イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

積ん読のソムリエ

2009年05月31日 23時43分12秒 | Weblog
「ブックディレクター」、「本のソムリエ」なる肩書きで活躍されている幅允孝さんのことは、なんどか雑誌などで目にしたことがあった。今日たまたまというかいつものようにYoutubeを彷徨っていたら『情熱大陸』で彼を紹介した回の映像を見ることができた。本好きの僕としては、とても面白かった。ホテルや病院、デパートなど、様々なところから依頼され、そこに書斎めいた空間を作り上げるのが彼の主な仕事だ。彼はアートの素養もあるのこと。だから、あんな風に綺麗に本を並べられるのだろう。まさに魅惑の空間。彼自身も相当の読書家で、基本的には自分が読んだ本しか使わないのだという。彼が成功した理由のひとつは間違いなくそこにあるだろう(ところで、同じく本並べのプロとしては、『本屋はサイコー!』の著作もある安藤哲也さんも有名だ。書店での本の見せ方次第で売上が大きく変化することを、この安藤さんの本を通じてよく理解できた。それ以来、書店で棚を眺めるときに書店側がどういう意図で棚を作っているのかを少しは考えるようになった)。

たまに家具売り場などにいくと、ソファやデスクなどのコーナーに、妙におしゃれな外国語の本がさりげなく置いてあったりする。生活感がまったく感じられないけど、それでもやっぱり本好きとしてはそそられるものがある。ただし、いかんせんそういうおしゃれ空間にレイアウトされているのはせいぜい数冊なので、本に埋もれるようにして暮らすことが理想の自分としては、物足りなさを感じてしまう。そこではあくまで本は脇役にすぎないのだ。まあ、家具売り場にブックオフで買ってきた本が大量に格納されているリビングの見本があるわけはないんですけどね。でもやっぱり家具よりも本の方に気を取られて、ついつい手にとってページをめくってしまう。

酒場とか喫茶店とか旅館とかには、店の主や客とかが読んでいる本、あるいは置いていった本などがさりげなく配置されているところがある。で、そこになかなか渋い本があったりすると、嬉しくなる。全共闘世代のマスターが、かつて読みふけった本、みたいな感じだ。堅めの本から、柔らかめの本まで実に様々。こういう場合も、かなりの確率で本を手にとってパラパラしてしまう。ソムリエに選ばれた「隙のないセレクション」というわけじゃないけど、自然発生的に集まってきた本というのはその場に集う人たちのことをよく現していて、興味深いし、味がある。自分の本棚を見られたら恥ずかしいのであんまり好きな言葉ではないのですが、本棚は人を現すといいますからね。

日本でおそらく唯一の「ブックディレクター」である幅さんは「自分の仕事は自分で作る」みたいなことを言っていたのだけど、そこにも共感できた。翻訳者も、自分の仕事は自分で作るという精神がとても大事だと、最近は強く思っているのだ。幅さんは「ありえないところに本があるのが面白い」と言う。書斎はどこにでも出現させることができる。薬局になぜかマルクスの『資本論』があってもいい。ラーメン屋にとつぜん『ファーブル昆虫記』があってもいい。ジーンズショップにおもむろに『週刊プロレス』のバックナンバーが全巻そろっておかれていてもいい。そういうお店があったら、僕ならひいきにするだろう。

本、特に古本は、置き方ひとつでものすごく魅力的にもなるし、これ以上ないくらい哀しい存在にもなる。本を楽しむためには、自宅でも本がよりいっそう愛おしくなるような置き方をしてあげなければいけないのかなあと思った。なにせ、ここには積ん読が数千冊。放っておくと、棚はすぐに死んでしまう。できることなら幅さんに依頼して、素敵に本を並べてもらいたいくらいである。魅力的な積ん読の空間を演出し、本を手に取りたいと自分に思わせなければ。よ~し決めた、こうなったら職業替えして、日本初の『積ん読のソムリエ』になるぞ~!(なんて)

情熱大陸のサイト『幅允孝』

Youtubeで見つけた同番組の動画



姉さん、事件です

2009年05月30日 23時19分36秒 | Weblog
京都に住んでいた学生時代、二つ上の姉も京都で学生をしていた。歩いて10分くらいの距離で、お互い一人暮らしをしていた。めったに会わなかったけど、筆まめの姉はちょくちょく葉書をくれた。A型の彼女はO型でおおざっぱを絵に描いたような僕とは正反対の几帳面な性格で、葉書には定規で測ったみたいに正確な行と列のなかに、小さい字でびっしりと近況が綴られていた。姉は烏丸今出川にある某D女子大に通い家政科を専攻、合唱部に在籍していた。


姉さん、事件です。風邪を引きました。


風邪を引いて、どうにも頼る相手がいなくなると、そうやって姉に電話した。はじめての一人暮らしだった僕は、病気になったらなんだか妙に心細くなってしまうのだった。決まって、お店にご飯を食べにおいで、と言ってくれた。姉は烏丸今出川にある蕎麦屋さんでバイトをしていたのだ。フラフラになってそこに行くと、姉が「おざちゃん、大丈夫?」と心配してくれた。僕の名前は「おさむ」なのだけど、なぜか姉だけには昔から「おざ」と呼ばれているのだ(なぜだかはわからない)。僕の定番は、カツ丼か、カレーうどんだった。言うまでもないけど、蕎麦屋のカツ丼とカレーうどんは、美味しい。なぜか? 出汁が利いているから? そうかもしれない。だがここであらためて「なぜか」を問うのは愚問だ。それは宇宙の真理なのだ。食べたら、体に力がみなぎってくるような気がした。カツ丼とカレーうどんの効果は絶大で、しばらくすると、決まって風邪は治まってくれるのだった。

風邪を引いていてもいなくても、姉はいつも支払いは要らないといってくれた。代金を立て替えてくれていたのだ。当時、おそらくバイト代は1時間600円とか700円とか、そのくらいだったと思う。カツ丼もカレーうどんの値段は、ちょうど1時間分の稼ぎと同じくらいだ。つまり1時間働いた分が、ぼくのカツ丼で消えてしまう。だけど姉は、まったくそんなことは気にしていないようだった。「お金はいいからね」と言うときの彼女は、なんだかものすごく気前がよくて、頼もしく見えた。忙しくしてるだろうに、お金だってそんなにないだろうに、長女でしっかりものの真面目な姉なのに、てきぱきとお客さんをさばいているそのときの彼女の後ろ姿が、「そんなことどうだっていいのよ」と言っているように思えた。

だからいつまでたっても、僕はカツ丼が好きだし、カレーうどんが好きなのだ。今日は久々に自分でカツ丼を作ってみた。意外と美味しかった。カツ丼を食べるといつも姉を思い出す。ただそれだけなのだけど。

今、年をとった自分は、もう風邪を引こうが仕事で窮地に追い込まれようが、昔、姉に庇護を求めていたように、誰かに助けを求めようとするようなことはなくなってしまった。それがたんなる強がりであったとしても、自分の力でなんとかしてやろう、となぜだかそう思ってしまうのだ。他人に迷惑をかけるくらいなら、自分が苦しんだほうがマシだと。だけど、たまには誰かに甘えたっていいのかもしれないな~、なんて、カツ丼を食べながらしみじみしてしまった夜だったのでした。まあ、事件は起きないに越したことはないんだけど。




「ろう」多くして......

2009年05月29日 21時15分51秒 | Weblog
三浦雄一郎ばりにバックパックを背負って私鉄沿線にある図書館に行った。雨が降っているから自転車は使えない。エクササイズ代わりに徒歩30分の道のりを往く。20冊借りているから荷物はかなり重い。それでも本だけならバックパックをかつぐほどじゃないのだけど、帰りに野菜を買う予定なので、それを入れるつもりなのだ。本を返して、また20冊借りる。今日はいい本がたくさんみつかった。『短歌の友人』穂村弘、『てっぺん野郎』佐野眞一、『ミステリと東京』川本三郎などなど。さらに、不要な本の「ご自由にお取りください」コーナーにいい本が多かったので、5冊もちょうだいしてしまった。駅前にあるお気に入りのラーメン屋さんに行き、お気に入りの八百屋さんで野菜を大量購入する。ニンニクを買おうかどうか迷っていたら、店の大将に話しかけられた。「ニンニクをレンジでチンして毎日ひとつかみかふたつかみ食べてるけどとても健康にいいよ!」ということらしい。そういう大将がとても元気そうなので、買うことにした。

小津安二郎の映画の世界には、醤油が足りなくなったら隣の家に借りに行くような、昭和の時代の人々の暮らしが描かれている。重い荷物を背負って帰り道をひた進みながら、近くにある大学のハイカラな校舎に目をやると、夕暮れ時にもかかわらず教室には明かりがたくさんついている。そのなかでは学生や研究者が勉強や研究に打ち込んでいるのだろう。自宅で仕事をしている身としては、うらやましい気もする。広々としたスペース、高い天井、落ち着いた、それでいて緊張感のある空間。わからないことや、困ったことがあったら、同僚や先生に質問もできる。醤油を借りに行くみたいに。ぼくもすぐ近くに翻訳している人がいるような環境で、仕事したいなあ。まあ、実際は誰かが隣にいても、あんまり質問するようなことってないんだけど。それに人が隣にいるっていうのも、いつもだとちょっとストレスになるかもしれない。週、2、3日くらいがベストかもしれない(そういう妄想ばかりしています)。ともかく、今のぼくが、もっぱら醤油を借りている相手は、Googleさんなのであった。

道場六三郎のようにとは言わないけど、もう少し料理が上手くなりたいものだ。帰ってきて大量の野菜を袋から出しながら、そう思った。ただ、これからの季節、野菜は丸かじりとか、茹でるだけとかでも十分美味しい。食べ物はなるべく自然な状態でいただくという主義にも共感している。さっそくトマトを囓り、トウモロコシを茹でる。これが美味しい。だから料理が上達しないんだ、と自分にエクスキューズする。枝豆も、空豆も、茹でる以外に何があるというのか(いろいろあるんだろうけど)。でも、こういう原始的なダイエットはすぐに限界にぶち当たる。レシピを見ながら、試しに作ってみると案外上手にできるものなのだ。原文をしっかり読み込めばなんとかまともな翻訳ができるように。うん、少しずついろいろな料理に挑戦していこう。しかし荷物、重たかった~! 体重計で測ってみたら、本と野菜で23kg! バックパックで正解。しかしわたしの人生、これでいいのでしょうか?

岸部四郎さんのブログには、彼の哀愁あふれる日常が綴られている。人生いろいろあって、還暦近くになっても、それでも人は日常と密着して生きていかなくてはいけない。そんなことを痛切に感じさせられる。お金、人間関係、仕事、老い......。こんなぼくの日常を客観的に眺めてみれば、哀愁はたっぷりあるような気がするけど、まだまだ四郎さんに比べれば甘ちゃんだ。人生は果てしなく奥深い。そんなこんなで日が暮れる。

野口五郎の『私鉄沿線』の動画をYoutubeで探して、ビールでも飲みながら一日の終わりにボーッとしたいところなのだけど、そういうことばっかりもしてられない。読む本もたくさんある。とりあえずは、山本周五郎の『樅ノ木は残った』でも読むか(といいつ、持ってない)。ああ、今日もやっぱり、なんだかよくわかりません。

キノコに心当たりはないか

2009年05月28日 23時52分00秒 | Weblog
夢の中に友人の女性が出てきて、なんだかよくわからないけど、最終的に「一緒に東北地方にキノコ狩りに行く」という話になった。そこで夢が終わった。翌朝、思わずその人にメールしてしまった。冗談半分で「心当たりはないですか?」と。肉親だとか、親しい人が夢に出てくるというのは、何かの虫の知らせではないかと思ってしまう。なのでついその相手に電話をしたりメールをしたりしてしまうことがあるのだ。

返信が来た。彼女は映画関係の仕事をしているので、東北と言えば、山形国際ドキュメンタリー映画祭に何度か参加したことがある、とのことだった。ちょっと驚いた。すっかり頭の中から消えてはいたけど、それは僕も知っていた。そのことが関係していたのか? やっぱり夢というのはどこかで現実と繫がっているのだ。キノコ狩りについては、彼女もいくつか心当たりがあるそうだ。いろいろと推察を述べてくれた(人が勝手に見た夢なのに、真剣に考えてくれるなんて。ありがとう!)。だが、その真相は明らかになっていない。

僕なりに解釈すれば、僕は「これまで足を踏み入れたことのない世界に行きたい」と思っているということなのかもしれない。東北地方には、いままで一度も行ったことがないのだ。

すっかり出不精になってしまった僕にとって、外出することはけっこう大きなイベントになってしまっているのだけど、これから夏に向けて、いろいろなところに行ってみたいと思う。それがこの夏の目標である。そこから何かが始まるかもしれないのだから。キノコが見つかるかもしれないのだから。

というわけで、もし夢の中に僕が出てきたら、連絡をください。心当たりがないか、真面目に考えます。


気象予報士を通じて「仕事の希少性」について考えてみました

2009年05月27日 23時50分47秒 | Weblog
ランニングをするようになって、天気のことがやたらと気になるようになってしまった。晴れているときに走るのが好きなので、一日に何度もネットで天気予報をチェックしては、晴れの予報に笑顔を輝かせ、曇りの予報に表情を曇らせる。雨の予報に涙を流し、霰の予報に落胆し、「あられ」をつまみにやけ酒を飲む(なんて)。

今では人並み以上に天気のことが気になっている僕なのだが、実は若い頃はまったく天気に興味のない人間だった。テレビを見ていて天気予報が始まると、急速にそれまでのテンションがゆるんだ。「予報したってしなくたって、天気なんてなるようにしかならないじゃないか」と考えていたのだ。天気予報のキャスターが「日本全国の視聴者のみなさん、お待たせしました」みたいな顔をして登場し、さもこれは重大事項であるかように高気圧がどうしたのモンスーンがどうしたのと専門用語を連発して熱弁をふるう。本当にこんなことにみんな興味を持っているのだろうか? 「雨のち曇り」だろうが、「曇りのち晴れ」だろうが、どうせ明日になればみんな学校にいったり会社にいったりしなければならないのに――そんなことを思った。

当時の僕が天気によって影響を受けるのは「出かけるときに、雨が降っていれば傘をさす」ということだけだった。そもそも傘をさすのが嫌いなので、小雨ならそのまま歩いた。ちょっと濡れて学校や職場についても、全然気にならなかった。周りからは、「水も滴るいい男」と言われていた(なんて)。天気予報によって得られる情報は、実際のところ本当に僕にとってあまり価値がなかったのである。だからよく、帰る間際になって外はザーザー降り、周りはみんな準備よく傘を持ってるのに、僕だけ傘がない、みたいなことがよくあった。自業自得である。だけどまあ、そういうハプニングも決して嫌いではなかった。激しく雨に打たれてずぶ濡れになるのも、結構、気持ちのいいものだと考えていたのだ。なんだか妙にドラマチックな気分になったりもした。

季節の変化にも鈍感だった。挨拶の時に「暑いですね」とか「雨で参りましたね」とか、そういう天気の話題をされても、「そういえばそうだな」くらいにしか思わなかった。天気の話題をする人は、本心からそんなことを話題にしているのではなく、単にそういう慣習に従っているだけじゃないかという気がした。そういうことをすらっと言える人が、なんだか妙に大人に見えた。今にして思えば、なんとも風情も味気もない奴だったのである。まあ、一般的に若い男子というものは天気のことを特別気にしたりしないのかもしれないけど、とりわけ僕は、何か他のことを考えるので精一杯で、天気のことを考える余裕がなかったということなのかもしれない。

それが今や、すっかり天気・季節に過敏な野郎である。明日晴れるか雨が降るかどうかは、今の僕にとってかなり大きな問題だ。晴れたら外に出てかなり長い時間走る。雨が強ければずっと家にいる。その結果、体の疲れ具合とか、食欲とか、気持ちの面とかもかなり影響を受ける。一日の過ごし方もがらっと変わってしまう。天気によってこれほど自分の心身が大きく変化するものだとは思っていなかった。メールの書き出しにも、思わず天気のことを書いてしまうことが多い。

一昔前は、天気予報は当たらないものだと思われている節があったけど、今では科学の進歩によって以前に比べれば格段にその精度は上がったのではないかと思う。だけど、こまめに予報をチェックしていると、今日明日の天気はともかく、数日先の予報はかなりの変動性を持っているということがわかるようになった。現在の最新科学を持ってしても、天気予報というものはかくも難しいものなのである(ちなみに、tenki.jpのサイトでは、予報の信頼度がA~Cで表示されている。素直というか気が利いているというか、なんだか実に好感が持てる。オススメです)。

そもそも、何かを予測するということほど、難しいことはない。大学のとき、心理学の先生が「人の心を予測することはできない。起きたことを説明することは可能かも知れないけど」と言っていたのを思い出す。気象予報士も同じかもしれない。「気象予報士とは、翌日の天気を予報し、外れた理由を次の日に説明できる人だ」というジョークもあるらしい。

以前は、気象予報士という職業にあまり関心がなかった。むしろ、気象予報士が一時期ブームになったとき、失礼ながら、なんでそんな「マイナーなもの」にみんな関心を持つのだろう? とすら思った。それが今や、もし生まれ変わったら気象関係の仕事をするのもいいな~なんて夢想しているのだから現金なものである(だって、自分が予報できたら、明日のランニングの予定が立てやすくなるじゃないですか。僕が予報したら外れまくる気もしますが)。

ところで、世間一般の人が「翻訳の仕事」に対して抱いている物珍しさって、僕がかつて気象予報士に対して持っていたものと同じようなものなのかな、と思う。調べてみると、気象予報士の資格保有者は全国で7000人弱くらい。専業の翻訳者もおそらく、これと同じくらいの数しかいないはずだ。僕は、気象予報士の人と一度も会ったことがない。同じように、生身の翻訳者に会ったことが無い人も世の中にはたくさんいると思う。

僕は翻訳関係の人たちとの付き合いが多いので、自分が特殊な職業についているという自覚はあまりないのだけど、普通に生きていたら、翻訳者と出会うことはほとんどないと思う。実際、翻訳の仕事をしているというと、「生まれて初めて翻訳の仕事をしている人と会った」と言われることも結構ある。「翻訳なんて珍しい仕事をしている人と会うのは、これが私の人生、最初で最後」というような含みを感じることもある。つまり、それほど翻訳という仕事(特に翻訳者という生身の存在)はマイナーなのである。

だけど、天気予報というかつての自分からはマイナーに見えた世界でも、興味をもってよくよく見てみれば、そこにはものすごく豊かで奥の深い世界が広がっていることがわかる。この広い地球で、「天気」が存在しない場所など無い。いつ、どこであっても天気は人間の生活に大きな影響を与えているのだ。「天気予報の人」になって世の中を眺めてみれば、森羅万象が天気と結びついているという気がしてくる。着るもの、食べるもの、心理状態、風景、建築、などなど、人間の文化は、天気・天候と切っても切れない関係にある。

僕のいる翻訳の世界も同じで、世間からみたらものすごくマイナーなことをやっているように思われるのかもしれないけれど、実はその内側に入れば、もう「世の中のすべては翻訳である」と言ってしまいたくなるほど翻訳が世界と深く結びついていると感じてしまう。

同じように、世の中には僕が知らない無数のマイナーな世界があり、その世界に生きる人たちにとっては、世の中は「それ」抜きでは回らない、と思えるほどの大きな存在なのだと思う。缶コーヒーと作っている人も、マヨネーズを作っている人も、段ボールを作っている人も、みんな自分が関わる対象を通して世界を眺めているのだ。

翻訳の世界も水商売なので、「数日後はどうなっているかはわからない」という当たりは天気予報とよく似ている。3日後、余裕で晴れるかな~、と思っているとカミナリが落ちたりする。これから数日は雨が続くみたいだ。走れないから残念だけど、部屋掃除したり仕事を頑張ったりすることにしよう。なんだか支離滅裂な文章ですみません。皆様、風邪をひかないように気をつけてくださいませ。



Worst Translator Ever

2009年05月25日 23時06分46秒 | Weblog


最近、格闘技関係の翻訳にもすごく興味が出てきたので、趣味と実益を兼ねて情報収集のためにYoutubeの樹海を彷徨っているのですが(以前と何も変わらないという気もしますが)、これが果てしない。それまで知らなかった選手の試合の動画を見つけると、ついついその選手の他の試合も見たくなります。そうやって芋づる式にどんどんと見たい試合が増えていくのです。映画とか、読書とか、音楽とかでも同じだと思うのですが、1を知ると10を知りたくなる。そのサイクルにはまってしまうと、もうエンドレスになりますよね。おかげさまで、格闘技関係についての知識はかなりのオタクレベルに近づいているような気がします。この知識を活かさなければ!

しかし、画面の右下にある「関連動画」っていうのがくせ者です。その名の通りかなり関連性の高い動画が多いので、思わぬ発見をすることも多くありがたいのですが、なかには微妙なつながりの動画も紛れ込んでいたりします。なんでこれがここに? というようなものがジョーカーみたいにさりげなく紛れ込んでいます。思わずそれをクリックしてしまうと、またそれが新たな世界を切り開き、新たな芋づるになってしまうわけです。ネバーエンディングストーリーです。忙しくてやることが山盛りなくせして、ついつい動画地獄にはまっている自分がなんだか最低な奴のように思えてきます。昼間っから格闘技の動画ばっかり見て、会社員だったら間違いなくクビになるでしょうね。

ちなみに、そんな芋づるの果てに、「Worst Fight Scene Ever(史上最低の戦闘シーン)」という動画を見つけました。その名の通り、最高に最低な戦闘シーンでした。いい味出してます。世間の人が真面目に働いているときに、こんな動画に喜んでいる僕も、やっぱり最高、じゃなくて最低ですよね。


セントルイスの星

2009年05月24日 22時51分45秒 | 翻訳について
戦闘竜さんのファンである。彼は元大相撲の力士、現役の総合格闘技の選手で、今は名古屋のスポーツジムのトレーナーをしながら試合に出場している。背はそれほど高くないのだけど、体の厚みが尋常ではない。これ以上つけられないというくらい、がっちりとした筋肉の鎧を身にまとっている。この筋肉は、日頃のたゆまぬトレーニングの証だ。ちなみに名前の由来は、セントルイス出身であることから。それから、総合で戦うときは、本名の「ヘンリー・ミラー」を名乗ることもある。なんて文学的なリングネームでしょうか。

僕が彼のことを好きなのは、迫力のある見た目とは対照的な、誠実で優しい愛嬌のある人柄と、ものすごく真面目で練習熱心なところだ。年齢的にも1969年生まれとスポーツ選手としてはかなりの高齢だけど、厳しい練習によってまったく衰えを感じさせないところが素晴らしい。同世代としてとても頼もしい存在だ。見ていると励みになる。

彼のブログは英語と日本語のバイリンガルで書かれている。日本語もとても上手でびっくりする(可愛らしい顔文字も多用されています)。大相撲出身の外国人力士はおしなべて日本語をしゃべるのがとても上手だけど、書く方もこれだけ上手になるためには、相当の努力をしたんじゃないかと思う。そんなところにも、彼の真面目さが感じられていいのである。スポーツ選手で語学が堪能な人をみると、「スポーツの世界で一流になることだけでも、とてつもなくすごいことなのに、その上、外国語も喋れるなんてたいしたものだなあ。俺もガンバらなアカンなあ~」としみじみ思ってしまう。彼のブログはまさに、「セルフメイド翻訳」ではないか。英語の、翻訳の勉強にもなる。「天声人語」の日英版を比較して読むより、僕的には面白いな~。

脱線するけど、ビジネスの世界では「語学力があるだけでは社会では通用しない」と、よく言われる。つまり、英語はあくまで道具なのであって、本当に大切なのはビジネスで結果を出すための専門知識や技能、技術であったりするわけだ。たしかにこれは正論だと思う。で、「翻訳をしている」というと、「語学が堪能なんですね」とよく言われる。実際にはそんなに堪能じゃないので、なんだか困ってしまうのだが、同時に、実は遠回しに「語学しかできないんですね」と言われているような気がすることもある(被害妄想かもしれないけど)。

だけど、実は翻訳は語学力があればできるというものではない。翻訳をやっている人ならわかると思うけど、それは「翻訳力」とでも呼ぶべきもので、「語学力は」あくまでそのうちのひとつの要素なのだ。英日の翻訳者の場合なら、「英語力」「日本語の表現力」「翻訳技術」「常識力」「専門知識」「かゆいところに手が届く、サービス精神、"孫の手"の精神(おまけ)」などなど、そうしたものの総体が「翻訳力」であり、さらにはそこに経験や仕事人としての基本的なスキルなども求められるのだ。それらは単なる語学力以上の、専門技術であると信じている。

だが、だからといって語学力がなくてもいいというわけではまったくない。むしろ、「英語がペラペラなんでしょ?」と言われたときに、それを素直に肯定できない自分には大いに問題ありだと思っている。英語ひとつをとっても、非母語としてそれを学ぶものにとっては、どこまでも奥深く生涯勉強を続けていってもネイティブの領域には到達できないであろう果てしなさを持っている。だから、絶えず英語力向上のための努力をしなければならないと考えているのだ。

語学力のない翻訳者が、いくら「翻訳は語学力だけでやるものではない」と心のなかでつぶやいていたって、世間がそんないいわけを受け入れてくれるわけはない。そもそも、「翻訳=語学が堪能な人がやるもの」という世間一般の図式は、直球ど真ん中でこの仕事の本質を突いているとも言える。だから僕は決して「日本語表現力があれば英語がたいしたことなくても翻訳ができる」とは言いたくない。「英語ができるから翻訳もできるだろ」とも言いたくないのと同じように。何度かこのブログにも書いたけど、「翻訳はトライアスロン」なのだ。ラン、スイム、バイク、どの種目にも秀でていなければレースには勝てない。どれかひとつだけ速ければいい、というアプローチでは、真に優れた存在にはなれないのだ。

戦闘竜さんも、相撲の世界から総合格闘技に転向して、最初はかなり苦労したけど、最近はすっかりMMAファイターらしくなってきた。彼が日夜トレーニングに明け暮れているように、僕も言葉の総合格闘技である翻訳の世界でワークアウトに励み、いい汗をかきたいものである。それにしても彼、血色が良すぎる。ツヤツヤしてます。そんな彼の写真をみていつも、運動は大事だな~と思ったりしているのである。

戦闘竜のブログ


次の1万時間

2009年05月23日 23時03分40秒 | 翻訳について
ちょうど9.11の同時多発テロが起きた年だからよく覚えているのだけど、僕は2001年に翻訳業界に足を踏みいれた。そこで、とある男性と知り合った。その人はその年、某大手電機メーカーを退職し、翻訳者への道を歩み始めていたところだった。オンサイトのフリー翻訳者/チェッカーとして、僕が勤めていた翻訳会社に勤務していたのだ。僕より年齢は少し上だけど、年下の僕にとても気を遣ってくれた。誠実で、真面目で、謙虚で、優しくて、面白い人だった。僕はすぐにその人が好きになり、親しくつきあわせてもらうようになった。僕がその翻訳会社を退職しても、年に一、二回は彼の愛車(アルファロメオ!)でドライブしたり、自宅に来てもらったりするようになった。この1年くらいは会っていないけど、今でもこの関係は続いている。彼は海外サッカーが好きで、それがきっかけで、通信やITなどの彼の専門分野以外にも、某欧州サッカー関連のWebサイトの翻訳の仕事をしたこともあった。早朝に依頼が来て、500w~1500wくらいの記事を午前中に仕上げて納品するという、かなりタフな仕事だった。だけど彼は自己管理がしっかりしていたから、平然とその仕事をこなし、それが終わったあとにオンサイトで仕事をしたりしていた。好きな分野で翻訳ができるという幸福感が伝わってきた。信頼性という、翻訳者にとってとても大切な資質を持った人だった。

何より博学で世の中のことをよく知っている。そもそも、英語の翻訳者でありながら、仕事で使っていたというスペイン語の方がむしろ得意だという、僕からしたらあり得ない語学的な才能にも恵まれていた。中南米での海外勤務経験が長く、そのときのおもしろおかしいエピソードをたくさん教えてもらった。その会社では営業で、ずっと翻訳者になりたいとくすぶっていた僕のことを、「営業の経験は絶対に翻訳者になっても役に立つから」と励ましてくれた。後に僕が翻訳者としての仕事を始めたときも、我がことのように喜んでくれた。友人でありながら、常に尊敬を感じさせる人だった。

彼は、あるときを境に、翻訳者から弁理士へと進むべき道を変えた。弁理士の資格を取るための猛勉強が始まった。彼が翻訳の世界から離れていってしまうのは寂しかったけど、彼が選んだ道だから、もちろん応援した。彼は自分に厳しく、まっしぐらにその道を進んでいった。朝は早朝から、ほとんど一日中勉強漬けの毎日。弁理士の予備校にも通い、家で、学校で、喫茶店で、黙々と勉強を続けた。たまに会って話を聞く度に、彼の頭のなかに知識がどんどん詰め込まれていくのがよくわかった。試験に合格するためには、相当量の情報を暗記しなければならない。ものすごい記憶力だと思った。弁理士になるためには最低3000時間の勉強が必要なのだと教えてくれた。気が遠くなりそうに思えたけど、やっぱり何かの分野でプロになろうとしたら、最低でもそれくらいの勉強時間は必要なのだ。ビートルズだって、下積み時代の1万時間の演奏があったからこそ、あれだけのバンドになれたという話も聞く。

結果、彼はほぼ最短期間で超難関といわれる弁理士試験に合格し、数年間にわたった勉強漬け生活を終えた。彼の努力のすさまじさを知っていたから、合格の知らせを聞いたときにも、嬉しさと同時に、当然だ!という気持ちがしたものだ。彼は今、某大手企業で特許関連の仕事をしている。やはり、努力は裏切らないのだ。なんだか彼が遠くに行ってしまったような気がしたけど、僕は自分なりにこの翻訳の世界で頑張り続けるしかない。そんなことを思った。僕も、弁理士とか、弁護士とか、公認会計士とか、そういう難関試験を目指して勉強に打ち込んでいる人と同じような努力をしなければならないのだ、と強く感じた。

ただし、翻訳の勉強は、いわゆる資格試験のようなものとは勉強の意味合いが違う。参考書があって、頭にたたき込むべき訳例や公式みたいなものがあって、3000時間勉強すればいい、というものではない。日常にあふれている言葉を的確に捕まえることが翻訳者の仕事ならば、本を読むのも、新聞を読むのも、テレビを見るのも、友達と電話するのも、電車のなかで他の乗客の立ち話に耳を傾けるのも勉強だ。原書を浴びるほど読み、他の訳者の訳文を読み、実際に自分で翻訳をしてみることも勉強だ。直接的に言葉が介在しなくても、様々な人生経験をすることだって勉強だと言える。なぜなら、言葉は人生を語りうるものだからだ。言わば、生きることのすべてが翻訳者にとっての六法全書なのだ。だけど、だからといって漫然と生きていれば翻訳がうまくなるわけではない。それはあり得ない。いくら専業で翻訳をしていようが、学ぶという意識がなければ、時間は無為に流れていくだけだ。これまでに自分が何時間勉強してきたのかはわからないけど、僕には新たな気持ちで、これからまた意識的な1万時間を積み上げて行くという覚悟が必要だ。そのくらいの努力をしなければ、絶対にここから先には進めない。それだけははっきりとわかっているのだ。

ハァ?

2009年05月22日 20時48分59秒 | Weblog
アイスクリームかなにかをスプーンで掬って、「はい、ア~ンして」って相手の方に差し向ける。で、相手が口を開いてそれを受けようとすると、相手には食べさせずに、そのままニヤリと笑って自分の口のなかにスプーンを入れる。そういう古典的な意地悪ってありますよね。今日の天気はそんな感じでした。

基本的には晴れてるんだけど、雲が多くてすぐに日差しが弱くなってしまうのです。太陽が見えたと思ったら、雲に隠れる。隠れたと思ったら、現れる。ひたすらそれの繰り返し。現れる、隠れる、現れる、隠れる。ひどいときは10秒おきくらいにそれが繰り返されます。「ハァ?」って思いましたね。炎天下なら上半身裸でもなんとかかっこがつきますが、曇ってて風もヒューヒューいってるのに裸だったら下手したら校前ワイセツじゃなくて公然ワイセツ一歩手前ですよね。だからしょうがなく脱いでいたランニングを着ると、その直後に晴れるのです。で、晴れたと思って脱ぐと、また曇る。もはやこれは、ドリフのコントの世界です。曇るときは曇りでかまわない。でも、晴れるときはもうちょっと腰を据えて晴れ続けてほしい。通信簿に、「落ち着きがありません」と書かれちゃいますよ。

それにしても、雲の動きってよくみると、変幻自在なんですね。形を変えながら動いているし、たまにしか見上げないので、目にするたびに全体像がガラッと変わっています。どっちに向かって動いているのかすら、よくわかりません。あまりにも気まぐれなので、「もういい加減にしてほしいな~」と思って空を睨んでやったら、思いっきりカタカナの「ハ」の形の巨大な雲が目に飛び込んできてびっくりしました。ありえないほどくっきりとした「ハ」。「ハァ?」だったらもっとびっくりして腰が抜けたかもしれませんが、空から「ガタガタ抜かすな!」と言われているようでちょっと不気味でした。ともかく、天気相手にイライラすることほど無意味なことはありません。こういう日はもうじっくりと太陽の光を味わうことは最初からあきらめたほうがよさそうです。

最近、走ったとか晴れたとか、そんなことばっかり書いているので、今日は翻訳についてもうちょっといろいろと書きたかったのですが、熱中症気味で頭が「ハァハァ」しているのでやめておきます。今年の夏は、雲との戦い、熱中症との戦いが激しく繰り広げられそうな予感がします。












プラトーのお遍路さん

2009年05月21日 21時45分52秒 | Weblog
一昨日、昨日と、二日連続で翻訳学校の授業があり、どちらも飲み会があって参加したので、ブログが書けませんでした。すみません。今期が始まる前から二連チャンはきついと予想していたのですが、実際にやっぱりきつい。でも二日間フィクションの世界に浸れるので、その分、発見も多いような気がしました。飲み会の席では何名かの方と初めておしゃべりする機会に恵まれて、とても有意義な二日間でした。先生、生徒の方々を初め、とにかく、みなさん翻訳への情熱が並大抵ではない! 

その余韻に浸りつつ、今日の夕方の締め切り案件を一件終えて、ほっと一息。いつも同じことを言っているけど、これから一年、本腰を入れて仕事、勉強、その他もろもろの翻訳Loveの活動を頑張りたい、そんなことをあらためて考えています。皆様、どうもありがとうございました! 素晴らしい出会いに感謝です。

忙しいといいつつ、昨日は天気がすごくよかったので、公園を2時間走り続けました。超スローペースではありますが、距離にして16キロ。公園までの往復を含めると21キロです。さすがにこの炎天下にこれだけ走ると、ちょっと疲れました。いつ熱中症になってもおかしくありません。でも、思わぬ発見もありました。いつもは10キロくらいなので、そのくらいの距離であれば、足のキン肉の力と、グリコーゲンを燃焼させることによって走れます。でも、それ以上の距離となると、足には乳酸がたまるし、グリコーゲンも燃焼し尽くされてしまいます。それでも走り続けようとすると、全身の筋肉を使ってうねるように、最小エネルギーで進んでいかなくてはなりません。燃やすエネルギーも脂肪に切り替わってきます。イメージとしては、足に一切負担をかけないように走る。腰とか腹筋、腕の振り、体幹の左右へのねじりの力で蛇のようにくねりながら進んでいくわけです。でもそうやっていると、だんだんと無駄な力が抜けて、楽に走れるようになってきます。そして最後には、なんだかわからないけど前に進んでいるという風になります。片道100メートルほどの縄張りコースを「お遍路さん」ならぬ「お半裸さん」としてひたすらに往復し続けました。数えてないけど、計算すると、約80往復? 煩悩の数まで、あと少し。

走り終えた後、なんとなく体の感覚が変化したような気がしました。これまでにないような、忘れかけていたような、感覚。これは自分にとってかなりの発見でした。体の感覚っていうのは、なかなか意識ではコントロールできないし、いったん失ってしまうと簡単には取り戻せないものなのです。僕のような端くれランナーにも、それはかろうじてわかるような気がします。ともかく、心が小さく「キター!」と叫びました。これからは夏日には2時間走、3時間走をして無駄な部分をそぎ落としていくことを意識したいです。何よりやっぱりジョギングはすごく気持ちいいですし。でも毎日そんなことをしていたら仕事時間が減ってしまうので、曇ったら短い距離を早く走る、雨が強ければ休む。雨が止んだら「アメマ~」と叫びながら走る。という風に天候対応型でメリハリをつけてやっていきたいと思います。

なぜこんなことをぐたぐたと書いたかというと、なんというか単なる体の気づきだけではなく、2時間走っている間にこれまでのモヤモヤっとした心までもが、少し晴れたような気がしたからです。忘れかけていた感覚、気持ちの張り、そんなものが以前よりも身近にあるような。体にひとつ感覚が蘇ることで、脳までもが刺激されているような。そして、二日間、外に出て様々な人と会話することで、さらにいろんな感覚が蘇ってきた気もしました。四国のお遍路さんではありませんが、人間には、ひたすら走ったり歩いたりすることだけで、思いもよらない心身の変化がもたらされるのかもしれません。仕事でも同じですよね。果てしないと思えるプラトーでも、延々と進み続けることで、いつか突然ブレークスルーが起きて、新しい視界が広がる、新しい境地が見える。全身の無駄な力が抜けて、それまでとは違った楽な走りができるようになる。

単なる一過性のものかもしれないけど、ともかくこの調子を維持することができるように、一人お遍路を続けていきたいと思います。明日、晴れろ~!(たぶん無理)

燃える草魂

2009年05月18日 19時59分27秒 | Weblog


天気がよかったので、2時間半ほど公園をひたすらRun&Walkしました。平日は人が本当に少ない。その人が少ない公園の、さらに人が少ない場所を、お百度参りみたいにいったりきたりしました。片道100メートル弱くらいの距離の、僕のお気に入りのコース。密かな縄張りコースです。ここだと、上半身裸になっても人目につきません。衝動的にランニングシャツを脱ぎました。ついに今年の半裸(変態)ランナー解禁、「ボジョレ・ヌード」の解禁です。いつも、「よ~し今日は煩悩の数だけ(108回)往復してやるぞ~」と意気込むのですが、すぐに数がわからなくなります。まだまだ修行が足りないということですね。

そのコースの両脇には雑草が生い茂っていて、定期的に公園の方がトラクターみたいな刈り機できれいに刈り上げます。せっかく生えてきたのに五分刈りみたいにしなくても、と内心は思うのですが、しかし、ものの数日もたたない間に雑草はまさに雨後の竹の子のようにメキメキと成長するのです。これだけ成長が早いと、いくらなんでも放置しておいたらジャングルみたいになってしまって、やはりヒトの安全性という意味でも草カットは必要なのかな~と思います。さすがに僕も、背の高いトウモロコシ畑みたな雑草に囲まれて走っていたら、とつぜん草むらの陰から何かが飛び出してくるかもしれない(蛇、サソリ、虎、四つ足の児島など)と、不気味に感じるかもしれません。雑草には申し訳ないですが、これはやむを得ないことなのでしょう。

しかし、「雑草のごとく」とはよく言ったもので、本当にその生命力の強さには驚かされます。昔、近鉄の鈴木啓二投手の「草魂」という言葉が流行って、小学生でも好きな言葉を聞かれたら「草魂」とか答えたりしていましたが(すでにいぶし銀の小学生)、青々と茂る草たちをみていると、まさに早婚、じゃなくて草魂を感じます。ちなみに、当時、アントニオ猪木を崇拝していた僕は、「草魂」よりも、「闘魂」の方が好きでした。いずれにしても、小学生の好きな言葉としては相応しくないような気がします。

たまにすれ違うのは、ランナーや、犬の散歩の人、猫にエサをあげに来た人などですが、今日は定年を過ぎた感じの男性と多くすれ違いました。近所に住んでいる散歩風の人もいれば、カメラを片手に少し遠出してきた感じの人もいます。平日の昼間に公園を散歩しているのですから、もう現役を引退されて、日々いろいろな活動をされているのでしょう。まあ、僕だって仕事をしているわけですから、その人たちが仕事をしていないと決めつけるわけにはいかないのですが。

そうやって年齢を重ねても、元気にウォーキングを楽しまれている方からはエネルギッシュなオーラを感じます。現役時代もおそらくバリバリのサラリーマンとして活躍されたのでしょう。リタイアしても、こうやって健康作りにいそしみ、前向きに日々を過ごされているというわけです。さすがは団塊の世代。気骨があります。まだまだ燃え尽きていません。刈っても刈っても生えてくるたくましい雑草と、リタイアしても元気な男性、そしてだんだんと力強さを増してきた太陽の光。平日の昼間、何もない公園であるように見えて、実はそこには多くの命のドラマが躍動しているのです。そういうものに囲まれていると、なんだか目に見えない熱いメッセージを受け取っているような気がしたのでした。実際、まだ体が火照っています。というわけで、この夏は、熱い情熱を持って、限界まで変態ランナーとしての自分に挑戦したいと思います。

すべてが「わたし」な世界

2009年05月17日 22時02分01秒 | ちょっとオモロイ
突然ですが、僕の名字は「児島」といいます(「鰯」ではありません)。「こじま」という名字自体はあまり珍しくありませんが、「こじま」にも色々ありまして、「小島」という漢字の方が一般的です。なので、少数派の「児島」としては様々な局面においてなんとなく肩身の狭い思いをしております。「お名前は?」と聞かれて、「コジマです」。と答えると、だいたい「小島」であると受け止められます。まったく気にはならないので、問題なければいつもスルーするのですが、漢字が違うと都合がよくない場合もあります。そんなときは仕方なく、「実はコジマといっても小さい島のコジマではなく、児童のジのコジマの方なのです。」と、なんだか悪いことでもしてしまったみたいに相手にそれを伝えなければなりません。相手にも、「素直に小島にしとけばいいのに、なんでかっこつけて児島なんかにしたのかね? めんどくさい」などと思われているような気がして、いたたまれなくなることもたまにあります。そんなときは、離れコジマに取り残されたような寂しさがあります。ところで、そんな少数派のコジマにとって、看過できない場所があります。生まれてこの方一度も行ったことがないのですが、岡山県に「児島」という地域があるのです。非常に「こじんまり」したよい町のようです。ジーンズの産地、タコの産地、児島競艇場が有名..フムフム。僕の先祖がそこに住んでいたかどうかはわからないのですが、なんだか妙に親近感を感じます。と同時に、名前だけではなくそのライフスタイルも含めて少数派であると感じている僕、つまり「児島」が、その地域では誰もが認知するところとなっているであろうことを考えると、なんとも面はゆい気持ちもします。

そこではきっと、いろんなものが児島なはずです。児島小学校があり、児島区役所があり、児島商工会議所がある。コジマ電気もあり、スーパー児島も(たぶん)あり、スナック児島もあるはずです。児島に住めば、きっと孤独は感じないはずです。だって、すべてが児島なのですから。お伽噺の世界に入り込んだような気がするかもしれませんね。

「いらっしゃいませ。今日はどちらからいらしたのですか?」
「児島です」
「そうですか。ではお客様、お名前をいただけますでしょうか?」
「児島です」
「いえ、そうではなくて、お名前をいただけますでしょうか?」
「ですから児島です」
「...」

と、そんなミスアンダースタンディングも発生する可能性はありますが、きっと児島の人たちは、児島な僕に対して悪い印象は持たないはずです。ひょっとしたら、ミスター児島、キャプテン児島という称号を与えられ、地元の名士として幅を利かすことができるかもしれません。

しかし、現実問題として、自分の名前と同じ地名に住むということは、いろいろと大変なこともあるかもしれません。たとえば今東京に住んでいる僕が「東京太郎」という名前だったらどうでしょうか。なんだか区役所の必要書類に記入する名前みたいなので、書類を申請しても、悪い冗談として受け止められてしまうかもしれません。旅先で知り合いに絵はがきを書いても、「東京より」と最後に結んだら、せっかく旅先にいるのに東京からはがきを投函したように思われてしまうかもしれません。長渕剛に、突然「東京のバカヤロー」と言われてしまうかも知れません。むやみやたらと自分の名前を呼ばれるので、あまり精神衛生上よくないかもしれないですね。でも実際、そういう境遇を生きておられる方はたくさんいらっしゃるのでしょう。

ともかく、児島には一度、機会があったら行ってみたいです。児島駅の前で写真を撮り、駅前の「児島食堂」でタコの刺身定食を食べる。競艇はやったことないけど、とりあえず競艇場に行ってみます。きっと児島の神様が勝利をプレゼントしてくれるでしょう。それから、おもむろに知人に電話をかけてみます。

「もしもし、児島だけど」
「今どこにいるの?」
「児島だよ」
「うん、だからどこからかけてるの?」
「児島さ」
「...」

というわけで、実際、児島に行ってもたいしてするべきことはないのかもしれません。でもまあそれも、児島らしくていいじゃないですか。

サンキュー!

2009年05月16日 22時31分32秒 | Weblog
今日で39歳になりました。

自分への誕生日プレゼントとして、Amazonでジューサーとスライサーを買いました。これからはこれで毎日野菜/フルーツジュースとサラダを作って美味しくいただきたいと思います。

大台まで、不惑までもう少し、人の十年遅れで人生を行く僕にとって、おそらくまだまだ迷いの日々は続きそうですが、とにかく30代最後の一年は、すべてに感謝し、ひたすらに前に突き進む年にしたいと思います。

今日はみなさま、どうもありがとうございました! サンキュー!

分厚いのがお好き ~時には坂道を上れ~

2009年05月15日 20時08分38秒 | Weblog
『日経コンピュータ』を定期購読しているのだけど、最近やたらと薄くなってきた。今号を郵便受けから取り出したとき、そのあまりの薄さにびっくりした。なんと98ページしかない。これ以上薄くなったら雑誌とは呼べないような気がする。背表紙の文字がすべて背の部分に表示できずに前後にはみ出している。トイレで読み始め、用を足したときにはすでに半分くらい読み終えていた。早っ! 定価980円だから1ページ10円である。これほどページ当たりの単価が高い雑誌も珍しい。ページ10円なら、たとえば『文藝春秋』だったら1冊5000円くらいになってしまう。。

ノートパソコンだったら薄くなるのは喜ばしいことだが、雑誌はやはり分厚いのがいい。不況で広告が減っているのだろうけど、なんとも寂しい気持ちになる。日経新聞社自体の業績もかなり落ちているようだ。他の新聞社と比べて、部数自体の減少傾向は少ないとされる同社も苦しんでいる。不況の波はこんなところまでやってきているのだ。

ITというのは企業にとって設備投資的な側面もあるから、どうしても不況時には財布のひもが固くなる。攻め時ではなく、守り時。そうやって企業がコストを切り詰めていった形が今、広告減という目に見える形になって現れている。薄い雑誌という手で感じられる実感として現れている。

そもそも、不況以前に雑誌という形態自体が、悲しいことに徐々に衰退の方向に向かっていることは多くのデータが示しているし、多くの人の実感でもあるだろう。これは不況という一時的な現象でもあると同時に、そうした流れを現しているものとも考えられる。そう思って、今話題の? Googleトレンドで「日経コンピュータ」で検索してみた。まだ使い慣れていないので、このグラフをみて何を判断すればよいのかはわからないけど、じわじわと下降線をたどっていることは間違いない。つまり、世の中の人が同誌にだんだんと関心を持たなくなってきているのだと、単純ながら考えることはできる。いずれ同誌もその役割を終えて、この世からなくなってしまうのだろうか。そんなの嫌だけど、その可能性がないとは言い切れない。

でも僕は、雑誌が好きだ。出版文化に貢献するためにも、自分の関心のある分野の最新情報を知るためにも、これからも雑誌を意識的に買っていきたい。そしてトイレで至福のときを過ごしたい。トレンドに合わせて、言葉は悪いけど「勝ち馬に乗る」という発想も必要だけど、あえて世間の流れとは逆行する気概も大切にしたい。自分の好きなものであれば、坂道を上ることだってそれほど苦しくはないはずだから。

jibun ni dame dashi

2009年05月14日 23時42分42秒 | Weblog

仕事をする上で、あるいは一人の人間として、「自分には何が足りないのか」ということをよく考える。僕の場合は足りているものの方が少ない(というか、皆無?)なので、足りないものを数え出したらきりがない。だけど、やっぱり考える。そしてそれを克服したいと考える。

だけど、自分に本当に足りないものっていうのは、なかなか見えるようで見えないものだ。自分には見えないからこそ、それをとらえるのが難しく、意識できない。あるいは、見ようとしたくないという心理が働いているのかもしれない。だからこそ、簡単には克服できない、根深い弱点になっているはずなのだ。いわば、それが僕の限界であり、僕の閾なのだ。

人からだめ出しをくらったら、ものすごく心に響く。下手したら一生、心に刻まれる。二度と同じことを言われたくないから、以後の生活でそれを直そうと努める。だめ出しされるのはあんまりうれしいことじゃないけど、そういう意味ではありがたい。だけど、24時間誰かが僕の生活を監視して、だめを出し続けてくれるわけじゃない。だから、自分で自分にだめ出しできるようにならないくてはいけない。

自分を直視し、だめを出す。二度と同じだめを出されないようにするためには、行動によって自らを変えていくしかない。それはものすごく難しいことでもある。だけど、だめな自分も恥ずかしいけど、だめな自分が見えてないことは、たぶんもっと恥ずかしい。弱点という問いを発見できさえすれば、その克服という答えを導くことは、そんなに難しくはないはずなのだ。自分の閾値を超えて、すべてを見通すことは難しい。だけど、見える範囲で自分をしっかりと見つめることは、きっとできるはずだ。