イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

コーナーレッター博士の「こなれた訳」研究 ~挨拶文を訳してみよう~ レッスン2

2009年11月10日 19時08分12秒 | Dr. コーナー・レッターのこなれた訳研究
「お待たせしたな、イワナ君、いやイワシ君。では予告通りパート2にいってみよう」
「はい」
「今回は、先週土曜日の試合に出場した我らがヒョードル選手からのメッセージだ。たったの82ワードしかないシンプルな挨拶文だが、なかなかどうしてこういうのが難しいのだよ」
「1ワード10円だとしたら、820円分の仕事ですね。短いし構文も平易だし、専門用語もない。けれど、やはりあなどれません。820円あれば吉野屋ならずいぶん豪華な食事ができます。頑張ります」
「ではさっそく原文を見てみよう」

Hi All,
By this way I would like to thank all my Japanese fans for their support over the last years. I haven't fought in Japan for a long time but I hope I will get a chance someday. I always loved fighting in Japan and the support of the fans I experienced there. I hope you will all watch my fight against Brett Rogers this Saturday and as always I will do my utmost best to win.
Thank you,
Fedor Emelianenko

「オリジナル訳はこうじゃ」

すべての皆様、

日本の私のファンの皆様が何年間もサポートをしてくださっていることに、この場を借りて、こころから感謝の気持ちを申し上げます。長い間、私は日本で試合に出場する機会が残念ながらございませんでしたが、しかしいつか、その機会が得られることを、こころから願っています。

いつも、日本で格闘技の試合に出場したときに日本のファンから温かいサポートを頂きましたことに、とても嬉しく光栄に思ってきました。皆様全員に私とブレット・ロジャースの対戦を今週の土曜日に是非ご覧頂きますことを、心から願っています。
そしていつも私は、勝利のためにベストを尽くします。

どうもありがとうございます、感謝いたします。

Fedor Emelianenko


「そしてワシの試訳はこれじゃ」

日本の皆様へ

何年にもわたる皆様からの温かいご支援に、この場を借りてこころからの感謝を申し上げます。残念ながらここしばらくは日本で試合に出場する機会がありませんでしたが、ぜひまた日本で闘いたいと思っています。私はファンの皆様の熱い応援がいただける日本で試合をすることが大好きです。
今週土曜日のブレット・ロジャース戦を、ぜひご覧ください。私はいつものように、勝利のためにベストを尽くします。

感謝を込めて

Fedor Emelianenko

「では前回と同じく、区切りながらみていこう」

---原文
Hi All,

---オリジナル訳
すべての皆様、

---コーナーレッター試訳
日本の皆様へ

「”すべての皆様、”はちょっと日本語として不自然じゃな。原文には”Japanese fan”とは書いてはないが、ここは文脈を汲み取って”日本の”と入れてもいい局面だと思うぞ」
「英語では最後にカンマが入りますが、日本語ではこれを省略する方が自然ですね」

---原文
By this way I would like to thank all my Japanese fans for their support over the last years.

---オリジナル訳
日本の私のファンの皆様が何年間もサポートをしてくださっていることに、この場を借りて、こころから感謝の気持ちを申し上げます。

---コーナーレッター試訳
何年にもわたる皆様からの温かいご支援に、この場を借りてこころからの感謝を申し上げます。

「前回と同様、オリジナル訳は少々冗長ではないかな。”の”の三連チャンを避けるのはセオリーでもあるぞ。ワシの場合は、最初に”日本の皆様へ”としたから、オリジナル訳の”日本の私のファンの皆様…”の部分を”皆様”の一言で表してみた。”my”を”私の”とするのは、日本語では省略できる場合が多い。日本語の文脈では”私”がちょっと強く感じられることもあるから、注意した方がいいぞ」
「この文は、19ワードですね。たったのこれだけを訳すのみで、お新香(90円)と玉子(50円)と味噌汁(50円)が食べられます。こう考えると、翻訳っていい仕事だなあ」
「馬鹿モン、真面目に人の話を聞かんか! それから、どうせならあと7ワード頑張って、味噌汁の替わりにけんちん汁(120円)を頼もうという欲をもたんか。だからお前はいつまでたっても一皮向けることができんのじゃ。じゃあ、次」

---原文
I haven't fought in Japan for a long time but I hope I will get a chance someday. I always loved fighting in Japan and the support of the fans I experienced there.

---オリジナル訳
長い間、私は日本で試合に出場する機会が残念ながらございませんでしたが、しかしいつか、その機会が得られることを、こころから願っています。
いつも、日本で格闘技の試合に出場したときに日本のファンから温かいサポートを頂きましたことに、とても嬉しく光栄に思ってきました。

---コーナーレッター試訳
残念ながらここしばらくは日本で試合に出場する機会がありませんでしたが、ぜひまた日本で闘いたいと思っています。私はファンの皆様の熱い応援がいただける日本で試合をすることが大好きです。

「オリジナル訳は少し”、”が多いですね」
「そうじゃな。それに、細かく見ていくと削れるところがある。”私は”も省略できるし、”ございませんでしたが”と逆接になっているから、その直後の”しかし”も特に必要はないな。ワードバイワードで逐語的に訳すのではなく、あくまで日本語を書き下ろす気持ちでキーを打つことが大切じゃ。まあワシの訳もたいしたものにはなっておらんけどな」
「そんなことないですよ(と、お世辞を言う)。それから、オリジナル訳はパラグラフが2つにわけられていますが、これはどうなんでしょうか?」
「この場合は特に効果的ではなかったかもしれんな。パラグラフ分けは、どうしても、という必然性が感じられるときにだけ使うべき、奥の手だと言えよう」

---原文
I hope you will all watch my fight against Brett Rogers this Saturday and as always I will do my utmost best to win.
Thank you,

---オリジナル訳
皆様全員に私とブレット・ロジャースの対戦を今週の土曜日に是非ご覧頂きますことを、心から願っています。
そしていつも私は、勝利のためにベストを尽くします。

---コーナーレッター試訳
今週土曜日のブレット・ロジャース戦を、ぜひご覧ください。私はいつものように、勝利のためにベストを尽くします。

「前のパラグラフで使われていた”こころから願っています”が今回も出てきていますね」
「うむ。けっこうありがちなことじゃな。決してタブーではないが、これだけ短い文章に2つ同じ文を使うのは避けたいところじゃな。ちなみに後者はひらかなではなく”心”と漢字が使われている。いわゆる用語のブレだな。これもありがちじゃ。ワシも人のことはまったく言えんのだがな」
「博士の訳は淡泊になっているのではないでしょうか?」
「たしかにそうかもしれん。まあこの辺は好みの問題もある。だがひとつ言えるのは、いつも”いい翻訳をしよう”という熱い気持ちを持ち続けることは大事じゃが、それを訳に込めすぎてもいかんということじゃ。ワシもよくやってしまうのだが、あまり熱い気持ちで訳しすぎると、かえって暑苦しい訳になってしまうのじゃよ。吉野屋でい言えば、”つゆだく”が好きな人もいれば、”つゆぬき”が好きな人もいるじゃろう。頼まれてもいないのに、つゆ”だくだく”にしてしまったらいかんのだよ。冷静に燃える――という心構えが大切じゃ。そう、ヒョードルのようにな。フォッフォッフォ」
「(博士の存在自体が十分暑苦しいと思うけどなあ)」
「じゃあイワシ君、また折を見て来るからの。精進を続けるんじゃぞ」
「はい」
「上達できるかどうかは、毎日の積み重ねにかかっておる。誰にも負けない練習をしたものだけが、試合で勝者になれる。ヒョードルの試合をみてそうは思わんかったかの?」
「おっしゃる通りです。これからはこういう無駄な会話をブログに書いているヒマがあったら、仕事に勉強に励むことにします。ですからあんまり博士は登場しないでください」
「フッ。口だけは達者じゃのう。ともかくこれからも翻訳Loveを忘れないように毎日真剣に生きていくがいい。じゃあ、またの」

博士、JR武蔵境駅北口方面に向かってさっそうと歩きだす。

~完~

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そぞろ歩きの会、11/15(日)神楽坂編、参加者募集中です!
みなさまお気軽にご参加を~!

詳しくはそぞろ歩きの会のサイトをご覧ください。

コーナーレッター博士の「こなれた訳」研究 ~挨拶文を訳してみよう~ レッスン1

2009年11月08日 19時30分17秒 | Dr. コーナー・レッターのこなれた訳研究
「おい、ヤモメ君、いや、ヤマメ君」
「イワシです」
「おおこれは失礼」
「コーナーレッター博士、お久しぶりです。ご存命でしたか!」
「なにを失敬な。まあ、人間、下手にちょっと名が売れると、落ち目になったとたんに死亡説がまことしやかにささやかれるようになる。世間なんて冷たいもんじゃ。お前も気をつけるがいい。ところで、ほかでもない。今日のお昼のM-1グローバルのインターネットライブ無料放送。いい試合が目白押しだったな。総合格闘技ファンの君なら、見ただろうと思ってな」
「はい、もちろん画面に釘付けになって見ましたよ。待ちに待ったヒョードルの久しぶりの試合でしたからね。ブレット・ロジャースは決してあなどれない相手だと思っていました。まだ経験は浅いとはいえ、勢いがあるし、個人的には残念ながらヒョードルも下り坂に入ってきているような気がしているんです。本当にヒヤヒヤしましたよ」
「1ラウンド早々、ロジャースの強烈なジャブでヒョードルは鼻から大量出血した。呼吸も苦しくなるし、精神的な動揺もある。血ですべって、活きのいいマグロみたいなロジャースの巨体をグラウンドでコントロールするのもますます難しくなった。危うくパウンドでTKOされかねないシーンもあったな。ワシは心臓が止まるかと思ったぞ。しかし最後は強烈なロシアンフック気味の右ストレートで、熊のようなロジャースが一撃で倒れたな」
「ロジャースも苦労人だし、すごく素朴でいい人みたいだから、複雑な心境でしたね。でもロジャースにはまだ将来がある。今後に期待できますね。そしてヒョードルには、これからヴェヴェドムやオーフレイムなどの強敵が待っている。いよいよヒョードル伝説のクライマックスが近づいてきましたね」
「そして一番美しいストーリーは、UFCに参戦してのレスナーとの頂上決戦だな。それから、ケガール・ムサシのあまりの強さに驚いたぞ。奴は間違いなく天下をとれる器の男だな」
「ところで今日はそんな話をするためだけにここに来たのですか? 一応、ここは博士が翻訳の話をするコーナーになってるんですけど」
「まさか。もちろん翻訳の話をするために来まっとるじゃないか。ワシの頭からは翻訳のことが一秒たりとも離れることはない」
「はい(さんざん格闘技の話をしてたくせに)」

「実は今日の試合をライブ中継してくれたM-1グローバルの日本公式サイトに、代表者の挨拶文が掲載されとってな。英語と日本語の対訳になっとった。こういう文章は、実務翻訳の仕事をしているとよく出てくるからな。ちょうどいいから、これを題材にしてこなれた訳を考えてみたいと思ったんじゃ」
「なるほど」
「さっそくだが、まず原文はこうなっとる」

Dear Fight Fans,
I would like to welcome you to our official Japanese M-1 Global website. On this website we will give you the latest M-1, Fedor and Gegard Mousasi news and last but not least a chance to see all our events live!
Japan has been one of the leading countries in MMA for many years and I think Japan set a standard with their world class events. M-1 is very grateful that it had the chance to organise several events in Japan and we will keep doing this. I hope you will enjoy this website and watch our up coming event together with Strikeforce this Saturday starring Gegard Mousasi, Fedor Emelianenko and more!
Vadim Finkelchtein

「で、サイトの訳はこうなっとった」

格闘ファンの皆様
M-1 Globalの日本公式サイトにようこそお越し頂きました。
このウェブサイトでは、皆様に、最新のM-1や、ヒョードル選手、ゲガール・ムサシ選手のニュース、そして私たちのイベントをライブでご視聴いただく機会、そしてそれ以上のものをお届けします!
MMA界において、日本は長年、とても先進的な国のひとつです。
私は、日本が世界的なイベントのスタンダードを作り上げたといっても過言ではないと思います。M-1は、 日本でいくつかのイベントを運営する機会を得ましたことに感謝し、そしてイベントを開催し続けていきたいと考えています。このウェブサイトを皆様にお楽しみ頂き、今週末の土曜日に開催されるゲガール・ムサシ、ヒョードル・エメリヤーエンコ、そしてその他の選手たちが試合を繰り広げる Strikeforceのイベントを、ご一緒に視聴頂ければ幸いです!
Vadim Finkelchtein
M-1 Global プレジデント

「そして、ワシの試訳がこれじゃ」

格闘技ファンの皆様

M-1 Globalの日本公式サイトにようこそ。
このウェブサイトでは、ヒョードル選手やゲガール・ムサシ選手が活躍するM-1の最新ニュースを皆様にお届けするほか、M-1のすべての大会をライブでご視聴いただけます。
日本は長年MMA界を牽引し、世界最高レベルの格闘技イベントのスタンダードを作り上げてきました。M-1はこれまでに日本でいくつかのイベントを運営する機会に恵まれたことに感謝し、今後もこれを継続していきたいと考えています。皆様、どうぞこのウェブサイトをお楽しみください。今週の土曜日には、私たちがStrikeforceと共催する大会を無料でライブ中継いたします。エメリヤエンコ・ヒョードルやゲガール・ムサシを始めとする選手たちが繰り広げる、熱い闘いにご期待ください。

Vadim Finkelchtein
M-1 Global プレジデント

「最初に断っておくが、ワシはオリジナルの訳がよくないとか、そういうことを言いたいわけじゃない。この訳を素材にして、ワシなりに翻訳Loveを考えてみたいと思ったんじゃ。無料で試合を放送してくれたM-1グローバルへの感謝と、ヒョードルの勝利を祝してな。ひとつの試訳として読んでもらえると嬉しいな」
「はい(能書きが多いわりには弱気だな…..)」
「では、さっそく原文と訳文のセットを、いくつかに区切ってみていくことにしよう」

---原文
Dear Fight Fans,

---オリジナル訳
格闘ファンの皆様

---コーナーレッター試訳
格闘技ファンの皆様

「博士の訳では、”Fight”に対応するのが”格闘技”になってますね」
「確かに原文をそのまま訳せば格闘、すなわちファイトになる。日本でも"格闘ファン"という呼称は使われているから問題はないのだが、ワシはどうもこの言葉が好きではないのじゃ。格闘技の試合を見る、とは言うが、格闘の試合を見る、とは言わんじゃろう?格闘が好きってなんだか釈然としないのじゃ。細かいところなんだがな。オリジナルの訳がそうだというわけじゃないが、原文に惑わされずに、常に自分なりの語感を信じることが大切だぞ。というわけで次いってみよう」

---原文
I would like to welcome you to our official Japanese M-1 Global website. On this website we will give you the latest M-1, Fedor and Gegard Mousasi news and last but not least a chance to see all our events live!

---オリジナル訳
M-1 Globalの日本公式サイトにようこそお越し頂きました。
このウェブサイトでは、皆様に、最新のM-1や、ヒョードル選手、ゲガール・ムサシ選手のニュース、そして私たちのイベントをライブでご視聴いただく機会、そしてそれ以上のものをお届けします!

---コーナーレッター試訳
M-1 Globalの日本公式サイトにようこそ。
このウェブサイトでは、ヒョードル選手やゲガール・ムサシ選手が活躍するM-1の最新ニュースを皆様にお届けするほか、M-1のすべての大会をライブでご視聴いただけます。

「ええと、博士の訳はちょっと短くなってますね。それから原文にはない"活躍"があります。”!”は省略されている。”last but not least”のニュアンスも消えてますね。ここは割愛しすぎではないのでしょうか?」
「ふむ、まあ、そう固いこと言うな。ひとつの試訳ということで寛容な目で見てもらえんかの。まずオリジナル訳の後半の文だが、ちょっと冗長な気がしたんだな。原文に忠実ではあるが、M-1という団体と、ヒョードルやムサシなどの選手が並列に扱われているところもちょっとまどろっこしい。なので、”活躍する”を入れ、文章がすっきりするようにしてみたんじゃ。それから、”!”は日本語には基本的にはないものだから、必ずしも訳す必要はない。もちろん、ケースバイケースだし、あえて使うことで効果的な訳になる場合もある。この場合では、あえて”ようこそ”の後ろに使ってもよかったかもしれんと思ったぐらいじゃ」
「最後の”last but not least”はどう処理すればよかったのでしょう? 本来は“最後に述べるが、重要なことである”みたいな意味ですよね」
「うむ、これは難しいところだな。これはそのまま日本語にするとちょっと浮いてしまうような感じになってしまうことがあるかから、ワシは”さらに”で、さらりと訳す手を使った。ファンなら、ライブで試合が見られる、という情報そのものから、重要度やサプライズを感じ取ってくれるとだろういう願いを込めたんじゃ」
「願いを込める、っていうのも無責任だなあ。まあいいか。じゃ、次」

---原文
Japan has been one of the leading countries in MMA for many years and I think Japan set a standard with their world class events. M-1 is very grateful that it had the chance to organise several events in Japan and we will keep doing this.

---オリジナル訳
MMA界において、日本は長年、とても先進的な国のひとつです。
私は、日本が世界的なイベントのスタンダードを作り上げたといっても過言ではないと思います。M-1は、 日本でいくつかのイベントを運営する機会を得ましたことに感謝し、そしてイベントを開催し続けていきたいと考えています。

---コーナーレッター試訳
日本は長年MMA界を牽引し、世界最高レベルの格闘技イベントのスタンダードを作り上げてきました。M-1はこれまでに日本でいくつかのイベントを運営する機会に恵まれたことに感謝し、今後もこれを継続していきたいと考えています。

「あまりたいした差はないように思うのですが…」
「ふふふ、イワシ君、この違いがわからんとは、やはり君はまだまだ青いな。青魚だけに」
「オリジナル訳では、原文の一文目をふたつにわけてますね」
「そうじゃ。わけることは決して悪くはない。むしろこのような実務的な意味合いの大きい文章では、積極的に取り入れたいテクニックだと言える。この場合も、効果的に使われているとは思うぞ。ワシが気になったのは、オリジナル訳の一文目それ自体じゃ。”MMA界において、日本は長年、とても先進的な国のひとつです。”はちょっと文章としてぎこちない。”one of the”を”のひとつです”とするのは、必ずとは言わないが、できれば避けたいところじゃ。いかにも翻訳調になるからの。それに、”,”がふたつあるのはちょっとリズムがよくない。”先進的”というのも、あくまで個人的にだが"MMA(Mixed Martial Arts=総合格闘技)”とはあんまり相性がよくない言葉だと思うぞ」
「なんとなくですが、言われてみればそんな気もします。でも博士、そういう風に感覚的にじゃなく、もっと理論的に説明してはもらえないのですか?」
「馬鹿モン!」(博士がイワシの頭を叩く)
「痛っ!何をするんですか?」
「Don’t think, feel.」(博士が月を指さす)
「ブルース・リーじゃないんですから」
「理論的に説明したいのは山々なのだが、いかんせんこのスキットを書いている人にそういう素養がまったくないから説明したくても説明できんのじゃよ」
「そうなのですか(やっぱりそうか)」
「ちなみに、PRIDEが全盛期だった数年前、日本のMMAプロモーションが世界一だったという意見は今でも世界中のファンに根強く支持されている話なんじゃ。ワシもそう思っとる。だから、原文の”I think”、オリジナル訳では”過言ではない”となっているところも、ワシはあえて断定的に訳してみた。あんまり訳に個人的な思いを込めてもいかんのだがな」
「ところで後半の訳もオリジナルに比べ短くなってますね」
「オリジナルの、”日本でいくつかのイベントを運営する機会を得ましたことに感謝し、そしてイベントを開催し続けていきたい”も、ちょっと冗長だな。ここはできれば”イベント”は2度使わないようにしたい。ただワシのように”これを”と代名詞で処理してしまうと、かえってわかりにくくなる場合もあるから要注意だ。それから、オリジナル訳で、”organize“を、”運営”と”開催”とパラフレーズしているところはよいと思ったぞ。じゃあ最後の部分を見てみよう」

---原文
I hope you will enjoy this website and watch our up coming event together with Strikeforce this Saturday starring Gegard Mousasi, Fedor Emelianenko and more!

---オリジナル訳
このウェブサイトを皆様にお楽しみ頂き、今週末の土曜日に開催されるゲガール・ムサシ、ヒョードル・エメリヤーエンコ、そしてその他の選手たちが試合を繰り広げる Strikeforceのイベントを、ご一緒に視聴頂ければ幸いです!

---コーナーレッター試訳
皆様、どうぞこのウェブサイトをお楽しみください。今週の土曜日には、私たちがStrikeforceと共催する大会を無料でライブ中継いたします。エメリヤエンコ・ヒョードルやゲガール・ムサシを始めとする選手たちが繰り広げる、熱い闘いにご期待ください。

「原文の"event together with Strikeforce”だが、これは”ご一緒にご視聴”ではなく、”MMAのプロモーション団体であるM-1 Globalが、他団体のStrikeforceと共催する”、という意味だと思うぞ。それから、オリジナル訳は原文と同じくセンテンスがひとつだが、ここはいくつかにわけてもいい局面かもしれん。ワシは3つにしてしまったけどな。わけすぎかな(笑)」
「博士の訳には”無料でライブ中継”という語が加えられていますね」
「まあこれは、難しいところではある。サイト全体が今日の無料中継をフィーチャーしてたんだから、一言入れておくのが親切かなと思ったんじゃ。小さな親切なんとやら、というが、まあこういうことも翻訳ではアリだということを、君に教えてあげたかったんだな」
「なるほど(かならずエクスキューズが入るな)」
「まあ最初にも言ったが、ふたつの訳を比べてどうのこうのというわけじゃない。あくまでひとつの試訳として読んでもらって、翻訳の勉強の参考にしてもらえれば幸いじゃ。ともかく、今回みたいに自分の好きなテーマで英日の対訳を見つけたら、練習だと思って自分でも訳してみるといい。人の訳からは必ず学ぶべきところがあるし、独りでやっていてはなかなかわからない自分のクセも発見したりする。というわけで、近々、同じサイトに出ていたヒョードルのメッセージを使ってレッスンの続きをするからな」
「え? 今日のはレッスンだったんですか? なんだか下手な独演会みたいだったんですけど」
「つべこべ言うな。じゃあ、またの」

(レッスン2に続く)

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そぞろ歩きの会、11/15(日)神楽坂編、参加者募集中です!
どうぞ皆様お気軽にご参加くださいませ。下見に行ってきましたが、神楽坂、めっちゃいいですよ~!

詳しくはそぞろ歩きの会のサイトをご覧ください。


ゆっくり訳せば速くなる

2009年06月23日 04時30分49秒 | Dr. コーナー・レッターのこなれた訳研究
******LSTとは何か?******

――「翻訳者の器」を大きくするトレーニング

LSTとはLong(長く)、Slow(ゆっくり)、Translation(翻訳する)の略称で、ゆっくりとしたペースで、長い時間、翻訳を続けるトレーニングです。どのくらい「ゆっくり」かというと、私の場合は、1時間70~80ワードというペースです。本当にゆっくりでしょう? そのペースで、10時間以上訳し続けます。

そんなに「ゆっくり訳す」のはなぜでしょうか?

まず、長時間に渡って短い文書をどう訳すか考え続けることで、普段は見過ごしがちな疑問点にじっくり取り組むことができるほか、新たな発想や翻訳技法が刺激されて使えるようになり、優れた翻訳者向けの脳を作ることに効果があります。また、ゆっくり訳すことで、自分のフォームを修正することができます。バランスの悪いフォームではゆっくり長時間訳すことはできないのです。翻訳は長時間にわたって作業を続ける仕事ですから、体のリラクゼーションがうまくでき、正しく訳すこと以外の無駄な力を使わないようにすることが、とても大切です。言いかえれば、「ゆっくり訳せない人は、速く訳すこともできない」ということです。

普通は、「速く訳せば、速くなる」と考えがちです。ハードな仕事をすればするほど効果がある、と思っている翻訳者も多いことでしょう。もちろん、より上を目指すためには、ハードな仕事も必要になってきます。でも、ハードな仕事を受け入れるだけの「器」ができていないと、疲れるばかりで効果がありませんし、筆が荒れる可能性もあります。まず、ハードな仕事を受け入れられるだけの「器」を作らなければなりません。LSTは、翻訳者の「器」を大きくすることができるトレーニングなのです。

――すべての翻訳者に必須

また、LSTはゆっくりとしたペースで身体にあまり負担がかからないトレーニングなので、翻訳の初心者でも無理なく行うことができます。翻訳を始めたばかりの人が、いきなりペースを上げて訳そうとしても長い時間続けることは無理ですが、ゆっくりとしたペースだったら、より長い時間訳し続けることができます。どんなにペースがゆっくりであっても、長時間訳し続けていれば、処理量も延び持久力の向上につながります。また有酸素運動にもなり、それを長時間続けているということですから、体脂肪の燃焼を促して身体もスリムになってきます。ですから、LSTだけの練習でも、書籍1冊をすべて訳し終える翻訳体力を作ることはできます。
LSTは、翻訳の基礎練習においても他のさまざまな面でも、とても大切で効果的なトレーニングなのです。

******「ゆっくり」とは、どのようなペース?******

――快適な作業速度より遅いペース

ゆっくり訳すのは簡単にできそうに思えますが、実はこれが思った以上に難しいものなのです。ゆっくり訳すつもりが、すぐにペースが上がってしまう、ゆっくり訳すほうが疲れる、イライラする……。なぜそのようになるのでしょうか。身体のリラクゼーションがうまくできていなくて、無駄な力が入ったまま訳していたり、クセのあるフォームで姿勢が崩れていたりすると、すぐに疲れてしまって、ゆっくりのペースで長く訳すことが難しくなります。処理量が多くなればなるほど、無駄のない、合理的な翻訳作業が必要になってくるのです。

では、「ゆっくり」とは、どのくらいのペースを指すのでしょうか。私の場合は1時間70~80ワードくらいですが、人それぞれ、またその時々の体調によって違いますから、普段のトレーニングにおいて、1時間何ワード訳すという定義づけは勧められません。目安としては「”快適”な作業速度より遅いペース」と考えるとよいでしょう。1時間70~80ワードの私のペースでは、10時間やっても700~800ワードしか訳せません。本当にそんなに遅いのかと、よく疑問を持たれるのですが、全力で訳せば1時間で軽く500ワードをこなせる××君でも1時間70ワードでトレーニングしているので、10時間で700ワードちょっとしか訳しません。それほどゆっくりのトレーニングで、十分効果があります。人によっては、1時間70ワードくらいが快適なペースという場合もあるでしょう。そのときは、さらに「不快適」なペースで訳すようにしてください。

「快適」なペースは気持ちよく訳せて気分がよいものです。でも、その中では逆に、フォームの欠点にはなかなか気付きません。「不快適」なほどのペースで訳すと、フォームの欠点が現れます。無駄な力が入っていたり、リラクゼーションが上手くできていないなど、訳すフォームが崩れていると、ごまかしがきかなくて、ゆっくり訳すことに耐えられず、ペースが上がってきてしまうのです。ゆっくり長く訳すことができない、という人は自分のフォームに欠点がある、と思ってください。そして、だからこそLSTが必要なのだ、と考え、トレーニングとしてとらえ、取り入れて欲しいのです。

――何ワード訳したかではなく、何時間訳したか

では、どうすれば「ゆっくり長く」訳せるようになるのでしょうか。
まず、何ワード訳したか、という量の概念は捨てましょう。量に気を取られていると、どうしても心理的にゆっくり訳せなくなります。私はLSDのときは、練習日誌に量は記入せず、何時間訳したか、時間だけを記入しています。できるなら、はっきり量のわからないようなテキストを訳してみるのが望ましいくらいです。LSTでは何ワード訳したかではなく、何時間訳したか、という観点で取り組んでください。

どうしてもゆっくり訳せない、という人の場合は、訳しにくいテキストを選択するのも一つの方法です。内容が理解しやすいテキストでは、どうしてもペースが上がってしまいます。一方、特殊な分野の「ちんぷんかん」なテキストだったら、内容が理解できないのでなかなか速く訳せません。そのようなペースが上がりにくいテキストで、ゆっくり訳すコツをつかむのも手です。

また、本来は量がわかりにくいテキストを使って、ペースを気にせず訳すのが望ましいのですが、翻訳初心者がゆっくり訳すコツをつかむためには、あえて量がわかるテキストを使って、自分の”ゆっくり度”をチェックするのもよいでしょう。

とりあえず、ゆっくりのペースを我慢して訳してみてください。慣れるまでには少々時間がかかりますが、何回か続けていくうちに、次第にそのペースに身体がなれてくれます。慣れるまで、人によっては数ヶ月かかってしまうこともあるでしょう。でも、何かを体得するには、時間がかかるものです。「ゆっくり」訳すことは一つの技術だと考え、自分のものになるまで、時間をかけて取り組んでみてください。


*************************



上記は、コーナー・レッター博士が発表した同名のタイトルの論文からの抜粋である。発表当時、その斬新なトレーニング理論で学会・業界を驚かせたのだが、後日この論文が浅井えり子氏の著作、『ゆっくり走れば速くなる』(LSD=Long Slow Distanceというランニングトレーニング手法についての本)の文章に酷似していることが指摘され、剽窃の疑いで起訴された博士に有罪判決が下された。

僕は浅井さんの本を読んでいたから、初めて博士の論文を読んだとき、これは浅井さんの文章の「走る」の部分を「訳す」に入れ替えただけじゃないか、と思った。前からあの人は怪しいと思っていたのだけど、やっぱりか、という印象だ。おそらく、もう二度と博士が日本を訪問することもないだろう。

しかしながら、僕はこの苦し紛れの剽窃論文にも、一分の真実があるのではないかと思っている。一つのセンテンスを訳し終えて次のセンテンスに進むとき、本当にその訳で満足しているのか、とことん突き詰めて訳文をアウトプットしたのか、ということを考えると、僕自身大いに疑問がある。ときには時間を気にせず、対象の構文や語に対してなぜこのような訳にしたのか、その答えを自分なりに理論立てて説明できるようになるまでとことん「考え抜く」ことも必要だと思うのだ。納期のない仕事は仕事ではない。だから常に時間に追われてはいる。だが、よくないフォームのままでいくら速く走る練習をしても、真に効率的な練習はできず、また真に優れたランナーになれないのと同じように、短いセンテンスを完璧に訳せるように――完璧な訳などありえないことは承知の上で、あくまで現時点の自分の力でそれに近づくために――ごまかさずに「脂汗を流しながら」とことん考え、訳してみることも必要だと思うのだ。そういうトレーニングをすることで、速く、遠くまで走れる翻訳者になれるのではないかと思うのだ。

コーナー・レッター博士の「こなれた訳」研究 1

2008年10月24日 22時26分58秒 | Dr. コーナー・レッターのこなれた訳研究
「おい、君かな? ヤマメ君というのは」
「いえ、イワシです」
「おや、失礼。ではイワシ君」
「失礼ですが、どちら様ですか?」
「ワシじゃ。ワシじゃよ」
「?」
「Come on, it's me! I'm Dr. Corner Retter!」
「(フッ、下手な英語)。ん? まさか、あなたは...」
「そうじゃ、ワシじゃ。コーナー・レッター博士じゃよ」
「びっくりです! あの『こなれた訳研究』で世界的に有名な伝説の言語学者、コーナー・レッター博士! なぜここに」
「なぜって、お前が書いとるんだろうが」
「いきなり虚構の世界に現実を持ち込むのはやめてください。突然どうしたのですか?」
「ほかでもない。最近、お前の訳があんまりにもこなれとらんから、心配になってアメリカから急遽来日したのじゃよ」
「ありがとうございます。いや、でも失礼な。あなたに何がわかるというのですか」
「わかるともさ。ワシを誰だと思っとる。こなれた訳の研究一筋30年、上手い、早い、安いの三拍子揃った訳をみなさまに届け続けて50年のワシには、訳がこなれとるかどうかは一目見ればわかる。最近のお前の訳は、危ういの~。フォッフォッフォ」
「危うい? どういう意味ですか」
「ひとことで言えば、大胆さにかける。つまり、歯にモノが詰まったような訳じゃ」
「どうでもいいけど、その旧態依然としたじいさん口調はやめてください」
「もうちょっと年齢設定を若くしたほうがよかったかもしれんな。っていうか繰り返すが書いとるのはお前だろうが」
「まあ、おいおい考えます」
「で、話を戻すとだな、近頃のお前の訳はどうにも釈然としない」
「そんなの、言われなくてもわかってます」
「ひとことで言うと、『こなれ感』が足りんのじゃ」
「......」
「その『こなれ感』というのは、やはり訳文を練りに練り、熟成してこそ生まれてくるものなのじゃ」
「はい」
「で、具体的にはそれをどうやって実現するかというのは、未だに言語学の世界でも明らかにはなっておらん」
「やはりそうでしたか...。いや、ちょっと待ってください。あなたはそれをずっと研究してきたのでしょう?」
「アホ! そんなに簡単にこなれた訳文なんかが作れたら、誰も苦労せんわ!」
「そんなに簡単に匙を投げないでください。せっかく新企画が始まったばかりなのに(といいつつ、一回で打ち切りになりそうな激しい予感)」
「ごめん、そうじゃった。まあ、最近思うのだけど、やっぱりまずは原文の読み込みが大切じゃな。っていうか、お前はそれがいいたかったがために、ワシを登場させたのだろう?」
「ええ。さすが博士。すべてお見通しでしたか。ここ数日、やはり原文をしっかりきっちり何度も読み込み、喉から訳が出かかっている状態になって、初めてキーボードに触れる。そうしなければならない、と思っているのです」
「なるほど。なかなかいい心がけじゃ。何度も何度も原文を読むことで、訳を頭のなかで育てていくのじゃ。『練る子は育つ』というからの」
「一回目は意味をとり、二回目は読みながら頭のなかで訳文を作ってみる。三回目はさらにその訳文を練る。調子のいいときは、特に三回目以降に、ひらめきを感じることもあります。そうすると、いざ入力をする段階になったときに、すっと訳が出てくるのです」
「まあ、あたりまえじゃ。そう。そうして、ワンパラグラフを頭のなかに叩き込んで、訳文が頭からこぼれそうになったところで、ぐわっと打ち込むのじゃ。それが上手くできたとき、その訳文は最初から日本語の流れを、息吹を携えて生まれてくる。読みながら意味をとって訳していると、どうしてもそのうねりは出てこないのじゃ。ワンパラグラフを頭のなかに叩き込んでぐわっと訳す。これを言語学の専門用語では、『ワンパラグラフを頭のなかに叩き込んでぐわっと訳す方法』と呼んでおる」
「長いですね」
「ふむ。で、最初にいった『危ぶむ』問題だが、こうやって訳文を練ることによって、大胆な言葉を使うことも可能になるのじゃ。度を越えた意訳はいかん。しかし、自分のボキャブラリーの枠から一歩もはみ出さんようでは、いつまでたっても井の中のフィリーズの井口みたいな訳しか作れないのじゃ。大胆に、豊穣な言葉を求めていくがいい。行けばわかるさ」
「はい」

「この道を行けば どうなるものか危ぶむなかれ 
危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり 
その一足が道となる 迷わずにゆけよ ゆけばわかるさ
ありがとう~!」

「A・猪木の二番煎じじゃないですか」
「そうだ。いいものをやろう」

博士が、イワシに一冊の本を手渡す。

「これは...?」
「『翻訳の教科書』じゃ」
「翻訳の教科書?」
「そこに、翻訳についてのすべてが記されておる。この本を持っているのは、日本でも184人しかおらん。みな、翻訳の達人じゃ。お前には、例外的に渡してやることにする。苦しくなったら紐解いてみるとよい」
「ありがとうございます」
「さっそく、翻訳の教科書184ページを開き、声に出して読んでみるがいい」
「『原文を読みながら訳すのではなく、原文を何度も読み、頭のなかで訳文を作り上げ、その作り上げた文章を捕まえるように訳せ』
「ちょっと冗長な表現じゃな。ともかく、それを心がけて明日からも頑張るがよい。ワシはせっかくだからしばらく観光でも楽しんでおる。しばらくは日本におるからな」
「博士、ありがとうございました」



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