イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

見ず知らずの人に話しかけることについて

2007年12月29日 23時19分53秒 | Weblog
「人見知り」って不思議な言葉だと思う。そこから連想するものと、実際指しているものがなかなかうまく合致しないのだ。小さい頃、何度聞いてもその意味が覚えられなかった(ところで、そもそも、人見知りって、子供に対して使っていた言葉のように思うが、最近は大人にも使う。そこにも違和感を禁じえないのだが、それってヘン?)。人を見知るというのは、人のことを見て、そしてその人のことを知る、つまり瞬時に理解する力があるということではないのか? などと勝手に解釈していて、そしてそれは利発な子供のことを指しているような気がしてしまうのだが、実際はそうではなくて、ご存知の通り、要は恥ずかしがり屋さん、っていう意味になる。やっぱり、なんで人見知りがシャイという意味になるのかが未だによくわからない。そして、この語を耳にするたびに、毎回ひっかかってしまう。語の意味を正しく頭に理解させるための変換作業に、0.何秒か時間がかかっているような気がする。

「心配せんでもええ、Tさんは人見知りせーへんから」。自分を含め、某関西人が3人寄り集まり、一日中盛り上がる。そのうちひとりとは初対面だったのだが、もうひとりが、そう言って、大丈夫だと安心させてくれた。僕はもうこっちにきて6年にもなるから東京暮らしにもずいぶんと慣れたし、もともと関西ネイティブでもないから、特に西をノスタルジックに感じることなく、なんとなく江戸の水に馴染んでいるのだけど、ひとりはまだこの四月にこっちに来たばかりだ。自分が思い出す意味もこめて、今感じている西と東のカルチャーギャップを訊ねてみると、たとえば、テレビ局のチャンネルの違い、があるのだという。なぜ、10チャンネルは日テレ系じゃないの? みたいな(ずっと東京の人にはわからないでしょうが)。実はこれ、僕も未だに違和感を禁じえない(こういうのって些細なことのように見えて、実は大きな違いなのだ。毎回チャンネルを替えるたびに、頭の中で0.何秒かの変換作業が必要になる。ほんの瞬間だけ、ホームシック感覚が脳髄を刺激する。こういう無意識の作業のなかで、シャドーに宿る文化的差異は増幅されていくのである)。そして、テレビに出ているタレントの違い(メッセンジャーの黒田、こっちじゃあまりみないけど、面白いんだよな~)。

あるいは、「こっちは大阪みたいに外でワーワーしゃべっている人が少ない」とその関西の友人は感想を述べてくれた。彼の地では天下の往来を行けば、他人どうし、喧嘩しているのか仲良くしゃべっているのかはともかく、いつのまにか自然に会話がはじまることがしょっちゅうなのだ、と。店員と客、スーパーのレジ待ちしている客どおし(おばさん多し)、甲子園から帰る道すがら、「今日どうやったん?」と自然にタイガースの試合の結果を訊いてくるおっさん。そんな風景が、こっちでは少ないのでは、ということなのだ。ぼくは、それは地理的な問題というよりも、世代的な問題であり、東京にも絶対にそんな風景はある、あるいは「あった」はずで、かつては日本全国でそのような光景が見られたに違いないと軽く主張してみた。でも、それを差し引いても、やはり大阪の人たちのコミュニケーション能力というのは、やはり非常に優れているとおもう。3人で話していても関西弁によって活性化される名状しがたい「しゃべりの磁場」を感じるのに、これがあっちにいけば数百万人すべて関西弁なのだから。よくそんななかで10年以上も暮らしてたわ、と人ごとのように驚いてしまう。

それでも、日本ではもはやあまり他人どうしでさりげなく会話が始まることはあまりないように思えるが(特に若い世代では)、旅先のインドでも中国でも、見知らぬ人どうしがいきなり会話を始めるという光景は、いたるところで見られたし、僕もどちらかというと人見知りしてしまうタイプであるとはいえ、そういうのってとてもいいな、と思ってしまう。インドでは、旅行中ずっと腕時計をしていたのだけど、現地の人は当時ほとんど腕時計など身につけておらず、ものめずらしいのかしょっちゅう時間を聞かれた。まるで、腕時計をもっているお前は、腕時計をしていない俺に時間を教える義務がある、みたいな感じで。奴らは、とっても「自然に」時間を訊ねてきた。そういうの、僕も案外悪い気もしなくて、普通に時間を教えてあげていた。実際のところ、どの程度切実に彼らが時間を知りたがっていたのかどうかはわからないのだけど。

僕も年齢を重ねるにつけ、だんだんと人と話すことに抵抗がなくなってきたと思うときもある。ジョギング中に柴犬の散歩をしている人に話しかけることもあるし、ついこの間は、いつも行くとんかつ屋さんで、店の人に、「今日混んでますね。どうしたんですか」なんてオヤジな台詞を自然に吐いていて自分でもちょっとびっくりした。さすがに、電車に乗っていて隣の人に、「その夕刊フジ、読み終えたら僕にくれませんか」なんてリクエストはできないのだけど、そういうの、世界のどこかでは普通にできるんだろうな~、なんてことをおもったりする。そして、こんな日の締めくくりは、はからずも『人志松本のすべらない話』であった。今日はオチがないけどこれで終わります。おとといの続き(テクノストレスの話)はまた逃してしまったので、いつか書くことにします。

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ちなみに、例のアサーションの件ですが、その後、友達が教えてくれたサイトになかなかよい情報が載っていたので転載します。
http://counsellor-blog.hakenjob.com/archives/51180279.html

アサーティブ12の権利ということらしいです。ご参考まで。

1.私には、一人の人間として日常的な役割とは関係なく、自分自身のために物事の優先順位を決める権利がある。
2.私には、賢くて能力のある対等な人間として、敬意をもって扱われる権利がある。
3.私には、自分の気持ちを言葉で表現する権利がある。
4.私には、自分の意見や価値観を表現する権利がある。
5.私には、「イエス」「ノー」を自分で決めて言う権利がある。
6.私には、間違う権利がある。
7.私には、考えや気持ちを変える権利がある。
8.私には、「わかりません」という権利がある。
9.私には、欲しいものを欲しい、したいことをしたいという権利がある。
10.私には、人の悩みの種を自分の責任にしなくてもよい権利がある。
11.私には、周囲の人の目を気にすることなく、人と接する権利がある。
12.私には、アサーティヴでない自分を選択する権利がある。

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2 コメント

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Unknown (清ん)
2008-01-08 22:56:26
はじめまして。
清んと申します。
夏目さんのリンク欄から来ました。

アサーティブ12の権利、自ブログで勝手に引用させて頂きました。
勝手にすみません。
なかなか頷ける12か条と思いました。
これからもブログ楽しみにしてます。
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Unknown (iwashi)
2008-01-09 00:34:33
清んさん、

こんばんは! 書き込みありがとうございます。
夏目さんのブログでいつもお名前は拝見して
いました。今後ともどうぞよろしくお願いします。

ぼくもこの12番目が気に入っています。
11番目までを実践するのって実はとても気力体力を
使いそうだから、12番目があることでとても
気が楽になりますよね。
あと、6番目の「間違う権利がある」というのも
いいですよね。失敗や無知を恐れて萎縮しなくても
いい、ということですよね。
といいつつ、この権利がなくても私は間違えてばかりなのですが(^^;
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