イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

12才のハローワーク

2007年11月30日 23時11分03秒 | 翻訳について

翻訳に関するものの本を読んでいるとたまに目にする言葉がある。おそらくは特に文芸翻訳を指しているのだろうが、「翻訳家としてものになるかどうかは、小さいとき、たとえば小学生くらいまでの読書量の多寡でほぼ決まってしまう」というものだ。つまり、小さいときに本を読む習慣がなかった人は、大人になって文章で身を立てようとしてあわてて本を読んでももはや手遅れ、というなんともシビアな話。

この説、あたらずといえども遠からず、という気がしないでもない。自分のことは棚に上げて言うが、文章には、それまでの人生でどれだけ本を読んできたか、ということが、漠然とはしているかもしれないが、確実に反映されていると思うことがあるからだ。

ほかの分野では、小さいときからの積み上げが決定的な差となることがある。たとえばサッカー。サッカーをやっていた人なら言わずもがなのことなのだけれど、小学校からサッカーをやっていた人と、中学、高校から始めた人というのは、ボールテクニックの面において、ある意味絶望的なまでの差がある。遅くから始めた人は、どうしても柔らかいボールタッチができないのだ。脳の神経と関係あるとかないとか、そんな説を読んだこともある。それはもう子供心に、一生かけても追いつけない距離として感じられるものなのである。そして、少し悲しいけれど、たとえばプロの選手になる、という競争の中では、それはたぶん事実なのだ。たった数年の差で、もう取り返しのつかない距離が生まれてしまう。子供って、妙に客観的で大人びた判断をできることがある。自分はコイツにかなわない、という直感は子供心にもなんとも重く、真実味を帯びたものに感じられて、その後の人生に大きく影響を与えたりする。

大人になっても、そういう他人との歴然とした能力の差に苦しむことは変わらずあるのだと思う。でも、たとえばサッカーならば、そこまで絶望することなく、自分の好きにプレーを楽しめばいいと考えることもできるだろう。でも、子供には、少なくとも僕が子供のときは、そんな風に考えることはできなかった。スポーツをするということはすなわち競争であり、他人との優劣の比較のなかに日々身を置くことにほかならなかった。それほど強くもないチームのなかでも、それほど上手くない自分。ほかのチームには上手い選手がいくらでもいて、さらに全国大会になれば、自分からみればもう雲の上の存在のようなすごい輩がゴロゴロいる。プロになるなんて想像することすら難しい話だった。

だから、たとえばプロサッカー選手になるための条件を挙げろと聞かれたら、まずは小学校から、しかもかなりの強豪チームで活躍していたことがほぼ絶対条件である、と僕も言うだろう。それだけシビアな世界だということを肌で感じて知っているからだ。二十歳の青年が、これからサッカーを始めてプロになります。といったところで、誰も相手にはしてくれないのだ。

あるいはピアニストもそうなのかもしれない。おそらく、プロになるためには、幼少期からの英才教育が必須だろう。いくらやる気があっても、たとえば二十歳を過ぎてからピアノを始めてピアニストになれるのかどうか、たぶんものすごく難しいことだと思う。

話を翻訳に戻そう。翻訳はサッカーでもないし、ピアノでもない。12才までにたいして本を読んでいなくても、少なくともスポーツ選手や演奏家になるよりは、なれる可能性がはるかに高いと思う。文章を書く、というのはたしかに技術でもあるが、それ以上に人間存在の総合力を問われる作業だと思うからだ。

おそらく、12才までの読書量でその人が翻訳家になれるかどうかの確率は大きく左右される、という言説には、それを語る人(おそらくはプロの翻訳家)が、自分の過去を振り返ったときに、小学生のときにむさぼるように本を読んだ体験が、なににも増して翻訳家としての基礎になっていると感じているだろうことに起因しているのではないかと思う。そういう意味では、たしかにそうだ、と思わなくもない。僕も、小さい頃たくさんの本を読んだし、そのとき感じた読書の面白さ、本のページを捲るときのわくわくする気持ちがいまでもずっと変わらず残っている気がする。翻訳という仕事に自分を向かわせているのは、間違いなくその頃の読書体験がもたらした、肯定的な感情だといえる。

それでも、 12才まで.,.と断言してしまうのは、やはりどこか間違っているという気がする。それは、子供の頃の豊富な読書体験を持つ者の奢りであり、今日を努力することへの冒涜でもある。肝心なのは、今、この時点にいたるまでに何をしてきたか、ということだ。30代に2千冊の本を読破する人がいるかもしれないし、大人になって海外にわたり、外国の文化を吸収した人もいるだろう。専門的な知識を身につけることだって、年をとってからでも遅くない。

それに、言葉は、一部の才能のある人だけが使うことを許されるような類のものではなく、誰にでも開かれているものなのだ。誰しもがその人なりの言葉の世界を持っていて、それは簡単に優劣を決められないユニークさと奥深さを持っている。たとえば、英語のネイティブスピーカー。僕からみれば、誰しもが言葉の天才に見える。同じように、日本語を母国語として生きている人は、日本語を学習している人からみれば、天才と思われかねないほどの、高度な言語技術を身につけているはずなのだ。

ただし、ほかのどんなプロフェッショナルの世界と同様、翻訳も才能とセンス、実力の差がシビアに問われる世界であることには違いはない。12才で選別されてはいなくとも、シビアさではほかの世界と同じなのだ。

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中野坂上の文教堂で、以下の3冊。
『脳と仮想』茂木健一郎
『国家の罠』佐藤勝
『AERA English』2008/1


読めるのに書けない⑧  手は訳者、目は読者

2007年11月29日 21時23分38秒 | 連載企画
「翻訳とは、結局のところ特殊な形態の読書である」と言ったのは、柴田元幸さんだった。まさしく、訳すことは読むことでもあり、そして読むことは訳すことでもある。息を吸ったら吐くように、この2つは表裏一体、お互いに強く結びついている。翻訳をする者にとって、読むことと書くことはとても大切な要素であり、そして僕はそのどちらも好きだ。うまくできないことが多くてため息をつくことも多いけど、ずっとこの作業を続けていきたいと思っている。ながながと書いてきたわりには結論めいたものにはたどり着けなかったけれど、最後に、自分に向けて、読むことと書くことへの心構えを書いてこのシリーズを終了したい。

読むこと

洋書、訳書、和書、それぞれをバランスよく読み、楽しみ、学ぼう。書籍だけではなく、新聞、雑誌、テレビ、人との会話、電車の中吊り広告まで、言葉のあるところには、常に意識を向けて、書き手の視点で文字を眺めよう。一冊の本、一本の記事、それを書いたのはどんな人で、どんな言葉で世界を描写したのか、なぜその言葉を選んだのか、興味を持って読むことに関わろう。英語がぜんぜん読めてない。だから英語力を強化しよう。


書くこと(訳すこと)

語の置き換えをするのではなく、原文の意味を汲み取って、日本語でそれを表現してみること。まずは等身大の自分の言葉で、うまく伝えることを目指そう。チャンスがあれば、これまでに使ったことのない表現を試してみよう。そうやって、少しずつ引き出しの中身を増やしていくのだ。言葉が出てこないときは、時間の許す限り、悩み、調べ、とりつくろって、せめてもの誠意を示そう。できるかぎり、辞書にはこう書いてあります、という開き直ったような訳をするのはさけよう。訳し終えたら、客観的な視線で訳文を見直そう。手は訳者、目は読者の気持ちで。

これからも読むことと書くことをずっと続けていこう。呼吸をするように、ご飯を食べるように、自然な気持ちで。

~連載完~


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『ネットと戦争』青山南
『すっぴん魂』室井滋
『なで肩の狐』花村萬月
『老人力』赤瀬川原平
『The Adventures of Huckleberry Finn』Mark Twain
駅前のブックアイランドで5冊

読めるけど書けない⑦ 派生的シンドローム

2007年11月28日 23時47分45秒 | 連載企画

よくよく眺めてみると、「読めるけど書けない」シンドロームのまわりには、仲間たちがたくさんいました。みんな、それぞれの悩みを抱えているらしいです。さっそく見てみましょう。

・読んだつもりで読んでない
症状:読んでいるつもりで、読めてない。文章が意図することを、文章が本当に言いたいことを、その切実さを、感じ取れていない。文章の技を見切れていない。だから、頭に残らない。同じように書け、といわれても、一面の雪景色(つまりまっしろ)しか頭に浮かんでこない。何を読んだのか、と訊かれても答えられない。
処方箋:しょうがありません。読書なるもの、元をとってやろうなんてやましい気持ちで読んではいけません。右から左に「読み流す」。楽しければいいのではないでしょうか。だからどんどん読みましょう。浴びるほどに。そうしたら、ものすごく面白い本や、いつまでも忘れられない言葉に、運がよければ出会えるかもしれません。

・読みたいけど読めない
症状:時間がなくて本が読めません。あるいは、時間があっても本が読めません。
処方箋:本なんぞ読まなくても結構。無理しなくてもよろしい。読みたいものを、読みたいときに読めばよいのです。しかし、本当に読みたいのなら、読めるはず。読みたいけど読めないというのは、エクスキューズなのでは?(自分へのコメント)。ブック●×通いをもう少し減らしましょう。

・書けるけど読めない
症状:仕事に追われて本が読めません。書いてばっかりでインプットができません。
処方箋:なかなかよい兆候であるともいえます。なぜなら、自らが枯渇するほどに言葉を発することで、他人が書いた言葉を読むことへの飢えへとつながる可能性を秘めているからです。きっと今なら、読書をすれば乾いた砂漠に水がしみこむように多くを吸収できることでしょう。忙しさのチョモランマに登頂したら、ゆっくりと下山しながら読書を楽しめる時間がきっと訪れるはずです。仕事が追いかけてきたら、かまわず逃げましょう。それから、この症状の問題は、一生アウトプットに偏ったままで事足りてしまうようになってしまうことです。それは、ある意味言葉の使い手としての死にほかなりません。インプットが足りないと、言葉が先細りする可能性があります。気をつけましょう。

・書いたつもりで書けてない
症状:自分では文章がそこそこ上手だと思っていたのですが、よくみるとそうでもないようです。
処方箋:答えがあったらわたしが教えて欲しいです。さて、どうしましょう。たくさん読み書きすること。しかも雑にではなく心をこめて読み書きすること。きちんと生きること。恥ずかしいことをたくさん体験すること。早寝早起きすること。夜更かしてグダグダすること。ほかにもたくさんあるような気がします...。

・読めるし書ける
症状:読書もたくさんしていますし、翻訳も上手ですが何か?
処方箋:いや、じっさいこういうお方はたくさんいらっしゃると思います。翻訳のプロ足るもの、本当はそうでなくちゃいけないのですよね。人の何倍も言葉に敏感で、大量の文章に触れ、翻訳の技も絶えず研鑽している。だからこそプロであるわけで…。そう、わたしはこのプロとしての当たり前のことができていないのでした。お恥ずかしい限りです。すみません。


・読めないし書けない
症状:思うように読めないし、書けません。いっそ、誰かを雇って自分をこの世から消し去ってしまいたい。そんな誘惑にかられる今日この頃です。
処方箋:こういう風に悩んでみんな大人になるのであり、あるいは大人にはなれないかもしれないのであり、これは一人ひとりが日々抱えている問題なのであり、それぞれが自らの手で解消しなければならないわけでありまして、そしてこの苦しみがあるからこそ、光もあるというわけなのです。

最終回といいつつ、これでは収まらないので明日も続けます。

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朝、柿の皮を剥こうとして包丁でかなり思い切り左の親指を切る。瞬間、グサリと刃が刺さった。0.1秒くらいの瞬間で包丁を持つ手を引っ込める。危ない。本当に危ない。血が大量にでる。こういうとき、自分がどうなるかわかった。泣き笑い状態――痛みに顔をゆがめるのでもなく、冷静に問題に対処するのでもなく――ただひたすらに、すすり泣き、笑っている自分を発見。まるで、どこかのシーンでみたデニーロみたいに。なんなんだ?オレって?

荻窪店で15冊。買いすぎた。
『火車』宮部みゆき
『龍は眠る』宮部みゆき
『堪忍箱』宮部みゆき
『返事はいらない』宮部みゆき
『忍ぶ川』三浦哲郎
『阿修羅のごとく』向田邦子
『LOVE GO! GO!』室井佑月
『アジアの路上で溜息ひとつ』前川健一
『いくたびか、アジアの街を通りすぎ』前川健一
『笹まくら』丸谷才一
『CLOSED CIRCLE』Robert Goddard
『EVITA』W.A.Harbison
『TICKTOCK』Dean Koontz
『Sophie’s World』Jostein Gaarder
『Dave Barry’s Greatest Hits』Dave Barry

読めるけど書けない⑥  Hungry is the best sauce

2007年11月27日 22時52分12秒 | 連載企画

読めるけど書けない、というテーマで迷走を続けてきたが、よくよく考えてみると、僕が悩んでいたのは、「読めるけど書けない問題」というよりも、「書けると思っていたけど実は書けない問題」のような気がしてきた。

そしてその答えのひとつは明白だ。つまり、書いたことがないから書けないのだ。あたりまえだが、いくらインプットをしても、アウトプットをしなければアウトプットの上達にはならない。もちろんインプットはアウトプットのための栄養になるのであるからして、畑を耕し肥料を撒くような大切なものではあるが、いくら土地が豊かでも、種を撒き、芽を育てるという行為がなければ、美味しい作物は作れないのである。

普段、読書をしているときには、空気のように、そこにあるものだと感じている言葉たち。でも、いざ自分で文章を作り始めると、とたんに酸素不足に陥ってしまう。あるはずのものが、ない。とたんに、不安にある。必死で手探りするが、思うような言葉が見つからない。吸っても吐いても肺の中に空気が入ってこない。ハアハアゼイゼイ。だから、必死で深呼吸を繰り返す。そうしてなんとか文章を書き終えた後に、初めて空気のありがたみがわかる、という具合なのである。

だから、空気のある場所に出たら、嬉しくてスーハースーハー深呼吸を繰り返す。たくさん美味しい空気を吸収してやろうと思う。苦しんだ分だけ、読書をするときに、一つの言葉、一つの表現の重みを感じる。どのページを開いても、言葉がキラキラと輝いて見える。新しい表現に出会えば、いつかこれを自分も使ってやろうと思う(そう思って忘れることがほとんどだが)。

言葉を自力で出し尽くしたとき、きっと、それまでにない新しい言葉が自然に内側にしみ込んでくるのだろう。お腹が空いているときは、何を食べても美味しいし、吸収力も高まる。だから、最近、つくづく僕は自分を出し尽くす、燃え尽きるような仕事がしてみたいと考えている。言葉を搾り出しすぎて、お腹がペコペコになり、喉がカラカラになるような、そんな体験を。余裕がなくてあたふたしているのは年中だけど、上滑りしてばっかりで何も身についていないような気がして、あせっているのだ。

(収拾のつかないまま、最終回につづく)

読めるけど書けない⑤ 翻訳の一回性

2007年11月26日 23時26分12秒 | 連載企画
昨日いったことと矛盾するが、翻訳には実は二度目はない、と思う。ある訳者が同じものを二回訳すということは、まずない。訳したものを記録したファイルが消えてしまって、最初からやり直しになった、という悲しい状況なら二度目もあるのかもしれないが、それは例外的なケースである。そして、テキストの形態は無限である。まったくの他人から、同一の文章が偶然産まれる可能性は限りなく無に近い。テキストは、常にユニークであり、新しい。

だから、翻訳は常に「新しいもの」を相手にして作業をする。翻訳の面白さも難しさも、源泉はそこにあるのかもしれない。ある言葉や表現、知識を新たに得、自分のものにしたとしても、それを実際に使えるのは、独自のコンテキストを持ったテキストのなかにおいてのみである。そこは、単純な置き換えが通用しない世界だ。

たとえば、サッカーの中村俊輔のプレーを観る。彼は、さまざまなプレーのオプションを持っている。相手を抜き去るためのフェイントもたくさん持っているし、シュートの種類も多彩だ。ドリブルも、トラップも、パスも、すべての技が高度に完成されている。だが、いつも思うのだが、彼の本当の凄さはこうしたテクニックの高さではない。そのテクニックを、絶えず変化する試合の状況のなかで、味方と相手の瞬時の動きに呼応して最大限に発揮できることなのだ。相手が右に体重をかければ左、左なら右、パスかと思えばシュート、キーパーが前に出てくればループ。創造性のあるプレーとは、まさに彼のようなプレーのことを指すのだと思う。

サッカーの局面に一つとして同じものがないように、翻訳のテキストにも同じものはない。だからこそ、難しい。よく知っているはずの英単語が、二つ横に並んでいるだけで、まったく新しい意味をもった言葉が生まれている。おそらく、訳語を求めて辞書を繰っても、直接的な答えは載っていない。その意味を適切に表す日本語は何かを、自分の頭で考える。同じことを日本語の文章で読んだら、なんと書いてあるだろうか、と記憶を手繰りよせながら。。。

(続く)

読めるけど書けない④ 二度目は迷わない

2007年11月25日 22時28分28秒 | 連載企画
「この英単語を知っている」というときには、様々なレベルがある。文字通り、読めばなんとなく意味を想像できる、でも自分では使えない、というあやふやなレベルから、普段の会話や文書の中でときどき思い出したようには使える、頑張れば記憶化から湧いてくるレベル、あるいは完全に自分のものにしていて、正しい発音や語法で、自在にしゃべったり書いたりすることができるレベルまで。

おそらく読めるけど書けないという問題の根本もここにあるのかもしれない。つまり、「読み」にも様々なレベルの違いがあって、読めていると思っていて本当は完全に読みきれていないのかも知れないのである。ここで完全に読める、というのは、読んでいる文章と同じものを書いている自分を、心のどこかでシミュレーションしているような感覚である。

通訳には、リプロダクションと呼ばれる、聞いた言葉をそのまま再現するという訓練方法がある。これをやってみると、いかに自分の記憶や理解が不確かなものであるかということがわかるのだが、自分のボキャブラリーや表現方法のストックにあるものを聞いたときは、上手く再現できる可能性がかなり高まることを実感できる。逆に自分が知らない言葉は聞こえてこないし、知識のない分野の話は、理解をするのが難しい。

もちろん、様々な人が様々な事柄にについて様々な言葉を使って文章を書いているわけだから、それについてすべてを理解するなんて不可能だ。だから常に読む力の方が、書く力を上回るという図式は、よほど特殊な事情がない限り、変わることはないだろう。

たいていの言葉は、インプットされたときにはその場ではなんとなく理解されても、アウトプットの装置に装填されることなく、そのまま通り抜けてただ消えていく。ただし、何度も何度も繰り返し同じ言葉を浴び続けることによって、やがてそれは無意識というプールの中に蓄えられていく。ただし、それはきちんと整理されてはおらず、ラベル付けもなされていない。だから、とっさに取り出すことが難しいのだ。

だから問題は、喉元まで浮かんできているかもしれない言葉、そこそこ「出せる」というレベルにまで熟している言葉を、どのようにして釣り上げ、水面下から引っ張りだせるか、ということになるのだろう。

そして、おそらくは、なんども書くことを繰り返すことによって、言葉を釣り上げる力は上がっていくのだと思う。僕みたいな方向音痴でも、一度目は道に迷っても、二度目はおそらく迷わない。テレビや雑誌で何度も見たことがある場所でも、実際に自分の足で「行く」という行為をしなければ、永遠にリアルな記憶の回路は作られないのである。

(ロジックの迷路にはまりつつ、次回へつづく)

読めるけど書けない③ 訳すように読み、読むように訳す

2007年11月24日 23時31分50秒 | 連載企画
――蝶のように舞い、蜂のように刺す。モハメド・アリの華麗なボクシングスタイルを形容した、あまりにも有名な言葉だ。ヒラヒラとジグザグを刻むように軽やかにバックステップを踏みながら、リズムカルに鋭い左ジャブを突き刺すように打ち込んでいく。それが、アリのファイトの基盤だった。典型的な、アウトボクシングである。

アリは、それまでのボクシングの常識を変えた。おそらくそれは彼の強さだけではなく、パフォーマンスによるところが大きかったのだとは思うけれど、ジョー・フレイジャーやジョージ・フォアマンといったハードパンチャーを相手に、強く打つことだけがボクシングではない、ということを身体で示すかのように戦い、そのリズムとスピード、ボクシングアビリティーで観客を魅了した。

この言葉のリズムを拝借し、読めるけど書けないことへの処方箋をひとつ提案するとすれば、「訳すように読み、読むように訳す(書くように読み、読むように書く)」、ということになるだろうか。

読むときは実際に自分が訳している気持ちになって読み、読んだものをできるだけ己の血肉にするという意識を持つ。訳すときはただ手作業に埋没してしまうではなく、一読者として目の前の訳文を突き放して見る視点を忘れない。そうすることによって、インプットとアウトプットの間に横たわる巨大な溝に、なんとかして橋をかけるのである。

ただこの回路を開くことは容易ではない。おそらくそれは、ただひたすらに訳すことをやり遂げることによって少しずつ習得することができるメソッドなのだと思う。自らの手を動かしてみて初めて、訳すこととは何ということや、訳すことの手応えと難しさを確かな重みとして感じられるのであり、その体験を通してこそ、読書体験に「書き手としての自分」というメタな視点が新たに導入されるのだ。

(次回に続く)

日記:あさま組の勉強会に参加。僕が当番となり、提出した訳文について各人からそれぞれ意見をいただく。勉強になることがとても多く、有意義な時間を過ごすことができた。自分では気づいているつもりの課題がいくつもあるのだが、それがより明確になったような気がした。ナツメグミの皆様、ありがとうございました。その後、通訳学校(ちょっと遅刻しました(^^;)。ここでも課題が明確に。毎週、課題を明確にするために通っているような気がしないでもない。

蝶蜂蝶蜂蝶蜂蝶蜂蝶蜂蝶蜂蝶蜂蝶蜂蝶蜂蝶蜂蝶蜂蝶蜂蝶蜂

駅前の『ブック・アイラント』で、14冊。清水一行「詰め合わせセット」を購入(本当に、そういう見出しでパックされて売っているのです)。

『銀行の内紛』清水一行
『惨劇』清水一行
『欲望集団』清水一行
『女重役』清水一行
『すげえ奴』清水一行
『死の谷殺人事件』清水一行
『指名解雇』清水一行
『ダイアモンドの兄弟』清水一行
『兜町物語』清水一行
『最高機密』清水一行
『レッド・デス』(上下)マックス・マーロウ著/厚木淳訳
『愛しい人』(上下)ピート・ハミル著/高見浩訳



読めるけど書けない② 漢字

2007年11月23日 22時51分20秒 | 連載企画

昨日は飲み会で深夜の帰宅となってしまっため、ブログをパスしてしまった。
新宿方面から武蔵境までタクシーで帰宅したのは午前2時? 3時? よく覚えていない。
そして泥のように眠った。今日は二日酔いで、何もやる気がせず。
ほぼ一日、ダウン。激しく後悔。


さて、読めるけど書けないもののについての考察を続けよう。このお題について考え始めたのは、読めるけど書けないもののの代名詞ともいうべき、漢字のことを考えていて、漢字を書くときと翻訳しているときの間に共通点があると気づいたからだった。

あらためていうことでもないが、漢字というものは、書いてあるものは読めるけれども、いざ自分で書こうとするとなかなか書けないものである。特に僕の場合はそれが顕著である。頭のなかに悲しいくらい字のイメージが浮かんでこないのだ。間違った字を書いてしまうと、それが間違いであることはなんとなくわかる。でも、正しい答えが浮かんでこない。

辞書などで実際の字形を調べてみると、ああコレね。と思う。何百回も目にしているはずの字だから、その字をまじまじと見てもさしたる驚きはないはずなのだが、それでいて、あらためてこんな形していたんだ、としみじみ眺めてしまったりもする。それにしても、なぜ何百回も目にしている文字を書くことができないのだろう。

そして、翻訳をしているときもこれと同じ感覚を味わうことがある。いくら頭を捻ってみても、これ、という訳語や表現が浮かんでこない。そこでとりあえずベストエフォートな訳にしてみる。そして後で、誰かが同じ原文に対して、ピタっとくる表現を使っているのを知ったり、後になってふとした拍子で気づいたりして、「ああ、コレコレ」とつぶやきながらハタと膝を打つのである。

だから、訳文を作り出す作業とは、漢字を必死で思い出す作業に似ていると思う。ある原文に対しては、漢字がそれぞれユニークな意味を持っているように、これこそが相応しい、と思えるような、誰しもが腑に落ちるような、ほぼ正解とでもいうべき訳文が存在することがありうる。そして、おそらくは実際にその「正解の訳文」が表現されているのを見ても、さして驚きはしないのだけれど、(つまり、書かれてある漢字を読むことが簡単なように)、それを思い出すのは実は結構難しい、というわけなのである。

つまり、翻訳とは、原文を読み、「これ日本語ではなんていうんだっけ?」ということを考える作法であるともいえる。そして、ちょうど「"ゆううつ"ってどんな漢字だったけ?」と考えるのと同じで、答えを見ればすぐああそうか、とわかるのに、いざ自分で作り出そうとするとなかなか難しいということなのである。

では、どうすればその難しさを少しでも軽減させることができるか。
それを次回考えてみることにしたい。

読めるけど書けない① シオマネキ

2007年11月21日 23時49分30秒 | 連載企画

「読めるけど書けない」もの、はたくさんある。たとえば「美文」。たとえば「円周率」。たとえば「ドストエフスキー」。考えてみれば、テキストのほとんどは、読むことはできても、それと同じような文章を一から自分で書き起こすことはできない。持っている知識も、文章力も、人生経験も、人には限りがあるからだ。

つまり、読む力と書く力の間には大きなギャップがある。そしてこのフォッサマグナは、いたるところにある。テレビを観ている人のほとんどはテレビ番組を作ることができないだろうし、お寿司を食べている人のほとんどは板前さんのように上手に寿司を握れないだろう。まるでシオマネキ。左のハサミとミギのハサミの大きさが違う。あるいはADSL。受信するときの大域幅と、送信するときの大域幅が違うのだ。

格闘技をテレビ観戦していて、「コイツよわいな~」とビール片手につぶやく私がいる。しかし、その選手とお前が戦ってみろといわれた日には、即効でマウントを取られて秒殺されてしまうだろう。なんでもそうだが、みるのとやるのは大違いなのである。

翻訳もそうである。実際にやってみると、意外に難しいのである。普段自分が読んでいるような訳文が、なかなかすらすらと出てこないのである。訳す前は俺はヒョードルかノゲイラかという勇ましい気持ちで望むのだが、実際は一撃KO負け。お客様にお金を払ってみてもらうような戦いはできない。

しかし、そこでこの難しさに慣れてしまい、「やる側」の視点に凝り固まってしまうと危ない。あくまでも「みる側」の視点で自分の訳文をとらえる感覚が必要なのである。必死にトレーニングを積んでリングに上がったあとで、その戦いを、ビール片手の一ファンの客観的な視点で眺めることができるか。本当に強いものしか認めない、あの欲張りで冷酷なファンの眼で。

※というわけで、今日から意味もなく新シリーズを開始します。明日また続きを書きます。

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『The Beatles』Bob Spitz
『Up Country』Nelson Demille
『Jackie Ethel Joan』J.Randy Taraborrelli
『おとな二人の午後』塩野七生×五木寛之
『詩を噛む』愛敬浩一
『アングロサクソンは人間を不幸にする』ビル・トッテン
『世界が完全に思考停止する前に』森達也
『著者略歴』ジョン・コラピント/横山啓明訳

荻窪店で7冊。

アナザー・フランケンシュタイン

2007年11月20日 23時57分41秒 | Weblog
古本屋に足しげく通っていれば、当然買うのも古本が多く、そして古本というのは古い時代に書かれた本であるからにして、やはり当時はパソコンはおろかワープロすらなく、作者は手書きで原稿用紙のマス目を埋めていたのだろうな、とふと読んでいる本の奥付をみながら、思ったりする。

小説ならば原稿用紙に万年筆、黒眼鏡に着物、などというイメージが浮かんできて手書きにも違和感はないが、手書きの翻訳小説となるとなぜか意外な気がする。すっかり電脳器具に慣れ親しんでしまった自分には、もはやPC抜きでペンと紙だけで翻訳をするなどということは、洗濯機があるのにたらいで洗濯板をゴシゴシして服を洗っているような感じて、もはやとてもじゃないが想像もつかないことなのであり、そして、よい時代に(かろうじて間に合ったが)生まれてよかったな~と思う。キーボードがあるだけじゃない。GoogleもWikipediaもある現在、翻訳者はどれだけの恩恵を受けていることか。

しかし、よいことばかりではない。ワープロは、諸刃の刃だ。つまり、楽すぎるのだ。何度でも書き直しができるし、コピーしてペーストして検索して置換できる。マクロさえ使える。だから、脳にタメを置かずに、すぐに入力してしまう。深い思慮もなく吐いた文章を、さらに気まぐれに弄繰り回す。結果、ただでさえ熟成度の低い文がかろうじて持っていた勢いも失われ、フランケンシュタインみたいなつぎはぎだらけの文になってしまうのである。

手書きの時代はどうだったか。書き損じは相当な損失につながる。だから、頭のなかで溜めて溜めて、文章を一回頭の中で諳んじてから、それをつかまえるようにして原稿用紙に筆を走らせていたような気がする。書き始めるときは、ある種の緊張感があったし、書いた文章を消しゴムで消すときは、そのとき腕にかかる肉体的な負荷を、ある種の罰のような気持ちで受け止めていた。

もちろん、よい文章が生まれるためには校正はとても大切だ。だが、よい文章というものは、誕生の瞬間から「よい文」の原型を内包しているものだと思う。澱みなく「言いたいこと」を的確に伝えるため、書き手の指先から満を持してほとばしるように現れる。そんな感じだ。多少の手入れは必要だが、それはあくまで細かい部分を刈りとったり磨いたりするだけで、逆に大きく変えてしまうとほかの部分に影響がでてしまう。それだけの強度を持って生まれてくる文章。僕の場合、そういう文章がかけなくて、書いては直しを繰り返しているうちに、煮込みすぎ、炒めすぎの料理になってしまう。しょうゆ味だったのに、途中からソース味に変えてしまった、みたいな。

そういえば、プリントアウトしたものを、手書きで構成するとき、昔の手の感覚を思い出すことがある。赤は同じ箇所には一度しか入れたくはないし、あんまり「モトイキ」と連発するのも格好悪いので、ペンを持つ手には緊張感が走る。なにより、紙に印刷された文字を直接読むことで、脳の違う部分が刺激される気がする。そう。昔は手書きでなんでも書いていた。作文も、日記も、履歴書も、ラブレターも、脅迫状も(これはウソ)。

それでも、思うような文が書けないのをコンピューターのせいにはしたくない。むしろ僕はツールのデジタル化には人一倍、感謝しなければならない。おそらく、今がまだ手書きの世界ならば、かなりの確立で、これまでやってきた仕事は同じようにできなかった。そして、手書きの良さは認めつつ、手書きで仕事をしたいとは、やっぱり思わない(そもそも、誰も原稿、受け取ってくれないだろう)。それに、僕は自慢じゃないけどものすごく字が汚い。もうびっくりして人格を疑われるくらい下手なのである。みみずが這ったような、あるいは象形文字のような、はたまた「アルジャーノンに花束を」に出てくるような字しか書けなくて、たまに僕が字を書いているのを隣から覗き込んでいる人の顔を見ると、目の前の事実を現実と受け止められなくて、目をしばしばさせていたりするほどだ。だから、最初ワープロを買ったとき、自分の打った文字が自分のものとは思えなくらいに(正確には自分のものではないが)きれいなので「やった!」と狂喜乱舞した。今でも、やっぱり書いたものをプリントアウトして読むときなどは、まんざらでもない充実感を味わう。

ともかく、そんな電脳依存の僕としては、せめて頭の中だけは、文章を作るときだけは、なるべくアナログな部分も残したいと思っているのである。といいつつ、今日も支離滅裂なロジックで、本当は何が言いたかったのかわからないままキーボードを打ち続け、新たなフランケンシュタインを一つ、誕生させてしまったのであるが。

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FアカデミーでS先生の授業。初めて自分の担当箇所を添削してもらう。感動。
帰り道、元加賀山組のTさんと新宿まで。新年会の案を検討。
新宿のブックファーストで、
『ミステリ翻訳入門』田口俊樹
を買う。

すべての翻訳者は関口宏である

2007年11月19日 23時55分51秒 | 翻訳について
『クイズ 100人に聞きました』という番組をご存知だろうか。という自分世代にとってはまさかとも思える書き出しで始めてみた。おそらくある程度の年齢の人で、この番組のことを知らない人はいまい。と思いつつ、調べてみるとこの番組が終了したのが1992年だから、もうそれから15年も経過しているのである。今、25才の人なら、「知らん」というかもしれない。あなおろそしや。で、そういう人のために簡単にルールを説明しよう。ものすごくシンプルだ。様々なテーマで100人にアンケートをとって、そのなかでもっとも多かった答えの1~10位までを、回答者が当てるというもの。

たとえば、「新橋のサラリーマン100人に聞きました。好きな寿司ネタは何? 答えは8つ」みたいな感じで司会の関口宏がテーブルに肘をつきながら質問する。すると回答者の一人が「トロ」という。会場から「あるあるある」という声が聞こえる。音楽が鳴る「チャ~ラ~ラ~ラ~ラ~ラ~」。パネルにトロの絵が浮かぶ。正解。「ピンポンピンポーン」という具合である。

トロとか、ウニとか、そういう誰もが思いつきそうな答えは簡単。難しいのは7位とか8位とか、100人いたら2~3人くらいしか答えないような回答。この場合だったら、たぶんシャコとかその辺り。1人も回答しないような答えを口走ってしまうと、その人の常識のなさが露わになる。逆にいえばユニークな感性の持ち主ということになるのだが。

で、なぜこんなことを言うかといいますと、翻訳をしていて、ある語にどんな訳語を当てるか、ということが、この百人に聞きましたに似ていいると思うからである(似ているから、だからそれがどうした、とは訊かないでください)。原文のある語に対して、どのような訳語を選ぶべきか。当然、無難な訳語を当てることもできる。「100人~」でいえば、上位3位に入るような回答だ。誰もが納得するような訳文が作れそうだ。だが、このパターンだけでは面白くない。トロがいくら美味しくても、トロばっかりじゃあきるのである。だから、たまには5位とか7位くらいにきそうな訳語を使ってみる。そうすると、読んでいるほうは、おぉ~なるほどその手があったか、と思う(うまくいけば)。だが、はみ出しすぎて、100人に聞いても誰も答えないような訳語を当ててしまったとき、その訳語の選択はほとんどの場合において、失敗となるのだと思う。

つまり、訳者というのは、まず常識人でなければならない。ツーといえばカー、山といえば川。様々な状況下にあって、まずは当たり障りのない言葉を探り当てる嗅覚と懐の深さを持たなければならない。しかも、求められるのはそれだけではない。ど真ん中だけを歩くのではなく、言葉の「当落線上」の内側にあって、そこからぎりぎりはみ出さないようにしながら、できる限り多様で豊かな言葉を選択する感性も求められるのだ。

だから、すべての翻訳者は関口宏なのであり、そして、上手く答えを導くことができた場合には、トラベルチャンスが待っているというわけなのである。

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『もっとも危険な読書』高橋源一郎。読了。高橋さんの書評は面白い。
新刊書店を2件はしごした挙句、BO吉祥寺で10冊。

『マオ』(上)ユン・チアン著/土屋京子訳
『2/3の不在』ニコール・クラウス著/坂本憲一訳
『逃げる』ジャン・フィリップ・トゥーサン著/野崎歓訳
『イノセント』イアン・マキューマン著/宮脇孝雄訳
『古代への情熱』シュリーマン著/関楠生訳
『標的は11人』ジョージ・ジョナス著/新庄哲夫訳
『ラスト・ブレス』ピーター・スターク著/徳川家広訳
『ストリート・キッズ』ドン・ウィンズロウ著/東江一紀訳
『仏陀への鏡の道』ドン・ウィンズロウ著/東江一紀訳
『孤独な道を行け』ドン・ウィンズロウ著/東江一紀訳

上を向いて走ろう

2007年11月18日 23時21分00秒 | Weblog
家から二キロほどの距離にある小金井公園までいき、公園内をブラブラ走って帰ってくるというのが僕の定番のジョギングコースである。公園までは、多摩湖自転車道を通っていける。西東京市から東大和市の狭山丘陵までを貫く全長二十一キロの自転車道で、もちろん車は入れないし、道路わきには緑も多い。だからジョギングのほとんどの道程を、車がビュンビュン通る道をオッカナビックリ走ることなく、静かで緑の多い環境を味わえる。東京都内にあってなかなか恵まれた立場にいると思う。

土日にはヨメと走ることが多い。走ることはデフォルトになっていて、朝起きると、その日の体調や気分に合わせて、今日は何時頃に走ろうか、ということが話し合われる。そして、ランニング中に出会いたい柴犬の数、猫の数、が目標値として設定される。柴五匹、猫二匹が見れればかなり上出来である。

最近、公園内に猫の集会場を発見した。というより、猫の巣?なのだろうか、いけばかならずトラ猫二匹と雉猫がいる。猫好きの人たちが餌をあげているのだろう。完全にではないが、人なれしていて触らせてくれる。今日いくとまずトラの姿を発見。するとどこからともなく「ミャー」という声が、あたりを見回してもほかの猫の姿が見えず、あれ?と思っていたら、すぐ近くにある大木のかなり高いところにある枝に、雉猫がおもむろに鎮座していた。雉猫は、「ミャー(どこみとんねん、ここや)」と鳴くと、軽やかに枝から枝を飛び移り、地面に着地した。すると意外にも仲が悪いのかトラが雉を威嚇。雉は助けを求めるように我々に近づき足に身体をスリスリしてきた。「ミャー(トラがうちのこといじめんねん)」。トラは木の幹ではげしくツメを砥ぐ。気まずい空気が流れる。なんとなく間が悪い。猫の世界もいろいろと大変なのである。

公園内にはドッグランがあり、そこがジョギングコースのベースキャンプ的な地点になっている。そこから公園をぐるぐる回ることもあるし、そのまま折り返して家に帰ることもある。とりあえず、ドッグランの中を覗き込み、柴がいないかどうかを確認する。犬を連れていない人は、中に入れない。だから我々は何百回もここにきていながら、一度も中に入ったことがない。おしゃれな洋犬を楽しそうに走り回らせている人たちのことが、ブルジョアに見えてくる。我々は金網を握り締め中にいる柴を探す。まるで、楽器店のショーウィンドー越しに、自分には手の届かない高価なトランペットをじっと見つめる少年の心境である。しかし、そういう傍目を気にすることよりも、何よりも柴犬が見たい。なので、毎回二人して目を皿のようにして金網を握り締め柴犬ウォッチングをしている。今日は一匹も発見できず。

合計、柴犬三匹、猫二匹。まあまあの成果である。今日はすき焼きにしよう、と決めていたので帰りにスーパーで食材を購入する。走り始めたとき、ふと「上を向いて歩こう」を歌い出すと、「それってスキヤキってこと?」とつっこまれるが、まったくの無意識であり、なぜか自分のさりげないオヤジぶりというか耄碌ぶりというか老人力の高まりを実感。午後3時にジョギングを開始する前に、『走ることについて語るときに僕の語ること』を読了。「死ぬまで18歳」という章があったが、僕的には春樹さんは「死ぬまで33歳」という感じがする。走ること、そして走ることと小説を書く事の関係について書かれた本。また、走る意欲が高まってきた。読書、部屋の片付けなどをしているうちに、日が暮れる。

K賀山山岳会、第一回活動報告

2007年11月17日 23時57分23秒 | 怒涛の突撃レポートシリーズ
――11月13日、午前9時。小田急線伊勢原駅。改札口は、カラフルないでたちの登山客でにぎわっていた。土曜日の朝ともなると、休日の山登りを待ちわびていたかのように、こんなにもたくさんの人が意気揚々と丹沢のふもとに集まるのだ、と知り驚く。登山靴にリュック、ジャンパーに帽子。みな、一目みるだけで、山慣れしていることがわかる。なるほど、登山するときはこんな格好をするのだ。と思いながら、僕はジョギングスーツにカジュアル・ジャンパー、帽子なし、リュックではなくバックパックという素人丸出しの格好で改札口に立ち、二人を待っていた。そう、今日は、結成されたばかりの加賀山山岳会の、記念すべき第一回大会、『~由美かおるを探せ~黄門様ご一行がゆく丹沢秋の旅 2007』が開催されるのである。

ウロウロしていると、すぐに葛巻さんの姿が。さすが、彼女は登山の経験が豊富なだけに違う。周りの登山客と一緒で格好がいい。見事にその場の空気に溶け込んでいる。今日はカメラマンとしてもよい写真をたくさんとってくれるだろう。話もはずみ、気分が高まってきた。

そのとき、一人の男が、改札口をくぐりぬけ、風を切ってさっそうと姿を現した。見覚えのある長身が、今日は見事までにハードボイルドな登山家に変身している。そう、ほかでもない、この人こそ、加賀山山岳会初代会長兼ミステリー翻訳家のK賀山T朗氏であった。

加賀山さんは軽く挨拶をすますと「さあ、いきましょう」と、長いコンパスを使ってぐんぐんとバス停に向かって歩いていく。この行動力。この揺ぎない自信。――彼にならどこまでもついていける、いや、ついていこう。そんな決意にも似た思いを脳裏によぎらせつつ、小走りに後ろをついていく。伊勢原駅北口からバスに乗り、日向薬師へ。20分ほどの旅だ。加賀山さんは、今もかなりお仕事が忙しいとのこと。でも、今日は別だ。景色も変われば気持ちも変わる。3人とメンバーは少なくなってしまったものの、日常から離れ、楽しいハイキングを楽しめそうな予感がする。

バスを降り、急な階段を15分ほど登って、日向薬師本堂へ。なかなかのお寺である。それもそのはず、日本三大薬師の一つなのだそうだ。すごい。でも、ちょっと待て。そもそも薬師って何? と考えてその場ではわからなかったのであるが、今調べてみると、薬師とは薬師如来を本尊とする寺院の略称ということらしい。

加賀山さんは、賽銭箱に硬貨を投げ入れると、神妙な面持ちで仏様に向かって手を合わせていた。何を祈っているのだろう。ご家族のこと、仕事のこと、そしてきっと、(来年も、某○ェローアカデミーで、よい授業ができますように)と願っていたに違いない。

いよいよ登山口に入り、七沢展望台へ。大自然の中にいると、空気が美味しい。今回の企画は、当初『~日英米同時登山敢行~ 衝撃のリトビネンコ暗殺ツアー in 丹沢 2007』と題したハードボイルドな登山になる予定だったのであるが、生命のリスクを察知した女性陣から早々に辞退者が続出。まさかの展開に心を悩ませた加賀山さんが「山よりも生徒」との英断を下し、ハードルを下げた結果、軽めのハイキングという道程が組まれていた。しかし、それでもなお参加メンバーの招集は困難を極めた。当日が近づくにつれ、それぞれにやむをえない事情を抱えた加賀山組のメンバーが、断腸の思いで次々と不参加の報告を告げてきたのである(中村さん、ご結婚おめでとうございました!)。その結果、「一眼レフ」葛巻さんと、「お調子者」児島をそれぞれ助さん角さんとして引き連れた黄門様(加賀山さん。本人はやしち役を希望)が、丹沢の山中をほっこりと歩くというツアーに形を変えていた。それから、由美かおるとしての参加に一縷の希望が託されていた多田羅さんから、早朝ご丁寧に不参加の連絡のためにお電話をいただいたことを、忘れずに記しておきたい。多田羅さん、ありがとうございました。

登山の経験が豊富なお二人の話に花が咲く。加賀山さんがいう。
「こうして景気のよいところから下界をながめていると、東京で流行っていることの9割が、実はどうでもいいことだっていう気がしてくるよね」
ほろりともれた本音だろうか。精力的に訳書を上梓し続け、押しも押されぬ第一線の翻訳家として活躍する彼も、ただ時代の波にのり、仕事に翻弄されているのではない。この達観があるからこそ、あれだけの仕事ができるのかもしれない。そう、たしかに私たちは、下界にいるとき、どうでもよいことに右往左往して生きている。ゆったりとした気持ちで、静かな山の中を一歩一歩すすんでゆくと、俗世であたふたしている日ごろの自分の姿が、遠い下界にいる別人のように浮かんでくる。登山の魅力が、少しだけわかったような気がした。

その後、児島がクモの巣にいたずらしたところゴミ廃棄と間違われて自動警報を鳴らしてしまうなどのアクシデントに見舞われながらも、無事、本日のゴールとも呼べる展望台へ。こじんまりとした鉄筋の造りで、階段があり高いところから厚木方面を展望できるようになっている。…しかし、高く伸びた雑木の手入れがされていないため、展望台の上からは、木で前がまったく見えず(^^; 一同苦笑。まあ、こんなこともあるさ、と温泉に向かう。

加賀山さんが予め調べておいてくれたのは、「七沢荘」。『日本名湯百選、美肌の湯ベスト9』を謳う温泉宿である。ベスト3でも10でもなく、ベスト9。このあたりに、この宿のただ者でなさを予感しつつ、玄関に鎮座する白犬(なぜ?)を回避しながら中へ。食事とお風呂が込みで3時間のコース。食事の時間は、団体客が来るので、少し遅いが12時半にしてといわれる。帰りのバスの出発時間は、1時5分。これを逃せば3時まで次はこない。食事時間が30分ではいかにも短いと気づいた加賀山さんが、すかさず「もう少し早まりませんか」と大人の一言。すると受付のおっさんはぶっきらぼうに「無理です」とそっけない回答。(^^; いい商売してます。それにしてもこのおっさん、まさかこのお方がパーカーやチャンドラーを訳しているハードボイルドトランスレーターだとは気づくまい。プロ翻訳家の哀愁の漂う日常を垣間見る。

加賀山さんと二人でがらんとした温泉に入る。まさに男同士、裸のつきあい。なんとも緊張である。温泉は水質がヌルヌルして気持ちいい。まだ午前11時、普段なら家にいて休日の始まりをぼんやりと考えているころなのに、はるばる丹沢まできて温泉に入っている。なんだか不思議な気持ちになる。しかも横にいるのは天下の加賀山さんなのだ。そう、このチャンスに話をせねば! 仕事のことなどいろいろと質問したり、軽い悩みを打ち明けたりする。若輩者の愚問に快く答えてくれる加賀山さんに深く感謝。ちなみに、今回のハイキングのミッションとのひとつに、加賀山さんのプロマイド(死語)を撮影する、というものがあった。というのも、今期、学校に通わず自宅で翻訳の学習を続ける生徒の何名かより、孤独に陥りがちな勉強中、机の上にお守りとして立てかけておく加賀山さんの写真が欲しいというリクエストが強く要望されていたためである。その期待に答えるべく、葛巻さんはわれらが師匠の写真を撮影してくれていた。ちなみに、彼女が果たしてこの入浴シーンを隠し撮りしていたかどうかは、定かではない。実際、男湯は外から丸見えだった。今後、盗撮された加賀山さんのヌード写真が、闇ルートで流出する可能性がまったくないとは言い切れない。

温泉を出ても、まだ食事まで時間はたっぷり1時間もある。どうやら、ハイキングの時間が短すぎたようだ。旅館内の中庭のテーブルで、ゆっくりと時間が流れていく。加賀山さんが、持参したバーナー、コッヘルをおもむろに取り出し、お茶を入れてくれる。手馴れた様子で道具を扱うその姿は、まるでトカレフに銃弾を詰め込むスナイパーのよう。う~ん、これぞまさにハードボイルド。いろいろと登山をされたなかで、南アルプスや、八ヶ岳などがよかったと教えてくれる。次回はもっとたくさん歩きたいと思ったが、果たしてメンバーは集まるか?という話題に。頂上で青空翻訳教室を開催したら、依田さんが参加してくれるかも?

少し早めに座敷にいくと、おっさんの無理宣言をよそに、12時半を待たずにおばさんが豪華な食事を運んできてくれた。とても美味しい料理だった。宿も、働いている皆さんも、なんだか味があって、とても面白い。それにしても、この四月に初めて顔を合わせた人たちが、何かの縁でこんなに仲良くなり、このような企画が実現するとは、なんて素晴らしいことだろうと思う。長南さんの提案ではじまったメーリングリストが大きな役割を果たしてくれていることに感謝。そして、すべては加賀山さんのすばらしい人柄と、個性的で優しく、翻訳への情熱に燃えているみなさんのおかげだ。ご飯を食べながら、楽しかった思い出話に爆笑する。岡村さんと加賀山さんのやりとりがいかに面白かったか、という話で盛り上がる。お二人の掛け合いは、話芸の域に達しておりました。

楽しい一日に感謝しながら、厚木駅までバスでひた走り、小田急線に。お二人とは、新百合丘の駅でお別れだ。加賀山さん、葛巻さん、ありがとうございました。皆さん、次回、ぜひお会いましょう。多謝!

~完~

と、ここまでは加賀山MLに投稿したネタを流用。
その後、少し時間があったので、ひびや図書館にいき、通訳学校。

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ひびや図書館で、10冊借りる

『暇がないから読書ができる』鹿島茂
『スティーブン・キング』風間賢二
『平原の町』コーマック・マッカーシ著/黒原敏行訳
『スター・ウォーズ ローグ・プラネット』グレッグ・ベア著/大森望訳
『バゴンボの嗅ぎタバコ入れ』カート・ヴォネガット著/浅倉久志・伊藤典夫訳
『現代作家ガイド2 スティーブ・エリクソン』越川芳明
『もっとも危険な読書』高橋源一郎著
『百年の誤読』岡野宏文・豊崎由美著
『情報はなぜビットなのか』矢沢久雄著
『BRAZIL』John Updike著







ピンチの裏にチャンスあり

2007年11月16日 23時55分18秒 | Weblog


アクの強い部分、という話の続きだが、訳しづらいところというのは、逆に訳しがいのあるところでもある、と思う。生のままでは食べられない。サラダにすることもできない。そういうくせのある食材を、煮て、焼いて、揚げて、美味しい料理をつくる。そこに翻訳の面白さがある。職人としての技が求められるところ。翻訳者の存在意義がここにある。

だから、上手く訳せなくてうんうん唸っているときというのは、実は宝の山に出くわしたということでもある。それに、訳しにくいところ=自分の弱点でもあるわけだから、自己分析のよい材料にもなる。

ピンチだけど、実はチャンス。そう気持ちを切り替えて、難しい原文に出くわしたときは、逆にラッキーだと思おう。幸せだと思おう。

さあ、原書のページを開いてみよう…ああ、ここは天国かも…お花畑が見えます…

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荻窪店で9冊
『トレインスポッティング』アーヴィン・ウェルシュ著/池田真紀子訳
『アメリカの家族』岡田光世著
『アニマの香り』鏡リュウジ対談集
『アースデイフォーラムブックレット 2001』坂本龍一プロデュース
『本の雑誌』2005/1号、2005/10号、2006/1号
『このミステリーがすごい!』2007年版
『死ぬための教養』嵐山光三郎

バタ訳

2007年11月16日 00時04分24秒 | Weblog
英語は、アクが強い。

いやちがう。英語として読んでいるだけなら問題ないのだ。
素晴らしい言語の世界がそこにはある。

だが、いざ日本語に料理しようとするととたんに気になる、
なかなか抜けない、この強いアク。

「普通に」訳そうとしたらだめ。
日本語としてなんとも収まりが悪くなる。

つまり、文章がバタ臭い。
しょうゆの香りがしないのである。

字義通りに訳しただけの、
ノベーっとした、
木で鼻を括ったような訳。

こういうのを、「直訳」ではなく、「バタ訳」と呼びたい。

なぜなら、直訳を批判すると、じゃあ意訳がいいのか、と取られてしまうから。
この2つの語の定義の中で思考すると、
どうしても大切なものがすり抜けてしまう気がする。

原文の語の通りに訳すのが直訳なら、それも真理。
原文の意味を汲み取って訳すのが意訳なら、それも真理。
鶏が先か卵が先かみたいな話だ。

けれど、本当の答えは、直でも意でもない、「よい」訳でしかないはずだ。

だから、よくないバタ訳を見つけたときは、「これバタ臭いな~」と言おう。
「直訳だな~」とは言わずに(でもたぶん言ってしまうが)。
そしてこのとき、対極にあるのは「意訳」ではない。「よい訳」、なのである。

ただし、バタ臭さにはバタ臭さのよさもある。
だからときにはバタ臭ささも「よい訳」になりうるのだ。