イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

サイコの闘い ~戸田・彩湖フルマラソン・ウルトラマラソン激走レポート~ 第二話

2010年04月12日 21時54分28秒 | 怒涛の突撃レポートシリーズ
フルマラソンの部は10時にスタートする。9時半までに受付を済まさなくてはいけない(といっても、ほとんどのレースでは少々遅れても受付をしてくれるのだが)。逆算すると、遅くとも9時過ぎには武蔵浦和駅に到着しなければ。僕の住む武蔵境から武蔵浦和までは、中央線と武蔵野線を乗り継いで1時間弱で行ける。

経験から学んだことだが、「家から近い」というのは、マラソンの大会に参加するうえでとても大きなメリットになる。レース前日は少しでも多く眠っていたい。それに、2時間も3時間もかけて会場に行くとなると、体力も消耗する。ランナーは、走り始めるまでは一歩でも無駄にしたくはないと思うものなのだ。レースの当日はいつも、どこでもドアがあったらいいのになあ、と夢想してしまう。

朝7時に目覚まし時計で目を覚まし、7時45分頃に家を出た。駅までは徒歩20分くらいなのだけど、今日はバス。8時2分の電車に乗れるといいな、と思っていたのだけど、例のごとく時すでに遅し。西国分寺の駅で降りて、こんどの武蔵野線の発車時刻を確認し、ギリギリ間に合うかと思って腹ごしらえのために駅蕎麦のお店に飛び込んだ。駅蕎麦のメニューでは肉うどんが一番好きなのだけど、券売機を見るとそこの店の一押しは「肉そば」らしい。そんなところで悩んでいる場合でもないのに、どっちのボタンを押すべきか、人差し指がしばし左右を行ったり来たり。肉そばにしようか肉うどんにしようか、う~ん、やはりここは長いモノに巻かれておくべきか、そうだともオススメの肉そばにしよう、と思ってボタンを押した。が、食券が出てこなかったのでやっぱり肉うどんにした。

肉うどんを食べていたら、「誰か食券取り忘れてますよ」と、後から入ってきた男性が言った。もしや、と思ったがどうしてよいかわからず肉うどんを食べ続けていたら、「SUICAで肉そば買った人いませんか?」と店内に響き渡る声で店のおばさんが言った。もちろん、買ったのは僕である。食券は出ていたのだ。申し訳ないと思いながら、そしてその正直者の男性に感謝しながら、「あ、それ僕です」と言った。

おばさんが嫌な顔ひとつせず、食券機を開けてレシートを確認し、払い戻しをしてくれた。男性にしても、おばさんにしても、優しい人だ。人の情けが身にしみた。ありがとう! そうこうしているうちに、電車はとっくの昔に出発してしまっていた。ああ今日も、「まさに俺、これが俺」的すぎる展開!

やばい。でも、まあなんとかなるだろう。すべての局面において「なんとかなるだろう精神」でこれまでの人生を歩んできた僕だ。その結果、「なんともならなかった」「いかんともしがたかった」状況に陥ることも頻繁にあるわけだが、僕の力で電車の運行時間を変えることはできない。すべては因果応報なのだ。

ようやく来た次の電車に乗って、武蔵浦和に向かった。武蔵野線にはめったに乗ることはないが、常々とても興味深い経路だと思っている。東京の西側から埼玉に向けて出発したと思ったら、いつの間にか千葉に着いているのである。要は、東京のぐるりを走っているのだ。それを知らなかった東京に不慣れな頃、なんで府中本町を出発した電車が西船橋に着くのかがわからず、不思議な感覚に襲われたものだ。異空間を駆け抜ける武蔵野線。

前日にブックオフで買った何冊かの本をリュックに入れてきたのだけど、どれもピンとこなかった。最後に手に取ったのが、五木寛之著『人間の覚悟』。読み始めたら面白くて、とまらなくなった。親鸞のことが書いてあった。

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自分の信心に、特別な極意などはない。師である法然上人のいわれたとおりに信じて、ついていっているだけだ、と、いうのである。その後につづく言葉は、おそらく目にした人は絶対に忘れることのできない文句だろう。

自分が法然の言葉を信じてついていき、もし師に欺かれて地獄におちたとしても、自分は決して後悔したりはしない、と、親鸞は断言するのだ。

「地獄は一定すみぞかし」

すなわち、自分がいまいるのは、悟りすました解脱の世界ではなく、常に人間としての生きる悩みにとりかこまれた煩悩の地獄である、というのが親鸞の覚悟なのである。

念仏をすれば地獄からすくわれるのだ、と親鸞は言わない。自分にとって、

「地獄は一定すみぞかし」

だから念仏を信じ続けるのだ、師、法然を信じるのだ、と彼はいう。地獄は一定、と覚悟したところから、親鸞の信仰は出発するのである。
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この世を地獄とまでいいきっていいものか、僕にはわからない。だが、悩みにとりかこまれた煩悩の世界であることだけは間違いない。親鸞は、地獄であるからといってニヒリズムに陥るのではなく、そこが地獄であったとしても、信じた道を究めようとした。それにしても――自分が信頼していた人に欺かれて、地獄に堕ちたとしても、後悔はしない、の一節は重い。深く共感はするが、今の僕がこの言葉の意味を理解できたと言ったら、それは嘘になるだろう。

***

そんなこんなでついに武蔵浦和。かっこいい駅名だ。駅から会場までは、大会がシャトルバスを出してくれている。乗り場はどこかなあと思って駅の階段を下りたら、係の人が僕の出で立ち(上下のウインドブレーカーにジョギングシューズ)を見るなり、「サイコ? サイコですか?」と訊いてきた。つまり「彩湖(マラソンに参加する方)ですか?」。定食屋でうなぎを注文するときに「僕はうなぎです」と言ってしまう、うなぎ文。まあ確かに僕は「psycho」な人でもあり、「彩湖」フルマラソンに参加する人でもあり、これから走るのが「最高」に辛い42キロになることを予感しているのであり、そしてシャトルバスの列の「最後」に並ぶ人でもあるからにして、まさにサイコなのである。「はい、僕はサイコです」と心の中で呟きながら、礼を言って列に並んだ。シャトルバスが出ているということは、受付にも間に合うはずだ。これで少なくともワーストケースシナリオ(出場できず)は、避けることができた。この時点でかなりの達成感。ハードルが低いなあ。近くにスターバックスがあったので、今日のコーヒーを買った。

バスはすぐにやってきた。相当数の人が列に並んでいたけど、乗ることができた。目の前に若い女性が座った。僕は立ちながら『人間の覚悟』の続きを読み進めた。これからマラソンを走る。相当にハードな闘いになる。覚悟を決めるのだ。女性が、後から入ってきた年配の女性に席を譲ろうとした。これからフルマラソンを走るのだから、彼女とて足は消耗したくはないだろう。だが彼女の表情に迷いはなかった。とっさにこういうことができる人は、えらい。素敵な人だなぁ。レースになったら、この人の後ろをついて走ろうかなぁ。それなら、頑張って走れそうな気がするなぁ(と、スケベな気持ちをモチベーションに変える)。年配の女性は丁寧に申し出を断ったのだけど、それもまた凜として見ていて気持ちよかった。こんな風に頭で考えるよりも速く、一歩行動に踏み出せる人はいい。マラソンを走ることが、人生のさまざまな局面において、そういう一歩につながればよいのだけど。

バスの運転手が、バスが右折、左折するたびに、「曲がります。おつかまりください」という。ここでも見事に主語がない。武蔵浦和には主語が少ないのか。それとも、ひょっとしたら何をつかんでもいいということなのか。そうなのか。何をつかんでもいいのなら、目の前の女性につかまりたい。がっしりとつかまりたい。そのまま二度と離したくない。いや、離しはしない。そんな気持ちを抑えてとりあえず目の前のポールをつかんだ。
***

五木さんは、40代後半から50代前半にかけて、そして60才前後でひどい鬱に悩まされたのだという。五木さんほどの巨人にして、人生にはこんなにも浮き沈みがあるのだ。まったく人生という野郎は、やっかいだ。生きている限り、僕も当然これから年を取っていく。もともと浮き沈みが激しい人間だから、これからも沈んだり潜ったり、打ちのめされたりしていくんだろう。そして、たまには浮上したりということもあるのだろう。そのときに、どんな覚悟ですべてを受け入れられるのか。五木さんは今年で78才になられる。それでいて、この旺盛な筆力はなんだろう。ふと、老いるというのは人生の最先端を行くことなのではないかという気がした。老いるということは、常に未知との遭遇なのだから。

――人はいつか必ず発現する死のキャリアである

というパスカルの言葉がやけに胸に突き刺さった。誰もが死にゆく運命にあると透徹に見通せたとき、よいもわるいもひっくるめてすべてを受け入れる覚悟ができるのかもしれない。

***

車内を見渡すと、みんなそれぞれマラソンに向けて気持ちを高めているような顔つきをしている。やはり誰であれフルマラソンのレースに出場するのは緊張するものなのだ。コーヒーを飲みながら五木寛之を読んで黄昏れている自分が場違いな輩のように思える。

ここにいる全員が、共に同じレースを走る仲間でもあり、またライバルでもある。日頃は思い思いに家の近所やジムでトレーニングをしている人たちが、何の因果か今日は同じ道を走る。不思議なことだ。ふと足下をみると、全員がジョギングシューズを履いている。ポーカーフェースを演じつつ、尻隠さず。自分はランナーですという正体をあらわにしているのである(誰も隠してないか)。ともかく、周りの全員がジョギングシューズを履いているという光景は、ちょっと異様であった。俺は騙されない。平静を装っているが、お前ら全員ランナーだろ。なんだか「お前ら人間のふりしてるけど、全員宇宙人だろ!」と叫びたい衝動にかられた。

バスが、目的地に到着した。体調にはあまり自信が持てない。無理して走ったら心臓が止まるかもしれない。下手をしたら今日が人生最後の日になるかもしれない。まあそれはそれでいいだろう。読みかけの『人間の覚悟』をリュックに戻すと、僕はこれからレースを走る自分のことを赤の他人のように感じながら、「サ、イコか」と呟いて会場に向かって歩き始めた。

(第三話に続く)



翻訳関係の仕事、勉強をしている人たちが、ただ歩いてしゃべるだけという「そぞろ歩きの会」、4月18日(日)に中目黒を散策いたします。今回は中目黒在住のお方に参加いただけることになり、地元目線で中目黒を堪能できると思います。パラサイト博物館も見学。みなさまぜひお気軽にご参加くださいませ。

そぞろ歩きの会のブログに告知を記載しています。





サイコの闘い ~戸田・彩湖フルマラソン・ウルトラマラソン激走レポート~ 第一話

2010年04月11日 16時48分54秒 | 怒涛の突撃レポートシリーズ
――少なくとも最後まで歩かなかった。

「息子から”読んでみて”、と言われたその本に、こんな言葉が書いてあったんです」と、金曜日、僕がオンサイト勤務をさせていただいている翻訳会社にふらりと挨拶にこられた男性翻訳者は言った。「墓碑銘に、こう刻んでほしいって書いてあって、なるほどって思ったんです」

彼とお目にかかるのは初めてだった。50代後半にしてすでにお孫さんもいらっしゃるというが、見た目はとても若々しく精気にあふれ、そしてハンサムだ。2、3年前に大手企業を退職し、今は自然の豊かな静岡県のS市に住み、晴耕雨読ならぬ「晴耕雨訳」な日々を送られているとのこと。同僚のコーディネーターたちからの信頼、人望も厚く、いい噂を何度も聞いていた。海が近くて、魚が美味しくて、緑も多い。そんな場所に住んで、健康的に暮らし、働く。フリーの翻訳者はメールでの仕事のやりとりがほとんどだから、どこに住んでいても働ける。いきおい、南の島だとか、外国だとかに住んで悠々自適な生活をしている自分の姿を妄想してしまいがちだ(今の自分にとっては妄想以外の何ものでもない)。

もちろん彼の場合も現実的にはいろいろ大変なことはあるのだろうけど、やっぱりそのライフスタイルはとても魅力的に思え、僕も年をとったら彼のような暮らしができたらいいなあと、密かに憧れていた。思いがけずそのお方とご挨拶でき、しばし歓談する機会に恵まれてとても嬉しかったのである。

件の村上さんのエッセイ集、『走ることについて語るときに僕の語ること』を息子さんにすすめられて読み「少なくとも最後まで歩かなかった」という言葉に触発された彼は、それ以来、週に2、3回、家の近くの海岸線のジョギングを楽しむようになった。息子さんと参加した先日の青梅マラソンでは、なかよく同時にゴールした。

「息子を立てるために、一緒にゴールラインを踏もうと言っておきながら、ゴールの瞬間はちょっとタイミングを遅らせたんです」彼は笑った。1秒ほど父親よりも早くゴールした息子さんは、きっとこんな素敵なお父さんを誇りに思っているに違いない。本当はワインでも飲みながらもっとたくさんお話したかったのだけど、彼は僕に会いに来たわけではない。せっかくの機会なのだから、営業的に他のコーディネーターと人たちと仕事の話も含めながらコミュニケーションするべきなのだ。あまり時間をとらせてはいけないと、数分間で話を切り上げた。最後に「将来、○○さんのような翻訳者になりたいです」と言って握手した。柔らかく、温かい手だった。社交辞令じみたセリフだなと我ながら恥ずかしくも思ったが、紛れもない本音だった。たった数分間、話をしただけですっかり彼の魅力にひきつけられてしまった。

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僕にとってその日は、奇しくもフルマラソンのレースの前日だった。5年くらい前からほぼ毎年参加している『荒川市民マラソン』に今年も申し込もうとしたら、すでに定員に達していて、あわてて申し込んだのが『戸田・彩湖フルマラソン&ウルトラマラソン』。もちろん申し込んだのはフルマラソンの方である(42.195キロだって練習不足で相当に不安だったのに、70キロのウルトラマラソンなんて走れるわけがない)。

申し込みはしたものの、大会名も場所も、直前まで覚えられず、誰かに「何のレースに出るの?」と言われる度に「ええっと、埼玉の方である『彩の国なんとかマラソン』みたいなやつだったと思う」と相当に適当に答えていた。

気がつけば、翌日がそのレース本番なのである。

年始に申し込みをしたときにはいっちょう気合いを入れて走ってやるか! と意気込んでいたものの、会社帰りの通勤ウォーキングの楽しさに目覚めてしまい、走ることに情熱を見いだせないまま時間だけが過ぎていった。毎日通勤するようになったから、走る時間を作れなくなってしまったということもある。いや、それは言い訳だ。会社で働いていても、本当に走りたければいくらでも時間は作れる。だが、3時間もかけて会社から歩いて帰ってきた後で、さらにジョギングをしようと思うような気力と体力は僕にはなかった。おそらく僕だけじゃなくて普通の人間なら誰でもそうだと思う。

思い出したようにたまに走ってはみたものの、あまりいい走りはできず、「レース本番は、そうとう大変なことになるだろうな」と不気味な予感をひしひしと感じていたのだった。「4月10日にマラソンを走る」という事実を、人ごとみたいにタスクリストの片隅に放置したまま、いつものように忙しい日々に流されていった。

過去に何度かフルマラソンに出たことはある。はっきりとは覚えていないのだけど、たぶん完走2回、リタイア2回、(申し込んでおきながら)怪我のために不参加1回というなんともなさけない成績である。42.195キロを走るというのは、とんでもなく苛酷なことである。調子が最高によくても相当にしんどいのだから、調子がよくないとそれはもう最高にしんどい。僕のようなはしくれランナーの場合、それは心肺機能がどうこうというレベルではなく、それ以前にまず筋肉が、関節が悲鳴を上げる。70キロ弱の重さの物体を、42キロも運ぶということが、僕の身体のスペックを越えているのだ。いつも痛くなるのは、左足の甲、右の膝、腰(ぎっくり腰に近い状態)。ちなみにほぼ毎回、途中でう○こに行きたくなるという問題もあるのだが、用を足してしまえば走り続けられるのだから大きな障害ではない。

今回もおそらく相当に痛みを感じることになるだろう。いつぞやの大会では、20キロ地点で膝が痛くなって一歩も一歩も動けなくなった。あまりむきになってタイムを競うことは元々好きではないといえ、完走することが美徳とされるマラソンの世界で、途中棄権することはやっぱり悔しい。頑張って走れるものなら当然走り続けたいと思う。だが、その時の痛みは、頑張ればなんとかなるというレベルのものではなかったし、リタイアする以外に選択肢はなかった。途中棄権する多くのランナーも、同じように精神力ではどうしようもない痛みや辛さに直面しているのだと思う。

でもまあいいのだ。普通に暮らしていたら、なかなかこんな痛みを感じる機会はないし、こんな恐怖を覚えることもない。それもまた逆の意味で楽しみではある。かっこいい先輩翻訳者のさわやかなランナー生活の話を聞きながら、僕はまるで戦場にいく前の兵士になったような不安な気持ちに襲われていたのであるが、いくら考えたってしょうがない。出たとこ勝負、いきあたりばったりでいくしかないのだ。バッタリ倒れて天国に旅立ってしまったとしても、それはそれで人生じゃないか。

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村上春樹
作家(そしてランナー)
1949 – 20**
少なくとも最後まで歩かなかった
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途中でリタイアしてしまった経験のある僕には、墓碑銘に春樹さんのようなかっこいい言葉を記すことはできない。おそらく後半は歩きながら、制限時間の7時間以内でなんとかゴールできるかどうかが関の山だろう。途中でう○こもするだろう。もともと便意が多いほうで、7時間も「大」を我慢することは普通に生活していてもあまりない。ましてやアドレナリンを大量に分泌しながら全身に刺激を与え続け、給水所で大量の食料を摂取しながら走り、歩き続ける6~7時間の間に、一度も便意を感じないわけがない。

しかし――。

誰でも、自分の人生にあっては欲しくないこと、あったかっこ悪いこと、できれば避けて通りたいことのひとつやふたつはあるだろう。そして、「スポーツの試合の最中にう○こをすること」も、できれば人生のなかで避けて通りたい道である。

中村俊輔が、フリーキックを蹴る直前に、「ちょっとう○こをしたいのでタイムお願いします」と言うだろうか?
アイルトン・セナは、レース中にハンドルを切りながらう○こをしたのだろうか?(尿瓶を使っていたりして)
ベン・ジョンソンンは、100メートルを走りながらう○こをしたのだろうか?(名前が「ベン」だけにあり得たりして)

いったいどこの誰が、スポーツの真剣勝負の試合の最中のあの緊迫感と、う○こが同じ時空に存在しうるものだと想像できるというのだろう?

だが、我慢はしまい。大便を催したら、トイレに駆け込むだけだ。

「少なくとも最後まで歩かなかった」ことを誇りにする人がいるならば、「少なくとも最後まで我慢しなかった」ことをささやかな誇りに感じるランナーがいてもいいはずだ。う○こがしたければする、歩きたくなれば歩く、どうしても痛みを我慢できなければ、勇気を持ってリタイアする。

===============
イワシ
翻訳者(そしてランナー)
1970 – 20**
少なくとも最後まで(う○こを)我慢しなかった
===============


なんの自慢にもならないかもしれないが、そんな気持ちで戦場に赴くことに決めた。

明日4月10日、埼玉で何かが起こる。その日も仕事に追われ、家に着いたのは12時前、眠りについたとき、すでに午前1時を過ぎていた。

(第二話に続く)



そぞろ歩きの会、第8回目の今回は、中目黒を散策したいと思います。現在まで6名が参加予定です。みなさまこの機会にぜひお気軽にご参加くださいませ!

そぞろ歩きの会のブログに告知を記載しています。よろしければご覧ください。

夏目大を追いかけろ~あさま組春の特別企画 勉強会 in 横浜 2008 Spring 突撃レポート

2008年03月30日 13時02分27秒 | 怒涛の突撃レポートシリーズ
――正直、超盛りだくさん過ぎて全部は書き尽せません――


2008年3月29日土曜日、午前11時半――、僕は前日の酔いの余韻も覚めやらないまま(昨夜は実に新宿ワイルドアットハートな夜だったのです)、新宿駅に向かっていた。そう、今日は夏目組の月例の勉強会「あさま組」の特別企画、『横浜翻訳生活ナマ体験~君も僕と一緒に桜の綺麗な港の見える丘公園でスリーピーの写真を撮ってみないか in 横浜 2008 春』が開催される日なのだ。タイトルが表すとおり、この企画は、勉強会の会場を、普段の青山一丁目界隈から、夏目さんの自宅に移し、桜満開の横浜を堪能しつつ、夏目邸に突撃して大ちゃんの生態を探りつつ、拡大版の勉強会を決行して、夜は中華街で乾杯して締めるという超欲張りVIPコース的なものであり、そしてこの企画を一月前、突発的に思いついてしまったのは何を隠そうこの私なのであった。新宿の山手線のホームで、ネリマ区のサイパンダことYさんと合流し、一路横浜へと向かう。車内では、あらためて今回の各自の課題に目を通す。Yさんと二人で、なんだか全員目に見えて上手くなっている気がするという感想を述べ合う。

夏目さんが指定した集合場所は、JR横浜駅東口のそごうにある時計台の下だ。集合時刻の12時半少し前につくと、すでにメンバーはほぼ勢ぞろいしていた。特別企画というせっかくの機会なので、超個性的なあさま組の7人のメンバーを(馬名を使って)紹介することにしよう。


カンテツキョウコ......あさま組の「あさま」とは、長野在住の彼女が特急「あさま」に乗って青山一丁目まで通ってきたことに由来する。あさま組は彼女を抜きにして語れない、伝説的な存在なのである。新作のタイトな締め切りを二ヵ月後に控え、持ち前のラストスパートを使った完徹の、いや感動のゴールを予感させるオーラを早くも発している。

ヘイアンボボボ......新星のように現れた京都在住の超有望株。彼女も、この勉強会に参加するために毎回上京しているのだ。翻訳にかける情熱は誰にも負けない。彼女の参加によって、勉強会は俄然活気に満ちたものになったのであった。ところで、彼女は当日、名言を残したのだった。それは...

夏目と書いて「カモク」と読む その心は「名は人を必ずしも表さない」

彼女に、ざぶとん十枚あげよう。では引き続き、

エロメメタン......あさま組幹事長。この姉貴の仕切りのおかげで毎回勉強会が成立しているのです。新作の出版を間近に控えつつ、最近は活動の幅をさらに押し広げての充実の仕上がりぶり。リーディングの題材でも新境地(官能系)を開拓しつつあり、ダークホースとしての存在感を益々強めている。

シニガミオウジ......今回の当番は、あさま組の最年少、イケメン王子ことS君なのであった。ダメ人間系が幅を利かせているあさま組のなかにあって、非常に礼儀正しい正統派の好青年である。天は彼に二物を与えたといわざるを得ない。俎上に乗った彼の訳文を元に、今日の勉強会はいつにも増して充実したものになるに違いない

リトルサイパンダ......夏目さんの一番弟子とも称され、周囲からも一目置かれた存在の実力者。酒席でもそのタイフーンのような飲みっぷりと暴れっぷりで一目置かれているが、今日は手作りの美味しいチョコレートケーキを持参してくれて、一気に株を上げたのであった。

モウソウイワシ......最近、妄想癖が強まり、元々の安定感のなさに輪をかけるふらつきぶりで、足元をすくわれるのは必至。勉強会に初めて参加したころのさわやかなイメージも今は昔、このごろはすっかりダメ人間系としての(事実とは異なる)印象をもたれているようである。自らの立ち位置の見失いぶりに拍車をかけながらの参加。

ダイカモフラージュ.....夏目大さん。一月前に自宅での勉強会開催が決定してからというもの、連日の部屋掃除に、日中の持てるエネルギーの50%を費やしてきた。捨てたゴミ袋は15袋以上。その過程で「掃除の真髄とは、片付けることではなく、カモフラージュすることにある」という至言が生まれた。今日は勝手知ったる横浜にあって、水を得た魚のようにイキイキとしている。

七頭、いや七人揃ったところで、みなとみらい線にのり元町に移動。夏目さんの引率に導かれながら、ハマの街をそぞろ歩く。やっぱり地元の人に案内してもらうと、安心感がある。いや~、それにしても、横浜っていいですね! 異国情緒溢れるおしゃれな街並み、落ち着いた大人の雰囲気。もう歩き始めた瞬間から、全員「来てよかったね」という充実感に満ち満ちてしまう。「ザ・ベスト・チーズケイクス」という素敵なお店でランチ。その後、夏目さんのプランどおり、港の見える丘公園にいくと、そこには横山翻訳生活でお馴染みの猫、スリーピーが! 見事に期待に答えてくれましたのだニャー。

桜は満開、天気も上々。横浜ってこんなにいいところだったのか、と目を驚かせ、楽しませながら、メンバーのそれぞれと、三々五々に歩を進めながら、話に花を咲かせる。勉強会も大事だけど、こうしていろんな情報交換をしたり、刺激を与え合ったりすることも、とっても大事なのだ。

夏目さんは早足でスタスタと歩き、めぼしい被写体を見つけると、おもむろに写真を撮っていく。これぞまさに、メイキング・オブ・横浜翻訳生活。こっちがリアルでブログがバーチャルなはずなのに、なんだかブログの世界の夏目さんが本物で、目の前にいるのがおとぎの国にいる夏目さんのようにに思えてくるから不思議だ。この夏目さんの姿を見れただけでも、今回の企画の目的の42%くらいは達成したような気分になった。

そろそろ夏目邸に向かおうとするころ、突然、夏目さんの携帯が鳴った。それまで穏やかだった夏目さんの表情が、ゴルゴ13のようなシリアスモードに切り替わった。なんでも、「ギターをもった渡り鳥」と名乗る謎の男から、勉強会にオブザーバー参加したいという申し立てがあったのだという。メンバーの間に、緊張感が走った。果たしてその男とは...

ウクレレハッピー......何を隠そう某社編集長のI兄貴であった。前々日の新年会でこの横浜勉強会の開催を知り、ウクレレ持参で特別参加してくれることになったのである。長年のパートナーである夏目さんの自宅を見るよい機会(CDラック、本棚を確認?)であるし、編集長として勉強会に新たな視点を導入してくれるはずだ。豪華な勉強会に、彩が加えられた。

そんなこんなでバスに乗り、夏目さん宅に前に到着。実にいいところである。ぶっちゃけた話、この企画はやはり夏目さんのブログ、『横浜翻訳生活』に描かれている魅力的な世界を直接この目で見てみたいという純粋な好奇心が土台となって誕生したものなのであるが、実はもう一つ、大きな目的があった。それは、以前からまことしやかに噂されてきた、ある疑惑の真相を明らかにすることであった。その疑惑とは......、

夏目大は、実は二人いるのではないか

というものであった。おそらく、家に篭ってコツコツと翻訳している夏目大Aと、横浜を徘徊している夏目大Fの二人がいて、それぞれ分担作業を行っているらしいというのが、業界筋の推測だった。そうでなければ、いろんなつじつまが合わないのだ。というわけで、我々あさま組の面々は、なんとしてもその証拠を掴んでやろうと秘かに心に誓っていたのである。

中に入ると、みんな興奮していろいろと中にあるものを物色する。たくさんの本、CD、リモコンだけでも10個近く?あるAV機器。ここで、夏目さんはいつも仕事をしているんだね~と、各自が想いを馳せる(といいつつ、皆、何を感じていたのかについては、定かではない)。

勉強会開始。いつもと違って時間を制限する必要がない。心置きなくディスカッションできる。アットホームな雰囲気のなか、あっという間に一時間半が経過。ときおり兄貴に編集者としての意見を求めながら、議論を深めていく。いつもと違う人がいると、視点が広がってとても勉強になる。休憩タイム。兄貴のウクレレ・ミニコンサートを楽しみながら、Yさんの美味しい手作りケーキを食べ、夏目さんが手回しで豆を挽いて淹れてくれたコーヒーを飲む。夏目さんがリクエストに答えてクラリネットを演奏する。このときの様子の面白さはは、筆舌に尽くしがたいものがあったので、あえて割愛する。が、この貴重映像は、Yさんによって近日中にYoutubeにアップロードされる予定である。

3時ごろに始まった勉強会は7時ころまで続いた。ご苦労様! そして、中華街に移動して夏目さん馴染みの高級中華料理店「東光飯店」で乾杯。料理もとっても美味しかった。話が弾んで、気がつけば、もう10時。いや~、ホント、一日堪能しました。イメージどおり、百点満点の展開。こうして春のスペシャル企画は、大盛況のうちに解散のときを向かえた。

家に着くと、夏目さんからメールが届いていた。港の見える丘公園の綺麗な桜を背景に、全員が写っている集合写真が添付されていた。なんだか妙にジーンと来た。あさま組で集合写真なんて撮ったの初めて。一生の記念になる一枚かも知れない。みんな、これからも頑張って翻訳しよう。助け合い、励ましあい、刺激しあいながら。また、来月会いましょう!

~レポート完~

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エピローグ

ちなみに、夏目さんの家には「あかずの間」というのがあって、そこには誰も足を踏み入れてはいけないとされた。どうやら、やばいもの、危ないものはすべてそこに押し込まれたらしい。皆、そこに何があるのかとても気になっていた様子だった。だけど、さすがに中を覗いたりした人はいなかっただろう。――僕以外には。そう、実は、僕はトイレに行ったふりして、こっそりこの「あかずの間」のドアを開けて、中を覗いてみたのだった。そしたら、部屋の中にはもう一人の夏目さんがいて、コツコツと仕事をしていた。やっぱり、夏目さんは二人いたのだ。「お疲れ様です」って言ったら、「あいつが横浜フラフラばっかりして全然仕事しないから、俺は大変なんだよ」とぼやいていた。まあ、どっちも夏目さんだからどちらかを責めたり同情したりすることはできない。だから、「いやでもお互い持ちつ持たれつじゃないんですかね。あの人が頑張ってブログ書いてるから、あなただって人気を維持できるわけだし」と慰めておいた。ともかく、長年の疑惑が晴れて、すっきりした気持ちになった。というわけで、これから夏目さんと会ったりメールしたりすることがある人は、それがどっちの夏目さんなのか、心のなかでこっそり確認してみてくださいね。

――Dead or Alive――愛と青春の荒川市民マラソン激走レポート in 板橋 2008

2008年03月16日 23時47分39秒 | 怒涛の突撃レポートシリーズ
いよいよ荒川市民マラソンのレース当日だ。7時前に起床。目覚ましは6時半に合わせていたのだけど、少しまどろんでしまった。1分でも多く休養をとりたいというアスリートの本能なのかもしれない(なんて)。とはいえ、9時にレースはスタートする。あと2時間しかない。やばい、大丈夫か? ここまで盛り上げといて、遅刻なんてしゃれにならん。大慌てで15分くらいで準備をして家を出る。

マラソンの会場は、埼京線の浮間舟渡駅から歩いて15分くらいの場所にある荒川の河川敷だ。遅れているのと足を消耗したくないので、家から武蔵境の駅までも、普段はめったに乗らないバスで行く。バスはグットタイミングで来た。武蔵境から新宿までの中央線の電車も、ホームに着くとすぐに現れた。思ったより早く目的地に近づいている。今日はツイてるのかもしれない。駅のキオスクで、ミネラルウォーター、英字新聞、それからビールを買う。ミネラルウォーターはランナーとしての自分に、英字新聞はトランスレーターとしての自分に、そしてビールはゴール後に――もし生きてゴールできたら――、サヴァイバーとしての自分に。

行きしなに買いしビールをゴール後に飲めると信じてリュックに詰め込む

電車のなかで、昨日会社から持ち帰った、大会事務局から送られた封筒の中に入っていたパンフレットを読んでいたら、「ナンバーカード引換券の紛失・忘れによる再発行は手数料200円が必要です」と書いてあった。つまり、昨日わざわざ会社まで行ったのに、200円払えば済んだのだ。でも、このパンフレット自体も会社に置いたままにしていたのだから、それもわからなかった。しかたない。キーボードエラーと一緒だ。「キーボードエラー:ESCキーを押してください」って、だからキーボードが使えないんだっつーの。

河川敷につく。ものすごい人だ。マラソン走る人だけでも、一万五千人もいるのだ。受付までが遠い。途中、「完走ラーメン」という屋台の看板が目に入る。おお、これはゴールしたら絶対食べなあかん、と思う。俄然、気持ちが高まる。結局、受付場所に着いたときは、受付時間終了時間の8:30を10分くらい回っていた。スタートまであと20分くらいしかない。急いで受付を済まし、着替える。ノースリーブのランニングシャツに、ゼッケンをつける――しおしおの4040番を――。いつものことなのだけど、このゼッケンをつけるのが苦手だ。面倒だし、うまくつけれない。僕にはこういうアパレル的なセンスがまったくないのだ。表と裏、合計で8箇所に安全ピンを留めなければならない。時間がどんどん過ぎていく。なんとか終わらせて、荷物置き場にいく。4040の名札をつけて、テントに荷物を預ける。それから、持ってきた絆創膏を乳首に貼る。これをしておかないと、長時間走っていると乳首がシャツで擦れてしまって、痛くなるのだ。ピグレットの絵が入った絆創膏を貼る。家にこれしかなかったからだ。ふと、不吉な想像が頭をよぎる。もし、レース中に突然死してしまった場合、僕の遺体には、両乳首にピグレットの絵が入った絆創膏......。生きてゴールしなければという決意がいっそう固まる。バタバタしていたら、軍手が片方どこかにいってしまった。しょうがないから片手にだけはめて、スタート地点に向かう。かっこ悪い。しかし、こういうドタバタは毎回のことなので、実はけっこう冷静だったりする。スタート地点についたと同時に、9時のスタートの号砲が鳴った。今回も、こんな「戦後のどさくさ」みたいなスタート。なんだかな。まあ、前回よりまし。前回は、トイレで行列待ちしてたらレース始まっちゃったからな~(回想、そして苦笑)。これからおそらくあと5時間。いったいどんなドラマが待っているのだろうか。ゴール地点となるこの場所に、戻ってくることができるのだろうか。頭も体もまだ覚醒しきれていない。ともかく、審判の日がやってきた、そんな気がする。

夢うつつ準備体操しないままレース始まる審判のとき

とにかく完走することが目標なので、ゆっくりゆっくり体力を消耗しないように走る。すり足でこっそりと走る。調子は良いのか悪いのかもわからない。だけど、なんとなくしっくりこない。そうこうしているうちに、最初の給水所に来た。僕はこの給水所がとても大好きなのだ。ブドウ糖をかじり、水を飲む。水を頭からかぶる(まだレースは始まったばかりなのに、頭から被ってるのは僕くらいだ)。ようやく、体が目覚めてきた。ブドウ糖っていうのは、見た目は石灰みたいな白い粉の塊で、それが氷砂糖くらいの食べやすい大きさに砕かれているのものだ。僕も3年前のこの大会で初めて見て、食べた。ちょっとすっぱい味がする。つまり、なんというか、まさにブドウ糖そのものなんだと思う。効果はかなりある気がする。すぐにエネルギーに変わって、走るための燃料になってくれる。これはマラソンに限らず、頭脳労働者にもいいのではないかと思ったりする。翻訳者も仕事しながらブドウ糖かじってみてもいいかもしれない。

ブドウ糖納品前にもかじりたい

黙々と走る。だんだん調子も出てくる。天気が良くてよかった。花粉もそんなに気にならない。雲の切れ間から、太陽が顔を出す。河川敷の荒涼とした風景の頭上から、光が降り注ぐ。なんだか神々しい。遠藤周作的な文学的世界を感じる。この大会は1キロごとに標識を立ててくれているので、とてもわかりやすい。5キロごとに、タイムの表示もある。ただ、僕は今回タイムにはこだわらないつもりなので、腕時計はしていない(というとなんかかっこいいけど、要はタイムを気にするほど速く走れないということです)。iPodも持たなかった。頭から水を被りたいというものあるし、マラソン本番くらいは、音楽を聴かずに自分自身としっかり向き合いたいと思ったからだ。ようやく5キロの標識が見えてきた。どんどんと進んでいく。でも、まだ先は長い、あと37キロもあるのだ。考えたら気が遠くなる。とにかく、足を動かし続けるしかない。心には、浮かんできた想念を、そのまま自由に泳がせるしかない。

10キロ、15キロ、ひたすらに突き進む。沿道では、和太鼓の演奏をする集団がいくつもあって、応援をしてくれている。その他にも、沿道から声をかけてくれる人たちは、下町っぽく人情味あふれる感じがしてとてもよい。こうやって人のやっていることを素直に応援できる人って、すごいな~と思う。そういう人は、基本的に元気なのだ。人間が豊かなのだ。15キロ地点では、早くも先頭集団が折り返してくる。風を切るように。馬のように。相当に速い。同じ人間とは思えない。たぶんこのスピードには、100メートルだってついていけない。

スタート地点ではあれだけ密集していたランナーも、このあたりにくると少しだけばらけてくる。女の人もたくさんいるし、年配の人も多い。70代と思われるランナーも多い。おばあさんが、ゆっくりゆっくり走っている。そして、なぜか僕を追い抜いていく。ランナーの足は綺麗だ。足をみれば、その人が日ごろから練習している人か、そうではないかはすぐにわかる。50代でも、60代でも、顔はおっさんでも、走りこんでいる人のふくらはぎのあたりは、とてもすっきりとして美しい。筋肉に無駄がないのだ。

ようやく折り返し地点。膝は大丈夫か、足首は大丈夫か。痛みはあるが、走れないほどではない。ひょっとしたら完走できるかもしれない、という希望が湧いてきた。だけど、油断は禁物だ。膝だって急に痛くなるのだし、太ももだってふくらはぎだって、いつ痙攣するかわからない。走り始めて2時間と少し、20キロも走っていると、かなり足が棒になってきた。左足の甲も痛い。だけど、半分過ぎたと思ったら、だいぶ気が楽になった。それでも、これから先あとまだ20キロ以上走らなければならないと思うと、冗談みたいな気がしてくる。よくみんな、こんな辛いことやってますね。フルマラソンの大会は、常識が通じないところで成り立っているのだ。

冗談は顔だけにしてくれよとゴチりつつ折り返し地点のポールを回る

相変わらず、給水所では食べまくり、飲みまくり、水を被りまくる。いろいろなものを用意してくれている。ブドウ糖、菓子パン、オレンジ、バナナ、スポーツドリンク、ミネラルウォーター、などなど。走るために食べるというよりも、食べるために走っている感じ。ボーイスカウトの少年少女が給水を手伝ってくれている。とてもありがたい。いい社会勉強にもなるだろう。だけど、苦しみの渦中にいる大人は飲み終えたカップを道端に投げ捨てるは、ありがとうの一言もいわないわ、いい気なもんである。子供たちに、人間っていざとなったらこんな利己的な行動をするもんなんだな、と思われている気がしてなんだか申し訳ない。それでも、やっぱり子供ってけなげだ。いいもんです。少女が大きな声で「がんばれ~」と応援してくれている。ずっと声を張り上げている。これはもう、天使だ。手と手を合わせる。なんだか、この瞬間を味わえただけで、この大会に参加した価値があったと思った。それにしても、完走ラーメンまであと2時間半、走り続けられるのか?

ついに30キロ地点。もう足がかなり痛い。かなりやばい。1キロ1キロが、異常に長く感じる。でも、つらいのは僕だけじゃない。歩いているひとも多い。道端でうずくまっているひともいる。倒れたランナーを乗せた救急車が通り過ぎていく。まるで戦場のようだ。でも、マジでゴールが見えてきた。いけるかもしれない。と、思っていたら、ちょっとトイレに行きたくなった。しかも大の方に。前日からいろいろと食べ過ぎていたし、給水所でさんざん飲み食いしていたので、なんとなくもよおしてしまったのだ。我慢できないほどじゃないけど、すっきりして残りを走りたいと思ったので、F1マシンがピットインするみたいに、ハンドルを切って道端のトイレに入る。

和式だった。しゃがむと膝の屈伸運動にもなって、ちょうどいい。ストレッチしたと思えば、時間のロスも気にならない。用を足して、立ち上がろうとした。するとその瞬間、腰に激痛が走った。ぎっくり腰になってしまったのかもしれない。動けない......。やばい......。

32キロ地点ついに力尽きるパンツ下ろしたまま和式トイレで

立ちくらみもする。必死に手すりにつかまる。たまに、和式トイレに入ると、立ち上がる瞬間腰に激痛が走ることがある。もう30キロ近く走り続けていて、腰にも相当負担がかかっているはずだ。まさかこんなところで終わりを迎えるとは。しかも、このままずっとトイレで身動きとれないまま、誰にも気づかれなかったらどうしよう。このまま、パンツも上げれないまま、夜になったらどうしよう。どうやって帰ればいいのか。誰かに気づいてもらったとしても、このままタンカで運ばれるのだろうか。今回も、リタイア.....? ああ、衝撃の結末......。

ということが一瞬脳裏をよぎったのだが、そこは気合で立ち直り、なんとかコースに戻りそのまま走り始める。だだし、腰が痛くてパンツを上げられない。しかたなく、下げたまま、下半身丸出しのままで激走を続けた。というのはウソだ。腰の痛みはやがてすぐに消えた。それにしても、あぶなかった。

35キロ地点で大会名物のシャーベットを食べる。あと7キロ。これが長い。もう辛い。心が折れそうだ。でもがんばる。37キロ地点で、沿道で一人ポツリと応援してくれていた30代後半くらいのお兄さんが、おもむろにラジカセのスイッチを入れた。映画『ロッキー』の感動のラストシーンのあの曲が鳴り出した。お兄さんは、「がんばれ~」と応援してくれている。ウケタ。今日一番笑った。元気になった。沿道に塩を持って立っているおじさんがいる。「けいれんには塩が効く」と書かれてある。塩舐めさせてもらう。美味しい。40キロ地点、もう限界を通り越している。それでも走り続ける。足が痛い。沿道にメイド姿で応援してくれているお姉さんがいる。笑った。ハイタッチ。41キロ。あと1キロだ。がんばれ、自分。遠くに、ゴール地点が見えてきた。

そして、ついに感動のゴール!!

!!!!! ━━━━━━\(゜∀゜)/━━━━━━ !!!!!

タイムは4時間53分。ネットタイムはおそらく4時間40分台の後半。まさに、「しおしお」のゴール。自己ベストには大きく届かなかった。あんまり大した記録じゃないけど、今回は完走できたことだけで満足。よかった~!! 俺、確かに生きてるよね!! ふぅ~。疲れた~!!

荷物を受けとり、着替えをして、朝買ったビールを一気飲み。そのあと、勝利の「完走ラーメン」を食べる。美味しい。いや~、ようがんばった。天気が良かったので、かなり日焼けしたみたい。

これから2時間かけて家に帰る。これがまたしんどいのだ。でも、まあいい。ゴールできたのだから。俺、ご苦労様。また来年も走ろう。ランニングは一生続けたい。やってて楽しいし、心身の健康にもとてもいい。だけど、ランニングに一番の重点を置くことはできない。一番大切なのは、翻訳なのだ。翻訳Loveの実践を、また明日から始めるのだ。みなさん、応援ありがとうございました。イワシは、これからも走り続けます。


~レポート完~


P.S.
今回も大会のパンフレットを見ていたら、面白いチーム名がありました。紹介しましょう。まず、「ランニャーズ」可愛いですねこれは。猫好きな人たちのランニングサークルでしょうか。それから、「チームひとり」。ひとりで練習して、ひとりで大会に出てるんでしょうね。僕もそうです。普通、そういう人はチーム名なにも書かないものなんですが、この人は書いた。なかなか乙な人ですね。そして、今回一番インパクトがあったのは、「もしもし相談室」。これ、どうみてもランニングチームの名前とは思えません(^^;。でも、なんか面白くていいですね。走りながら、いろいろ相談しているんですかね。走りながらだと、前向きな、いいカウンセリングできるかもしれないですね。






しおしおな決戦前夜

2008年03月15日 22時39分30秒 | 怒涛の突撃レポートシリーズ
知り合いにばったり出会ったデパートでサザエさんみたいな新宿の夜

目先を変えるために、自分に刺激を与えるために、通勤経路を変えた。これまでは、まず中央線で武蔵境から荻窪まで行き、丸の内線に乗り換えて中野坂上で降りていた。それを、武蔵境から新宿まで一直線で行くことにした。本格的に新宿の人になることしたのだ。車内の読書時間もちょっとだけ増えたような気がして嬉しい。新宿から会社までは、歩いて20分かからないくらいだった。ちょうどいい距離だ。さっそく昨夜、帰りに新宿をブラブラしてみた。新ブラだ。ブラブラするといっても、僕の行動パターンは限られている。やはり書店が一番好きなので、というか他に行くところを知らないので、ブラつくというほどウロウロもせず、おもむろに小田急のデパートに行って、10階の三省堂で立ち読みした。さあ帰るかと思ってエスカレーターで下に降りていたら、知り合いにばったり出会った。彼女も、会社の帰り道だった。ウィンドウショッピングをしていたのだという。会社帰りにデパートブラブラするのって、楽しいですね、なんてことを話す。彼女もJRなので、そこから改札抜けるまでの間を、数十メートルだけ一緒に歩く。ところで、知り合いに都心のデパートでばったり会うのって、サザエさんっぽいと思ってしまうのは僕だけでしょうか。なんとなく、ほっこりした気持ちになるというか。

身の置き場変えブラッと化する自分

これまでと違う場所に身を置いてみる。最寄り駅を変えるだけでも、ずいぶんと刺激になる。これからは暖かくなってきたし、まっすぐ家に帰るのではなく、たまには新宿をブラりしてみよう。徘徊するだけの価値はある街だ。ちょっと怖いけど。新しい街、新しい駅。ほんのちょっとのことだけど、見えている世界が、棲んでいる世界が変わった気がして、なんだか嬉しい。

明日はマラソンなので、今日は家でのんびりしていたかったのだけど、昨夜、重大なことに気づいた。マラソン大会の事務局から郵送で送ってもらっていたナンバーカードの引換券を、会社に置いたままにしていたのだ。これは受け付けのときに必要なのだ。アホである。一気にブルーな気持ちに包まれる。もしかしてカードがなくても受付してくれるかもしれないと思って、今朝になって事務局に何度か電話したけど誰も出ない。電話受付は、平日しかしていないということらしい。Webにも、カードを紛失した場合についての情報は見当たらない。しかたないので、会社まで取りに行くことにした。もう気分はがっくり、しおしおのパーである。体がちっとも休まらん。それ以上に心が休まらんぜ。ひどい、ひどすぎる。ああ、マラソンの神様はなんて厳しいお方なの。

忘れ物取りに土曜日会社まで行かなきゃならないこの罰ゲーム何

新宿で降りて、会社まで歩く。まあ、実際にこうして来て見ると、土曜日の新宿も悪くない。街は、いつもとは違った顔をしている。会社に着くと、上司が一人で仕事をしていた。なんだかすぐに帰るのも悪い気がして、自分の机周りをひとしきり掃除してしまった。何やってんでしょうか私は。カードは無事にあった。そのまま家に帰るのもしゃくなので、三越にあるジュンク堂にいく。京都人としては、ジュンク堂には特別な思いがある。やっぱりいい、ここは。本好きにとっては、お菓子の家だ。たちまち脳内でアドレナリン革命。タウリン400mmグラム配合。あっという間に時間が経過。夕暮れだ。

書店より他に行く場所を知らず休日は活字の森の中で過ぎ行く

家に帰りとんかつを食べる。嫁と二人で米、2.5合なり。食べたのはほとんど僕。エネルギーを蓄えなくてはいけないと思って。さらにパンや果物を食べる。餓鬼のように食べる。酒は、しばらく前から飲んでいない。明日のために。明日浴びるほどのむために。最大限に飲むために。そういえば、会社の同僚の女性が、週末はマクロビ(マクロビオティックダイエット)の料理をするとだといっていた。なので、僕も、日曜日はマクロビするつもりだと言っておいた。つまり、マクロビールダイエット。ビールを最大限に(マクロに)飲むダイエットというわけ。

マクロ「ビール」ダイエット親父ギャグ飛ばして悦に入る我に明日天誅下る

明日の準備をする。忘れ物しないように、いろいろリュックに詰め込む。ナンバーカードをみたら、番号は、4040番だった......。「しおしお」だ。不吉な予感...。いい風に考えれば、無事完走、タイムは4時間40分? でも、やっぱり嫌。だって、死が二つも並んでますから。ヲイヲイ、ホント勘弁してください。ぶっちゃけ、ゼロをnullと読めば「シヌシヌ」.......? マジで、僕にとっての明日のゴールは、三途の河を渡ったところにあるのかも知れません。まあ、いっか。

そんなわけで、明日、いよいよ本番!! 死ななければマラソンレポート書くつもりです。乞うご期待!! 

4040404040404040404040404040404040404040404040404040

『ひとり仕事術』中本千晶
『ひとり仕事術 時間管理編』中本千晶
『英語は頭から訳す』竹下和男
をジュンク堂で購入

『現代短歌そのこころみ』関川夏央
『知識ゼロからの俳句入門』金子兜太
『身の丈起業塾』前田隆正
『56歳での起業。』中嶌 重富
を読了




K賀山山岳会、第一回活動報告

2007年11月17日 23時57分23秒 | 怒涛の突撃レポートシリーズ
――11月13日、午前9時。小田急線伊勢原駅。改札口は、カラフルないでたちの登山客でにぎわっていた。土曜日の朝ともなると、休日の山登りを待ちわびていたかのように、こんなにもたくさんの人が意気揚々と丹沢のふもとに集まるのだ、と知り驚く。登山靴にリュック、ジャンパーに帽子。みな、一目みるだけで、山慣れしていることがわかる。なるほど、登山するときはこんな格好をするのだ。と思いながら、僕はジョギングスーツにカジュアル・ジャンパー、帽子なし、リュックではなくバックパックという素人丸出しの格好で改札口に立ち、二人を待っていた。そう、今日は、結成されたばかりの加賀山山岳会の、記念すべき第一回大会、『~由美かおるを探せ~黄門様ご一行がゆく丹沢秋の旅 2007』が開催されるのである。

ウロウロしていると、すぐに葛巻さんの姿が。さすが、彼女は登山の経験が豊富なだけに違う。周りの登山客と一緒で格好がいい。見事にその場の空気に溶け込んでいる。今日はカメラマンとしてもよい写真をたくさんとってくれるだろう。話もはずみ、気分が高まってきた。

そのとき、一人の男が、改札口をくぐりぬけ、風を切ってさっそうと姿を現した。見覚えのある長身が、今日は見事までにハードボイルドな登山家に変身している。そう、ほかでもない、この人こそ、加賀山山岳会初代会長兼ミステリー翻訳家のK賀山T朗氏であった。

加賀山さんは軽く挨拶をすますと「さあ、いきましょう」と、長いコンパスを使ってぐんぐんとバス停に向かって歩いていく。この行動力。この揺ぎない自信。――彼にならどこまでもついていける、いや、ついていこう。そんな決意にも似た思いを脳裏によぎらせつつ、小走りに後ろをついていく。伊勢原駅北口からバスに乗り、日向薬師へ。20分ほどの旅だ。加賀山さんは、今もかなりお仕事が忙しいとのこと。でも、今日は別だ。景色も変われば気持ちも変わる。3人とメンバーは少なくなってしまったものの、日常から離れ、楽しいハイキングを楽しめそうな予感がする。

バスを降り、急な階段を15分ほど登って、日向薬師本堂へ。なかなかのお寺である。それもそのはず、日本三大薬師の一つなのだそうだ。すごい。でも、ちょっと待て。そもそも薬師って何? と考えてその場ではわからなかったのであるが、今調べてみると、薬師とは薬師如来を本尊とする寺院の略称ということらしい。

加賀山さんは、賽銭箱に硬貨を投げ入れると、神妙な面持ちで仏様に向かって手を合わせていた。何を祈っているのだろう。ご家族のこと、仕事のこと、そしてきっと、(来年も、某○ェローアカデミーで、よい授業ができますように)と願っていたに違いない。

いよいよ登山口に入り、七沢展望台へ。大自然の中にいると、空気が美味しい。今回の企画は、当初『~日英米同時登山敢行~ 衝撃のリトビネンコ暗殺ツアー in 丹沢 2007』と題したハードボイルドな登山になる予定だったのであるが、生命のリスクを察知した女性陣から早々に辞退者が続出。まさかの展開に心を悩ませた加賀山さんが「山よりも生徒」との英断を下し、ハードルを下げた結果、軽めのハイキングという道程が組まれていた。しかし、それでもなお参加メンバーの招集は困難を極めた。当日が近づくにつれ、それぞれにやむをえない事情を抱えた加賀山組のメンバーが、断腸の思いで次々と不参加の報告を告げてきたのである(中村さん、ご結婚おめでとうございました!)。その結果、「一眼レフ」葛巻さんと、「お調子者」児島をそれぞれ助さん角さんとして引き連れた黄門様(加賀山さん。本人はやしち役を希望)が、丹沢の山中をほっこりと歩くというツアーに形を変えていた。それから、由美かおるとしての参加に一縷の希望が託されていた多田羅さんから、早朝ご丁寧に不参加の連絡のためにお電話をいただいたことを、忘れずに記しておきたい。多田羅さん、ありがとうございました。

登山の経験が豊富なお二人の話に花が咲く。加賀山さんがいう。
「こうして景気のよいところから下界をながめていると、東京で流行っていることの9割が、実はどうでもいいことだっていう気がしてくるよね」
ほろりともれた本音だろうか。精力的に訳書を上梓し続け、押しも押されぬ第一線の翻訳家として活躍する彼も、ただ時代の波にのり、仕事に翻弄されているのではない。この達観があるからこそ、あれだけの仕事ができるのかもしれない。そう、たしかに私たちは、下界にいるとき、どうでもよいことに右往左往して生きている。ゆったりとした気持ちで、静かな山の中を一歩一歩すすんでゆくと、俗世であたふたしている日ごろの自分の姿が、遠い下界にいる別人のように浮かんでくる。登山の魅力が、少しだけわかったような気がした。

その後、児島がクモの巣にいたずらしたところゴミ廃棄と間違われて自動警報を鳴らしてしまうなどのアクシデントに見舞われながらも、無事、本日のゴールとも呼べる展望台へ。こじんまりとした鉄筋の造りで、階段があり高いところから厚木方面を展望できるようになっている。…しかし、高く伸びた雑木の手入れがされていないため、展望台の上からは、木で前がまったく見えず(^^; 一同苦笑。まあ、こんなこともあるさ、と温泉に向かう。

加賀山さんが予め調べておいてくれたのは、「七沢荘」。『日本名湯百選、美肌の湯ベスト9』を謳う温泉宿である。ベスト3でも10でもなく、ベスト9。このあたりに、この宿のただ者でなさを予感しつつ、玄関に鎮座する白犬(なぜ?)を回避しながら中へ。食事とお風呂が込みで3時間のコース。食事の時間は、団体客が来るので、少し遅いが12時半にしてといわれる。帰りのバスの出発時間は、1時5分。これを逃せば3時まで次はこない。食事時間が30分ではいかにも短いと気づいた加賀山さんが、すかさず「もう少し早まりませんか」と大人の一言。すると受付のおっさんはぶっきらぼうに「無理です」とそっけない回答。(^^; いい商売してます。それにしてもこのおっさん、まさかこのお方がパーカーやチャンドラーを訳しているハードボイルドトランスレーターだとは気づくまい。プロ翻訳家の哀愁の漂う日常を垣間見る。

加賀山さんと二人でがらんとした温泉に入る。まさに男同士、裸のつきあい。なんとも緊張である。温泉は水質がヌルヌルして気持ちいい。まだ午前11時、普段なら家にいて休日の始まりをぼんやりと考えているころなのに、はるばる丹沢まできて温泉に入っている。なんだか不思議な気持ちになる。しかも横にいるのは天下の加賀山さんなのだ。そう、このチャンスに話をせねば! 仕事のことなどいろいろと質問したり、軽い悩みを打ち明けたりする。若輩者の愚問に快く答えてくれる加賀山さんに深く感謝。ちなみに、今回のハイキングのミッションとのひとつに、加賀山さんのプロマイド(死語)を撮影する、というものがあった。というのも、今期、学校に通わず自宅で翻訳の学習を続ける生徒の何名かより、孤独に陥りがちな勉強中、机の上にお守りとして立てかけておく加賀山さんの写真が欲しいというリクエストが強く要望されていたためである。その期待に答えるべく、葛巻さんはわれらが師匠の写真を撮影してくれていた。ちなみに、彼女が果たしてこの入浴シーンを隠し撮りしていたかどうかは、定かではない。実際、男湯は外から丸見えだった。今後、盗撮された加賀山さんのヌード写真が、闇ルートで流出する可能性がまったくないとは言い切れない。

温泉を出ても、まだ食事まで時間はたっぷり1時間もある。どうやら、ハイキングの時間が短すぎたようだ。旅館内の中庭のテーブルで、ゆっくりと時間が流れていく。加賀山さんが、持参したバーナー、コッヘルをおもむろに取り出し、お茶を入れてくれる。手馴れた様子で道具を扱うその姿は、まるでトカレフに銃弾を詰め込むスナイパーのよう。う~ん、これぞまさにハードボイルド。いろいろと登山をされたなかで、南アルプスや、八ヶ岳などがよかったと教えてくれる。次回はもっとたくさん歩きたいと思ったが、果たしてメンバーは集まるか?という話題に。頂上で青空翻訳教室を開催したら、依田さんが参加してくれるかも?

少し早めに座敷にいくと、おっさんの無理宣言をよそに、12時半を待たずにおばさんが豪華な食事を運んできてくれた。とても美味しい料理だった。宿も、働いている皆さんも、なんだか味があって、とても面白い。それにしても、この四月に初めて顔を合わせた人たちが、何かの縁でこんなに仲良くなり、このような企画が実現するとは、なんて素晴らしいことだろうと思う。長南さんの提案ではじまったメーリングリストが大きな役割を果たしてくれていることに感謝。そして、すべては加賀山さんのすばらしい人柄と、個性的で優しく、翻訳への情熱に燃えているみなさんのおかげだ。ご飯を食べながら、楽しかった思い出話に爆笑する。岡村さんと加賀山さんのやりとりがいかに面白かったか、という話で盛り上がる。お二人の掛け合いは、話芸の域に達しておりました。

楽しい一日に感謝しながら、厚木駅までバスでひた走り、小田急線に。お二人とは、新百合丘の駅でお別れだ。加賀山さん、葛巻さん、ありがとうございました。皆さん、次回、ぜひお会いましょう。多謝!

~完~

と、ここまでは加賀山MLに投稿したネタを流用。
その後、少し時間があったので、ひびや図書館にいき、通訳学校。

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ひびや図書館で、10冊借りる

『暇がないから読書ができる』鹿島茂
『スティーブン・キング』風間賢二
『平原の町』コーマック・マッカーシ著/黒原敏行訳
『スター・ウォーズ ローグ・プラネット』グレッグ・ベア著/大森望訳
『バゴンボの嗅ぎタバコ入れ』カート・ヴォネガット著/浅倉久志・伊藤典夫訳
『現代作家ガイド2 スティーブ・エリクソン』越川芳明
『もっとも危険な読書』高橋源一郎著
『百年の誤読』岡野宏文・豊崎由美著
『情報はなぜビットなのか』矢沢久雄著
『BRAZIL』John Updike著