イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

無能力化について

2007年09月30日 23時57分22秒 | Weblog
先日「よい週末を」を翻訳されて日本語化したと思われる英語の一例として挙げたが、
今、メディアでひとしきり話題になっている六カ国協議での北朝鮮の各施設の「無能力化」も、
おそらくはdisablingの訳であるに違いないと踏んでいる。
同じことを、多くの人が感じていることと思う。

「無能力化」。これまであまり使われなかった言葉だと思うが、
ほかに、適当な訳が見当たらなかったということなのだろう。
翻訳臭がプンプンしてあまり綺麗な語ではない。
ちょっと違和感を禁じえないが、なんとなくこれから定着しそうではある。

DisableはIT翻訳にもよく登場する。Tの世界では普通これを「~を無効にする」という意味で使う。
Enableとの対で、設定などの有効/無効の切り替えを表現するとときによく用いられるのだ。

無効、というのは本来有効に機能するべきもの、または機能しようとする作用が働いているものを、
なんらかの処理によって上書きするというニュアンスがある。
しかし今回の場合は、核施設を対象にしており、一時的に効力を無効にするということではなく、
半恒久的に機能を無効にするということから、無能力化という、より意味の強い言葉が選ばれたのだろう。
そもそも「核施設の無効化」では意味が通じないからだ。

表現が多様化していくことは歓迎すべきだし、より原文の語の意味に忠実な訳語であるとは思うが、
あくまでdisableに対する1つのオプションとしてこの「無能力化」を捉えたい。

国家間のイデオロギーの違いを基にしたパワーゲームをいたずらに引き伸ばしているような猶予は、
もはや人類には残されていないと思っている。協議によって事態がよい方向に進むことを祈っている。

自家製けもの道

2007年09月29日 23時42分00秒 | Weblog
何の予定もない日。
ああ、休日ってこういうものだったのか、としみじみ。
ヨメは恵比寿に司書の研修に出かけていった。

起き抜けに、『ここが変だよ、日本の管理職』宋文洲を一気読み。
面白い。前の職場にはできる中国人の人たちがたくさんいたので
彼らの事を思い出したりする。
その勢いで、『フリーライターになって稼ぐ本!』夏野清三郎
を読破。別にフリーライターになりたいわけじゃないので、
特に読む必要もないのに、つい手にとってしまった自分を反省。
でも悪い本ではない。翻訳者にも通じるところはあって
ちょっと勉強になった。でも、なんか恥ずかしい本ばっかり読んでいるわたし..

もうちょっと体系的に、計画的に読書をしなアカン...
そんな思いもあって、久しぶりに部屋を片付ける。

降り積もった雪のように、
あるいは、
打ち捨てられたゴミの山のように、
書斎に散乱する古本や書類。

パソコンや机のある作業スペースは、部屋の奥に位置している。
入り口からそのコックピットに到達するまでの間に、
気がづけばいつしか「けもの道」のようなものができていた。
まるでジャングル。
数少ない足の踏み場を、そろ~っと爪先立ちで進まなければ
森の神の怒りを買ってしまう、そんな雰囲気すら漂っている。

整理したかったのだが、時間もなかったし、
ここしばらく取り組んでいた作業への
ゲンかつぎの意味もあって
しばらくの間、部屋が自然に荒廃していくのをそのままにしていたのだ。

転職して半年、翻訳学校も、通訳学校の半年のタームで
秋からまたクラスが変わる。ちょうどいろいろと区切りの時期。
この6ヶ月を振り返りながら、ついにけもの道を撤廃するときがきた。

文庫、ハードカバー(和書、翻訳書)、新書、洋書、と
分野別に整理していく。

雪解けの春を思わせるように、久しぶりに床が顔を出す。
生物の生命力は凄い。きのこもたくさん生えていた(これは嘘)。
思わぬ宝物がたくさん出てきた。
こんな本、もってたんだ~、と思わず手に取りページをめくって
しまうので、ぜんぜん作業がはかどらない。
一人トレジャーハンティング状態。「自分、再発見。」的気分。

それでも、なんとかだいたい整理できた。
ペーパバックは、作家別にならべるとちょっと壮観。
コーンウェル、グリシャム、キング、クライトン、
作品を年代別に訳本とセットにしてならべ、
よ~し読破するぞ! と意気込む。

あまりにも手当たり次第に買っていたので、
最近、自分が何を持っているかどうかわからなくなっていた。
いくつかはやっぱりダブっていた。
ちょっと驚いたのだが、猪瀬直樹『小論文の書き方』がダブっていた。
別に読みたい本でもないのになぜ...(^^;
でも、これでだいぶ把握できた。よ~し来週からまたこれで自信を持って
ブックオフにいける! ってヲイヲイ読むのが先では...

よい週末を

2007年09月28日 23時20分50秒 | Weblog
あくまでも個人的な印象なのですが、
ここ数年、金曜日、職場などで別れ際に

「よい週末を」

と言うことが多くなってきたような気がします。
直接いうこともあるし、メールでも書きます。

少なくとも僕は、昔はこんな気の利いた言葉、
使わなかったです。

口にすると結構すがすがしく、暖かい気持ちに
なれるのでよい表現だな、と思うのでよく言うのですが、
なぜこの言葉が使われるようになったか、
少々気になるところではありました。

考えてみるに、
これも思いっきり私見なんですが、おそらくこの言葉は、

Have a nice weekend!

の翻訳から生まれた言葉ではないかと。

つまり、翻訳された言葉がそのまんま日本語として定着した
一例ではないかと思っているわけです。
(そのままやないけ! というツッコミが聞こえてきそうですが...)
これは翻訳人としてはちょっと気になるところなのです。

元々、日本語には「よい週末を」に匹敵する概念や言葉が
なかったのではないでしょうか。
ライフスタイルもずいぶんと変わってきたところで、
ちょっと便利な小道具として、「よい週末を」
みたいな表現が使われるようになった。
今の時代にとって、座りのいい言葉だったと。

海外で暮らした人が、Have a nice weekend という
言葉を自然に日本に持ち帰ったということでもあるのかも知れません。

まあ、このように外国語から翻訳された表現で
日本語化しているものというのは数え上げればキリがないようには
思いますし、元を辿れば日本語はすべてそうじゃないか、
と言うこともできるでしょう。

ただ、パッとは出てこないので申し訳ないのですが、
一見、思いっきり日本語的な表現でも、
よく考えるとオリジナルの外国語(英語)はきっとこれじゃないか、
みたいなものってよくありますよね?

しかし、そんなことを考えていると、面白いことに気づきました。
Have a nice weekend さんのきょうだいである
Have a nice day さんは、日本にまだ馴染めていないようなのです。
別れ際に、さりげなく、

「よい一日を」

なんていう人はあんまりいません。
なぜか? なぜでしょう? 結論めいたものは思い浮かびません。

言葉の響きがなんとも翻訳調で、硬い感じはします。
収まりが悪いというか。
それに、概念として、日本人はまだ週末こそ楽しんでもいい
みたいな雰囲気になってきましたが、
平日はまだ眉にしわを寄せてまじめに働かなきゃ駄目、
みたいな空気があるのかも知れません。
サラリーマン同士が、商談の後に、
「よい一日を」なんていえないですよねなぜか。

それに、Have a nice day さんが日本に進出するにはライバルがたくさん
いるのでした。「どうも」さんとか「宜しくお願いします」さんとか
「今度一杯のみに行きましょう」さんなんかです。
こういう先輩たちが、「日中の別れ際言葉」として幅を効かしているので、入り込む余地がないというわけなのです。

それから、Have a nice weekend さんはラッキーでもありました。
というのも、もしHave a nice weekend さんが
Have a nice year さんだったら、すでに日本には
「よいお年を」さんが由緒ある表現としてエスタブリッシュされて
いたために、おそらくスゴスゴと本国に引き返すことになったと
思われるのです。
(「よいお年を」は日本古来の表現であるという私見を前提にして
話をすすめています)

というわけで、なんだかわけがわからなくなってきましたので
そろそろ、(予定調和的に)お別れということで、
みなさま、

「よい週末を!」


P.S.

今日の一冊
『処刑室』ジョン・グリシャム/白石朗

寸評:調子こいてbookoff三昧の日々を過ごしていた今週の僕は
すっかり資金を使い果たし気がつけば財布の中には181円しかなかった(^^;
よって地元武蔵境の南口にある新古書店にいき、1本のみを狙い撃ち。
本書は児玉清さんオススメの一冊として例の『寝ても覚めても..』でも
フィーチャーされていたので迷わずに買う。
児玉さんのいざなう世界の魅力に酔っていると
本当にエンターテインメント小説を読みたくてたまらなくなる。
ハードカバー、2段組598ページ。ずっしり。

しかし、いったいいつ読むんだオレ?

サリーの哲学と金子信雄

2007年09月27日 23時58分51秒 | Weblog
チャールズ・M・シュルツの漫画『ピーナッツ』にこんなシーンがある。

おませな女の子、サリー・ブラウンは、
お兄ちゃんのチャーリー・ブラウンに
自分には哲学が3つあるのだと自慢する。
それはね、とサリー。

Who cares?
How should I know?
Life goes on.

どう? 深いでしょ? と訊いても、
チャーリーの反応は「う~ん、ちょっと深すぎるかも」と鈍い。
サリーはピシャリと言う。

誰も気にしちゃいないわ、
知ったこっちゃない。
人生は続くのよ!

ああ、なんて万能なフィロソフィー!
ピーナッツシリーズの翻訳は、あの谷川俊太郎さんだ。


今日は昼休み、新規開拓でブックオフ新高円寺店に出没。
限られた時間の中、丸の内線に飛び乗り「新高円寺」で下車。
『おとうと』幸田文
『わが青春 無頼帖』柴田錬三郎 ※発見! 柴錬の青春記!
など6冊をすばやく購入。
「旅の途中」なるラーメン屋を狙って突き進むも不覚にも道に迷う。
自分が"旅の途中"状態。しかたなく途中撤退し駅前の松屋で豚丼をかきこむ。
新高円寺の商店街は雰囲気あっていい! 日本のインド再発見。

夜はこれまた新規エリア開拓のため南阿佐ヶ谷で下車。
ブックオフ阿佐ヶ谷南店へ。中型店舗だけに品揃えもイイ。
『差別用語の基礎知識〈’96〉何が差別語・差別表現か?』高木 正幸
『新ねじめのバカ』 ねじめ正一
『日本語の年輪』 大野晋
『アントニオ猪木自伝』 猪木寛至
『東京人』 中央線の魔力 vol.2-4
など13冊を購入

今日の1冊は、
『金子信雄の楽しい夕食』 金子信雄 ※1988年初版

昭和世代にはすべてが懐かしい。
すごい本。奥付を見ると1年で18刷いってます。
料理の説明の前に金子さんの軽妙かつ深みのあるエッセイが
あって、その後にほとんど文字だけのレシピが無駄なくすっきりと
書かれてある。読み物としても実用書としても秀逸(といいつつたぶん
料理はわたしにはできない)。
一生モンですこれは。

審判

2007年09月26日 23時12分08秒 | Weblog
誰かがオーサム・Kを誹謗したにちがいなかった。
なぜなら、何も悪いことをしなかったのに、
ある朝、寝坊して会社に遅刻しそうになったからである。



調子がよければ起きるのは6時。絶好調のときは自然に5時に覚醒する。
それが駄目なら7時。そうすると朝に翻訳Loveの活動ができる。
8時に起きたらもう駄目。
新聞を読んでいたらそれだけでもう出社の時間になる。
敗北感の漂う日になる。翻訳が一行も進まないのだから。

9時には家を出なくてはならない。それで10時の出社に間に合う。
東京在住のサラリーマンの中では、かなり恵まれている方だとは思う。

それが、今日目が覚めたら8時50分だった。
昨夜は「すべらない話」も観ずに早く寝たはずだが、なぜ?
カフカ的な不条理を抱えつつ、
シャワーとトイレだけすませ、駅までダッシュ。
寝起きの全力疾走はちょっと気持ち悪い。

昼。新宿区の角筈図書館へ。
わたしのもう一人の師である、K賀山T朗氏訳の
『葬儀屋の未亡人』フィリップ・マーゴリン
『古本漁りの魅惑』高橋輝次
など10冊を借りる。

夜、Bookoff吉祥寺店
トマス・H・クックの記憶シリーズほか13冊購入。
同じ作家なのに、翻訳者が、
村松潔、鴻巣友季子、佐藤和彦、そして芹澤恵さんと多彩。
どんな違いがあるかを味わいながら読めたらいい。

昨日より気分はマシ。
でも、白い犬の咆哮、焦燥感、
いつものものたちからはまったく逃れられていない。
そんな日常。



「まるで犬だ!」と、彼は言ったが、
恥辱が生き残ってゆくように思われた。

寝ても覚めても翻訳の虫

2007年09月25日 23時43分52秒 | Weblog
気がつけば今日もブックオフにいた。
会社帰りの荻窪店。
荻窪は通勤経路で、
丸の内線と中央線の乗り換えでちょうど改札を出るから、
駅前のこの店にはいつも吸い込まれるように入ってしまう。

今日は昼休みもブックオフにいた。
会社から歩いて15分くらいのところにる新中野店。
6冊を購入。三島由紀夫『作家論』をげっと。

それから、やっぱり今日のお昼もラーメン屋にいた。
新中野店の近くに、大勝軒を発見。
迷った末、やさいつけ麺を注文。美味しい。

ブックオフの近くに、大勝軒なんて、
僕にとっては、魔の三角地帯、
バミューダトライアングルに等しい。

買うも地獄、買わぬも地獄。
僕はどこにいるのか?
毎日同じことを繰り返しているようにも思える。

調子はあまり良くない。棚からはこれといったタイトルが目に
飛び込んでこない。逆に言えば、自分の調子が悪いと、
いくら棚を眺めても、どんなタイトルにも、魅力を感じないのだ。

それでもなんとか、これだ、というものを探す。
『父と子』水上勉、『(ぼく)東綺譚』永井荷風、『山谷ブルース』E・ファウラー/川島めぐみ訳...
そろそろこれくらいで切り上げよう、と思いつつ、
釈然としない思いを捨てきれず、
15冊もの本の束を抱えてうろうろ。

ふと、ある背表紙のところで目が止まる。

『寝ても覚めても本の虫』児玉清

今日の一冊はこれに決まり。
殺伐とした棚の中にあって、この本は読書への愛に満ち、
暖かい光を放っているように思えた。

児玉さんみたいに、本を愛し、素敵に年を取れたらどんなにかいいだろうと
いつも思う。彼のような気取りのなさで、
「寝ても覚めても翻訳の虫」なんて台詞をさわやかに
言えたらいい。でも、そんな日がくるのは何十年先のことになるのだろう?
それ以前に、もっともっと翻訳のことをきちんと愛すること。
それすらできていないのに。児玉さんにあこがれるなんて、

「お前にはまだ早い」

白い犬の咆哮が聞こえる。



ラーメンと書物の日々

2007年09月24日 23時22分43秒 | Weblog

ここ3ヶ月間取り組んできた仕事が一段落つき、
この2日は久しぶりにゆっくりすることができた。
日曜日は西東京市の柳沢図書館に行き、本を20冊借りる。

図書館すぐ近くの、
西武柳沢駅の駅前のラーメン屋さん「一丸」で、
「一丸ラーメン」を食する。
ここは添加物や化学調味料を一切使わないという
素晴らしいお店で、ラーメンもものすごく美味しい。
お店の人の感じもすごくいいし、自分の中では東京にきてから
一番のラーメン屋さんかもしれないと思う。

ちなみに、
本+ラーメン、この2大アイテムによって、
自分のなかの物欲+食欲はほぼ満たされる。
どこに行っても、実はほとんどこの2つしか行くところがない。
(ラーメン屋さんor本屋さん)
自分の場合、この2つが達成されたとき、
A・マズローが提唱する欲求の5段階説の
一番下の生理的欲求から、
一気に一番上の自己実現に近いところまでが満たされるのである。
ちょっと悲しい

京都の弟からメールがくる。
この前のこのブログの記事を見て、
京都のブックオフ事情について教えてくれた。
初めて知ったのだが、弟が一番好きな本のジャンルは、
翻訳物、海外ノンフィクションのハードカバーなのだといういう。
こういう人もいるのである。
彼は彼で、掘り出し物を求めて京都の街を徘徊しているのだという。
血は争えないのか。
「チャイナタウン」沢田博訳、「最後の逃亡者」藤井留美訳の
表紙の写真が、メールには添付されている。ディープだ。

しかし、彼のような読者がいるからこそ、
われわれ翻訳者も存在していけるのである。
ありがたいことだ。と、身内ながら感謝。

家で、久々に読書する。
読まなくてはいけない本が山ほどあるのだが、
何気なく手に取った唐沢寿明著の「ふたり」に
強烈に引き込まれ一度も中断することなく一気読み。
遅ればせながらですが、いや読ませますね~
すごい。
そして、これまた遅ればせながら、故橋田信介さん著の
「イラクの中心で、バカと叫ぶ」を読む。
内容も凄いが、文章が、いい。他にも数冊を読了。

気が抜けたように、ご飯を食べるとすぐに眠くなる。
やっぱり体は相当疲れていたようだ。
起きると、なんだか人間に戻った感じがする。
明日の朝は、いつもよりすがすがしく目覚められるかな、と思う。

イワシの誕生

2007年09月23日 10時45分04秒 | Weblog
敬愛する(同門の)若手翻訳家、Uさんにお声がけいただき、
昨日、「夏目組の飲み会」なるものに参加させていただいた。
ほとんど初めてお会いする方たちばかりだったが、
皆さん翻訳への情熱にあふれる素晴らしい人たちばかりで
とっても楽しかった。
Uさん、夏目さん、皆様本当にありがとうございました。
伝説のあさま組のかたがたともお会いできてとても嬉しかったです。

ちなみに、この貧困なるブログに目を通してくれているかたも
おられて、冷や汗をかく。

それにしても、夏目さんから「こちらがイワシさんです」
と皆さんに紹介されたときは自分が魚になったみたいで
ちょっと恥ずかしかった(^^;
もうちょっとマシな名前にすればよかったと後悔..

なぜイワシにしたのか、と質問され答えられず(^^;
記憶が定かではないのですが
なんとなく動物の名前にしたくて、色々考え、
弱く小さな魚で、
その他大勢のなかの1匹であるところが
自分の原点かな、などとめずらしく殊勝なことを
思ってなにげに名付けた(らしい)です。
あとは、いくつかのシンクロニシティがそのときに...あったような

しかし,,
カジキマグロとか、ハマチとか、もうちょっとゴージャスな
名前に変えようかな..出世魚みたいに(^^;

かなり酔っ払いいろいろと好き勝手にしゃべったあと、
王子ことSさんと荻窪まで。
目の前に有名コラムニストのIさんが座っていることに途中で気づき
ちょっとあたふた。

それからやっぱりというか結構いい時間だったのに
吉祥寺で途中下車してブック○×へ 衝動をコントロールできない自分
閉店10分前のアナウンスがかかっていたのであせる。
ノルマの10冊をきっちりと購入(何がノルマなのかよくわかりませんが...
酔っていたのと、時間がなかったので選択のストライクゾーンが
広がったのか、今朝、何を買ったのか確認してみると、

『ガダラの豚』中島らも
『デフレとバランスシート 不況の経済学』リチャード・クー/楡井 浩一訳

とこのあたりまでは理解できるのだが、

『一歩高く 一歩退く 人間 二階俊博』大下英治
あたりになるとちょっと笑う。
大下英治が久々に読みたかったのか。

それから、
『イワナの謎を追う』石城謙吉
『築地のしきたり』小林充
というのもある。やっぱり魚のことが気になっていたらしい。

何が冗長か、ということを少しだけまじめに考えてみたところ、このような考えにいたりました。

2007年09月21日 23時36分54秒 | 翻訳について
日常世界ではあまり耳にしないが、
翻訳会社に勤めているとよく聞こえてくる言葉として、
「冗長(じょうちょう)」という語がある。
よくわかりそうでわからない言葉ではある。
冗談が長い、というわけではない(が、当たらずと言えども..ではある)。
つまり、語りが無駄に長い。簡潔に言えるところをくどくど言っている、
そういうことである。

「おたくが納品された訳文、ちょっと冗長なんですよね...云々」
みたいなクレームがくるときもあるし、
レビューアーが、ことごとく冗長な表現を許さずに
徹底的に無駄をそぎ落としたミニマリスム翻訳の視点から
アカを入れてくることもある。

たとえば、

×することができます。

と書いてあるのを、すべて一律に

○できます。

に修正してきたりする。

確かにこれはわからんでもない。
というか、まあ妥当とは言える。
でも、必ずしも上の修正が常に正しいとはいえない、
ということができると思われるのである(冗長な表現)。

だって、「"すること"ができる」、と
「できる」は違うでしょう。違うからこそ、言葉は
自然発生的にパラフレーズされているわけなのです。
強いていえば、前者はbe able to で、
後者はcanに近い。
僕個人の感覚ですが。

たとえば、成田空港にいく方法、
というのを人に教えるとき、

「成田エクスプレスに乗って行け」

といえば、一言ですみます。
ものすごく簡潔です。
でも、この一言を、理解できない人もいる。
そういう人は、
成田エクスプレスというものが何で、
それに乗るためにはどうすればよいか、
それを自分で調べなければならない。
時間も食うし、
場合によっては道に迷う。

そう考えると、文章としては長くなってもいいから、
「まず、成田空港に行くためには、いくつか方法がありますが、
その1つとして、成田エクスプレスという電車に乗る、という手が
ございまして、まあだいたいの人は、これに乗って件の空港まで
いくというのがこっちの人間の慣習でございまして...」
とくどくど書いた方が、より「短時間」で、
読み手には情報が伝わるかも知れないのだ。
つまり、後者の方がミニマムな情報を伝えている。

だから、文字や表現が短ければ冗長さを回避できる、
という考えには常には同意できないのである。

『Mind パフォーマンス Hacks』と台風の夜

2007年09月08日 01時56分18秒 | Weblog
昨夜、IT翻訳出版界の最高峰(サッカーの世界でいえばセリエA)
と称されるオライリージャパン社さまのご好意により、
イワシの師匠である夏目「大」先生の新作
『Mind パフォーマンス Hacks』の出版記念パーティーが、
台風の近づくなか、新宿のとあるフランス料理店で開催されたのだった。

参加したのは、ご馳走を振舞っていただいた
オライリー社のIさん、Tさんと、
『キリストと12人の使徒』ならぬ
『夏目大と4人の使徒(元○ェロー受講生)』

Mさんを除いたお二人にはついに実物にご対面できて感激。
ところで、師匠は同じだけどお互い面識ない、っていうとき
その弟子同士の関係を、なんていうんでしたっけ?
同門?というのが適切なのかもしれませんが、
それだと必ずしも面識がないことにはならないし、
腹違いの兄弟じゃなくって
生き別れてた兄弟の再会とでもいうべきですかね。
同じ穴の狢(ちょっと違うか)という言葉もちらっと浮かんだりして(^^;

台風の直撃を目前にした地下の個室で、
美味とワイン、そして大先生の必殺エンドレストークに酔う。
最後の晩餐当日もかくやという気になってくる。
#と、何の脈略もなく、そこはかとなく漂う終末観を感じていた
#なんてのはきっとわたしだけかも..
#ドストエフスキーの話が出たあたりでは特に..

人間的にも、プロフェッショナルとしても尊敬できる
すばらしい編集者の方々と、
同じ翻訳という道をそれぞれの形で歩んでいる仲間たち。
そいういうみなさまと心ゆくまで料理と会話を楽しめる。
そんな幸せの極致のような時間はあっという間にすぎてしまいました。
みなさま、どうもありがとうございました。

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ところで、この夏の無理が祟ったのか、
ここ2週間ほど、左下腹部がシクシクと痛む。
ちょっと体調も優れない。原因は不明。
これが夏ばてというものなのだろうか?
ひょっとして死期が近づいているかもしれないとふと感じたりする。
健康なんて、いつ終わりになるか、わからないものだと実感。

ともかく、秋までにはこの半年のいろいろを整理して
また新たなスタートを切りたいとかんじているところだ。
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