イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

24時間コンバーター

2007年12月01日 23時56分02秒 | 翻訳について
「24時間仕事のことを考える」のは、実はそれほど難しいことではないと思う。仕事に限らず、趣味のことでも、恋わずらいでも、何か気になることがあれば、四六時中ずっとそれが頭から離れない。人間、誰しもがそんな経験をしていると思う。

インドのヨガの行者で、何年間もずっと右手を上げつつけている人がいる、という話を聞いたことがある。起きている間中、ずっと何かについて考え続けること、それは求道の精神にも似ている。目に映るすべて、体験するすべてを自分の仕事に結びつけて考えれば、新たなヒントを得ることができる。お寿司屋さんに入っても、コンビニで買い物をしても、そこでの人の仕事ぶりから学ぶことはたくさんある。業界こそ違えども、仕事は仕事。共通点はたくさんあるし、同じ職業人として、自分はここまでの仕事をしているだろうか、と考えされられることも多い。

ただ、仕事のことばかり考えているのが無条件によいことだとは思わない。オンとオフを切り替えて仕事をしている人の方がメリハリの利いた、集中した仕事をしていると感じることもあるし、人生にとって大事なことは仕事以外にもたくさんあるのだから、あくまで仕事は仕事と割り切って自分の役割をまっとうするという考えにも激しく同意できる。そして、そういう考え方は、得てしてよい仕事を生む可能性も高い。

ただ、僕の場合は仕事以外にこれといった趣味もなく、ほかにすることもないので、ついつい翻訳のことばかり考えてしまう。昔から、これ、と思ったことをやり始めると、それ以外のことができなくなってしまうタイプなのだ。僕には、夢=仕事=人生、みたいなスポ根的な発想しかできないのかもしれない。

で、最近、問題に感じていることがある。それは、「24時間翻訳のことを考えている」ことはできているかもしれないが、「24時間翻訳している」ことができていないということだ。理想的には、英語を聞いたり読んだりしているときは、心の中で常にそれを日本語に訳し、逆に日本語を使っているときは、頭の片隅で英語に変換していたいと考えている。が、なかなかそれが実現できていないのだ。

一流の通訳者の仕事を見ていると、この人は24時間コンバーターではないか、と思う。常日ごろ絶えず日英/英日の変換作業をしていなければ、いざ本番でこんなにスラスラ言葉が出てくるわけがない。一流の翻訳者の仕事に触れると、まるでその人がはじめて原書を読んだときの読解が、そのまま日本語になって現れているように思えることもある。この人は、まるで英語を日本語のように読んでいて、おそらくこの訳書はそのときの様子を正確に模写したものに違いない、という風に感じてしまうのである。

というわけで、少しずつ、年中無休コンバーターとしての自分、歩く翻訳ソフトとしての自分を開発中なのである。
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8時起床。通訳学校の予習、そのほかの活動、ジョギング(柴と猫には会えず)、通訳学校、吉祥寺でヨメとインドカレー、眼鏡を購入。

吉祥寺のブックス・ルーエで、
『生きる歓び』保坂和志
を購入。この書店、BGMがすべてビートルズなんですよね。
思わず長居しちゃいます。