イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

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なんてリスキーなわたし

2009年04月30日 18時21分10秒 | Weblog
午後4時ごろ、ジョギングして家の前まで帰ってきた。扉を開けようとポケットをまさぐると、鍵がない。その瞬間「鍵を紛失、家には入れない、財布も持ってない、家の前で野宿?」と次々に不吉な連想ゲームが脳裏を駆け巡った。この現実を直ちに受け入れ何らかの行動を取らなければならないとは思いつつ、にわかにはそれを認めたくないのか、ウソだろ~と左右のポケットをなんどもなんどもまさぐり続けた。右、左、左、右...。ポケット以外の体のあらゆる部分もまさぐり続けたのだけど、どれだけまさぐっても鍵はない。「まさぐる」という行為はもうこの先3年くらいしなくてもいいだろうというくらいまさぐりを続けたところでとうとうあきらめた。嗚呼、そんな殺生な。走っているときに落としてしまっただろうか。予備の鍵を秘密の場所に隠していたりもしない。財布もない。はるばる走ってきた道のりを、鍵を探してトボトボ歩てみたって、おそらく見つかりっこないだろう。どうすりゃいいのだろうか。しかもジョギング帰りで短パンにランニング姿だ。かっこ悪いことこの上ない。

そうだ、管理事務所に行ってみよう。1階に降りて、管理事務所に行ってみた。まだ5時にもなっていないのに、マーフィーの法則的にやっぱり管理事務所の営業時間は終了していた。でも、扉の貼り紙をみると、鍵を紛失した場合の連絡先が書いてあった。これだ! とさっそく電話する。ジョギングするときは携帯電話はめったに持たないのだけど、今日は何となく虫の知らせみたいなものを感じたので、ポケットに忍ばせていたのだ。いったん外に出た後、気になったのでわざわざ携帯を取りに戻ったのだ。すごい、予感が見事に的中だ。そんな自分にちょっと驚く。でも、つくづく間抜けだ。予感するポイントがずれている。なぜ鍵を落とすかもしれないことを予感できないのか。

電話をすると業者につながった。事情を説明すると、僕の地域の担当のサービス業者を探すからそのまま待ってくれと言われた。なんとかなるかもしれない。そのまましばらく時間が経過したので、ついでに元来た道を戻ってみた。業者の方が再びしゃべりだしたので、事情を説明しながら共用の郵便受けのところを何気なく見てみたら、地面にキラリと光る銀色の物体が目に飛び込んできた。あった! マイキーはジョギングから戻って郵便受けをチェックしたときに落としたのだった。なぜそこで落とすのか? でもよかった~! 業者の方は、「よかったですね」と嬉しそうに言ってくれた。私はとんでもないお騒がせ野郎である。平謝りして、電話を切った。そういうわけで、無事に家のなかに入れた私は安堵しながらこうやってブログを書いているのである。

本来、貴重品は絶対に落とさないように、ランニング用の腰巻ポーチに入れるべきなのだ。ポーチが壊れていたので、新しいのを買おうと思いつつ、iPodも、小金も、鍵も、携帯も、ポケットにすべてを詰め込んで走っていた。危機管理意識が甘い。すべてにおいて危機管理が甘い。今回は事なきを得たけど、いつか大変なことになりそうだ。気をつけなければ。私にとって、最大のリスクは常に私自身なのだ。
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あの頃、みんな昭和だった

2009年04月29日 22時46分12秒 | Weblog
今日は「昭和の日」。昭和っていうと、やっぱり自分の子供時代のことをいろいろと思いだしてしまう。僕は昭和45年生まれなので、オギャーと生まれてから大人と呼ばれる年齢になるまでの期間が、ほぼ昭和と一致している。

古いアルバムをめくって、当時の写真を眺めてみる。何もかもが懐かしい。そこに映っているものは、まさに昭和だ。人々が身につけている服のデザイン、髪型、家並み、車、おもちゃ。すべてが昭和チックだ。あらゆるところに昭和主義があり、誰の顔にも昭和イズムが満ち溢れている。ああ、昭和さん。あなたがそこにいたなんて、なんだか信じられません。

僕が誕生した昭和45年というのは、まだ戦争が終わってから25年しか経過していなかった(25年といえば、昭和の場合、元号に25を足すと西暦の下2桁になる。昭和45年なら25を足して1970年)。小さいころは、戦争なんてはるかかなたの出来事のように思えたものだけど、今この年になってみると、25年なんてあっという間だということがよくわかる。当時の大人たちは、戦争の記憶をありありと持っていたのだということが、やけにリアルに感じられる。大人からは戦争の話をよく聞かされたけど、それも当然だと思う。子供にとっては果てしなく遠い過去の出来事としかとらえられなかった戦争も、大人にとってはものすごく身近な、生々しい記憶であったはずなのだ。僕はすぐそばに戦争があったことにも気づかず、無邪気に遊んでいたわけだ。つくづく、すごい時代だったのだと思う。

昭和が終わったと同時に子供時代が終焉し大人としての人生を歩むことになった世代の人間としては、遠く昭和を振り返るとき、なんだかはしごを外されたような気にもなる。あの懐かしい昭和はどこにいってしまったのか。ずっぽりと「昭和漬け」で育てられながら、いざ大人になったら、急に平成の世の中にポイと放り出されてしまった。そんなの聞いてないよ!って気がしたものだ。平成ってなんだか名前の通りフラットで、つかみどころがないんだよなあ。平成という時代には親しみはあっても、昭和に感じるような、におい立つような懐かしさはまだ感じることはできないのだ。

昭和はますます色あせていく。昭和の暮らしは、はやくも博物館のなかに閉じ込められようとさえしている。だけど、土の中に埋もれている僕の根っこの部分は、きっといくつになっても昭和。そしてその根から芽を出し、花を咲かせるのが平成なのだ。花、咲くかな~。

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異星人の下腹がペッタンコ

2009年04月28日 22時10分00秒 | Weblog
仕事でもプライベートでも、連絡手段はほとんどメールです。個人で仕事をするようになって、会社員時代と比べて送られてくるメールの数が格段に減りました。翻訳会社の方や出版社の方が僕にメールをくださるのは、ほとんど仕事の依頼になるわけで、大きい案件であれば途中のやり取りのメールが何度か発生するものの、ふつうは依頼時に二、三回やりとりをして仕事の内容を確認したらあとは特に問題が発生しないかぎり納品時まで連絡することはないので、そうそうメールの数は増えないのです。

一日に三件新しい仕事の依頼がきたら、それだけでこっちはてんてこ舞いになってしまいます。もちろん、ボリュームが大きければそのうちのどれかは断らなくてはならなくなるわけですが、たった三件のメールで大わらわ状態になってしまうなんて、大量のメールを平気で処理していた会社員時代と比べたら隔世の感があります。サラリーマンの人は、たぶん一日に何十通もメールをやりとりしているはずですし、僕も昔はそうでした。朝会社に来て、午前中だけで十件以上のメールを送信、なんてことも日常茶飯事でした。もちろん、直接自分が何かアクションを取らないといけないメールばかりではないとは思うのですが、いくつものプロジェクトのメーリングリストなんかに入っていた日には、一日に受け取るメールの数が百通を超えることだって珍しくないと思います。会社にいるほとんどの時間を、メールのやりとりに費やしている人も多いのではないでしょうか。

今の僕にとっては、一件のメールが会社員時代の十件分以上の重みを持っています。たった一件のメールで、その後数日間の予定が左右されてしまうのです。あるいはその日の夕方に仕事を依頼されて、翌日朝までに、なんていう突貫作業を依頼される可能性もあります。なので、メーラーにメールの受信を通知されると、ドキドキしてしまいます。もちろん、メールが来るのはとても嬉しいのですが、仕事の依頼であればこちらも気合を入れて対応しなければならないし、ひょっとしたら相当に大変な仕事の依頼かもしれないし、仕事じゃなくってクレームやその他のあまり見たくないニュースかもしれないと思うと、なんだかとても心がざわつきます。ずっと独りでいて、他にあまり刺激がないからなおさらです。

マーフィーの法則ではないですが、仕事のメールが来る日と来ない日っていうのは、結構はっきりわかれます。メールが来る日は、まったく別のいくつかの会社から、なぜか示し合わせたように連絡または依頼が来るのです。逆にメールが来ない日は、これも示し合わせたように、どこからもメールが来ません。不思議なもので、朝、仕事を始める前に、「今日は仕事の依頼が来る」あるいは「来ない」という胸騒ぎのようなものを感じます。それがけっこう当たるのです。カラっと晴れた天気のいい日で、なんだかウキウキして心と体が活性化されてしまうと思うような日には、やっぱりそう感じるのは他人も同じなのか、メールが多く来る気がします(まったくの主観)。たぶんクライアントの企業の人も、そんな日には仕事がとてもはかどって、「そうだ、あの翻訳案件、発注しておこう」と思うのかもしれません。それを受注した翻訳会社の人も、その日は調子がよくて迅速にコーディネーションを開始し、その日のうちに翻訳者に仕事の依頼のメールを出すというわけです。逆に雨が降っていたりして天気が悪く、なんだかやる気の出ない、不活性な日には、仕事を依頼される頻度も少ないような気がします。まあ、これはまったくの僕の個人的な感想にすぎません。「今日あたり仕事の依頼がこないかなあ」という願望が、そんな妄想を刺激してしまうのかもしれません。

メールが多くくると嬉しく、また忙しくなるわけですが、一日、仕事関連はもちろん友人からもメールがこないとなんとも寂しいものがあります。まあ、こういうときは仕事に集中するチャンスだと思って作業に打ち込もうとするわけですが、夕方ころになって、メーラがざわざわとメールを受信した気配を見せ始めると、その日まったくメールが来ていないだけに、キター!!的な興奮を覚えてしまいます。メールを受信する数秒間の間に、「これはAさんからの仕事の依頼か、B氏からの緊急案件か、C子ちゃんからの驚きの報告か、D君からのプロレス情報か」と、ともかく様々な夢と希望を膨らませてしまうのです。でも、そういうときに限って、必要もないのに何気なく入っているメールマガジンの、少なくとも僕にとってはあまり重要なメールではなかったりします。この前も、ほとんどメールの来ない静かな一日の終盤になって、夕方頃、やおらメーラーがモゴモゴ動き出したので、気合を入れて件名を読んでみたら、「「異星人います」元飛行士が断言/下腹ペッタンコで噂のお茶が10日間無料!【まぐまぐ!】」と書いてあってがっくりきました。せつないですな~。まあ僕が登録しているからメールが来るわけなので、まぐまぐを責めることはできません。異星人がいることも、お茶を飲んで下腹がぺったんこになることも、もしそれが本当ならば、とても重大なニュースなわけですしね。



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あと一歩、前へ

2009年04月26日 21時22分57秒 | Weblog
木曜日に新しいマシンが到着したのだけど、まだ段ボールのなかに入ったまま。以前だったら、宅配便の人から荷物を受け取ったら、嬉しくてその場で組み立てを開始していたものだ。だけど、今回は妙に身構えてしまう。メインマシンを切り替えるとなると、それなりの準備が必要だ。まずは机周りの整理整頓とか、データ移行の計画とか、それなりに準備をしなくてはならない。だから、きちんと準備ができて、新しいマシンを構築したい! と心が叫んだときにその作業を開始したいと、このパソコンに対して、つかず離れずみたいな態度をとってしまっている。ひょっとしたら、スランプのときのイチローが「バットを振りたい」と心から思えるまで、しばらくはあえてバットを握らないようにするのと一緒なのかもしれない(そんなわけないか)。

先週、家のすぐ近くに(徒歩3分くらい)巨大なスーパーがオープンした。だけどまだ一度も行っていない。店の前を通ったのだけど、すごく混雑している。僕はこういう「初物」が苦手なのだ。この週末も、気にはなっていて、ちょっと覗いてみたかったのだけど、あえて無視してみた。たぶん、一度でも足を踏み入れたら、これからその店が自分のメインスーパーマーケットになってしまう。規模といい、近さといい、他の店に通い続ける理由はたぶん、どこにもない。でもそう思うと、なんだか逆に躊躇してしまうのだ。それまでの自分の平和な生活が変えられてしまうような気がして、その店に入るのには、それなりに心の準備が必要だと感じてしまう。

パソコンにしても、スーパーにしても、新しいものが急に目の前に現れてとても嬉しいのだけど、なぜか戸惑っている自分がいる。この人とこれからずっとおつきあいしなければならないと思うと、いろいろ考えてしまうことってありますよね。新しい人生が始まりそうなとき、嬉しいんだけど、一方で一抹の不安を感じる。たぶん、それと同じ心理です。会いたいのだけど、なんだか会いたくない。会ってしまったら、たぶんきっと、忘れられなくなってしまうから。ああ、なんだかよくわかりません。

というわけで、あらためて思ったのだけど、最近なんだかこんな「あと一歩」みたいな感覚を強く感じる。でも、ここしばらくの間は、何に対しても「あと300メートル」くらいの距離感を感じていたので、あと一歩のところまで来ただけでも、相当な進歩なのかもしれない。そして、そろそろそんな一歩を踏み出す時が近づいてきているのかもしれない。もともと僕は、勇み足するくらいの勢いで、前につんのめっていくタイプなのだ。周りからはアホかと思われながらも、他の人がゆっくり歩いているところも、あさっての方向に向かって、全力疾走するタイプなのだ。うん、だから勇気を出して、一歩を踏み出していこう。――駅のトイレで用を足すときにも。

一歩、前へ。



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終末的な週末

2009年04月25日 23時05分58秒 | Weblog
一日中雨。ほとんど外に出ずに、終日作業を続ける。ランニングはとりやめ、代わりにエクササイズとして家のなかを掃除をする。胸にモニターのバンドを巻き、心拍数を腕時計で計りながら、あちこちを片付ける。思いきりぞうきんがけなどをしていると、走っているときに近い運動負荷がかかっていることがわかった。いつもランニングに消費しているエネルギーも、こうやって掃除に費やせば相当、実用的な効果があるものだったのだ。雨で外で走りたくないときは、掃除をするチャンスだと考えよう。

雨の日、一日中ずっと家のなかにいると、なんだか終末物のSFの世界の住人になったような気がする。核戦争とか、隕石が激突したとか、温暖化が進行したとか、そんな理由によって、空には常に黒い雨雲が垂れこめ、地上には雨がひたすらに降り続けている。その雨には人間の体に害のある物質が含まれているので、人はほとんど外出することができない。だからみんないつもじっと家にいて、コンピューターを使って仕事をしたり、鍋にゆっくり火をかけてスープを作ったり、掃除をしたりするしかないのだ。おもむろに窓を開け外を見ると、そこはいつもと同じ、暗い灰色の光景。人々はためいきをつき、また家のなかでの仕事にとりかかるのだ。極北の地、グリーンランドの真冬の生活も、こんな感じなのかもしれない。でも、そんな架空の世界を想像しつつ、「今日は外には出ない」と決め込んでしまえば、案外こんな一日も楽しいものなのである。

天気予報をみると、明日以降は見事に一週間、ずっと晴れのマーク。これはうれしい。外がカンカンに晴れていると、終末物から一転、トロピカルな南国物の気分になる。仕事場の窓からは、綺麗な街路樹の並木が見えるのだけど、それらが燦々と降り注ぐ陽光の下、さわやかに風に吹かれているのを眺めていると、ここはハワイかジャカルタか、と思ってしまう。そんな日は、本当は一日中ずっと外にいたい。だけど結局、ほとんど家のなかにいなくてはいけないのは同じなのだった。だけど、自由業ならではの特典で、一番天気のよい頃に、あまり時間を気にせずに外を歩いたり走ったりできる。これだけでも十分幸せ。来週一週間が、とても楽しみだ。

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あ、ポカリ飲みます、ナウ ~地獄の黙示録~

2009年04月23日 23時14分32秒 | 翻訳について
相当に旬を過ぎているけど、立花隆さんの『解読「地獄の黙示録」』を読了。
内容は、映画『地獄の黙示録』を立花さんがその豊富な社会、文化、文学の知識で解読していくというもの。僕もこの映画がとても好きで、たまたまビデオテープにダビングしたものを持っていたこともあり、数えきれないくらい繰り返し見ている。それだけに、読み応えがあった。プロパーの映画評論家の言説とは一味違う立花さんならではのアングルを楽しめた。

この映画は1979年に公開されてから20年以上の時を経て、2001年に完全版として再公開された。完全版では、コッポラは初公開時にカットされていたフィルムを使って、52分間ものシーンを追加している。オリジナル版でも相当に見ごたえがあるけど、完全版はさらにすごい。お好み焼きを3枚食べた後に、焼きそば2人前追加するみたいな感じ。もうコテコテだ。

立花さんは、この作品が単なるエンタテインメントではなく(エンタテインメント作品としても、興行的にも成功している)、文学作品と呼ぶにふさわしい傑作だ、というような意味のことを書いておられる。たしかにその通りかもしれない。でも、むしろ個人的にはエンタテインメントの上に文学が位置するのではなく、文学こそ究極のエンタテインメントではないかと思う。人間の存在、社会の在り方、時代精神を深くえぐることによって、それら自体がとてつもなく大きな普遍的な問いとなり、謎となる。それらは強烈なサスペンスであり、スリルなのだ。それを文学と呼ぶならば、それを最高の形で体現したのがこの『地獄の黙示録』だったのではないだろうか。

まず確固とした秩序ある社会の存在が前提され、それを乱す異分子を設定することによって「何もない世界に物語を引き起こす」のではなく、社会や秩序そのもの、それを作り上げている人間意識そのものの危うさを疑うことによって、文学は「世界それ自体を物語にしてしまう」わけだ。この映画の本当にすごいところは、そこだと思う。チャーリー・シーン演じるウィラードも、マーロン・ブランド演じるカーツも、「西洋の勝新」ことデニス・ホッパー演じるカメラマンも、そえぞれが見事な輝きを放っている。だが、この映画の物語は、彼らの関係性によって化学反応的に生じさせられているのではない。ずっしりとした物語が、金太郎飴みたいに全編をどこを切り取ってもあまねく溢れかえっている。登場人物たちは、その充満した物語世界の内部にいて、出口を求めて彷徨っているのだ。コッポラはこの映画が「ベトナム戦争についての映画ではなく、ベトナム戦争そのものだ」と言ったが、僕はさらに、単なるベトナム戦争という主題を超えた大きなメッセージが語られているのを感じる。などと、いろいろ思うことはあるのだが、あまりにいろいろありすぎて、何をどう書いていいのかわからないので映画の感想はここまで(なんて中途半端な)。

ところで立花さんはこの映画の字幕に関してかなり批判的である。たとえば、全編にちりばめられているコンラッドの『闇の奥』や、エリオットの詩からの引用がきちんと訳語に反映されていないとか、当時のベトナム戦争やアメリカの社会政治背景などを汲んだセリフが活かされていないなど、翻訳者がすくみあがってしまうような鋭い指摘をいくつもしている。コンテキストもあるからある語だけを取り上げて批判の対象にすることはフェアではない部分もあるし、翻訳、特に字幕翻訳では「訳さないこと」も一つのテクニックであるわけだから、一概に彼の指摘がすべて正しいとは言えないとは思ったのだけど、やはり立花さんクラスの人にそういう風に厳しい眼で見られていると思うと、翻訳っていうのはつくづく大変な仕事だと感じる。実際もう訳者としてはグーの根もでません、という指摘も多い。だが、少々訳者の肩をもってあげたくなるものもある。

たとえば、デニス・ホッパーのセリフで、

Do you know "if" is the middle word in life?

というセリフの訳が、

「人生では"もし"を考えろ」

になっていたことに対して、原文のニュアンスを汲んでおらず、"お粗末"だと指摘されている。たしかに文芸翻訳であれば、この訳を「"人生【ライフ】 "の真ん中の2文字が、"もし【イフ】"だって知ってたか?」という風に、ルビを使ったりして原文そのものに近い形で訳すことはできる。だけど、字幕の場合、これを限られた字数で表現するとなると難しい。だから字義どおりには訳さないパターンがとられたのだと思う。これはパンやダジャレをそのまま訳せない場合に使われるのと同じ翻訳の常套手段でもあるから、原文通りでないこと自体が批判されるのは少々訳者にとっては厳しすぎると思う。そもそも、これは表面的な言葉の裏で何かを伝えようとしているセリフだ。「Lifeのまんなかの2文字がifって知ってたか?」と、小学生が休憩時間に豆知識を友達に自慢してるのではない。これは、「"もし"(if)っていうのはそれだけ人生にとって不可分なものなんぞ、なんでお前はこの期に及んで"もし"を考えようとしないのか?」ということを、デニス・ホッパーが言外にチャーリー・シーンに伝えようとしているのだともとれる。そういう意味では、訳者がこの訳を選んだのにも一理あるのではないかと思うし、まったく的外れな訳ではないのではないか。ただし、理想的には言葉の表面的な面白さと、その根底にある意味が両方伝わる訳がよいと思うから、たしかにこの訳はベストではなかったのかもしれない。
しかし、立花さんのように翻訳の質について厳しい意見を言ってくれる方というのは、翻訳者にとってはありがたい存在なのだ。問題提起があってこそ、考察は深まっていくのだから。むしろ、「人生では"もし"を考えろ」の訳語に対して誰も疑問やひっかかりをもたずにいるほうが不自然な現象だと思う。

そういうわけで、翻訳でも常に"もし"を考えることが大切ではないかと思ったりしたのであった。

よくみるとTranslationの真ん中には"slat"の4文字がある。つまり翻訳者は、訳すのが難しいところを「スラッと」流していいのである、いや違う、流してはいけないのである。

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黄金を目指して

2009年04月22日 23時47分25秒 | Weblog
昨日、久しぶりに電車にのった。そして今日も。目的はどちらも翻訳学校の授業に出るため。今の僕にとっては、二日続けて電車にのるなんてほんとうに珍しいことだ。車内を見渡し、人の多さにちょっと驚いてしまう。半年ちょっと前、毎日通勤電車に揺られていたなんて、信じられない。

これからは隔週で二連チャンの学校通いが始まる。フィクションの講座を取り始めて3年目。気合を入れて学びたい。二日連続は厳しいかな、と思っていたのだけど、逆に連続してフィクションの世界に浸る時間が増えることで、よい効果が生まれそうだ。実は今期も学校に通うかどうかはちょっと迷ったのだけど、年齢的にも立ち止っている暇はないし、このまま中途半端にフィクションの勉強を中断するのは納得できない。気持ちを固めて、この1年ですべてを学びつくすくらいの気持ちで挑もうと思う。それに、学校は世間とのつながりを持てるいい機会でもある。都心に出るついでに、人に会ったり、書店にいったり、いろいろと日頃はできないこともしてみたい。

もうすぐ世間は大型連休。今年はうまく有給を組み合わせれば、相当な日数の休暇が取れるらしい。でも僕にはもう、連休も有給も関係のない話だ。少し寂しい気もするけど、これも自分が選んだ道。いつもと同じように仕事を頑張ろう。むしろ急な依頼がこない分、いつもよりも集中して翻訳ができそうな予感がして嬉しい。

早くも今年の3分の1が終了しつつある。ようやくオープン戦が終わって、ペナントレースが始まったような感覚だ。これから夏に向けて自分が一番好きな季節でもあるし、公私共に充実できるよう、目標を高く持って日々を過ごしていきたい。自由業者にとって、ゴールデンな日々は暦のうえにはない。それは自らが作り出していくべきものなのだ。
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Cry Me a River

2009年04月20日 21時49分23秒 | Weblog
Susan Boyleの歌声が耳から離れない。一日中、あの動画を再生し続けている。
Youtubeで一番多く再生された動画は、現時点で3300万回を超えている。どえらいことになっている。

番組の演出方法をふくめ、賛否いろんな意見、憶測が出てるようだけど、少なくとも今は、純粋に彼女の美しい声と、あの7分間の動画が語りかけてきたドラマの世界に浸っていたい。メディアは恐ろしい側面も持っているから、彼女がそれに飲み込まれてしまわないことを祈る。

1999年に彼女がチャリティーCDで Cry Me a Riverという曲を歌った動画(映像は静止画のみ)もアップされていた。これがまた素晴らしい。すでにこの当時から、これだけの実力を持っていたんですね。なぜ今まで彼女が無名だったのか、疑問すら感じてしまう。ひょっとしたらルックス面がネックになっていたのかもしれないとも思うし、もしそうだとしたらこれまでの彼女の人生は不運だったのかもしれないけど、これからは逆にあの親しみのあるキャラクターとこの美声のギャップが、強力な彼女の魅力になるだろう。誰もがこの美し声の持ち主が、Susan Boyleその人であることに喜びを感じることだろう。年齢とか外見とか国籍とか、そういうものを超越した普遍的な女性美をこの歌声に感じる。ああインクレディブル。すっかり恋に落ちてます。

Cry Me a Riverの動画です。

まだの方は、ぜひ!

CDが出たら、自分自身を質に入れてでも購入しなければならない。
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I Dreamed A Dream

2009年04月19日 16時16分16秒 | Weblog
日刊スポーツのサイトに、とてもいい記事が掲載されていました。
いま相当話題になっているようなので、すでにこの動画を見た方もいらっしゃるかと思いますが、まだの方にぜひ見ていただきたく、紹介します。

47歳独身女性がユーチューブからスターに

以下、まるまる引用させていただきます。

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 【ロンドン17日=鈴木雅子通信員】英ITVテレビのオーディション番組で歌った47歳の独身女性の映像が、動画共有サイト「ユーチューブ」に投稿され、2500万回以上再生される世界的な大ヒットになっている。英BBCテレビ、タイムズ紙も社会現象として紹介。ブームは英国内にとどまらず、米CNNの人気トークショーにも衛星回線で出演。米国で最も人気のあるトークショー「オプラ・ウィンフリー・ショー」にも出演が決まり、大反響を巻き起こしている。

 番組は11日に放送された「ブリテンズ・ゴット・タレント」。無職のスーザン・ボイルさんは、化粧気のない顔、カールがかかったショートカット姿でステージに登場した。取り立ててスタイルがいいわけでもないボイルさんが「夢はプロの歌手になること」などとあいさつしても、辛口で知られる3人の審査員は冗談扱いで聞き流した。

 しかし、ボイルさんがミュージカル「レ・ミゼラブル」の名曲「夢やぶれて」を歌い出すと会場の雰囲気は一変。きれいな歌声と迫力ある声量に約3000人の聴衆が喝采(かっさい)し、最後は審査員も巻き込んだ熱狂的なスタンディングオベーションとなった。この様子が、すぐにユーチューブに投稿され、再生回数が最も多い動画で2500万回を突破。他にも日本語や中国語、スペイン語字幕バージョンなども次々にアップされ、わずか1週間で、関連動画が3000万回以上再生される異例の事態となった。

 市営住宅にネコと住むボイルさんは英タイムズ紙の取材に「私にこんなことが起こるなんて考えたことがなかった。夢のようです」と話している。番組のオーディションは今後、5月のセミファイナル、その後のファイナルと続くが、すでにCDデビューも検討されている。

 [2009年4月19日9時34分 紙面から]
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動画はこちら

歌も素晴らしくうまいし、選曲も素晴らしかった。
彼女のキャラクターも本当にいい。すべてが心に沁みます。

「年齢は、自分の一つの側面に過ぎない」いい言葉ですね。

I Dreamed A Dream.
素晴らしい曲ですね。
虎は夜やってくる――この一言に、グッときました。

僕も彼女にスタンディングオベーションを送りたいです!




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B地点を目指して

2009年04月18日 22時42分57秒 | 翻訳について
10年以上前に、「翻訳を生涯の仕事にしたい」と考えた。それから勉強を始めた。英語の勉強もほとんどイチからやり直した。東京に出てきて、翻訳会社の営業になり、ソフトウェア企業の社内翻訳者になり、翻訳会社でチェッカーとコーディネーターをやった。その間に、翻訳学校にも通った。師に恵まれ、編集者の方に恵まれ、運よく出版翻訳の仕事をいただくこともできた。仕事を通じて様々なことを学んできたし、学校や勉強会などでも多くを学んできた。つまり、これまでの10年、ずっと翻訳の勉強を続けてきたことになる。でも、ずいぶんと効率の悪い勉強だったと言わざるを得ない。本当に体系的に、翻訳を学んできたのだろうか? 学んだすべてを、いつでも取り出せるように道具箱の中に綺麗に整理して入れているだろうか? 刃を常に、研いでいるのだろうか? 筋力を強化・維持するためのトレーニングを、どれだけしているのだろうか?

昨秋にフリーランスの翻訳者になって、翻訳漬けの生活が始まった。それまで企業で翻訳に携わっていたときは、助手席に座って運転手をナビゲーションしているような感覚だった。それが、今は自分でハンドルを握ってトラックを運転している。そういう実感がある。翻訳の仕事は配達の仕事にも似ている。どんな荷物を、どこまで運ぶかは毎回わからない。ひとつとして同じ道はなく、毎回新しい発見の連続だ。A地点からB地点まで、荷物を運ぶ。B地点に行く間に、すでに恋に落ちている可能性もある。B地点からC地点に行く間に、訳語に使う言葉を悩みながら探していることもある。深夜の急行便を発射することもある。『歌うヘッドライト』を聴きながら。なんだかよくわかりません。

ともかく、そういう風にコックピットに座って一日中仕事をしているわけなのだけど、そして仕事から多くを日々、学んでいるわけなど、なんだかやっぱり勉強が足りないとつくづく思ってしまうのだ。必要なのは、フリー翻訳者になる前にやっていたような勉強とはまた違った意味合いの勉強だ。翻訳者になるための勉強ではなく、フリー翻訳者としていかによい翻訳を目指せるか、という目標に向かっての勉強だ。「真のプロになるための勉強」といったらなんだかカッコつけすぎのような気もするけど、今、結構真面目にそんなことを考えているのだ。

これからの人生をかけた、ライフワークとしての勉強。時間もそんなに残されているわけじゃないし、生きていくことでまずは必死にならないといけないのだから、どれだけそのための時間が作れるのかはわからないけど、とにかく思いきり勉強・研究がしてみたい。

棋士の羽生さんの本を読むと、彼も日々試合をこなしつつ、勉強漬けの毎日を送っていることがわかる。その尽きることのない探究心には、つくづく頭が下がり、感服する。羽生さんにしてそうなのだから、僕など彼の何倍の努力が必要なのだろうか。

羽生さん曰く、良い将棋を指すためには2つの条件があるとのこと――それは1.知識を得る、2.クリエイティブなことを試す、だそうだ。彼はこの2つを意識して、勉強を続けているということだ。知識を得る、とは文字通り棋譜を大量に読み込むなどして客観的に過去現在の将棋の様々な手法を学ぶこと。クリエイティブなことを試す、というのは、そうした既成概念や定石に捉われず、新しい発想を目指すこと。だからこの2つは相反しているし、そのバランスが難しいのだそうだ。そして、どちらかひとつに偏ってもいけない。まさに、翻訳でも同じことが言えないだろうか。僕の場合は、1の知識を得る、の部分がまだまだ思いきり不足しているから、様々な翻訳書や指南書を読んで体系的に翻訳を学ぶことの方が今は重要だと思うのだけど、学んだことに縛られるのではなく、クリエイティブな部分を試していくことも重要ではないかと考えている。羽生さんたちが置かれている勝負の世界は、とても厳しい。翻訳では客観的に勝ち負けで評価を下される場面はないが、彼の生き方を見習って、僕もひとりの棋士、あるいはトラック運転手なったつもりで明日も仕事、そして勉強に挑みたい。他人の試合の棋譜を誰よりも読み込み、そのうえでクリエイティブな一手を積み上げていく。そうした努力がなければ、勝負の世界で勝つことはできないのだ。
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はやくも軽い熱中症かも

2009年04月16日 23時51分45秒 | Weblog


天気予報は曇りのち晴れ。でも、お昼はけっこう晴れていた。ラッキーと思って、11時過ぎにランニングに出かける。

思うに天気予報って、雨って予報しておいて晴れるほうが、晴れって予報しておいて雨になるより、発表側のリスクが少ないのではないかと思う。予報する側には、ちょっとでも雨が降りそうであればとりあえず雨と予測しておく、という心理があるのではないだろうか(さすがに今の時代、そんな適当な予報はしていないと思うが)。つまり天気予報とは、「晴れるって言ったのに雨降ったじゃないか」という苦情を避けるために、基本的には悲観主義の考えをベースにするべきなのだ(前者にくらべ、「雨って言ったのに晴れてるじゃないか」という苦情は、たぶん少ないはずですよね?)。とはいえ、晴れをいつも心待ちにしている僕からしたら、雨の予想は見るだけで気分が萎える。だから今日とか明日の予報は正確にやってほしいけど、あさって以降のそれほど重要ではない予報(あくまで僕にとっては)はウソでもいいから楽観主義的になるべく晴れのマークを多くしてほしい。これから先、一週間ずっと晴れだと思うと心も明るくなるから。

歩きと走りで2時間ちょっと。真夏と違って、走っていてもほとんど汗をかかない。まだ汗腺が開発されていないのだろうか。家に戻り、お昼を食べて、2時頃から仕事を開始する。ところが今日は今ひとつ調子がよくない。なんだか頭がボーっとする。飛び込みの小さな案件にかなりてこずってしまう。僕の調子の悪さに呼応するかのように、メインマシンにしているコンピュータの調子も悪い。も~、遅いよ君は!! 思わず、納品が終わった直後に、前から買うと思っていた新しいコンピュータを、予定より大幅に前倒ししてネットで注文してしまった。

最近のコンピュータのスペックの向上には驚くべきものがある。もうVista君にいらいらさせられないように、CPUはクアッドコア、メモリ4ギガにした。新しいマシンがきたら、仕事にグアっと取りかかり、コアな訳でギガギガに翻訳してやるのだ! そのまま寺尾の突っ張りのような勢いで、ハードディスクは1寺じゃなくて1テラにした。1テラですよ1テラ! 10年以上前、最初に買ったマシンのハードディスクはたったの1ギガだったのに、この進歩はなんだ? 寺がひとつ、まるまる格納できるほどに大きな容量だこれは。これからは、3時のおやつにカステラを食べよう。

夕方、僕とコンピュータの調子はさらに悪化した。能率は、いつもの10分の1にまで低下した。1時間ほど昼寝をした。昼寝は予定外だ。だけど、このまま仕事を続けていても時間の無駄だ。すっきりした頭になるために、昼寝はやむを得ない。眠りに落ちながら、頭が痛いのは、軽い熱中症なのかもしれないと思った。真夏はいつも頭にタオルを巻いて走る。そうしないと、大切な商売道具であるこの頭脳が日光と熱でやられてしまうのだ。この頭脳はもともと性能がよくないから、慎重に扱わなくてはならないのだ。しかしまだ四月。さすがにまだ、走る時に頭にはタオルは巻いていなかった。太陽を甘く見てしまったのか。まあ、熱中症というほどたいした症状ではないのだけど、気をつけないと、健康のためにやっているランニングで、逆に体調を損ねてしまう。いかん、これは死活問題だ。これから約半年つづくシーズンに向けて、炎天下ランナーとしては本格的に熱中症対策を検討しなければならない。
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あの日から、もう28年

2009年04月15日 21時02分23秒 | Weblog
一昨日、小学校三、四年のときのクラスメートの方からメールをいただきました。僕は6才のときから10才(小学校の四年生)まで島根県の浜田市に住んでいたのですが、当時、同じクラスに在籍していた方です。僕の転校をきっかけに音信不通になっていたので、なんと28年ぶりです。このブログを見て、僕かもしれないと思って連絡をくださったのです。こんなに時間が経過したのに覚えていてくださったなんて、感動です。ものすごく懐かしく、そして嬉しい気持ちになりました。Tさん、本当にありがとうございます!

当時の友達とはずっと連絡をしていなかったわけですが、どうしてるのかなあ、とよく思い出していました。クラスメートの方のメールによると、いまでも地元にいる人も多いとのこと。30年近く経って再会するとなると緊張もしてしまうと思いますが、ぜひいつか遊びに行って、みんなと会ってみたいと思います。こんなに時が経つのに、仲の良かった友達のことははっきりと覚えています。みんな、本当にいいキャラクターを持っていました。

当時の恩師もまだご健在とのこと。僕が非常に尊敬していた先生です。僕たち家族が浜田市を去る日、駅まで見送りに来てくれ、国語辞書をプレゼントしてくれました。いつまでも忘れられない先生です。友達も駅まで見送りにきてくれました。さらに、汽車が駅を出て、母校の小学校の前を通り過ぎた時、何人かの友達が校庭にいて手を振ってくれていました。僕も汽車の窓から思いきり手を振りました。井上陽水の『少年時代』を聴くと、いつもあの日の光景が浮かんできます。あの日からもう28年も経ったなんて、信じられません。

浜田市はとても自然が豊かなところで、すぐ近くに海と山があり、子供が走り回って遊べるようなスペースもふんだんにありました。当時はまさに野山を駆けまわって毎日たっぷりと遊んでいたような気がします。野球もさんざんやりました。ウルトラ怪獣の消しゴムも集めました。虫もザリガニもたくさん捕まえました。あのころ、毎日くたくたになるまで遊んでいたことが、自分の原点になっているのだと思います。今の自分が、立派な大人になっているのかどうかはともかくとして、子供時代を浜田で過ごすことができた幸運に、あらためて感謝したいです。

きっかけはブログというデジタルな手段ですが、結果として果てしなく懐かしいアナログな記憶の世界が蘇りました。30年前の日々を思い出すと、土と草の匂いがします。過去は決して消え去ることはない。あらためて、多くの人たちとの出会いに恵まれて、生きてきたのだと痛感します。30年近く、僕がみんなのことをよく思い出していたように、僕のことを思い出してくれていた人たちもいた。それだけで、生きててよかったなあと思ってしまいました。あの頃の僕たちがそうだったように、これからも毎日を精一杯、元気に生きていきたいです。

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大きな玉ねぎの芽の下で

2009年04月14日 20時55分21秒 | Weblog


ここ1週間ほど、毎日10キロラン、5キロウォークとちょっと頑張っていたので、疲れもたまっていたようだ。雨だし、今日はエクササイズは休みにした。一日家に閉じこもり、仕事をする。

雨....。ここしばらく初夏を思わせる天気が続いていたけど、降りしきる雨を見ていると、冬に逆戻りしてしまったような気がする。ピーカンの天気のときとは気分も違う。外に出て熱い日差しの下でランニングをしていると、まるで砂漠か砂浜にいる気がする。一日中家に閉じこもっていると、鬱蒼としたジャングルのなかにいて大きな木の下で雨宿りをしているみたいだ。

仕事に疲れて、料理をする。買ってきた野菜は、台所の隅の段ボールに入れているのだけど、奥のほうをあさってみたら、玉ねぎが大きな芽を出しているのを発見した。もうこれは「芽の出た玉ねぎ」というよりも、「球根つきのネギ」である。巨大イカとか、巨大クラゲを見ているようで、気持ちが悪い。傘代わりになりそうなくらい見事に生い茂っている。このネギ部分は、食べられるのだろうか? 食欲はまったくそそられないのだが。

しかしこの玉ねぎの芽、僕がネグレクトしている間に、よくもここまで大きくなったものだ。君は、えらい。見つけた瞬間はギョっとしてしまったけど、まあ「芽が出る」というのは縁起のいい言葉でもあるから、このまま放置しておいてあげよう(というか、もう食べる気になれん)。

昨夜は睡眠をしっかりとったので、雨で気分も沈みがちだったにも関わらず、1日の最終的なワードカウント結果はかなり多かった。パフォーマンスというのはいろんな要因に影響を受けているのだ。玉ねぎは放っておいても芽が伸びる。なんという素晴らしい有機的なシステム。僕も、玉ねぎを見習わなくては。










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いつも心に桜咲け

2009年04月12日 22時33分15秒 | Weblog
さいた さいた さくらがさいた

公園で満開の桜を見ていたら、思わずこう呟きたくなった。真っ青な空に映える桜は、透きとおった海のなかにあるサンゴのよう。空を見上げ、一面のブルーのなかに浮かぶピンクを目にしながら走っていると、天地がひっくりかえったような感覚に襲われる。水の中を泳いでいるみたいだ。

昔の国語の教科書には、この「さいた さいた..」で始まったものがある。国民学校とかその時代のことだろうか。はっきりとは知らないのだけど、ともかくこれは、日本人にとって桜がいかに大切な存在だったかを物語っている。自分の時代に何が冒頭にあったのかは、もうすっかり忘れてしまった。今年、小学校一年生になった子供たちが開く教科書の最初のページは、どんな言葉が書かれているのだろうか?

教科書の冒頭に、とは言わないのだけど、国語の授業でぜひ今の子供たちに教えてあげてほしいことがある。というか、僕自身も、教えて欲しかったなあと思う。それは、eメールの冒頭文。もう何年も前から感じているのだけど、仕事のメールの冒頭に書く言葉が、我ながらあまりにも貧困で困っている。

「お世話になっております」
「いつもお世話になっております」
「いつも大変お世話になっております」

基本的に、この3つしかない。ニュアンスは微妙に異なる。しかも、どれもしっくりこない。「お世話になっております」だと、なんとなくおざなりで、手を抜いたような気がするし、「いつも大変お世話になっております」だと、丁寧さは伝えられたようなような気はするけど、逆に慇懃無礼な印象を与えてしまうのではないかと少々不安になる。だから「いつもお世話になっております」は他の2つの中間で、自分的には一番当たり障りがないパターンになるのだけど、なんとも凡庸で面白くない。凡庸な挨拶文のなかでも、もっとも凡庸なパターン。

初めてメールする人には、

「お世話になります」

と書いたりもする。

「これから」お世話になります、という意味だけど、これもなんだか世話してもらうのが当然と言っているみたいで、自分が図々しい奴になったような気がすることもある。

これは日本語であらたまったメールを書くときの常套表現だし、記号的な意味合いもある。あんまり神経質になることでもないのかもしれないが、それにしてももう少しバリエーションとか、個人によって工夫ができるものであってほしいなあといつも感じてしまうのだ。もちろんこの「お世話に..」もあっていいと思うのだけど、みんながそればっかり使っていると、ありがたみがなくなる。もうちょっといろんなパターンがあってもいいのではないか。読んだ瞬間、少しだけでもいい、こころがパッと明るくなるような挨拶を、みんなで共有できないものだろうか。

仕事ではなく、プライベートなメールなら、「こんにちは」とか「おはようございます」なんかで始められるので、気持ちがいい。もちろん、仕事でも使える挨拶ではあるのだけど。あいさつ文抜きで、いきなり要件に入るパターンもある。親しい間柄なら、仕事でもそれで全然問題ない。英語のメールでも基本的に挨拶が要らないので、たまに英語でやりとりをすることがあると、「お世話に..」を書かなくていいので楽だなあと思う。しかし、依頼元に対して毎回挨拶ぬきで始めるというのは、やはり悲しいかな日本人のわたしにはできそうもない。

手書きの手紙が全盛だった時代は違った。実に様々な冒頭表現があった。試しにWordの挿入機能であいさつ文を作ってみた。

陽春の候、貴社ますますご盛栄のこととお慶び申し上げます。平素はひとかたならぬ御愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。

麗春の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。毎度格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。

春暖の候、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。

春暖快適の候、貴社ますます御隆昌にてお慶び申し上げます。平素は当店を御利用いただき御厚情のほど、心より御礼申し上げます。

これだけのバリエーションをすぐに作れる。メールではなかなかここまで書く人はいないだろうし、少々紋切り型で古めかしい印象も与えてしまうかもしれない。この美しい日本語表現も、時代の速さにはついていけないのかもしれない。ただ、あらためて眺めてみると、この手の挨拶はいいものだ。昔の人は、すごいなあ。今後は、自分のメールでもこうした表現の使用頻度を高めてみたいと思う。

ともかく、メールの冒頭文に、もっと様々なパターンが生まれるといい。そしてみんなが、もっと豊かで気持ちのよい挨拶を交わすようになってほしい。個人がいろいろと工夫して、その人なりの気持ちを表せる、いくつものオプションがあるといい。

「いつもお世話に..」はそのままだとしても、
その次に季節の挨拶をしのばせるとか、メールの末尾に相手の健康を気遣う言葉を入れたりとか。そういうちょっとした一行が、送り手と受け手の気持ちを少しだけ暖かくさせてくれる。

そういう風に、ちょっとした言葉の表現で、気遣いや相手への配慮を伝える。これって、国語の授業で教えるべき、大切なことだと思う。デジタルな時代に生まれた今の子供たちが、将来、自由で豊かな電子メール表現で毎日を彩っていけるようになることを祈りたい。

桜も、もう少しで散ってしまう。だけど、たくさん綺麗な花を見せてもらったおかげで、僕の心にも小さな花がさいたような気がした。さくらさん、ありがとう。大変お世話になりました!
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過去の仕事を記憶するということ、あるいは哀愁の下手出し投げ

2009年04月11日 23時35分32秒 | Weblog

ここしばらく角界の不祥事が続いたこともあって、大相撲の北の湖前理事長がメディアに登場する機会が多かった。彼が力士として最盛期にあったときはちょっとした相撲ブームで、当時、小学生高学年だった僕も熱心にテレビ観戦していた。なんといっても千代の富士が好きだった。他にも、朝潮、琴風、北天佑、麒麟児、三重の海などなど、多士済々な力士がいて、毎場所楽しみにしていたものである。相撲のテレビ中継は6時で終了するから、その日のメインイベントである結びの一番、それからその前の2,3の重要な取り組みを見るためには、5時半くらいにはブラウン管の前に鎮座していなければならない。なので、外で草野球とかをして遊んでいても、相撲の時間が近づくと、猛ダッシュして家に帰っていたものだった。相撲を見るために全力疾走して家に帰る小学生というのは、今では少数派なのかもしれないけど、昔は結構そういうのが普通だったのである。

相撲中継は3~4時頃始まる。たまに早くから家にいることがあると、十両あたりの取り組みからじっくりと観戦する。会場もあんまり盛り上がらないし、小学生の目には幕下の力士の相撲はあんまり面白く映らない。それでも見る。華やかな人気力士の陰で、これだけ大勢の無名の人たちが相撲を取ってるのだと、大人社会のヒエラルキー構造を垣間見たような気もした。前座の人たちは相撲では「前座」という言葉は使わないと思うけど、ボクシングでいえば四回戦ボーイの試合。昔の新日本プロレスでいえば、若手同士の地味なしばき合い(片エビ固めがメインの決まり手)。人気レスラーが試合で繰り出す派手な技が引き立つように、昔の若手は前座では目立つ技をあまり出してはいけないとされた。このあたりにも、大人社会のヒエラルキーを感じさせるものだった。

北の湖を見るといつも思い出す彼のエピソードがある。彼は、自分の現役時代の取り組みをほとんど記憶しているというのだ。「昭和何年の何場所の何日目に誰それと対戦して寄り切りで勝った」というように、取り組みが頭のなかに入っている。これはかなりすごいことだ。現役時代の彼は憎いほど強いと言われていたのだけど、さすがに大横綱と呼ばれるようになる人は、何かが違う。すべての試合を覚えているということは、それだけ自分の仕事に一生懸命に取り組んできたということなのだろう。だからこそ彼はあれだけ強かったのかもしれない。

僕はどうだろう? 自分が訳したものを、すべて覚えているだろうか? 翻訳の仕事では、まれに過去に訳した文書を見る機会がある。過去にやった案件のアップデートが発生することもあるし、同じクライアントから久しぶりに仕事を依頼され、そのクライアントの過去プロジェクトのフォルダを探索して資料を探したりする。すっかり忘れていたようなプロジェクトでも、ファイルを見るとだんだん記憶がよみがえってくる。自分が担当したものであれば、それを読みなおせば、それが過去に自らが訳したものであることはだいたい思い出せる。筆跡ならぬ、訳跡のようなものもあるし、原文の内容もなんとか覚えている。

しかし、「俺、こんなの訳したっけ?」と思うものもある。そういうときは、ちょっと微妙な気持ちになる。こんなこともやってたんだな、やったことを忘れてしまうくらいたくさん仕事をしてきたんだな、と思う部分もあるけど、逆にいえばそれだけ記憶に残らない仕事をしてしまったということでもある。よい意味で言えば、それだけくせのないプレーンな訳を作っていたということにもなるけど、逆にいえばそれだけ訳に想いが込められていないとうことでもある。

北の湖みたいにすべての取り組みを覚えるわけにはいかないけれど、やはり記憶に残る仕事を多くしてみたい。精一杯やったと思う訳文は、後でふと読み返したくもなるし、あらためて読み直してみて、なかなかいい気分になるものなのである。フリーになってからの仕事は、やはりこれまで以上に真剣に、必死になってやっているからなのか、すべてしっかりと頭に残っていると思う。

ところで、翻訳力士として僕が得意の決まり手にしたいのはやはり、

     前倒し(※納期前にすっきり納品)

もしくは、

     上手投げ(※上手な訳で豪快に納品)

なのであるが、実際のところは、

     下手出し投げ(※下手な訳で見切り発車納品)

を多用しているのが現実なのかもしれないのであった。
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