イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

タクシー・ドライバー 2007

2007年12月23日 22時09分53秒 | ちょっとシリアス
おそらくは、誰にでも、生涯のこの一本、という作品があるのではないかと思う。その映画が忘れられないだけではない、その映画を観たときの情景までもが一つの記憶となって、いつまでも忘れられない、そんな映画のことだ。ぼくにとってのそれは、マーチンス・コセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の、『タクシー・ドライバー』だ。1974年の作品だから、いつのまにかもうクラッシックといってもいい範疇の映画になるのだと思う。世間に馴染めないままいつしか正義と狂気の境界線上に導かれていく、NYのタクシー・ドライバーを描いた作品で、デ・ニーロ演じるベトナム帰還兵の心の闇を見事に描いた傑作だ。エンタテインメント作品とはいうには程遠く、凄惨な暴力シーンもある一作だから、観終わって決して気持ちがよくなるとは言えず(もちろん人によってはある種の爽快感を感じることもあるだろうが)、誰にでもおすすめというわけではないのだが、自分にとっては出会い方といい、繰り返し観た回数といい、ゆずれないベストワンになっている。

ぼくの眼には、この映画のデ・ニーロが、一番デ・ニーロらしいと写る。孤独で、人見知りな26才のタクシー・ドライバーは、本当は優しく、ユーモアもある普通の青年で、そんな彼が社会に適応できない自分へのいらだちや、社会の腐敗への憤りを感じる様が、デ・ニーロの自然すぎる演技によって、観るものの心に痛いほど突き刺さってくる。主人公のトラビスは、女性に振られたりしたことなどをきっかけに、いつしか大統領候補暗殺を企てるようになり、衝撃のクライマックスへと繫がっていくのだが、その孤独と狂気の世界が、名匠スコセッシの手腕によって本当に見事に表現されていて、それが当時孤独な浪人生だったぼくの心象とぴったり合致した。重い衝撃だった。でも決して暗いだけの話ではなく、テンポ良く「観させる」つくりにもなっていて、どのシーンも何度みてもあきない。思いいれがありすぎるので、とてもすべてについてここでは語ることができないから、いつかこの映画についてはあらためて書きたいのだけど、とにかくぼくはこの映画が好きで好きで、タクシーに乗るたびに頭のなかでバーナード・ハーマンが作曲したこの映画のサントラが鳴り響くのだ。

この年末、宴席が続いて、終電を逃し何度かタクシーで帰宅した。気分はちょっとデ・ニーロだ。タクシーに乗ると、酔った勢いもあって、運転手さんといろいろと話すこともある。景気はどうですか? とか、日本シリーズはどっちが勝ちますかね? とか、勤務時間はどんな感じなんですか?(これはよく聞いてしまう)、とか、意味がありそうでなさそうな、そういう話だ。でも、そういう会話が実はとても面白かったりする。多くは年配であるタクシーの運転手たちは、ときには嬉しそうに、ときにはビジネスライクに、若造の話に上手く調子を合わせてくれて、そしてそんな彼らはさすがに話し慣れしているというか、面白い話題にはことかかなくて、ひょんなことから身の上話が始まったりして、それなりに興味深い会話が楽しめるのだけれども、そんなやりとりをしているときでも、彼らは頭の中で適切なルートを計算し、ハンドルを握っているのがよくわかる。こっちは酔っているから、なおさら彼らが頼もしく思えたりもするものだ。経験がものをいう世界、海千山千の彼らは如才なくアクセルを踏み、夜の闇を切り裂いて走っていく。

でも、ごくたまにではあるが、運転手になりたての人がいて、うまく目的地にたどり着けるかどうか、こちらに不安を抱かせる場合もある。実際、明らかに相手のミスで、かなりの遠回りをして、時間も金額も相当にかかってしまったことがあり、ドライバーがえらく恐縮して、メーターの額よりも割り引いてもらったこともあった。車内に乗り込み、目的地を告げて走り出したとたん、ドライバーが「実は昨日タクシーに乗り始めたばかりでして……」と切り出してきたらどうするか。基本的にはたいして気にならないだろうし、むしろ面白いと思うこともあるだろう。がんばってください、なんて気持ちもわいてきたりするだろうが、実際、一刻を争うほど急いでいたりした場合には困るだろうし(車を乗り替えるかもしれない)、意図的ではなくても料金がかさばるようなルートをとられたら困るな、と一抹の不安を覚えたりもするだろう。ともかく、初心者ドライバーがいくらやる気満々でも、客は醒めた目でそれを見ているには違いないのだ。

と、そんなことを書いたのには理由がある。実は、ちょうど一年前、つまり昨年の今日、ぼくがはじめて出版翻訳を担当させていただいた書籍(『Head Rush Ajax』)が、店頭にならんだ日だった。つまり、記念すべき出版デビューの日であり、めでたい一周年ということになる。苦節(?)×年。翻訳がやりたくて、スキルも仕事のアテも何もないのに京都から東京に出てきて、なんとか石にかじりつくようにして過ごした数年間。念願がかなったぼくは、ご多分にもれず、ものすごく嬉しくて嬉しくて、有頂天になった。今にして思えばとても恥ずかしく感じてしまうのだが、勤務先でも、友人たちに対しても、自慢モード全開で書籍を手に悦びを爆発させている自分がいた。そのときは皆やさしくそれを祝ってくれたと感じたし、実際そう思ってくれた人も多いと思う。そして、人生でたった一度のデビュー作なのだから、とことん喜びを味わいつくした自分の感情表現も、間違っていなかったのだと思う。喜びが大きかったということは、そこにたどり着くまでの道のりが、それだけ遠かったということなのだから。

だけどよく考えてみたら、ぼくはそのとき、タクシー稼業を始めたばかりの新米ドライバーだったのだ。行き先を告げられても、自信を持ってルートを頭に描くことができない、不安定な運転手だったのだ。そしてぼくの有頂天話に付き合わされた人たちがひょっとしたら迷惑さを感じていたであろうだけでなく、ぼくの始めての「お客さん」である読者はきっと、不安な気持ちでページを捲ったに違いない、と思うのだ。タクシーに乗ったとたん、有頂天なドライバーが、「ついに念願のドライバー・デビューを果たしまして…」と喜色満面でお客さんに語りかけていたというわけだ。そう思うと、ぞっとしてしまう。至らない点は多々あったとはいえ、その時点での精一杯の訳文を作ったつもりだし、今読み返してみても、なかなかよい訳をしているではないか、と手前味噌たっぷりだがまんざらでもない気になることもある。それでも、紛れもなくぼくはその頃、みるからに頼りない、タクシー・ドライバーだったに違いない。そんなことにいまさらながら気づいたのは、恥ずかしながらごく最近のことだった。

あれから、まだ一年しか経っていない。おそらくはまだ、ぼくはお客さんを不安にさせるドライバーのまま、夜の街を駆け抜けているのだろう。デ・ニーロが孤独や不安に苛まされ、鬱積とした思いを抱えながらも、タクシーに乗っているときはドライバーとしての仕事に徹していたように、ぼくもドライバーとしての仕事に誇りを持って、そしてお客さんに安心を感じてもらえるような熟練の技を早く身につけられるように、今日もハンドルを握りたいと思う。

バーナード・ハーマンの音楽を心に響かせながら、あのときのデ・ニーロみたいに。