念に駆られているはずだ。そうでなくては、おかしい。

(明日に続きます)

YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY

『柴犬のツボ』」影山直美
『文学賞メッタ斬り』大森望、豊崎由美
『ネットの中の詩人だち』島 秀生著
『かんたん短歌の作り方』枡野浩一
『CRUISING PARADISE』SAM SHEPARD
荻窪店。サムシェパードの原書を初めて買った。畑中佳樹さんが訳した彼の『モーテル・クロニクルズ』は、本当に美しい本だと思う。高かったけど、衝動買い。
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訳文を作りし者の恍惚と不安 二つ我にあり  その一

2008年01月30日 23時15分22秒 | 連載企画
「食えない」と言うことなかれ背表紙の訳者の名前の恍惚と不安

(解説)『選ばれし者の恍惚と不安 二つ我にあり』太宰が引用したヴェルレーヌの詩の一節だ。文字通り、誰かによって選ばれた存在であるということは、恍惚となるほど喜ばしいことでありながら、本当に自分でよかったのかという不安に苛まれるものなのだ(ちなみに、この言葉が僕の心に深く刻まれているのは、プロレスラーの前田日明がそれをリング上で口走ったからだ。そのときの前田は、格好よかったぜ本当に)。

出版翻訳は、食えないという。何ヶ月もかけて書籍を訳しても、得られる収入はごくわずかしかない場合が多いと聞く。ごく一部の例外を除けば、出版翻訳だけで生計を立てようとするよりも、普通の勤め人をしている方が経済的にはよっぽど安定しているし、稼げる額も高いというのが一般的な見解だ。

ある意味それは妥当な意見だ。実際、パイは非常に限られている。日本に限れば、本の翻訳だけで十二分に食っている人の数なんて、まず三桁はいかないだろう。儲かる仕事をそれこそ何十年にわたって続けている人なんて、下手したら限りなく一桁に近づくだろう。ともかく、だから、と人はいう。本の翻訳だけで食ってくなんて、夢物語なのだと。だから、翻訳なんて商売を目指そうというのは、まともな人間の考えることではないのだと。たしかに、そうかもしれない。僕も、だいたいはそう思ってる。よっぽどのベストセラーにでも恵まれない限り、本の翻訳だけで楽々と生活していけるなんて思っていない。

でもちょっと待って欲しい。そもそも、翻訳に限らず、印税だけでメシを食っている人なんて、どれだけいるというのか。よほどの売れっ子作家でなければ難しいということは、ちょっと考えればすぐにわかるだろう。芥川賞取ったって、印税だけでは生活していけない人だってたくさんいるのだ。出版翻訳じゃ食えないと嘆くとき、同時に世間から、じゃあいったいお前にはどれだけの才能があり、技があるのか、印税だけで世間様から食わせてもらって当然と思えるほどの、価値のある仕事をしているのか、と問われていることを想像しなければならない。「自分の訳した本がなぜか売れなくて、印税ががっぽがっぽ入ってこなくて、左団扇で生活できない。なんておかしな世の中なんだろう」、なんてことを考えているとしたら、それは本当に大きな勘違いだ。

(明日に続きます)
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開かれた社会

2008年01月29日 23時46分06秒 | ちょっとオモロイ
人の視線やたらと感じる朝が過ぎ 午後イチ閉める社会の窓

IT系 社会の窓も オープン系


(解説)世界は劇的に変わりつつある。門戸は開放されている。窓は開かれている。Web 2.0 の時代は到来している。そして、ふと自分の股間に目をやると、おもむろに社会の窓が開いている。

それにしても、誰が呼んだか「社会の窓」。確かに、この窓はいろんな意味で社会に通じてはいる。しかし、何もほかの部分を差し置いて、あの窓をあえて「社会」と言わなくても。なんだか、身体のそれ以外の部分はプライベートで非社会的なものであり、あそこだけが社会的な存在であるといわれているような気すらしてしまう。そして、ひょっとしたらそれはある意味真実なのかもしれない、などと心の奥底でしみじみと頷いている自分もいる。

ともあれ、社会の窓が開いていることに気づくのは、僕の場合、慌しい朝が過ぎ去り、昼休みも終わったあたりの、おだやかな午後のひとときである。うららかな春の午後である。おもむろに下腹付近に目をやると、閉まっているべき扉が、ぱっくりと口を開けている。「あっ」と思って反射的にジッパーを上げるのだが、その瞬間の恥ずかしさを打ち消してしまうほどに真摯にこの脳裏をよぎるのは、いったいこの窓はいつから開いていたのか、という根源的な命題である。あの電車に乗っていたとき、窓は開いていたのか。あの会議に出ていたとき、窓は開かれていたのか。あの人と真顔でしみじみ人生について語り合っていたとき、ウィンドウはオープンしていたのか。女子高生の集団とすれ違ったとき、Windowsはオープン系だったのか、汎用系だったのか、ソースコードは見られたのか、どうだったのか、そのあたりをはっきりしてほしい、と思わずその日一日の記憶がフラッシュバックするのである。ひょっとしたら、あの人もこの人も、このぼくのファスナー全開に気づいていながら、見て見ぬフリをしていたんじゃないだろうか、なんて被害妄想が荒野を駆け巡るのである。

しかも今日は、リュックサックのファスナーを開けっ放しにして会社まで来てしまった。よくやってしまうのだ。おそらく月に一度くらいの割合で発生する。家を出る前にいろいろとリュックに物をつっこんだり、電車の中で本を出したり、そんなことをしている間に、ファスナーが開けっ放しになっているのに気づかないのだ。ファスナーの開いたリュックが間抜けなのは、ぱっくり開いたままのそれを、持ち主が背中に背負って歩いているというところだ。私はバカです、と背中に書いて歩いているようなものだ。結構大事なものを入れているので、気づくたびに、何か落としてないかとハラハラする。いつか、とんでもない失敗をやらかしてしまいそうだ。

というわけで、今朝のぼくは、ズボンのファスナーは全開、背負ったリュックも口を大きく開けて中身丸出し、という一歩間違えば警察に通報されかねないほどの危ない状態で通勤していたのである。もし、そんなヤツが道の反対側から歩いてきたり、電車に乗っていたりしたら、ぼくでもびっくりするだろうと思う。我ながら、このオープン系な性格はなんとかならんのかと思う。でも、もうどうしようもないのでしょうね。下品な話ですみません。

KKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKK

『「在外」日本人』柳原和子
『穴』ルイス・サッカー著/幸田敦子訳
『すばらしい新世界』池澤夏樹
『ローラレイ浮上』福井晴敏×樋口真嗣
『落ちこぼれてエベレスト』野口健
『武がたけしを殺す理由』北野武、渋谷陽一
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社運賭けられて

2008年01月28日 23時52分13秒 | ちょっとオモロイ
プロジェクト始まるたびに社運賭け

(解説)業界には面白い人がいるもので、新しいプロジェクトが始まり、いろんな翻訳者に仕事を打診するときに、毎回、「このプロジェクトには社運がかかってます」と言う人がいるらしい。笑った。冗談半分なのだろうけど、でも実は翻訳という仕事はいつもナマモノだから、下手なものを一度でも出したら一気に信用を失うことだってある。そういう意味では、常に社運がかかっているというのもあながち間違いではないのだ。賭けられた方はたまったもんじゃないけど。
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今が食べごろ

2008年01月27日 22時14分20秒 | ちょっとオモロイ
金ナシ暇ナシ脂肪アリ 昼飯抜イタ俺流ラマダン

(解説)金はない、暇はない、でも、下腹に脂肪はある。冬休みに食べ過ぎてちょっと太ったし、無駄遣いも減らしたいし、昼休みを少しでも有効活用したいので、今月に入って、何度か昼食を抜いた。そうしたら、質量保存の法則というのだろうか、よくわからないのだけどやっぱり体重は少しずつ減り始めたし、お金は少しは手元に残るし(その分ブックオフ代が増えるということが懸念されるが)、昼休みにもいろいろと活動ができるし(本読んだり、××したり)、といろんなメリットがあることを発見した。何より、眠くならない。目を食いしばる必要がない。だから、午後も集中して精力的に仕事を(ネットサーフィンという噂もあるが)続けることができる。

三月の荒川市民マラソンまでに、あと3キロくらいは体重を落としておきたい。今は、65~6キロくらい。たぶん62キロくらいがベスト体重。ちなみに、身長は185cmじゃなくって170cmです(つまり、僕はけっしてゴージャスな脂肪の鎧をまとっているわけではありません。誤解しないでください。念のため)。この3キロは大きい。もしこの脂肪を落とせなければ、42.195キロを、3キロの砂袋を腰まわりに巻いて走るのと同じだ。う~ん、そう考えると怖い。この重さが、ダイレクトに膝にくるから。やっぱり、やせなあかん。

食べない日が続くと、不思議なもので食べないことに慣れてくる。別にお腹が減って苦しいということもない。むしろ、体調はすっきりしてくる。もともと、断食は得意なのだ。かれこれ20年前から、たまに絶食して体調を整えるということをよくやっていた。今のファスティングブーム到来の前だ(自慢)。朝も食べないことが多いから、一日一食。でも、おかげで晩御飯はやたらと美味しい。やばいくらいに。

ちなみに、大学生のとき、一時期ボクシング部に所属していたことがあって、そのとき、1ヶ月で10キロ以上減量したことがあった。すごいでしょう(自慢)。今からは信じられないけど、階級はバンタム級(54キロ以下)だった。つまり、当時の僕は、チャボ(バンタム)並みに軽く、素早かったということです。そのときはすっかり体が浄化されたのか、ものすごく体調がよかった。もう一度チャボを目指そうかという気もしないでもない。さすがにもうムリだ。でも、せめて50キロ台には、死ぬまでにもう一度いってみたいかも。

イスラムの人たちが行うラマダンは、日の明るいうちは食事を取らないということを1か月ほど続けるものだけれども、昼ごはんを食べない日は、ラマダンってこんな感じなのかな、と思ったりする。ラマダンというのは、傍目からみると大変そうに思うけど、実際やってみるととても楽しいと感じるものらしい。たしかに苦行という側面もあるのだろうけど、非日常の世界というか、胃袋のバケーションというのか学園祭というのか、とにかくある種異常な状態を1ヶ月も続けるわけだから、祝祭めいた意味合いもあって、やっている本人たちにしかわからない充実感もあるのだろう。全員ではないけど、体調も良くなったりするらしい。その感覚は、よくわかる。ラマダンの起源には、宗教的な意味合いもあるだろうけど、体調を整えるというフィジカルな要素もあったのではないだろうか。

というわけで、毎日じゃないけど、朝も食べない、昼も食べない、飲むのは水だけ。家に帰るとたいてい夜の9時半くらいだけど、それから45分間くらいランニングする。よくメシも食わずに走っとられるな、と我ながら思うのだけど、脂肪というのはすごいもので、こういうある種の非常事態になると、しゃあないな~、という感じで、やおら燃えはじめてくれるらしい(そもそも、こういうときのために脂肪はたくわえられているのだろう)。少々ご飯を食べなくても、人間、意外と動ける。

この俺流ラマダンに限らず、こういうマゾっけがいろいろな局面で僕の秘かな楽しみになっているのだけど、やっぱり翻訳の仕事も長期戦になるとラマダンに似た「長々と続く非日常の世界」というものがあって、やはり祝祭だな、と思うのである。翻訳に関しては、残念ながら燃やせる脂肪はあまり蓄えていないのだけれど。

そんなわけで、今、イワシは脂肪も程よくのって食べごろです。
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Into the wild

2008年01月26日 23時02分36秒 | Weblog
新しい手帳に彼女「今日のシンクロニシティ」記していたり

(解説)今年から、『ほぼ日刊イトイ新聞』がプロデュースする『ほぼ日手帳』を使い始めたのだが、これがとてもいい。月間や年間のスケジュールのほかに、1日に1ページ分のスペースがあるので、いろんなことを書き込める。方眼紙のように縦横に線が引かれているところがお気に入り。職場のとある人にたまたまこの手帳のことを紹介したら、彼女も気に入って一冊購入した。で、やっぱり楽しんでいろいろ毎日書いているのだという。訊いてみると、その日初めて知った言葉、その日感動したこと、などなど、なかなか面白いテーマを決めて書いているとのこと。なかでもふふふと笑ってしまったのが、「今日のシンクロニシティ」というテーマ。なるほど、確かに、身の回りを気をつけて観察していると、毎日一つくらいはシンクロニシティを発見できるのかもしれない。シンクロニシティって、アンテナを高く上げることができているとき、感度が増しているとき、何かに集中しているとき、起こる気がする。何かを物語るように、あるいは、何かを予見するように。シンクロニシティには、理屈では説明できない、人生の不思議を感じさせる何かがある。手帳に記すために毎日シンクロニシティを探すことで、新しい力を引き寄せることができるのかもしれない。

AAAAAAAAAAAAAAAAAA

あさま組勉強会。敬愛する翻訳者yumiさんの課題文を俎上に載せて、それぞれがコメントを述べる。それにしても、いつものように彼女の訳文は、柔らかくて、軽快で、上手い。ちょっとジェラシー。野球で言えば、ショートかセカンド。どんな球が飛んできても、上手に捌いて、短いモーションで一塁に送球する。安心感のあるプレーだ。この先彼女は、いったいどんなすごい翻訳者になるのだろう。とても楽しみだ。それに、各人のコメントも、それぞれ視点が違っていて本当に勉強になる。今日は特にそれを実感。その後、ダッシュして通訳学校。こっちも大詰めだ。そろそろこの半年間の成果をまとめる時期に近づいている。

今日あらためて思ったのだが、誰かの訳文をレビューするとき、僕はまず、文章の全体的な流れが気になってしまうようだ。ビートとうねりでいえば、うねりの方。でも、逆にいうと、流れさえよくなっていれば、それでよしとしてしまっていたのかもしれないな、などと思い、反省する。ついつい、もっともらしく訳してしまおうとするのだが、その前にもっと原文に肉薄しなければだめ。訳文の世界で遊ぶのは、まず一回、原文と完全に一体化してからだ。今回、自分の提出した訳文には致命的なミスがいくつかあり、もう穴があったら冬眠したいくらいだった。それはたぶん、しっかりと原文に触れていなかったから。現場に足を運ばなかった。アームチェアに座って、事件を解決できると思っていたのだ。

翻訳とは、原文の世界を純体験してきた者が帰還して語る、体験談なのかもしれない。行ったことがない場所、体験してもないないことをもっともらしく語れば、それはウソになる。あっちの世界に行って帰ってこれるだけの、体力が必要だ。鍛錬が激しく足りない。

安楽椅子で知ったかぶりの訳作る我よ荒野に旅立て再度

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ナイトメア アフター 再入社

2008年01月25日 23時52分12秒 | ちょっとオモロイ
※最近このブログの冒頭に書いているのは、いちおう「短歌」または「川柳」のつもりです。尊敬する編集者(そしてミュージシャン)のI兄貴の影響で始めてみました。まったくの我流でひどい出来ではありますがご容赦ください。しばらくmyブームとして続けてみます。


入社日のオリエンテーション終わる頃 早くも辞める決意し悪夢


(解説)こんな夢を見た。

**************以下、夢******************
以前勤めていた翻訳会社に、なぜか再度入社することになった。出戻りだ。理由はよくわからない。でも、夢の中なのでそれを疑問に感じてはいない。社長も同じ、当時面倒を見てくれた先輩も同じ(その人がリーダーで仕切っている)。いつのまにか、会社はやたらと規模が大きくなっている。いろんな人たちに出迎えられる。男性と女性が半々くらい。20人くらいと挨拶する。今まで一度もあったことがない人たちなのだけれど、妙にリアルだ。顔も身体も名前も、現実にほんとうにこんな人がいてもおかしくない、というくらい生々しい。この会社を辞めてから、すでに5年が経過している。その間、僕もいろいろと経験を積んだ。もう前みたいなペーペーじゃない。周囲からも、期待されているようだ。よ~し、自信もっていこうじゃないか。鳴り物入りでの入社だ。さっそく、若いメンバーから仕事のやりかたを教わる。でもなんだか変だ。仕事場は、どうやらアパレルの売り場らしい。ユニクロの大型店みたいなフロアに連れていかれる。ヒゲの男性若手社員に、「さあ、では手始めにズボンの裾合わせからやってみてください」と言われる。誰かが試着したらしいそのズボンの裾は折り曲げられ、折り目のところには安全ピンが留められている。さあ、やるぞ、と思って作業にとりかかるのだが、何をしていいのかさっぱりわからない。あせる。当たり前だけど、裾合わせなんてしたことがないからできるわけない。でも、夢だからそれができて当然だと思い込んでいる。この5年間、僕は何をやってきたんだろう、まったく成長していなかったのか、そう思って自己嫌悪に陥ってしまう。さっきまでの自信はすっかり消えうせて、見事に意気消沈する。若手社員は、こんなこともできないんですか、とでもいうように、黙って見本を見せてくれる。さすがに手つきが慣れている。若いのに、しっかりしている。誰かがリーダーに耳打ちしている、僕が思っていたより使えない奴だった、ということがばれてしまったようだ。リーダーは黙って何度もうなずいている。期待はずれの僕のことを、どう思っているのだろう。気がつけば、みんなで車座になって、どうしたら売り場を良く出来るか、というディスカッションが始まっている。何もアイデアが浮かばない。発言できない。みんな、仕事に意欲的だ。なぜ僕は、もっと仕事のことを真面目に考えることができないんだろう。

気がつくと、リーダーと二人きりになっている。この会社は、自動車部品の管理システムのためのアプリケーションも開発しているようだ。リーダーがアプリケーションの素晴らしさについて熱弁をふるっている。この製品は、グローバル展開しているから、お前も頑張れば海外出張だっていけるぞ、といわれる。そうか、海外出張か。悪くないな、と思う。本当は翻訳がやりたいけど、服を売ったり、自動車部品のシステムを売ったりするのも面白いかもな。人生、なんでも経験してみなければわからない。新しいことに挑戦してみるものいいじゃないか、と思い始めている。でも、やっぱり違和感がある。おかしい。誰も、翻訳なんてしていないようだ。若手社員にこっそり聞いてみる。「この会社、翻訳はしていないの?」。彼はこともなげに答える。「昔はやってたみたいですけど、今はもうやっていないみたいですよ。翻訳はもうからないから」。リーダーは何人かと熱く議論している。充実感が伝わってくる。ビジネスは好調のようだ。翻訳なんてニッチなビジネスをやめて、儲かる仕事をする。会社としては、当然の選択なのかもしれない。もう翻訳はやっていないのか。そうか、翻訳なんてもうからないからしかたないよな。でも、リーダーは翻訳から離れてさびしくないのかな。まあいい、若手社員に聞いてみる。なぜこの会社に入ったの?。彼は言う。「僕はクワガタが好きなんです。世界中のクワガタを採集する格安ツアーを企画したいと思っているんです。この会社なら、それが実現できると思ったから」。クワガタか。この会社は、旅行代理店もやっているのか。結構なことじゃないか。普段、翻訳関係の人ばかりと接しているから、世間にはいろんな考え方を持っている人がいる、とうことに疎くなっているようだ。人生、いろいろだ。そんな夢を叶える会社、いいじゃないか。クワガタ、僕も好きだ。でも、自分の一番やりたいことは、クワガタツアーではないような気がする。たぶん、翻訳、なかでも出版翻訳が一番やりたいことだ。この会社で、その夢を持ち続けることができるだろうか。とにかく、たった5年で、この会社もずいぶんと変わったもんだ。それに、みんなやたらと生き生きとしている。みんな、会社が好きなんだ。仕事が好きなんだ。仕事をやらされてるんじゃない、自ら主体的に行動してるんだ。みんな、大人だ。等身大の自分を知っていて、現実的に、スマートにビジネスをこなしている。やわらかな対応。迅速な問題解決能力。必要ならば、周囲との間にすぐにコンセンサスを作ってしまう。落ち着いたしぐさで振舞っていても、他人のことをよく観察しているし、周囲がよく見えている。頭の中では常にそろばんをはじき、キャリアアップについてもちゃんと考えている。それにひきかえ僕はなんだろう。まったくの役立たずだ。人生プランなんてないに等しい。また、ゼロからこの会社でキャリアを作っていかなくてはいけないのか。服を売ったり、自動車部品管理システムを売ったり、旅行を計画したりして。ダメだ、どう行動すればいいのかわからない。ここでは自分の居場所がない。やっぱり翻訳がやりたい。翻訳以外の仕事なんて、できそうにない。もっときちんと調べてから転職するべきだった。まさかこんなに会社が様変わりしているなんて。

決断するなら早いほうがいい。今日一日、せっかくオリエンテーションしてもらったのに悪いけど、辞表を出そう。社長にも、リーダーにも悪いけど、そうしよう。出戻りだけでもかっこ悪いのに、しかも初日でビビッて辞めるなんて、なんて情けないんだろう。でも、ここでは、無理だ。もう、行く場所はない。会社員には戻れない。こうなったら、フリーランス翻訳者になるしかない。やっぱり自分には翻訳しかできない。いずれはフリーになると決めてるんだ。決断のときが早まったと思えばいい。でも、明日からいきなりフリーというのも大変だな。もっと計画的に行動すればよかった。いや、こうなったらじたばたしても始まらない。フリーで頑張ろう......。よ~し、なんだかよくわからないけど、頑張るぞ~。僕は自由だ!
********************************

と、いうあたりで目が覚めた。自分が誰だかわからない。僕の職場は、服の売り場? 自動車部品システム? 今日からフリーランスなんだっけ? ちがうちがう。ああ、そうだ、僕はまだ今の翻訳会社の社員だった。あ~、夢でよかった~っと、胸をなでおろす。

ふと思い出す。昔は、働かせてもらえる場所があるのなら、仕事の内容をえり好みなどしていられなかった。やりたくない仕事でも、やらなくてはいけなかった。他の人にとってはとても魅力的なものに映るらしい仕事に対しても、どうしても魅力を感じることができなかった。そして、ずっとそのことに負い目を感じていた。我慢をしては、ストレスを溜め込んでいた。でも、今はそうじゃない。自分のやりたいことでなければ、やりたくない。そういえるニンゲンなることができた。だから、初日はなんとか我慢したけど、辞める決意をしたのだ。夢のなかだとはいえ。昔の自分なら、もし夢に出てきた会社に間違って入社してしまっても、アパレルの売り場でそのままムリして働いていたかもしれないし、自動車部品の管理システムを売ったりしていたかもしれない。そうすることが自分にとってプラスになるといいきかせて。でも、もう無理だ。僕はもうそんなに若くないし、いまさら新しいことなんてできないということもある。わずかだけどこれまで積み上げてきた翻訳業界での経験というものもある。翻訳者としてのわずかばかりの矜持もある。だから、翻訳をずっとやっていきたい、と強く思っている。いや、強く思っていたのだ、とあらためてわかった。それにしても、翻訳の仕事があるということは、なんてありがたいことだろう。好きなことが仕事になっているなんて、なんて幸福なことなんだろう。いつまた翻訳以外の仕事をやらざるを得ないときがくるのかはわからないけれど、やっぱり翻訳以外の仕事をするなんてことは、いまの僕にとっては悪夢でしかないし、自分みたいな器量の狭い人間にとっては、こんなにつらいことはないということを激しく実感。それにしても、ほんと、この夢は、いろんなことを象徴していると思われる。嬉しい予感なのか、よくない前触れなのか。よくわからないけれど。あ~、怖かった。

MMMMMMMMMMMMMMMMMMMM

『遠くの声を捜して』山田太一
『親ができるのは「ほんの少しばかりのこと」』山田太一
『クロスワード』鎌田敏夫
『恋それとも愛』鎌田敏夫
『セバスチャン』松浦理英子

駅前のBIで5冊

『短歌という爆弾』穂村弘
『新解さんの謎』赤瀬川源平
を読了。
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(='ェ'=) (='ェ'=) (='ェ'=) (='ェ'=) (='ェ'=)

2008年01月24日 23時16分48秒 | ちょっとシリアス
野良たちよその貼紙読まなくていい「猫のふんに困っています」
「猫のふんに困っています」の貼紙の下に野良たち寄り添っていたり
野良5匹「猫のふんに困っています」の貼紙みてある日姿消した
「猫のふんに困っています」の貼紙目の前にしてぼくたちも困っていますミャー

(解説)猫の集会場になっている近所の小さな小さな公園(別名『猫の額公園』)には、いつも5匹の猫がいて、エサをあげている人も多く、自分も猫を見たり、たまにエサをやるのがとても楽しみなのだけど、つい先日、その公園に「猫のふんに困っています」という文章を書いた紙が貼りだされた。たしかに、エサだけでなく、最近は寒さが募るにつれ、ダンボールとかタオルとか、猫を寒さから守るグッズも多く置かれるようになり、狭い公園に5匹もの猫がひしめいていると一種異様な空間なりつつあった。猫が嫌いな人はぞっとするだろうし、猫のふんで困っている人もいるのだろう。貼紙には、家につれて帰って飼うなり、避妊治療をするなり、マナーを守りましょう、と書かれてある。連絡先が市になっていたから、近所の人からの苦情を受けて、市が貼りだしたのだろうと思う。さすがに、大きな文字でそう貼紙に書かれると、エサをあげる人もほとんどみかけなくなったし、ダンボールも、タオルも公園からなくなってしまった。

ぼくももういい年した大人なので、いくら自分が猫好きでも、そういう苦情をいう人のことについてとやかくいうつもりはない。というか、むしろ筋の通った話だろう。あの公園は、猫に関していえばちょっとした治外法権の場と化していたし、近所に住んでいる人のなかには、いろんな人が入れ替わり立ち代り来てはエサをあげていくことに対して、苦々しく思っていた向きもあったに違いない。そもそも、世の中には、猫そのものが嫌いという人だってたくさんいるのだから、しょうがない。僕にだって、嫌いなものはたくさんあるじゃないか。

それでも、せつない。やっぱりせつない。大人になって、世のなかのしくみが少しはわかるようになったから、それだけにせつない。あの猫たちは、どこにいけばいいのか。あの猫たちに、罪はあったのか。あの猫たちは、この冬の寒さをしのげるのか。

本当は、僕が猫を飼える家に住んで、あの猫たちを引き取ってやればよいのだろうけど、残念ながらそこまですることはできない。そう考えると、やっぱり自分は都合のいいときだけあの野良たちを可愛がっていたのか、と思う。そういう身勝手さが、きっと人の反感を買うのだ。

人間の都合で捨てられたり、迷惑がられたり、いじめられたりする猫たち。でも、猫を可愛がる人たちはたくさんいる。好きなときだけ、責任を取らずに猫の相手をすることに、批判もあるだろうけど、猫にエサをあげる人たちは、根っこの部分ではとても純粋な気持ちに突き動かされているのだと思う。ほんと、正直な話、猫と一緒にいるとき流れる時間は無垢な本物の世界で、人間の世界に流れる時間は汚れたウソの世界だ、という気がすることもある。現実逃避といわれればそれまでだけど、人類数百万年の歴史をみたら、あのまったりとした時間の流れ――肉球を舐めたり、足で頭の裏を掻いたり、猫のポーズをしたりする猫たちをじっと眺めているような――、というのは、たぶんものすごく普通で自然なものなのだと思う。それが、いつのまにか、こんなにも慌しく、世知辛い世の中に生きている。猫の公園を離れて、5分ほどの距離のところにある団地に着き、入り口でポストを開けると、ポスティングされたチラシが大量に入っている。不要なものばかり。人間、生きるためにいろいろやらなくっちゃいけないけど、本当にこんな人間社会を維持するために、猫を世界の果てにおいやらなくてはいけないのか、と思う。どこかに、公共の猫ハウスみたいの、できないかな~。地域猫っていう制度、昔テレビで見たことがあって、……いまwikipediaで調べたら、けっこう大変だということがわかった。難しいんですね……。猫と人との共存は。

猫たちは貼紙の文字を読めない。だから、朝になるとまだあの公園にいて、5匹がお互いの身体を寄せ合って暖を取っている。寒いときは辛そうな顔をしているけど、ぽかぽか天気のよい日には、気持ちよさそうにまどろんでいたいりする。猫たちは文字を読めなくていい。僕は「文章を読んでいる人」を見るのが好きだから、読めるものなら可愛いあの猫たちにだって訳文を読んでもらいたいと思うけれど、こういうときばかりは猫たちが文字読めなくてよかったと思う。もし読めたら、「人間って身勝手だニャー、えさをくれるかと思えば、迷惑だから出て行けなんて。まったくヤになるミャー。フギャー」とあきれることだろう。しばらくはまだあの公園にいてくれそうなのだが、一匹も姿がみえない日が続くと、とうとう猫たちはどこかに引っ越してしまったのではないかと心配になる。ともかく、猫を見たさに、信号を一つ余分に渡って、明日も行きと帰りにあの公園に立ち寄ろう。

(='ェ'=) (='ェ'=) (='ェ'=) (='ェ'=) (='ェ'=)

『恋文』連城三紀彦
『愛の倫理』瀬戸内晴美
『刺青』藤沢周
駅前のブックアイランドで3冊

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某チュー(ハイの)缶あり

2008年01月23日 23時33分53秒 | ちょっとシリアス
皆に振られ鉛を重たく抱いたまま禊の雪の白く降る朝

(解説)些細なことがきっかけで、突然、自分が誰からも相手にされないような存在なってしまったような気がすることがある。ひとりだけ世界から取り残されてしまって、何の予定もないままぽつんと夜を過ごしている。そんな気分。

受信トレイを開く。誰からもメールは届いていない。

誰かに振られたわけじゃない。誰かにかまってほしいわけでもない。夜遊びなんてもともとしない。孤独には、慣れている。でも、なぜか寂しい。鉛のように重たい感情が、ずっしりと心にのしかかる。何かが、悪かったのだろうか。何かが、間違っているのだろうか。何かが、足りないのだろうか。

朝になる。窓の外に白い雪が吹雪いているのがみえる。初雪は、汚れた世界を純化する。うすぼんやりとしていた街に、人に、空気に、凛とした厳しさを与える。血を流したときに初めて自分が生きていることを思い出すように、雪を見ると、この世界もまた一つの意思を持ち、生理を持って生きているのかと思う。

外に出る。冷たくて、気持ちいい。もしこれまでの何かが間違っていたのなら、この雪がそれを洗い流してくれるのだろうか。そんなことを思いながら、歩き出す。

KKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKK

会社の仕事がやたらと忙しい。すでに走り始めている仕事だけでもあっぷあっぷしているのに、どんどん新しい仕事がやってくる。「駆け込み乗車はおやめください」とアナウンスを出しているつもりなのに、仕事がスライディングして車内に乗り込んでくる。けれど、決して嫌な気はしない。どんな仕事でも、やればやるだけ経験値があがると思うと断る気はしない。そもそも、好きな翻訳の仕事だ。やってくれと頼まれて断る理由は何もない。ただ、チェックする暇が十分にないだけ。でも、受ける。依頼元からのメールを受けて見積もりを書き、訳者に仕事をアサインし、上がってきたものをチェックして納品する。すべての工程に関わるスタイルで仕事をしているということは、全体が見えて面白い。本当は、翻訳だけやっていたい、とも思うのだけど。次々と仕事を依頼し、次々と仕事が上がってくる。届いた訳文を開けるとき、つくづく翻訳と言うのはまず訳者のものなのだな、と思う。翻訳者がいい翻訳をしてくれれば、もうそのプロジェクトの90%は成功したも同じ。翻訳者が数日間、一つのドキュメントと向き合って訳文を作り上げてきてくれたとき、ファイルを開いた瞬間に特別な何かがそこからあふれ出てくるような気がする。チェッカーはその訳文に介入せざるを得ないのだけど、翻訳者の誠実な仕事からは神聖さが伝わってきて、なまじ手を出すことができない。

仕事がたくさんあるということはたくさんの人とのかかわりがあるということで、うれしいことに新しい出会いもいくつかあった。忙中閑ありで、そうした人たちとちょっとおしゃべりをしてみたり。それがまた楽しいのだ。チューハイで乾杯して、明日もがんばります。
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訳されない、という誤読

2008年01月22日 23時24分09秒 | Weblog
過去からの旅人駅に立ち寄りて伝言板に書く「ここフグがいい」

(解説)会社帰り。いつものように、中野坂上の駅の改札を通り抜けようとした。その瞬間、普段まったく目にすることがない伝言板に書かれた文字が目に入ってきた。たった一行だけ、左曲がりの弱々しい字でこう書かれている。「ここフグがいい」。そのとき僕はすでに改札を流れる人波の一部と化していたので、立ち止まって確認はしなかったから、本当は別なことが書いてあったのかもしれない。だけど、そのときの僕には確かにそう読めた。

「ここフグがいい」。誰かへの伝言なのだろうか、それとも、中野坂上で食べた河豚があまりにも美味しかったので、つい一言誰かにそれを伝えたくて書いてしまったのだろうか。そもそも、「ここ」というのは、中野坂上で間違いないのか。どこなのか。とにかくシュールだ。このメッセージを放置している坂上の駅員もシュールだ。このメッセージを放置して何事もなく改札を通り抜ける人たちもシュールだ。思わず今日の句は「『ここフグがいい』ねと君が言ったから1月22日はバルーンフィッシュ記念日」にしようかと思ったのだが、それは剽窃だ。そもそも僕が見た情景を表していない。

今、駅の伝言板を使っている人ってどれくらいいるのだろうか。絶滅したわけではないだろうけど、これだけ携帯電話が普及した今、かなり少数派であることは間違いない。そもそも、「駅の伝言板にメッセージ書いとくから」ってことを伝えるのに、携帯電話でメール打ってしまいそうだ。でも、なんだかとても懐かしい気持ちになった。駅で待ち合わせの相手を待って待って待ちくたびれて、伝言板に「4時まで待った。たかし」とかなんとかメッセージを残してその場を去る。そういうの、むかしは普通にあったんだけどな~。

あのメッセージを書いたのは、きっと過去からの旅人だ。時間の裂け目を自由に行き交って、携帯電話ももたずに、インターネットもせずに、何にも束縛されずに、旅を続けている。そして、あちこちでフグを食べ歩きしては、駅の伝言板に「ここフグはいい」とか「ここフグはまずい」とか書いているのだ。

AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA

愛の正反対は憎しみではなくて無関心だ、といわれることがある。よい翻訳書の反対にあるものは、誤訳された本ではなくて、訳されなかった本なのかもしれない、と思うことがある。

一体何冊の本が世界中で出版されるのかは知らない。だけど、その中で日本語に翻訳される本は、本当にごく一部だ。そのほかすべての本は、「訳されない」という形で、日本語を母国語とする人たちから誤読されている。

だから、訳されると決まった本は、それだけでもう特別な存在だ。その他大勢のなかから、選ばれたわけだから。だから、翻訳者の使命というのは重大だ。訳すべき本のほかにも、浮かばれなかった数多の本の魂を鎮めてあげる役割も担っているのかもしれないのだから。訳されることになった本は、きっと訳されなかった本たちから、「俺たちの分までがんばってきてくれ」との思いを託されているに違いないのだ。

翻訳者はそういった本たちの声に耳を傾け、自ら訳書たるべき本を探し出し、そして一冊でも多く良書を日本語にしてこの世に送り出すというミッションも持っている。僕も願わくば、そういう仕事がしてみたいものだ。

AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA

本日発行されたトランネットのメールマガジン『TranNet 通信 第192号』のオーディション入賞者の声に、原稿を書かせていただきました。オーディションで合格して『インドの虎、世界を変える』を訳した経緯を、短くですが書いています。メルマガ登録している方、よかったら見てください。

AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA

『檀』沢木耕太郎
『蕎麦ときしめん』清水義範
『姑獲鳥の夏』京極夏彦
『三田綱坂、イタリア大使館』田中康夫
『本棚から猫じゃらし』群ようこ
駅前のブックアイランドで5冊

P.S.

掲示板ではなくて伝言板でした。顔から火がでるほど恥ずかしいっす。
ちなみに、今朝みたらあの文字は消されていました。
「俺のバカ」と書きたい衝動にかられました。
1/23朝

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乗り過ごして国分寺 涙の立ち食い蕎麦

2008年01月21日 23時49分26秒 | 自薦傑作選
腹いせの立ち食い蕎麦屋でおばちゃんは仏 人間万事塞翁が春菊天

(解説)今日もまた特快にのって国分寺まで来てしまった。つい最近乗りすごしたばっかりなのに、まただ。さすがにそんな自分に対してトサカにきた。とっても腹立たしい。気づいたときには武蔵境を通り過ぎ、車窓には見慣れない風景が映っている。1分が、1秒が、苛立ちを募らせる。もうやたらとむかついた。わなわなと怒りで震えた。歯ぎしりどころじゃない。眼ぎしりしてやった。JRのバカ。自分のバカ。俺の背後に立ってる鼻息荒いおっさんのバカ。福田首相のバカ。小沢一朗のバカ。ヒラリーもバカ。オバマだってバカ。もう~バカバカバカ。それにしても、なぜ気づかない?あるいは、なぜ気づかせてくれない?いくら僕が鳥目だといっても、ひどすぎる。確かに、穂村弘の『短歌という爆弾』を食い入るように読んではいた。本を読んでいると、ただでさえ散漫な自分の注意力は水面下にまで低下する。それは認める。でも、自分の乗る列車が普通か快速か特快かくらいは気づいてほしい。そんな人間になぜなれなかったのか。マジで、そういうことで自分をがっかりさせないでほしい。本を読むことはそんなに日常生活に支障をきたすことなのかい。そんなにいけないことなのですか駅での読書は。教えてくれないかな、二宮の金さんよ。

とプリプリしていたら、朝飯昼飯を両方とも抜いていたのがたたったのか、猛烈におなかが空いていたことに気づいた。ちょうど、国分寺駅のホームにある、立ち食い蕎麦屋の前に立っていた。普段だったら、会社帰りに駅蕎麦なんか食べることはまずない。麺食いだから本当は食べたいのだけど、食べない。家にご飯があるからだ。だけど、今日は空腹と怒りで自分を見失っていたのだろう、5秒間店の前で立ち尽くしている間に、すっかり頭のなかでコペルニクス的な転換が行われていた。自分でも怖いくらいに、駅蕎麦を食べる人に成り変っていた。

ガラガラっと戸を開けて中に入る。客は一人。店のおばさんが一人。時計の針は、9時を回っていた。すると、どうだろう。店のおばさんがとっても感じがいいのだ。「いらっしゃいませ」と心からニコニコして対応してくれる。さっきまでの殺伐とした気持ちがふにゃふにゃと消えていくようだ。思わずいい気分になって、310円のきつねうどんから360円の春菊天うどんにメニューをエスカレーションした。そうしたら、おばちゃんが、「麺は固めがいい?柔らかめがいい?それとも普通がいい?」と訊いてきた。なんということだろう。この細かな心配り。こんなの初めて。このおばさん、ただものではない。その訊き方に、まったくマニュアルめいたものが感じられない。心から客である僕のためを思って訊いてくれている、そんな気持ちがズドンと伝わってくるのだ。真のホスピタリティー、真のプロフェッショナリズム。気がつくと、客は僕一人。するとおばさんは、「うどんのおつゆが薄かったら、注ぎ足すから言ってね」と言った。一口うどんのおつゆをすすったら、「どう?大丈夫?薄くない?」とまるで病気の子供を看病する母親のような顔をして訊ねてくる「大丈夫です。美味しいです」と、いつのまにか高倉健になった自分が伏し目がちにそう答えてしまう。くさっても似非関西人、薄いつゆにはなれている。というか、関西のつゆに比べれば、それでも真っ黒で味も濃いのだけど。(心配しないでもいい。絶妙な味だよ、おばさん)と心のなかでつぶやく。うどんには、やっぱり愛情がたっぷり入っていた。このおばさんの作るうどんが、不味いわけがない。それは、ありえない。これまで食べた中で、一番美味しい春菊天うどんだった。店を出るとき、「ごちそうさま、また来ます」と言ったら、おばさんはとても喜んでくれた。店の外まで出て見送ってくれるんじゃないかというくらい、喜んでくれた。

おばさん、ありがとう。ここの立ち食い蕎麦屋は日本一や!と心のなかで叫びながら、僕は東京行きの列車に乗った。人間万事塞翁が馬。乗り過ごしたばっかりに、こんな素晴らしい出会いがあった。そう、幸せは歩いてこない、だから乗り過ごしていくんだよ。一日一歩、三日で三歩、三歩あるいて五歩下がる。ワンツーワンツーしゃべらないで歩け~。

それにしても、と思う。あのおばさんの真心に勝るものなんて、そうそうない。あの店は、高級料亭ではない。セレブお気に入りの店でもない(たぶん)。でも、こんなもてなしは、そうそうにない。こんなに満ち足りた気分になることは、そうそうない。大事なのは心なのだ。本当にそう思った。おばさん、ありがとう。そして、ごちそうさま。

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

兄貴、買いました!
『サラダ記念日』俵万智
『101個目のレモン』俵万智
『トリアングル』俵万智
『折々のうた』大岡信
『日本語』(上下)金田一春彦
荻窪店で6冊。
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ナイトオンザプラネット、あるいは「行けない」ルージュマジック

2008年01月19日 23時34分00秒 | ちょっとシリアス
行ったことのない沖縄がせつないくらいに懐かしいあの人と食べるゴーヤチャンプルー


(解説)先日、生まれて初めて沖縄料理の店にいった。ラフテ-を、ゴーヤチャンプルーを食べた。そして、麺食い人間のはしくれとして遅ればせながら沖縄そばを初体験した。嬉しかった。美味しかった。とりあえずビールも飲んだ。シーキクァーサーサワーも飲んだ。美味かった。やたらと美味かった。もうなにもかもが。

なぜこんなに美味しかったのか。それはわかっている。料理も酒も美味しかった。お店の人の感じもすごくよかった。でも美味しさの本当の理由は、一緒にいてくれた人のおかげだ。

僕は沖縄には一度も行ったことがない。だけど、その人の沖縄の話を聞いていると、それだけでなぜだか懐かしい気持ちになる。せつなさがつのる。行ったこともないのに、懐かしさを感じてしまえるような年になってしまったことがせつなく、行ったこともないのに、懐かしさを感じてしまえるような屈折した人間になってしまったことが悔しく、それでも、どうしてこれまでの人生で沖縄に行くチャンスを作らなかったんだろう、と自分を責めるのではなく、そんなすべてをポジティブに受け止めている自分がなんだか許せる。そんなこんながごちゃ混ぜになって、なぜだかとても嬉しくて、そしてせつないのだ。

YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY

旅先で、夜、飯を食う。移動で体は疲れている。時差ぼけもあるのかもしれない。だけど、ホテルで少し休憩したら、すぐに元気になる。外に出よう。見知らぬ土地、見知らぬ風景、見知らぬ人。観るものすべてが新鮮で、心が弾む。さあ、この地で初めての乾杯だ。よその土地にきた興奮が、料理を、酒を美味くする。気の合う仲間と一緒なら、さらに楽しい。店の人にも、なぜか特別な親しみを感じる。これはもう、祝祭だ。饗宴は続き、夜は深まっていく。それでも、ふと寂しさを感じる瞬間が訪れる。異国情緒を満喫しながら、僕たちは心のどこかで、この店にくることはおそらくもう二度とないだろう、と思っている。あのウェイターに会うことも、この料理を食べることも、この杯を酌み交わすことも、おそらくもう二度とない。この土地に来ることも、この国にくることすらも、悲しいけど、最初で最後なのかもしれない。そして、目の前の人と一緒に時を過ごすことも。もちろん、二度目だってありうる。だけど、人生はすべてに二度目を期待できるほど、長くはないのだ。

このせつなさこそ、旅が人をひきつけてやまない魅力を持つ理由のひとつかも知れない。旅は人生に似ている。旅も人生も、一度しかないからだ。一日の初めと終わりに小さな生と死があるように、旅もまた駆け足で通り抜ける小さな小さな人生なのだ。

僕は自分から積極的に計画して旅行をする習慣を持たないから、沖縄だけでなく、いろんなところに行ったことがない。北海道にも行ったことないし、四国にも行ったことがない。浅草にも行ったことがないし、東京ドームにも行ったことがない。でも、こう思う。もし沖縄に行ける機会があればそれは素晴らしいこと、もしその機会がなくても、それはそれでしかたないこと。僕は有限の人生を生きているのだし、できないことを望みだしたらきりがない。なにより、美味しい沖縄料理を、沖縄の素晴らしさを語ってくれるすばらしい人と、一緒に食べることが一度でもできたのだ。これ以上、何を望めばいいのだろう。そう素直に思えるようになった。

最近、いろんな望みを諦めていくことに、徐々にだけど抵抗がなくなりつつある。僕はひょっとすると沖縄に行けないかもしれない、たぶんウィーンにも行けないだろうし、まずウラジオストックにも行けないだろう。でもかまわない。いろんなものが手に入らないとわかるからこそ、本当に大切なものをしっかりと握り締め、抱きしめればいいじゃないか。そして、そんな本当に大切なものの一つと、しっかりと出会えた夜だったのだ。

YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
荻窪店
『惜しみなく愛は奪う』有島武郎
『小さき者へ 生まれ出づる悩み』有島武郎
『夢は枯野を』立原正秋
『優しくなければ…』青木雨彦
『日本FSXを撃て』手嶋龍一
『四日間の奇蹟』浅倉卓弥
『インディビジュアル・プロジェクション』阿部和重
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あの観覧車を忘れない

2008年01月18日 23時24分22秒 | ちょっとシリアス
会社の窓からいつも見ていた観覧車いつか乗る日D-dayすべてが変わるH-hour

(解説)四年間通った会社の窓からは、きれいな観覧車が見えた。観覧車はとても大きく、日が落ちると夜景に映えてとても美しく光った。妖しく輝く巨大な輪を眺めながら、きっとあの箱の中のひとつに身を置くことも、ぐるぐるまわる異次元の空間から世界を見渡すことも、おそらくこの先きっとないのだろう、と漠然とした思いを心に抱いた。来る日も来る日も働いた。スーツを着て、ネクタイをしめて、くたくたになりながら遅くまで働いた。観覧車があったのは、職場からたった一駅先にある公園だった。結局、四年も通って、一度もその駅に降り立つことはなかったし、観覧車に乗ることもなかった。

その会社で、ぼくは初めて翻訳者としての仕事を任された。うれしくてうれしくて、信じられないくらいはりきって、無駄な力を出しまくり、空回りを連発しながら、明けても暮れても仕事をした。徹夜も何度も経験した。休出も常態化していた。ストレスもプレッシャーも相当感じていたし、オンとオフの区別もあまりなかった。体調も優れないときが多かった。今にして思うと、長い長い夢を見ていたような気もする。もちろん、あの会社での経験が自分の血肉となっているのだから、すべてに対してとても感謝をしているのだけど。

今は環境も変わり、あのころのような追い込まれた気持ちからは解放された。忙しいことには変わりはないけれど、以前より物事を楽しめるようになったし、充実感も強い。主体的に、自分の人生を生きているような気がする。年を食って、それだけ成長したということなのだろう。でも、若くたってバランスよく人生を楽しんでいる人はいくらでもいる。なんだか、人の十年後ろを追いかけているような気もしないでもない。でも、流されていたら、十年なんてほんとうにあっという間にすぎる。ただ単に流されていたのではなく、激流に飲み込まれないように、必死に泳いでいたのだと思いたいのだけれど。

決心をして、一歩前に踏み出せば、何かが変わることがある。たった一日、たった数時間でも、その後の人生に大きな変化を与えてくれるようなことを経験ができる。あのときの自分は、長い間、そんなD-dayやH-hourを決めることができずに、チェーンのように終わりのない日々を生きていた。ちょうど、目の前にある観覧車に乗る機会なんてない、と思い込んでいたように。色んな事情が絡まって、ここからは抜け出せないと思った。今にして思えばそんなわけはなかったのだけど、それだけ周りが見えていなかったのだ。

だけど、永遠とも思えた時代にも、苦しみぬいた戦いにも、ある日、あっさりと終わりのときがきた。辞めたら、心に翼が生えた。何年かぶりに地面に出て、太陽の日差しを浴びたような気持ちになった。長い旅を終えて久しぶりにふるさとの地を踏みしめたような、生まれ変わって素の自分に戻ったような、そんな気がした。そう、いつまでも変わらないと思っているものにも、いつか必ず終わりがくる。

そして、心を決め思い切って空を飛べば、信じられないくらい素晴らしい世界にだって行くことができる。たとえば、たった17分間で、観覧車が一周する間に。

あの観覧車のことを、ぼくは決して忘れない。ぼくが経験したD-day、H-hourのことを、ぼくは死ぬまで忘れない。
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"訳文の品質"の「品」に物申す

2008年01月16日 23時42分37秒 | 翻訳について
タメ年の有名人いる? Yes, I have

(解説)同い年の有名人というのは気になるものである。僕は1970年生まれなのだが、この年に生まれた有名人には、中山美穂や西村知美、誕生日が一日違いの辰吉丈一郎らがいる。なかでも僕が特に同い年として誇りに思えるのが、棋士の羽生善治さんだ。将棋については一時期熱中したことがあるけど、今はほとんど指すことがなくて、彼の将棋のすごさは残念ながら僕レベルにはまったくわからない。でも、彼のことはとても気になる存在で、本も何冊か読んだことがあるし、その考え方にはとても感心させられた。あの寝癖も可愛いと思うし、誠実そうな人柄にもとても惹かれる。しかしなにより、一つの世界を極めるその姿勢にしびれる。同い年といっても、方や第一線で活躍し続けている押しも押されぬスーパースターであり、こちとらは凡人であるからにして、その差を比較するとなんとも愕然としてしまう部分もあるのだが、それ以上に彼のことを応援し、彼の魅力にひきつけられる自分がいる。彼が第一線で活躍し続ける限り、僕もがんばろう、という気になるのだ。Yes, I have Have.

UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU

翻訳業界では「品質」という言葉がよく使われる。訳文の出来の良し悪しを指して「これは品質がいい」、「これは品質が悪い」などという。業界に入りたてのころ、文章を指して「品質」ということに対してものすごい抵抗を感じた。文章がいい、といいたいのなら「質」がいい、といって欲しい。なぜ「品」を頭につけるのか。文章は、カラーテレビでもないし、車でもない。規格化され大量生産されるモノではないのだから、品質、というのはおかしい。この違和感を、いまだに禁じえない。

たとえば、三島由紀夫の小説を読んで、この小説の文章は「品質」がよかった、などという人がいるだろうか。もしそういう人がいるのなら、その人自身の品質が問われている、といいたくなる。たしかに、実務翻訳の世界は金閣寺でもないし仮面の告白でもない。マニュアルなんて製品の一部だし、品物と呼んでもおかしくない。文章には作家性が問われているわけではないし、美しさが必ずしも求められているわけでもない。だから、たとえば内容を的確に伝えればよい、という目的の取扱説明書なら、「品質」といってなにが悪いのか、とやおら怒りをあらわにするひともいるだろう。さあ、何が悪いのはっきりといってもらおうじゃないか。その口でいってもらおうじゃないか、と詰め寄られてしまうかもしれない。

だけれどもだけれども、やっぱり言葉に品質はそぐわない。製造業では品質という言葉を常に意識して働いているだろうから、ドキュメントについても製品と同じように品質、というのが当たり前なのだろう。それはしょうがない。ただ、文章にはときとして「品質」というのっぺんつるりんとした工業用語だけでは測ることのできない価値が含まれるのだ。そもそも、翻訳のベースは個人だ。訳文は、訳す人、チェックする人の生身のエネルギーが注がれて作られるものだ。そこには言葉のリズムがあり、息吹があり、流麗さがあり、ユーモアがあり、楽しさがある。そして、よい文章とはすべからくユニークなものだ。それを一律に品質を上げろ品質を上げろといわれると、ここはかまぼこ工場じゃないんだから、毎回毎回金太郎飴みたいに同じ質の文章なんてできっこない。と愚痴のひとつもをこぼしたくなる。品質っていう言葉にはちょっと暴力的なものを感じるのだ。

品質といってよい場面もあることは否定しない。でもだからといってすべての翻訳に対して品質という言葉は当てはまらない。もとを辿れば、こうした言葉の無自覚な用法に耐えうる無感覚さ自体が、訳文の質を貶めかねない感性につながっていくのだと思う。といいつつ、自分の訳文の「質」にはまったく自信がないあたりがどうにも情けないのであるが…….。
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スウィート・ホーム

2008年01月15日 20時25分00秒 | ちょっとシリアス
眠たくて眠たくて「眼」を食いしばる

(解説)日中、仕事をしていると眠くなる。もちろん、眠るわけにはいかない。船をこぎそうになったら、背筋を伸ばして意識を取り戻す。しばらくすると、また眠くなる。非常階段の踊り場で、こっそり腕立て伏せをする。ストレッチをする。しばらくすると、また眠くなる。ご飯を食べたら眠くなるから、昼飯も抜く。それでも眠たくて眠たくて、歯を食いしばりたいのだが、あごの辺りはもう睡魔にやられてかみ締める力を失っている。だから、代わりに眼を食いしばってみる。

mmmmmmmmmmmmmmmmmm

子どものころ、友達の家に遊びに行くといつも思った。他人の家って、その家独特の匂いがする――。何の香りなのだろう。きっとそれは、建物が放つ香りであり、家族が生活することで自然に生まれる匂いであり、おおげさに言えばその家の歴史や文化から醸し出される芳香であり、そんなもろもろが渾然一体となったものに違いなかった。誰の家にいっても、玄関を入ってすぐに感じる不思議な香りは、その友達と家族を象徴するものに思えた。ここは他人の家なんだ、ということを、まず嗅覚で教えられるのだ。明らかに何かが自分のウチとは違う。そこにいるお父さんも、お母さんも、妹も、お兄さんも、僕の家とは違う。大きな家、立派な車。ウチにはないゴルフのクラブがあり、犬までいる。うらやましいとも思うけど、どこか馴染めない気もする。この異文化の香りにやられてしまうのか、いくらおもちゃやゲームで遊ばせてもらい、お菓子やケーキをご馳走してもらっても、心から馴染むことのできない、居心地の悪さが消えることはなかった。

それでも、それはあくまでも「他人の家で感じる匂い」、であって、自分の家にはそんなものはない、と思っていた。あるとき、ウチに遊びにきた友達が、家に入るなり何気なくこういった「君の家の匂いがする」。びっくりして「ホント?」と聞き返した。友達は何を当たり前のことを聞くんだ、というような顔をして頷いた。君はここに住んでいるんじゃないか? なんでこの香りに気づかないの? 僕が友達の家の匂いに感じたものと同じ違和感を、彼も感じていたに違いない。小学生低学年だった僕は、自分が自分であることの不思議、自分が他人でないことの不思議に、まだ戸惑っていた。人が自分にとって他者であるように、自分も彼にとってはまた一人の他者なのだ、ということを、そのとき少しだけ理解できたような気がした。

そんな違和感を次第に当たり前のものとして受け止めつつ、僕は小学校を卒業し、中学生となり、高校生になった。特別な反抗期を迎えることはなかったが、高校生にもなると、一刻も早く家を出たい、と自然に思うようになった。思春期にありがちな感情だろう。友人の家にいるときに感じたものとは違った居心地の悪さを、自分の家にいるときにも感じていたのだ。特別な問題があったわけではない。家族はとても仲が良く、たまにケンカもしていたけど、楽しく暮らしていた。だけど、とにかく「ここではないどこか」で暮らしたいと感じた。自分は家族に属しているけど、それは本当の自分じゃない。家族で一緒に外出するとき、なぜか妙に恥ずかしく、友達に出会いたくない、とすら思うこともあった。他人の家はみんなまともにみえて、自分の家には何かが足りない、なんてことも考えていた。いろんな思いを錯綜させながら、自分が自分であることの前提になっていたこの「家」から離れて、自分の正体を探してみたい、とそんな風な気持ちになっていたのだと思う。

高校を卒業すると、すぐに家を出た。風呂もないアパートで、浪人生としての生活が始まった。殺風景な部屋だったけど、自由を感じた。ついに、僕は家族という枠組みを外れて、自分自身になったのだ。でも、御多分にもれず、孤独も感じた。三度の食事も、洗濯も、掃除も、生活費の管理も、すべて自分でやらなくてはならなくなった。引っ越してしばらくは、まだテーブルもない床に座って、弁当ばかり食べていた。あまりにも味気なくて、インスタントのお味噌汁を作ってみた。意外と美味しく感じた。数ヶ月が経ち、気がつくとそんな生活にもすっかり慣れていた。

その年の暮れ、初めて帰省した。電車を乗り継ぎ、懐かしい町並みを抜け、自宅の玄関にたどり着いた。扉を開けるとき、不思議にドキドキした。家に入った。一気に昔の記憶が蘇ってきた。すべてが懐かしい。母親が嬉しそう出迎えてくれる。父親も、弟も笑っている。昔のままの家具、本棚の本、窓の外の風景。母親が張り切ってご飯の支度をしてくれているのがわかる。お風呂の準備も出来ているようだ。テレビの音が聞こえる。父親は、早くもビールを飲んでいる。そして僕は、初めてはっきりと、自分の家の匂いがするのを感じた。忘れていた、あたたかく、甘い香りだった。家を出るまで気づかなかったけど、これがウチの、そして家族の匂いなんだということを、紛れもない事実として受け止めることができた。そう、僕はこの香りの中で、家族が生きることで生まれるこの匂いの中で、一八年間育ったのだ。お風呂に入った。バスタオルの匂いをかいだ。ほかほかして、そしてなんだか甘い香りがした。使っている洗剤の香りなのだろう。でも、それだけではないような気がした。これが、ウチの匂いなのだ。食卓には、たくさんのご馳走が並べられた。一人暮らしの身には、夢のようなご馳走だ。僕は帰省をしてようやく、家族の暖かさの意味を知った。

刑事ドラマの犯人になったわけじゃないけど、母親の作った味噌汁は、インスタントのものと比べ物にならないくらい、やっぱり泪が出るほど美味しくて、家を出たことを後悔した。啜った味噌汁がのど元を過ぎ、胃に落ちていくわずかな間に、いろんなことが脳裏を駆け巡り、そして文字通り腑に落ちていった。嬉しいような、悲しいような気持ちだった。スイート・ホーム。僕にはかけがえのない家族があり、そして僕はすでにそこから離れてしまっているのだ。

mmmmmmmmmmmmmmmmmm

いろいろと忙しくて、残念ながらFアカデミーの授業を休む。今日のエントリは、昨年提出したエッセイの課題です。
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