「監査イベント翻訳」ではなく、「関西弁と翻訳」について、
大きくは、「方言と翻訳」についてほんのちょっとだけ考えてみたい。
たま~にですが、翻訳本や映画の字幕なんかで、
いかにも田舎くさい登場人物が、なぜか東北弁を喋っていたり、
いかにもガラの悪そうなお兄さんが、
やっぱり関西弁を喋っていたりということがありますよね。
皆さんも同じ印象を持つのではないかと思うのですが、
そんなとき、訳者の気持ちはまあ、解せないことはないけれど、私は、
「ちょっと違うんだよな~」という釈然としない印象を持ってしまいます。
突然、外国人が演じる登場人物の口から、それらの方言が出てきた瞬間、
「外国には青森も大阪もないだろによ。」という醒めた現実意識が首をもたげて
くるのではないか、というのが、
あえて言えば、違和感を感じる理由のような気がします。
でも、ここで問題になるのは、オリジナルの言語で喋られているのが、
明らかにネイティブならそれとわかる、どこかの地域の方言だとしたら、
それをどうやって日本語に置き換えればよいのか?ということです。
例えば、南部訛りの英語を喋る登場人物の英語は、どう訳せばよいのか?
「南なら九州弁にすればよかにきまっとろうもん。なんばいいよっとね。」
と言う人は少ないのではないでしょうか?
かといって、どことの方言ともつかない、「オラは、○×だべ」なんて
言葉遣いもしたくないし。。。
と、ここまで言っておきながら、自分でも、
どうすればよいかは、よく分かりません(笑)
私なら、ちょっと標準語をアレンジした感覚で、それとなく他の登場人物とは
違う喋り方にするように心がける程度にとどめるような気がします。
因みに、「標準語」と書いてしまいましたが、私は一般的に使われている
この言葉の定義があまり好きではありませんし、
なにをもって標準とするのかは、難しいところがあると思っています。
私は、生まれたときからさすらい人のようにして西日本各地を転々と
してきたので、残念ながら自分自身の母国語的な言葉を持っていません。
その時々で、住んでいる地方の言葉を喋ってきました。
(子どもだと、そうしないとすぐに馬鹿にされてしまうのです)
因みに、関西にも14年間、済んでいました。
生まれたのは鹿児島です。博多(親父)と山口県のヘキ地(母親)のハーフです。
(でも僕の関西弁は、英検に例えれば、2級くらいだと思いますが...)
そんな私からすれば、東京の人が喋る言葉も、かなり
「なまって」いるように思えます。
むしろ、なまっていない言葉を喋る人など、どこにもいないような気が...
話せば長くなりますが、そんな経緯があって、人が喋る方言や、
自分のそれに、ちょっとばかり過敏になっているところがあります。
だからなのか、ステレオタイプなやりかたで、方言を翻訳に使うのは、
ちょっと気持ちが悪いと感じてしまうのです。。
例えが適切かどうかわかりませんが、方言の使われ方として、
主役=白人、脇役=マイノリティみたいな短絡的な人物設定の図式の延長として、
主役=標準語、脇役=関西出身の3枚目
のようななんのひねりもない構図が見え隠れするのが
イヤなのかも知れません。
と、いいつつ、ここだ!というところで、あえて確信犯的に関西弁を
訳に使ってみたいと思うことも多々あります。
時と場合によれば、うまく関西弁の持つ面白さを生かせるはずです。
結論的に言えば、視点変えて、
本一冊まるごと関西弁、語りも喋りもすべて関西弁にすれば、
それはとてもまっとうな翻訳になる気がします。
それこそが、正しい地方言語の翻訳における使用方法ではないか、と。
大きくは、「方言と翻訳」についてほんのちょっとだけ考えてみたい。
たま~にですが、翻訳本や映画の字幕なんかで、
いかにも田舎くさい登場人物が、なぜか東北弁を喋っていたり、
いかにもガラの悪そうなお兄さんが、
やっぱり関西弁を喋っていたりということがありますよね。
皆さんも同じ印象を持つのではないかと思うのですが、
そんなとき、訳者の気持ちはまあ、解せないことはないけれど、私は、
「ちょっと違うんだよな~」という釈然としない印象を持ってしまいます。
突然、外国人が演じる登場人物の口から、それらの方言が出てきた瞬間、
「外国には青森も大阪もないだろによ。」という醒めた現実意識が首をもたげて
くるのではないか、というのが、
あえて言えば、違和感を感じる理由のような気がします。
でも、ここで問題になるのは、オリジナルの言語で喋られているのが、
明らかにネイティブならそれとわかる、どこかの地域の方言だとしたら、
それをどうやって日本語に置き換えればよいのか?ということです。
例えば、南部訛りの英語を喋る登場人物の英語は、どう訳せばよいのか?
「南なら九州弁にすればよかにきまっとろうもん。なんばいいよっとね。」
と言う人は少ないのではないでしょうか?
かといって、どことの方言ともつかない、「オラは、○×だべ」なんて
言葉遣いもしたくないし。。。
と、ここまで言っておきながら、自分でも、
どうすればよいかは、よく分かりません(笑)
私なら、ちょっと標準語をアレンジした感覚で、それとなく他の登場人物とは
違う喋り方にするように心がける程度にとどめるような気がします。
因みに、「標準語」と書いてしまいましたが、私は一般的に使われている
この言葉の定義があまり好きではありませんし、
なにをもって標準とするのかは、難しいところがあると思っています。
私は、生まれたときからさすらい人のようにして西日本各地を転々と
してきたので、残念ながら自分自身の母国語的な言葉を持っていません。
その時々で、住んでいる地方の言葉を喋ってきました。
(子どもだと、そうしないとすぐに馬鹿にされてしまうのです)
因みに、関西にも14年間、済んでいました。
生まれたのは鹿児島です。博多(親父)と山口県のヘキ地(母親)のハーフです。
(でも僕の関西弁は、英検に例えれば、2級くらいだと思いますが...)
そんな私からすれば、東京の人が喋る言葉も、かなり
「なまって」いるように思えます。
むしろ、なまっていない言葉を喋る人など、どこにもいないような気が...
話せば長くなりますが、そんな経緯があって、人が喋る方言や、
自分のそれに、ちょっとばかり過敏になっているところがあります。
だからなのか、ステレオタイプなやりかたで、方言を翻訳に使うのは、
ちょっと気持ちが悪いと感じてしまうのです。。
例えが適切かどうかわかりませんが、方言の使われ方として、
主役=白人、脇役=マイノリティみたいな短絡的な人物設定の図式の延長として、
主役=標準語、脇役=関西出身の3枚目
のようななんのひねりもない構図が見え隠れするのが
イヤなのかも知れません。
と、いいつつ、ここだ!というところで、あえて確信犯的に関西弁を
訳に使ってみたいと思うことも多々あります。
時と場合によれば、うまく関西弁の持つ面白さを生かせるはずです。
結論的に言えば、視点変えて、
本一冊まるごと関西弁、語りも喋りもすべて関西弁にすれば、
それはとてもまっとうな翻訳になる気がします。
それこそが、正しい地方言語の翻訳における使用方法ではないか、と。