イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

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ありがとう2010

2010年12月30日 13時09分31秒 | Weblog
何のかわりばえもなく過ぎ去っていくようにみえる日々のなかにも、小さな変化がいくつも起こっている。一週間、一ヶ月の単位では何の違いももたらしてはくれないように思える時間でも、一年という長さで振り返ると、あっと驚くほどに自分が変態していることがわかったりもする。過去の自分が、遙か遠くにいるようにも思える。

今年も本当に色々な方々のお世話になりました。みなさま、どうもありがとうございました。ブログの更新は滞りがちでしたが、来年もまた徒然なるままにイワシの翻訳LOVEを続けていきたいと思います。よいお年をお過ごしください!

あと少ししたら家を出て、4日に東京に戻る予定です。
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転倒イワシの唄 ~俺はコケ続ける~

2010年12月29日 01時37分46秒 | Weblog
「なぜ最近、ブログを書かなくなってしまったのですか?」

と、とある人から訊かれた。

「話せば長くなる。いつかきっと伝える日がくるから、今はそっとしておいてくれ」

潮風に吹かれながら、僕は答えた。

と、いうのは嘘である。

なぜブログを書かなくなったのか? 人には訊かれないが、自問はしている。やっぱりちょっとは気になっている。

思い当たる節はいろいろある。

ツイッターではわりと頻繁につぶやいているので、そっちにネタやエネルギーが流出してしまっているのかもしれない。仕事モードからなかなか抜けきれないので、まとまって何かを書くという時間を作れない(作らない)という事情(というか単なる言い訳)もある。人生について、いろいろと胸に去来するものがあり、うまく言葉でそれを表せないという実存的な問題もちょっとだけはある。単に面倒くさいと思ってしまう自分もいる。どうせ書くならくだらないことじゃなくて、まともな身のあることを書きたいという真面目な自分もいる。他にも、さまざまな要因が絡み合っているような気もするが、うまく分析できていない。というか、もともと、分析の対象にするほどたいしたブログではない。結局、いずれにしても深い意味などないのだ。

そんなわけでしばらくブログを放置していると、よけいに悪循環にはまってくる。たまに昔の記事を読み返したりして、妙に客観的になって恥ずかしくなったりもする。ようこんな青臭いこと書いたもんやなあと。ここまでアホな奴もめったにおらんなあと。度胸モンやなあと。

それにしばらく放置していると、いざ書こうと思っても言葉が出てこない。

会話でもそうだ。ある人と仲良くなって、毎日あれこれしゃべり続けていたら、「どこそこのカレー屋さんのらっきょうがやたらと美味しい」みたいな些末なネタで、いくらでもしゃべり続けられる。しゃべればしゃべるほど、ネタが出てくるものなのだ。

だけど、めったに会うことのない人が相手だと、会話が続かない。「お仕事の調子はどうですか?」「天気がいいですね」。みたいな話をしてしまった後に、言葉が出てこなくて窒息しそうになる。もともと僕はとっても口べたなのだ。文章でも同じだ。書いていないと言葉は出てこなくなる。

しばらく何も書かずにいたのに、いきなり「帰省するまでに冷蔵庫の食材をすべて食べ尽くさないと」とか、「公園で歩いていたら段差に足をとられてずっこけた」みたいな些末な日常をいきなりあらたまって書いてよいものかどうか躊躇してしまう。そんなくだらないことを、世間様にむかって発信するべきなのかどうか、しばし考え込んでしまう。実際、家のなかでずっと仕事を続けているだけという、金太郎飴みたいに同じ日々を過ごしている僕の周辺に起こっていることは、この程度の非常に小スケールな事件しかないのである。

*

というわけで、今日は夜に公園を散歩していたら、思い切り転倒してしまった。走っていて転ぶならまだしも、歩いていて転ぶというのも情けない。足腰、弱っているのか。暗くて段差に気づかなかった。一瞬、足首が折れたかと思うほどの激痛が走り、そのまましばらく芝生に横たわった。やけに星が綺麗だった。あの星は、夜空に輝く星なのか、激痛によって脳内からわき上がってきたイメージなのか、わからなかった。

俺はこのまま死ぬのか――、そう思った。

というのは嘘であるが、死ぬときってこんな感じに不意に訪れるんだろうなあって思った。

部活でサッカーをしていたときは、頻繁に足をくじいていた。足は痛かったけど、なんだか昔を思い出して懐かしくなった。足をくじいたのは、散歩していたから。散歩しなければ足はくじかなかっただろうけど、くじいてもいいから散歩する人であり続けたい。なんてことを考えたりもした。リスクをとらないことが最大のリスクなのだ。危険な道を走り続けることが、僕にとって一番の安全策なのだ。そうだ、走り続けよう、歩き続けよう。来年も。

足首を引きずりながら家まで歩いて帰った。年末までには治らないだろうから、歩くのは大丈夫だろうけど、今年はもうジョギングはできない。結末はいつもあっけなく訪れるものなのだ。

冷蔵庫をあけて、水で喉を潤した。あと2日しか東京にいないから、冷蔵庫のなかも綺麗にしておきたい。みかんも食べ尽くしておきたい。もともとあまり食材は入っていないし、野菜を駄目にすることも多いのだけど。大根が三分の一、納豆、卵、細切れ肉、しなびてきわどいブロッコリーなどが残っている。生姜は年を越してくれるだろう。

昼間、パスタをつくっていたら、タカの爪、コショウ、オリーブオイルが、惑星直列するみたいにいっぺんになくなった。ありがとう、今年のペペロンチーノ。百回以上つくったような気がするな。

まだ仕事は続けているが、今年最後の納品も昨日で終わり、すこし気持がほっとした。いまやっている本の仕事は、本当に楽しい。これが翻訳を始めようとおもったときに、求めていた何かなのかも、という手応えを感じている。かっこよく言わせてもらえば、仕事じゃなくて作品をつくっているような気持になりつつある。とんでもない駄作になるかもしれないけど。

そして久しぶりにブログを書いて、少しだけ肩の荷がおりた。浜田の旅行記、マラソンレポートの続き(4月から連載休止中 笑)、ほかにもいろいろと書きたいことはあった。ごめん、来年絶対に書くから!

やっぱり久しぶりに書いてよかった。書き出せば、また恥ずかしいこともたくさん書いてしまうだろう。だが、書いているときは、案外それを恥ずかしいとは思わないものなのだ。


明日から毎日、ブログを書こう。絶対に。


と、いいたいところなのであるが、多分それは無理だろう 笑


というわけで、今日もまたやっぱり恥ずかしいことを書いてしまったのであった。オーノー!











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翻訳そぞろ歩き「山の手線一周そぞろ歩きの旅 マハロ伊藤さんと行く上野~東京編」2月5日(土)開催

2010年12月24日 20時11分54秒 | Weblog
来年2月5日(土)に、新企画「山の手線一周そぞろ歩きの旅」の第一弾として「マハロ伊藤さんと行く上野~東京編」を開催いたします。
みなさまよろしければぜひ一緒に歩きましょう!

ブログに概要をアップいたしました。詳しくはまた来年告知いたします。

今年も一年、みなさまにはそぞろ歩きで大変お世話になりました。
ありがとうございました。

来年も楽しくそぞろ歩けますように!
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老女とディケード ~追憶の中央特快~

2010年12月04日 21時00分45秒 | Weblog
昨昼、都内で仕事の用事を終えた帰路、新宿から高尾行きの中央特快に乗った。

中野駅で、乗車してきた初老の女性が、ドア付近に立っていた僕に尋ねた。

「すみません、これは三鷹に行きますでしょうか」

ふいをつかれて、棒読みのセリフのように素っ気なく答えてしまった。

「はい、行きます」

「ありがとうございます」女性は言った。

特快だから、次に止まるのが三鷹の駅ですよ。そう伝えてあげようかとも思ったが、女性は少し離れた位置に移動してしまったので、タイミングを失ってしまった。

地味目の服を着た女性は、風呂敷の荷物を持ち、少しばかり――目的地を探すことに、あるいは人生そのものに――憔悴しているような様子だった。推測に過ぎないが、東京の人ではなさそうだ。誰かを訪ねに、あるいは何かの用事で三鷹を目指しているのだろう。

何のことはない日常のひとこまだ。いつもだったら、そこで終わり。すぐに頭を切り換えて、それまで考えていたことに意識を向けたはずだ。だけど、何かが心にひっかかった。

*

10年前、関西から上京してきたとき、借りる部屋を探すために初めて降り立ったのが三鷹駅だった(結局は条件の合う物件がみつからなくて、別のところで一人暮らしを始めることになったのだけど)。京都から深夜バスでやってきて、朝のラッシュ時の三鷹駅の改札口を抜けた。初めて体験する東京の、朝の駅。あまりの人の多さに圧倒された。通勤のために駅を行き交う人たちは、前を向いて早足で歩きながら、これから職場で一日を過ごす自分に気合いを入れているようで、近寄りがたいものすら感じた。

翻訳の仕事がしたい、と漠然とした思いだけで東京にやってきた僕は、なんとなく住みやすそうだと憧れていた朝の三鷹で、大勢の通勤者が発するエネルギーに気圧されて、いきなり頭に冷や水をかけられたような思いがしたものだ。いまでも三鷹駅の北口に来ると、あの日のことをよく思い出す。

*

車窓を流れゆく、見慣れた中央線沿線の光景を見ながら、しばし追憶に耽った。

あれから10年――いろんなことがあった。本当にいろんなことが。老女の質問に対して、僕はとっさに笑顔を作り、次に止まるのが三鷹駅だと優しく教えてあげることができなかった。彼女の目に、僕は冷たい都会人だと映ってしまったかもしれない。大都市の喧噪に圧倒され、うまく目的地にたどり着けるかどうか不安を感じているかもしれない、10年前の僕と同じような人に対して。

たいした経験もないまま、ただ翻訳がしたいという思いだけで、この地にやってきた当時の自分を振り返ると、とんでもなく無謀な冒険をしたものだと思う。

2001年の春に東京にやってきて、ようやくこの業界で働き始めることができたのが9月12日。希望していた翻訳職ではなく、翻訳会社の営業だった。入社の前日にNYで同時多発テロがあり、夜のニュースで崩れ落ちる世界貿易センターの映像を眺めながら、これから世界は、自分の人生はどうなるのだろうかと茫漠とした不安を感じた。

それでも、巡り会った人たちの助けのおかげで、なんとかいま、僕はかつて夢見た仕事をしている。出版社の方と打ち合わせをして、同席くださった関係者の方、知人の翻訳者の方と昼食をご一緒させていただき、家に帰って仕事を続けるために、僕はいまこの中央線に乗っている。いつもギリギリの低空飛行、一輪車操業ではあるとはいえ、自分はいま、当時の自分からみれば、ほっぺたをつねってもおかしくないくらい、信じられないほどの恵まれた状況にあるのではないのか――。

出会いと別れ、成長と停滞。あれから10年――いろんなことがあった。本当にいろんなことが。

*

電車が三鷹に到着した。

「ありがとうございました」

老女がわざわざ僕のところに来て、頭を下げ、礼を伝えてくれた。

席を譲ったわけでもなく、ただ停車駅を聞いただけの相手に、律儀にも、もう一度礼をする。素朴で無垢な心に触れ、まるで道の途中で忘れ物を思い出したときのように、はっとさせられた。彼女の態度に、心温まり、なぜか切ない思いもした。

「いえいえ、どういたしまして」先ほどよりは、少しだけ丁寧に、言葉を伝えられた。

彼女は、依然として少々心許ない様子で、ホームに降りていった。無事、目的地にたどり着いて欲しい。願わくば、久しぶりの母との再会を心待ちにしている、息子や娘がいる家に。

改札口に向かうため、老女は階段を上っていった。彼女の姿は見えなくなった。


*


電車が発車するまで、まだ数秒、時間があった。

次の武蔵境駅で降りるつもりだったが、僕も電車を降り、三鷹のホームに立った。

改札口を抜けた僕は、北口の広場に出た。忘れがたき、あの北口。三鷹の駅から家まで、徒歩で30分少しかかる。少し歩きたかったので、ちょうどいい。

来年の春で、東京、満10年。

この冬が終わり、温かくなれば、また春の風が、子どものころに感じていたあの懐かしい薫りを運んできてくれるはずだ。そのとき、僕の10年も終わる。もう、振り返るのはやめ、前を向いて歩いていこう。新しい時代の扉をあけるために、恐れずに、逆らわずに、信じる方向に進んでいこう。


導かれるままに。



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そのときは気づいていなかったのだけど、そのまま三鷹で降りずに中央特快に乗っていたら、武蔵境には止まらずに、国分寺まで連れて行かれるところだったということは、この際、言いっこなしで。
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