イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

夜はブブゼラ、始まるミスコミュニケーション

2010年06月12日 19時19分50秒 | Weblog
――家に籠もってしばらく集中的に仕事をしなければならないときに限って、ものすごい騒音と共に近所で工事が始まる。

こういうマーフィーの法則には、いつの間にかもう慣れっこになってしまった。想定の範囲内である。しかし、今回はゴンドラ工事だった。ベランダの外に工事のお兄さんがいて、ドリルでガガガガガガ...とものすごい音を立てている。歯医者のドリル音のよう。カピパラは「思い出し冷や汗」をながす(悪夢はいつまでも続く)。

――家に籠もってしばらく集中的に仕事をしなければならないときに限って、ワールドカップが始まる。

ここにもマーフィーの法則が。サッカーファンの私にとって、オリンピックよりも年末年始の豪華テレビ番組群よりも強敵なのがワールドカップである。「4年に1度のことだから」という強力な免罪符が、私をつい甘やかせてしまうのだ。どう譲っても日本戦だけはリアルタイムで見なければならない。

開幕戦の南アフリカ対メキシコの試合は好ゲームだった。試合会場では、ゴンドラドリルも真っ青の大きな音が鳴り響いている。観客が、ブブゼラと呼ばれる笛を吹いているのだ。Jリーグ開幕当時のチアホーンを彷彿とさせるあの「ブーー」という(ちょっと間の抜けた)音には、思考を放棄していまいたくなるような呪術的な魔力がある。アフリカにとって、サッカーとは無意識のダンス、祝祭なのかもしれない。

そのブブゼラについて、面白い動画を見つけた。

会場内に鳴り響くブブゼラの音、ピッチサイドではどのように聞こえているのか、アナウンサーに訊ねられた本田さんは、ブブゼラを選手と間違えてしまい...



しかし、私はこれを笑えない。翻訳をしているとこうい間違いは日常茶飯事である。1ページに3箇所くらいは「本田のブブゼラ」をしてしまっている可能性はある。

さらに言えば、日常生活においても、この類の誤解、コミュニケーションの齟齬って常に存在しているような気がする。そもそも、完全なコミュニケーションなんて存在はしないのだ。

それにしても、サッカーって本当に神話的なスポーツだ。90分闘って、入るのは1点か0点。
ものすごく気まぐれで、精度の低いサッカーの神様の秤で、2チームは比べられる。

ともかく、これからしばらくは、昼間はドリル、夜はブブゼラで頑張ろう。









歯痛に苦しむカピパラ、あるいは命あってのモノダネ

2010年06月08日 21時10分00秒 | Weblog
金曜日に突然、歯が痛くなった。原因はわからないけど、おそらくは身体が疲れていて免疫力が落ちていたから、神経にきたのだと思う。菌にやられやすくなっていたに違いない。目の奥も痛いし、頭も肩も凝っている。身体の節々も痛い。

すぐに治るかと思っていたのだけど甘かった。どんどんとひどくなり、やがてじっとしていられないくらいの激痛。寝ていても痛みで数時間おきに目が覚める。歯医者にも2回いって治療をしてもらい、薬も飲み続けたけどいっこうに痛みは引かない。冷やし続けていないと激痛で耐えられない。アイスノンを患部に当てタオルで固定した。

痛みは今日の午前中ピークに達した。歯茎からジンジンと響いて頭がボーッとする。鏡をみたら、痛みで患部が腫れて、カピパラみたいな顔になっていた。

歯が痛ければ仕事に集中できない。が、納期があるので仕事を続けた。眠れないし眠れない。しかたないから仕事を少しでも進める。こういうときにかぎって、Youtubeでなぜか由利徹の動画がみたくなったりする。やがて納期は近づいてくる。痛み、疲労、眠気などが最大限に達した数時間が経過し、久しく感じたことのなかった極限状態が訪れた。そのときぼくは、たしかに死線を彷徨っていた。うっすらとした意識のなか、「まだしばらく生かしてやろう」という神様の声が聞こえたような気がした。まるで潮が引くように、痛みのピークがゆるやかに低下していくのを感じた。ぼくはまだ生きている。そう思ったら、感謝の気持ちがわいてきた。

まだ痛みはあるし顔はカピパラのままだけど、おかげさまで峠は越したようだ。無理は禁物。身体あってのモノダネ。まだまだ仕事は残っているけど、このままゴールまで走り抜けたい(マラソンの話の続きも書かなきゃ!)。